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2019年6月

2019年6月30日 (日)

山口県の〈寺院遺跡〉 6/30

(1)長門国分寺(8世紀中葉~8世紀後葉)・・・金堂の地下の版築に東偏の跡が見られる。かつて東偏の時代があった。

国分寺地区遺構概略図】と建物データ

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(2)周防国分寺(8世紀中葉~)・・・(二棟の南北棟・微西が残っているので)ほぼ正方位かやや東偏

【変遷図】と建物データ

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(3) 長門深川廃寺(8世紀中葉~)・・・「建物の西南角にあたると考えられる瓦落ち遺構を検出。隅付近で鬼瓦、隅切瓦が検出されることから

  屋根に葺かれた瓦がそのまま流れ落ちたと考えられる 」という説明が正しいなら,その方位から東偏と考える。

主要遺構配置図】と建物データ

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(4)濡田廃寺(8世紀)・・・建物データの図1から,磁北なので西偏と判断

調査区の位置】と建物データ

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これで,山口県の〈寺院遺跡〉はおしまいです。少ないですね。

次回,集計をします。

広島県の〈官衙遺跡〉の集計 6/30

【備後】

~6世紀半ば・・・大宮(Ⅰ期,東)

6世紀後半・・・大宮(Ⅱ期,東)

7世紀前半・・・大宮(Ⅲ期,東)

7世紀半ば・・・大宮(Ⅳ期,正方位)

7世紀後半・・・下本谷(東),

8世紀・・・山崎(西)

9世紀以降~・・・

 

【安芸】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・郡山城下町(東)

7世紀後半・・・西本6号(西),明官地東(東)

8世紀・・・下沖2号(自然流路のため,いろいろ?),金龍寺東(ほぼ正方位)・・・九州王朝時代の備後国府か,

  備後国府(ツジ地区は一貫して西),前原(西),大和(東),下岡田(Ⅰ期,東)

9世紀以降~・・・下岡田(Ⅱ期,西)

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これで,広島県の〈官衙遺跡〉の集計はおしまいです。

続いて,山口県へと進みます。

本日は,山口県の〈寺院遺跡〉もスタートさせました。

2019年6月29日 (土)

広島県の〈官衙遺跡〉 6/29

(1)明官地東(7世紀後半~9世紀(建物は9世紀頃?))・・・ほとんどの建物が,南北棟・Eなので,西偏

D調査区遺構配置図】と建物データ

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(2)下岡田(8世紀末葉~9世紀前半)・・・二面廂建物を中心に考えると,南北棟・14°Eなので,西偏

建物配置】と建物データ

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広島県の〈官衙遺跡〉は,これでおしまいです。

次回は集計します。

 

2019年6月28日 (金)

広島県の〈官衙遺跡〉 6/28

(1)大和(奈良後半~平安初期)・・・SB1とSB2が直交することを参考にすると,SB1が主殿となれば東偏。

  SB2が主殿となればたた西偏。

【遺構配置図】と建物データ

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(2)下本谷(7世紀後半~9世紀代)・・・Ⅱ期の四面廂が正殿で,東西棟・14°Eなので,東偏。ずっと東偏?

遺構変遷図】と建物データ

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(3)山崎(奈良~中世)・・・構成する建物が同じ方位になっているので,東偏か。

C区遺構配置図】と建物データ

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(4)西本6号(7世紀後半(~8世紀?))・・・四面廂建物が南北棟・26°なので西偏と一応判断するが,

  山の中腹ではある。

【復元図】と建物データ

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(5)郡山城下町(7世紀~9世紀)・・・SB03が町割りの方位と合うという情報もあるので,西偏か。

A区遺構配置図】と建物データ

 

2019年6月27日 (木)

広島県の〈官衙遺跡〉 6/27

(1)下沖2号 (奈良時代~平安時代)・・・北調査区の面積の大きい2つの建物が,南北棟・Wと東西棟・Eなので,東偏

  南調査区は1棟のうえ,総柱(倉か)なので不明

古代遺構面  遺構配置図】と建物データ

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(2)大宮(6世紀後半)・・・第2期の4つの建物が官衙風のコの字を示し,西偏。

  しかし,第3期の四面廂建物は,東偏。

兼代地区掘立柱建物変遷図】と建物データ

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(3)金龍寺東(8世紀末頃~10世紀末頃)・・・四面廂建物の方位が,東西棟・1°Wなので,ほぼ正方位

【変遷図】と建物データ

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(4)備後国府(8世紀末葉~10世紀末葉)・・・第2期の政庁と思しき遺構が,東西棟・4°Wなので,西偏

ツジ地区変遷図 と建物データ

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(5)前原(8世紀)・・・遺構全体の方位を,やや東偏と考えた

【遺構全体図】

 

2019年6月25日 (火)

広島県の〈寺院遺跡〉の集計 6/26

【備後】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・中谷廃寺(ほぼ正方位),

7世紀後半・・・樽見廃寺(東),本郷平廃寺(正方位),小山池廃寺(東)

8世紀・・・備後国分寺(西),宮の前廃寺(正方位)【法隆】

9世紀以降~・・・

 

【安芸】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・明宮寺廃寺(西?)【法起?】

7世紀後半・・・伝吉田寺(ほぼ正方位)【観世】,上山手廃寺(ほぼ正方位)【観世】,寺戸廃寺(ほぼ正方位),

  寺町廃寺(正方位)【法隆】

8世紀・・・安芸国分寺(西)

9世紀以降~・・・

※ 青目寺跡(山岳寺院のためバラバラ)

※ 康徳寺廃寺(方位の情報不足)

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今回は「法隆寺式」「法起寺式」「観世音寺式」という名称も短縮形で入れてみました。

続いて,広島県の〈官衙遺跡〉に向かいます。

2019年6月24日 (月)

広島県の〈寺院遺跡〉 6/25

(1)安芸国分寺(8世紀中頃~9世紀末)・・・金堂・講堂・僧房が縦に並ぶ。その中心線は,西偏。

  しかもずっと同じ。どんな歴史をたどったのでしょうか?火災に遭っていることと関係があるのか。

【いろいろ】と建物データ

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(2)明官地廃寺 (7世紀中葉~)・・・金堂と推定される建物が,南北棟・10°Eなので,西偏か

調査区の位置と検出遺構】と建物データ

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(3)康徳寺廃寺 ()・・・中心建物と北方建物の基壇から,ほぼ正方位と考える

遺構図(2次調査)】と建物データ

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これで,広島県の〈寺院遺跡〉はおしまいです。

建物データがついていないものが多く,これだけにとどまりました。

次回に集計します。

 

2019年6月23日 (日)

広島県の〈寺院遺跡〉 6/24

(1)宮の前廃寺(8世紀前半~9世紀)・・・1977年の図なので,磁北とするとほぼ正方位か

調電査区と伽藍配置】と建物データ

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(2)青目寺跡(9世紀~944年焼失)・・・東御堂は正方位,中御堂は西偏。現地の地形に合わせたか。

建物データ

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(3)伝吉田寺(7世紀末葉~)・・・塔が2°Wなので,やや西偏かほぼ正方位

遺構配置図】と建物データ

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(4)上山手廃寺(7世紀末葉)・・・図が1979年のものなので,磁北とするとやや西偏か

【周辺地形図】と建物データ

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(5)寺戸廃寺(7世紀末葉~8世紀初め)・・・図が1971年のものなので,磁北ならほぼ正方位か

第二調査区位置図

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(6)寺町廃寺(7世紀後半~9世紀初頭)・・・どの建物も真北。正方位

伽藍配置と地形】と建物データ

広島県の〈寺院遺跡〉 6/23

(1)横見廃寺(7世紀後葉~)・・・四面廂の東方建物(推定講堂跡)を中心建物と考えて,南北棟・8゜40´E なので,西偏

調査区位置図】と建物データ

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(2)本郷平廃寺(7世紀後半~9世紀初め)・・・四面廂の金堂を中心建物と考える。1989年の磁北の図なので,

  ほぼ正方位

【遺構配置図】と建物データ

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(3)小山池廃寺(7世紀末葉~平安)・・・四面廂の西方建物基壇を根拠として,東西棟・3゜50´E なので,東偏

調査区の位置と伽藍配置】と建物データ

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(4)中谷廃寺(7世紀中葉~平安時代後半)・・・四面廂の第2建物基壇を根拠として,東西棟・6゜30´E なので,東偏

建物データ

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(5)備後国分寺(8世紀中葉~)・・・金堂と思しき基壇を根拠として,東西棟。磁北なら,西偏

【遺構配置図】と建物データ

2019年6月22日 (土)

岡山県の〈官衙遺跡〉の集計 6/22

【備前】

~6世紀半ばまで・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・百間川米田(東間)(東)

7世紀後半・・・

8世紀・・・川入・中撫川(ほぼ正方位),津島江道(西),原尾島(東),佐山丸山(やや西)

9世紀以降~・・・津寺(西),ハガ(東),妹尾住田(東)

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【美作】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・美作国府(東),宮尾(ほぼ正方位),勝間田・平(ほぼ正方位)

8世紀・・・門前池(正方位か),谷尻(正方位か),備中平(東),大田茶屋(東),美作国府(正方位か),

  久田原(西)

9世紀以降~・・・高本(西)

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【備中】

~6世紀半ば

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・三須河原のうち.倉の多い中須賀遺跡(やや西)

8世紀・・・坊ノ内(西),倉のない三須河原遺跡(東→西→正方位),宮ノ前(ほぼ正方位),横寺(ほぼ正方位),

  西江(西),二野(西),毎度(東)

9世紀以降~・・・窪木(ほぼ正方位),

※ 鬼ノ城~西偏の遺構が多いものの,山城のため一つには絞れない

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これで岡山県の〈官衙遺跡〉の集計はおしまいです。

岡山県だけで,3国稼げました。(笑)

続いて,広島県へ進みます。

2019年6月21日 (金)

岡山県の〈官衙遺跡〉 6/21

(1)西江(8世紀)・・・主な建物が,南北棟・Eを示しているので,西偏か

【いろいろ】と建物データ

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(2)二野(8世紀ヵ)・・・古い図であることも考慮して,建物データを見ていくと,西偏のもよう

【いろいろ】と建物データ

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(3)佐山丸山 (8世紀)・・・細長い建物3とその前の柱穴から牧舎とみて,それの管理棟を建物1とすると,やや西偏

【遺構配置図】と建物データ

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(4)毎度(奈良~平安)・・・二面廂の建物1を中心建物と考えて,東西棟・5゜20´E なので,東偏

【遺跡全体図】と建物データ

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(5)久田原(8世紀)・・・主軸が北=正方位のc群とその他の西偏に分けられる

集落の遺構配置図】と建物データ

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(6)勝間田・平(7世紀後半~平安前期)・・・建物2と建物4がⅠ期の正殿と脇殿,建物1と建物3がⅡ期の正殿と脇殿の関係。

  正殿の建物2と建物1は共に正方位と言ってもいい方位なので,ほぼ正方位

遺構平面図(平遺跡E2以東)】【遺構平面図(平遺跡E1以西)】と建物データ

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これで岡山県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

次回は【備前】【美作】【備中】に分けて集計してみます。

2019年6月20日 (木)

岡山県の〈官衙遺跡〉 6/20

(1) 窪木(平安時代中葉)・・・最大面積の片廂建物を中心として考えて,ほぼ正方位。

YA2A・2B区、HC1A区古代遺構全体図】と建物データ

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(2)坊ヶ内(8世紀初頭)・・・方位が書かれていないので判定できないが,上が北なら西偏

1区遺構配置図

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(3)三須河原(8世紀~9世紀)・・・倉の少ない河原地区の方位を調べてみると,南北棟のEが多いので,西偏か

遺構配置図(河原)】と建物データ

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(4)宮ノ前(8世紀前半~8世紀後半)・・・遺構平面図をざっと見た印象では,ほぼ正方位に見える

【遺構平面図】

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(5)横寺(8世紀末~9世紀)・・・二面廂のSB02を中心建物と考えて,ほぼ正方位

調査区配置図、第5調査区遺構配置図】と建物データ

 

 

岡山県の〈官衙遺跡〉 6/19ー2

(1) 高本(平安Ⅰ~平安Ⅴ)・・・建ー1と建ー2がほぼ一列に並んでいるので,それに直交する中心的建物があると考えて西偏,

さらに場所は移動するが,建ー9を中心建物とし建ー7を脇殿とするもの(西偏)と,建ー10を中心的建物とし,建ー6を脇殿とするもの(西偏)があるように思いました。スライスしてみればわかりやすいが,1枚の図に3パターン重ねられるとわかりにくい。と思って年度を見たら,

1985年。では,しょうがないですね。

【建物配置図】

Img_3236

 

2019年6月19日 (水)

岡山県の〈官衙遺跡〉6/19

(1)高本(平安時代)・・・最大面積である建物6を中心と考えて,やや東偏かほぼ正方位

【建物配置図】と建物データ

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(2)大田茶屋(奈良時代後半)・・・二面廂の建物52を中心建物と考えて,東西棟・7°Eなので,東偏

【古代遺構配置図2】と建物データ

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(3)美作国府(7世紀後半~9世紀)・・・Ⅰ期(国府成立以前) が東偏,Ⅱ期(国府期)が正方位で盛期,Ⅲ期が正方位で衰退期

【図11の遺構編年図】と建物データ

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(4)宮尾(7世紀後半~8世紀)・・・官衙の政庁付近で,ほぼ正方位

B溝区画建物配置】と建物データ

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(5)鬼ノ城(7世紀中頃から7世紀末頃築造~8世紀初め)・・・西偏の遺構が多いものの,山城のため一つには絞れない。

礎石建物配置】と建物データ

 

 

2019年6月18日 (火)

岡山県の〈官衙遺跡〉 6/18

(1)百間川米田(当麻)(7世中頃~8世紀後半)・・・全体図の南にある四面廂を中心に考えて,東偏。

遺構全体図(当麻調査区)

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(2)妹尾住田(9世紀末~11世紀初め)・・・建物2が,東西棟・ほぼ真北ということで,ほぼ正方位

【古代遺構配置図

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(3)門前池(奈良~平安)・・・片廂の建物を中心と考えて,東偏。

1次調査第3地点遺構配置図】と建物データ

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(4)谷尻(奈良~平安)・・・いろいろな図面を見て,西偏と考えた。

【いろいろ】

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(5)備中平(奈良~平安)・・・建物13を中心として考えると,東西棟・18°Eなので,東偏。

1976年調査区全体図 】と建物データ

2019年6月17日 (月)

岡山県の〈官衙遺跡〉 6/17

(1)川入・中撫川 (8世紀)・・・南北に続く溝(用水路)に沿った建物(南北棟・W)が多い。それから考えると東偏。

古代遺構全体図】と建物データ

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(2)津島江道(奈良・平安)・・・2棟しかないが,どちらも西偏。

遺構平面図】と建物データ

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(3)津寺(津寺・政所)平城Ⅱ~Ⅳ期 )・・・片廂の最大面積の掘立柱建物が南北棟・W8°なので,東偏。

【いろいろ】と建物データ

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(4)ハガ(10世紀)・・・門の方位がやや東偏なので,東偏

E区古代1遺構図】と建物データ

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(5)原尾島(8世紀~9世紀前半)・・・建物データもなく,これだけの資料で判定するのは難しいが,西偏ぽい建物が。

検出遺構全体図

2019年6月16日 (日)

岡山県の〈寺院遺跡〉の集計 6/16

服部廃寺で,〈寺院遺跡〉はおしまいでした。

集計します。

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【備前】

~6世紀半ばまで・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・賞田廃寺(西),幡多廃寺(東),吉岡無廃寺(ほぼ正方位),服部廃寺(ほぼ正方位)

8世紀・・・馬屋(西)

9世紀以降~・・・加茂政所廃寺(西),ハガ(東),

※ 備前国分寺(西10°以上)

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【美作】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・今岡廃寺(やや東),大海廃寺(西),久米廃寺(ほぼ正方位),

8世紀・・・大田茶屋(東),美作国分寺(やや西偏)

9世紀以降~・・・

※英賀廃寺(東)

※美作国分尼寺(ほぼ正方位)

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【備中】

~6世紀半ば

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・日畑廃寺(正方位),関戸廃寺(ほぼ正方位), 寺廃寺(ほぼ正方位),秦廃寺(ほぼ正方位)

8世紀・・・備中国分寺(西),

9世紀以降~・・・鬼ノ城(仏堂)(西),

※ 備中国分尼寺(やや西偏)

 

2019年6月15日 (土)

岡山県の〈寺院遺跡〉 6/15

(1)新山廃寺(平安末期)・・・遺構配置を見た感じでは,西偏の印象だが,山岳寺院でもあるので判定しないということで。

【遺構配置】と建物データ

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(2)秦原廃寺(7世紀中葉~)・・・秦原廃寺平面図 と伽藍配置図を見た感じでは,ほぼ正方位かやや西偏の印象。

秦原廃寺平面図】【伽藍配置図】と建物データ

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(3)備中国分寺(8世紀中葉~12世紀 )・・・中心線から判断して,やや西偏

【平面図】

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(4)備中国分尼寺()・・・中心線から判断して,やや西偏

【平面図】と建物データ

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(5)服部廃寺(7世紀末葉~14世紀初め)・・・ほぼ正方位かわずかに東偏しているように思われる

【トレンチ配置図】と建物データ

 

 

2019年6月14日 (金)

岡山県の〈寺院遺跡〉 6/14

(1)美作国分寺(8世紀後半~)・・・やや西偏

【伽藍配置】と建物データ

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(2)美作国分尼寺()・・・わずかに西偏

調査区の位置と遺構配置

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(3)関戸廃寺(7世紀後葉~12世紀)・・・金堂・塔ともに.1°Eをしめすので,ほぼ正方位かわずかに東偏

伽藍配置想定図】と建物データ

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(4)栢寺廃寺 (7世紀後葉~)・・・トレンチ配置図の印象と塔が南北棟・6゜30´W なので,東偏

【トレンチ配置図】と建物データ

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(5)鬼ノ城(仏堂) (9世紀~10世紀)・・・仏堂を中心建物と考えて,東西棟・5°Wなので,西偏

Ⅱ区(礎石建物群)】と建物データ

 

2019年6月13日 (木)

岡山県の〈寺院遺跡〉 6/13

(1)楢原廃寺(7世紀中葉~10世紀か)・・・瓦やなんかが詰まっているところから導き出せますかね?

【トレンチ配置図】と建物データ

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(2)日畑廃寺(7世紀後半~11世紀頃)・・・四面廂の建物を中心と考え,南北棟・0°で,西偏(東が正面)

【】と建物データ

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(3)大田茶屋 (奈良時代後半)・・・二面廂の建物を中心と考えて,東西棟・7°Eなので,東偏

古代遺構配置図1】と建物データ

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(4)久米廃寺(7世紀末葉~9世紀)・・・四面廂の建物Ⅱを中心に考えると,南北棟・1゜43´E なので,ほぼ正方位かやや西

【遺構配置図】

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(5)法事坊(8世紀~9世紀)・・・山の形状から,東偏か

遺跡全体図】と建物データ

2019年6月12日 (水)

岡山県の〈寺院遺跡〉 6/12

(1)備前国分寺 ()・・・四面廂の金堂をはじめとして,やや西偏

  金堂・講堂ともに,基壇外装は検出されていないが木製基壇の可能性が考えられる

【伽藍復元図】と建物データ

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(2)馬屋(8世紀中心)・・・建物4が最大面積なので,これを中心建物と考えると,南北棟・24°Eなので,西偏

土盛部遺構平面図】と建物データ

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(3)英賀廃寺 ()・・・唯一出ている塔の方位を参考にして,4°Eなので,やや東偏かほぼ正方位

【伽藍推定図】と建物データ

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(4)今岡廃寺7世紀第Ⅲ四半期~10世紀ないし11世紀)・・・古代因幡道と近世因幡往来に挟まれているので,ほぼ正方位

推定寺域と推定伽藍配置

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(5)大海廃寺(7世紀後半~8世紀末葉に火災により焼失か)・・・四面廂の金堂を中心建物と考えて,南北棟・8.5°Wなので,東偏

【伽藍復元図】と建物データ

2019年6月10日 (月)

岡山県の〈寺院遺跡〉 6/11

(1)加茂政所廃寺9世紀~11世紀)・・・不整形ではあるが,四面廂が南北棟・8°Eなので,西偏

加茂政所廃寺】と建物データ

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(2)堂敷山廃寺 ()・・・手書きではあるが,やや西偏かほぼ正方位

寺院跡略図

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(3)賞田廃寺7世紀後半~14世紀前半に焼失)金堂とみられる四面廂を中心と考えて,東西棟・10°Wなので,西偏

伽藍配置】と建物データ

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(4)ハガ(10世紀)・・・門を中心建物と考えて,ほぼ正方位かやや東偏

ハガ遺跡古代遺構変遷図】と建物データ

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(5)幡多廃寺(7世紀後葉~9世紀)・・・塔の2°Eを頼りに,ほぼ正方位かやや東偏

軒瓦出土位置と推定伽藍】と建物データ

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(6)吉岡廃寺(7世紀後葉~8世紀後葉)・・・伽藍配置想定図から,ほぼ正方位か,やや西偏

伽藍配置想定図

 

 

千葉県の〈官衙遺跡〉の集計(訂正版)6/10

●印が,川瀬さんに補っていただいたところです。

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【下総】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・大袋山王第2(西),

7世紀後半・・・大北(正方位),芳賀輪(正方位),山王台(東),高岡大山(北部が西,南部が東),

8世紀・・・荻生道(前半東,後半西),中鹿子(西),大袋小谷津(東),幡谷宮谷第1 (西),寺崎向原(東偏),

  西深井七ノ割 (西),栗谷(西),白幡前(西),日秀西(西),野守(西),飯積原山(ほぼ正方位→東),

  大畑・向台遺跡群(8世紀第2四半期に東。Ⅱ~Ⅴ期に西偏)

  ●下総国分Ⅰ期(8世紀中葉・ほぼ正方位) 下総国分Ⅱ期(8世紀後葉~9世紀前葉・西)

  ●下総国府Ⅰ期(8世紀前葉・西) 下総国府Ⅱ期(8世紀中葉~9世紀前葉・ほぼ正方位)

9世紀以降~・・・大北(西),芳賀輪(西),黒ハギ(西),山王台(西),白幡前(西の正方位→東),

 日秀西(正方位),野守(正方位),池ノ下(東)

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【上総】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・山王台(東),芝崎遺跡群 ,●嶋戸東Ⅰ期政庁(東)

8世紀・・・潤井戸西山 (西),古甲(ほぼ正方位),村上(西),台前(東)

  ●嶋戸東Ⅱ期(前葉・西) 嶋戸東Ⅲ期(8世紀中葉~9世紀中葉・正方位) 嶋戸東Ⅲ期以降(東)

9世紀以降~・・・山王台(西),古甲(ほぼ正方位),村上(正方位),三直中郷 (東),

  大網山田台№6(一本松) (東→西),

※ 丹過(時期の分け方に疑問)芝崎遺跡群 (西)

※ 稲荷台(古墳~平安)

※ 常代(5世紀中葉~8世紀後葉)

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【安房】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

8世紀・・・

9世紀以降~・・・

千葉県の〈官衙遺跡〉の集計 6/10

【下総】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・大袋山王第2(西),

7世紀後半・・・大北(正方位),芳賀輪(正方位),山王台(東),高岡大山(北部が西,南部が東),

8世紀・・・荻生道(前半東,後半西),中鹿子(西),大袋小谷津(東),幡谷宮谷第1 (西),寺崎向原(東偏),

  西深井七ノ割 (西),栗谷(西),白幡前(西),日秀西(西),野守(西),飯積原山(ほぼ正方位→東),

  大畑・向台遺跡群(8世紀第2四半期に東。Ⅱ~Ⅴ期に西偏)

9世紀以降~・・・大北(西),芳賀輪(西),黒ハギ(西),山王台(西),白幡前(西の正方位→東),

 日秀西(正方位),野守(正方位),池ノ下(東),

※ 下総国府(場所・時期によって,方位が違う)

※ 下総国分(時期によって,方位が違う。100年編年をずらすと「方位の考古学」と合う)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【上総】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・山王台(東),芝崎遺跡群

8世紀・・・潤井戸西山 (西),古甲(ほぼ正方位),村上(西),台前(東),

9世紀以降~・・・山王台(西),古甲(ほぼ正方位),村上(正方位),三直中郷 (東),

  大網山田台№6(一本松) (東→西),

※ 丹過(時期の分け方に疑問)芝崎遺跡群 (西)

※ 稲荷台(古墳~平安)

※ 常代(5世紀中葉~8世紀後葉)西

※ 嶋戸東(8世紀末~9世紀初頭。10世紀には廃絶)(時期と場所によって,方位が変わる)

●Ⅰ期政庁~東偏

●中央建物群

Ⅰ期・Ⅱ期~西

Ⅲ期~東

●西方建物群

Ⅲ期b~正方位

Ⅲ期後半~東

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【安房】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

8世紀・・・

9世紀以降~・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで千葉県の〈官衙遺跡〉の集計はおしまいです。

とても千葉県は数が多かったし,いろいろと複雑でした。

 

2019年6月 9日 (日)

千葉県の〈官衙遺跡〉 6/9

(1)大網山田台№6(一本松) (9世紀後半)・・・2つの四面廂を比べると,9世紀後半を境に,西偏→東偏へと大きく変化している

【遺構図】【南側調査区建物配置】と建物データ

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(2)台前(8世紀後半~9世紀前葉)・・・四面廂に注目すると,南北棟・20°Wなので,東偏

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)飯積原山 (奈良・平安)・・・二面廂のSB022を中心建物に考え,南北棟・7~8゜E で,西偏。

  第1建物群・・・東→正→正,第2建物群・・・二面廂の西偏,第3建物群・・・西→正

【いろいろ】と建物データ

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(4)大畑・向台遺跡群7世紀第4四半期~8世紀第4四半期)・・・大畑Ⅱ遺跡の2つの四面廂に注目。45°W,42°Eということで,

  東偏とも西偏とも・・・

【いろいろ】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)芝崎遺跡群8世紀~11世紀前半)・・・9世紀前半と10世紀前半の四面庇が,それぞれ東西棟・8°Wと11°Wので,西偏

 【いろいろ】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで千葉県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

次回は集計をします。

2019年6月 8日 (土)

二度あることは三度あるか?(工事中)

「二度あることは三度ある」という言い方があるが,

昨夜こんなアイデアが浮かんだことを書き留めておきたいと思う。

これまでの「方位の考古学」の研究の中で,

各地の重要な都市(重要な拠点)に,

九州王朝が「東偏の街づくり」をしてきたことが分かってきた。

例えば山口県防府市や東京都府中市である。

これに今回の茨城県石岡市も入るのではないか,ということである。

証拠はいくつか上がってきた。

(1)常陸国分尼寺・・・東偏5度

(2)常陸国分僧寺・・・地下に東偏を示すものあり

(3)茨城「評衙」・・・「田島遺跡(田島下地区)」がそれにあたるなら東偏。ただし,角度は大きい

これらが単純に点(・)のように作られたのではなく,

東偏の街並みの中につくられたとすると,防府市や府中市と似た形になる。

もちろん証拠はまだ少ないのであるが,石岡市で何か古代の遺構が出土した時,

「東偏の街づくり」という仮説があれば,ピンとくるのではないかと思った。

東山道と東海道が合流すること街は,「重要な拠点」であることは間違いないだろう。

 

千葉県の〈官衙遺跡〉6/8

(1)常代(5世紀中葉~8世紀後葉)・・・四面廂(SBー1)を中心的建物と考えて,東西棟・28°Eなので,東偏と考える。1棟だけ離れているが・・・

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)三直中郷 (9世紀)・・・四面廂(ⅠSB―010)を中心建物と考え,東西棟・3°Wなので,やや東偏かほぼ正方位

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)池ノ下(9世紀後葉)・・・四面廂(6号掘立柱建物)を中心建物と考えて,斜め・45°Wなので,東偏か

【遺構図】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)平木(9世紀前半)・・・最大面積のSB6を中心建物と考えて,東西棟・2°Eなので,やや東偏かほぼ正方位

遺構配置図1】【遺構配置図2】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)嶋戸東(8世紀末~9世紀初頭)・・・SB001を中心たてものと考えて,東西棟・5°Eなので,東偏

中央建物群変遷図

2019年6月 7日 (金)

千葉県の〈官衙遺跡〉 6/7

(1)村上(8世紀初頭~9世紀)・・・Aグループは,西偏。Bグループは,西→正→正と変化しているように見える。

Aグループの掘立柱建物跡【Bグループの掘立柱建物跡

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(2)西深井七ノ割(8世紀)・・・四面廂のような建物を中心と考えて,東西棟・4°Wなので,西偏

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)栗谷(奈良~平安時代)・・・四面廂を中心建物と考えて,東西棟・4°Wなので,西偏

奈良・平安時代遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)白幡前(8世紀前半~10世紀初め)・・・歴史時代1群(西),歴史時代2群(正方位・東が混じる),歴史時代3群  (東・西)?

白幡前遺跡遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)日秀西(8世紀~9世紀)・・・廂かどうか不明という5号掘立柱建物を中心と考えて,南北棟・35°Eとしたら,西偏

建物跡分布図】【建物群変遷図】と建物データ

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(6)野守(8世紀第3四半期以降9世紀第4四半期以前)・・・四面廂の16号掘立柱建物を中心と考えて,南北棟・4°W     なので,東偏

遺構全体図(1~7次)】【遺構変遷図】【遺構全体図(10~11次)】と建物データ

2019年6月 6日 (木)

千葉県の〈官衙遺跡〉 6/6

(1) 潤井戸西山(8世紀ヵ)・・・門を中心的建物と考えて,東西棟・5°Wなので,西偏

歴史時代遺構全測図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)郡本(奈良・平安時代)・・・中心建物は発掘されていないが,南北棟・20°Wほどの3つの建物に,中心建物と直交すると

  思われるので,東偏と考える。

遺構配置図(2・4次)】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)西野(8世紀中葉~9世紀後半) ・・・掘立柱建物の年代を見てみると,8世紀にやや東偏・正方位が見られ,9世紀以降に

  西偏・東偏が見られる

中央部調査区遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)古甲()・・・中心建物らしきものは見つかっていないが,SB02が南北棟・1~2゜W ということで,やや東偏かほぼ正方位

【遺構平面図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)

【】

 

2019年6月 5日 (水)

千葉県の〈官衙遺跡〉 6/5

(1)幡谷宮谷第1 (奈良~中世)・・・真ん中あたりに正方位があるが,南部は四面廂を含め,

  多くの建物が西偏している

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)高岡大山(7世紀末葉~11世紀)・・・同じ四面廂でも,10世紀前半の124号掘立は西偏で,

  10世紀後半の83号掘立は東偏である。このあたりで,西偏→東偏の変化があったのか。

遺構変遷図(平安Ⅳ~Ⅵ期】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)高岡大福寺(8世紀中葉~9世紀前葉)・・・四面廂の5号掘立柱建物を中心と考えて,

  東西棟・19度°Eなので,東偏

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)寺崎向原(9世紀中葉~後半)・・・2棟の四面廂があって,9世紀中葉の208遺構は東偏で,

  9世紀後葉の285遺構も東偏である。したがって,東偏と考える。

【建物配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5) 稲荷谷()・・・四面廂の建物を中心と考えて,東西棟・20°Wなので,西偏

【遺構図】と建物データ

2019年6月 4日 (火)

千葉県の〈官衙遺跡〉 6/4

(1)下総国府(8世紀前葉)・・・四面廂を中心建物と考えて,南北棟・3°Wなので,やや東偏かほぼ正方位

第13地点(10)全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)下総国分(8世紀中葉)・・・Ⅰ期の最大面積の建物(SB4)を中心と考えて,南北棟・11°Wなので,東偏

4~6次遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)山王台(9世紀前半)・・・四面廂(第5号掘立柱建物)を中心的建物と考えて,東西棟・ややWとおもわれるので,西偏

【 変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)丹過7世紀~8世紀後半)・・・片廂のSB51を中心建物と考えて,南北棟・1°Wなので,わずかに東偏または,ほぼ正方位

【遺構全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)大袋小谷津(9世紀前葉)・・・四面廂(23号掘立)を中心建物と考えるが,44°Eと大きい数値なので,西偏と考えたい

遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(6)大袋山王第2(B地区) (7世紀後半)・・・2つの四面廂があるが,東西棟・5°Wと南北棟・26°Eなので,いずれも西偏

【遺構図】と建物データ

 

2019年6月 3日 (月)

千葉県の〈官衙遺跡〉6/3

★ 安房→上総→下総の順は行ったり来たりして面倒なので,記載順にやって,最後に地域別に集計します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)大北(8世紀後葉)・・・Ⅲ期の柵列内の建物の様子とⅣ期の片廂の建物を中心と考えて,南棟・6°Eなので,西偏

主要遺構変遷図 】と建物データ

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(2)芳賀輪(7世紀後半~10世紀 )・・・四面廂を中心建物と考え,南北棟・16°Eなので,西偏

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)荻生道 (8世紀前半)・・・2つの四面廂が向き合って建っており,入り口が南にあるので,建物は南北棟・Eだが,

  2つの建物の中心線をとって,東偏

【全体図】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)黒ハギ(9世紀)・・・四面廂の建っている区画の方位が西向きなので,西偏

建物配置図(Ⅰ区)】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)中鹿子(8世紀中葉~10世紀)・・・一番面積の広い建物を中心と考えて,南北棟・20°Eなので,西編。 A群(東)・B群(西)

遺構変遷図(A群)遺構変遷図(B群)】と建物データ

2019年6月 2日 (日)

千葉県の〈寺院遺跡〉の集計 6/2

【下総】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・谷津(西)

7世紀後半・・・名木鎌部廃寺 (東),成田ニュータウン内遺跡群(Loc15郷部・加良部)(東)

  江原台(東は西偏,西は東偏,木下廃寺(東)

8世紀・・・千葉寺無廃寺(東),大椎第2(西),小食土廃寺(西),下総国分寺(西→東),

  大塚前(ほぼ正方位),成田ニュータウン内遺跡群(Loc20山口 (東)野毛平植出(西),

  内田端山越(西),坂戸清水作(西),南広(東),六拾部(Ⅲ期・東,Ⅳ期・ほぼ正方位,Ⅴ期・東)

  吉見台B地点(西),大井東山(西),白幡前(西),駒詰(東)

9世紀以降・・・越川戸(西),夏見大塚(ほぼ正方位),本郷台(ほぼ正方位),塚越(西),

  織幡妙見堂(ほぼ正方位),多田日向(西)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【上総】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・庄作(東),

7世紀後半・・・二日市場廃寺(正方位),九十九坊廃寺(東),

8世紀・・・山ノ上A(ほぼ正方位),小谷(西→東),滝東台(東),坊作(東),南子安金井崎 (東),

  浮矢Ⅰ(東),上大城(西),鷺山入 (東),真行寺廃寺(西),湯坂(東),砂田中台(東)針ヶ谷(東)

9世紀以降~・・・久野(正方位),大網山田台№3(西),尾亭(西),作畑(西),針ヶ谷(西),羽戸(東),

  坊作(東),下谷(ほぼ正方位),東郷台(東),永吉台遺跡群遠寺原地区 (西),松尾町大山(ほぼ正方位)

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【安房】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

8世紀・・・

9世紀以降~・・・

 

2019年6月 1日 (土)

千葉県の〈寺院遺跡〉 6/1

(1)駒詰(8世紀)・・・主要建物の多くが,南北棟・Wをしめしているので,東偏

遺構全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)塚越(9世紀前半)・・・四面廂を中心建物と考えて,東西棟・34゜Eなので,東偏 

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)織幡妙見堂9世紀前半~中葉 )・・・四面廂を中心建物と考えて,ほぼ正方位

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4)多田寺台(8世紀中葉)・・・方位が書いていないが,上を北とすると,東偏か

【遺構全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5)多田日向(9世紀後葉)・・・四面廂を中心建物と考えて,東西棟・32゜E なので,東偏

【遺構図】【遺構変遷図】と建物データ

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これでようやく千葉県の〈寺院遺跡〉はおしまいです。

「安房」「上総」「下総」の3分類で集計したいと思います。

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