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2019年6月 7日 (金)

千葉県の〈官衙遺跡〉 6/7

(1)村上(8世紀初頭~9世紀)・・・Aグループは,西偏。Bグループは,西→正→正と変化しているように見える。

Aグループの掘立柱建物跡【Bグループの掘立柱建物跡

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(2)西深井七ノ割(8世紀)・・・四面廂のような建物を中心と考えて,東西棟・4°Wなので,西偏

【遺構図】と建物データ

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(3)栗谷(奈良~平安時代)・・・四面廂を中心建物と考えて,東西棟・4°Wなので,西偏

奈良・平安時代遺構配置図】と建物データ

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(4)白幡前(8世紀前半~10世紀初め)・・・歴史時代1群(西),歴史時代2群(正方位・東が混じる),歴史時代3群  (東・西)?

白幡前遺跡遺構配置図】と建物データ

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(5)日秀西(8世紀~9世紀)・・・廂かどうか不明という5号掘立柱建物を中心と考えて,南北棟・35°Eとしたら,西偏

建物跡分布図】【建物群変遷図】と建物データ

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(6)野守(8世紀第3四半期以降9世紀第4四半期以前)・・・四面廂の16号掘立柱建物を中心と考えて,南北棟・4°W     なので,東偏

遺構全体図(1~7次)】【遺構変遷図】【遺構全体図(10~11次)】と建物データ

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コメント

(1)村上
 Bグループ最大の建物SB59は建物データの図を見ると4間×4間の四面廂建物と思われます。この建物の長辺の向きは西偏。
 この建物があるのがⅠ期:8世紀後半です。西偏。
 以後は正方位。
 Ⅱ期の中心はSB14で東西棟東偏3度。ほぼ正方位。9世紀初頭。
 Ⅲ期の中心はSB51で東西棟東偏1度。ほぼ正方位。9世紀前半。
Aループの中心は、堀に囲まれたSB1。東西棟15度西偏。時代は8世紀前半。

(4)白幡前
歴史時代1群(西),歴史時代2群(正方位・西が混じる),歴史時代3群  (東)。

(5)日秀西
 これは明らかに時期ごとに方位が異なる。
 肥沼さんが測定したのはⅠ期:西偏。
 Ⅱ期以後はほぼ正方位です。

(6)野守
 四面廂16号周辺とその北側の建物は西偏4度の建物群と思います。
 その西側にはほぼ正方位の建物群。
 さらにもっと北側には東偏の建物群。
 場所によって方位が異なるので年代も違うのではないか。
 
2・3は肥沼さんの判断で良いと思います。

追伸
(6)野守
 これらの掘立柱建物群は「8世紀第3四半期以降9世紀第4四半期以前」と約100年の時間幅の中で作られている。
 8世紀第三四半期=7世紀第三四半期:方位の考古学では西偏の時代
 9世紀第四四半期=8世紀第四四半期:方位の考古学では正方位の時代
 年代から少なくとも二つの異なる方位の建物群があると想定される。

 実際遺跡図をみると、西偏・正方位の二つの遺跡が重なり、さらに東偏とも取れる遺構もある。
 4度西偏の南北棟四面廂16号(長辺は東偏)と、東偏の南北棟17号(長辺は西偏)は柱穴が重なっている。どちらが先行するかは不明。
 16号が四面廂だからといって中心建物とは判断できない。
 一つの遺跡に東偏・ほぼ正方位・西偏の三つの建物群が重なっており、四面廂16号はその一つの時期の中心建物にすぎないと思います。

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