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2019年10月 8日 (火)

愛媛県の〈寺院遺跡〉の集計 10/8

【伊予国】

 

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・来住廃寺(正方位),他中廃寺(東),法安寺(正方位)

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・伊予国分寺(正方位)

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

伊予国分寺を7世紀の半ばにいれた理由は?単なる間違いでしょうか。
8世紀半ばに入れておくのが良いとおもいます。

伊予の寺院は7世紀後半に正方位が出現。50年編年がずれていることで良いと思います。
それにしても讃岐には正方位の寺院がなかった(国分尼寺以外は)のと好対照ですね。伊予は讃岐よりも九州王朝の影響力が強い地域だったということかな?

あわてないで愛媛県の官衙遺跡をやってください。
例の久米官衙遺跡群もあるので、大事なところです。

追伸と訂正

 香川県・讃岐の国は九州王朝の影響がすくなかったか?としましたが、間違いですね。
 寺院では讃岐国分尼寺だけでしたが、官衙遺跡では国府を初め多くの九州王朝時代の正方位の遺構がありますから。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 伊予国分寺を7世紀の半ばにいれた理由は?単なる間違いでしょうか。

間違いです。

〉 あわてないで愛媛県の官衙遺跡をやってください。
例の久米官衙遺跡群もあるので、大事なところです。

そうでした。寺院→官衙→寺院→官衙。

〉  香川県・讃岐の国は九州王朝の影響がすくなかったか?としましたが、間違いですね。
 寺院では讃岐国分尼寺だけでしたが、官衙遺跡では国府を初め多くの九州王朝時代の正方位の遺構がありますから。

なるほど。また,遺跡に教えてもらいましたね。

肥沼さんへ

 訂正ありがとうございます。
 伊予国においては正方位と東偏が7世紀後半に共存しています。ということはこの時期が東偏⇒正方位への変化の時期であったということでしょう。
 編年を50年上げれば7世紀前半。

 伊予国分寺は正方位。近畿王朝時代の8世紀半ばでないとしたら、7世紀前半になるが、そうなると白鳳瓦が出ていることをどう判断するのか。7世紀前半に正方位で作られたときは素弁蓮華文だったのが7世紀後半の白鳳期に単弁もしくは複弁に葺き替えられたということでしょうかね。
 白鳳瓦の出土状況とその瓦を知りたいものです。

白鳳瓦は単弁蓮華文軒丸瓦と複弁蓮華文軒丸瓦。時代的には7世紀中頃から末。
 九州王朝の末期から、白村江の敗戦を経て近畿王朝に権力が移行する過渡期。王権のありかとしてはまだ九州王朝時代。
 伊予国分寺が正方位で白鳳瓦が出土していること。
 九州王朝の影響力が強かった伊予ですから、権力移行期の7世紀後半から末に、国府付属寺院として「伊予国寺」がつくられた可能性も見ておかないといけないと思いました。
 つまりこの寺は創建時から単弁蓮華文軒丸瓦だったと。7世紀後半の寺だと。
 この7世紀後半から末の正方位の建物を全部近畿天皇家のものと決めつけないで。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  この7世紀後半から末の正方位の建物を全部近畿天皇家のものと決めつけないで。

はい,わかりました。

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