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2019年6月 4日 (火)

千葉県の〈官衙遺跡〉 6/4

(1)下総国府(8世紀前葉)・・・四面廂を中心建物と考えて,南北棟・3°Wなので,やや東偏かほぼ正方位

第13地点(10)全体図】と建物データ

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(2)下総国分(8世紀中葉)・・・Ⅰ期の最大面積の建物(SB4)を中心と考えて,南北棟・11°Wなので,東偏

4~6次遺構図】と建物データ

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(3)山王台(9世紀前半)・・・四面廂(第5号掘立柱建物)を中心的建物と考えて,東西棟・ややWとおもわれるので,西偏

【 変遷図】と建物データ

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(4)丹過7世紀~8世紀後半)・・・片廂のSB51を中心建物と考えて,南北棟・1°Wなので,わずかに東偏または,ほぼ正方位

【遺構全体図】と建物データ

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(5)大袋小谷津(9世紀前葉)・・・四面廂(23号掘立)を中心建物と考えるが,44°Eと大きい数値なので,西偏と考えたい

遺構配置図】と建物データ

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(6)大袋山王第2(B地区) (7世紀後半)・・・2つの四面廂があるが,東西棟・5°Wと南北棟・26°Eなので,いずれも西偏

【遺構図】と建物データ

 

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コメント

(1)下総国府
たしかに13地点は南北棟の四面廂建物SB001の方位で決めるのではなく、その南のもう一つの東西棟SB004の方位で決めるべし。建物データにはないが図からみて西偏3度だ。だから主要建物は西偏3度の建物群だ。しかしその西にあるSB005はほぼ正方位。
 SB001は8世紀前葉。この時代が西偏。SB005は8世紀末から9世紀前半。ここがほぼ正方位。

 そして図6遺構変遷図でみると、和洋学園の所の遺跡は様々な方位が見て取れる。
 http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m111308-76541/etc1.jpg
 南部地域の第Ⅰ期に見られる溝は東偏。Ⅱ期に見られる掘立柱建物も東偏。
 北部地域の第Ⅰ期の溝は西偏で、Ⅱ期では北部のさらに北部は西偏で、中央と南はほぼ正方位。区画溝もほぼ正方位。
 第Ⅰ期は8世紀前葉。第Ⅱ期は8世紀中葉から9世紀前葉。
 場所によって方位が異なるし、時期によって方位が異なる。

(2)下総国分
 ここも時期によって方位が異なるとみるべきではないか。
 Ⅰ期:最大建物はSB4ではなくて一部しか出ていないがSB6。ほぼ正方位。8世紀中葉。
 Ⅱ期:今ある建物は全部東偏のように見えるが、これと直交する東西棟の最大建物があると考えれば西偏。Ⅰ期のSB004も同じ方位だから西偏と考えられる。8世紀後葉から9世紀初頭。
 Ⅲ期:これは正倉が一棟しかないので方位判定不能。
 Ⅳ期:SB3・SB1ともにほぼ正方位。9世紀中葉だ。
  100年編年をずらすと方位の考古学の認識とぴったり同じ。

(3)山王台
 これも時期によって方位が異なる。遺構変遷図を見よ。
 http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m120837-87482/etc.jpg
 7世紀後半から8世紀前半:東偏
 9世紀前半:西偏。四面廂建物が出現するのがこの時代。

(4)丹過
 片廂の南北棟SB051を中心とする多くの建物群はほぼ正方位。しかしよく見ると異なる方位の群れもある。
 一番西側の東西棟二面廂建物SB170を中心とする建物群は東偏。
 東側の東西棟SB204を中心とする建物群は西偏で、同じ方位の正倉が西側に二棟ある。Ⅰ期。
 最も東の東西棟SB002を中心とする建物群は東偏だ。
 だから、東偏と正方位と西偏の三つの異なる方位の建物郡があるわけだから、時期が異なるはず。
 変遷図。http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m104907-77775/etc.jpg
 これだと西偏の建物群を奈良時代Ⅰ期とし、西偏の正倉とほぼ正方位の建物群を奈良時代Ⅱ期とⅢ期とにわけている。
 これで良いのだろうか。

(5)大袋小谷津
 四面廂の23号は44°Wと南北棟とも東西棟とも決め難いが、長辺の向きでいうと東偏。
 しかしもう一つの四面廂40号は、25°Eと明らかに東偏。他も建物の方位もほぼ同じなので東偏の遺跡群です。

6は肥沼さんの判断で良いと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

川瀬さんの精査の域まで達するのには,いつまで掛かるかわかりませんね。
△「半分は合っている」というのも,ありでお願いしたいところです。(笑)

 肥沼さんは、遺構がいくつもの時期に分かれていることが変遷図でわかるのに、これを無視して「中心建物」を決めようとするからいけないのです。
 まず遺構がいくつかの時期にわたっているのなら、それぞれの時期の建物配置を考えて、それぞれの時期の中心建物を見つけて方位を確定する。
 遺構全体図しかなく、遺構の変遷が不明なとき。
 このときは建物配置をよく分析する。場所によって方位が異なることがあるので、方位の異なる群れが見つかったらその中心建物を見つけて判断する。
 この際には建物データをみて、異なる方位の中心建物のデータを確認して方位を確定する。中心建物と考えたもののデータがないときは、それに代わるものを見つけて確認する。
 こういう慎重な対応が大事だと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

千葉県は,遺跡数も多いし,時代も多様ですね。
多元的に見て行かないといけないと思いました。

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