2019年12月 8日 (日)

福島県の〈官衙遺跡〉12/8

(1)房ノ内(9世紀~10世紀)・・・SB01には東に,SB02には北の柵があるので,東偏と考えた。

Photo_20191208071201

【遺構全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)郡山(8世紀~9世紀)・・・100年遡らすと,8世紀末~10世紀中頃に正方位が現れている。

B期(9世紀末~10世紀初め)~ほぼ真北

C期(10世紀前半~中頃 )~1°E,ほぼ真北,1°W

Photo_20191208123701

9~11次調査遺構配置図】】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)西木流(9世紀中葉)・・・9世紀中葉の四面庇が東偏なので,そう考えました。

Photo_20191208124501

西木流C遺跡Ⅰ・Ⅱ区全体図】と建物データ

 

2019年12月 7日 (土)

福島県の〈寺院遺跡〉の集計 12/7

【福島県】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・借宿廃寺(西)

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・腰浜廃寺(西),上人壇廃寺(正方位),郡山台(西地区)(西)

8世紀半葉・・・夏井廃寺(Ⅰ期。中葉以前が正方位),江平(西)

8世紀後半・・・

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・西原廃寺(平安時代。西),横手廃寺(9世紀前半。西),慧日寺跡(西),大江古屋敷(9世紀前半。西),流廃寺(9世紀後半。西),南狼沢A(ほぼ正方位)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ 米山寺(8世紀~12世紀。東)

※ 松野千光寺(寺院に関する遺構は検出されず,年代も不明)

※ 郡山五番廃寺(ほぼ真北。時期は不明)

2019年12月 6日 (金)

福島県の〈寺院遺跡〉 12/6

(1)江平(8世紀中葉~9世紀中葉)・・・A期とB期の2つの建物で西偏である。

A期(9世紀前半)~SB01(四面庇)・・・東西棟・・13°W

B期(9世紀前葉~中葉 )~SB11の村落内寺院仏堂・・・東西棟・7°W

Photo_20191206055201

【中央区遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)郡山五番廃寺()・・・堂の上地区1号トレンチで発見された地業の方位から「ほぼ真北」。ただし,1980年で磁北なら西偏ということか。時期は不明。

Photo_20191206060401

【堂の上地区】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)南狼沢A(9世紀中葉~10世紀前葉)・・・建物データはないが,遺構変遷図などから,ほぼ正方位や東偏の建物群と考えた。

Photo_20191206061001

【遺構変遷図】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで福島県の〈寺院遺跡〉はおしまいです。

2019年12月 5日 (木)

福島県の〈寺院遺跡〉 12/5

(1)慧日寺跡 (9世紀~)・・・3つの地区の中心建物とも同じ方位を示すので,西偏と考える。

本堂地区・下層金堂~西偏

戒壇地区の四面庇建物~西偏

観音寺地区の四面庇建物~西偏

Photo_20191205062501

Photo_20191205062502

Photo_20191205062601

【各地区の遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)大江古屋敷(9世紀前半~10世紀後半)・・・主家とある第1号掘立柱建物跡(四面庇)は南北棟・17°東偏であるが,「確実にこの建物に付属する建物跡は目下不明である」ともあるので,この建物群全体の様子から,東偏と考えました。 

Photo_20191205055801

【遺構全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)流廃寺(9世紀後半)・・・10号平場の建物が金堂(四面庇+孫庇)のようだが,それなら西偏。ただ,山岳寺院なので除くか。

Photo_20191205060901

【地形測量図】と建物データ

2019年12月 4日 (水)

福島県の〈寺院遺跡〉 12/4

(1)松野千光寺(天平元年(729)創建の寺伝あり)・・・3区のうSBー1建物(西偏)は,規模から言って中心的建物ではないと思われるので,

逆に中心的建物は東偏となるのではないか。年代不明。

Photo_20191204083401

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)郡山台(西地区)(8世紀~10世紀後半)・・・年度から言えば,磁北だと思う。SB03の塔(南北棟・12゜30´W )の方を中心的建物と考えると,西偏だと思う。

Photo_20191204085701

【遺構図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)横手廃寺(9世紀前半ヵ)・・・塔が中心建物と思われるので,7度西偏。

Photo_20191204092401

【遺構配置図】と建物データ

2019年12月 3日 (火)

福島県の〈寺院遺跡〉 12/3

(1)借宿廃寺(7世紀末ヵ)・・・いずれも地業跡からの推定だが,金堂と塔の方位を優先すればやや西偏。

推定講堂・・・講堂(やや東偏)

西側基壇跡・・・塔(やや西偏)

東側基壇跡・・・金堂(やや西偏)

Photo_20191203113201

【遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)上人壇廃寺(8世紀前半~10世紀前半)・・・中心建物である金堂は,王朝が変わっても正方位で建てられ続けた。

創建以前~

第Ⅰ期(創建期)~8世紀前半 ※金堂・講堂は,第Ⅰ~Ⅲ期・ほぼ正方位

第Ⅱ期~8世紀後半~9世紀前半頃 

第Ⅱ期終末~9世紀前半

第Ⅲ期~9世紀中葉~後半

第Ⅳ期~10世紀初めころ ※金堂か講堂か・真北

Photo_20191203114601

【遺構変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)米山寺(8世紀~12世紀)・・・中心建物のSB01は,四面庇だが,西偏8°は磁北の場合ほぼ正方位と考える。

Photo_20191203121701

【遺構配置図】と建物データ

2019年12月 2日 (月)

福島県の〈寺院遺跡〉 12/2

(1)腰浜廃寺(8世紀前半~)・・・上面削平。地業痕跡のみ確認。5×4間を想定。ということで,金堂と考えられている。東西棟・5°東偏。 

Photo_20191202061801

【遺構配置】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)西原廃寺(平安時代)・・・北方建物と南方建物では明らかに方位が違うのに,建物データでは両方5°Eとなっている。北方建物は5°Wではないか。あるいは,磁北なら東(南方建物)⇒正方位(北方建物)という変遷か。

Photo_20191202062701

【建物の配置】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)夏井廃寺7世紀末葉から8世紀初め~10世紀前半)・・・九州王朝から近畿王朝にまたがる寺院。

Ⅰ期~8世紀前半~・・・ 東偏

Ⅱ期~~8世紀中葉・・・真北(正方位)

Ⅲ期~9世紀後半~・・・西偏 

 Photo_20191202073801

【建物配置】と建物データ

2019年12月 1日 (日)

鳥取県の〈官衙遺跡〉の集計 12/1

【因幡国】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・

7世紀後半・・・広庭(西)

7世紀末葉・・・大高野官衙(東)

8世紀初頭・・・馬場(東),万代寺(東)

8世紀前半・・・上原(西)

8世紀半ば・・・馬場(正方位)

8世紀後半・・・馬場(東)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・上原(正方位),上原西(東・正方位),柄杓目(西)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ 因幡国府・・・西偏⇒正方位だが,年代不明。

※ 山宮阿弥陀盛・・・東偏⇒正方位⇒西偏だが,時期不明。

※ 南区・上原遺跡群Ⅲ区(9世紀に正方位か)

 

 

 

【伯耆国】

 

5世紀末葉・・・

6世紀初頭・・・

6世紀前半・・・

6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半葉・・・

7世紀後半・・・

7世紀末葉・・・

8世紀初頭・・・

8世紀前半・・・不入岡(ほぼ正方位),坂長第6(西)

8世紀中葉・・・法華寺畑(正方位)

8世紀後半・・・不入岡(ほぼ正方位の倉庫群),伯耆国府(正方位),向野(東),坂長下屋敷(正方位)

8世紀末葉・・・

9世紀以降~・・・向野(9世紀初頭・正方位)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ 上淀廃寺隣接地・・・G区第一平坦地にある建物群は正方位(付属建物か)。寺院下層の居館は,6世紀末葉の豪族のものか。

※ 博労町(時代は不明だが,西偏)

※ 百塚(古墳時代の後期以降の94号を中心とした建物群は,西偏)

※ 長者屋敷(東偏だが,時期不明)

2019年11月30日 (土)

鳥取県の〈官衙遺跡〉 11/30

(1)坂長第6(8世紀前半)・・・西側しか発掘されていないが,南西隅が直交しているようなので,西偏の官衙群と考える。

Ⅰ期(8世紀前半)~西偏

Ⅱ期(8世紀中葉~後半)西偏

Ⅲ期(それ以降)不明

Photo_20191130064901ととととととととととととととととととととととと

【遺構変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)坂長下屋敷()・・・8世紀後半~9世紀前半に正方位になった官衙群

Ⅰ期(それ以前)~SB09~東偏

Ⅱ期(8世紀後半9世紀前半)~SB03が東西棟・1°Eでほぼ正方位

Ⅲ期(それ以降)~

Photo_20191130124601

【遺構変遷図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(3)長者屋敷()・・・北柱群と南柱群に直行する中心的建物があると考えて,東偏。時期不明。

Photo_20191130132901

長者原  トレンチ遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで鳥取県の〈官衙遺跡〉はおしまいです。

2019年11月29日 (金)

鳥取県の〈官衙遺跡〉 11/29

(1)広庭(7世紀後葉~8世紀末葉)・・・建物全体の構成と,西側に柵があるところから西偏と考えた。

Photo_20191129053001

【遺構全体図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)万代寺(8世紀初め~9世紀初め)・・・北・中央・西の各官衙遺構にコの字型の建物群があるので,東偏。

Photo_20191129054501

建物遺構配置図】と建物データ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。。

(3)大高野官衙(7世紀後半?~)・・・斜面に作られた倉庫中心のロの字型の建物群。西偏。

Photo_20191129061001

【遺跡全体図】と建物データ

 

 

«鳥取県の〈官衙遺跡〉 11/28

2019年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

最近のトラックバック