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2020年2月

2020年2月28日 (金)

山形県の〈官衙遺跡〉2/28

(1)山田(8世紀第Ⅲ四半期~9世紀後半)・・・西偏

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位なので,真北と考える。

➁ 建物群~一部そう思えるものもある。

➂ 建物データ~

・掲載されている建物の方位は,東西棟も南北棟も西偏なので,全体も西偏ではないか。

 

遺構配置図(J1・3区) 】【遺構配置図(A区)】と建物データ

 

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(2)後田(8世紀第Ⅳ四半期~)・・・西偏

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

➁ 建物群~SB482を中心とした建物群がありそうである。

➂ 建物データ~

・全体として,西偏の建物が占めている。

遺構配置図(1次)】【遺構配置図(2次)】と建物データ

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(3)生石2(8世紀中葉~9世紀前半 )・・・西偏

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➀ 北の確認~磁北か

➁ 建物群~D区とE区では,時代が違うのか.方位が異なる。

➂ 建物データ~

遺構配置図】【遺構配置図 (A区)】と建物データ

2020年2月26日 (水)

山形県の〈官衙遺跡〉2/27

(1)大山柵(8世紀か)・・・東偏

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➀ 北の確認~古い遺構図なので,磁北と考える。

➁ 建物群~内部の建物が失われており,北門が重要建物だと考えた。北門の付き方から東偏と考えた。

➂ 建物データ~

・建物データに載っている北門付近の様子から,東偏と判断

建物データ

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(2)西谷地(8世紀~10世紀)・・・東偏

➀ 北の確認~

➁ 建物群~

➂ 建物データ~

・三面廂(SB2100)を中心建物と考える。37°E

【遺構全体図】と建物データ

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(3)平形(9世紀中葉~10世紀)・・・9世紀中葉で正方位

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➀ 北の確認~

➁ 建物群~下記の建物が官衙を構成しているように思われる。

➂ 建物データ~

・SB376とSB400とSB55(9世紀中葉~10世紀)で,真北

遺構配置図(D地点跨り地区)】と建物データ

2020年2月25日 (火)

山形県の〈官衙遺跡〉2/25

(1)大浦遺跡群(8世紀中葉(Ⅱ期)~9世紀初頭(Ⅳ期))・・・8世紀末~9世紀初めに正方位

➀ 北の確認~

➁ 建物群~柵に囲まれた正倉院のような建物群

➂ 建物データ~

・Ⅱ期(8世紀中葉 )~4°Eなど

・Ⅲ期(8世紀末葉~9世紀初め)~真北,真北,1°W など

・Ⅳ期(9世紀初め~前半)~16°Wなど

・Ⅴ期()~

Ⅲ期遺構全体図(B遺跡)】と建物データ

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(2)上浅川(7世紀末~8世紀末)・・・西偏

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考えた。

➁ 建物群~西方にあるように思う。

➂ 建物データ~

8世紀中葉~末葉 ~11°W,24°W,32°W,南北棟の17°E,南北棟の15°E,13°E,19°E,13°E,8°W

3次調査B区全体図】と建物データ

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(3)西町田下(7世紀後半~8世紀後半)・・・西偏⇒東偏

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➀ 北の確認~

➁ 建物群~あまりない。

➂ 建物データ~

・8世紀前半のSB1025が東廂なので⇒西偏(22°W)

・8世紀中葉のSB666が南北棟・10°W

8世紀末葉~9世紀初めのSB1233 ~南北棟・27°W

【遺構配置図】と建物データ

2020年2月24日 (月)

山形県の〈官衙遺跡〉2/24

(1)成沢西(9世紀後葉~10世紀前葉)・・・西偏

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位なので,真北と考える。

➁ 建物群~SB1とSB2は接近しすぎているので,同時にはなかったと考えられる。

➂ 建物データ~

・SB1とSB2は,ともに南北棟・8°E

【調査区全体図】と建物データ

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(2)吉原Ⅰ(8世紀後葉~9世紀初頭)・・・8世紀後半〜9世紀初めに正方位

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位なので,真北と考える。

➁ 建物群~東部に正方位・ほぼ正方位の建物群がある。

➂ 建物データ~

・SB97(0°)・SB98(1°W)・SB99(0°)

 これらは8世紀後半~9世紀初めのもの

【調査区全体図】と建物データ

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(3)吉原Ⅱ(8世紀末~9世紀後半)・・・東偏

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位なので,真北と考える。

➁ 建物群~南北棟を受ける東西棟の中心建物がある気がする。

➂ 建物データ~

Ⅰ期(8世紀末葉~9世紀前半)~SB01(片廂。南北棟・7゜30´E

Ⅱ期(9世紀後半)~SB02(片廂。南北棟・1°W),SB03(南北棟・5°)

【遺構配置図】と建物データ

2020年2月22日 (土)

山形県の〈官衙遺跡〉2/23

(1)石田(8世紀後半~9世紀前半 )・・・東偏

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➀ 北の確認~

➁ 建物群~東偏した建物群の形が思い浮かぶ。

➂ 建物データ~

【遺構配置図】と建物データ

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(2)一ノ坪(8世紀~10世紀前半)・・・9世紀後半にほぼ正方位の建物

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➀ 北の確認~遺構図が西に7°傾いていると思うので,磁北と考えた。

➁ 建物群~東部にほぼ同じ方位の建物群がある

➂ 建物データ~

・Ⅰ期(8世紀後葉~9世紀初め)~2W,4W,2W,4W,2W

・Ⅱ期(9世紀前半)~5E,2E,3E,5E,3E

・Ⅲa期(9世紀前半)~5W,6W,3W

・Ⅲb期(9世紀中葉)

・Ⅳ期(9世紀後半)1E,4E,1E,11E,8E★ 

・Ⅴ期(10世紀)

奈良・平安時代集落変遷図】と建物データ

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(3)今塚(9世紀)・・・全体として東偏

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➀ 北の確認~遺構図が西に7度ほど傾いていると思ったので磁北と考えた。

➁ 建物群~B区とC区の間に同じように方位の建物群あり

➂ 建物データ~

・全体として9°E以上

【遺構配置図】と建物データ

山形県の〈寺院遺跡〉の集計 2/22

【山形県】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半葉・・・

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降〜・・・太夫小屋1(9世紀後半)(ほぼ正方位)

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※ 堂の前(10世紀前後)(西)

※ 的場(平安)(西)

 

2020年2月21日 (金)

山形県の〈寺院遺跡〉2/21

(1)堂の前(9世紀第3四半期~10世紀第3四半期)・・・西偏

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

➁ 建物群~北方に四面廂の主要建物らしきものがある

➂ 建物データ~

・SB270(四面廂)が,東西棟・9.5°W

主要遺構略図(1~8次)】と建物データ

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(2)的場(平安)・・・東偏

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

➁ 建物群~SB3501(四面廂)が中心建物と思われるが・・・

➂ 建物データ~

・SB3501(四面廂)が,11°E

【遺構全体図】と建物データ

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(3)太夫小屋1(8世紀末葉~9世紀後半)・・・9世紀前半に,ほぼ正方位

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が7°違うので,磁北と考える。

➁ 建物群~廂付の建物を中心に建物群がある

➂ 建物データ~

・Ⅰ期(9世紀第1四半期)~4°E(片廂),4°E(二面廂)・・・西偏

・Ⅱ期(9世紀前半)~4°E,7°E・・・ほぼ正方位

・Ⅱ期(9世紀後半)~1°E,1°E・・・西偏

太夫小屋1遺跡建物変遷図】と建物データ

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これで山形県の〈寺院遺跡〉はおしまいです。

2020年2月20日 (木)

★岩手県の〈官衙遺跡〉の集計 2/20★

【岩手県】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・館畑(8世紀前半~8世紀中頃、9世紀末期~10世紀中頃)(東)

8世紀半葉・・・

8世紀後半・・・志波城(東),徳丹城(東偏官衙)(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・岩崎台地遺跡群(9世紀初め)(正方位),妻根(9世紀初め)(東)・・・★ 以上が,土器編年。

★★ 以下は,実年代。志波城(9世紀前半)(正方位),徳丹城・政庁(9世紀前半)(正方位),伯済寺(9世紀後半)(東⇒正方位),胆沢城(9世紀末)(東⇒正方位),鳥海柵(11世紀前半)(西)⇒(11世紀後半)(東)

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※ 上鬼柳Ⅲ(9世紀~10世紀)(東)

※ 高瀬(平安時代)(西)

※ 西大畑(平安時代)(西)

2020年2月19日 (水)

岩手県の〈官衙遺跡〉2/19

(1)妻根(9世紀初)・・・建物は西偏しているが,建物群としては方位不明

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

➁ 建物群~複数の棟があるが,建物群としての方位は不明。

➂ 建物データ~

・1号(9世紀初め)~斜め・不明

・2号(9世紀初め)~斜め・直角台形

【遺構配置図】と建物データ

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(2)鳥海柵(11世紀中葉)・・・

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

➁ 建物群~SB01とSB02が並ぶ。

➂ 建物データ~

・SB01(11世紀前半の四面廂)~東西棟・8°W ⇒ 11世紀中葉には東西棟・10E 

縦街道南区中央部遺構配置図】と建物データ

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これで岩手県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

次回は集計で,さらにその次は,山形県ですね。

2020年2月18日 (火)

岩手県の〈官衙遺跡〉2/18

(1)林前Ⅱ(平安時代)・・・西偏⇒東偏だろうか

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

➁ 建物群~西偏の建物群と東偏の建物群がありそうである。

➂ 建物データ~

・SB4225(四面廂)〜東西棟・10°W

・SB4230(四面廂)~東西棟・24°E

調査区合成図】と建物データ

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(2)上平沢新田(9世紀中葉~10世紀代 )・・・1棟のみで,方位不明

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➀ 北の確認~磁北と考える

➁ 建物群~1棟のみのようだ

➂ 建物データ~

・Aj21(9世紀中葉~10世紀)~東西棟・18.30゜E

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【遺構配置図】と建物データ

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(3)館畑(8世紀前半~8世紀中頃、9世紀末期~10世紀中頃 )・・・

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位なので,真北と考える。

➁ 建物群~規則性はないが,近くに集まっている。

➂ 建物データ~

・SB10B(三面廂)(9世紀末葉~10世紀初め)~東西棟・0゜50´E

遺構平面図('95・'98年度調査)】と建物データ

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(4)徳丹城(9世紀)・・・東偏の遺構を正方位に改めた形跡あり

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位なので,真北と考える。

➁ 建物群~政庁(正殿)を中心とした官衙遺跡

➂ 建物データ~

・政庁(正殿)(四面廂)~東西棟・6゜11´E

・北門〜南北棟・0°

・西門〜南北棟・0° 

・曹司・SB800(8世紀後半~9世紀前葉)(片廂)~南北棟・12゜24´E 

・東脇殿〜南北棟 ~7゜20´E゜40´E

遺構配置図(政庁)】【志波城政庁と徳丹城政庁の比較】と建物データ

2020年2月15日 (土)

岩手県の〈官衙遺跡〉 2/17

(1)胆沢城(平安時代)・・・9世紀末に政庁(正殿)は真北またはほぼ真北(Ⅰ・ⅡとⅢで異なる建築様式)。東方官衙もほぼ同じで,a〜c期とd〜f期で異なる建築様式。

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位なので,真北と考える。

➁ 建物群~正殿を中心とした政庁遺構

➂ 建物データ~

・a〜c期(9世紀前半〜末)・・・東偏⇒正方位(最大3棟の四面廂)  ※c期とd期の間に断絶がある気がする

・d〜f期(10世紀)・・・基本は1棟の正方位の正殿

【各変遷図】と建物データ

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(2)西大畑(平安時代)・・・西偏

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➀ 北の確認~

➁ 建物群~北西の棟はほぼ同じ方位である

【遺構配置図】と建物データ

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(3)伯済寺(9世紀後半~10世紀前半)・・・9世紀末にほぼ正方位

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

➁ 建物群〜伽藍配置のような建物群あり

➂ 建物データ~

Ⅰ期(9世紀末葉)・・・14E,8E,5E,7E

Ⅱ期(9世紀末~10世紀初め)・・・ほぼ真北,5E

B期・・・4E

C期・・・1E(四面廂),

西地区遺構配置図】と建物データ

2020年2月14日 (金)

岩手県の〈官衙遺跡〉 2/14

(1)上川岸Ⅱ(9世紀~10世紀代)・・・西偏だが,一棟のみ

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➀ 北の確認~

➁ 建物群~ほかに掘立柱建物は出ておらず

➂ 建物データ~

・斜め・27度°W

【遺構配置図】と建物データ

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(2)西野(10世紀後半~11世紀前半)・・・東偏だが,1棟のみ

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➀ 北の確認~地形図と調査範囲図が7°西偏しているので,磁北と考える。

➁ 建物群~特に見当たらない。

➂ 建物データ~

・東西棟(片廂)・・・30゜57´E

【調査範囲図】と建物データ

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(3)高瀬(平安時代)・・・西偏

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➀ 北の確認~地形図と遺構配置図が同じ方位なので,真北と考える。

➁ 建物群~同じ方位に向かっている建物群と考える。

➂ 建物データ~

遺構配置図(高瀬Ⅰ遺跡)】と建物データ

2020年2月12日 (水)

岩手県の〈官衙遺跡〉2/13

(1)志波城(9世紀前半)・・・東偏

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➀ 北の確認~座標北なので,真北と考える。

➁ 建物群~正殿を中心とした官衙群。

➂ 建物データ~

・正殿(9世紀前半)~東西棟・6.5E(四面廂)

・南門〜東西棟・6.5度E

政庁・官衙全体図】と建物データ

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(2)岩崎台地遺跡群(9世紀初め~11世紀)・・・東⇒西か

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➀ 北の確認~座標北なので,真北と考える。

➁ 建物群~四面廂の建物

➂ 建物データ~

・四面廂の建物の建て替えか。東⇒西

【遺構図】と建物データ

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(3)上鬼柳Ⅲ(9世紀~10世紀)・・・東偏

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➀ 北の確認~1990年代なので,真北と考える。

➁ 建物群~建て替えが続いてはいる。

➂ 建物データ~

・角度の差ははあるが,方位はずっと東偏

掘立柱建物跡配置図】と建物データ

★岩手県の〈寺院遺跡〉の集計 2/12★

【岩手県】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半葉・・・

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・石行(10世紀初め頃)()大竹廃寺(11世紀初め)(西),北上南部工業団地内(10世紀から12世紀のいずれか )(西),白山廃寺(11世紀後半)(東),横町(堂・11世紀~12世紀)(東),泥田廃寺(11世紀)(西)て,長者ヶ原(11世紀前半)(東),根岸(10世紀)(東),黄金堂(10世紀後半~11世紀前半)(西)

 

 

岩手県の〈寺院遺跡〉2/12

(1)黄金堂(10世紀後半~11世紀前半)・・・

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➀ 北の確認~地形図と遺構図は同じ方位をさしていると思うので,西偏。

➁ 建物群~お堂だけの単独施設か。

➂ 建物データ~

・仏堂は,南北棟・30°E

遺構配置図(C地区)】と建物データ

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岩手県の〈寺院遺跡〉は,これでおしまいです。

2020年2月11日 (火)

岩手県の〈寺院遺跡〉2/11

(1)泥田廃寺(11世紀)・・・東偏

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➀ 北の確認~療養所のような建物があり,南向きだと考えた。なので磁北か。それより寺院は,やや東偏

➁ 建物群~斜面を下るようにありそう。

➂ 建物データ~

・本堂(四面廂)の方位が,東西棟・東偏

調査区の位置】と建物データ

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(2)石行(10世紀初め頃)・・・東偏

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が方位が同じなので,真北と考える。

➁ 建物群~西偏らしき建物群はあるが,四面廂はあるが,四面廂はのちの建て替えか。

➂ 建物データ~

・BS(四面廂)東西棟・東偏

【遺構配置図】と建物データ

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(3)長者ヶ原廃寺(11世紀前半)・・・東偏

 

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位ので,真北と考えた。

➁ 建物群~法隆寺式伽藍配置のようである。

➂ 建物データ~

・本堂・脇堂・南門,3つとも6°E

【遺構全体図】さ建物データ

2020年2月10日 (月)

岩手県の〈寺院遺跡〉2/10

(1)根岸(8世紀末葉~10世紀)・・・やや東偏

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① 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じようなので,真北と考える。

➁ 正堂と礼堂かは定かでないが,同じ方位の建物群となっている。

➂ 建物データ~

両方の建物とも,10世紀で,東西棟・3°Eである。

【遺構図】と建物データ

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(2)白山廃寺(11世紀後半)・・・やや西偏かほぼ正方位

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➀ 北の確認~磁北である。

➁ 建物群~離れていて,方位もずれている。

・四面庇の第1堂跡〜5度34分E(-7西+5・34東=-西1.26)

【遺構配置図】と建物データ

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(3)横町(落:8世紀末葉~/堂:11世紀から12世紀)・・・東偏

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➀ 北の確認~磁北。

➁ 建物群~建物群が見当たらないようである。

㊂ 建物データー〜

・片廂の南北棟・7度

建物データ

2020年2月 8日 (土)

岩手県の〈寺院遺跡〉2/8

(1)大竹廃寺(11世紀初め)・・・東偏

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➀ 北の確認~磁北

➁ 建物群~四面廂なので,中心建物と考えた。

➂ 建物データ~

建物データ

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(2)北上南部工業団地内(10世紀から12世紀のいずれか )・・・西偏 

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位なので,真北と考える。

➁ 建物群~図からはわからない。

➂ 建物データ~

・東西棟・3°W

奈良山観音堂の創建時の建物ヵ

建物データの図

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(3)国見山廃寺(9世紀中頃~)・・・山岳寺院なので,方位はバラバラである。

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2020年2月 7日 (金)

★宮城県の〈官衙遺跡〉の集計 2/7★

【宮城県】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・郡山(西)

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・名生館(東⇒正方位⇒西),灰塚(東⇒8世紀に正方位),南小林(西⇒のちに正方位⇒東),権現山(東),燕沢(9世紀半ばまでほぼ正方位。その後西),多賀城(東),桃生城(正方位) ★?

7世紀末葉・・・一の関(正方位),一里塚(正方位),赤井(正方位),大畑(ほぼ正方位),角田郡山(正方位

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・東山官衙(東),城生(城生柵)(東⇒のちに正方位),壇の越(東),壇の越(居宅)(東⇒のちに正方位),宮沢(正方位),新田柵跡推定地(3つの場所を移動しながら,ほぼ正方位⇒その後西偏⇒正方位⇒東偏),杉ノ下(東),田道町(ほぼ正方位),大野田官衙(ほぼ正方位)

8世紀半葉・・・赤井(正方位)

8世紀後半・・・亀岡(東),団子山西(東),市川橋(ほぼ正方位),新田東(ほぼ正方位),桃生城(西)

8世紀末葉・・・名生館(正方位)

9世紀以降~・・・山王(9世紀前半)(東),多賀城(9世紀前半)(正方位),伊治城(9世紀後半)(西)

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※ 日向館遺跡(奈良・平安)(東)

※ 柴﨑(8世紀~9世紀)(西)

※ 熊の作()(東)

※ 三十三間堂(9世紀~10世紀前半)(東)

※ 前館(9世紀)(東)

※ 水入(9世紀)(東)

※ 八幡沖(10世紀前葉頃)(西)

※ 北東宮下(9世紀~10世紀)(西⇒東⇒ほぼ正方位)

※ 中田南(8世紀~9世紀)(ほぼ正方位)

2020年2月 6日 (木)

宮城県の〈官衙遺跡〉2/6

(1)東山官衙(8世紀前半~10世紀前半)・・・全体的に東偏の官衙である。

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位なので,真北と考える。

➁ 建物群~政庁,正倉院などがある。

➂ 建物データ〜

〈郡庁(正殿)〉

Ⅰ期(8世紀前半)~Ⅴ期(10世紀前半)・・・東西棟・14°E付近

〈正倉院〉

Ⅰ期(8世紀前半)~Ⅴ期(10世紀前半)・・・南北棟・26°E付近

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)日向館跡(奈良・平安)・・・東偏の遺跡である。

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位なので,真北と考えた。

➁ 建物群~南北に二棟のほぼ同じ方位のものがある。

➂ 建物データ~

・SB3・・・南北棟・10°E

・SB4・・・南北棟・7°E

【調査区全体図】と建物データ

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(3)一本柳(8世紀前半~9世紀後半)・・・8世紀末葉~9世紀初めに,ほぼ正方位が現れている。

Photo_20200206101901

➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位なので,真北と考えた。

➁ 建物群~1〜3区に建物が多い。

➂ 建物データ~

Ⅰ期(8世紀前半)~

Ⅱ期(8世紀中葉~末葉)~8°W,14°E,2°W,18°E

Ⅲ期(8世紀末葉~9世紀前半)~0~4゜E,5°W(四面廂) 

Ⅳ期(9世紀後半)~19°W

 【遺構全体図(1~3区)】と建物データ

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これで宮城県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

2020年2月 5日 (水)

宮城県の〈官衙遺跡〉 2/5

(1)熊野堂(8世紀後半ごろ)・・・1棟だが,正面は東と見た。なので,西偏。

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➀ 地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

➁ 建物群~1棟のみのお堂か。

➂ 建物データ~

遺跡全体図】【遺構配置図】と建物データ

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(2)城生(城生柵)(8世紀前半~平安)・・・城柵については東偏の風を残すが,建物についてはほぼ正方位か。

Photo_20200205045301

➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

➁ 建物群~柵内に多くの建物が見られる。

➂ 建物データ~

・大型建物には,ほぼ正方位のものが多い。

【全体図】と建物データ

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(3)壇の越(8世紀前半~10世紀前半)・・・方格地割なので,基本は東偏か。

Photo_20200205092501

調査区の位置と方格地割り】と建物データ

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(4)壇の越(8世紀前半~10世紀前半)(居宅)・・・方格地割の中の居宅なので,基本は東偏か。

Photo_20200205052401

方格地割なので,基本は東偏か。

【居宅の分類】と建物データ

2020年2月 4日 (火)

宮城県の〈官衙遺跡〉2/4

(1)柴﨑(8世紀~9世紀 )・・・2つの建物からだが,西偏と考えた。

Photo_20200204053401

➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位なので,真北と考える。

➁ 建物群~いまいち不明だが,どの建物も西向きのようである。

➂ 建物データ~

SB2(二面廂)・・・南北棟・5°W

SB3・・・東西棟・10°E

遺構配置図(Ⅲ・Ⅳ区)】と建物データ

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(2)亀岡(8世紀後半~9世紀後半)・・・建物群としては,西偏。

Photo_20200204055201

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➀ 北の確認~GMというのは「方眼北」というものらしいが,よくわからないので真北でいきます。

➁ 建物群~建物群の存在を感じられる。

➂ 建物データ~

第1号掘立柱建物・・・南北棟・11E

第2号・・・東西棟・16°E

第3号・・・東西棟・8°E

第4号・・・南北棟・20°E

第5号・・・東西棟・8°E

第6号・・・東西棟・20°E

遺構配置図(1次調査)】と建物データ

※ 方眼北

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(3)一の関(7世紀末葉~10世紀 )・・・正方位と考える。

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が違う方位なので,磁北か。

➁ 建物群~南北に建物が並んでいるように見える。

➂ 建物データ~

・建物基壇跡・・・東西棟・7°E

遺構配置図】と建物データ

 

2020年2月 3日 (月)

宮城県の〈官衙遺跡〉2/3

(1)熊の作()・・・古墳時代から続く北西部の小型建物群と奈良時代からの南東部の大型建物群と,いずれの地点でも東偏。南門の北に広がるであろう大型建物群を,ぜひ発掘してみたい。

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➀ 地形図と遺構図の方位は同じで,真北と考える。

② 建物群~古墳時代から始まる北西部の小型建物群と奈良時代から始まる南東部の大型建物群があるようだ。

➂ 建物データ~

〈北西部〉東偏

SB244(20°E)・・・7世紀頃

SB33(6°E)・・・8世紀後葉〜9世紀後葉 ※

〈南東部〉東偏

SB57(19°E)・・・8世紀中葉~9世紀前葉 ⇒ 礎板の上に柱を置いた建物

SB33(6°E)・・・9世紀中葉~9世紀後葉 ※

第2地点変遷図】【周辺の変遷図】と建物データ

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(2)郷楽(8世紀中葉~10世紀初頭)・・・西偏⇒正方位(8世紀末葉)⇒東偏という変化と考えた。

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➀ 北の確認~地形図と遺構図は方位が同じで,真北と考える。

➁ 建物群~建物があり過ぎて,見つけにくい。

➂ 建物データ~

古代Ⅰ(8世紀中葉~後半)・・・17°E(南北棟),1号(24°E)(南北棟)・・・西偏

古代Ⅱ(8世紀末葉)・・・23号(1°E)・・・ほぼ正方位

古代Ⅲ(9世紀前半~後半)・・・9号(32°E)・・・東偏

古代Ⅳ(9世紀後半~10世紀初め)・・・7号(22°E),31号(22°E)・・・東偏

遺構配置図(全体)】と建物データ

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(3)一里塚(7世紀末~8世紀中葉、8世紀後半~9世紀初頭)・・・大きく前半(移民を伴った九州王朝の官衙)と後半(近畿王朝の官衙)に分かれる。

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

② 建物群~12地区に集中してある。時期は2つに大きく分かれる。

➂ 建物データ~

7世紀末~8世紀中葉・・・ SB08(0°)など・・・移民の竪穴住居を伴った九州王朝のもの

8世紀後半~9世紀初頭・・・ SB2528(0°)など・・・近畿王朝のもの

【第12地区の主要遺構図】と建物データ

 

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