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2019年8月

2019年8月31日 (土)

熊本県の〈官衙遺跡〉の集計 8/31

【肥後】

 

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・新御堂(東),鞠池城(西)

7世紀末葉・・・鞠池城(東・正方位が入る)

8世紀初頭・・・鞠池城(東)

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・二本木(正方位)

8世紀後半・・・神水(東),本庄(正方位),うてな(東)

8世紀末葉・・・鞠池城(正方位)

9世紀以降~・・・本庄(西),二本木(東→西),上鶴頭(東),曲野(西)

※ 鞠池城(9世紀第4四半期~10世紀第3四半期)(西)

2019年8月30日 (金)

熊本県の〈官衙遺跡〉 8/30

(1)新御堂7世紀後葉~8世紀)・・・建物データによると,遺構1は南北棟・20°Eなので,これを正殿とすれば西偏。

【遺構配置図】と建物データ

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(2)鞠智城7世紀後半~9世紀後半)・・・第Ⅰ期(7世紀第3四半期~8世紀初め) 西偏

                     第Ⅱ期(8世紀初め~8世紀第1四半期前半 ) 東偏に正方位が入る

                     第Ⅲ期(8世紀第1四半期後半~8世紀第3四半期 )東偏              

                     第Ⅳ期(8世紀第4四半期~9世紀第3四半期) 正方位

                     第Ⅴ期(9世紀第4四半期~10世紀第3四半期)西偏

【遺構変遷図】と建物データ

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(3)うてな(8世紀後半~9世紀後半)・・・遺構配置図(七ツ枝Ⅱ区 の南方にある三島3棟がコの字に見えるので,西偏

遺構配置図(七ツ枝Ⅱ区)】と建物データ

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(4)上鶴頭(平安前(9世紀前半~後半))・・・ロの字型の作りと見て,磁北なので,西偏

建物変遷図】と建物データ

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(5)曲野(平安時代)・・・北東隅の四面廂?の総柱建物(望楼状)を考えると,南北棟・24°Wなので,東偏

【遺構変遷図】と建物データ

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これで熊本県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

次回は,集計します。

2019年8月29日 (木)

熊本県の〈官衙遺跡〉8/29

(1)黒髪町遺跡群 (8世紀初め)・・・2号掘立柱建物は,南北棟・11.5°で,東偏

遺構平面図(北地区0425地点)】と建物データ

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(2)神水(8世紀後半~9世紀後半)・・・ロの字型の官衙遺跡の南門付近。5~6度西偏。

建物配置図】と建物データ

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(3)本庄(奈良時代~平安時代)・・・5号掘立柱建物の規模が大きそうなので,中心建物とみて西偏。

9801地点遺構配置図】と建物データ

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(4)二本木(8世紀中葉)・・・1号建物が東西棟・1°Eで,正方位またはほぼ正方位。

遺構変遷図】と建物データ

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(5)沈目(9世紀~10世紀)・・・Ⅰ期(9世紀後半) 36E・39E・44E 大きく東

                  Ⅱ期(9世紀末) 30W・30W   大きく西

                  Ⅲ期(10世紀初) 6E・10E・15E・20E  東

                  Ⅳ期(10世紀前半) 正方位・2E・8E・10E  東

                  Ⅴ期(10世紀中葉~後半)3W・5W・6W・7W・10W・18W・29W 西

遺構変遷図】と建物データ

 

熊本県の〈寺院遺跡〉の集計 8/29

【肥後】

 

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・立願寺廃寺(東・観世音寺式)

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・大江遺跡群(西),陣内廃寺(ほぼ正方位)

8世紀前半・・・水前寺廃寺(西)

8世紀半ば・・・肥後国分寺(西)

8世紀後半・・・浄水廃寺(かなり西)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・池辺寺跡(正方位・東が正面),稲佐廃寺(正方位)

※ 渡鹿廃寺(~平安中期)(正方位)

2019年8月28日 (水)

熊本県の〈寺院遺跡〉 8/28

(1)池辺廃寺(9世紀)・・・正堂である四面廂のSB‐01を中心として考えると,南北棟・2°Eなのでやや西偏かほぼ正方位

【礎石建物復元図】と建物データ

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(2)陣内廃寺(8世紀~ )・・・図の年代から磁北と思われるので,やや東偏かほぼ正方位

陣内廃寺伽藍配置復原図】と建物テータ

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(3)興善寺廃寺(8世紀後半~平安末葉に焼失か)・・・方位が出ておらず,発掘の様子も分からず,方位の判定不能

【伽藍復元図】

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(4)立願寺廃寺(白鳳時代~奈良時代)・・・Ⅰ期(金堂)・・・7世紀末葉~8世紀初め (やや東偏),

                     Ⅱ期(講堂)・・・8世紀初め~8世紀中葉 (東偏)

調査地配置図】と建物データ

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(5)浄水廃寺(奈良時代後葉~平安時代)・・・唯一の建物データの建物(塔)は,南北棟・3°E。さらに磁北とすると,東偏

建物データ

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(6)稲佐廃寺 (平安時代初期)・・・図の年代から磁北と見て,東偏と思ったが,「座標北」が真北のことなら,正方位

稲佐廃寺復原図】と建物データ

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これで,熊本県の〈寺院遺跡〉はおしまいです。

次回に集計します。

 

2019年8月27日 (火)

熊本県の〈寺院遺跡〉 8/27

(1)大江遺跡群(8世紀~9世紀)・・・69次A・Bで,東偏15°くらいの建物が多い。東偏

3つの【遺構平面図】と建物データ

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(2)陳山廃寺()・・・これだけの発掘で「想定」してしまっていいのかと思うが,いいならやや西偏かほぼ正方位

伽藍の想定および検出遺構

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(3)水前寺廃寺(8世紀前葉?~9世紀)・・・塔を中心建物と考え,南北棟・3°Wなので,やや東偏かほぼ正方位。

【第1・2次調査区遺構配置図 】と建物データ

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(4)渡鹿廃寺 (~平安中期)・・・磁北と考えると,塔の南北棟・7°Eは,ほぼ正方位。

調査地点と伽藍復原図】と建物データ

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(5)肥後国分寺(8世紀中葉)・・・磁北とすれば,やや東偏かほぼ正方位

塔院・講堂復元図】と建物データ

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(6)肥後国分尼寺()・・・正方位かほぼ正方位

肥後国分尼寺復原図】と建物データ

鹿児島県の〈官衙遺跡〉の集計 8/27

【薩摩】

 

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・敷領(西)

8世紀初頭・・・薩摩国府(ほぼ正方位)

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・ 

8世紀後半・・・建山(奈良時代ヵ平安時代)(西)

8世紀末葉・・・小瀬戸(奈良末~平安)(西)

9世紀以降~・・・ 西ノ平(西),成岡・北部(西),成岡・南部(東)

 

【大隅】・・・1つもなしでした

 

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・ 

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・

2019年8月26日 (月)

鹿児島県の〈官衙遺跡〉 8/26

(1)西ノ平(9世紀~12世紀代)・・・北半で,建物11のEはWの間違いか。すると,20°台のWと40°前後のWの

  2つの時代がWでありそう。それらと直交する建物の(東偏)のものが見つからないが,東偏で。同じ理屈で,南半も東偏。

奈良~鎌倉時代遺構配置図(南半)】【奈良~鎌倉時代遺構配置図(北半)】と建物データ

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(2)建山(奈良時代ヵ平安時代)・・・四面廂の6号掘立柱建物は,斜め・40°Wということなので,東偏と考えました。

古代、中世遺構配置図】と建物データ

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(3)大隅国府()・・・大隅国府が正方位の街の中に.大隅国分寺が東偏のの中に別個にあるように見えますが…。これは現代ののか?

【遺跡の位置】【条坊復元図(想定)

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(4)小中原(8世紀~9世紀)・・・Ⅰ期ではっきり建物データで数値が出ているのが,24°E。Ⅱ期では片廂建物の8°Wなど。

東偏➙西偏への変化か。

【1・2次調査区遺構変遷図】と建物データ

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(5)山野原(9世紀以降~)・・・Ⅰ群(35.5°E,41°W,7.5°E)

                 Ⅱ群(5.5E,25°W)

                 Ⅲ群(2°E,5°E,4°E,41.5°W,28°W)

                 Ⅳ群(15.5E)

ということで,各群に別の方位が入っている。西偏➙東偏の流れの時期の遺跡か?

【遺構平面図】と建物データ

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(6) 小瀬戸(奈良末~平安)・・・建物跡1が東西棟・20°W,建物跡2が南北棟・24°Wで,両者はほぼ直交しているので,

建物1をメインと考えると東偏。建物2をメインと考えると西偏か。

【遺構平面図】と建物データ

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これで鹿児島県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

次回,この集計をします。

2019年8月25日 (日)

鹿児島県の〈官衙遺跡〉 8/25

(1)湯屋原()・・・掘立柱建物6が四面廂で,南北棟・7°Eなので,これを取れば西偏。

掘立柱建物遺構配置図】と建物データ

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(2)敷領(7世紀末葉~9世紀後半)・・・1~3号建物が,南北棟・東西棟・東西棟なので,配置不明だか,

  もしかしたらコの字ができる可能性も。

【遺構全体図】と建物データ

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(3)橋牟礼川 (8世紀~9世紀)・・・太い道に面している一番南の建物を中心とみれば,東偏。

【遺構全体図】と建物データ

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(4)薩摩国府(8世紀~平安)・・・建物データに出ている建物は磁北だと思われるので,正方位かほぼ正方位。

薩摩国府・国分寺推定図】と建物データ

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(5)成岡(平安時代後期~鎌倉時代)・・・建物6と建物7が直交にた近く,総柱だが,倉ではなく低床張りと思われ,これを中心建物と考えると西偏。

平安時代後期~鎌倉時代】と建物データ

鹿児島県の〈寺院遺跡〉の集計 8/25

【薩摩】

 

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・ 

8世紀後半・・・薩摩国分寺(ほぼ正方位)=観世音寺式

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・ 市ノ原(ほぼ正方位)

 

【大隅】

 

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・ 

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・

2019年8月24日 (土)

鹿児島県の〈寺院遺跡〉8/24

(1)薩摩国分寺(8世紀後半)・・・建物テータでは,金堂は8世紀後半に東西棟・4°Eということだが,

  1985年の測定らしいので磁北だろう。すると,正方位かほぼ正方位?

【伽藍配置図】と建物データ

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(2)市ノ原(9世紀後半~10世紀前半)・・・四面廂建物を中心建物としたいが,東西棟・90°Eとは「東が正面」ということか。

  すると西偏?

【遺構配置図】と建物データ

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これで鹿児島県の〈寺院遺跡〉はおしまいです。

次回は,集計します。2つしかありませんが・・・。

宮崎県の〈官衙遺跡〉の集計 8/24

【日向】

 

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・日向国府(政庁・官衙地区)(正方位・ほぼ正方位→10世紀までには東偏に)【8/24訂正】

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・ 

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・馬渡(東),大島畠田(東)

※ 尾花A(場所により,3方位の痕跡と思しきものあり)・・・年代は確定できないが,西偏➙東偏➙正方位か

2019年8月23日 (金)

宮崎県の〈官衙遺跡〉 8/23

(1)大島畠田(10世紀代を中心に13世紀まで)・・・Ⅰ期(東)➙Ⅱ期(西)➙Ⅲ期(西)➙Ⅳ期(西)

【建物変遷図】【建物配置図】と建物データ

Ⅰ期・・・SB26が東西棟・6.5°E(東)・・・9世紀第2四半期

Ⅱ期・・・SB10が南北棟・11°E(西)

Ⅲ期・・・SB1の四面廂が南北棟・12.5°E(西)

Ⅳ期・・・片廂のSB2が南北棟・14,5°E(西)・・・10世紀前葉

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(2)馬渡(9世紀中頃~10世紀初頭)・・・四面廂のSB2が中心的建物。東西棟・6°Eなので,東偏

【全体図】と建物データ

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(3)日向国府(政庁・官衙地区)(7世紀中葉~10世紀)・・・正方位・ほぼ正方位→東偏

【遺構全体図】と建物データ

Ⅰa期(前身官衙)・・・東西棟・0°・・・7世紀末葉~8世紀中葉   ※4面廂か

Ⅰb期 同上

Ⅰc期 同上

Ⅱa期(国庁・正殿)・・・東西棟・1°E・・・8世紀後半       ※二面廂

Ⅱb 同上               8世紀末葉~9世紀初め

Ⅱc 同上               9世紀中葉       ※ここから礎石

Ⅱd 同上               9世紀末葉~10世紀前半   

Ⅲ期

            東西棟・8°E  11世紀末葉~12世紀初め   ※二面廂                

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)尾花A(古墳時代前期~)・・・建物データには四面廂の「1-SB2 」しか出ていないが,東西棟・1°Eを信じて,ほぼ正方位

【遺跡全体図】と建物データ

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これで,宮崎県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

次回に,その集計をします。

宮崎県の〈寺院遺跡〉の集計 8/23

【日向】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・日向国分寺(正方位。前身寺院は東で,正方位の後はまた東へ?)  

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・下北方塚原第2 (東)

2019年8月22日 (木)

宮崎県の〈寺院遺跡〉 8/22

(1)下北方塚原第2 (9世紀後半)・・・2つの東西棟・Eの建物。これに直交するようなメイン建物があれば西偏だが,

  時期としては東偏か。

【建物配置図】と建物データ

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(2)日向国分寺(741から756年の間に建立~10世紀初め)・・・何回も建て直されているが,他の建物の方位から東偏だった時期はある模様。

  「東偏→正方位→西偏→東偏」の歴史があったかも。

中心伽藍遺構図】と建物データ

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(3)日向国分尼寺()・・・日向国分寺から北方600mのところにある宮崎県立妻高等学校の敷地か

【】

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宮崎県の〈寺院遺跡〉は3つだけでした。

そこで,やってみることにしました。

次回は,集計と〈官衙遺跡〉をします。

2019年8月21日 (水)

福岡県の〈官衙遺跡〉の集計➁ 8/18【8/22改訂版】

【筑前】

~6世紀半ば・・・鹿部田渕(西),練原(西)

6世紀後半・・・比恵(東),柏原遺跡群柏原M(東),黒山遺跡群(西)

7世紀初頭・・・杷木宮原(西)

7世紀前半・・・尾崎・天神(東)

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・大宰府・政庁Ⅰ(正方位),阿恵Ⅰ(西),那珂遺跡群(東→正方位),井尻B遺跡群(東→正方位),

  鴻臚館(北館はやや西。南館はやや東),小郡官衙Ⅰ(東),城田(東),堂原(東),大迫(正方位。砦か),

  志波岡本(東),志波桑ノ本(東)

7世紀末葉・・・阿恵Ⅱ(東)小郡官衙Ⅱ(東),有田・小田部(東・正方位・西)西は「孝徳の難波長柄豊崎宮」か,

  (7世紀末葉~8世紀中頃)

8世紀初頭・・・大宰府・政庁Ⅱ(正方位)大宰府・条坊(正方位),都地(東),八並(西),内橋坪見(西)

8世紀前半・・・2つの大宰府・客館(正方位),阿恵Ⅲ(東),鴻臚館(北館も南館も,ほぼ正方位),三月田(正方位)

8世紀半ば・・・阿恵Ⅳ(西),小郡官衙Ⅲ(正方位),麦野(西),下遺跡群小倉(東)

8世紀後半・・・吉崎(西),柏原遺跡群柏原M(西),城田(東),井出野(西)「斉明の朝倉橋広庭宮」, 

  宮野脇(西),八並遺跡群(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・大宰府・政庁Ⅲ(正方位),湯納(西),清末(西),田村遺跡群(西),野芥(ほぼ正方位),

  東入部遺跡群(東),波多江(西),竹戸(西)

※ 才田・・・7~8世紀(東・正方位),11~13世紀(東)

 

【筑後】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・筑後国府先行Ⅰ(東)

7世紀後半・・・筑後国府先行Ⅱ(東・正方位),ヘボノ木・南地区(正方位),上岩田西(西)

7世紀末葉・・・筑後国府Ⅰ(正方位),上岩田(東)

8世紀初頭・・・上岩田(正方位),下高橋官衙・正倉院(正方位),下高橋官衙・官衙(東)

8世紀前半・・・上岩田(西)

8世紀半ば・・・道蔵(東),野瀬塚(東・正方位~9世紀中葉),ヘボノ木・中央地区(正方位)

8世紀後半・・・筑後国府Ⅱ(西),道蔵(正方位),ヘボノ木・北地区(東),下高橋馬屋元(西)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・筑後国府Ⅲ(10世紀・西),道蔵(西),黒土・新替(正方位)

 

【豊前】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・下唐原伊柳(東)

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・豊前国府(Ⅰ期ほぼ正方位),フルトノ(西)

7世紀後半・・・大ノ瀬下大坪Ⅰ期(東),池ノ本(東),★竜王畑Ⅰ期(ほぼ正方位)

7世紀末葉・・・福原長者原官衙(東),ハカノ本(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・大ノ瀬下大坪Ⅱ・Ⅲ(東)

8世紀半ば・・・大ノ瀬下大坪Ⅳ(西),豊前国府(Ⅱ期わずかに西),★飯塚(西)   

8世紀後半・・・古川西(東),★竜王畑Ⅱ期(東),★久末京徳(西)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・豊前国府(Ⅲ期わずかに西),★竜王畑Ⅲ期(東)

大分県の〈官衙遺跡〉の集計 8/22

【豊後】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・古国府遺跡群(東)

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・城原・里(里地区Ⅰ期・東,城原地区Ⅱ期・竪穴だけ),羽屋・園(東),

  羽屋・井戸遺跡(東→正方位),石田(東)

7世紀末葉・・・城原・里(里地区ⅡⅢ期・東,城原地区Ⅲ期・東)

8世紀初頭・・・丹生川坂ノ市条里(東)

8世紀前半・・・城原・里(里地区Ⅳ期・正方位,城原地区Ⅳ期・東),長者官衙屋敷(ほぼ正方位)

8世紀半ば・・・ 下部(西),城原・里(里地区Ⅴ期・正方位,城原地区Ⅴ期・東)   

8世紀後半・・・地蔵原(東),小迫辻原(西),会下(東)

8世紀末葉・・・大友府内町A期(西),上城(西)

9世紀以降~・・・上野遺跡群(東),大友府内町B期(東)

※ 大友府内町・・・正方位(8世紀末以前)→西偏(8世紀末から9世紀初)→東偏(9世紀初~中)の変遷か

大分県の〈官衙遺跡〉8/21

(1)飯塚(8世紀中頃~10世紀代)・・・SB2が他の建物の中心(直交関係)にあるように見えたので,それをとって

  東西棟・10°Wなので西偏

平成4年度調査区遺構配置図】と建物データ

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(2)久末京徳(8世紀後半~9世紀後半)・・・南群にあるコの字型の官衙のような建物群=西偏。北群の建物=西偏。いずれも西偏。

  第1段階(南群が発展)➙第2段階(南群が発展)➙第3段階(北群が発展)か

遺構変遷図】と建物データ

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(3)会下(8世紀後葉~9世紀)・・・最大面積であり,唯一の片廂建物である13号を尊重して,東偏。

遺構平面図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで大分県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

次回は集計します。

 

2019年8月20日 (火)

大分県の〈官衙遺跡〉8/20

(1)大波羅(8世紀中葉~後半)・・・A区とB区とD区に,南北に長い建物の存在が考えられ,それに直交して対応する

  建物があるとみて,ほぼ正方位ではないか。

遺構平面図

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(2)小迫辻原(8世紀後半~9世紀)・・・片廂の3号建物(東西棟・4°W)を中心建物と考えて,西偏か

遺構平面図(古代)】と建物データ

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(3)石田(7世紀後葉~8世紀中葉)・・・建物の「格」からいうと,四面廂を中心としたくなるが・・・。東偏

時代別遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)上城(8世紀末葉~9世紀前半)・・・2棟の建物は西を向いているが,堀の切れ目を入り口と考えて,奥に東偏の建物か。東偏。

遺構全体図(時期別)】と建物データ

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(5)別府()・・・SB01が南北棟・37°Eというのと,廂付き建物の一部の向きから考え,西偏か。

遺跡調査区位置図及び遺構分布図】と建物データ

2019年8月19日 (月)

大分県の〈寺院遺跡〉8/19

(1)丹生川坂ノ市条里 (8世紀~10世紀)・・・川に沿った条里なので,流れが変わると建て方も変化する?

第4地点遺構変遷図】【第7・8地点遺構変遷図】と建物データ

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(2)羽屋・園(7世紀後半.8世紀)・・・SB003を中心と考えると西偏だが,自信があるというわけではない。

【遺構配置図】と建物データ

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(3)古国府遺跡群(6世紀後半~7世紀前半)・・・柵の中にコの字に囲まむようにして,中心建物がある。東偏

15次調査遺構変遷図】と建物データ

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(4)竜王畑(7世紀末葉~8世紀初め、8世紀後半~10世紀前半)・・・Ⅰ期(7世紀後半)・やや西偏→Ⅱ期(8世紀後半)・西偏

  →Ⅲ期(9世紀後半~10世紀前半)・東偏

【遺構変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)長者官衙屋敷(8世紀前半~10世紀前半)・・・ほぼ正方位

遺構平面図(古代)】と建物データ

★★★福岡県の〈寺院遺跡〉の再集計★★★ 7/11【8/18改訂】

★★★福岡県の〈寺院遺跡〉の再集計★★★ 7/11【8/18改訂】





先日の福岡県の〈寺院遺跡〉の7世紀と8世紀の集計を,

5つの分類「初頭」「前半」「半ば」「後半」「末葉」で

再々集計してみました。★★★

また,大分県の寺で,豊前に入るものを8/18に加えました。改訂したものには,アンダーラインを付けました。

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【筑前】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・ 須玖岡本(東),観世音寺(ほぼ正方位)

7世紀末葉・・・井尻B遺跡群(東→正方位),三宅廃寺(東),杉塚廃寺(ほぼ正方位),赤井手(東),

  般若寺跡(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・長安寺廃寺(ほぼ正方位)

8世紀半ば・・・

8世紀後半・・・筑前国分寺(ほぼ正方位),筑前国分尼寺(ほぼ正方位)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・北浦廃寺(西),香椎B(ほぼ正方位),吉塚祝町(西),湯納(西)

※ 塔原廃寺(方位の測定不能)

 

【筑後】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・井上廃寺(正方位),上岩田廃寺(正方位)

7世紀末葉・・・ヘボノ木(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・

※ 筑後国分寺(正方位),

 

【豊前】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・天台寺(東),虚空蔵寺(東)法鏡寺廃寺(正方位)

7世紀末葉・・・椿市廃寺(東),上坂廃寺(東),垂水廃寺(東),大分廃寺(ほぼ正方位),小倉池廃寺(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・ 弥勒寺跡(東)

8世紀半ば・・・     

8世紀後半・・・菩提廃寺(西),豊前国分寺(西),下林(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・宮の脇廃寺(西)






 

 

2019年8月18日 (日)

大分県の〈官衙遺跡〉 8/18

(1)上野遺跡群(~9世紀後半)・・・7間×2間の長細い南北棟・9°Eを脇殿と見て,それに直交する正殿を考えると東偏。

11次調査の位置】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)大友府内町(8世紀末葉~9世紀中葉)・・・片廂のSB309が南北棟・4.5~5゜E なので,それに直交する建物を想定すると東偏

遺構平面図(7次調査G・F地区)】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)地蔵原(8世紀後半~9世紀後半)・・・試案に従うと,Ⅰ期(正方位)・Ⅱ期(東偏)・Ⅲ期(正方位)・Ⅳ期(西偏)に見える

第1群建物の変遷から見た濠内建物群の時代区分(試案)】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)下郡(8世紀後半~9世紀)・・・第90次調査地点の2つの建物の向きからいうと,ほぼ正方位またはやや西偏と思われる。

古代主要遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)城原・里(7世紀中葉~8世紀後半)・・・前後は西偏の遺構に見えるが,む第Ⅳ期になると,正方位になっている。

遺構平面図(9次調査)

2019年8月17日 (土)

大分県の〈寺院遺跡〉の集計 8/17【8/18改訂】

【豊後】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・上野廃寺(ほぼ正方位)

8世紀半ば・・・    

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・豊後国分寺(平安初・ほぼ正方位)

大分県の〈寺院遺跡〉 8/17

(1)法鏡寺廃寺(7世紀後半~10から11世紀頃)・・・第1遺構(金堂跡)が東西棟・14°Eで,第2遺構(講堂跡)も東西棟・9°E

  なので東偏

【調査区の位置】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)弥勒寺跡(8世紀前葉~1184年焼討ち、1192金堂焼失)・・・金堂・講堂ともに東西棟・22°なので東偏

【伽藍配置】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大分県の〈寺院遺跡〉はこれでおしまいです。

これではあまりにも少ないので,集計もしておきますね。

 

 

 

2019年8月16日 (金)

福岡県の〈官衙遺跡〉➁ 8/16

昨日作業したものに,さらに大宰府の「政庁」と「条坊」と「客館」 を加えてみました。

こんなふうになりましたが・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【筑前】

~6世紀半ば・・・鹿部田渕(西),練原(西)

6世紀後半・・・比恵(東),柏原遺跡群柏原M(東),黒山遺跡群(西)

7世紀初頭・・・杷木宮原(西)

7世紀前半・・・尾崎・天神(東)

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・大宰府・政庁Ⅰ(正方位),阿恵Ⅰ(西),那珂遺跡群(東→正方位),井尻B遺跡群(東→正方位),

  鴻臚館(北館はやや西。南館はやや東),小郡官衙Ⅰ(東),城田(東),堂原(東),大迫(正方位。砦か),

  志波岡本(東),志波桑ノ本(東)

7世紀末葉・・・阿恵Ⅱ(東)小郡官衙Ⅱ(東),有田・小田部(東・正方位・西)西は「孝徳の難波長柄豊崎宮」か,

  (7世紀末葉~8世紀中頃)

8世紀初頭・・・大宰府・政庁Ⅱ(正方位)大宰府・条坊(正方位),都地(東),八並(西),内橋坪見(西)

8世紀前半・・・2つの大宰府・客館(正方位),阿恵Ⅲ(東),鴻臚館(北館も南館も,ほぼ正方位),三月田(正方位)

8世紀半ば・・・阿恵Ⅳ(西),小郡官衙Ⅲ(正方位),麦野(西),下遺跡群小倉(東)

8世紀後半・・・吉崎(西),柏原遺跡群柏原M(西),城田(東),井出野(西)「斉明の朝倉橋広庭宮」, 

  宮野脇(西),八並遺跡群(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・大宰府・政庁Ⅲ(正方位),湯納(西),清末(西),田村遺跡群(西),野芥(ほぼ正方位),

  東入部遺跡群(東),波多江(西),竹戸(西)

 

※ 才田・・・7~8世紀(東・正方位),11~13世紀(東)

 

【筑後】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・筑後国府先行Ⅰ(東)

7世紀後半・・・筑後国府先行Ⅱ(東・正方位),ヘボノ木・南地区(正方位),上岩田西(西)

7世紀末葉・・・筑後国府Ⅰ(正方位),上岩田(東)

8世紀初頭・・・上岩田(正方位),下高橋官衙・正倉院(正方位),下高橋官衙・官衙(東)

8世紀前半・・・上岩田(西)

8世紀半ば・・・道蔵(東),野瀬塚(東・正方位~9世紀中葉),ヘボノ木・中央地区(正方位)

8世紀後半・・・筑後国府Ⅱ(西),道蔵(正方位),ヘボノ木・北地区(東),下高橋馬屋元(西)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・筑後国府Ⅲ(10世紀・西),道蔵(西),黒土・新替(正方位)

 

【豊前】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・下唐原伊柳(東)

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・豊前国府(Ⅰ期ほぼ正方位),フルトノ(西)

7世紀後半・・・大ノ瀬下大坪Ⅰ期(東),池ノ本(東)

7世紀末葉・・・福原長者原官衙(東),ハカノ本(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・大ノ瀬下大坪Ⅱ・Ⅲ(東)

8世紀半ば・・・大ノ瀬下大坪Ⅳ(西),豊前国府(Ⅱ期わずかに西)    

8世紀後半・・・古川西(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・豊前国府(Ⅲ期わずかに西)

2019年8月15日 (木)

福岡県の〈官衙遺跡〉の集計 8/15【9/15改訂】

7月12日(金)から始まった福岡県の〈官衙遺跡〉の集計です。

大宰府(政庁と官衙地区)と大宰府条坊は除いてあります。

もし入れた方が良ければ,明日の改訂版で追加投入します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【筑前】

~6世紀半ば・・・鹿部田渕(西),練原(西)

6世紀後半・・・比恵(東),柏原遺跡群柏原M(東),黒山遺跡群(東)

7世紀初頭・・・杷木宮原(西)

7世紀前半・・・尾崎・天神(東)

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・阿恵Ⅰ(西),那珂遺跡群(東→正方位),井尻B遺跡群(東→正方位),

  鴻臚館(北館はやや西。南館はやや東),小郡官衙Ⅰ(東),城田(東),堂原(東),大迫(正方位。砦か),

  志波岡本(東),志波桑ノ本(東)

7世紀末葉・・・阿恵Ⅱ(東)小郡官衙Ⅱ(東),有田・小田部(東・正方位・西)西は「孝徳の難波長柄豊崎宮」か,

  (7世紀末葉~8世紀中頃)

8世紀初頭・・・都地(東),八並(西),内橋坪見(西)

8世紀前半・・・阿恵Ⅲ(東),鴻臚館(北館も南館も,ほぼ正方位),三月田(正方位)

8世紀半ば・・・阿恵Ⅳ(西),小郡官衙Ⅲ(正方位),麦野(西),下遺跡群小倉(東)

8世紀後半・・・吉崎(西),柏原遺跡群柏原M(西),城田(東),井出野(西)「斉明の朝倉橋広庭宮」, 

  宮野脇(西),八並遺跡群(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・湯納(西),清末(西),田村遺跡群(西),野芥(ほぼ正方位),東入部遺跡群(東),

  波多江(西),竹戸(西)

 

※ 才田・・・7~8世紀(東・正方位),11~13世紀(東)

 

【筑後】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・筑後国府先行Ⅰ(東)

7世紀後半・・・筑後国府先行Ⅱ(東・正方位),ヘボノ木・南地区(正方位),上岩田西(西)

7世紀末葉・・・筑後国府Ⅰ(正方位),上岩田(東)

8世紀初頭・・・上岩田(正方位),下高橋官衙・正倉院(正方位),下高橋官衙・官衙(東)

8世紀前半・・・上岩田(西)

8世紀半ば・・・道蔵(東),野瀬塚(東・正方位~9世紀中葉),ヘボノ木・中央地区(正方位)

8世紀後半・・・筑後国府Ⅱ(西),道蔵(正方位),ヘボノ木・北地区(東),下高橋馬屋元(西)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・筑後国府Ⅲ(10世紀・西),道蔵(西),黒土・新替(正方位)

 

【豊前】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・下唐原伊柳(東)

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・豊前国府(Ⅰ期ほぼ正方位),フルトノ(西)

7世紀後半・・・大ノ瀬下大坪Ⅰ期(東),池ノ本(東)

7世紀末葉・・・福原長者原官衙(東),ハカノ本(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・大ノ瀬下大坪Ⅱ・Ⅲ(東)

8世紀半ば・・・大ノ瀬下大坪Ⅳ(西),豊前国府(Ⅱ期わずかに西)    

8世紀後半・・・古川西(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・豊前国府(Ⅲ期わずかに西)

2019年8月10日 (土)

大分県の〈寺院遺跡〉 8/10

(1) 上野廃寺(8世紀~9世紀)・・・中心建物の四面廂が東向きなので東偏(磁北)。正方位から東偏への建て替えか。

【調査区の位置】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)豊後国分寺(平安初)・・・伽藍の中心線がほぼ正方位。

【伽藍配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)小倉池廃寺(7世紀末葉~8世紀)・・・建物の中心線が東に向いているので東偏

遺跡全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)虚空蔵寺 (7世紀後半~)・・・門が東西棟・39°Eなので東偏

伽藍配置(復原)】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)下林(8世紀後半)・・・中心軸が南北棟・37°Eなので西偏

【遺構配置図】と建物データ

2019年8月 9日 (金)

福岡県の〈官衙遺跡〉 8/9

(1)ハカノ本(7世紀末葉~10世紀)・・・四面廂建物と同様、西偏の構成となっている。

遺構変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)フルトノ(7世紀中葉~後半)・・・四面廂建物と同様、西偏の構成となっている。

周辺地形図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)赤幡森ヶ坪 (平安時代)・・・四面廂の建物の方位が,南北棟・30゜Eなので西偏と考えました。 

建物配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)池ノ本7世紀後半~8世紀中葉)・・・四面廂の建物の方位が,東西棟・12°Eなので東偏と考えました。

遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで福岡県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

 

★大ノ瀬下大坪★

(5)大ノ瀬下大坪 (8世紀第2四半世紀~9世紀初め) ・・・建物データをすべて当たりましたが,ほとんどが東偏。

 そもそも正殿SB104が東偏ということは,東偏遺跡。何か大事な原則(25°以上は逆の方位とか)を忘れていたか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

0期・・・西偏

Ⅰ期・・・8世紀前半・・・東偏導入

Ⅱ期・・・

Ⅲ期・・・8世紀中頃・・・

Ⅳ期a・・・8世紀中頃・・・・東偏最盛期

Ⅳ期b・・・8世紀後半~末・・・減少期

Ⅴ期・・・9世紀初頭

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Img_3999

2019年8月 8日 (木)

福岡県の〈官衙遺構〉 8/8

(1)下高橋官衙 (8世紀~)・・・正倉院遺構は,正方位が中心で九州王朝の最盛期を感じる。

 一方,8世紀後半~9世紀初め馬屋元遺跡・西方官衙 となると西偏に変化している。近畿王朝への政権変動があったためか。

正倉院・郡庁曹司院全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)下高橋馬屋元11次 ()・・・全体として西偏。

【遺構配置】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)豊前国府(7世紀中葉~13世紀前葉)・・・図を見た限りでは,西偏のロの字型の国衙に見えるが,正方位に近い遺構もあるので,

建て替えられた可能性があると考える。

政庁推定地主要遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)下唐原伊柳 (6世紀後半~8世紀)・・・2棟の四面廂建物がおよそ30°Wなので西偏か。

遺構全体図(I・J地区)】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)大ノ瀬下大坪8世紀第2四半世紀~9世紀初め)・・・見事な西偏の官衙遺構である。ただし,地下に東偏遺構が見える。

内郭全体図】と建物データ

2019年8月 6日 (火)

福岡県の〈官衙遺跡〉 8/7

(1)竹戸(8世紀後半~)・・・SB1とSB10は,方位が違うのですが,建物データには載っていません。

ということは,古い方の東偏か新しい方の東偏だと思いますが,わからないので「全体として西偏」と書きました。

掘立柱建物遺構模式図と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)阿恵(6世紀末葉~)・・・全体として西偏の遺跡群。2期~3期に敷石遺構。

1期・・・~7世紀後半

2期・・・7世紀第4四半期

3期・・・8世紀前半

4期・・・8世紀中頃~

政庁変遷図】と建物データ

変遷図をピンクで塗ってみて西偏と考えたのですが,

東偏の遺跡だという理由を教えて下さい。

4期は迷いましたが,全部の時期ずっと東偏なのですか?

Img_3960

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)内橋坪見 (8世紀)・・・柵と溝で区画された北東隅に建物があるので,東偏と考えた。

周辺遺跡遺構配置図】と【遺跡全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)黒山遺跡群(6世紀最終末~7世紀中葉)・・・西偏から東偏へと変わっていく時期か。山の斜面という条件もあるかも。

第Ⅱ地点全体図】と建物データ

1期(6世紀最終末~7世紀中葉)・・・3号建物(10°W)

2期(7世紀後半~8世紀中葉)・・・11号建物(8°W)

3期(7世紀後半~8世紀中葉)・・・1号建物(11°E)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)尾崎・天神 (7世紀~8世紀)・・・山の斜面に建てやすい位置に建てているように見える。三面廂は,

遺構配置図(5次調査)】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(6)八並遺跡群 (8世紀後半))・・・ほぼ同じ方位(40°W)で2棟の建物。西偏

【遺構配置図】と建物データ

2019年8月 5日 (月)

福岡県の〈官衙遺跡〉 8/5

(1)志波岡本(7世紀後半ヵ)・・・大迫とほぼ同様の主軸方向(斜め・40度ほどE)の施設。砦の一種か。

【遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)志波桑ノ本(7世紀後半)・・・古墳や墓の集中する地区。斜め・40度前後Eの建物が多いのも特徴か。

【遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)中ノ原()・・・A地点は,ほぼ正方位の2棟以外は,6棟が西偏。B地点は,1西偏の棟以外の2つが正方位

【遺構平面図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)杷木宮原 (7世紀以降)・・・またしても40度前後・斜めの建物。同じ文化を持った人たちと言うことか。東偏

遺構配置図 】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)宮野脇(8世紀後半?)建物1と建物2が住居7に直行しているので,住居7が中心建物である。西偏

【遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(6)八並(8世紀)・・・西偏の官衙。朝倉橘広庭宮か。

建物配置図(井出野・八並)】と建物データ

★才田★

 

画面で見るのと,印刷して色分けするのでは,まったく印象が違いますね。

(「この図の中には,10棟以上の建物が隠されています。

3色で方位の塗り分けをしてみましょう」という練習問題に使えるかもしれません)

全部合わせてみると・・・

Img_3876

四面廂と違う向き(7~8世紀と思われる東偏)

Img_3880

四面廂と同じ向き(11世紀と思われる東偏)

Img_3881

 

2019年8月 4日 (日)

福岡県の〈官衙遺跡〉 8/4

(1)下遺跡群小倉8世紀半ば~9世紀代)・・・西偏の基本は変わらないようにみえるが,Ⅱ期とⅢ期に大きな差を感じた。

【遺構変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)井出野(8世紀)・・・Ⅰ~Ⅲ期まで西偏。ただし,Ⅰ期とⅡ・Ⅲ期では,建物の形式が違うようなので,王朝交代が影響したか。

【遺構変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)大迫(7世紀中葉~後半)・・・山の斜面に配置されているため,方位とは関係なし。

建物群・住居跡配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)才田(7~8世紀、11世紀~13世紀)・・・2つの四面廂は西偏だが,11世紀のもの。他の建物は,東偏のように思う。

【全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)

【】

(5)

【】

2019年8月 3日 (土)

福岡県の〈官衙遺跡〉 8/3

(1)波多江(9世紀前半~末葉 )・・・SB003を中心建物と考えて,東西棟・20°Wなので西偏

【遺構平面図と建物データ】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)鹿部田渕(6世紀中葉~7世紀初め )・・・2号掘立建物(東西棟・17°E)と他の建物が直交しているように見えるので,東偏。

大型建物群関連遺構全体図 】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)練原(6世紀中葉 )・・・集落という分類だが,長細い建物(斜め・41°W)に対応する母屋が直交していると考えて,西偏ではないか。

大具地区遺構配置図 】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)堂畑(7世紀後半ヵ )・・・第1号のあとに第2号を同じ方位に規模を拡大して建て直しているので,

中心建物とみて,斜め・34°Eなので西偏。

飛鳥・奈良時代の遺構配置 】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)三月田(8世紀前半頃 )・・・多くが正方位の建物である。

【遺構配置図】と建物データ

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