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2016年6月21日 (火)

グラフの改訂版

グラフの改訂版を描きました。
できたら,これでお終いにしたい。
 
現在の「1寸・・・3cmくらい,1尺・・・30cmくらい」に落ち着くには,
私の描いた(資料に出ていたものを使ったわけですが)36.0cmは
グラフ上に「いるべき場所がない」と気付きました。
 
現在の数値につながる唐の尺は「大尺」で,
旧南朝地域の混乱を防ぐ意味で「とりあえず」採用されたのが「小尺」。
しかし,それはやがて使われなくなり(されて),
現在の数値である「大尺」をただ「尺」と呼ぶようになった。
(写真の上でクリックすると拡大します)
 
P6210628

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

 スレッドが古くなったので、一番新しいここに書いておきます。
 肥さんは現職の中学校教員。それも運動部の顧問。平日の遅くまで部活。土日も部活。だから明日の授業の用意などもみな家でやらざるをえない。
 だから多元的国分寺研究も夜遅くか早朝。

 「新修国分寺研究」の各論文や発掘報告書を精査するのは気が重くなると思います。
 でもここを乗り越えないとこの研究は成就しません。

 ではどうするか。

 だから時間をかけてとしたのです。一つの国分寺遺跡の検討に二週間。約3年。
 一週間かけてじっくり薩摩国分寺遺跡の研究論文に取り組み、要点をレポートしてください。要点は今までの議論であきらか。
 一週間で無理なら二週間かけてアップしてください。
 僕は無職で家にいますから時間はたっぷりある。だから論文程度すぐ読める。もっともこれで自分の研究の史料を検討する時間が今はほとんどない。早く本題に戻りたいのです。
 ここは肥さんに頑張ってもらえないと、僕の研究まで頓挫する。

 だから肥さんが精査しないというのなら僕は撤退する。というわけ。
 肥さんのレポートを検討するのなら一週間かからないとおもう。おそらく数度やりとりするだけで終わるでしょう。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  この二つの違う方向からの追求が重なって、
〉 今回の軍団印が南朝の尺でできていることがわかり、
〉 これは北朝の尺を採用した近畿天皇家のものではなく、
〉 九州王朝のものだと証明できた。
(「薩摩国分寺」についての検討へのコメント)

このお言葉に力をいただき元気が出てきました。
遅々とした歩みに思われると思いいますが,
ご存知の通り,私の力が入るのは,やはり文献とフィールドワークが結びつく形なのです。
だから,これまでいくつかの国分寺を訪問していろいろな知見を得たり,
時には現地でのひらめきがありました。
(今週末も千葉県に行くつもりです)
それなしに,文献だけでレポートするのは気が進まないのです。
特に現地に立てない遠い地方の国分寺については,そう感じられて読書が進みません。
私にとって,土地勘がない場所について書くことは苦痛なのです。
なので,南九州に行くまでもう少しお待ち下さい。夏休みには行けると思いますので・・・。

〉 やはり南朝の単位で作られていた軍団印

さまざまな紆余曲折を経て,この題名は,
今は胸を張って使えるわけですよね。

土地勘がなければ書けないですか。
 じゃあ何も九州から始める必要はないですよ。関東から始めましょう。まずは肥さんがこの研究に入ったきっかけの武蔵から。そして訪問されている、上野・下野。そして常陸・上総・下総・安房。最後に私の地元(じゃないね。川崎市は武蔵国)の相模。
 もっとも良く分かる関東から再出発しましょう。
 関東をしっかりフィールドワークも行いながら検討する。そうすればきっと土地勘のないところでも読み切る力がついてくるでしょう。
 肥さんが夏休みに九州行くまでお休みではどうにもなりません。

 さあ関東から再開です。
 関東の次は肥さんが訪問しやすい、東北か、関東の西側、越後・長野・信濃・伊豆でしょうか。中部地方を攻めていきましょう。
 そして次は・・・・・。
 関東から近いところからやればよいのです。
 
 ではコピーをお待ちします。

追伸:
肥さんが先週末に急に山口に飛び出した理由がやっとわかりました。九州に行きたいがその時間はない。山口までならとんぼ返りで可能。それに生まれ故郷によることもできるし。
 ということで周防国府・国分寺・朝鮮式山城などの探訪となったのですね。
 土地勘がないと研究報告も読めないので。
 そうならそうと先に言ってくれれば良いものを。
 肥さんが一番土地勘があるのが関東と東北。ここからにしようと一言途中でも言ってくれれば良かったのです。何も九州からでなくてもよい。私が九州と言ったのは、九州王朝の本家本元で、もっとも古式の伽藍の分布するところだから、通説派の考古学者の矛盾が最もよく出るだろうと予想したから。
 ただそれだけだったのです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

山口県への旅行は,川瀬さんが『国府』を紹介して下さり,
全国の国府寺候補がグラフ化できたので,
「どうせなら国府が典型的に残っていると紹介さているところに行ってみたい」と思ったからです。
それに「ご無沙汰」している故郷・岩国にも行くことができるし。
ついでに萩までいけば,日本海側の県にも足を延ばせそうです。
(ちなみに萩イクスプレスの夜行バスは,
3往復すると「次の往き」は無料になるというサービスカードを発行しています)
なるほど,行ってみたら周防の地はやはり碁盤の目のように街並みが作られ,
ミニ京都のようになっていました。そのど真ん中に国府。今は国指定の遺跡になっています。
その北西に国分寺(東大寺式),そして国府寺と思しき多々良廃寺(どこに白鳳の痕跡が?)跡。
これだけ材料がそろうと,周防を報告している30ページほどの『新修 国分寺』の論文にも,
読み切る気力・体力がわいてきます。楽しくなってきます。
これが私の「歴史地理学」なのかなあと思います。
おまけに,絶対行く機会がないだろうと思っていた石城山神籠石にも行くことができました。

九州は「九州王朝の地元」ということがあって取り組みやすいかなあと思っていましたが,
なかなかそうはいきませんでした。もちろん諦めてはいませんが,何しろ遠い。一泊では難しい。
やはりフィールドワークには長期休みが必要な場所です。

我ままを言わせていただいて済みませんが,土地勘がついてきた,そして日帰りでも行ける
関東の国分寺・国府寺からやらせて下さい。ここからならやれそうな気がします。
そして夏休みには,多賀城廃寺ー秋田城ー秋田孝季を偲ぶ旅へとつなげたいと考えます。

肥さん
肥さんが気力が起きるところ関東から、大賛成。もともと、肥さんの意気に感じて参加させていただいたのですから、肥さんの意気が上がらなければ、私も熱意が落ちるというもの。そして、時間は急がずに。国府や国分寺は逃げませんし、すでに千年以上も時は過ぎています。気にすべき時間は、私たちが何時まで取り組めるかという時間だけ。3年は大丈夫でしょう。ははは(笑い)。

多々良廃寺が「白鳳」というのはおそらく、白鳳瓦が出土しているのだと思います。伽藍配置も含めて詳しい報告書を手に入れたいものです。
 夏休みに東北に行かれるのであれば一つお願いがあります。
 それは福島県の遺跡の確認です。
 わたしは陸奥国の国府はずっと室町時代まで今の福島県にあったと思います。なぜならば福島の会津若松の黒川城を拠点にしていた芦名氏は陸奥国主を名乗っていたからです。陸奥国を置いたものの、旧蝦夷の地はずっと服属させることはできなかった。蝦夷の地の中心の近くに侵略拠点としての多賀城などを築いたにも関わらずです。なぜなら侵略拠点に赴いた近畿天皇家の武将の多くが、逆に蝦夷の側に立ってしまったからです。前九年の役で、わざわざ鎮守府将軍に源氏棟嶺源頼義を任命したのは、蝦夷酋長である安倍氏の娘婿などになって安倍与力と化してしまった武士たちを押しつぶす狙い。でも独力では押しつぶせず、出羽の蝦夷酋長である清原氏の援軍で初めて勝てた。
 その結果陸奥国の事実上の支配者は清原氏となり、やがて清原氏の中から安倍氏の血を引く清原清衡が権力を握り平泉に都をおいて事実上の独立国となった。この藤原三代の間もまた陸奥国府は安定的に近畿天皇家の領土である今の福島県域にあったと思います。
 そしてなんとしたことか新たに陸奥守となった人物は藤原秀衡の娘婿となってしまい、陸奥国府を離れて平泉の館に同居してしまうしまつ。
 この独立国を打ち破ったのか源氏将軍源頼朝。でもやはり独自にはつぶせず、藤原三代の有力家臣の裏切りをてこに彼らの力をてこに潰したにすぎず、陸奥の大部分は依然として蝦夷の支配下にあった。そこで頼朝は有力御家人を蝦夷の地に置いた。
 でも蝦夷の地に置かれた有力御家人もまた長い年月の間に蝦夷酋長の血を引く在地有力者の中に婚姻を通じて取り込まれ、半ば中央から独立した傾向を維持した。
 その中で安定的な陸奥国であった福島県域を領有した芦名氏が陸奥国主を標榜し続けたのだと思うのです。
 そこで九州王朝時代の国府寺ですが、候補地が二つあります。
 一つはいわき市の夏井廃寺。観世音寺式の伽藍。ここはすぐ横に磐城郡家とみられる遺跡もあるので、陸奥国の中の安定領域の一つ磐城国の国府があったところだと思う。この国府と国府寺の確認。
 もうひとつは福島市。ここは岩代国の国府と国府寺があったと思う。どの遺跡なのかこれから調べてみますが。
 ぜひこの福島県域の遺跡も探訪ルートに入れてください。あと多賀城の前身遺跡である郡山遺跡と郡山廃寺も。
 ちなみに、私の母方の家松本氏は、清和源氏源満致流の武士で(頼朝などはこの兄の源満仲系)、芦名氏の与力として家老としていわきの地5000石を領していた、松本右馬丞家の子孫。他に松本図書頭家・松本対馬守家があり、この三家は芦名氏の家老として主家と対抗できるほどの家だったそうです。
 この芦名氏が滅亡したのは、芦名氏の血統が絶えたとき、どの有力大名から養子をもらうか家臣団が分裂し、松本氏ら有力家老は敵である伊達と結ぼうとしたが敗れ、年来の友軍である水戸の佐竹氏から養子を迎えた。やがて芦名佐竹連合と伊達が決戦に至った時松本ら伊達派の有力家老は戦を傍観。このため芦名氏は敗れ、東北は伊達の版図にはいる。このことが豊臣秀吉の惣無事令違反とされ、伊達は窮地に陥ったのですが。
 松本氏は芦名滅亡を期に浪人して宇都宮に隠棲。その後関ヶ原合戦に際して伊達を抑えるために宇都宮に布陣した家康二男結城秀康の家老本多富正に見出され、本多の家老として仕え、関ヶ原後越前国主となった結城秀康に従って越前府中城主となった秀康とともに越前府中に赴任し、本多家家老として明治維新を迎えました。
 いわきと福島は私の遠い遠祖の地です。余計な話ですが。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

私の我ままで,振り回してしまってすみません。
川瀬さんから「九州から行きましょう」とおっしゃっていただいた時に,
実は気持ちが半分半分で,「これで一挙に行けるかも」とも思い,
(せっかく川瀬さんが自分の研究を置いてまで関わってくれているので)
自分の気持ち(でも,現地に行っていない不安)を押し殺してしまったような気がします。
でも,結局のところご迷惑をお掛けしてしまったのは事実なので,
もっと小さいうちに「ご迷惑」を掛けておけば良かったと思いました。

PS 本日武蔵国分寺についてのコピーを2人分取りました。
週末に向けて発送の準備に取り掛かります。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

福島にも行くとなると,二泊三日では足りなくなりそうですね。
まとまった休みが取れるのは,やはり8/11~15のお盆のところですので,
いい方法があったら教えて下さい。
私に任せておくと,「重要な遺跡を素通り」して帰ってきかねませんので。

それにしても川瀬さんの歴史的素養には脱帽するしかありません。
本当によく調べていらっしゃるのですねえ。

 岩代国の国衙がおかれ、岩代・磐城・陸奥が再び合併されたときに陸奥国府がおかれたと思われる場所が判明しました(おそらく室町時代でも陸奥国府の場所か)。
 福島市の北五老内町遺跡と腰浜廃寺です。
 前者が信夫郡衛、後者がこれに付属した寺院と考えられているようです。まだ発掘途中のようで伽藍配置など完全にわかっているわけではないですが、飛鳥時代にさかのぼる寺院で、県内で二番目に古い寺院だそうです(1番古いのは?)。
 ネット検索では白河市にある借宿廃寺が東北初の法隆寺式伽藍配置の寺とされているので、これが最古なのかも。
 ここ白河市といわき市とは、古代陸奥の国の関東からの二つの入り口です。
 もう少し調べてみますね。

 古代を考えるとき古代だけしか知らないのではわかりません。古代末期から中世近世と知らないと。
 陸奥国府が多賀城だというのは、江戸時代に伊達氏がこの地に移されてから仙台藩の学者が、古代以来ここ多賀城の地が陸奥の中心だったと言い出し、この考えに沿ったものでしょう伊達正宗が陸奥国分寺を再建したのは。
 伊達は陸奥国主の芦名を滅ぼして名実ともに陸奥の国全体を版図に納めたのに秀吉に取られ、また徳川に再び陸奥中心の磐城・岩代は徳川譜代と親藩に分けられ、蝦夷国に押し込められてしまいました。これに対する意趣返しかなと考えています。
 伊達正宗が再建するまで、陸奥国分寺というお寺は一度も存在しなかったのではないかと私は考えています。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

川瀬さんの探求に少しでも学ぼうと検索し,
(遺跡名を入れただけですが)
ステキなサイトに巡り合うことができました。
それを「大切なのは,「探し出そうとする心」」という題名で1話にしてみましたが,
この他のサイトでもいいものがありましたら,ぜひ教えて下さい。

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