2019年8月18日 (日)

大分県の〈官衙遺跡〉 8/18

(1)上野遺跡群(~9世紀後半)・・・7間×2間の長細い南北棟・9°Eを脇殿と見て,それに直交する正殿を考えると東偏。

11次調査の位置】と建物データ

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(2)大友府内町(8世紀末葉~9世紀中葉)・・・片廂のSB309が南北棟・4.5~5゜E なので,それに直交する建物を想定すると東偏

遺構平面図(7次調査G・F地区)】と建物データ

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(3)地蔵原(8世紀後半~9世紀後半)・・・試案に従うと,Ⅰ期(正方位)・Ⅱ期(東偏)・Ⅲ期(正方位)・Ⅳ期(西偏)に見える

第1群建物の変遷から見た濠内建物群の時代区分(試案)】と建物データ

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(4)下郡(8世紀後半~9世紀)・・・第90次調査地点の2つの建物の向きからいうと,ほぼ正方位またはやや西偏と思われる。

古代主要遺構配置図】と建物データ

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(5)城原・里(7世紀中葉~8世紀後半)・・・前後は西偏の遺構に見えるが,む第Ⅳ期になると,正方位になっている。

遺構平面図(9次調査)

2019年8月17日 (土)

大分県の〈寺院遺跡〉の集計 8/17【8/18改訂】

【豊後】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・上野廃寺(ほぼ正方位)

8世紀半ば・・・    

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・豊後国分寺(平安初・ほぼ正方位)

大分県の〈寺院遺跡〉 8/17

(1)法鏡寺廃寺(7世紀後半~10から11世紀頃)・・・第1遺構(金堂跡)が東西棟・14°Eで,第2遺構(講堂跡)も東西棟・9°E

  なので東偏

【調査区の位置】と建物データ

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(2)弥勒寺跡(8世紀前葉~1184年焼討ち、1192金堂焼失)・・・金堂・講堂ともに東西棟・22°なので東偏

【伽藍配置】と建物データ

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大分県の〈寺院遺跡〉はこれでおしまいです。

これではあまりにも少ないので,集計もしておきますね。

 

 

 

2019年8月16日 (金)

福岡県の〈官衙遺跡〉➁ 8/16

昨日作業したものに,さらに大宰府の「政庁」と「条坊」と「客館」 を加えてみました。

こんなふうになりましたが・・・。

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【筑前】

~6世紀半ば・・・鹿部田渕(西),練原(西)

6世紀後半・・・比恵(東),柏原遺跡群柏原M(東),黒山遺跡群(西)

7世紀初頭・・・杷木宮原(西)

7世紀前半・・・尾崎・天神(東)

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・大宰府・政庁Ⅰ(正方位),阿恵Ⅰ(西),那珂遺跡群(東→正方位),井尻B遺跡群(東→正方位),

  鴻臚館(北館はやや西。南館はやや東),小郡官衙Ⅰ(東),城田(東),堂原(東),大迫(正方位。砦か),

  志波岡本(東),志波桑ノ本(東)

7世紀末葉・・・阿恵Ⅱ(東)小郡官衙Ⅱ(東),有田・小田部(東・正方位・西)西は「孝徳の難波長柄豊崎宮」か,

  (7世紀末葉~8世紀中頃)

8世紀初頭・・・大宰府・政庁Ⅱ(正方位)大宰府・条坊(正方位),都地(東),八並(西),内橋坪見(西)

8世紀前半・・・2つの大宰府・客館(正方位),阿恵Ⅲ(東),鴻臚館(北館も南館も,ほぼ正方位),三月田(正方位)

8世紀半ば・・・阿恵Ⅳ(西),小郡官衙Ⅲ(正方位),麦野(西),下遺跡群小倉(東)

8世紀後半・・・吉崎(西),柏原遺跡群柏原M(西),城田(東),井出野(西)「斉明の朝倉橋広庭宮」, 

  宮野脇(西),八並遺跡群(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・大宰府・政庁Ⅲ(正方位),湯納(西),清末(西),田村遺跡群(西),野芥(ほぼ正方位),

  東入部遺跡群(東),波多江(西),竹戸(西)

 

※ 才田・・・7~8世紀(東・正方位),11~13世紀(東)

 

【筑後】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・筑後国府先行Ⅰ(東)

7世紀後半・・・筑後国府先行Ⅱ(東・正方位),ヘボノ木・南地区(正方位),上岩田西(西)

7世紀末葉・・・筑後国府Ⅰ(正方位),上岩田(東)

8世紀初頭・・・上岩田(正方位),下高橋官衙・正倉院(正方位),下高橋官衙・官衙(東)

8世紀前半・・・上岩田(西)

8世紀半ば・・・道蔵(東),野瀬塚(東・正方位~9世紀中葉),ヘボノ木・中央地区(正方位)

8世紀後半・・・筑後国府Ⅱ(西),道蔵(正方位),ヘボノ木・北地区(東),下高橋馬屋元(西)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・筑後国府Ⅲ(10世紀・西),道蔵(西),黒土・新替(正方位)

 

【豊前】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・下唐原伊柳(東)

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・豊前国府(Ⅰ期ほぼ正方位),フルトノ(西)

7世紀後半・・・大ノ瀬下大坪Ⅰ期(東),池ノ本(東)

7世紀末葉・・・福原長者原官衙(東),ハカノ本(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・大ノ瀬下大坪Ⅱ・Ⅲ(東)

8世紀半ば・・・大ノ瀬下大坪Ⅳ(西),豊前国府(Ⅱ期わずかに西)    

8世紀後半・・・古川西(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・豊前国府(Ⅲ期わずかに西)

2019年8月15日 (木)

福岡県の〈官衙遺跡〉の集計 8/15

7月12日(金)から始まった福岡県の〈官衙遺跡〉の集計です。

大宰府(政庁と官衙地区)と大宰府条坊は除いてあります。

もし入れた方が良ければ,明日の改訂版で追加投入します。

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【筑前】

~6世紀半ば・・・鹿部田渕(西),練原(西)

6世紀後半・・・比恵(東),柏原遺跡群柏原M(東),黒山遺跡群(西)

7世紀初頭・・・杷木宮原(西)

7世紀前半・・・尾崎・天神(東)

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・阿恵Ⅰ(西),那珂遺跡群(東→正方位),井尻B遺跡群(東→正方位),

  鴻臚館(北館はやや西。南館はやや東),小郡官衙Ⅰ(東),城田(東),堂原(東),大迫(正方位。砦か),

  志波岡本(東),志波桑ノ本(東)

7世紀末葉・・・阿恵Ⅱ(東)小郡官衙Ⅱ(東),有田・小田部(東・正方位・西)西は「孝徳の難波長柄豊崎宮」か,

  (7世紀末葉~8世紀中頃)

8世紀初頭・・・都地(東),八並(西),内橋坪見(西)

8世紀前半・・・阿恵Ⅲ(東),鴻臚館(北館も南館も,ほぼ正方位),三月田(正方位)

8世紀半ば・・・阿恵Ⅳ(西),小郡官衙Ⅲ(正方位),麦野(西),下遺跡群小倉(東)

8世紀後半・・・吉崎(西),柏原遺跡群柏原M(西),城田(東),井出野(西)「斉明の朝倉橋広庭宮」, 

  宮野脇(西),八並遺跡群(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・湯納(西),清末(西),田村遺跡群(西),野芥(ほぼ正方位),東入部遺跡群(東),

  波多江(西),竹戸(西)

 

※ 才田・・・7~8世紀(東・正方位),11~13世紀(東)

 

【筑後】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・筑後国府先行Ⅰ(東)

7世紀後半・・・筑後国府先行Ⅱ(東・正方位),ヘボノ木・南地区(正方位),上岩田西(西)

7世紀末葉・・・筑後国府Ⅰ(正方位),上岩田(東)

8世紀初頭・・・上岩田(正方位),下高橋官衙・正倉院(正方位),下高橋官衙・官衙(東)

8世紀前半・・・上岩田(西)

8世紀半ば・・・道蔵(東),野瀬塚(東・正方位~9世紀中葉),ヘボノ木・中央地区(正方位)

8世紀後半・・・筑後国府Ⅱ(西),道蔵(正方位),ヘボノ木・北地区(東),下高橋馬屋元(西)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・筑後国府Ⅲ(10世紀・西),道蔵(西),黒土・新替(正方位)

 

【豊前】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・下唐原伊柳(東)

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・豊前国府(Ⅰ期ほぼ正方位),フルトノ(西)

7世紀後半・・・大ノ瀬下大坪Ⅰ期(東),池ノ本(東)

7世紀末葉・・・福原長者原官衙(東),ハカノ本(東)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・大ノ瀬下大坪Ⅱ・Ⅲ(東)

8世紀半ば・・・大ノ瀬下大坪Ⅳ(西),豊前国府(Ⅱ期わずかに西)    

8世紀後半・・・古川西(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・豊前国府(Ⅲ期わずかに西)

2019年8月10日 (土)

大分県の〈寺院遺跡〉 8/10

(1) 上野廃寺(8世紀~9世紀)・・・中心建物の四面廂が東向きなので東偏(磁北)。正方位から東偏への建て替えか。

【調査区の位置】と建物データ

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(2)豊後国分寺(平安初)・・・伽藍の中心線がほぼ正方位。

【伽藍配置図】と建物データ

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(3)小倉池廃寺(7世紀末葉~8世紀)・・・建物の中心線が東に向いているので東偏

遺跡全体図】と建物データ

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(4)虚空蔵寺 (7世紀後半~)・・・門が東西棟・39°Eなので東偏

伽藍配置(復原)】と建物データ

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(5)下林(8世紀後半)・・・中心軸が南北棟・37°Eなので西偏

【遺構配置図】と建物データ

2019年8月 9日 (金)

福岡県の〈官衙遺跡〉 8/9

(1)ハカノ本(7世紀末葉~10世紀)・・・四面廂建物と同様、西偏の構成となっている。

遺構変遷図】と建物データ

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(2)フルトノ(7世紀中葉~後半)・・・四面廂建物と同様、西偏の構成となっている。

周辺地形図】と建物データ

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(3)赤幡森ヶ坪 (平安時代)・・・四面廂の建物の方位が,南北棟・30゜Eなので西偏と考えました。 

建物配置図】と建物データ

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(4)池ノ本7世紀後半~8世紀中葉)・・・四面廂の建物の方位が,東西棟・12°Eなので東偏と考えました。

遺構配置図】と建物データ

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これで福岡県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

 

★大ノ瀬下大坪★

(5)大ノ瀬下大坪 (8世紀第2四半世紀~9世紀初め) ・・・建物データをすべて当たりましたが,ほとんどが東偏。

 そもそも正殿SB104が東偏ということは,東偏遺跡。何か大事な原則(25°以上は逆の方位とか)を忘れていたか。

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0期・・・西偏

Ⅰ期・・・8世紀前半・・・東偏導入

Ⅱ期・・・

Ⅲ期・・・8世紀中頃・・・

Ⅳ期a・・・8世紀中頃・・・・東偏最盛期

Ⅳ期b・・・8世紀後半~末・・・減少期

Ⅴ期・・・9世紀初頭

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Img_3999

2019年8月 8日 (木)

福岡県の〈官衙遺構〉 8/8

(1)下高橋官衙 (8世紀~)・・・正倉院遺構は,正方位が中心で九州王朝の最盛期を感じる。

 一方,8世紀後半~9世紀初め馬屋元遺跡・西方官衙 となると西偏に変化している。近畿王朝への政権変動があったためか。

正倉院・郡庁曹司院全体図】と建物データ

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(2)下高橋馬屋元11次 ()・・・全体として西偏。

【遺構配置】と建物データ

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(3)豊前国府(7世紀中葉~13世紀前葉)・・・図を見た限りでは,西偏のロの字型の国衙に見えるが,正方位に近い遺構もあるので,

建て替えられた可能性があると考える。

政庁推定地主要遺構配置図】と建物データ

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(4)下唐原伊柳 (6世紀後半~8世紀)・・・2棟の四面廂建物がおよそ30°Wなので西偏か。

遺構全体図(I・J地区)】と建物データ

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(5)大ノ瀬下大坪8世紀第2四半世紀~9世紀初め)・・・見事な西偏の官衙遺構である。ただし,地下に東偏遺構が見える。

内郭全体図】と建物データ

2019年8月 6日 (火)

福岡県の〈官衙遺跡〉 8/7

(1)竹戸(8世紀後半~)・・・SB1とSB10は,方位が違うのですが,建物データには載っていません。

ということは,古い方の東偏か新しい方の東偏だと思いますが,わからないので「全体として西偏」と書きました。

掘立柱建物遺構模式図と建物データ

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(2)阿恵(6世紀末葉~)・・・全体として西偏の遺跡群。2期~3期に敷石遺構。

1期・・・~7世紀後半

2期・・・7世紀第4四半期

3期・・・8世紀前半

4期・・・8世紀中頃~

政庁変遷図】と建物データ

変遷図をピンクで塗ってみて西偏と考えたのですが,

東偏の遺跡だという理由を教えて下さい。

4期は迷いましたが,全部の時期ずっと東偏なのですか?

Img_3960

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(3)内橋坪見 (8世紀)・・・柵と溝で区画された北東隅に建物があるので,東偏と考えた。

周辺遺跡遺構配置図】と【遺跡全体図】と建物データ

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(4)黒山遺跡群(6世紀最終末~7世紀中葉)・・・西偏から東偏へと変わっていく時期か。山の斜面という条件もあるかも。

第Ⅱ地点全体図】と建物データ

1期(6世紀最終末~7世紀中葉)・・・3号建物(10°W)

2期(7世紀後半~8世紀中葉)・・・11号建物(8°W)

3期(7世紀後半~8世紀中葉)・・・1号建物(11°E)

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(5)尾崎・天神 (7世紀~8世紀)・・・山の斜面に建てやすい位置に建てているように見える。三面廂は,

遺構配置図(5次調査)】と建物データ

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(6)八並遺跡群 (8世紀後半))・・・ほぼ同じ方位(40°W)で2棟の建物。西偏

【遺構配置図】と建物データ

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