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2019年12月

2019年12月30日 (月)

福島県の〈官衙遺跡〉12/30

(1)堂ノ原(8世紀末~9世紀後半)・・・方位が記されていないものが多い。一応8世紀以前が東偏で,それ以降が西偏か。

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➀ 北の確認~2002年の図なので,真北と考える。

② 建物群~東偏と西偏の建物群がありそうである。

③ 建物データ~古代Ⅰ期と古代Ⅳ期しか出ていないが,Ⅰ期は東偏で,Ⅳ期は西偏と考えた。

古代Ⅰ期(8世紀末~9世紀初)・・・南北棟・17W,南北棟・24W,南北棟・23W,南北棟・17W,東西(南北?)棟・17W・・・東偏

古代Ⅱ期(9世紀前半)・・・

古代Ⅲ期(9世紀中葉)・・・

古代Ⅳ期(9世紀後半)・・・東西棟・9W・・・西偏

【遺構全体図】【遺構変遷図】と建物データ

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(2)小浜代(8~9世紀・11世紀?)・・・掘立Ⅴ-1 が正方位と思われるが,いずれの建物も年代不明。

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➀ 北の確認~1971年の図なので,磁北と考えた。

② 建物群~西部に建物群らしきものが見える。

③ 建物データ~掘立Ⅴ-1 が東西棟・7Wなので,磁北なら正方位か。 ただ,いずれも年代不明。

【遺構配置図】と建物データ

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(3)郡山五番()・・・建物データに年代が書かれているものが一つしかない。

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➀ 北の確認~1979年と1980年の図である。

② 建物群~どちらの図にも建物群らしきものが見える。

③ 建物データ~ほとんど,方位が記されていない。

8世紀後半以前・・・東偏

8世紀後半・・・南北棟・3E・・・西偏

遺構全体図(2次調査)】【遺構全体図(3次調査)】と建物データ

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(4)三貫地(8世紀後半~9世紀初頭)・・・8世紀後半~9世紀初めにほぼ正方位がある。

 

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➀ 北の確認~1987年の図だが,磁北と考える。建物データに「磁北」の表現あり。

② 建物群~中央部と西部に建物群が見える。

③ 建物データ~

【古墳時代後期】

Ⅰa

Ⅰb

【奈良時代後半~平安時代初頭・8世紀後半~9世紀初め】

Ⅲa・・・磁北,磁北・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西偏

Ⅲb・・・東西棟・12W,南北棟・9W,南北棟・3E,南北棟・6W・・・ほぼ正方位

Ⅳ・・・南北棟・19E,南北棟・18E,南北棟・16E・・・・・・・・・西偏

【平安時代】

Ⅴ(9世紀前半)・・・東西棟・7E,東西棟・7E,東西棟・14E・・・東偏

Ⅷ〈9世紀後半以降〉・・・南北棟・12E,南北棟・4E,東西棟・3E・・・西偏

【遺構変遷図】と建物データ

2019年12月29日 (日)

福島県の〈官衙遺跡〉12/29

(1)小又(8世紀前半~9世紀中頃)・・・西偏の集落のようである。

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① 北の確認~1998年の図なので,真北と考える。

② 建物群~なだらかな山の斜面に沿って建物群が見える。

③ 建物データ~西偏の建物ばかりである。

Ⅲ・Ⅳ期(奈良・平安)・・・W20,8W,12W,8W,9W

Ⅴ期(9世紀中葉)・・・W26

【遺構変遷図】と建物データ

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(2)達中久保(奈良~平安)・・・寺院の仏堂を中心とした村落。

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➀ 北の確認~1979年の図。

② 建物群~村落内の寺院仏堂らしき建物が中心の集落か。

③ 建物データ~仏堂の建物しかデータがしるされていない。いずれの時期も同じ方位。

Ⅰ期~3期(8世紀中葉~9世紀前半)・・・17W

【遺構図】と建物データ

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(3)桜田Ⅳ(7世紀後半~8世紀前半、9世紀)・・・

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➀ 北の確認~2014年の図なので真北と考える。

②  建物群の確認~西部の緩やかな斜面に固まっているようにう思う。。

③ 建物データ~西偏をした建物が多い。道路に面した駅家なのかもしれない。

Ⅰ期(7世紀後半~8世紀前半)

Ⅱ期(9世紀前半)

Ⅲ期(9世紀後半)

 

4区遺構配置図】建物データ

 

2019年12月28日 (土)

福島県の〈官衙遺跡〉12/28

(1)油田(縄文~)・・・四面庇のSBを中心建物とすれば,東偏。

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① 北の確認~2007年の図なので真北と考える。

② 建物群~四面庇のSB12を中心にした建物群ではないか。

③ 建物データ~SB12は,8世紀末~9世紀前半 の建物で,12°Eである。

【遺構図】【変遷図(Ⅶ-1期)】と建物データ

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(2)関和久上町(8世紀前半~9世紀後半)・・・

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① 北の確認~1994年の図なので,真北だと考える。

② 建物群~北部に中心建物がありそうである。

③ 建物データ~2~3期と5~6期に正方位が現れる。

1期(7世紀末葉)・・・2E

2期(8世紀中葉~末葉)・・・1E,南門ヵ,真北

3期(8世紀中葉~末葉)・・・0°,(2~3期で,2E)

4期(9世紀前半)・・・3W,2W

5期(9世紀前期)・・・(4~5期で0°,真北,1W,3W)

6期(9世紀後期)・・・ほぼ真北,2W,1W

【遺構変遷図】と建物データ

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(3)関和久官衙(7世紀末~10世紀)・・・明知地区は,7世紀中葉~末葉にかけて正方位が集中する。それに対して,中宿・小寺地区では,8世紀中葉と9世紀後半に分かれている。

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① 北の確認~1985年の図なので,真北と考える。

② 建物群~南門から東偏の建物群が北に続いているように見えるる

③ 建物データ~真北に近い方位が多い。

【明地地区】

Ⅰ期(7世紀中葉)・・・真北,真北       

Ⅱ期(7世紀末葉~8世紀初め )・・・4W,真北,0°,ほぼ真北,真北,真北

Ⅲa期(8世紀後半)・・・2E

Ⅲb期(9世紀前半)・・・1~2E,1E

Ⅳ期()・・・

中宿・古寺地区

A期(7世紀末~8世紀初め)・・・3.5E

B期(8世紀中葉)・・・ほぼ真北,3E

C1期(9世紀前半)・・・1.5E,1.5E

C2期(9世紀後半)・・・1.5E,ほぼ真北,3E

D期(9世紀後半以降)・・・

遺構変遷図(中宿・古寺地区)】と建物データ

2019年12月27日 (金)

★福島県の〈官衙遺跡〉12/27★

(1)大江古屋敷(9世紀前半~10世紀後半)・・・建物群の方位ということでいえば,西偏。

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① 北の確認~1990年なので,上が北と考える。ただし,図は西に大きく傾いている。

② 建物群~SB01,SB29,SB03が中心建物で,その周辺に建物群が集まっている。

③ 建物データ~東偏データが多い。

Ⅰ(9世紀後半)・・・SB03(14E)

Ⅱ(10世紀前半)・・・SB29(11Eヵ)

Ⅲ(10世紀中葉~後半)・・・SB01(17Eヵ)

【遺構全体図】と建物データ

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(2)宮ノ北(9世紀~13世紀)・・・SB01を中心にした西偏の建物群か。

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① 北の確認~1994年の図なので,上が北と考える。ただし,図は東に大きく傾いている。

② 建物群~四面庇の2棟を中心に存在しそうだが,SB01を中心とするなら,西偏か。

③ 建物データ~2棟しかデータがなく,11Eと12Eである。

【遺構図】と建物データ

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(3)四百刈(9世紀前半~10世紀中頃)・・・建物群が,西の柵と東の川の間に挟まれているので,西偏。

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① 北の確認~1993年の図ということで,上を北と考える。

② 建物群~南側にある。

③ 建物データ~いずれも同じ方位(東偏)だが,東側の川と西側の柵の間に存在するので,西偏。

【遺構全体図】と建物データ

2019年12月26日 (木)

福島県の〈官衙遺跡〉12/26

(1)大江古屋敷(9世紀前半~10世紀後半)・・・四面庇を含み,東偏の建物群である。

① 北の確認~1990年の図なので上を北と考える。ただし,図は西に大きく傾いている。

② 建物群~東偏の建物群がいくつも見られるように思う。

③ 建物データ~一貫して東偏。

遺構期1a(9世紀前半)・・・15E,13E,21E

遺構期1b(9世紀後半)・・・17E,19E,14E

遺構期2(9世紀後半)・・・15E

遺構期3a(10世紀前半)・・・15E,13E,12E,14E,27E

遺構期3b(10世紀中葉~後半)・・・17E(四面庇)

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遺構全体図】と建物データ

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(2)宮ノ北(9世紀~13世紀)・・・

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① 北の確認~1994年の図なので,上を北と考える。

② 建物群~同じような向きに東偏した建物群がありそう。

③ 建物データ~2棟の四面庇のみ掲載されている。

11世紀後半~12世紀初め ・・・11E(四面庇),12E(四面庇) 

【遺構図】と建物データ

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(3)四百刈(9世紀前半~10世紀中頃)・・・9世紀後半~10世紀中葉にほぼ正方位。近畿王朝の蝦夷国侵出の為か。

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① 北の確認~1993年の図なので,上が北と考える。ただし,図は東に大きく傾いている。

② 建物群~南部に同じ方位の建物群が見える。

③ 建物データ~ほぼ正方位か一桁の東偏ものが多い。

A期(9世紀前半~中葉)・・・3E,10E,7E,5E

B期(9世紀前半~中葉)・・・7E,8E,7E,6E

C期(9世紀後半~10世紀中葉)・・・1E,2E,4E

D期(9世紀後半~10世紀中葉)・・・4E

【遺構全体図】と建物データ

2019年12月25日 (水)

福島県の〈官衙遺跡〉12/25

(1)志古山(8世紀後半~9世紀前半)・・・方位は東偏だが,年代のわかるものがない。

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① 北の確認~1987年の図。一応真北と考えた。

② 建物群~縦に並んでいる南北棟の建物列が2つあるので,その北に中心建物を想定したい。

③ 建物データ~大きく東偏しているものが多い。

【トレンチ配置図】と建物データ

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(2)観音屋敷(9世紀中頃)・・・

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① 北の確認~1997年の図なので,真北と考える。右下にかなり西に傾いた方位の記号があった。

② 建物群~中庭の周りにほぼ正方位の建物群がある感じである。

③ 建物データ~微妙な表現が多いが,もっとも正方位に近いのが,「平安時代前期中葉」である。

平安時代前期前葉・・・5E

平安時代前期中葉・・・3E,2E,1E

平安時代前期以降・・・3E,2E,4E,3E

平安時代以降・・・7E

【遺構全体図】と建物データ

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(3)青木(8世紀中葉~10世紀中葉)・・・

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① 北の確認~1990年の図なので,上を北と考えた。

② 建物群~西偏の建物群があるようだ。

③ 建物データ~この時期ずっと西偏遺構だった。

A期(9世紀後半)・・・13W,11W

B期(10世紀前半)・・・8W,7W,5W,7W

C期(10世紀中葉)・・・8W,11W,9W,8W

【遺構全体図】と建物データ

2019年12月24日 (火)

福島県の〈官衙遺跡〉12/24

(1)大船迫A(8世紀中葉~9世紀後葉)・・・3段階までが九州王朝で,それ以降が近畿王朝の施設ではないか。

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① 北の確認~1995年の図なので,上を北と考える。

② 建物群~2段階と3段階の建物群と4段階の建物群ではスタイルが違う。

③ 建物データ~2段階と4段階に0°と2°以下が集まっている。

1段階(8世紀中葉・前)~3E,2E

2段階(8世紀中葉・後)~4W,1E,0°,2W,4W,3W,1E,3W,7E,1E

3段階(8世紀中葉~後葉)~4W,3W,

4段階(8世紀後葉)~0°,2E,2E,4E,

5段階(9世紀前葉)~6E,9E

6段階(9世紀中葉)~9E,8E

7段階(9世紀後葉)~2E,3E

【遺構変遷図】と建物データ

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(2)鳥打沢遺跡群(7世紀後半~9世紀前葉)・・・与えられた資料からは,方位は判定できなかった。

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① 北の確認~メッシュの地図なので,上を北と考える。

② 建物群~建物群は見いだせない。

③ 建物データ~1棟しか紹介されていない。8世紀後半ごろか,ということで17°E

遺跡は全体として,作業場のようである。

遺構全体図(4次調査)】と建物データ

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(3)広畑(9世紀後半以前)・・・泉官衙遺跡の南東500mに位置するとのことで,下級役人の「公務員住宅」を思い浮かべた。泉官衙遺跡を意識するなら,西偏か。

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① 北の確認~2000年の図なので,上を北と考える。

② 建物群~道沿いに4棟が並んで建っている。

③ 建物データ~どれも9世紀後半以前とある。同じ時期に建てられたとすると,何らかの官衙か。

【遺構全体図】と建物データ

2019年12月23日 (月)

福島県の〈官衙遺跡〉12/23

(1)郡山台(8世紀~10世紀後半)・・・最も正方位に近いものが集中しているのは「10世紀初め」で,それに次ぐのが「8世紀中葉」である。近畿王朝の成立期と蝦夷国への侵攻が反映しているものと考える。

① 北の確認~1980年の図なので,磁北と考える。

② 建物群~B期が一番充実しているように思う。

③ 建物データ~

A期(8世紀中葉)・・・3゜10´E ,2W,12゜50´W ,11゜W ,5゜W ,

B-Ⅰ期(9世紀)・・・5E,7゜50´E, 19゜E19゜E9゜E36゜E

BーⅡ期(10世紀初め)・・・1゜10´E1゜10´E4゜10´E,2゜50´E ,1゜E ,2゜10´E,5゜W , 0゜50´W ,2゜E ,0゜50´E

C期(10世紀末葉)・・・0゜50´E

【遺構変遷図】と建物データ

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(2)油王田()・・・年代はわからないが,2地区も14地区も西偏。

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① 北の確認~1981年の図なので,磁北と考える。

② 建物群~2地区と14地区に多くの建物群が見られる。

③ 建物データ~年代を書いているものがない。

【遺跡全体図】と建物データ

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(3)泉官衙(7世紀末葉~9世紀)・・・東偏⇒正方位①⇒正方位②と,2つの王朝の栄枯盛衰を表すように変遷した。

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① 北の確認~2007年の図なので,上を北と考えた。

② 建物群~ロの字型の官衙遺跡。

③ 建物データ~Ⅰ期の東偏⇒Ⅱ期の正方位⇒Ⅲ期の正方位のように変遷する。

Ⅰ期(7世紀末~8世紀初頭)~東偏

Ⅱ期(8世紀初頭~8世紀後半)~0°(正方位)

Ⅲ期(8世紀末葉~9世紀)~0°(正方位)

寺家前地区(政庁)変遷図】と建物データ 

2019年12月22日 (日)

福島県の〈官衙遺跡〉12/22

(1)鏡ノ町(8世紀前半~10世紀初頭)・・・近畿王朝成立期と蝦夷国への侵攻期にほぼ正方位か。

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① 北の確認~2001年の図なので,上が北と考える。

② 建物群~Ⅳ期までは北が反映している。

③ 建物データ~ほぼ正方位が散らばって出現する。近畿王朝成立時と,蝦夷國への侵攻期か。

Ⅰ期(8世紀後葉~9世紀初め)~4W,15E,8W,2E

Ⅱ期(9世紀前半)~5E,1E,2E,1E,8E

Ⅲ期(9世紀後半)~4E(四面庇ヵ),2E,2E

Ⅳ期(9世紀末葉~10世紀前葉)~4E(四面庇),5E(四面庇),1E,2E

Ⅴ期

Ⅵ期

鏡ノ町A・B遺跡遺構変遷図】と建物データ

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(2)舘ノ内(8世紀末~10世紀後半)・・・同じ場所の図とは思えないくらい,大きく変化している。

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① 北の確認~1998年の図なので,上を北と考える。

② 建物群~時代によってかなり変化している。

③ 建物データ~2つしかなく,時代も離れている。

3期()

4期()

5a期(8世紀後半~9世紀前半)~4E

5b期(10世紀)~10W(四面庇)

6期()

7期()

【遺構変遷図】と建物データ

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(3)中谷地(9世紀~10世紀)・・・

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① 北の確認~2010年の図なので上が北のだが,西に大きく傾いた図である。

② 建物群~集落といってしまうにはもったいないくらい,整っている建物群である。

③ 建物データ~1棟しか出ていない。10世紀前半の南北棟・4°Wである。

Ⅰ期()~

Ⅱab期()~東

Ⅲa期()~東

Ⅲb期(10世紀前半)~4W

ⅢC期()~東

Ⅳ期()

【遺構変遷図】と建物データ

 

2019年12月21日 (土)

福島県の〈官衙遺跡〉 12/21

(1)沼平東(8世紀後半~9世紀前半)・・・

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① 北の確認~1981年の図なので,磁北と考えた。

➁ 建物群~ほぼ東偏でコの字にも思えそうな建物群と考えた。

➂ 建物データ~やはり,東偏ばかりである。

Ⅰ期(8世紀後半)~東

Ⅱ期(9世紀初め)~東

Ⅲ期(9世紀前半)~東

【遺構変遷図】と建物データ

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(2)二塚(8世紀後半~)・・・

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① 北の確認~1982年の図なので,磁北と考える。

② 建物群~同じような方位を示している建物群である。

③ 建物データ~いずれも東偏していた。

1期~東

2期~東

3期~東

※ 「8世紀後半~」の根拠がどこにあるのかわからなかった。

調査区全体図(C区)】と建物データ

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(3)内屋敷(8世紀後半~9世紀末)・・・

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① 北の確認~2004年の図なので,上を北と考える。

➁ 建物群~溝で区画して集まっているのはわかったが・・・。

➂ 建物データ~4d期にほぼ正方位が集まる理由は?

4a期(8世紀後半~末葉)・・・東

4b期(9世紀前半)・・・7°E,

4c期(9世紀中葉)・・・西

4d期(9世紀後半~末葉)・・・3°E,1°E,1°E,1°W,2°W

【遺構変遷図】と建物データ

2019年12月20日 (金)

福島県の〈官衙遺跡〉12/20

(1)舟田中道(古墳時代~平安)・・・7世紀中頃以降と9世紀前半にほぼ正方位がある。興味深い。

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① 北の確認~2002年のメッシュのある図なので,上を北と考える。

② 建物群~所々に集中して建物が建てられているので,それを色塗りしてみる。

③ 建物データ~9世紀前半に年代がわかるものが多い。ほぼ正方位(1°)のものも。

7世紀中頃以降・・・1°東

8世紀後半~・・・10°東

8世紀後半以降・・・20°西

9世紀前半・・・1°東,1°W,2°W,3°E,4°E,4°W,6°E,6°E,6°西,29°西,32°西,33°西゜

【遺構全体図】と建物データ

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(2)岩渕境(8世紀後半~9世紀)・・・どの建物も西偏しているが,1棟だけなので西偏としていいか?

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➀ 北の確認~北東の方角に東偏している。1980年の図。

② 建物群~同じ場所に建て替えられている。

③ 建物データ~調べてみると,建物はどれも西偏している。特に,第2号建物遺跡Bは「8世紀後半~9世紀頃 」とされていた。

【遺構全体図】と建物データ

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(3)うまや(奈良~平安)・・・西廂の建物を中心建物と考えて,東偏。

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① 北の確認~遺構全体図も建物データの上が北になっていない。しかも,2003年と1988年の図。

② 建物群~中央部に西に建物群のようなものがある。

③ 建物データ~西廂のものが1棟だけ載せてある。

【遺構全体図】と建物データ

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(4)栄町(7世紀後半~8世紀)・・・有名な栄町遺跡はここだった。正殿が,大きく西偏⇒ほぼ正方位(2度以内)⇒小さく西偏と変化。

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① 北の確認~2012年の図。上が北で良いようだ。

② 建物群~正殿を北にした官衙スタイルである。

③ 建物データ~真北はないが,Ⅰ~Ⅱ期が西偏,Ⅲ期以降がほぼ正方位と言えそうだ。

7世紀後半(Ⅰ期)・・・22.2W,22.8W,24.8W,26W,26W,31.4W,

7世紀末(Ⅱ期)・・・28.2W,25.5W,33W,21.3W(正殿),24.6W

8世紀前半(Ⅲ期)・・・1.6W(正殿),2.7W

8世紀半ば(Ⅳ期)・・・3E,1.8E,0.3E,1.3W,4.4E,0.4E,2.1E,3.8E,3.4W,4.0W6.7W

8世紀後半(Ⅴ期)・・・2.9W2.9W,5.4W,6.7W,6.4W

9世紀前半(Ⅵ期)・・・5.2W(正殿)

郡庁院・西部建物群遺構変遷図】と建物データ

2019年12月18日 (水)

福島県の〈官衙遺跡〉 12/19

今回からやり方を変えて,川瀬さんご指摘の,①北の確認,②建物群,③建物データ,の3つの項目を意識するようにしてみました。これで,どの段階で躓いたかがわかりやすくなるのではないかと考えました。

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(1)小茶円(8世紀~10世紀)・・・8世紀中葉に3棟が7°西偏していた以外は年代不明。また,10号,22号,23号,24号,28号,29号,39号がほぼ正方位(2°E)である。あと,疑問として,61号が建物データに出ていないのはどうしてなのだろう。

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① 北の確認~2001年の図なので,上を北と考える。

② 建物群~B地区の最初の図とC地区の図は同じ方位の建物があり,何かの官衙ではないかと思った。

③ 建物データ~年代の判明しているものが,C地区の71・73・74号建物の8世紀中葉・西偏7度しかなかった。

 

建物配置図(B地区)】【建物配置図(C地区)】と建物データ

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(2)清水(8世紀末~10世紀)・・・9世紀中葉の西偏の建物が大部分なので,西偏

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① 北の確認~メッシュが張ってあるので,一瞬上が北と思ったが,よく見たら90度東に傾いていた。

➁ 建物群~山の傾斜を利用したもので,特に建物群というまとまりは感じられない。

③ 建物データ~9世紀中葉の西偏建物が多いようである。

【遺跡全体図】と建物データ

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(3)根岸(7世紀後半~10世紀前後)・・・8世紀中葉~後半に真北(正方位)が現れる。ただし,倉については,7世紀で正方位もある。

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① 北の確認~2000年の図なので,上を真北とした。

➁ 建物群~奥の中央に正殿を配置する,官衙形式を採用している。

③ 建物データ~集落時代の西偏⇒東偏⇒真北(正方位)⇒東と変遷していくようである。

集落時代~西

Ⅰ期(7世紀後半~8世紀初め)~東

Ⅱ期a(8世紀前半)~東

  b(8世紀前半)~東

Ⅲ期ab(8世紀中葉~後半)~真北(正方位)

  cd(8世紀後半以降~)~東

【遺構変遷図(郡庁院】と建物データ

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(4)根岸(居宅)・・・居宅遺構変遷図と建物データから,東⇒西⇒西,と推移していると考える。Photo_20191218151401

① 北の確認~ 2000年の図なので,上を北と考えた。

➁ 建物群~居宅なので,四面庇の建物を中心にすればいいと考えた。

③ 建物データ~Ⅰ期とⅡ期の間は隙間がないが,Ⅱ期とⅢ期の間の「8世紀前半」というのが抜けているような気がする。★100年遡ると,7世紀前半。すると,ここに「九州王朝時代の正方位」が入るのかもしれない。

Ⅰ期(7世紀前半)~南北棟・16°W,東西棟・4°E・・・東

Ⅱ期(7世紀中葉~後半)~四面庇の建物・?・6°W・・・西

Ⅲ期(8世紀中葉~後半)~四面庇の東西棟・10°W・・・西

【居宅遺構変遷図】と建物データ

2019年12月16日 (月)

福島県の〈官衙遺跡〉12/16

(1)荒田目条里制遺構・砂畑(8世紀中葉~10世紀中葉)・・・Ⅲ期にほぼ正方位があるが,大きな西などもある!?

 Img_5775

Img_5776

Img_5777

Ⅰ期(8世紀中葉~末)・・・西,東

Ⅱ期(8世紀末~9世紀初め)・・・東

Ⅲ期(9世紀前半~中葉)・・・大きな西,東,ほぼ正方位(3°W)

Ⅳ期(9世紀後半)・・・西

Ⅴ期(9世紀末~10世紀初め)・・・西

Ⅵ期(10世紀初め)~西

Ⅶ期(10世紀前半)~西

Ⅷ期(10世紀後半~12世紀)~東

遺構全体図(ABC区)(DF1区)(EF区)】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)大猿田(8世紀後半~9世紀後半)・・・9世紀第1四半期と9世紀後半に正方位が現れる!?

Ⅰ期~

Ⅱ期~SB10(8世紀中葉~末葉)が南北棟・11°W

Ⅲ期~SB02(9世紀第1四半期)が南北棟・0°

Ⅳ期~SB04(9世紀第2四半期)が南北棟・3°W

Ⅴ期~SB06(9世紀後半)が東西棟・10°W,SB12(9世紀後半)が東西棟・0°

Photo_20191216135601

【遺構変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)大谷(9世紀前葉)・・・第2号掘立柱建物のみ年代表示。東西棟・11°W。

Photo_20191216143501

遺構全体図(西区)】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)郡(8世紀前半~)・・・第1建造跡と第2建造跡が共に東偏5°

Photo_20191217134201

【建物配置図】と建物データ

★★福島県の〈官衙遺跡〉12/15★★

(1)清水台(7世紀末または8世紀初頭~9世紀 )・・・厨家周辺の建物の変遷から,東偏⇒正方位⇒西偏と考えた。

Ⅰ期(7世紀後半~末)~SB1519の南北棟・28°E~東偏

Ⅱ期(8世紀前葉~8世紀末葉)~a(8世紀前半)・・・SB1404の南北棟・21°~東偏

                b(8世紀後葉)・・・SB1517の南北棟・7°E~東偏

                C(8世紀後葉・末期)・・・SB1201の南北棟・0°~正方位 ,SB1517の建て替え~3°東偏

Ⅲ期(9世紀初め~前葉)~SB707の南北棟・5W~西

Photo_20191216100801

厨家周辺の建物配置】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)下羽広(8世紀後葉~)・・・5号建物跡(四面庇)の東西棟・19°Wから西偏とみたが,集落はいろいろな方角があり全体としては方位不明。

Photo_20191216101101

【遺構図(合成)】と建物データ

 

2019年12月14日 (土)

福島県の〈官衙遺跡〉12/14

(1)東山田(奈良~平安)・・・

村内寺院~西偏

官衙風建物群~西偏

Photo_20191214063401

【全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)皆屋敷(8世紀後半~10世紀)・・・離れた2棟だけでは,方位の判定はできず。

遺構平面図  Ⅰ区北半

★福島県の〈官衙遺跡〉12/14★

(1)清水台(7世紀末または8世紀初頭~9世紀 )・・・厨家周辺の建物の変遷から,東偏⇒正方位⇒西偏と考えた。

Ⅰ期(7世紀後半~末)~SB1519の南北棟・28°E~東偏

Ⅱ期(8世紀前葉~8世紀末葉)~a(8世紀前半)・・・SB1404の南北棟・21°~東偏

                b(8世紀後葉)・・・SB1517の南北棟・7°E~東偏 ⇒ 建て替え Ⅲ期

                C(8世紀後葉)・・・SB1201の南北棟・0°~正方位

Ⅲ期(9世紀初め~前葉)~SB707の南北棟・5W~西偏

※ Ⅲ期と分類されているSB1517の南北棟・3°E(8世紀末葉)をどこに入れるか?それともⅢ期はⅡ期の間違いか?ほぼ正方位とするか?

Img_5695

Img_5688

厨家周辺の建物配置】と建物データ

(2)下羽広(8世紀後葉~)・・・5号建物跡(四面庇)の東西棟・19°Wから西偏と思ったが,「集落」全体として考えるなら東偏とするべきか。

Photo_20191214061601

【遺構図(合成)】と建物データ

2019年12月13日 (金)

福島県の〈官衙遺跡〉 12/13

(1)清水台(7世紀末または8世紀初頭~9世紀 )・・・厨家周辺の建物の変遷から,東偏⇒正方位⇒西偏と考えた。

Ⅰ期(7世紀後半~末)~SB1519の南北棟・28°E~東偏

Ⅱ期(8世紀前葉~8世紀末葉)~SB1404の南北棟・21°E,SB1517の南北棟・3°E,SB1201の南北棟・0°~東偏と正方位

Ⅲ期(9世紀初め~前葉)~SB707の南北棟・5W~西偏

Img_5688

厨家周辺の建物配置】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)下羽広(8世紀後葉~)・・・5号建物跡(四面庇)の東西棟・19°Wから西偏と考えたが,等高線が気になる。

Photo_20191213095101

【遺構図(合成)】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)正直C(8世紀後半~9世紀)・・・時期不明で,順番は決められない。

V地点~9世紀前半で東偏である。

Ⅲ地点~歪んでいるがSB01とSB02の南北線はほぼ正方位。時期不明。

X地点~9世紀(後半?)

Photo_20191213102801

Photo_20191213102901

遺構配置図(Ⅲ地点)(V地点)】と建物データ

2019年12月11日 (水)

★福島県の〈官衙遺跡〉12/12★

(1)矢玉(8世紀後半~10世紀)・・・40件の建物データの中で,時期が書いてあり,ほぼ正方位といえるのは,北2ブロックのSB09の2°Wだけだった。南西ブロックに期待したが,SB39が1°Wなのだが時期が書かれていなかった。

北1~Ⅰ期・Ⅱ期ともに東偏(8世紀後半~9世紀前半)。

北2~Ⅰ期のSB09が8世紀後半で,ほぼ正方位(2°W)。Ⅱ期は東偏

中央~Ⅰ期・Ⅱ期ともに東偏。

南西~Ⅰ期西偏(SB39が1°Wも時期が不明)・Ⅱ期(ほぼ正方位とは言えない6°E,4°E,5°E)は東偏。

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【遺構変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)大槻向原(8世紀後半~9世紀前半 ・・・ 一見四面庇の建物があるので東偏と思えるが,4号5号建物の西側に溝が掘られているので東偏と考える。

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【遺構全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)肩張(8世紀後半~9世紀前半 ・・・1期と2期に分かれるが,両地域に入り混じる。いずれも東偏。13号建物(8世紀第4四半期)が畑を切っているので,畑はもっと前の時期(0期?)のものではないか。

0期(1期以前)~畑を西偏の痕跡と考えた

1期(8世紀第4四半期)~東偏

2期(9世紀第1四半期)~東偏。ただし,10号建物(0°,倉?)を含む。

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【遺構全体図】と建物データ

福島県の〈官衙遺跡〉 12/11

(1)矢玉(8世紀後半~10世紀)・・・東西棟も南北棟も東を向いているので,ずっと東偏と考えた。

第1期(9世紀前葉)~東偏

第2期(9世紀中葉)~東偏

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【遺構変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)大槻向原(8世紀後半~9世紀前半)・・・四面庇の6号建物跡が東偏なので,そう考えた。

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【遺構全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)肩張(8世紀後半~9世紀前半)・・・全体として西偏の建物群のなかに,9世紀第1四半期の10号建物(0°)がある。

1期(8世紀第4四半期)~西偏の建物群。

2期(9世紀第1四半期)~西偏の建物群の中に,10号建物(0°)がある。

 

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【遺構全体図】と建物データ

2019年12月10日 (火)

★福島県の〈官衙遺跡〉★ 12/10

(1)東高久(平安初期~中頃)・・・東偏の集落

建物が長辺短編に関係なく同じ方位を向いているので,東偏と判断。

唯一建物データに掲載されている6号掘立柱建物跡(SB06)も東偏15°E(9世紀前半~中頃)

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【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)門田条里制(9世紀後半~10世紀前半)・・・建物テータで見ると,データの多い第二調査区が全部東偏。東西棟・南北棟あり。東偏の遺構。

Photo_20191210143701  

 

【第二調査区】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)屋敷(9世紀前葉から10世紀前葉)・・・遺構全体図1でみると,中央に南北の河川の跡があり,その西側では正方位と東偏。東側では西偏である。

建物データで調べてみると,東偏 ⇒ 正方位 ⇒ 西偏となる。

【西側】東偏~SB03(四面庇)とSB15(四面庇)・・・9世紀中葉~後葉 

    正方位~SB26・・・9世紀後半 / SB24・・・9世紀後半~10世紀 

【東側】西偏~SB08(四面庇)・・・10世紀前半

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【遺構全体図1】と建物データ

2019年12月 9日 (月)

福島県の〈官衙遺跡〉 12/9

(1)東高久(平安初期~中期)・・・集落であるが,全体として西偏している。

Photo_20191209055301

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)門田条里制(9世紀後半~10世紀前半)・・・西偏と東偏が入り混じっており,過渡期なのかと考えた。

 Photo_20191209060801

【第二調査区】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)屋敷(9世紀前葉から10世紀前葉)・・・0°の倉や建物もあり,「9・10世紀」「9世紀後半」「9世紀後半」。

9世紀前半~SB30・・・5°E

9世紀中葉~SB03(四面庇)・・・3°E

10世紀前葉~SB08(四面庇)・・・4.5W

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【遺構変遷図】と建物データ

2019年12月 8日 (日)

福島県の〈官衙遺跡〉12/8

(1)房ノ内(9世紀~10世紀)・・・SB01には東に,SB02には北の柵があるので,東偏と考えた。

Photo_20191208071201

【遺構全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)郡山(8世紀~9世紀)・・・100年遡らすと,8世紀末~10世紀中頃に正方位が現れている。

B期(9世紀末~10世紀初め)~ほぼ真北

C期(10世紀前半~中頃 )~1°E,ほぼ真北,1°W

Photo_20191208123701

9~11次調査遺構配置図】】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)西木流(9世紀中葉)・・・9世紀中葉の四面庇が東偏なので,そう考えました。

Photo_20191208124501

西木流C遺跡Ⅰ・Ⅱ区全体図】と建物データ

 

2019年12月 7日 (土)

福島県の〈寺院遺跡〉の集計 12/7

【福島県】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・借宿廃寺(西)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・腰浜廃寺(西),上人壇廃寺(正方位),郡山台(西地区)(西)

8世紀半葉・・・夏井廃寺(Ⅰ期。中葉以前が正方位),江平(西)

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・西原廃寺(平安時代。西),横手廃寺(9世紀前半。西),慧日寺跡(西),大江古屋敷(9世紀前半。西),流廃寺(9世紀後半。西),南狼沢A(ほぼ正方位)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ 米山寺(8世紀~12世紀。東)

※ 松野千光寺(寺院に関する遺構は検出されず,年代も不明)

※ 郡山五番廃寺(ほぼ真北。時期は不明)

2019年12月 6日 (金)

福島県の〈寺院遺跡〉 12/6

(1)江平(8世紀中葉~9世紀中葉)・・・A期とB期の2つの建物で西偏である。

A期(9世紀前半)~SB01(四面庇)・・・東西棟・・13°W

B期(9世紀前葉~中葉 )~SB11の村落内寺院仏堂・・・東西棟・7°W

Photo_20191206055201

【中央区遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)郡山五番廃寺()・・・堂の上地区1号トレンチで発見された地業の方位から「ほぼ真北」。ただし,1980年で磁北なら西偏ということか。時期は不明。

Photo_20191206060401

【堂の上地区】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)南狼沢A(9世紀中葉~10世紀前葉)・・・建物データはないが,遺構変遷図などから,ほぼ正方位や東偏の建物群と考えた。

Photo_20191206061001

【遺構変遷図】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで福島県の〈寺院遺跡〉はおしまいです。

2019年12月 5日 (木)

福島県の〈寺院遺跡〉 12/5

(1)慧日寺跡 (9世紀~)・・・3つの地区の中心建物とも同じ方位を示すので,西偏と考える。

本堂地区・下層金堂~西偏

戒壇地区の四面庇建物~西偏

観音寺地区の四面庇建物~西偏

Photo_20191205062501

Photo_20191205062502

Photo_20191205062601

【各地区の遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)大江古屋敷(9世紀前半~10世紀後半)・・・主家とある第1号掘立柱建物跡(四面庇)は南北棟・17°東偏であるが,「確実にこの建物に付属する建物跡は目下不明である」ともあるので,この建物群全体の様子から,東偏と考えました。 

Photo_20191205055801

【遺構全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)流廃寺(9世紀後半)・・・10号平場の建物が金堂(四面庇+孫庇)のようだが,それなら西偏。ただ,山岳寺院なので除くか。

Photo_20191205060901

【地形測量図】と建物データ

2019年12月 4日 (水)

福島県の〈寺院遺跡〉 12/4

(1)松野千光寺(天平元年(729)創建の寺伝あり)・・・3区のうSBー1建物(西偏)は,規模から言って中心的建物ではないと思われるので,

逆に中心的建物は東偏となるのではないか。年代不明。

Photo_20191204083401

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)郡山台(西地区)(8世紀~10世紀後半)・・・年度から言えば,磁北だと思う。SB03の塔(南北棟・12゜30´W )の方を中心的建物と考えると,西偏だと思う。

Photo_20191204085701

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)横手廃寺(9世紀前半ヵ)・・・塔が中心建物と思われるので,7度西偏。

Photo_20191204092401

【遺構配置図】と建物データ

2019年12月 3日 (火)

福島県の〈寺院遺跡〉 12/3

(1)借宿廃寺(7世紀末ヵ)・・・いずれも地業跡からの推定だが,金堂と塔の方位を優先すればやや西偏。

推定講堂・・・講堂(やや東偏)

西側基壇跡・・・塔(やや西偏)

東側基壇跡・・・金堂(やや西偏)

Photo_20191203113201

【遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)上人壇廃寺(8世紀前半~10世紀前半)・・・中心建物である金堂は,王朝が変わっても正方位で建てられ続けた。

創建以前~

第Ⅰ期(創建期)~8世紀前半 ※金堂・講堂は,第Ⅰ~Ⅲ期・ほぼ正方位

第Ⅱ期~8世紀後半~9世紀前半頃 

第Ⅱ期終末~9世紀前半

第Ⅲ期~9世紀中葉~後半

第Ⅳ期~10世紀初めころ ※金堂か講堂か・真北

Photo_20191203114601

【遺構変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)米山寺(8世紀~12世紀)・・・中心建物のSB01は,四面庇だが,西偏8°は磁北の場合ほぼ正方位と考える。

Photo_20191203121701

【遺構配置図】と建物データ

2019年12月 2日 (月)

福島県の〈寺院遺跡〉 12/2

(1)腰浜廃寺(8世紀前半~)・・・上面削平。地業痕跡のみ確認。5×4間を想定。ということで,金堂と考えられている。東西棟・5°東偏。 

Photo_20191202061801

【遺構配置】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)西原廃寺(平安時代)・・・北方建物と南方建物では明らかに方位が違うのに,建物データでは両方5°Eとなっている。北方建物は5°Wではないか。あるいは,磁北なら東(南方建物)⇒正方位(北方建物)という変遷か。

Photo_20191202062701

【建物の配置】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)夏井廃寺7世紀末葉から8世紀初め~10世紀前半)・・・九州王朝から近畿王朝にまたがる寺院。

Ⅰ期~8世紀前半~・・・ 東偏

Ⅱ期~~8世紀中葉・・・真北(正方位)

Ⅲ期~9世紀後半~・・・西偏 

 Photo_20191202073801

【建物配置】と建物データ

2019年12月 1日 (日)

鳥取県の〈官衙遺跡〉の集計 12/1

【因幡国】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・

7世紀後半・・・広庭(西)

7世紀末葉・・・大高野官衙(東)

8世紀初頭・・・馬場(東),万代寺(東)

8世紀前半・・・上原(西)

8世紀半ば・・・馬場(正方位)

8世紀後半・・・馬場(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・上原(正方位),上原西(東・正方位),柄杓目(西)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ 因幡国府・・・西偏⇒正方位だが,年代不明。

※ 山宮阿弥陀盛・・・東偏⇒正方位⇒西偏だが,時期不明。

※ 南区・上原遺跡群Ⅲ区(9世紀に正方位か)

 

 

 

【伯耆国】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半葉・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・不入岡(ほぼ正方位),坂長第6(西)

8世紀中葉・・・法華寺畑(正方位)

8世紀後半・・・不入岡(ほぼ正方位の倉庫群),伯耆国府(正方位),向野(東),坂長下屋敷(正方位)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・向野(9世紀初頭・正方位)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ 上淀廃寺隣接地・・・G区第一平坦地にある建物群は正方位(付属建物か)。寺院下層の居館は,6世紀末葉の豪族のものか。

※ 博労町(時代は不明だが,西偏)

※ 百塚(古墳時代の後期以降の94号を中心とした建物群は,西偏)

※ 長者屋敷(東偏だが,時期不明)

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