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2019年7月

2019年7月31日 (水)

★大宰府条坊★

う~ん,どこから手を付けよう。

また,「青木樹海」に飛び込んでは大変だ。

何かヒントがありますか?

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(1)大宰府条坊

Photo_20190731090801

とりあえず,Ⅱ期に作られた条坊ということだから,正方位でいいですよね。

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(2)広丸地区

Photo_20190731090901

「建物データ」に載っているものを,時代別に並べてみます。

★7世紀~

★8世紀~

前葉のSB3940(4°W)

後半のSB2825(3°E)・・・SB2830(3°E)とL字型を構成か。さらに西側にSB2835があり(3°E)

後半のSB4340(9°30′E)=四面廂建物

後半のSB3945(1°W=正方位)・・・SB3940の規模を小さくして立て直す

 SB3950(0゜30´E=正方位)・・・SB3945の改築

★9世紀~

後半のSB3995(1°W=正方位)

後半のSB3998(0゜30´E =正方位)

★10世紀~

前半のSB3996(4゜30´E

前半のSB3997(7°E

※ 建物データに乗っているものよると,8世紀(前葉は西。後半になって東,正)→9世紀(正)→10世紀(東)で,

他の地区と比べて正方位がうしろへズレているように思いました。

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(3)客館

 

Photo_20190731091001

「建物データ」に時期が書いてないものが多かったので,この4つだけ書いておきます。

★7世紀~

★8世紀~

客館の二大建物(257ーSB300と236ーSB480)が,8世紀第2四半期~9世紀前半に1°W =正方位

第3四半期の倉(236-1SB570 )が0゜15´16″E =正方位

★9世紀~

★10世紀~

~11世紀後半の居宅(64SB200 )が,3゜35´E

2019年7月30日 (火)

礎石建物の「出現場所」と「出現時期」

【政庁内】・・・圧倒的多数でした。

★7世紀・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

SB122(Ⅰa)~8世紀第1四半期初め

SB022Aa(南面西回廊)

SB022Ab(南面西回廊)

SB060A(西面回廊)

SB340A(北面東回廊)

SB350(東回廊A)

★8世紀・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

SB001A(南門)8世紀第1四半期~10世紀中葉 

SB010A(正殿)

SB023(衛門舎西)

SB024(衛門舎東)

SB085(東脇殿)

SB1370(後殿)

SB545(西脇殿)

SB1565A(曹司)

SB500b(四面廂建物)

SX1061(北門ヵ)

SB4650(朱雀門)

★9世紀・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なし

★10世紀半ば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

SB001B(南門)

SB010B(正殿)

SB065(?)

SB1060(?)

SB022B(南面西回廊)

SB060B(西面回廊)

SB340B(北面東回廊)

SB350B(東面回廊)

SB510(東楼)

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【不丁】・・・8世紀後半

SB370(曹司)

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【来木】・・・8世紀ヵ

SB4255(倉)

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【蔵司】

★8世紀前半

SB5000(二面廂)

★9世紀

SB1500(倉)
SB1560B(蔵司)
SB1565B(曹司)

再々々改訂版

再々々改訂版を作ってみました。

Img_3798

再々改訂版

再々改訂版を作ってみました。

あわただしい動きの中で,

筑紫官人の「驚き」と「嘆き」が,

少し聞こえてきたような気がします。

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Img_3794

2019年7月29日 (月)

方位を入れて再改定

方位を入れて再改定してみました。

これでいかがでしょうか?

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Img_3793

2019年7月28日 (日)

表にしてみました【改訂版】

遅くなりましたが,

川瀬さんのヒント(表にしてみる)に従い,

作業してみました。

【改訂版】

Img_3792

2019年7月23日 (火)

★大宰府(政庁・官衙地区)★ 7/23

全建物データの中に東偏の時期のヒントをさぐるべく,見ていきます。

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  建物ナンバー ~ 方位  時期  期

SB001A 正方位 8世紀第1四半期~10世紀中葉  Ⅱ期 南門

SB001B 正方位 10世紀中葉~          Ⅲ期 南門

SB005A 正方位 8世紀第1四半期~10世紀中葉  Ⅱ期 中門

SB005B 正方位 10世紀中葉~          Ⅲ期 中門

SB010A 正方位 8世紀第1四半期~10世紀中葉  Ⅱ期 正殿

SB010B 正方位 10世紀中葉~          Ⅲ期 正殿

SB023  正方位 8世紀第1四半期~       Ⅱ・Ⅲ期 衛門舎(西)

SB024  正方位 8世紀第1四半期~       Ⅱ・Ⅲ期 衛門舎(東)

SB040  正方位 ~8世紀第1四半期       Ⅰ期 未定 

SB043  正方位 ~8世紀第1四半期       Ⅰ期 倉

SB065  正方位 10世紀中葉~          Ⅲ期 未定

SB085  正方位 8世紀第1四半期~       Ⅱ・Ⅲ期 東脇殿(東第一脇殿)

SB1060 正方位 10世紀中葉~          Ⅲ期 未定 北へ3度振れる

SB120  正方位 ~8世紀第1四半期初め     Ⅰb期 不明

SB121  (ほぼ正方位) ~8世紀第1四半期初め     Ⅰb期 不明 南北棟・0゜45´W  ★100年ずらせば,7世紀第1四半期

SB122  (やや西偏) ~8世紀第1四半期初め     Ⅰa期 倉 南北棟・1゜08´E  ★100年ずらせば,7世紀第Ⅰ四半期

SB123  (やや東偏)  ~8世紀第1四半期初め    Ⅰc期 東西棟・1゜02´E  ★100年ずらせば,7世紀第1四半期

SB2635 (東偏)  7世紀後半~8世紀前半  Ⅰa期 総柱建物 南北棟・2°W ★100年ずらせば,6世紀後半 大楠地区

SB2645A (西偏) 7世紀後半~8世紀前半  Ⅰa期 南北棟・4°E ★100年ずらせば,6世紀後半 大楠地区

SB2660 (東偏) 7世紀後半~8世紀中頃  Ⅰa~b 東西棟・2E ★100年ずらせば,6世紀後半 大楠地区

SB360 (正方位) ~8世紀第1四半期初め  Ⅰa 南北棟・? 100年ずらせば,7世紀第1四半期 政庁

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【集計】

7世紀後半 ~やや西偏(政庁)・西偏(大楠)・東偏(大楠)・東偏(大楠)

8世紀第1四半期 Ⅰa ~ やや西偏(政庁)・正方位(政庁)

         Ⅰb ~ ほぼ正方位(政庁)・正方位(政庁)

         Ⅰc ~ やや東偏(政庁)

★ 以上,件数は少ないですが,「東偏の登場」の時期は,7世紀後半(100年ずらせば6世紀後半)。

「正方位の登場」が,8世紀初めのⅠa期(100年ずらせば7世紀初め)となりました。

 

2019年7月19日 (金)

★大宰府(政庁・官衙地区)★ 7/21

【遺構配置図(政庁)】

  ※ 拡大して見ていったら,「北門」と呼ばれる辺りで,いくつもの東偏の痕跡があった。

  SA065とSA1064,SX(Aの間違いか)1062の柵

  SB1060(10世紀中葉)の角度

  ※ もう1カ所は南の方で,SB065の角度。まだあると思うが,かなり削っても残ったのだろう。

【遺構平面図(正殿周辺)】

  ※ SB121(8世紀第1四半期。Ⅰb。0°45′)の両側の溝が,「右下がりの角度」で東偏の建物の基準線となるように思える。

【遺構変遷図(政庁)】

  Ⅰ期(~8世紀第1四半期)・・・正方位

  Ⅱ期(8世紀第1四半期~10世紀中葉 )・・・正方位

  Ⅲ期(10世紀中葉~)・・・正方位

  ※ さらに下を発掘すれば,東偏の遺構が出てくるかもしれない。気になる溝のようなものもあるし。

【遺構配置図(学校院地区】

  ※ 北方に,東偏建物に対応するような溝が,何本かある。建物データで調べたらSB690が西偏していた。

【遺構配置図(月山地区)】

  ※ 建物データで調べたら,SB676が東偏とSB677が西偏していた。両者はほぼ直交。

【遺構配置図(月山東地区)】

  ※ SB1885が西偏している。

【遺構配置図(月山地区2)】

  ※ 南方の点だけで描かれている片廂建物が東偏している。また二面廂建物が西偏している。

【遺構配置図(政庁後背地区)】

  ※ SB2980が明らかに西偏(6°Ⅰ5′)している。

【遺構配置図(政庁後背地区2)】 

  ※ SB2955がやや西偏している。

【遺構配置図(蔵司前地域)】

  ※ SB1575A―Bが西偏している。

【遺構配置図(蔵司地区)】

  ※ 8世紀前半ごろという蔵司の建物(SB5000)が,東偏している。8世紀前半。

【遺構配置図(政庁前面広場地区・不丁地区)】

  ※ 南方のSB3875が西偏するなどしている。

【遺構配置図(不丁地区)】

  ※ SB4046(10世紀中葉,4°30′E)

    SB4047(10世紀中葉,1°30′W)

    SB4048(9世紀後半,3°W)

【遺構変遷図(不丁地区)】

  ※ Ⅱ期は政庁推定中軸線で,Ⅲ期は南門心からのもの。それを北と考えると,西偏したのと同じことになるか。

【遺構配置図(日吉地区)】

【遺構変遷図(日吉地区)】

  ※ Ⅰーa期・・・正方位

    Ⅰーb期・・・正方位

    Ⅱーa期・・・正方位

    Ⅱーb期・・・正方位(最盛期)

    Ⅲーa期・・・正方位 違う建築スタイルのような感じである(北部不使用や建物の向き)

    Ⅲ-b期・・・正方位

    Ⅳーa期・・・西偏

    Ⅳーb期・・・東偏

【遺構変遷図(日吉地区・Ⅱa期)】

【遺構配置図(来木地区)】

  ※ 正方位が主だが,東偏・西偏の建物や柵が少なくない。

【遺構変遷図(来木地区)】

   Ⅰ期・・・東偏?

   ⅡA期・・・正方位

   ⅡB期・・・正方位(最盛期)

   ⅡC期・・・西偏

   Ⅲ期・・・正方位(近畿の時代の正方位と思われる)

【遺構配置図(大楠地区)】

【遺構変遷図(大楠地区)】

   Ⅰa期・・・正方位

   Ⅰb期・・・正方位

   Ⅰc期・・・正方位と東偏

   Ⅰd期・・・東偏と正方位

   Ⅱa期・・・正方位と東偏・西偏

   Ⅱb期・・・正方位と東偏・西偏

   Ⅱc期・・・正方位と西偏

   Ⅲa期・・・正方位もあるが,近畿王朝のものか

   Ⅲb期・・・西偏

   Ⅲc期・・・西偏

※ もちろん地区によっても違うのですが,正方位にしたことによって対隋への反旗が明らかとなり,

当時の大宰府は混乱を迎えたように,方位がバラバラになっていくように思いました。

このほかに,防衛施設の山城を作ったり,官道の幅を広げ直線にしたり.水城やのろしの整備をしたでしょうから,

それこそ「国家総動員体制」。それに国内でも近畿がどう出るか分からないという内憂外患の状態。

もしかしたら,それらを一挙に解消しようとあせって,戦争に突入してしまったのかもしれません。

これは妄想ですが・・・。

 

2019年7月18日 (木)

福岡県の〈官衙遺跡〉★上岩田★【訂正版】7/19

★上岩田(7世紀後半~9世紀前半)★

Photo_20190718060601

4つの変遷図を使って,時代別の方位を調べてみました。

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図10A区遺構変遷図

 1期(7世紀第3四半期)・・・西偏

 2期(~7世紀末)・・・東偏

 3期(8世紀第1四半期)・・・正方位

 4期(8世紀第2四半期~)・・・西偏

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図8G区遺構変遷図(Ⅰ期)

 0期(7世紀第2四半期)・・・東偏

 Ⅰa期(7世紀第3四半期~678年)・・・正方位

 Ⅰb期(678年~8世紀第1四半期)・・・正方位 後出(正方位)

 Ⅰb期新(8世紀第1四半期~)・・・東偏

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図9G区遺構変遷図(Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ期)

 Ⅱ期(8世紀第2四半期~中頃)・・・東偏

 Ⅲ期(8世紀第3四半期)・・・東偏

 Ⅳ期(8世紀第4四半期)・・・東偏

 Ⅴ期?(9世紀~)・・・東偏

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図11C・E・F区遺構変遷図

  【C区】

           Ⅰ期(7世紀第3四半期)・・・東偏

    Ⅱ期(7世紀第4四半期)・・・東偏

    Ⅲ期(7世紀末~8世紀初)・・・東偏・正方位

    Ⅳ期(8世紀第1四半期~)・・・正方位

    Ⅴ期(8世紀第2四半期)・・・東偏

    Ⅵ期(8世紀第3四半期)・・・東偏 

    Ⅶ期(8世紀第4四半期)・・・西偏

  【E区】

    0期(7世紀第2四半期)・・・西偏

    Ⅰ期(7世紀第3四半期)・・・東偏

    Ⅱ期(7世紀第4四半期)・・・東偏

    Ⅲ期(7世紀末~8世紀初)・・・ほとんど住んでいない

    Ⅳ期(8世紀第1四半期)・・・住んでいない

    Ⅴ期(8世紀第2四半期)・・・住んでいない

    Ⅵ期(8世紀第3四半期)・・・住んでいない

    Ⅶ期(8世紀第4四半期~9世紀第1四半期)・・・住んでいない

  【F区】

    0期(7世紀第2四半期)・・・西偏

    Ⅰ期(7世紀第3四半期)・・・西偏

    Ⅱ期(7世紀第4四半期)・・・東偏

    Ⅲ期(7世紀末~8世紀初)・・・東偏

    Ⅳ期(8世紀第1四半期)・・・正方位

    Ⅴ期(8世紀第2四半期)・・・西偏

    Ⅵ期(8世紀第3四半期)・・・西偏

    Ⅶ期(8世紀第4四半期~9世紀第1四半期)・・・東偏

※ 正方位が出現している地域では,「8世紀第1四半期」のようである。

ということは,100年ずらすと7世紀第1四半期となる。

ただ,それは長く続かず,また四半期で別な方位に変わっていく感じです。

 

 

 

 

 

2019年7月17日 (水)

福岡県の〈官衙遺跡〉7/17

(1)大板井(7世紀末葉~8世紀中葉)・・・小郡官衙の倉庫群で,東偏33度。近くの下高橋遺跡は,

  「九州王朝の正倉院」か。

区画規模の復元想定図】と建物データ

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(2)小郡官衙(7世紀末~8世紀前半、8世紀後半)・・・西偏→東偏→正方位の変遷がとてもはっきりしている。

  第Ⅰ期以前(西偏)・・・SB797(高床倉庫)23゜20´W ・・・?

  第Ⅰ期(西偏) ・・・SB794(高床倉庫)27°W・・・7世紀後半 

  第Ⅱ期(東偏)・・・正殿ヵSB804・・・36゜39'E ・・・7世紀末葉~8世紀中葉

  第Ⅲ期(ほぼ正方位)・・・四面廂の正殿のSB801・・・1゜14'W ・・・8世紀中葉~後半

小郡官衙遺跡時期別変遷図】と建物データ

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(3)上岩田(7世紀後半~9世紀前半)・・・寺院遺跡の際,「囲の官衙遺構もほぼ正方位。 でもすぐ東の官衙遺構や北の官衙遺構は、

  東偏⇒正方位」とコメントいただきました。 

官衙中枢域の建物(Ⅰa・b遺構配置図と建物データ

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(4)大宰府(政庁・官衙地区) ()・・・正方位が大部分だが,東偏の建物も一部残されている。

  政庁第Ⅰ期・・・~8世紀第1四半期 

  政庁第Ⅱ期・・・8世紀第1四半期~10世紀中葉

  政庁第Ⅲ期・・・10世紀中葉~

遺構変遷図(大楠地区)】【遺構配置図(蔵司地区)】と建物データ

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(5)大宰府条坊 ()・・・ここでも東偏遺構が注目されているようだ。ただし,「~11世紀後半」という時期は,遅い方の東偏か?

  ただ,南北棟・3゜35´W で朱雀大路に面しているということは,朱雀大路自体が3度東偏していたということか?

広丸地区建物配置】と建物データ

2019年7月16日 (火)

福岡県の〈官衙遺跡〉 7/16

(1)道蔵(8世紀後半)・・・1SB1の建物を郡庁の正殿と考えて,東西棟・3°E。やや東偏かほぼ正方位。

道蔵遺跡の主要遺構】と建物データ

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(2)野瀬塚(8世紀中葉~9世紀 )・・・Ⅲ期の南北棟の建物群に直行する東西棟を推測して,ほぼ正方位。

Ⅲ期遺構配置図】と建物データ

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(3)ヘボノ木(7世紀~10世紀)・・・寺院遺跡のところで出ましたね。前は寺院と官衙を取り違えましたが。

  ロの字の官衙(御井評衙)は,基本的に東偏。

主要遺構配置図】と建物データ

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(4)黒土・新替(平安時代ヵ)・・・中心建物のSB01は,ほぼ正方位に思えるが・・・。時代が。

2地点遺構配置図】と建物データ

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(5)福原長者原官衙7世紀末葉~8世紀中頃)・・・ずいぶん前に検討したことを思い出します。

  宮殿のような感じがする立派な建造物。東偏5度ほど。

【遺構全体図 】と建物データ

 

 

 

2019年7月15日 (月)

福岡県の〈官衙遺跡〉 7/15

(1)今泉(8世紀後半~9世紀初め)・・・四面廂の建物が中心で,ほぼ正方位

主要掘立柱建物配置図】【今泉遺跡第1~4次調査主要遺構配置図】と建物データ

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(2)古賀ノ上(8世紀後半~9世紀)・・・ⅠーA・Bは東偏傾向・正方位と,ⅡーA・Bは西偏傾向(四面廂)

【いろいろ】と建物データ

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(3)神道(7世紀後半~9世紀初め)・・・9世紀前半の片廂のものは西偏で,四面廂の10世紀のものは東偏

21区遺構配置図】【15区遺構変遷図 と建物データ

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(4)筑後国府(7世紀末葉~12世紀後半)・・・ここにも,東偏➙正方位→西偏➙東偏がある。

  先行官衙・・・7世紀後半・・・東・正方位

  Ⅰ期・・・8世紀後半・・・西

  Ⅱ期・・・9世紀後半・・・東

  Ⅲ期・・・11世紀茉・・東

【いろいろ】と建物データ

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(5)天神免(奈良~平安時代)・・・SB1も大きな建物だが,それ以外の建物群の中心としてSB39を重視したい。

  いずれにしても東偏だが。

主要遺構図】と建物データ

2019年7月14日 (日)

福岡県の〈官衙遺跡〉 7/14

(1) 有田・小田部(有田)7世紀後半~10世紀前半?)・・・東偏の地区,正方位の地区,四面廂の正殿(東西棟・12°W)を

  中心にしたものが西偏と,いろいろな時代の遺構が出ている。

「那津官家」・郡衙遺構配置図】と建物データ

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(2)清末(12世紀中葉)・・・最大棟が東西棟・17°Wで,西偏官衙。

Ⅰ期遺構配置図】と建物データ

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(3)田村遺跡群(11世紀)・・・四面相で正方位またはほぼ正方位のものが多い。11世紀という時期を考えると,

  どういう集落だというのだろうか。

遺構配置図(10地点)】と建物データ

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(4)野芥(10世紀前半~中頃)・・・四面廂で南北棟・3°Eなので,西偏。

【12次調査区周辺測量図 】と建物データ

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(5)東入部遺跡群(8世紀~10世紀)・・・四面相とされる建物は,いずれも南北棟・Wなので,東偏。

第10次調査全体図】と建物データ

2019年7月13日 (土)

福岡県の〈官衙遺跡〉 7/13

(1)井尻B遺跡群(7世紀後半)・・・寺院遺跡のところで扱ったもの。SB04(東偏)とSB03(ほぼ正方位)との切り合いで,

  後者の方が上に来るので,東偏➙正方位となる。

遺構平面図(17次A区)】と建物データ

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(2)柏原遺跡群柏原M6世紀後半ヵ)片廂の南北棟・16°を中心と考えて,東偏。

【建物配置図】と建物データ

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(3)城田(7世紀後半~)・・・2期も3期もほぼ正方位だが,建物の変遷から,2期が九州王朝のもので,

  3期が近畿王朝のものと考える。

5区遺構変遷図】と建物テータ

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(4)都地(8世紀~9世紀)・・・6次B区掘立柱建物配置図によると,コの字型の配置が見られ,その方位はやや東偏と考える。

  (BS13は東西棟・7°E)

6次B区掘立柱建物配置図】と建物データ

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(5)湯納(10世紀)・・・BS06の南西側を柵列で囲われているので西偏・回廊でもやはり西偏。10世紀という時期も合う。

【遺構全体図】と建物データ

 

2019年7月12日 (金)

福岡県の〈官衙遺跡〉 7/12

(1)那珂遺跡群(7世紀後半)・・・SB01を中心と考えて,東西棟・13°Eなので,東偏。

官衙区画(52次南区・117次・56次ほか)】【建物配置(古代/10次・14次・115次ほか)】と建物データ

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(2)比恵(6世紀後半~7世紀後半?)・・・7次と13次に登場する柵と直交かする掘立柱建物を中心とみると,東偏。

第7次・13次全体図】と建物データ

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(3)麦野(8世紀ヵ)・・・片廂の建物や門遺構の方位から,南北棟・Wで,東偏。

遺構平面図(7次調査)】と建物データ

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(4)吉塚(8世紀後半ヵ)・・・集落であり,一棟だけだが,時代的にも西偏か。

【遺構全体図】と建物データ

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(5)鴻臚館(7世紀後半~11世紀)・・・北館は,やや西偏。南館は,やや東偏。

【遺構変遷図】と建物データ

 

 

2019年7月11日 (木)

★★★福岡県の〈寺院遺跡〉の再集計★★★ 7/11【8/18改訂】

先日の福岡県の〈寺院遺跡〉の7世紀と8世紀の集計を,

5つの分類「初頭」「前半」「半ば」「後半」「末葉」で

再々集計してみました。★★★

また,大分県の寺で,豊前に入るものを8/18に加えました。改訂したものには,アンダーラインを付けました。

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【筑前】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・ 須玖岡本(東),観世音寺(ほぼ正方位)

7世紀末葉・・・井尻B遺跡群(東→正方位),三宅廃寺(東),杉塚廃寺(ほぼ正方位),赤井手(東),

  般若寺跡(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・長安寺廃寺(ほぼ正方位)

8世紀半ば・・・

8世紀後半・・・筑前国分寺(ほぼ正方位),筑前国分尼寺(ほぼ正方位)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・北浦廃寺(西),香椎B(ほぼ正方位),吉塚祝町(西),湯納(西)

※ 塔原廃寺(方位の測定不能)

 

【筑後】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・井上廃寺(正方位),上岩田廃寺(正方位)

7世紀末葉・・・ヘボノ木(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・

8世紀半ば・・・

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・

※ 筑後国分寺(正方位),

 

【豊前】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・天台寺(東),虚空蔵寺(東)法鏡寺廃寺(正方位)

7世紀末葉・・・椿市廃寺(東),上坂廃寺(東),垂水廃寺(東),大分廃寺(ほぼ正方位),小倉池廃寺(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・ 弥勒寺跡(東)

8世紀半ば・・・     

8世紀後半・・・菩提廃寺(西),豊前国分寺(西),下林(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・宮の脇廃寺(西)

福岡県の〈官衙遺跡〉 7/11

(1)上長野A(8世紀末葉~9世紀)・・・一棟だけで,なんとも言えない。

Ⅶ区平安時代遺構配置図】と建物データ

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(2)寺田()・・・3棟がほぼ似た方位(南北棟・E)を示しているので,これらの主殿があるとすれば,東偏か。

【遺構配置図】と建物データ

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(3)古川西(8世紀ヵ)・・・集落ではありそうだが,四面廂の建物を中心に構成されていると考えて,東偏。

3・4・5区遺構配置図】と建物データ

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(4)大塚()・・・四面廂と思われる建物が,ほぼ正方位に建てられている。しかし,集落は東偏か。

8次~13次調査地点位置図】と建物データ

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(5)多々良込田 ()・・・川に沿いながらも,直角に官衙を配置しているようにみえる東西棟・Eが多いので,逆に主殿は西偏か。

古代の遺構分布図 】と建物データ

2019年7月10日 (水)

福岡県の〈寺院遺跡〉の集計 7/10

【筑前】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・井尻B遺跡群(東→正方位),三宅廃寺(東),杉塚廃寺(ほぼ正方位),赤井手(東),

  須玖岡本(7世紀後半なら西偏の可能性も),観世音寺(ほぼ正方位),般若寺跡(東)

8世紀・・・筑前国分寺(ほぼ正方位),筑前国分尼寺(ほぼ正方位),長安寺廃寺(ほぼ正方位)

9世紀以降~・・・北浦廃寺(西),香椎B(ほぼ正方位),吉塚祝町(西),湯納(西)

※ 塔原廃寺(方位の測定不能)

 

【筑後】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・井上廃寺(正方位),上岩田廃寺(正方位)

8世紀・・・ヘボノ木(東)

9世紀以降~・・・

※ 筑後国分寺(正方位),

 

【豊前】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・天台寺(東),椿市廃寺(東),上坂廃寺(東),垂水廃寺(東),大分廃寺(ほぼ正方位)

8世紀・・・豊前国分寺(西),菩提廃寺(西)

9世紀以降~・・・宮の脇廃寺(西)

 

続いて,福岡県の〈官衙遺跡〉へと進みます。

2019年7月 9日 (火)

福岡県の〈寺院遺跡〉 7/9

(1)豊前国分寺(8世紀)・・・一応講堂が「東西棟・3°W」(やや西偏)ということだが,正方位を感じさせる溝や建物跡も見える。

北部発掘調査区全体図】と建物データ

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(2)菩提廃寺(8世紀後半)・・・塔と金堂の位置関係から,西偏

【伽藍跡】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)垂水廃寺(7世紀末~8世紀後半)・・・推定中軸線が信頼おけるなら,東偏。

関係遺構配置状況図】と建物データ

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以上で,福岡県の〈寺院遺跡〉はおしまいです。

次回は集計をしたいと思います。

2019年7月 8日 (月)

福岡県の〈寺院遺跡〉 7/8

(1)般若寺跡(7世紀末葉から8世紀初め~)・・・塔の北側の河原積みがやや東偏しているように見えるので東偏に思えるが,

  ただ,図は1988年なので正方位なのか。

般若寺周辺調査  複合図】と建物データ

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(2)薬王寺廃寺(10世紀~11世紀)・・・山の斜面に造成されたもので,方位判定に向かない

遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)宮の脇廃寺(9世紀~)・・・1985年の図である。四面廂で,西偏。

地形図及びトレンチ配置図】と建物データ

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(4)長安寺廃寺(8世紀前半~)・・・前に検討した記憶が…。入り口の方位,ということで毘沙門堂の東偏だったような。

寺域推定図】と建物データ

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(5)上坂廃寺(7世紀末葉~9世紀前半)・・・東偏

【伽藍配置】と建物データ

2019年7月 6日 (土)

福岡県の〈寺院遺跡〉 7/6

(1)赤井手(7世紀末葉)・・・東偏建物が多い。正方位もある。

【遺跡地形図】と建物データ

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(2)須玖岡本(白鳳)・・・東偏。

【遺構配置図】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)観世音寺(661年発願、7世紀後葉創建、746年落慶~)・・・ほぼ正方位(東西棟・1°E)

【伽藍配置図】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)筑前国分寺(8世紀後半~9世紀後半 )・・・金堂や講堂画像

13区遺構平面図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)筑前国分尼寺(8世紀後半~9世紀後半)・・・南大門が東西棟・2°Eなので,ほぼ正方位。

【遺構平面図】と建物データ

 

2019年7月 4日 (木)

福岡県の〈寺院遺跡〉 7/5

(1)椿市廃寺(7世紀末~8世紀初頭に建立、9世紀頃まで存続)・・・この図を信ずるかぎり,東偏。

推定伽藍配置図】と建物データ

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(2)井上廃寺(7世紀後葉~)・・・塔の基壇が,東偏➙正方位を示しているように感じた。

寺域北側のトレンチと遺構】と建物データ

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(3)上岩田廃寺(678年倒壊)・・・四面廂の仏堂が,東西棟・1°Eなので,ほぼ正方位。

【いろいろ】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)杉塚廃寺(7世紀末葉~8世紀初め)・・・四面廂の金堂と思しき建物が,東西棟・ほほ正方位かやや東偏

【トレンチ配置】と建物データ

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(5)塔原廃寺(7世紀後葉~8世紀)・・・資料不足で,方位不明か。

塔原廃寺関係遺跡】と建物データ

 

 

 

福岡県の〈寺院遺跡〉 7/4

(1)湯納(10世紀)・・・建物データのA2・A3の柱列が回廊かもしれないという情報。それと直交するB6を中心建物と考えた。

  A1で南西側を目隠しに囲まれているし・・・。すると,東偏。

【遺構全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)筑後国分寺()・・・四面廂の講堂も塔も真北という情報からすると,大型柱跡・抜き穴がそれに対応する金堂かも。すると正方位。

  東偏の四面廂の大型建物は,その前の代の金堂か?

筑後国分寺跡の主要遺構】と建物データ

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(3)ヘボノ木(8世紀後半~9世紀前半)・・・片廂の正殿(SB1150)が中心である。東西棟・8°E。東偏。すごい遺構だ。

【建物配置図】と建物データ

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(4)大分廃寺()・・・塔しか礎石がそろっていないが,礎石の方位は南北棟・1゜25´E なので,ほぼ正方位。

【遺構配置図】と建物データ

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(5)天台寺(7世紀後葉~9世紀後葉)・・・ほぼ正方位に見えるが,1990年の図なので磁北なら西偏

【遺構配置図】と建物データ

 

 

2019年7月 3日 (水)

福岡県の〈寺院遺跡〉 7/3➁

(1) 北浦廃寺(9世紀~10世紀)・・・雨落溝,礎石抜き取り穴,他寺との規模・浜口廃寺と同范瓦の使用など,

  ヒントはあるものの,方位決定は無理か

【調査地点図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【

(2)香椎B(平安末~鎌倉初期)・・・12世紀から四面廂建物があり,これは西偏

【遺構変遷図】と建物データ

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(3)吉塚祝町(10世紀後半~11世紀前半)・・・四面廂建物が,南北棟・31°Wのため,東偏

2次調査B区遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)井尻B遺跡群(7世紀末葉)・・・最大面積のSB04を見ると,南北棟・11°Eなので西偏

遺構平面図(17次A区)】と建物データ

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(5)三宅廃寺(7世紀末~8世紀初頭に建立)・・・下層(8世紀代)に東偏の遺構あり(上層にも)

2次調査区上層と下層の遺構配置】と建物データ

2019年7月 2日 (火)

山口県の〈官衙遺跡〉の集計 7/3

※ 平原第二を補っていただき,ありがとうございます。それも含めて・・・

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【周防】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・周防国府(東)

8世紀・・・

9世紀以降~・・・神郷大塚(西),周防鋳銭司(東),東禅寺・黒山 (西)

八ヶ坪 (判断不明),石城山神籠石(方位定まらず)

 

【長門】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

8世紀・・・秋根(西),吉永(Ⅰ地区は東偏,Ⅴ地区は正方位),

9世紀以降~・・・平原第二(西)

※下岡田(規則性なし)

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次は,福岡県でよろしいですか?

2019年7月 1日 (月)

山口県の〈官衙遺跡〉 7/2

(1)東禅寺・黒山(11世紀)・・・四面廂のSB45を中心建物と考え,

  東西棟・25°Eなので,東偏

遺跡全体図】と建物データ

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(2)八ヶ坪9世紀前半~11世紀前半)・・・2つの建物の方位だけでいうと,西編に見えるが,

  これらと直交する東偏の建物があるように考えれば東偏

調査区位置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)周防国府(7世紀末~鎌倉)・・・通りは東偏していても,時代によって建物は,

  東偏あり,西偏あり,正方位ありか

【いろいろ】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)石城山神籠石()・・・丘陵地帯なので,方位は定まらず

【いろいろ】と建物データ

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(5)長登銅山(8世紀初頭~11世紀)・・・石灰岩台地の東南麓で精錬を行ったとは,

  やはり「公害」のことがあったからでしょうか。方位不明

調査区割図

 

 

山口県の〈官衙遺跡〉 7/1

(1)秋根(平安時代前~中期)・・・四面相(Ⅳ-2期)を中心とすれば,は東西棟・8°Wなので,西偏だが,

  東偏も多く,豊浦宮なのかもしれないと思った。

【遺構分布図】と建物データ

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(2)下岡田(7~8世紀)・・・SBー4が,ほぼ正方位かやや西偏

Ⅱ地区遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)吉永(8世紀~)・・・Ⅰ地区は西偏。Ⅴ地区は,ほぼ正方位

遺構平面図(Ⅰ地区)】【遺構平面図(Ⅴ地区)】と建物データ

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(4)神郷大塚 (10世紀中葉)・・・4面廂の2号掘立柱建物 を中心と考えて,西偏

【遺構全体図】と建物データ

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(5)周防鋳銭司 (10世紀)・片廂建物を中心と考えて,南北棟・7°Eなので,西偏

【遺構図】と建物データ

山口県の〈寺院遺跡〉の集計 7/1

【周防】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

8世紀・・・周防国分寺(東),濡田廃寺(正方位)

9世紀以降~・・・

 

【長門】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

8世紀・・・長門国分寺(東),長門深川廃寺(東)

9世紀以降~・・・

 

続いて,山口県の〈官衙遺跡〉へと進みます。

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