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2020年1月

2020年1月31日 (金)

宮城県の〈官衙遺跡〉2/1

(1)宮沢(8世紀前半~10世紀前半)・・・8世紀後半のSB185がほぼ真北で,その後東偏

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が違うので,磁北と思われるが,方法がわからないので真北でやってみる。

② 建物群~SB185が8世紀後半でほぼ真北を示している。これを中心に考える。

➂ 建物データ~

化女沼ダム地区遺構図

8世紀前半・・・年代不明のものなら西か

8世紀後半・・・SB185(片廂)がほぼ真北

8世紀末葉~9世紀初め ・・・SB52が13°E,SB53が10°E

9世紀中葉~SB55が10°E,SB56が3°E,SB57が5°E

愛宕山

17°W,23E,30°E

【長者原】

17W°,15°W゜

【地形図】と建物データ

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(2)名生館(7世紀後半~9世紀末)・・・東偏⇒8世紀初めに最初の正方位⇒(8世紀中葉に西偏)⇒8世紀末に再び正方位。

                      (7世紀初めの九州王朝のものか)        (8世紀末の近畿王朝のものか)

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

② 建物群~正殿を中心とした官衙群

➂ 建物データ~

・Ⅰ期(城内地区)~7世紀後半~末葉・・・SB1571(4°E)

・Ⅱ期(城内地区)~7世紀末葉~8世紀初め・・・SB05(0゜56´E),SB1099(3°E), 

・Ⅲ期(城内地区)~8世紀初め~前葉 ・・・SB01【政庁・正殿】(0°)(九州王朝のものか),SB11(0°)

・Ⅳ期・8世紀中葉(城内地区)~9世紀~2°W

・Ⅴ期・8世紀後半~9世紀(城内地区) ~5°W,17°W,28°W(西偏化)

・Ⅵ期・8世紀末~9世紀初頭か後半(★小館地区)~SB1231【政庁・正殿】が作られる(近畿王朝のものか。規模も拡大)

【Ⅲ期の遺構群】【Ⅴ・Ⅵ期の遺構群】と建物データ

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(3)三十三間堂(9世紀~10世紀前半)・・・郡庁院はじめとして,東偏の官衙群

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➀ 北の確認~地形図と遺構図が同じ方位を指すので,真北と考える。

② 建物群~群庁院・正倉院など

➂ 建物データ~

・Ⅰ期(9世紀前半)・・・郡庁・東門〜13°E

・Ⅱ期(9世紀中葉)・・・郡庁・東門〜13°E

・Ⅲ期(9世紀後葉)・・・郡庁・東門〜13°E

・Ⅳ期(~10世紀前半頃までに廃絶)・・・郡庁・東門〜13°E

主要遺構配置図】と建物データ

★宮城県の〈官衙遺跡〉1/31★

(1)新田柵跡推定地(8世紀前半~9世紀前半)・・・3つの地区の移転で,ほぼ正方位⇒東偏⇒ほぼ正方位⇒西偏が見られる。

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位の一致から,真北と考える。

② 建物群~3つの地区に中心建物が見られるので,それらを見ていく。

➂ 建物データ~

・御殿坂東地区・・・8世紀中頃で,SB428が四面廂の1E。さらに8世紀前半でSB427ほぼ正方位なので,一番古い地区と考える。

・鍛冶町地区・・・8世紀中頃で,SB518(7E)・SB519(11E)・SB573(9E・四面廂)で東偏に変化。

・御殿坂西地区・・・8世紀後半で,SB150Aが南北棟・3Eの西門。SB400が1W。9世紀に入って,SB327Aが3Wで西偏。

(SB400は,2回目のほぼ正方位)

遺跡南西部主要遺構配置図】と建物データ

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(2)灰塚(7世紀後葉~9世紀)・・・8世紀に東偏⇒正方位と変化。その後.10世紀前半に正方位⇒西偏へと変化した。

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位の一致から,真北と考える。

② 建物群~SB133を中心とした建物群があるのではないか。

➂ 建物データ

D区・・・8世紀でSB132が南北棟・1E。また,SB133が東西棟・1Eであり,これは133Bの東西棟・3Eからの変更なので,東偏⇒正方位となる。

     さらに,10世紀前半のSB141が東西棟・14.5なので,正方位のあとは西偏に変化したのではないか。

C区・・・8〜9世紀でSB34が南北棟・1W

同位置での建て替え。SB133B→SB133A とあるので,3E⇒1Eということは,8世紀に東偏⇒正方位の行ったということである。

遺構配置図(D区)】【遺構配置図(C区)】と建物データ

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(3)南小林(7世紀後半~9世紀)・・・西偏⇒ほぼ正方位⇒東偏の変化か。

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が一致しているので,真北と考える。

② 建物群~複数の倉を有する建物群のようである。

③ 建物データ~

Ⅰ期(7世紀半ば〜後半)・・・SB3(43W),SB4(37W)

Ⅱ期(7世紀末~8世紀初め)・・・2Wが5棟の倉(SB9~13)が東西に並ぶ ⇒ ほぼ正方位?

Ⅲ期(8世紀第2四半期)・・・SB5(4E)

遺構全体図】と建物データ

2020年1月30日 (木)

宮城県の〈官衙遺跡〉1/30

(1)権現山(7世紀後葉~9世紀)・・・東偏傾向の中に,9世紀末葉~10世紀前半にほぼ正方位のものもあり。

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➀ 北の確認~地形図と全体図(1区)の方位が同じなので,真北と考える。

② 建物群~時期により建物は変化するが,いずれも東偏の建物群と考える。

➂ 建物データ~

9世紀後半以前 ・・・南北棟・16°E(SB402)

9世紀末葉~10世紀初め以前・・・南北棟・2°E(SB400) ・・・ほぼ正方位

変遷図はA〜D期にわたり,ずっと東偏傾向

遺構変遷図(G・I区)】と建物データ

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(2)杉ノ下(8世紀前葉~10世紀)・・・倉だけなので,方位の判定に至らず。

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➀ 北の確認~地形図と遺構全体図の方位が一致しているので,真北と考える。

② 建物群~倉だけなので判定できず。

➂ 建物データ~

南北棟・7°Eなので,西面建物ではある。

【遺構全体図】と建物データ

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(3)団子山西(8世紀後半~10世紀)・・・東偏の官衙群がありそうである。。

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➀ 北の確認~地形図と遺構配置図の方位が一致しているので,真北と考える。

② 建物群~SB311を中心にした東偏の建物群が推定される。

➂ 建物データ~

I-9区遺構配置図】と建物データ

2020年1月28日 (火)

宮城県の〈官衙遺跡〉 1/28

(1)伊治城(神護景雲元(767)年~9世紀前半)・・・基本的に政庁(正殿)に倣う西偏で作られている。

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

② 建物群~政庁(正殿)を中心とした,官衙群となっている。

➂ 建物データ~

Ⅰ~Ⅱ期(~780年)~正殿〜8°W

Ⅲ期(780年以降)~正殿〜8°W

調査区と周辺の地形】【遺構配置図(政庁周辺)】と建物データ

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(2)赤井(7世紀末~9世紀前半)・・・どの地区も,7世紀末~8世紀初頭に正方位のピークがある。

➀ 北の確認~地形図と変遷が同じ方位の為,真北と考えた。

➁ 建物群~A・B・Cという院(建物群?)が見られる。

➂ 建物データ~0゜〜1°程度のものを集めてみた。

A院周辺〜7世紀後半~後葉・・・

      7世紀末~8世紀初頭・・・0°,0°,1°E

      8世紀前葉~0°,0°,1E

      8世紀中葉~1E

      8世紀後葉~0°,0°

      8世紀末葉~0°

      9世紀前半~0°,0°,0°

B院周辺〜7世紀後半~後葉~

      7世紀末~8世紀初頭から1E,1E

      8世紀前葉~0°,0°

      8世紀中葉~

      8世紀後葉~

      8世紀末葉~

      9世紀前葉

C院周辺〜7世紀後葉~

     7世紀末葉~8世紀初頭〜0°,1°

     8世紀中葉~

     8世紀後葉以降から

※ A院周辺は9世紀初頭にもピークがあり,近畿王朝のものかもしれない。

【各地区の変遷図】と建物データ

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(3)小寺(8世紀前半~10世紀初頭)・・・1棟だけでは判断できないが,建物自体は西偏(南北棟・17°E)である。

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➀ 北の確認~地形図と角度が違うが,建物データの図は一致するので真北と考える。

➁ 建物群~一棟だけでは判断できないが,建物自体は西偏のものである。(南北棟・17°E)

➂ 建物データ~1棟のみ掲載

【遺構全体図】と建物データ

2020年1月27日 (月)

宮城県の〈官衙遺跡〉 1/27

(1)館前(9世紀)・・・東偏4~5度の遺跡である。

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➀ 北の確認~地形図と比べてみて,同じ方位を示していると思ったので,真北と考える。

➁ 建物群~四面廂を中心とした東偏の建物群ではないかと考えた。

➂ 建物データ~主殿のSB02が「4゜50´E 」。前殿のSB03も「4゜17´E 」なのでほぼ同じ。

建物データはないが,後殿や西脇殿も同じ方位に見える。

【遺跡の位置】【建物配置図】と建物データ

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(2)水入(9世紀)・・・Ⅰ期・Ⅱ期とも東偏

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➀ 北の確認~地形図と配置図の方位が同じなので,真北と考える。

➁ 建物群~建物データに出てくるすべての建物が東偏なので,東偏の建物群と考えた。

➂ 建物データ~Ⅰ期・・・4E,7E

        Ⅱ期・・・5E,7E,3E,10E,2E,6E

【周辺の遺跡】【遺構配置図】と建物データ

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(3)八幡沖(10世紀前葉頃)・・・四面庇の建物(3E)を重視して,やや東偏と考える。

➀ 北の確認~

➁ 建物群~ 

➂ 建物データ~

遺跡の位置と周辺の遺跡】【9次調査】と建物データ

2020年1月23日 (木)

★★宮城県の〈官衙遺跡〉1/23★★ (工事中)

【多賀城】

 

・遺構の変遷(政庁1)・・・方位は変わらないが,Ⅰ期の質素さに対して,Ⅱ期以降の豪華さ。

8世紀前半~正殿(第Ⅰ期)~2゜35´E

8世紀前半~内城南門(第Ⅰ期)~2゜35´E

8世紀中葉~内城南門(第Ⅱ期)~2゜35´E

8世紀末葉~869年〜内城南門(第Ⅲー2期)~2゜35´E

 

・遺構の変遷(政庁2)・・・Ⅰ~Ⅳ期それぞれに様式の違いあり。Ⅰは後殿もなし⇒Ⅱは後殿あり,石敷広場あり,門の巨大と大変化。

8世紀前半~南門前殿(第Ⅰ期)〜2゜35´E

8世紀中葉~東殿(第Ⅱ期)~1゜44´E

8世紀後葉~西脇殿(第Ⅲー1期)~1゜12´E

8世紀末葉~後殿(第Ⅲー2期)~2゜35´E

外郭南門(第Ⅲ期)~1゜04´E

9世紀後半~北方建物(第Ⅳー2期)~2゜35´E

 

9世紀後半~北方建物(第Ⅳー2期)~0゜34´E (ほぼ正方位)

10世紀~南門前殿(第Ⅳー3期e)~2゜35´E

・遺構の変遷(政庁3)・・・さらにⅣ期の変化について,詳細に書かれている。

 

・遺構の変遷(城前)・・・A期官衙(Ⅱ期)よりB期官衙(Ⅲ期)の方が建物数は増えている。「中央の13m道路」から離れて東偏建物。

 

・遺構の変遷(大畑)・・・最初東偏もあるが,多くは正方位と西偏。

 

・遺構の変遷(西地区)・・・東偏・正方位⇒西偏・東偏か。

 

・遺構の変遷(外郭南門)・・・8世紀後半,3Eの門。B期で掘込地業の立派な東偏の門

8世紀後半~3E

・遺構の変遷(外郭東門)・・・B期に立派な東偏の八脚門さん

 

※ 郭外で,11世紀に「西」が多し

※ 外郭西門〜8世紀中葉以前(第Ⅲ期以前)〜2W

8世紀末葉(第Ⅲ期)~8W

佐貫地区〜8世紀末から 西(ただし,8世紀後半・末に1EやⅠ1Wもあり) 4Eも

城前地区〜8世紀前半(第Ⅰ期)~棟門〜1゜04´E ~ほぼ正方位

大畑地区〜8世紀後半~17W 8世紀末葉~2W 1W 1W 1W 6W 4W 

9世紀後半 0° 0° 0° 0° 1E 1E 1° 1E 1E 1W 1W 1W 10世紀 1W 1W   西⇒ほぼ正方位⇒西

六月坂地区〜8世紀末葉 2°

2020年1月21日 (火)

★宮城県の〈官衙遺跡〉 1/21★

【多賀城】

・遺構の変遷(政庁1)・・・方位は変わらないが,Ⅰ期の質素さに対して,Ⅱ期以降の豪華さ。

・遺構の変遷(政庁2)・・・Ⅰ~Ⅳ期それぞれに様式の違いあり。Ⅰは後殿もなし⇒Ⅱは後殿あり,石敷広場あり,門の巨大と大変化。

・遺構の変遷(政庁3)・・・さらにⅣ期の変化について,詳細に書かれている。

・遺構の変遷(城前)・・・A期官衙(Ⅱ期)よりB期官衙(Ⅲ期)の方が建物数は増えている。「中央の13m道路」から離れて東偏建物。

・遺構の変遷(大畑)・・・最初東偏もあるが,多くは正方位と西偏。

・遺構の変遷(西地区)・・・東偏・正方位⇒西偏・東偏か。

・遺構の変遷(外郭南門)・・・8世紀後半,3Eの門。B期で掘込地業の立派な東偏の門

・遺構の変遷(外郭東門)・・・B期に立派な東偏の八脚門

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作業をしながら,府中市の全面的な東偏のことを考えました。

最初に「全体に東偏の街を作る計画 ⇒ 途中で大国魂神社付近の正方位」ということが多賀城でもあったのではないかと・・・。

『古代都城の“かたち”』には,「道路設定の基準が政庁中心線と外郭何べん築地という異なった方位に寄るため,

平行四辺形を呈する個所がみられる」とあった。

2020年1月20日 (月)

宮城県の〈官衙遺跡〉1/20

(1)市川橋(8世紀後葉~10世紀前葉)・・・8世紀末葉~9世紀中葉ころ,ほぼ正方位。

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➀ 北の確認~「遺跡の位置と周辺の遺跡1 」と「遺構全体図(B区1)」を比べて,合うので真北と判断した

➁ 8世紀末葉~9世紀中葉 建物群~SB1000が脇院となるような官衙群があるのではないか。

➂ 建物データ~SB1000(2E),SB1010(1W)

A期(8世紀後葉)~

B期(8世紀末葉~9世紀中葉) ~ほぼ正方位

C期(平安時代)~1E,2E,2E,4E(二面),4E,4E,5E,5E,7E,7E,8E,9E,9E

遺跡の位置と周辺の遺跡1】【遺構変遷図(B区)】と建物データ

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(2)山王(9世紀前半~10世紀中頃)・・・8世紀後半に,東偏の国司館あり。

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➀ 北の確認~地形図と遺構配置図が同じ方位なので,真北と考える。

➁ 建物群~四面庇を中心にした建物群を見つける。

➂ 建物データ~

・8世紀後半・・・SB7776(四面廂)~5E

・9世紀中葉・・・SB1241(二面庇)~9E

9世紀後葉~10世紀前半 ・・・SB3423(三面庇)〜6E,SB3424~2W

周辺の遺跡と調査地区】【国司館周辺の遺構配置図と建物データ

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(3)多賀城(政庁8世紀前葉~11世紀前半、多賀城域は12世紀)・・・8世紀前半からほぼ正方位

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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。

➁ 建物群~伽藍配置としてある。

➂ 建物データ~

・第Ⅰ期~8世紀前半・・・1E

・第Ⅱ期~9世紀・・・2E

・第Ⅲ・1期~正殿(2E)

【調査区の位置】【遺構配置図(政庁)】と建物データ

2020年1月17日 (金)

宮城県の〈官衙遺跡〉 1/18

(1)大畑(7世紀末~)・・・8世紀前半には,ほぼ正方位が出現している。

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➀ 北の確定~1995年と2000年代の図なので真北ではないか(予想)

図2の「地形図」と図3・図4の「遺構全体図」を合わせてみると方位が合うので,真北である。(調査結果)

➁ 建物群~図2と図3に出ている建物群は,ほぼ正方位のものである。

➂ 建物データ~第2号建物(1W),第3号建物(1W),第5号建物(1W),第1号建物(1W)

・8世紀前半・・・1W

・8世紀前半~平安時代・・・1W,1W,1W

【調査区の位置と周辺の地形】と【遺構全体図1・2】と建物データ

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(2)北東宮下(9世紀~10世紀)・・・9世紀~10世紀に正方位だった時期あり。

➀ 北の確認~1980年代の地図ではあるが,真北なのではないか。(予想)

全体図と遺構図の北が一致するので,真北と考える。(調査結果)

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➁ 建物群~Ⅱ区に,ほぼ正方位の建物群ある。

➂ 建物データ~9世紀~10世紀・・・SB3(0°),SB1(4E)

愛島東部丘陵遺跡群全体図】【Ⅱ期】と建物データ

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(3)角田郡山(7世紀末または8世紀初頭~)・・・7世紀後半~8世紀初めには正方位の登場。む

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➀ 北の確認~2000年に近い図なので,真北ではないか。(予想)

図3の「調査区配置図」と図9の「第15次調査遺構配置図」を比べると,方位が北で一致したので真北と考えた。(調査結果)

➁ 建物群~図10など中にあり。

➂ 建物データ~

7世紀中葉~後半 ・・・0°,

7世紀後半~8世紀初め ・・・1E,0°,0°,0°

9世紀中葉・・・4W

【調査区配置図】【第15次調査以降ははちずね】

2020年1月11日 (土)

宮城県の〈官衙遺跡〉1/17

(1)中田南(8世紀前半~9世紀)・・・不明

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➀ 北の推定~

② 建物群~

➂ 建物データ

【遺構配置図】と建物データ

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(2)新田東(8世紀第Ⅲ四半期~10世紀前葉)・・・8世紀第3四半期に,ほぼ正方位の建物群。

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➀ 北の確認~2003年の図なので,真北かもしれない。(予想)

図2の地形図と図4の遺構全体図を比較し,両図が同じ方位記号の向きなので真北だとわかる。(調査)

② 建物群~図4のⅠ区遺構全体図の中で,ほぼ正方位の建物が見つかる。

➂ 建物データ~BS1(3W),BS2(1W),BS4(2E),BS5(1E)。

A期(古墳時代前半)・・・

B期(8世紀第3四半期頃)・・・ほぼ正方位の建物群

C期(平安時代)

Ⅰ区遺構全体図】【集落の変遷】と建物データ

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(3)田道町(8世紀前半~10世紀) ・・・ほぼ正方位の建物群があるが,年代不明。

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➀ 北の推定~1995年の図なので,真北かもしれない。(予想)

図2の「調査区1図」と図3の「遺構配置図」の方位の向きが一致するので,真北と考える。(調査)

② 建物群~C地区の南側にほぼ正方位の建物群を見出せると思う。

➂ 建物データ~第1a号建物が4E,第1b建物が32Eなど。(1b⇒1aか)

【調査区1図】と【遺構配置図】と建物データ

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(4)桃生城(奈良後半)・・・時期がわからないが,西偏。

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➀ 北の推定~2000年代の図なので,真北と推定(予想)

遺跡全体図1は地形図なので,それを利用して真北と考えた。(調査)

② 建物群~政庁を中心とした,建物群。

➂ 建物データ~政庁など

政庁の正殿・・・7゜28´W

【遺跡全体図1】と【政庁の遺構】と建物データ

2020年1月10日 (金)

宮城県の〈官衙遺跡〉1/10

(1)燕沢(7世紀後半~11世紀)・・・〈寺院遺跡〉と同じものか。

9世紀半ばがほぼ正方位で,10世紀前半で西偏。

 

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参考図面・・・1997年

8~11次調査遺構配置図】と建物データ

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(2)神柵(8世紀後半)・・・8世紀第4四半期 のほぼ同じ方位の2棟があるが,より規模が大きいSB21を中心と考えて,西偏。

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参考図面・・・1992年のもの

【調査区全体図】と建物データ

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(3)大野田官衙(8世紀第2四半期には廃絶)・・・ほぼ正方位

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参考図面・・・1992年度のもの

南北に細長い脇殿が立ち並ぶ官衙

ほぼ正方位

【遺構配置図】と建物データ

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(4)郡山(7世紀中葉~8世紀初め)・・・Ⅰ期は西偏,Ⅱ期は7世紀後半~8世紀初めにほぼ正方位に

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参考は,2005年の図。

Ⅰ期官衙(7世紀中葉~末葉)・・・31W,31E,32E・・・西偏

Ⅱ期官衙(7世紀後半~8世紀初め)・・・1W(1号A),0°,0°,3E(四面廂)・・・ほぼ正方位

※ 南方の欠ノ上遺跡では、7世紀末から8世紀初頭の竪穴建物が、

郡山遺跡のⅠからⅡ期への変化に規制されて方位が変化している(仙台市文報246)。

⇒ 竪穴建物も方位が変化していることに興味。〈方位の考古学〉にとって興味深い事実。

Ⅰ期官衙・Ⅱ期官衙】と建物データ

2020年1月 9日 (木)

宮城県の〈寺院遺跡〉の集計 1/9

【宮城県】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・郡山廃寺(ほぼ正方位),

7世紀末葉・・・一の関(ほぼ正方位)

8世紀初頭・・・伏見廃寺(正方位)

8世紀前半・・・多賀城廃寺(東)

8世紀半葉・・・

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・陸奥国分寺(10世紀前後。西),陸奥国分寺(西),燕沢(9世紀中ば。ほぼ正方位)

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※ 菜切谷廃寺(奈良時代。ほぼ正方位)

※ 中屋敷前(平安中頃。ほぼ正方位)

※ 御堂平(平安末期。西)

※ 堂田(平安。西)

※ 前戸内(東)

2020年1月 8日 (水)

宮城県の〈寺院遺跡〉 1/8

(1)伏見廃寺(8世紀初め)・・・東偏の建物と考える。

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➀ 北の確認~1971年の図なので,磁北と考える。

② 建物群~1棟のみ。

➂ 建物データ~基壇の版築は確認

一応,東偏の建物と考える。

建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)前戸内()・・・集落としては,東偏のもの。

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➀ 北の確認~いずれも2000年以降の図なので,真北と考える。

② 建物群~宗教施設を中心に各地区の役割分担あり。

➂ 建物データ~2棟のみ載っていた。

【変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)中屋敷前(平安中頃)・・・四面廂の第1号建物の方位をとって,ほぼ北と考える。

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➀ 北の確認~1992年の図なので,真北と考える。

② 建物群~四面廂を含む建物群あり。

➂ 建物データ~3棟の建物とも,方位が「ほぼ北」。

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)一の関(7世紀末葉~10世紀)・・・正方位の建物群。

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➀ 北の確認~1977年の図なので,磁北と考える。

② 建物群~土地の高さに従い,南北に並ぶ。

➂ 建物データ~磁北にら,7Eで正方位と考える。

【遺構配置図】と建物データ

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(5)菜切谷廃寺(奈良時代)・・・中心建物の方位は,正方位。

Photo_20200108122801

➀ 北の確認~1979年の図なので,磁北と考える。

② 建物群~1棟の基壇跡のみ。

➂ 建物データ~7Eとあるので,磁北なら正方位。 

【付近略図】と建物データ

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これで宮城県の〈寺院遺跡〉はおしまいです。

2020年1月 7日 (火)

宮城県の〈寺院遺跡〉1/7

(1)堂田(平安)・・・四面廂の仏堂らしき建物が中心。西偏

Photo_20200107042101

Photo_20200107041601

➀ 北の確認~1971年の図なので,磁北と考える。

② 建物群~これ以外に見当たらないが,四面廂なので中心建物と考える。

➂ 建物データ~四面庇の仏堂一棟のみ。

【平面図】と建物データ

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(2)笠島廃寺(奈良・平安時代)・・・年代や方位のわかる図面がなく詳細不明。

Photo_20200107043201

【遺跡の位置】と建物データ

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(3)多賀城廃寺(8世紀前葉~11世紀半ば)・・・正方位

4_20200107043901

➀ 北の確認~1970年の図なので,磁北と考える。

② 建物群~金堂以下たくさんの伽藍。

➂ 建物データ~金堂以下たくさんの伽藍

【遺構全体図】と建物データ

2020年1月 6日 (月)

宮城県の〈寺院遺跡〉1/6

(1)郡山廃寺(7世紀後半~8世紀初め)・・・

4_20200106123201

Photo_20200106064501

➀ 北の確認~磁北から真北への切り替えができているようだ。

② 建物群~正方位の伽藍配置の下に東偏の伽藍配置が埋まっている。

➂ 建物データ~7世紀後半~8世紀初めに,正方位やほぼ正方位が固まる

SB100・・・講堂基壇・・・東偏

SB1880・・・南門・・・0度

SB885・・・第4段階(Ⅱ-A期)・・・1E 

SB1001・・・第4段階(Ⅱ-B期) ・・・ほぼ正方位

SB900・・・第4段階(Ⅱ-C期)・・・ほぼ正方位

SB834・・・北門・・・1E

【いろいろな図】と建物データ

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(2)御堂平(平安末期~室町時代)・・・山際の四面廂の仏堂を中心と考え,西偏。

Photo_20200106114001

➀ 北の確認~どれも1983年の図を使っているので,真北と考えた。

② 建物群~四面庇の仏堂が中心になっている

➂ 建物データ~仏堂は南北棟・W5°30′

【遺構図】と建物データ

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(3)堂庭廃寺(10世紀前半)・・・

Photo_20200106115601

➀ 北の確認~1960年代の図のみなので,磁北と考えたい。

② 建物群~山中の建造物なので,建物群ではないと考える。

③ 建物データ~柱間1.5m等間の12角形の宝塔。礎石は安山岩質。中央から焼土。須弥壇ヵ。

出土の瓦は基壇に用いたもので、檜皮かこけら葺とみられる。
基壇上には石敷の痕跡がみられる。

塔身径5.45m

【遺構図】と建物データ

2020年1月 5日 (日)

★宮城県の〈寺院遺跡〉 1/5★

※最初に見たのが例の「変遷図」だったので,それにこだわってしまいました。

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(1)燕沢(7世紀後半~11世紀)・・・9世紀半ばがほぼ正方位で,10世紀前半で西偏か。

Photo_20200105170601

➀ 北の確認~1997年の図なので,真北と考える。

② 建物群~SB2を中心とした建物群を考えた。

➂ 建物データ~建物の年代と方位を書いているものが2つあった。

「SB3」~9世紀中ば~10世紀前半・・・1E(ほぼ正方位)

「SB2」~10世紀前半・・・4W〈西偏〉

8~11次調査遺構配置図】と建物データ

宮城県の〈寺院遺跡〉1/5

(1)燕沢(7世紀後半~11世紀) ・・・9世紀半ばにほぼ正方位の建物あり。

Photo_20200105133201

➀ 北の確認~いずれも1984年以降の図なので,真北と考える。

② 建物群~図の北の方に建物群をみいだせそうだ。

➂ 建物データ~年代と方位の出ているものがいくつかあった。

「3建」~9世紀中ば~10世紀前半・・・1E(ほぼ正方位)

「2建」~10世紀前半・・・4W〈西偏〉

2次調査遺構変遷図】と建物データ

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(2)陸奥国分尼寺()・・・10世紀前後の推定金堂は,西偏3度。

Photo_20200105134501

➀ 北の確認~2005年の図(磁北から真北に作り直した図か?)なので,真北を利用。

② 建物群~伽藍配置が残っているので,それを利用。

➂ 建物データ~推定金堂(10世紀前後ヵ)が東西棟・4Eである。

ただし,この図は1969年の図で磁北と考えるので,4-7=-3(W3)となる。

【伽藍中央部】と建物データ

(3)陸奥国分寺()・・・尼寺との位置関係により,尼寺と同じ西偏4度。

Photo_20200105140801

国分寺・国分尼寺の位置関係】と建物データ

【伽藍配置図】

Photo_20200105141101

2020年1月 4日 (土)

★福島県の〈官衙遺跡〉の集計 1/4★

【福島県】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・根岸(居宅)(西)

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・根岸(正方位1),関和久官衙(倉が一貫して正方位),泉官衙(東),桜田Ⅳ(西)

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・泉官衙(正方位1),小又(西)

8世紀前半・・・郡(西),栄町(ほぼ正方位),関和久上町(ほぼ正方位)

8世紀半ば・・・荒田目条里制遺構(西),小茶円(西),根岸(8世紀中葉~後半,正方位2),うまや(ほぼ正方位),大船迫A(九州近畿王朝⇒近畿王朝が,一貫して正方位か),青木(西),達中久保(仏堂,西)

8世紀後半・・・矢玉(東,正方位),肩張(西ヵ),清水台(正方位),二塚(ほぼ正方位),鏡ノ町(東+ほぼ正方位),志古山(東),郡山五番(ほぼ正方位)

8世紀末葉・・・泉官衙(正方位2),油田(東),堂ノ原(西)

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 ※ この蝦夷国を控えた陸奥国は,蝦夷国を侵略するための拠点的地域なので,この時期には確実に九州王朝の版図なので,この一群の西偏建物群は九州王朝配下の豪族が独自に作ったものと考えることができる。(9世紀以降(実年代は8世紀以降)とは,違う)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9世紀以降~・・・郡山(9世紀末,ほぼ正方位),西木流(8世紀中頃,東。9世紀,正方位。9世紀中葉,西),門田条里制(9世紀後半前後,東),屋敷(9世紀中葉,東。9世紀後半,正方位。10世紀前半,西),正直C(9世紀前半,東),東山田(西),大猿田(9世紀第1四半期,正方位),大谷(西),舟田中道(ほぼ正方位),沼平東(9世紀前半,東偏),内屋敷(9世紀後半,ほぼ正方位),中谷地(10世紀前半,西),観音屋敷(ほぼ正方位),大江古屋敷(9世紀前半,西),西百刈(西),関和久官衙(9世紀前半,ほぼ正方位)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ 以上,アンダーラインをしたものが,9世紀以降で近畿王朝による正方位官衙と判断できる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

房ノ内(9世紀~10世紀)・・・西

東高久(平安初期~中期)・・・東

郡山台(8世紀~10世紀代)・・・西

ノ北(9世紀~13世紀)・・・中心建物によって,東か西か決めがたい)

小浜代(8~9世紀・11世紀)・・・詳しい図面がないので建物配置が判断できない。

※ 三貫地(8世紀後半~9世紀初頭)・・・どこらへんにほぼ正方位がくるのか。9世紀前半が磁北で7Eなので真北か。

2020年1月 2日 (木)

福島県の〈官衙遺跡〉の集計 1/3

【福島県】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・根岸(居宅)(西),舟田中道(ほぼ正方位1)

7世紀半ば・・・関和久官衙(倉が一貫して正方位)

7世紀後半・・・根岸(正方位1),泉官衙(東),鳥打沢遺跡群(座標北か真北),桜田Ⅳ(西)

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・泉官衙(正方位1),小又(西)

8世紀前半・・・郡(西),栄町(ほぼ正方位),関和久上町(ほぼ正方位)

8世紀半葉・・・荒田目条里制遺構(西),小茶円(西),根岸(8世紀中葉~後半,正方位2),うまや(ほぼ正方位),大船迫A(九州近畿王朝⇒近畿王朝が,一貫して正方位か),青木(西),達中久保(仏堂,西)

8世紀後半・・・矢玉(東,正方位),肩張(西ヵ),清水台(正方位),二塚(ほぼ正方位),鏡ノ町(東+ほぼ正方位),志古山(東),郡山五番(ほぼ正方位)

8世紀末葉・・・泉官衙(正方位2),油田(東),堂ノ原(西)

9世紀以降~・・・郡山(9世紀末,ほぼ正方位),西木流(8世紀中頃,東。9世紀,正方位。9世紀中葉,西),

門田条里制(9世紀後半前後,東),屋敷(9世紀中葉,東。9世紀後半,正方位。10世紀前半,西),

正直C(9世紀前半,東),東山田(西),大猿田(9世紀第1四半期,正方位),大谷(西),舟田中道(ほぼ正方2),沼平東(9世紀前半,東偏),内屋敷(9世紀後半,ほぼ正方位)か,中谷地(10世紀前半,西),観音屋敷(ほぼ正方位),大江古屋敷(9世紀前半,西),西百刈(西),関和久官衙(9世紀前半,ほぼ正方位),三貫地(9世紀前半,正方位)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

房ノ内(9世紀~10世紀)・・・西

東高久(平安初期~中期)・・・東

郡山台(8世紀~10世紀代)・・・西

ノ北(9世紀~13世紀)・・・中心建物によって,東か西か決めがたい)

小浜代(8~9世紀・11世紀)・・・詳しい図面がないので建物配置が判断できない。

※ 三貫地(8世紀後半~9世紀初頭)・・・どこらへんにほぼ正方位がくるのか。9世紀前半が磁北で7Eなので真北か。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

九州王朝の遺跡と近畿王朝の遺跡が絡み合うので,とても複雑だと思った。

それを解き明かしていくのが,〈方位の考古学〉の役目ではあるが・・・。

2020年1月 1日 (水)

★福島県の〈官衙遺跡〉 1/1★

(4)三貫紀後半~9世紀初頭)

Img_5921

➀ 北の確認~1987年の図だが,磁北のようである。

② 建物群~片廂の建物があるが,色がぬっていないので,のちの時代のものか。

➂ 建物データ~磁北(西偏7°)を中心に加減していく。

【奈良時代後半~平安時代初頭・8世紀後半~9世紀初め】

Ⅲa・・・磁北,磁北・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西偏7°

Ⅲb・・・東西棟・12W,南北棟・9W,南北棟・3E,南北棟・6W・・・西偏

Ⅳ・・・南北棟・19E,南北棟・18E,南北棟・16E・・・・・・・・・東偏

【平安時代】

Ⅴ(9世紀前半)・・・東西棟・7E,東西棟・7E,東西棟・14E・・・東偏

Ⅷ〈9世紀後半以降〉・・・南北棟・12E,南北棟・4E,東西棟・3E・・・東偏西偏ばらばらです。

 

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