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2019年5月

2019年5月31日 (金)

千葉県の〈寺院遺跡〉 5/31

(1)大井東山(8世紀末葉~9世紀前半 )・・・四面廂の仏堂を中心建物と考えて,東西棟・14°Wなので,西偏

【遺構図】と建物データ

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(2)手賀廃寺(8世紀後半~10世紀初め )・・・方位は混合。せっかく仏教的遺物が出土しているので,掲載してほしい。

【全体図】

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(3)白幡前(集落)8世紀末葉~9世紀初め )・・・HO69の四面廂の仏堂を中心建物と考えて,南北棟・34゜E なので,西偏

歴史時代2群Aグループ全体図

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(4)大塚前(8世紀第3四半期~ )・・・四面廂の寺院を中心建物と考えて,やや東偏かほぼ正方位

【遺構配置図】と建物データ

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(5)木下廃寺(7世紀後半)・・・基壇の方位を参考にして,東偏

【基壇平面図】

2019年5月30日 (木)

千葉県の〈寺院遺跡〉 5/30

(1)太田宿()・・・二面廂の建物(仏堂ヵ)を中心建物と考え,東西棟・3°Eなので,やや東偏またはほぼ正方位

【遺構配置図】と建物データ

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(2)坂戸清水作(8世紀中葉~9世紀 )・・・建物を群としてみて,東偏か

【遺構配置図】

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(3)長熊廃寺()・・・基壇をともなう建物を中心として,1987年の調査なので磁北とみて,ほぼ正方位

トレンチ配置と昭和26年調査時の想定

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(4)南広(8世紀第2四半期~9世紀中葉 )・・・西廂の建物があるので,東偏か

【遺構配置図】

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(5)吉見台B地点(8世紀後葉~10世紀初め )・・・四面廂を中心建物と考え,30°西なので,西偏

【遺構図】と建物データ

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(6)六拾部(8世紀前葉~9世紀中葉)・・・台地上に築かれた建物なので,いろいろな方位か

【建物配置図】

2019年5月29日 (水)

千葉県の〈寺院遺跡〉 5/29

(1)野毛平植出8世紀後半~9世紀後半 )・・・建物データに掲載のSB015とSB017が共に東西棟・

  W(26°と22°)を示すので,西偏。

  ただし,取香川右岸の南へ張り出す舌状台地上 の建物なので,地形的な制約もあると思われる

遺構配置図】と建物データ

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(2)村田居山(7世紀末葉~10世紀初め)・・・竪穴建物ばかりで,方位の判定はできない

【遺構図】

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(3)吉倉白ヶ峰()・・・1掘立と2掘立は方位が似ているようにも思うが,3掘立は違い,

  地形的な制約もあるので,判定不能

【遺構図】

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(4)内田端山越8世紀第4四半期~9世紀前半 )・・・Ⅳ期の四面廂を中心建物と考え,

  東西棟・Wなので,西偏

5HA遺構配置図 】と建物データ

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(5)江原台(7世紀後葉~10世紀前葉 )・・・地域によって方位に違い。西部は東偏,東部は西偏か。

【全体図】

2019年5月28日 (火)

千葉県の〈寺院遺跡〉 5/28

(1)夏見大塚(9世紀中葉ヵ)・・・四面廂を中心建物と考えて,東西棟・3°Eなので,やや東偏,またはほぼ正方位

第2次調査・26調査地点遺構図 】と建物データ

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(2)本郷台(9世紀中葉~後葉 )・・・四面庇を中心建物と考え,東西棟・4°Eなので,やや東偏,またはほぼ正方位

遺構図(7次)】と建物データ

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(3)名木鎌部廃寺7世紀末から8世紀初め~9世紀 )・・・基壇の方位から,東西棟・22°Eなので,東偏

調査区の位置 】と建物データ

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(4)成田ニュータウン内遺跡群(Loc15郷部・加良部) (8世紀~9世紀)・・・四面廂の正堂を中心建物と考えて,

  41゜30´E なので,東偏

【村落内寺院】と建物データ

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(5)成田ニュータウン内遺跡群(Loc20山口) (8世紀~9世紀)・・・四面廂を中心建物と考えて,35°Eなので,東偏

【村落内寺院】と建物データ

2019年5月27日 (月)

千葉県の〈寺院遺跡〉 5/27

(1)越川戸(9世紀中葉)・・・四面廂を中心建物と考え,東西棟・22°Wなので西偏

遺構配置図 】と建物データ

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(2)小食土廃寺 (8世紀後半~)基壇が東西棟・13°Eとあるが,13°Wの間違いだと思うので,西偏

 ※参考 東西約50×南北約40mの溝に囲まれた西寄りにあり。木製基壇外装。5×4間を想定。

【全体図】と建物データ

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(3)下総国分(8世紀中葉)・・・Ⅰ期の建物であるSB6の東西棟・5°Eをとって,東偏か

4~6次遺構図 】と建物データ

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(4)下総国分寺(8世紀後半~)・・・時期はわからないが金堂が東西棟・11°Eなのと,再建ではあるが四面廂の講堂が

  東西棟・4°Eなので,東偏か

主要堂塔と一院 】と建物データ

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(5)下総国分尼寺()・・・金堂と講堂が,ともに東西棟・5°Eなので,東偏

寺院地の範囲と規模 】と建物データ

2019年5月26日 (日)

千葉県の〈寺院遺跡〉 5/26

(1)庄作(7世紀中頃~10世紀前半 )・・・建物全体の傾向から,東偏

掘立柱建物配置図

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(2)新台(8世紀末葉・9世紀後半 )・・・東偏・西偏

縄文時代から平安時代の遺構配置図

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(3)針ヶ谷(8世紀後半 )・・・四面庇を中心建物と考えて,南北棟・6°Eなので,西偏

【遺構図】

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ここまで,上総国。以下,下総国をやっていきます。

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(4)千葉寺無廃寺(8世紀前半ヵ~ )・・・境内の方位・伽藍配置からいって,東偏

【境内実測図】

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(5)谷津(7世紀~9世紀)・・・2棟だけだが,大型建物が10°Wのようなので,西偏と考える。

千葉急行線内調査遺構配置図 】と建物データ

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(6) 内野台(9世紀中~後)・・・四面廂の正堂を中心建物と考え,東西棟・10°Eなので,東偏

【建物配置図】

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(7)大椎第2 (8世紀)・・・片廂の第2掘立柱建物(仏堂ヵ)を中心と考え,東西棟・33°Wなので,西偏

【遺構全体図】と建物データ

2019年5月25日 (土)

千葉県の〈寺院遺跡〉5/25

(1)鷺山入8世紀第3~4四半期 )・・・片廂を中心建物と考えて,東偏

掘立柱建物遺構配置図

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(2)真行寺廃寺8世紀初頭~10世紀後半~11世紀 )・・・四面庇を中心建物と考える。1984年ということなので,

  ほぼ正方位か,やや東偏

武射郡衙  調査区の位置 】と建物データ

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(3)松尾町大山(9世紀)・・・中心建物が東西棟・1°や南北棟・0°なので,ほぼ正方位

遺跡全体図 】と建物データ

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(4)湯坂(8世紀前半ヵ )・・・基壇から推測して,東偏か

遺跡地形図 】と建物データ(基壇)

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(5)砂田中台(8世紀中~10世紀前半 )・・・四面庇を中心建物と考えて,南北棟・7°Wなので,東偏

遺構配置図 】と建物データ

2019年5月24日 (金)

千葉県の〈寺院遺跡〉 5/24

(1)九十九坊廃寺(7世紀第4四半期)・・・塔が南北棟・12°Eで,講堂が南北棟・6°E。したがって,西偏。 

遺構配置図 】と建物データ

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(2)南子安金井崎 (奈良)・・・主要建物が4つ南北棟・Eなので,西偏

奈良・平安時代遺構配置図

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(3)浮矢Ⅰ(8世紀前半)四面庇を中心建物と考えて,南北棟・20°Wなので,東偏

【全体図】と建物データ

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(4)上大城(8世紀中頃~9世紀)・・・片廂の2棟が向き合って建っているので,その間に中軸線を考えて,西偏か

掘立柱建物集中地点遺構図 】と建物データ

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(5) 下谷(9世紀頃)・・・四面庇を中心建物と考えて,南北棟・1°Eなので,ほぼ正方位(北向きではないが)

B区遺構配置図 】と建物データ

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(6) 東郷台(9世紀第2四半期~第4四半期)・・・四面庇を中心建物と考えて,東西棟・9°Eなので,東偏と考える

遺構配置図 】と建物データ

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(7) 永吉台遺跡群遠寺原地区 (9世紀)・・・四面庇を中心建物と考えて,東西棟・Wなので,西偏と考える

【遺構図】と建物データ

 

2019年5月23日 (木)

千葉県の〈寺院遺跡〉 5/23

(1) 二日市場廃寺 (7世紀第4四半期 )・・・B区遺構配置図に不完全ながら,建物の一部が出土している。

 時期も7世紀第4四半期ということで,西偏またはほぼ正方位と考える(1984年で磁北なので)

B区遺構配置図

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(2) 坊作(8世紀中葉~9世紀後葉 )・・・上総国分尼寺に隣接していることもあって,。全体として西編の集落のように思う。

【上総国分尼寺と坊作遺跡

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(3) 奉免上原台 (8世紀第1四半期 )・・・方形墳墓仏教関連施設ヵ ということだが,掘立柱建物が見つからない。不明

【全体図】

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(4) 南大広()・・・塔のような基壇があり,中心建物の感じ。真北なら正方位。磁北なら西偏

B地区遺構配置図

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(5)  孟地()・・・出土物も多く,解きたいが,時期も方位も手掛かりが・・・。

2つの【調査区の位置】

2019年5月22日 (水)

千葉県の〈寺院遺跡〉5/22

(1)荒久 (奈良時代~)・・・上総国分僧寺跡は,西廂の建物,建物群全体の様子から東偏(だいぶ前に分析しましたね)

  その東方にあたる荒久地区は境内の続きなのか東偏と考える

上総国分寺周辺の遺構

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(2)上総国分寺(8世紀中葉~11世紀後半 )・・・Ⅰ期は東偏,Ⅱ期・Ⅲ期は正方位,西偏も

【遺構変遷図】と建物データ

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(3)上総国分尼寺(8世紀中葉~10世紀頃 )・・・四面廂の金堂など,東西棟・3゜41´W なので,やや西偏

B2期の伽藍】と建物データ

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(4) 千草山(8世紀~)・・・二面廂を中心建物と考え,南北棟・29゜E なので,西偏

【千草山廃寺遺構変遷予想図 】と建物データ

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(5) 萩ノ原(8世紀第4四半期 )・・・四面庇を中心建物と考え,東西棟・5°Eなので,東偏

【遺構図】と建物データ

 

2019年5月21日 (火)

千葉県の〈寺院遺跡〉 5/21

(1)大網山田台№3(新林ⅠⅡⅢⅣ遺跡) (9世紀後半)・・・四面廂の中心建物の方位が,東西棟・11.5゜W なので西偏

村落内寺院の遺構配置 】と建物データ

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(2)尾亭(9世紀)・・・四面廂の中心建物の方位が,東西棟・34°Eなので東偏

【堂の変遷】と建物データ

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(3) 作畑(10世紀頃ヵ)・・・四面廂の中心建物の方位が,東西棟・29°Wなので西偏

【遺構図】と建物データ

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(4) 滝東台(6世紀後半~9世紀後半)・・・遺構配置図1では正方位に近いものが多いが,遺構配置図2では入り混じっている感じ

【遺構配置図1】【遺構配置図2】

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(5) 鉢ヶ谷(9世紀)・・・四面廂の中心建物の方位が,東西棟・14°Wなので西偏

【Ⅲ区(北)遺構図 】と建物データ

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(6)羽戸(9世紀)・・・四面廂の中心建物の方位が,南北棟・26°Wなので東偏

B-17中心とした時期別遺構配置】と建物データ

2019年5月20日 (月)

千葉県の〈寺院遺跡〉5/20

(1)安房国分寺(不明)・・・金堂の基壇らしき場所があり,東西棟・7.5゜E という。これだけなら東偏だが,

  他の建物との関係が不明なので,わからないとしておく。

建物データ

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(2)安房国分尼寺(不明)・・・

【】

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安房は,この2つでおしまい!?

上総を続けてやることにします。

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(1)山ノ上A(8世紀後半~)・・・四面廂の仏堂のようだ。南北棟・方形で方位はわからないとしたいが,

 西側と東側の等高線から見て,傾斜の緩い西側から登っていくと思えたので,東偏でどうでしょう。

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(2)久野(世紀後半)・・・丘陵上の遺跡ではあるが,2つの四面庇がほぼ正方位なので,正方位と考えたい。

【遺構図】と建物データ

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(3)小谷(8世紀後半~9世紀初め )・・・中心建物が盛土基壇のみで掘り込み地業なしの上に,礎石も移動では判断できないが,

  地図に印刷されている状況からいうと,西偏に見えるような気もする。

【遺構変遷図】と建物

2019年5月19日 (日)

神奈川県(相模国)の〈官衙遺跡〉の集計 5/19

【相模国】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・高林寺(正方位),諏訪前B(ほぼ正方位),下寺尾西方A(東),御屋敷添(東・正方位)

  海老名本郷(東),

8世紀・・・厚木道(西),稲荷前A(正方位・西),梶谷原B(ほぼ正方位),構之内(ほぼ正方位),

  山王A(やや東・ほぼ正方位),神明久保(東が多い),諏訪前A(東),大会原(東),

  天神前(ほぼ正方位・西),向原(正方位),六ノ域(ほぼ正方位),今小路西(郡庁。東),

  川名清水(東),下寺尾西方A(正方位・西),御屋敷添(西),海老名本郷(正方位)

9世紀以降~・・・厚木道(西・東)高林寺(東),山王B(西),坪ノ内(東・ほぼ正方位),向原(西),

  三ッ俣(多くが西),海老名本郷(東),

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四之宮下郷は,年代がよくわからないが,東とほぼ正方位で,西偏はなさそう。

林Bも年代はよくわからないが,全体として東。

下曽我(8世紀~10世紀)は不明。

宮久保は川のカーブに沿った集落なので,不明。

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これで,神奈川県(相模国)の〈官衙遺跡〉の集計はおしまいです。

〈寺院遺跡〉に対して〈官衙遺跡〉は,数も多く,年代のずれも大きい感じがしました。

次は,安房でしたね?

2019年5月18日 (土)

神奈川県(相模国)の〈官衙遺跡〉5/18

(1)下寺尾西方A7世紀末~8世紀初頭。早期に他所に移転。 )・・・四面廂の H1掘立柱建物を中心建物とすれば,

 東西棟・3°Wで,ほぼ正方位またはやや西偏

【Ⅴ期の遺構】と建物テータ

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(2)御屋敷添7世紀後半~8世紀前半 )・・・全体に西偏だが,2段階で正方位が現れる

【遺構変遷図】と建物データ

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(3)海老名本郷(8世紀中頃~11世紀初頭 )・・・8号掘立柱建物を中心に考えると,南北棟・3゜20'E なので,やや西偏かほぼ正方位

遺構全体図(KE地区) 】と建物データ

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(4)宮久保(920~950年 )・・・面積の大きめのSB07などを調べてみると,どれも南北棟・Eを示しているので,西偏

掘立柱建物址配置図 】と建物データ

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これで,神奈川県(相模国)の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

次回は集計をします。

2019年5月17日 (金)

神奈川県(相模国)の〈官衙遺跡〉5/17

(1)向原(8世紀前半~11世紀初頭 )・・・112号掘立が南北棟・1°Eでほぼ正方位,115号掘立が0°,

 116号掘立が南北棟・2°Eでほぼ正方位,のように南部(奈良時代)は正方位,北部(平安時代)は西偏

【遺構平面図(奈良・平安)】と建物データ

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(2)六ノ域(8世後葉)・・・二湘南新道関連21-4区  NH2号大型掘立柱建物が二廂の西脇殿で,南北棟・1.5°Eということは,

  正殿は東西棟・1.5°E なので,ほぼ正方位

湘南新道関連遺跡21-4区 】と建物データ

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(3)今小路西 ()・・・東偏

古代の遺構配置概念図 】と建物データ

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(4)川名清水(8世紀初)・・・東偏

【遺構平面図】

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(5)下曽我 (8世紀~10世紀)・・・不明

【遺構全体図】

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(6)三ツ俣 (9世紀)・・・建物の多数が西偏

遺構全体図(G地区) 】と建物データ

2019年5月16日 (木)

神奈川県(相模国)の〈官衙遺跡〉5/16

(1)諏訪前B(7世紀末葉~8世紀 )・・・第5地点のSB01は棟方位不明ながら「2゜17´E 」とある。他の遺跡との関連で

そう判断されたのだろうか。正方形なので,ほぼ正方位

【第5地点全体図】と建物データ

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(2)大会原(8世紀後半以降)・・・SB01を中心建物と考えると,の南北棟・15゜E なので,西偏

【第3地点全体図】と建物データ

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(3)坪ノ内(9世紀後半~10世紀前半 )・・・二面廂のSB01を中心建物と考える。東西棟・9°Eなので,東偏

【第5地区全体図】と建物データ

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(4)天神前(8世紀中葉)・・・片廂のSB01を中心建物と考える。東西棟・7゜58´W なので,西偏

【第1地点全体図】と建物データ

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(5)林B()・・・SB03とSB05を中心建物と考える。両方とも南北棟・16°Eなので,西偏

【第4地点全体図】と建物データ

2019年5月15日 (水)

神奈川県(相模国)の〈官衙遺跡〉 5/15

(1)山王A(8世紀末葉~9世紀前半)・・・第4地点の2つの建物SB01(南北棟3°E)とSB04(東西棟2°E)が

ほぼ直交の関係にあり,後者は片廂なので中心建物と判断し,やや東偏ないしほぼ正方位

【第4地点全体図】と建物データ

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(2)山王B(9世紀後半)・・・第2地点の1号掘立柱建物がほかより規模が大きく,南北棟・7゜30´W なので東偏

【第2地点全体図】と建物データ

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(3)四之宮下郷()中心建物が見つけずらいが,多くの建物の方位がやや西偏か

掘立柱建物遺構配置図 】など

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(4)神明久保(8世紀~11世紀)・・・全体として東偏の印象

【第4地区全体図】と建物データ

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(5)諏訪前A(9世紀後半~10世紀初め頃 )・・・最大ではないが,片廂で東西棟・11゜51´E なので,東偏

【第4地点全体図】と建物データ

 

2019年5月14日 (火)

神奈川県(相模国)の〈官衙遺跡 5/14

(1)厚木道()・・・一番面積の大きいSB01を中心建物と考え,南北棟・10°Wなので,西偏

【第3地点全体図】と建物データ

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(2)稲荷前A(奈良後期)・・・何が中心建物がわからないので,不明

第1区地点全体図 】と【第3区地点全体図

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(3)梶谷原B (8世紀)・・・5つの建物のうち.SB02だけが南北棟・2°wなので中心建物と考えた。ほぼ正方位

【遺構全体図】と建物データ

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(4)構之内 (8~11世紀)・・・二面廂の5号掘立を中心建物と考え,南北棟・1°゜Wなので,ほぼ正方位

【遺構平面図】と建物データ

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(5)高林寺(世紀 )・・・第4地点のSB01を中心建物と考え,東西棟・3°Eなので,東偏

【第4区全体図】と建物データ

 

 

神奈川県(相模国)の〈寺院遺跡〉の集計 5/14

【相模国】

~6世紀半ば・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・南鍛冶山(西)

7世紀後半・・・下寺尾遺跡群七堂伽藍跡(東),相模国分寺(正方位)

8世紀・・・長井高原(西),千代廃寺(西)

9世紀以降~・・・真田・北金目遺跡群(西),愛名宮地(西),上の台廃寺(ほぼ正方位),相模国分尼寺(やや西)

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これで,神奈川県(相模国)の〈寺院遺跡〉の集計はおしまいです。

次回は,〈官衙遺跡〉に向かいます。

2019年5月13日 (月)

神奈川県(相模国)の〈寺院遺跡〉 5/13

(1)下寺尾遺跡群七堂伽藍跡 (7世紀後半~)・・・四面庇の東西棟・9°Eを中心建物(講堂ヵ)と見て,東偏

【伽藍地遺構配置図】と建物データ

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(2)愛名宮地(8世紀 )・・・三面廂の斜め(南北棟?)32°Eと考えて,西偏

【平安時代以降平面図】と建物データ

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(3)上の台廃寺 (9世紀後半)・・・建物が塔らしく,方形なので,方位不明

礎石と瓦溜まりの位置関係 】と建物データ

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(4)相模国分寺(7世紀第4四半期)・・・中心建物の四面庇の金堂・講堂が,正方位

【伽藍復元図】と建物データ

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(5)相模国分尼寺(9世紀後半)・・・中心建物の4面庇の金堂が,やや西偏

【全体図】と建物データ

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これで,神奈川県(相模国)の〈寺院遺跡〉はおしまいです。

次回は,集計します。

2019年5月12日 (日)

神奈川県(相模国)の〈寺院遺跡〉5/12

(1)宗元寺(7世紀後半~)・・・地形的に考えると,東偏

【伽藍配置案】

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(2)長井高原(8世紀前半)・・・四面廂(村落内寺院ヵ)の建物を中心と考え,南北棟め11°Eなので西偏

【遺構配置図】と建物データ

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(3)真田・北金目遺跡群10世紀前半~11世紀前半 )・・・四面廂(主屋ヵ)を中心建物と考え,南北棟・7°Eなので西偏

【遺構図(12A区)】と建物データ

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(4)南鍛冶山(7世紀中葉~10世紀後半 )・・・東側に目隠し塀が何棟かあるので,東偏

【建物群】

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(5)千代廃寺(8世紀前半ヵ)・・・西偏のように見える

神奈川県教委1959年発掘調査区遺構図

2019年5月11日 (土)

新潟県の〈官衙遺跡〉の集計 5/11

【越後】

~6世紀半ば・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・上浦(西),下ノ西(ほぼ正方位)

8世紀・・・緒立C(西),八幡林官衙(東),鴨侍(西),栗原(東),今池A・C地区(ほぼ正方位),

  下新町(東),下山屋敷(東),下国府(西),

9世紀以降・・・駒首潟(西),門新(西),箕輪(東),桑ノ口(東),西部(西),今池B地区(ほぼ正方位),

  江向(西),子安(東),境原(管理棟あれば東),新保(東),鉄砲町(西),寺町(東),藤ノ坪(東),道下(東)

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※藤ノ木(7世紀末葉。西ということにしておく)

※榎井A(奈良中期。方位の規則性なし)

2019年5月10日 (金)

新潟県の〈官衙遺跡〉5/10

(1)寺町(10世紀後半~11世紀後半 )・・・4面廂の12号住居を中心建物と考える。東西棟・26°Eなので東偏(8世紀代は西偏)

【遺構全体図】と建物データ

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(2)下国府(8世紀中葉 )・・・2棟とも35°Wで西偏

【遺構図】と建物データ

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(3)蔵ノ坪(9世紀中葉~9世紀後葉  )・・・最大面積で片廂のSB2を中心建物と考える。東西棟・24°Eなので東偏

【遺構変遷図】と建物データ

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(4)道下(平安時代中期)・・・二面廂のSBー02を中心建物と考える。東偏

【遺構全体図】と建物データ

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これで新潟県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

次回は,集計をします。

 

2019年5月 9日 (木)

新潟県の〈官衙遺跡〉5/9

(1)境原(平安末~鎌倉前半)・・・牧の厩舎のようなので,これらは東偏だが,これらを管理する建物は西偏だった可能性あり

【遺構平面図】と建物データ

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(2)下新町(8世紀後葉)・・・四面廂と2棟の西廂建物から東偏と考える。角度がだいぶ違うので北地区と南地区では時期が違うようだ

【遺跡遺構配置図】と建物データ

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(3)下山屋敷(8世紀後半から9世紀前半 )・・・地形的なこともあって東偏が多いが,9世紀中葉~10世紀中葉に正方位が現れている 

【古代の遺構配置】【遺構変遷図】と建物データ

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(4)新保(9世紀中葉~10世紀前半 )・・・新保遺跡Ⅱ期の方は,2つの三面廂の向きで東偏。門新遺跡も,三面廂の向きで東偏

【Ⅱ期遺構配置図】と建物データ

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(5)鉄砲町(9世紀末葉~10世紀末葉 )・・・四面廂を中心建物と考えて,南北棟・17°Eなので西偏

Ⅳ層下面遺構図 】と建物データ

今池・・・A地区・B地区・C地区の時代分け

メモの写真を載せます。

Img_2456

2019年5月 8日 (水)

新潟県の〈官衙遺跡〉5/8

(1)栗原(8世紀初頭~8世紀中葉 )・・・面積からいうと,SB24が最大なので東西棟だし東偏という気もするが,

  離れた所に「建物基壇跡」があり,形から塔のように思われるので,それを優先すると西偏かもしれない(BS24は付属施設)

【栗原遺跡全体図】と建物データ

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(2) 今池(8世紀~10世紀 )・・・A(ほぼ正方位)・B(やや東偏)・C(0°や西偏もあり)と地域によって差あり。

  最大建物のSB105は片廂・東西棟・4°Eでやや東偏

【今池遺跡遺構配置図】と建物データ

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(3)榎井A(奈良中期~平安前期 )・・・最大面積のEー5号建物を中心とすると,南北棟・7°Wなので東偏

【遺構全体図】と建物データ

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(4)江向(10世紀前半~中頃 )・・・四面廂のSB100を中心建物とする。東西棟のやや西偏

【遺構図】と建物データ

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(5)子安(平安時代。9世紀第3~4四半期 )・・・最大面積で片面廂の東西棟・17°E・東偏のSB20106を中心建物と考える。

樋場新町土地区画整理事業調査区古代変遷図 】と建物データ

 

2019年5月 7日 (火)

新潟県の〈官衙遺跡〉5/7

(1)藤ノ木(7世紀末葉~8世紀初め )・・・23°Eとあるが,残念ながら棟方位不明の方形倉庫である。

   ただ,「7世紀末葉~8世紀初め 」の判定が,「礎板材の炭素年代測定において」というので,それは載せておきたい。

【遺構配置図】と建物データ

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(2)箕輪(10~11世紀)・・・二面廂のSB1を中心的建物として考えると,東西棟で「37°E」なので,一応東偏。

  ただ,「方形」で角度が大きいので西偏の可能性もあり

【遺跡全体図】と建物データ

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(3)桑ノ口(9世紀末葉~10世紀前半 )・・・二面廂の掘立柱建物5を中心建物と考えて,南北棟で「30°W」のため東偏

  ただ,「方形」で角度が大きいので西偏の可能性もあり

【遺構配置図】と建物データ

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(4)鴨侍(8世紀後半~9世紀中葉 )・・・四面廂にも見える4号建物が第一候補。不整形・斜め・41°Wなので東偏

  また第二候補の西廂の建物は,南北棟・39°Wなのでやはり東偏。だが,角度が大きいので西偏かもしれない。

【遺構全体配置図】と建物データ

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(5)西部(9C茉~10C半ば )・・・四面廂の建物を中心建物と考えたい。東西棟・20°W➙東偏といきたいところだが,

  方形で角度が大きい工房のようなので,逆に西偏のメイン建物がまだ出土していないかもしれない

2019年5月 6日 (月)

新潟県の〈官衙遺跡〉 5/6

(1)駒首潟(9世紀後半)・・・四面廂の仏堂らしい。これを中心建物と考える。東西棟の38°Eということで,東偏

【遺構模式図】と建物データ

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(2)上浦(7世紀末葉~10世紀末葉)・・・最大面積の東廂のSB04を中心建物と考え,37°Wの東西棟なので西偏

【遺構配置図(新津市教委)】建物データ

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(3)緒立C(8世紀中葉~9世紀末葉 )・・・建物データによると東西棟のWが多いので,西偏

古代緒立遺跡の変遷 】と建物データ

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(4)門新(10世紀前半~10世紀後半 )・・・中心建物はSB01で,南北棟・8°Wなので,東偏

建物群の遺構変遷模式図 】と建物データ

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(5)下ノ西(7世紀後半~10世紀前半 )・・・SB12を中心とした建物群は,西偏。

                      それに対して,SB32を中心とした建物群は東偏。

Ⅴ区官衙および道路模式図 】と建物データ

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(6)八幡林官衙(8世紀前半)・・・C地区の四面廂建物を中心と考えると,東西棟・14°Eなので西偏

各地区検出の主要遺構と遺物出土位置 】と建物データ

新潟県の〈寺院遺跡〉の集計 5/6

【越後】

 

~6世紀中ば・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

8世紀・・・栗原(東),佐渡国分寺(奈良時代?)(ほぼ正方位)

9世紀以降~・・・横滝山廃寺(西),坂ノ沢C(西),法花寺(西)

 

2019年5月 4日 (土)

新潟県の〈寺院遺跡〉5/5

(1)横滝山廃寺(9世紀~10世紀頃か )・・・四面廂かもしれない。1983年の図。東西棟の「1゜50´W 」で,やや西偏またはほぼ正方位

【2次調査遺構図】と建物データ   ※木製基壇かもしれないようですね。

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(2)坂ノ沢C(平安(9世紀中葉~10世紀))・・・何回も建て替えされているが,いずれも東偏

方位分類ごとの建物分布

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(3)栗原(8世紀初頭~8世紀中葉 )・・・最大規模のSB24をはじめ,多くの建物が「東西棟」で東偏をしている

第7次・第8次調査  遺構配置図 】と建物データ

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(4)法花寺(12世紀)・・・時期と遺構図の方位では,東偏のように見えるが・・・

【遺構図】

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(5)佐渡国分寺(奈良時代?)・・・おそらく四面廂の金堂をはじめ,ほぼ正方位。新堂は平安時代の11°E

【伽藍復元図】と建物データ

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これで新潟県の〈寺院遺跡〉はおしまいす。

富山県の〈官衙遺跡〉の集計 5/4

【越中】

~6世紀半ば・・・

7世紀前半・・・利田横枕(東)

7世紀半ば・・・中保B(西)

7世紀後半・・・水橋荒町・辻ヶ堂 (西・その後,正方位→東),堂前(西),阿尾島尾A(ほぼ正方位),

8世紀・・・任海宮田(東),南部Ⅰ(東),吉倉B(西),米田大覚(東),麻生谷(西),勝興寺南接地区(やや西・正方位),

  牧野地区(西),須田藤の木(西),常国(西),出来田南(東と西。先後関係不明),東木津(西),伏木国府(ほぼ正方位),

9世紀~・・・じょうべのま(西)

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【まとめ】「遺構全体を考えて判断する」ということを主眼に据えて,個々の「法則」を考えてみました。

(1)南北棟の「法則」・・・建物データ「W」なら逆に東偏,「E」なら逆に西偏

(2)東西棟の「法則」・・・建物データ「W」なら素直に西偏,「E」なら素直に東偏

これでいいでしょうか?これは短辺・長辺の「法則」ということでもありますが・・・。

2019年5月 3日 (金)

富山県の〈官衙遺跡〉5/3

(1)東木津(8世紀後半~10世紀前半)・・・SB01が四面廂なので中心建物と考えるが,東西棟か南北棟が不明なので,

方位は判定不能

建物データ

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(2)伏木古府(8世紀~10世紀)・・・一番面積の大きいSSーSB02を中心建物と考える。「2°W」の南北棟で,1988年の報告なので

2+7をして,9°Wの西偏

建物データ

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(3)阿尾島尾A (7~9世紀)・・・奈良時代の塀が長く続いており,これに沿う建物もある。

1993年の図ということで,方位が磁北と考えて「ほぼ正方位」と考える。

【主要遺構概略図】

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(4)利田横枕(7世紀初め)・・・「南北棟」で「8°W」なので,西偏

建物データ

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(5)じょうべのま(9世紀半ば)・・・SB010が「南北棟」で,建物が群として西偏している

【遺構全体図】と建物データ

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これで富山県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

次回は,集計をします。

2019年5月 2日 (木)

富山県の〈官衙遺跡〉5/2

今日から自信度を,「A」自信あり「B」やや難しい「C」かなり難しい,の3段階で表示してみたいと思います。

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(1)越中国府関連(8世紀中葉~)・・・W2度程度なので,ほぼ正方位と言ってもいいか 「B」

【勝興寺南接地区全体図】と建物データ

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(2)須田藤の木(8世紀中頃~10世紀)・・・8世紀後半4W・7W,9世紀後半(3E・3E)のため,西→東 「B」

【遺構図】と建物データ

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(3)常国(8世紀後半・9~10世紀)・・・方位がバラバラで判別不能 「C」

建物データ

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(4)出来田南(8世紀末葉)・・・主要建物の方位から東偏と判断 「B」

【B区・D区遺構配置図】と建物データ

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(5)堂前(7世紀第4四半期)・・・丘陵上の四面廂の方位から東偏 「B」

【遺構図】と建物データ

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(6)中保B(7世紀中葉~10世紀初め)・・・全体として東偏建物が多い 「B」

【遺構全体図】と建物データ

2019年5月 1日 (水)

富山県の〈官衙遺跡〉 5/1

(1)任海宮田(奈良~平安)・・・SB201の向きで西偏

【遺構変遷図】と建物テータ

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(2)南部Ⅰ(10世紀前半)・・・SB46を中心と見て西偏

【遺構図】と建物データ

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(3)水橋荒町・辻ヶ堂 (縄文~近世,奈良・平安が中心)・・・Ⅰ期・西偏→2期・正方位→3期・東偏→4期・東偏

【遺構変遷図】と建物データ

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(4)吉倉B(8世紀中葉~10世紀前葉)・・・四面庇のSB57が西偏

【遺構変遷図】と建物データ

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(5)米田大覚(8世紀~10世紀初め)・・・西偏(官衙遺跡なら東偏)

【遺構全体図】と建物データ

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(6)麻生谷(8世紀後半~9世紀)・・・BS206が東偏なので

【第2区遺構全体図】と建物データ

富山県の〈寺院遺跡〉の集計 5/1

【越中】

 

~6世紀半ば・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

8世紀・・・長岡杉林(やや西・ほぼ正方位),開ヶ原中(西),越中国分寺(741年の聖武詔のものとして。正方位)

9世紀以降~・・・

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