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2019年9月27日 (金)

★★稲木(B)★★

建物データに載っていた年代を書き込んでみました。

Img_4656

Ⅷ期は「平安時代前期~中期」なので,置くとしても,

基本データに「7世紀末~8世紀初」とあるのに,

建物データには「7世紀」「7世紀中頃」「7世紀後半~末」があるのか不審である。

まだ基本データが「7世紀初頭~8世紀」なら,

Ⅲ期を正方位を「7世紀初頭~前期」と判断する余地もあるが…。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 全部年代を入れてみるとおかしいのはⅣ期ですね。ここに7世紀末の建物があって、次のⅤ期Ⅵ期Ⅶ期には7世紀中頃の建物がある。
 これでは変遷図がおかしいということになってしまう。
 ここをどう考えるか。

 変遷図はおそらく建物の柱穴の切りあい状態を見て作ったものと思います。その結果各時期の建物の方位がほぼ同じになっているので、この柱穴の切りあい状態による先後関係の判断は間違っていないと思います。
 全部に方位を入れてみるとわかるが、
 Ⅲ期:正方位 Ⅳ期:西偏7~13度 Ⅴ期:西偏41°~45° Ⅵ期:西偏32°から37° Ⅶ期:西偏24°から34°
 Ⅷ期:西偏24~27
 前のコメントにも書きましたが、掘立柱建物の年代判定は難しい。
 柱穴に残った土器や瓦が、柱を建てた際に入れられたものか、柱を抜いた際に混入したか、この判別が難しい。
 これを頭に置いてみれば、Ⅳ期にある7世紀末との建物の年代は、柱を抜いた際、つまりこの建物群が廃絶した際に混入したと考えることができる。
 そうするとⅣ~Ⅶ期の西偏の建物群の年代は、確実なのは7世紀中葉だということ。そしてこの大規模な官衙が7世紀末に廃絶した後でできた建物がⅧ期の平安時代前半から中ごろの物ということになる。

 以上のように考えていくとⅢ期の正方位の年代が判定できる。
 Ⅲ期:正方位建物群 7世紀前半

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  変遷図はおそらく建物の柱穴の切りあい状態を見て作ったものと思います。その結果各時期の建物の方位がほぼ同じになっているので、この柱穴の切りあい状態による先後関係の判断は間違っていないと思います。

たとえ間違っていないにしても,変遷図を見て信じてしまう人もいるので,
「もしかしたら混入かもしれない」というコメントがほしいと思いました。

肥沼さんへ

 奈文研のデータベースは、元の報告書の抜粋にすぎません。もしかしたら元の報告書にはそうした「混入」問題が書いてあったかもしれませんね。
 でも柱穴を抜いたときに土器や瓦が混入するということは、考古学では常識の部類ですから、書いてないというのが本当のところでしょう。

 もう一点。
 肥沼さんが「基本データに「7世紀末~8世紀初」とあるのに,建物データには「7世紀」「7世紀中頃」「7世紀後半~末」があるのか不審である。」と言っていた件。
 これも奈文研のデータは元の報告書を写したものですから、データベースにする際に、担当者が読み間違い・書き間違いをした可能性も大です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

なるほど。
調査報告書・奈良文研のデータベース・私たちの精査の3つが,
うまく総合されるといいですね。

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