多元的「国分寺」研究の記事を移動します
【多元的「国分寺」研究関係の記事を移動します】2/28(日)
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【多元的「国分寺」研究関係の記事を移動します】2/28(日)
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【3つの「国分寺」の改造過程】2/27(土)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-c833ad.html
【筑後国分寺について(工事中)】2/27(土)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-39f7b3.html
【筑前国分寺について(工事中)】2/26(金)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-f81641.html
【ということは,たくさん6世紀末以前の遺跡があった】2/25(木)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-23f503.html
【泉官衙遺跡Ⅰ期は,東偏。ということは・・・】2/25(木)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-0fa1dc.html
【「薩摩国分寺」の精査(川瀬さん)の改訂版】2/23(火)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-4bf39b.html
【筑後国分寺は,条里線は東偏・現方位は西偏】2/23(火)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-91f809.html
【薩摩国分寺は,飛鳥寺式から大官大寺式への改造だった!】2/23(火)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-88d57b.html
【薩摩国分寺での「塔基壇」の縮小?】2/22(土)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-c511ef.html
【今と昔の2階の高さ】2/22(月)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-8faf32.html
【塔の高さと基壇の大きさ】2/21(日)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-13bcd7.html
【「国分寺」の塔基壇カードを並べてみる】2/20(土)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-31f30e.html
【多元的「国分寺」研究の再開】2/19(金)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-6fd653.html
1:伽藍の中軸線の方位
東偏:九州王朝時代で6世紀末以前
正方位:九州王朝時代で6世紀末以後
近畿王朝時代で中央権力が関与したもの
西偏:九州王朝時代だが地方権力が作ったもの
近畿王朝時代の新造だが地方権力が作ったもの
2:伽藍の構造
古式伽藍(塔が回廊の内):九州王朝時代の国府寺の塔を七重に改造した。
新式伽藍(塔が回廊の外):
九州王朝時代の古式伽藍の塔を回廊の外に移し七重にしたもの。
近畿王朝時代の新造のもの。
※古式伽藍の特徴は、塔が回廊の内 以外に
中門と南門の距離が狭い(古式だとこの間に塔がないため) もある。
3:出土瓦 服部さんの研究に依拠する
素弁蓮華文軒丸瓦が出土:6世紀末から7世紀初頭以前。
単弁蓮華文軒丸瓦が出土:7世紀中頃
複弁蓮華文軒丸瓦が出土:7世紀末から8世紀。
4:国府からの距離
国府近傍にあるもの:国府寺:国府近傍で国庁のすぐ近く。両者は一体。
国府から遠いもの:
もともと国府の近くの国分寺であったが国府が後に移動した。
国府寺とは別に近畿王朝下で国府から離れた「清浄の地」に新造した。
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【〇〇国分寺】
1:伽藍の中軸線の方位
2:伽藍の構造
3:出土瓦 服部さんの研究に依拠する
4:国府からの距離
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川瀬さんの提示した4つの基準で,66か所の「国分寺」を分析してみよう。
【筑前国分寺】
1:伽藍の中軸線の方位・・・東偏2度なので,九州王朝時代で6世紀末以前
2:伽藍の構造・・・古式伽藍(塔が回廊の内):九州王朝時代の国府寺の塔を七重に改造した。
3:出土瓦 服部さんの研究に依拠する・・・素弁蓮華文軒丸瓦が出土:6世紀末から7世紀初頭以前。
4:国府からの距離・・・1キロ以内で近い
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【豊後国分寺】
1:伽藍の中軸線の方位・・・正方位:九州王朝時代で6世紀末以後
近畿王朝時代で中央権力が関与したものか?
2:伽藍の構造・・・古式伽藍(塔が回廊の内)
3:出土瓦 服部さんの研究に依拠する・・・単弁・複弁・複式素弁?
4:国府からの距離・・・国府から遠いもの:5キロ
もともと国府の近くの国分寺であったが国府が後に移動した。
国府寺とは別に近畿王朝下で国府から離れた「清浄の地」に新造した。
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【「薩摩国分寺」の精査(川瀬さん)】
1:創建期:6世紀末以前 飛鳥寺式伽藍 素弁八葉蓮華文軒丸瓦
2:再建期1:7世紀中頃 観世音寺式伽藍 単弁蓮華文軒丸瓦
西金堂→金堂に 金堂→講堂に 東金堂→解体して8.6m四方の塔に
※その後金堂が何らかの理由で建て直される
礎石建物→掘立柱建物(仮堂ではないか?)
※その後瓦は複弁軒丸瓦に改装。
3:再再建期:8世紀中頃か 大官大寺式伽藍に改造。
金堂→解体 講堂→金堂に改造。 僧房→講堂に改造。
※この時8.6m四方の塔を改造しようとしたか?
塔基壇の周囲に残る大きな柱穴=改造のための足場跡?・・・これが大官大寺式への改造の時期を聖武詔以後とした理由。
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【〇〇国分寺】
1:伽藍の中軸線の方位
2:伽藍の構造
3:出土瓦 服部さんの研究に依拠する
4:国府からの距離
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【〇〇国分寺】
1:伽藍の中軸線の方位
2:伽藍の構造
3:出土瓦 服部さんの研究に依拠する
4:国府からの距離
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【〇〇国分寺】
1:伽藍の中軸線の方位
2:伽藍の構造
3:出土瓦 服部さんの研究拠する
4:国府からの距離
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【〇〇国分寺】
1:伽藍の中軸線の方位
2:伽藍の構造
3:出土瓦 服部さんの研究に依拠する
4:国府からの距離
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【〇〇国分寺】
1:伽藍の中軸線の方位
2:伽藍の構造
3:出土瓦 服部さんの研究に依拠する
4:国府からの距離
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【〇〇国分寺】
1:伽藍の中軸線の方位
2:伽藍の構造
3:出土瓦 服部さんの研究に依拠する
4:国府からの距離
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【〇〇国分寺】
1:伽藍の中軸線の方位
2:伽藍の構造
3:出土瓦 服部さんの研究に依拠する
4:国府からの距離
「国分寺」の分析を「再開」します。
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