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2021年3月

2021年3月30日 (火)

「肥前国府」と「肥後国府」【工事中】

【肥前国府】

(一)政庁跡・・・正殿は掘立柱の四面廂建物・西偏6度50分・前殿・後殿・回廊・脇殿・南門

(二)政庁跡周辺・・・RG地区・掘立柱建物四棟・溝三条,DB地区・掘立建物跡二棟・柵跡二条・築地跡・井戸跡・西偏いろいろ

(三)惣座遺跡・・・嘉瀬川左岸よりわずかの微高地・掘立柱建物跡一五棟・溝四条・西偏四度三六分

(四)久池井B遺跡・・・同川岸よりやや離れた緩やかな微高地上・政庁から北東方向へ二五十m・掘立柱建物跡一四棟・井戸跡二基・溝跡一一条

一区・・・正方位と西偏二度

二区・・・建物がいづれも正方位

(五)・・・東山田一本杉遺跡・・・以上の遺跡とは違い嘉瀬川の西側・大型建物跡四棟・小型建物跡六棟・築地跡二条・井戸跡三基

建物跡には正方位のものと三度西のもの・九世紀代の須恵器と土師器

 

【肥後国府】

(1)益城国府・・・法起寺式・肥後最古の白鳳時代の瓦・奈良朝後期には焼失

(2)託麻国府・・・奈良朝中期の瓦・水禍による崩壊流失・平安朝の遺物はほとんど出土していない

(3)飽田国府・・・平安時代初期?・複弁・巴文

2021年3月28日 (日)

軒丸瓦の分別表(訂正版)

川瀬さんのコメントにより,5つの分け方に訂正したものです。

素弁・単弁・複弁・リバイバル単弁・巴文の5つ。(リバイバル単弁が複弁の後に登場。聖武期)

数字が発掘報告書の瓦の番号です。

「肥前国分寺」と「肥後国分寺」は,こうなります。

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【肥前国分寺】

Img_9681

【肥後国分寺】

Img_9662

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上記の分別表を参考に,先日の課題をといてみると・・・

 

【肥前国分寺】

 1:法起寺式の創建時代:素弁がないから7世紀中頃 瓦は・・・・【単弁の3】

 2:塔を七重に改造した時代:聖武期・8世紀中頃 

   伽藍配置は、法起寺式のままか、大官大寺式に改造化は不明。

   瓦は・・・【リバイバル単弁の4・5】

  複弁が出土しているから、これは1と2の間の時代。瓦は・・・【複弁の1・2】

 3:平安時代:巴文が出ているから 瓦は・・・・【巴文の6】

 

【肥後国分寺】

 1:7世紀初頭から中頃の創建時代:E区の?

    伽藍配置は不明。

    瓦は素弁が出ており、?期基壇から複弁が出ているので3種類の瓦・・・【素弁・単弁・複弁】

 2:8世紀の再建時代:たぶん聖武期 

    伽藍配置はおそらく東大寺式で塔院+金堂院

    瓦は・・・・【リバイバル単弁の10・11】

  1・2の時代の間で洪水で破壊される。E区の?期。

  その時期は複弁の時代(7世紀後半から末)から聖武期の前(8世紀前半)。書紀と続日本紀で肥後洪水を調べればわかる。

   → 744年,肥後大地震で地震・雷雨というものがあったが,少々時期が後か?

2021年3月27日 (土)

「肥前国分寺」と「肥後国分寺の」瓦の分別表

素弁・単弁・複弁・巴文の4つで軒丸瓦を整理する分別表を作ってみました。

数字が発掘報告書の瓦の番号です。

「肥前国分寺」と「肥後国分寺」は,これで良いでしょうか?

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【肥前国分寺】

Img_9643

【肥後国分寺】

Img_9642

2021年3月19日 (金)

過半数が「複弁が先」

「741年の国分寺建立の詔」と「発掘報告書では,複弁が先に出てくる」が結びついていなかった。

以下は,それに慣れるための練習。

『新修 国分寺の研究』では,半数は複弁が先に出ている。=「741の呪縛」?

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筑前国分寺(森田勉)・・・複弁が先

筑後国分寺(櫻井康治)・・・単弁(素弁)・複弁・単弁・単弁(素弁)

肥前国分寺(高嶋忠平)・・・複弁が先

肥後国分寺(松本雅明)・・・複弁が先

豊前国分寺(森貞次郎・横田義章)・・・単弁(素弁)・複弁・単弁・単弁・・・

豊後国分寺(真野和夫)・・・複弁が先

日向国分寺(石川恒太郎)・・・単弁・複弁・菊花紋・・・

大隅国分寺(寺師見国・木村幹夫)・・・複弁が先

薩摩国分寺(河口貞徳)・・・複弁が先

多祢国分寺(角田文衛)・・・

壱岐国分寺(山口麻太郎)・・・

対馬国分寺(永留久恵)・・・

 

 

 

 

2021年3月10日 (水)

お寺の「伽藍」カード

【お寺の「伽藍」カード】

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/03/post-9eb260.html

(「肥前国分寺について」と「肥後国分寺について」の続きのコメントです)

Img_9505

『新修 国分寺の研究』(西海道・P188に出ている図)

2021年3月 2日 (火)

肥前国分寺について(工事中)

【肥前国分寺】

Img_9399 Img_9401

1:伽藍の中軸線の方位・・・西偏4度30分。ということは,最終的には地元の実力者が建立の伽藍か。

2:伽藍の構造・・・大官大寺式だが,国分寺としては異例の巨大な塔基壇(ほぼ25m四方)。

Img_9415_20210307001701

3:出土瓦 服部さんの研究に依拠する・・・単弁・複弁・巴文。

4:国府からの距離・・・近いが,国府は西偏6度50分で国分寺の4度30分とはずれる。時代が違うかもしれない。

総合判定・・・

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※ 東偏で建てられた九州王朝の国府寺が,7世紀初頭の正方位を経て,

地元の実力者によって,日本最大の塔基壇を持つ寺院(西偏)に建て換えられたのではないか。

※※ 塔の下の地業断面図で,礫混のものが「22」と「11・10」の2つあるのが気になる。

肥後国分寺について(工事中)

【肥後国分寺】

Img_9402_20210302104801 Img_9401

1:伽藍の中軸線の方位・・・国府や国分寺はほとんど真北。なのに条里は西5度。東→正方位→西に向かう?

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※ 3つの国府~国府の移動

(1)益城国府(火の君の勢力範囲に近い)・・最も古い?

(2)詫麻国府・・・奈良朝中期・・・正方位

(3)飽田国府・・・10世紀前半

Img_9420

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※※ E地点がⅠ期以前~Ⅵ期まで.年代順に発掘(講堂と僧房の間にあたる狭い範囲ですが)の様子が書かれていました。

Ⅰ期以前・・・6世紀後半から終末の炉跡・7世紀後半代の竪穴式住居

Ⅰ期・・・方形の掘り込み地業(SB102)が造られる。南北14.5×東西8.5m以上。東偏2~3度。8世紀中頃か。

Ⅱ期・・・Ⅰ期の基壇の北半を壊し,大きな溝状遺構(SD105)などが造られる

Ⅲ期・・・SD105の埋め立てを含む第二次整地が行われ,その後回廊の可能性のある版築基盤(SB103)が造られる。

 また,雨落ち溝とみられる溝状遺構(SB108)が造られる。基壇の走行は東偏2度。9世紀代と推定

Ⅳ期・・・複数の土壙群。10世紀以降か

Ⅴ期・・・井戸や土壙。室町時代か

Ⅵ期・・・防空壕や家屋の基礎。ごみ捨て穴など。近世以降

Img_9425Img_9414

※※※ P150,157,188の図からE地点付近の地下には「前身寺院」の証拠が見出せるように考える。

現国分寺は,それを変形・拡大(塔と回廊中心のもの→金堂を付け加えたものなど)したものではないか。

その証拠として,塔にも金堂にも中門があるなど。また,その際,方位も東偏→正方位と変更されたのではないか。

すると,7世紀初頭の時期がそれにあたるのではないかと考える。

※※※※ P166~7を見たら,「S素弁」を見出しました。素弁の軒丸瓦が出土していたのです。

Img_9428

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2:伽藍の構造・・・南西角の塔が回廊に囲まれている珍しい伽藍。塔重視? 法隆寺式の変形?

3:出土瓦 服部さんの研究に依拠する・・・素弁・単弁・複弁

4:国府からの距離・・・近い

総合判定・・・

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