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2019年11月

2019年11月30日 (土)

鳥取県の〈官衙遺跡〉 11/30

(1)坂長第6(8世紀前半)・・・西側しか発掘されていないが,南西隅が直交しているようなので,西偏の官衙群と考える。

Ⅰ期(8世紀前半)~西偏

Ⅱ期(8世紀中葉~後半)西偏

Ⅲ期(それ以降)不明

Photo_20191130064901ととととととととととととととととととととととと

【遺構変遷図】と建物データ

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(2)坂長下屋敷()・・・8世紀後半~9世紀前半に正方位になった官衙群

Ⅰ期(それ以前)~SB09~東偏

Ⅱ期(8世紀後半9世紀前半)~SB03が東西棟・1°Eでほぼ正方位

Ⅲ期(それ以降)~

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【遺構変遷図】と建物データ

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(3)長者屋敷()・・・北柱群と南柱群に直行する中心的建物があると考えて,東偏。時期不明。

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長者原  トレンチ遺構配置図】と建物データ

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これで鳥取県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

2019年11月29日 (金)

鳥取県の〈官衙遺跡〉 11/29

(1)広庭(7世紀後葉~8世紀末葉)・・・建物全体の構成と,西側に柵があるところから西偏と考えた。

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【遺構全体図】と建物データ

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(2)万代寺(8世紀初め~9世紀初め)・・・北・中央・西の各官衙遺構にコの字型の建物群があるので,東偏。

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建物遺構配置図】と建物データ

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(3)大高野官衙(7世紀後半?~)・・・斜面に作られた倉庫中心のロの字型の建物群。西偏。

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【遺跡全体図】と建物データ

 

 

2019年11月28日 (木)

鳥取県の〈官衙遺跡〉 11/28

(1)伯耆国府(8世紀後半~10世紀)・・・正方位の連続。全部近畿王朝の国庁?

Ⅰ期(8世紀後半)~50年遡ると,8世紀前半

Ⅱ期(9世紀初め)~50年遡ると,8世紀中葉

Ⅲ期(9世紀中葉)~50年遡ると,9世紀初頭

Ⅳ期(9世紀末葉~10世紀初め)~50年遡ると,9世紀中葉

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【伯耆国庁の変遷】と建物データ

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(2)法華寺畑(8世紀中葉~10世紀)・・・どれも正方位。こちも近畿王朝の時代。

Ⅰ期(8世紀中葉~後半)~50年遡ると,8世紀初頭。近畿王朝の時代か。

ⅡA期(8世紀末葉~9世紀)~「伯耆国分尼寺か」とのコメントあり。

ⅡB期(8世紀末葉~9世紀)~「伯耆国分尼寺か」とのコメントあり。

Ⅲ期(10世紀)

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【遺構変遷図】と建物データ

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(3)向野(8世紀後半~10世紀)・・・全体に東偏が多いが,平安前葉の7号建物は真北。東偏?正方位?

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遺構全体図その1】【遺構全体図その2】と建物データ

2019年11月27日 (水)

鳥取県の〈官衙遺跡〉11/27

(1)博労町(弥生時代~)・・・平安時代初期の四面廂が西偏(建物データは15°Eとむあるが)

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【5区古代遺構図】と建物データ

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(2)百塚(古墳・奈良)・・・西偏から正方位への流れか

 古墳時代後半以降(94号)~西偏

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柵列及び周辺遺構配置図 】と建物データ

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(3)不入岡(7世紀末~10世紀)・・・正殿を含む官衙遺跡の正方位から,東偏の建物群に大変化

BⅠ期・・・SB73が正殿でほぼ正方位

BⅡ期(8世紀後半~10世紀)・・・SB27が東偏

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掘立柱建物群変遷図(BⅠ・BⅡ期)】と建物データ

2019年11月26日 (火)

鳥取県の〈官衙遺跡〉 11/26

(1)柄杓目(古墳・平安)・・・SB12は15°Eと建物データにあるが,15°Wの間違いか。その庁舎を受けるメインの建物は,建物群から考えると東偏ではないか。

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【遺構平面図】と建物データ

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(2)山宮阿弥陀森(7世紀後半~)・・・3つの方位のあったことはわかったが,時期が載っているものはほとんどなかった。

 ・7世紀後半~・・・東偏時代か?

 ・9世紀?・・・0度(BS128),1゜10´W(BS660)が 正方位時代?

 ・それ以降・・・西偏時代か?

 北区・H・K地区掘立柱建物、柵列状遺構A群配置図 ~正方位

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 北区・H・K地区掘立柱建物、柵列状遺構B群配置図~東偏

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 北区・H・K地区掘立柱建物、柵列状遺構C群配置図 ~西偏

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北区・H・K地区掘立柱建物、柵列状遺構A~C群配置図】と建物データ

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(3)上淀廃寺隣接地(6世紀末葉~)・・・F区第1平坦地とG区第1平坦地には,正方位の建物群があるが,その北の地区には西偏の居館群がある。

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【遺跡全体図】と建物データ

2019年11月25日 (月)

鳥取県の〈官衙遺跡〉 11/25

(1)馬場(8世紀前半~10世紀)・・・東偏の後に正方位。そしてまた東偏へ。

 Ⅰ期(7世紀後半~8世紀初め)・・・東偏

 Ⅱ期(8世紀初め~前半)・・・東偏

 Ⅲ期(8世紀前半~8世紀中葉 )・・・東偏

 Ⅳ期(8世紀後半~?)・・・ほぼ正方位

 Ⅴ期()・・・東偏

 

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【建物群の変遷図】と建物データ

★会下・郡家★ 11/25

(1)会下・郡家(弥生~江戸)・・・東偏の時期が2回あり,その間に正方位と西偏が挟まれるが,先後関係はわからない。

 8世紀以前・・・東偏(D区の様子から

 9世紀・・・正方位・西(先後関係は不明)(A1~3区の様子から)

10世紀・・・東偏(A区の様子から)

Img_5437

Img_5438

【すべての図】と建物データ

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昨日の最初が「(1)因幡国府」で,西偏→正方位というのが頭に残り,

(2)以降もそれが尾を引いたようです。

2019年11月23日 (土)

鳥取県の〈官衙遺跡〉 11/24

(1)因幡国府(8世紀~鎌倉)・・・A・B・C期は西偏で,D期はほぼ正方位にみえるが,年代が不明である。

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【遺構変遷図】と建物データ

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(2)会下・郡家(弥生~江戸)・・・D区では,8世紀以前で西偏。A区も10世紀以前西偏だが,以降は東偏となる。

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【A区遺構配置図1~5】【D区遺構配置図】と建物データ

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(3)上原(7世紀後半~10世紀)・・・A期の間ずっと西偏だったのが,B期でほぼ正方位に変わっている。二面廂のBS120(東西棟・1°E)は郡庁の正殿で,B期は9世紀。

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Ⅰ区中枢部遺構変遷図】と建物データ

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(4)上原西(9世紀)・・・SB301が0°であるが,年代が定かでない。

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Ⅱ区北部遺構図】と建物データ

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(5)戸島(7世紀中葉~10世紀後半)・・・「東西に伸びる西偏の官衙群」と「南北に伸びる西偏の官衙群」があると考えた。

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【遺構実測図】と建物データ

2019年11月22日 (金)

★鳥取県の〈寺院遺跡〉の集計 11/22★

【因幡国】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・

7世紀後半・・・土師百井廃寺(正方位)

7世紀末葉・・・栃本廃寺(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・上原(東・正方位)

8世紀半ば・・・因幡国分寺(東)

8世紀後半・・・岡益廃寺(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・上原(2回目の正方位)

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※ 寺内廃寺(8世紀初め,正方位と西。建物配置全体の方位はわからない)

※ 等々坪廃寺(7世紀。東偏)

 

【伯耆国】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・上淀廃寺隣接地(西)

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・野方・弥陀ヶ平廃寺(東)

7世紀後半・・・上淀廃寺(ほぼ正方位),大御堂廃寺(東),大原廃寺(正方位),斎尾廃寺(東),大寺廃寺(正方位)

7世紀末ば・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・石塚廃寺(東),伯耆国分寺(東)

8世紀中葉・・・法華寺畑(伯耆国分尼寺と同じ)

8世紀後半・・・伯耆国分尼寺(正方位・伯耆国庁を利用か)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・大日寺(10・11世紀・西)

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※ 国分寺北~9世紀(東の溝を正方位の溝が切っている)

※ 高田原〜正方位だが,年代不明

2019年11月18日 (月)

鳥取県の〈寺院遺跡〉 11/20

(1)法華寺畑(8世紀中葉~10世紀)・・・「法華寺畑遺跡の第Ⅱ期。改作し国分尼寺とする。国分寺の北東50m 」とあるので,遺構配置図と遺構変遷図は同じものです。つまり,役所としてつくられたものが,途中は尼寺として使われたので,こんな官衙風の伽藍をしていたということのようです。

Photo_20191118202101

Photo_20191118202201

【遺構配置図】【遺構変遷図】と建物データ

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(2)土師百井廃寺(7世紀後葉~9世紀)・・・建物データでみると,各伽藍が東偏のようである。

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建物データ

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(3)野方・弥陀ヶ平廃寺 (7世紀中頃~)・・・建物データの礎石建物(6個の礎石)から考えると,東偏か。

Photo_20191120071001

建物データ

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(4)斎尾廃寺 (7世紀後葉~)・・・東偏と考える。

Photo_20191120071901

【寺域図】と建物データ

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(5)高田原()・・・正方位と考えるが,時期不明

Photo_20191120072201

建物データ

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(6)大寺廃寺(7世紀後半~9世紀)・・・東偏と考える

Photo_20191120072801

【伽藍配置】と建物データ

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(7)坂中廃寺(8世紀前半~)・・・詳細不明

Photo_20191120073201

建物データ

島根県の〈寺院遺跡〉 11/18

(1)大原廃寺(7世紀後葉~)・・・1°未満のWなので,正方位と考える。

Photo_20191118012801

【遺構全体図】と建物データ

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(2)国分寺北(9世紀)・・・SB058は東偏のようだが,それ以外はほぼ正方位か。

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2次調査区全体図】と建物データ

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(3)大日寺(10・11世紀)・・・階段や石列もあるので,一応西偏の建物群の1つと考える。

 Photo_20191118014601

【遺構平面図】と建物データ

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(4)伯耆国分寺(奈良・平安(天暦2に火災の記録))・・・一見正方位に見えるが東偏か

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【伽藍配置】と建物データ

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(5)伯耆国分尼寺(8世紀後半~948年焼失)・・・正方位が中心だが,東偏の建物や策もある。

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Photo_20191118052601

【遺構平面図】【遺構変遷図】と建物データ

2019年11月17日 (日)

鳥取県の〈寺院遺跡〉 11/17

(1)栃本廃寺(7世紀末葉~9世紀末から10世紀初め)・・・金堂をはじめとして,東偏の伽藍配置。

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主要伽藍平面図】と建物データ

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(2)上淀廃寺(7世紀第4四半期~10世紀後半)・・・主要伽藍が1°Eなので,ほぼ正方位。

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遺跡全体図】と建物データ

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(3)上淀廃寺隣接地(6世紀末葉~)・・・ほとんどが西偏の建物の中に,多少の゜

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13次調査(F区)遺構全体図】と建物データ

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(4)石塚廃寺(8世紀前半)・・・「塔心礎の約25m北側に基壇状の高まりと数個の礎石ありという記述と図から,東偏に思うが断定はできない。

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【周辺の地形】と建物データ

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(5)大御堂廃寺(7世紀第4四半期~平安 )・・・伽藍配置が全体として3°Eの傾きをもっているので,東偏。

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【伽藍配置と建物データ】

2019年11月16日 (土)

鳥取県の〈寺院遺跡〉 11/16

(1)因幡国分寺(8世紀中ば~)・・・全体は正方位だが,塔は東偏。

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【伽藍配置】と建物データ

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(2)岡益廃寺(8世紀後半~)・・・金堂が東西棟・5°Eなので,東偏。

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中心伽藍遺構図】と建物データ

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(3)上原(7世紀後半~10世紀)・・・A1(8世紀前葉)~5期は,東偏と正方位,B期(9世紀)は正方位と西偏

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Ⅰ区中枢部遺構変遷図】と建物データ

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(4)寺内廃寺(8世紀初め~)・・・東偏におもえるが・・・。

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中央地区遺構平面図】と建物データ

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(5)等々坪廃寺(7世紀)・・・金堂跡の地業と思われるものが東偏なので,東偏。

Photo_20191116085401

掘込地業検出地区平面及び断面実測図】と建物データ

2019年11月15日 (金)

島根県の〈官衙遺跡〉の集計 11/15

【出雲国】

 

5世紀末葉・・・矢野(5世紀台。西)

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・三田谷Ⅰ(西)

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・郡垣(西)

8世紀初頭・・・出雲国府(「九州王朝」の東)

8世紀前半・・・出雲国府(「近畿王朝」の正方位),下黒田(東)

8世紀半ば・・・芝原(東)

8世紀後半・・・後谷(正方位),古志本郷(正方位・西)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・青木(9世紀初頭。西偏⇒少しあと正方位)

         甲ノ原(9世紀末葉以前。東・正方位が混在で,先後関係は不明)

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※ 布田(8世紀とあるが,年代確定できず)

※ 山代郷正倉(8世紀~10世紀)(東)

※ 天神(奈良時代~中世とあるが,年代確定できず。方位も全体図なし)

※ 半田浜西(全体像不明。方位判定は無理)

 

【石見国】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・

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石見国が「なし」になってしまいました。

 

【隠岐国】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・

7世紀後半・・・

7世紀末ば・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀中葉・・・

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・甲ノ原(9世紀末葉前後。東偏が多いが,正方位も。先後関係不明)

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※ 門(8世紀~。集落か。建物の方位バラバラ)

※ 尼寺原(年代判定なし。東・西混在)

2019年11月14日 (木)

島根県の〈官衙遺跡〉 11/14

(1)門(8世紀~)・・・年代の書いてあるSB04が7~8世紀の東偏建物で,SB01とSB06(四面廂)が8世紀以降の西偏建物なので,東→西という変化か。

Photo_20191114061401

【遺構配置図】と建物データ

ここまで出雲。

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(2)甲ノ原(9世紀末葉以前~以後)・・・3つの調査区を考え合わせると,東偏が中心。

 第5調査区のSB02(9世紀末葉以前)が脇殿の長舎と考え,それに対応する正殿は東偏か。

 第6調査区のSB10・11らが,「~9世紀末葉」に続き,東偏。SB06等の建物がその後で「9世紀末葉以降 」で,東偏。

 第7調査区のSB15とSB16が西偏に思えるが,年代が不明。

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【遺構配置図】と建物データ

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(3)尼寺原(古墳時代後期~平安時代)・・・年代が不明

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 蔵見口地区遺構実測図 ~全体構成が東偏か

 尼寺原地区遺構実測図 ~全体構成が西偏か

【掘立柱建物配置図】と建物データ

以上,隠岐。

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これで島根県の〈官衙遺跡〉は終了です。

2019年11月 8日 (金)

島根県の〈官衙遺跡〉 11/8

(1)三田谷Ⅰ(古墳時代中期~平安)・・・西偏と考える。

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掘立柱建物配置図】と建物データ

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(2)天神(奈良時代~中世)・・・(←)左の年代を確定する資料は何なんだろうか?

建物データ

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(3)矢野(古墳時代~奈良)・・・古墳時代後半の四面廂SB2156が東西棟・8°Eなので,東偏。

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B区遺構配置図】と建物データ

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(4)半田浜西(古墳時代中期)・・・SB01の1棟だけでは,方位はわからないか。

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【遺構平面図】と建物データ

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(5)郡垣(7世紀末~)・・・官衙のスタイルを保った東偏の建物群(7世紀末葉~8世紀前葉

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【遺構変遷図】と建物データ

2019年11月 7日 (木)

★島根県の〈官衙遺跡〉 11/7★

(1)青木(8世紀後半~9世紀前半)・・・ほぼ正方位と西偏が混じる。混じっているⅣ区を見てみると,ほぼ同じ時期に建築されている。

・ほぼ正方位~SB02・・・神亀3年~天平8年に建築。 

SB04・・・神亀3年~天平8年に建築。 

・西偏~SB03・・・神亀3年~天平8年に建築。 

・SB05・・・神亀3年~天平8年に建築。

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【Ⅳ区全体図】【Ⅳ区方形貼石区画全体図】と建物データ

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(3)古志本郷 (奈良)・・・東偏・正方位・西偏の3つが混じる。西→東→正方位→西か

・西偏~HⅡ地区SB06.10.13(7世紀第1~3四半期),G2区SB11と12(7世紀後半~)

・東偏~G3区SB17が南北棟・12W(8世紀前半)

・正方位~F区SB01が0°(8世紀),J区SB01が0°とJ区SB02が0°(8世紀後半~)

・西偏~G1区得SB10・20(8世紀後半),H2区SB07(8世紀後半)

 

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遺構の主軸方位区分図】と建物データ

2019年11月 6日 (水)

島根県の〈官衙遺跡〉11/6

石見は該当のものがないので,また出雲に戻っています。

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(1)青木(8世紀後半~9世紀前半)・・・西偏。石敷き遺構が気になるところです。

Ⅰ・Ⅳ区全体図 】と建物データ

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(2)後谷()・・・SB01(8世紀後半~9世紀)などが,ほぼ正方位で並んでいる。

建物遺構配置図】と建物データ

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(3)古志本郷 (奈良)・・・南北棟・SB10と20,南北棟・SB07と18の組み合わせに対応する中心建物を西偏と考えるので,西偏。

Etc3

【遺構の主軸方位区分図】と建物データ

2019年11月 4日 (月)

島根県の〈官衙遺跡〉 11/5

(1) 出雲国府(7世紀末~10世紀)

 古墳時代~西偏の堀が多数見られる

 Ⅰ期~六所脇地区に西偏の建物が出現する

 Ⅱ期(16号建物が8世紀第1四半期)~日岸田地区に東偏の建物群,宮の後地区に正方位の建物(+石敷遺構)  ★九州王朝か

 Ⅲー1期(掘立柱の1号建物が8世紀後半)~大舎原地区に正方位の四面庇建物(+石敷遺構)  ★近畿王朝か

 Ⅲー2期(礎石の1号建物が9世紀前半)(+護岸状施設)

 Ⅳ・Ⅴ・Ⅵはほとんど賑わいの様子が見られない

【主要地区遺構変遷図1・2】と建物データ

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(2) 芝原(7世紀前半頃~9世紀)・・・一番の充実期では,西偏

【建物配置(南部)】と建物データ

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(3) 下黒田(8世紀前半)・・・中心建物SB01が西偏なので

【遺構全体図】と建物データ

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(4) 布田(8世紀)・・・中心建物がcSB01が西偏なので

【遺構配置図】と建物データ

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(5) 山代郷正倉(団原)(8世紀~10世紀)・・・建物群が全体として東偏しているので

【主要遺構配置図】と建物データ

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ここまで出雲

★島根県の〈寺院遺跡〉の集計 11/4★

【出雲国】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・来美廃寺(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・出雲国分寺(東),出雲国分尼寺(西),四王寺跡(東)

8世紀後半・・・堤平(西)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・

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※ 長者原廃寺(?)西偏

※ 天王平廃寺(8世紀)東偏

※ 小野・稲城遺跡 島根県出雲市斐川町出西字稲木
図4小野遺跡10区遺構平面図から西偏。年代は8世紀~  ※※←8世紀のいつ頃か不明なので,入れてありません
※ 天寺平廃寺 島根県出雲市斐川町阿宮天寺平
図2伽藍配置から西偏。年代は不明。

 

 

【石見国】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・下府廃寺(東)

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・石見国分寺(正方位)

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・

 

【隠岐国】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・隠岐国分寺(東),隠岐国分尼寺(西)

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・

2019年11月 3日 (日)

島根県の〈寺院遺跡〉 11/3

(1)隠岐国分寺(8世紀~)・・・金堂が東西棟・4°Wなので,西偏(間違い)と思ったが,図面は東偏のようだ。

Photo_20191103003001

隠岐国分寺遺構配置図】と建物データ

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(2)隠岐国分尼寺(8世紀~)・・・西偏のように見えるが,1971年の図なので,東偏か

Photo_20191103004201

隠岐国分寺遺構配置図】と建物データ

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これで隠岐はおわりです。

2019年11月 2日 (土)

島根県の〈寺院遺跡〉 11/2

(1)石見国分寺(8世紀中葉~)・・・塔の方位が真北なので,正方位

Photo_20191102060901

建物データ

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(2)下府廃寺(8世紀初め)・・・金堂・塔ともに東偏

Photo_20191102061701

【伽藍配置】と建物データ

ここまで石見。また出雲に戻る

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(3)長者原廃寺()・・・一棟しかないが,鬼瓦の出土があるので中心建物と考え,西偏

Photo_20191102062601

【遺構図】と建物データ

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(4)天王平廃寺(8世紀)・・・東偏に見えるが,建物データは西偏

Photo_20191102063801

【遺構全体図】と建物データ

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(5)半田浜西(古墳時代中期)・・・

Photo_20191102065601

【遺構平面図】と建物データ

2019年11月 1日 (金)

島根県の〈寺院遺跡〉 11/1

(1)出雲国分寺(8世紀半ば~)・・・金堂・講堂・僧房とも東偏

Photo_20191101091401

現況平面図】と建物データ

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(2)出雲国分尼寺(8世紀半ば~)・・・地業跡の方位から,東偏

Photo_20191101092801

【遺構全体図】と建物データ

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(3)来美廃寺(7世紀末葉~11世紀末葉焼失)・・・中心伽藍(金堂)と思われる建物から東偏と考える。

Photo_20191101093601

【伽藍配置】と建物データ

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(4)四王寺跡(8世紀中葉~)・・・ 基壇跡が東西棟・9°Eなので東偏

Photo_20191101094301

建物データの図1

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(5)堤平(8世紀後葉~)・・・中心建物が東偏なので

Photo_20191101101801

【建物配置図】と建物データ

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ここまで出雲

徳島県の〈官衙遺跡〉の集計 11/1

【阿波国】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・敷地(西)

8世紀前半・・・庄(東)

8世紀半ば・・・観音寺(正方位)

8世紀後半・・・矢野(西)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・

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※ 名東・・・西偏だが,年代不詳

※ 黒谷川宮ノ前・・・西偏が9~10世紀なので,正方位は8世紀か

※ 大柿(平安後期?)・・・正方位→東偏。ただし,年代不詳

 

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