古田史学

2021年12月21日 (火)

太宰府と「国分寺」のスタートの時期

このところの川瀬さんとのやり取りで,

太宰府と「国分寺」のスタートの時期が明らかになってきた。

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プレⅠ期の太宰府 ~ 筑前国分寺ー不丁と同じラインで東偏5度の扇屋敷(のちに大城神社) ~ 6世紀末以前のスタート(かなり古い)

Ⅰ期の太宰府政庁 ~ 「東偏 → 正方位」の建物があるため,6世紀末以前のスタート

「国分寺」 ~ 各地に東偏の建物があり,6世紀末以前のスタート

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2021年10月 7日 (木)

地道の「古代寺院+山城編」も再アップします

【寺院編】

3:全国の古代寺院の年代を県ごと(古代の国ごと)にしらべ、これを方位の考古学で年代を動かす作業をする。

全国の古代寺院の出現がほぼ一斉であり、上野廃寺(ほぼ正方位) その年代が6世紀後半以後に始まることが証明できれば、

九州王朝による全国統合の始まりがこの時期であることがあきらかになる。

[福岡県・筑前]観世音寺(ほぼ正方位)7世紀後半→6世紀後半

[福岡県・筑後]井上廃寺(正方位),上岩田廃寺(正方位)7世紀後半→6世紀後半,椿市廃寺 7世紀末→6世紀末

[大分県]上野廃寺(ほぼ正方位)8世紀前半→7世紀前半

[広島県]中谷廃寺(ほぼ正方位)7世紀半ば→7世紀初頭,樽見廃寺(東),本郷平廃寺(正方位),小山池廃寺(東)7世紀後半→7世紀前

[岡山県]賞田廃寺(西),幡多廃寺(東),吉岡無廃寺(ほぼ正方位),服部廃寺(ほぼ正方位)7世紀後半→7世紀前半

[鳥取県]土師百井廃寺(正方位)7世紀後半 →7世紀前半

[福井県]乗兼・坪江(東・正方位・西),興道寺 (西・正方位),深草廃寺(東),野々宮廃寺(正方位),大虫廃寺(正方位),篠尾廃寺(正方位) 7世紀後半→7世紀前半

[石川県]杉野屋専光寺(ほぼ正方位)7世紀前半→6世紀後半

[香川県]田村廃寺・下層(東),宝幢寺(西),開法寺(西),仲村廃寺(西),白鳥廃寺(西)→7世紀後半→7世紀前半

[愛媛県]来住廃寺(正方位),他中廃寺(東),法安寺(正方位)7世紀後半→7世紀前半

[京都府]高麗寺(西→正)7世紀前半

[滋賀県]穴太廃寺(ほぼ正方位)7世紀半ば

[和歌山県]

[愛知県]水入(東)7世紀半ば→7世紀初頭,大山廃寺(東),東畑廃寺(東・正),勝川廃寺(ほぼ正),7世紀後半→7世紀前半

[三重県]伊賀国分寺(東),伊賀国分尼寺(東)7世紀前半→6世紀末,夏見廃寺 7世紀後半→7世紀前半

[岐阜県]寿楽寺廃寺(7世紀第3四半紀・西) →7世紀前半,弥勒寺(7世紀後葉・正),山田寺(7世紀後半・正),野口廃寺(7世紀末・正),宮所廃寺(七世紀後半・正)7世紀後半→7世紀前半

[長野県]雨宮廃寺(東),明科廃寺(東)7世紀後半→7世紀前半

[山梨県]

[千葉県]名木鎌部廃寺 (東),木下廃寺(東) 7世紀後半→6世紀後半

[神奈川県]下寺尾遺跡群七堂伽藍跡(東),相模国分寺(正方位)影向寺(金堂は西,塔は正方位) ,7世紀後半→6世紀後半

[東京都]多磨寺 7世紀後半~8世紀初頭→6世紀後半~7世紀初頭

[埼玉県]勝呂廃寺(四面庇は東。他は正方位),馬騎の内廃寺(正方位・東)7世紀後半→6世紀後半

[茨城県]梶内(正方位),台渡里廃寺(西),茨城廃寺(西2度),結城廃寺(正方位), 新治廃寺&新治郡衙(西5度)7世紀後半→6世紀後半

[栃木県]大内廃寺(東),下野薬師寺(正方位,下層に東偏)7世紀後半→6世紀後半

[群馬県]山王廃寺(ほぼ正方位),国分境(東),新保(西),上植木廃寺(東),金井廃寺(正方位)7世紀後半→6世紀後半

[宮城県]郡山廃寺 7世紀後半→6世紀後半

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【山城編】

4.「鞠智城をどこに分類するか」ということで,新たに「山城編」を設けることにしました。

[鞠智城・熊本県(東・正方位)]7世紀末葉→6世紀末葉

[鬼城山(鬼ノ城)・岡山県]7世紀後半→7世紀前半

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地道の「国府・郡(評)衙編」を再アップします

「郡(評)衙」の量が増えたので,分離しました。「古墳」や「古代寺院+山城」と分離しました。

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【国府編】

2:全国の古代の国の国府・国庁、古代の郡の郡衙・郡庁の年代を調べ、これを方位の考古学で年代を動かす作業をする。

国府や郡衙が全国ほぼ一斉に展開しており、それも7世紀中頃前後に始まることが証明できれば、

九州王朝が7世紀半ばに後の律令制の基礎になる公地公民制を施行し、律令の制定に動いていたことが証明できる。

[筑前国府]まだ発掘されていないが,国分寺・国分尼寺の近くに造られ,戸籍を扱っていたりしたと思われる。筑後と同時期か。

 2012年木製の戸籍が国分松本遺跡から発掘されている。近畿王朝は紙で大宝2年の戸籍を造らせたらようなので,木製は旧式。

[筑後国府]7世紀末葉→6世紀末葉

[肥前国府]8世紀前半→7世紀前半

[薩摩国府]8世紀初頭(ほぼ正方位)→7世紀初頭

[日向国府]7世紀末葉→6世紀末葉

[周防国府]7世紀末→7世紀中頃

[備後国府]7世紀末→7世紀中頃

[愛媛県]

[土佐国府(東)]8世紀前半→7世紀後半

[美濃国府]8世紀前半→7世紀後半

[下総国府]8世紀半ば→7世紀半ば

[常陸国府]7世紀後半→6世紀後半

[下野国府]8世紀前半(ほぼ正方位わずかに西)→7世紀前半 例の東偏地区はもっと古いかも?

[上野国府]8世紀(正方位)→7世紀

[武蔵国府]8世紀(東→正方位)→7世紀

[三河国府]8世紀(正方位)→

[伊賀国府]8世紀末(東→正方位)

[伊勢国府]奈良時代(Ⅰ期国府)

[多賀城(東)・宮城県]7世紀後半→6世紀後半

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10月7日(木),「郡衙」で検索したところ,「郡衙遺跡一覧」の項目を見つけ,1つ1つ年代を調べて

〈方位の考古学〉のやり方で年代を修正した。まだ,不明のものもあるが,国府と同じような傾向をつかめた。

関東地方[編集]

中部地方[編集]

近畿地方[編集]

中国地方[編集]

四国地方[編集]

九州地方[編集]

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2021年9月30日 (木)

〈方位の考古学〉の示す歴史像を明らかにするための地道な検証作業(工事中。アップしません)

もともと継ぎ足していくつもりで【工事中】みたいにしておいたと思うのですが,どんどんコメントを入れてしまったために,私の能力を超えました。

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2021年8月28日 (土)

「日本書紀」の中の「詔」を集計してみました(「主語有無」の論証による)

上記の記事を「夢ブログ」にアップしました。

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/08/post-dc79ef.html

 

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2021年8月23日 (月)

持統紀の「詔」について【51】 【34】~【51】

                                                                           (34)〈持統6〉六年春正月丁卯朔庚午、増封皇子高市二千戸、通前五千戸。癸酉、饗公卿等、仍賜衣裳。戊寅、天皇觀新益京路。壬午、饗公卿以下至初位以上。癸巳、天皇幸高宮。甲午、天皇至自高宮。・・・・・二月丁酉朔丁未、諸官曰、當以三月三日將幸伊勢、宜知此意備諸衣物。・・・・・陽陰博博士沙門法藏・道基、銀人廿兩。        

(現代語訳・六年春正月丁卯朔庚午、増封皇子高市二千戸、通前五千戸。癸酉、饗公卿等、仍賜衣裳。戊寅、天皇觀新益京路。壬午、饗公卿以下至初位以上。癸巳、天皇幸高宮。甲午、天皇至自高宮。・・・・・二月十一日,諸官に詔して,「三月三日に伊勢に行こうと思う。これに備えて,必要ないろいろの衣服を準備するように」といわれた。・・・・・賜陰陽博士沙門法藏・道基、銀人廿兩。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(35)〈持統6〉乙卯、刑部省、赦輕繋。是日、中納言直大貳三輪朝臣高市麻呂、上表敢直言諫爭天皇、欲幸伊勢妨於農時。

(現代語訳・十九日,刑部省に詔して罪の軽い罪人を赦免された。・・・・・是日、中納言直大貳三輪朝臣高市麻呂、上表敢直言諫爭天皇、欲幸伊勢妨於農時 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(36)〈持統6〉甲午、免近江・美濃・尾張・參河・遠江等國供奉騎士戸及諸國荷丁・造行宮丁今年調役。

(現代語訳・二十九日,近江・美濃・参河・遠江などの国の,供奉した騎士と諸国の荷丁・行宮造営の役夫の当年の調役を免じた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(37)〈持統6〉令天下百姓、困乏窮者稻、男三束女二束。

(現代語訳・天下の百姓の困窮者に稲を賜った。男は三束,女は二束であった。)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(38)〈持統6〉夏四月丙申朔丁酉、贈大伴宿禰友國直大貳、幷賜賻物。庚子、除四畿內百姓爲荷丁者今年調役。甲寅、遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。丙辰、賜有位親王以下至進廣肆、難波大藏鍫、各有差。・・・・・庚申、曰、凡繋囚見徒、一皆原散。

(現代語訳・・・・・・二十五日,詔して,獄囚・徒刑の者をみな放免するように」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(39)〈持統6〉閏五月乙未朔丁酉、大水。遣使循行郡國、禀貸災害不能自存者、令得漁採山林池澤。・・・・・令京師及四畿內、講說金光明經。・・・・・戊戌、賜沙門觀成、絁十五匹・綿卅屯・布五十端、美其所造鉛粉。丁未、伊勢大神奏天皇曰「免伊勢國今年調役。然應輸其二神郡、赤引絲參拾伍斤、於來年、當折其代。」

(現代語訳・詔して京師や畿內で,金光明經講説せられた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(40)〈持統6〉己酉、筑紫大宰率河內王等曰「宜遣沙門於大隅與阿多、可傳佛教。復、上送大唐大使郭務悰爲御近江大津宮天皇所造阿彌陀像。」

(現代語訳・十五日,筑紫大宰率の河內王らに詔して,「沙門を大隅と阿多とに遣わして,佛教を伝えるように。また大唐の大使・郭務悰が天智天皇のために造った阿彌陀仏像を京に送りたてまつれ」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(41)〈持統6〉八月癸亥朔乙丑、赦罪。己卯、幸飛鳥皇女田莊、卽日還宮。九月癸巳朔辛丑、遣班田大夫等於四畿內。丙午、神祇官奏上神寶書四卷・鑰九箇・木印一箇。癸丑、伊勢國司獻嘉禾二本。越前國司獻白蛾。・・・・・戊午、曰、獲白蛾於角鹿郡浦上之濱、故増封笥飯神廿戸、通前。

(現代語訳・・・・・・二十六日,詔して「白蛾を角鹿郡の浦上の浜で捕らえた。よって気比神宮に食封二十戸を,これまでの分に加える )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(42)〈持統7〉七年春正月辛卯朔壬辰、以淨廣壹授皇子高市、淨廣貳授皇子長與皇子弓削。・・・・・是日、令天下百姓、服黃色衣、奴皁衣。・・・・・丁酉、饗公卿大夫等。癸卯、賜京師及畿內有位年八十以上、人衾一領・絁二匹・綿二屯・布四端。乙巳、以正廣參贈百濟王善光、幷賜賻物。丙午、賜京師男女年八十以上・及困乏窮者、布各有差。賜船瀬沙門法鏡、水田三町。是日、漢人等奏蹈歌。

(現代語訳・・・・・・この日,詔して,全国の人民は,黃色の衣複を、奴は皁の衣を着ることとされた。丁酉、饗公卿大夫等。 ・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(43)〈持統7〉二月庚申朔壬戌、新羅遣沙飡金江南・韓奈麻金陽元等、來赴王喪。・・・・・己巳、造京司衣縫王等、收所掘尸。・・・・・己丑、以流來新羅人牟自毛禮等卅七人、付賜憶德等。三月庚寅朔、日有蝕之。甲午、賜大學博士勤廣貳上村主百濟、食封卅戸、以優儒道。乙未、幸吉野宮。庚子、賜直大貳葛原朝臣大嶋賻物。壬寅、天皇至自吉野宮。乙巳、賜擬遣新羅使直廣肆息長眞人老・勤大貳大伴宿禰子君等・及學問僧辨通・神叡等、絁綿布各有差。又賜新羅王賻物。

(現代語訳・・・・・・十日,造京司衣縫王らに詔して,「工事で掘り起こされた屍」を他に埋葬させた。 ・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(44)〈持統7〉丙午、令天下、勸殖桑紵梨栗蕪菁等草木、以助五穀。

(現代語訳・十七日,詔して,全国に桑・紵・梨・栗・蕪菁などを草木を勧め植えさせられた。五穀の助けのためである )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(45)〈持統7〉夏四月庚申朔丙子、遣大夫謁者詣諸社祈雨、又遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。・・・・・辛巳、「內藏寮允大伴男人坐贓、降位二階、解見任官。・・・・・典鑰置始多久與菟野大伴亦坐贓、降位一階、解見任官。監物巨勢邑治、雖物不入於己知情令盜之、故降位二階、解見任官。然、置始多久、有勤勞於壬申年役之、故赦之、但贓者依律徵納。」

(現代語訳・二十二日,詔して「內藏寮允大伴男人は,不当利得を図ったので,位二階を下して,現職を解任せよ」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(46)〈持統7〉五月己丑朔、幸吉野宮。乙未、天皇至自吉野宮。癸卯、設無遮大會於內裏。・・・・・六月己未朔、高麗沙門福嘉還俗。・・・・・壬戌、以直廣肆授引田朝臣廣目・守君苅田・巨勢朝臣麻呂・葛原朝臣臣麻呂・巨勢朝臣多益須・丹比眞人池守・紀朝臣麻呂、七人。秋七月戊子朔甲午、幸吉野宮。己亥、遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。辛丑、遣大夫謁者詣諸社祈雨。癸卯、遣大夫謁者詣諸社請雨。是日、天皇至自吉野。

(現代語訳・六月一日,高麗の沙門・福嘉に詔して,還俗させられた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(47)〈持統7〉冬十月丁巳朔戊午、「自今年、始於親王下至進位、觀所儲兵。・・・・・淨冠至直冠、人甲一領・大刀一口・弓一張・矢一具・鞆一枚・鞍馬。勤冠至進冠、人大刀一口・弓一張・矢一具・鞆一枚。如此、預備。」己卯、始講仁王經於百國、四日而畢。

(現代語訳・冬十月二日,詔して,「今年より,親王以下進位に至るまで,人々の備えている武器を調べされた・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(48)〈持統8〉三月甲申朔、日有蝕之。乙酉、以直廣肆大宅朝臣麻呂・勤大貳臺忌寸八嶋・黃書連本實等、拜鑄錢司。・・・・・甲午、曰「凡以無位人任郡司者、以進廣貳授大領、以進大參授小領。」

(現代語訳・・・・・・十一日,詔して,「無位の人を郡司に任ずる場合は,進廣貳の位を大領に授け,進大參を小領にさずけよ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(49)〈持統8〉己亥、曰「粤以七年歲次癸巳、醴泉涌於近江國益須郡都賀山。・・・・・諸疾病人停宿益須寺而療差者衆。故入水田四町・布六十端、原除益須郡今年調役雜徭、國司頭至目進位一階。賜其初驗醴泉者、葛野羽衝・百濟土羅々女、人絁二匹・布十端・鍬十口。」乙巳、奉幣於諸社。丙午、賜神祇官頭至祝部等一百六十四人絁布、各有差。

(現代語訳・十六日,詔して,「七年に醴泉が,近江国益須郡の都賀山に湧出した。・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(50)〈持統10〉三月癸卯朔乙巳、幸二槻宮。甲寅、賜越度嶋蝦夷伊奈理武志與肅愼志良守叡草、錦袍袴・緋紺絁・斧等。夏四月壬申朔辛巳、遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。戊戌、以追大貳授伊豫國風速郡物部藥與肥後國皮石郡壬生諸石、幷賜人絁四匹・絲十絇・布廿端・鍬廿口・稻一千束・水田四町、復戸調役、以慰久苦唐地。己亥、幸吉野宮。・・・・・五月壬寅朔甲辰、大錦上秦造綱手、賜姓爲寸。・・・・・乙巳、至自吉野。己酉、以直廣肆授尾張宿禰大隅、幷賜水田卌町。甲寅、以直廣肆贈大狛連百枝、幷賜賻物。

(現代語訳・・・・・・五月三日,大錦上秦造綱手に詔して,忌寸とされた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(51)〈持統11〉六月丙寅朔丁卯、赦罪人。・・・・・辛未、讀經於京畿諸寺。・・・・・辛巳、遣五位以上、掃灑京寺。甲申、班幣於神祇。辛卯、公卿百寮、始造爲天皇病所願佛像。癸卯、遣大夫謁者詣諸社請雨。秋七月乙未朔辛丑夜半、赦常𨰃盜賊一百九人、仍賜布人四常、但外國者稻人廿束。丙午、遣使者祀廣瀬與龍田。癸亥、公卿百寮、設開佛眼會於藥師寺。

(現代語訳・・・・・・六日,詔して経を京畿の諸寺に読ませた ・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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【以上,「日本書紀」の「詔」についての「主語有無」の調査でした】

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持統紀の「詔」について【51】 【26】~【33】

(26)五年春正月癸酉朔、賜親王・諸臣・內新王・女王・內命婦等位。己卯、賜公卿飲食衣裳、優賜正廣肆百濟王餘禪廣・直大肆遠寶・良虞與南典、各有差。乙酉、増封、皇子高市二千戸通前三千戸、淨廣貳皇子穗積五百戸、淨大參皇子川嶋百戸通前五百戸、正廣參右大臣丹比嶋眞人三百戸通前五百戸、正廣肆百濟王禪廣百戸通前二百戸、直大壹布勢御主人朝臣與大伴御行宿禰八十戸通前三百戸、其餘増封各有差。・・・・・丙戌、曰「直廣肆筑紫史益、拜筑紫大宰府典以來於今廿九年矣。以淸白忠誠、不敢怠惰。是故、賜食封五十戸・絁十五匹・綿廿五屯・布五十端・稻五千束。」・・・・・戊子、天皇幸吉野宮。乙未、天皇至自吉野宮。

(現代語訳・十四日,詔して,「直廣肆筑紫史益は,筑紫大宰府の典に任ぜられてから,今に至る二十九年間。,淸白き忠誠心をもって,たゆまず仕えてきた。故に,食封五十戸・絁十五匹・綿廿五屯・布五十端・稻五千束を与える」といわれた。・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(27)〈持統5〉二月壬寅朔、天皇公卿等曰「卿等於天皇世作佛殿經藏・行月六齋、天皇時々遺大舍人問訊。朕世亦如之、故當勤心奉佛法也。」是日、授宮人位記。三月壬申朔甲戌、宴公卿於西廳。丙子、天皇觀公私馬於御苑。

(現代語訳・二月一日,天皇は公卿らに詔して,「卿たちよ,天武天皇の御世に佛殿・經藏をつくり,毎月六回の日を行った。天皇はその時々大舍人を遣わし問わされた。我が世にもこのようにしたいと思う。それ故心慎み仏法をあがめるように」といわれた。

前後の文脈から・・・主語あり

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(28)(持統5)癸巳、曰「若有百姓弟爲兄見賣者、從良。若子爲父母見賣者、從賤。若准貸倍沒賤者、從良。其子雖配奴婢所生、亦皆從良。」

(現代語訳・二十二日,詔して,「もし百姓の弟が兄のために売られることがあれば,良人に入れよ。もし子どもが父母のために売られたら賤民に入れよ。借金の為に選民にされた者は,良人に入れよ。その子が奴隷と連れあって生んだ子も良人にいれよ」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(29)〈持統5〉夏四月辛丑朔、曰「若氏祖時所免奴婢既除籍者、其眷族等不得更訟言我奴婢。」

(現代語訳・夏四月一日,詔して,「もし氏の先祖の時に奴隷を免ぜられ,戸籍上除かれている者を,後のやからがまた訴えて,わが奴婢であることを主張することは許されない」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(30)〈持統5〉六月、京師及郡國卌、雨水。戊子、曰「此夏陰雨過節、懼必傷稼。夕惕迄朝憂懼、思念厥愆。其令公卿百寮人等禁斷酒宍・攝心悔過、京及畿內諸寺梵衆亦當五日誦經。庶有補焉。」・・・・・自四月雨、至于是月。己未、大赦天下、但盜賊不在赦例。秋七月庚午朔壬申、天皇幸吉野宮。是日、伊豫國司田中朝臣法麻呂等獻宇和郡御馬山白銀三斤八兩・𨥥一籠。丙子、宴公卿、仍賜朝服。辛巳、天皇至自吉野。甲申、遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。

(現代語訳・六月,京師と諸国の四十か所に水害があった。五月十八日,詔して,「この頃の長雨は季節に外れている。おそらく豊作を損なうであろう。朝から晩まで憂え恐れている。政治に何かの過ちがあるのではないかと思う。公卿・百官も酒肉を禁じ,心を修め過ちを悔いよ。京や畿内の諸寺の僧らは,五日間誦經せよ。どうか効果のあるようにと願う」といわれた。・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(31)〈持統5〉八月己亥朔辛亥、十八氏大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿倍・佐伯・采女・穗積・阿曇、上進其祖等墓記。・・・・・辛酉、遣使者祭龍田風神・信濃須波・水內等神。九月己巳朔壬申、賜音博士大唐續守言・薩弘恪・書博士百濟末士善信、銀人廿兩。丁丑、淨大參皇子川嶋薨。辛卯、以直大貳贈佐伯宿禰大目、幷賜賻物。

(現代語訳・八月十三日,十八氏大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿倍・佐伯・采女・穗積・阿曇に詔して,その先祖の墓記を上撰させた。・・・・・辛酉、遣使者祭龍田風神・信濃須波・水內等神。九月己巳朔壬申、賜音博士大唐續守言・薩弘恪・書博士百濟末士善信、銀人廿兩。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(32)〈持統5〉冬十月戊戌朔、日有蝕之。乙巳、曰「凡先皇陵戸者置五戸以上、自餘王等有功者置三戸。若陵戸不足、以百姓充。免其徭役、三年一替。」・・・・・庚戌、畿內及諸國、置長生地各一千步。是日、天皇幸吉野宮。丁巳、天皇至自吉野。甲子、遣使者鎭祭新益京。

(現代語訳・十月一日,日食があった。十月八日,詔して,先皇の陵戸は五戸以上とせよ。これ以外の王らの有功者には,三戸とする。もし陵戸が足りなかったら,百姓をあてよ。その者の徭役は免除せよ。三年に一度入れ替えよ」といわれた 。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(33)〈持統5〉十一月戊辰、大嘗。神祗伯中臣朝臣大嶋、讀天神壽詞。壬辰、賜公卿食衾。乙未、饗公卿以下至主典、幷賜絹等各有差。丁酉、饗神祗官長上以下至神部等及供奉播磨因幡國郡司以下至百姓男女、幷賜絹等各有差。・・・・・十二月戊戌朔己亥、賜醫博士務大參德自珍・呪禁博士木素丁武・沙宅萬首、銀人廿兩。乙巳、曰「賜右大臣宅地四町、直廣貳以上二町、大參以下一町。勤以下至無位、隨其戸口、其上戸一町・中戸半町・下戸四分之一。王等亦准此。」

(現代語訳・十一月戊辰、大嘗。神祗伯中臣朝臣大嶋、讀天神壽詞。壬辰、賜公卿食衾。乙未、饗公卿以下至主典、幷賜絹等各有差。丁酉、饗神祗官長上以下至神部等及供奉播磨因幡國郡司以下至百姓男女、幷賜絹等各有差。・・・・・十二月二日,医博士務大參德自珍・呪禁博士木素丁武・沙宅萬首に銀をそれぞれ二十両ずつ賜った。詔して,「新益京での右大臣に賜る宅地は四町、。直廣貳以上には二町。大參以下には一町,勤以下無位まで,その戸の人数による。上戸には一町・中戸には半町・下戸には四分の一。王等もこれに準ずる」といわれた  )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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持統紀の「詔」について【51】 【13】~【25】

(13)六月壬午朔、賜衣裳筑紫大宰等。癸未、以皇子施基・直廣肆佐味朝臣宿那麻呂・羽田朝臣齊齊、此云牟吾閉・勤廣肆伊余部連馬飼・調忌寸老人・務大參大伴宿禰手拍與巨勢朝臣多益須等、拜撰善言司。庚子、賜大唐續守言・薩弘恪等稻、各有差。・・・・・辛丑、筑紫大宰粟田眞人朝臣等、賜學問僧明聰・觀智等爲送新羅師友、綿各一百四十斤。乙巳、於筑紫小郡、設新羅弔使金道那等、賜物各有差。庚戌、班賜諸司令、一部廿二卷。

(現代語訳・・・・・・二十日,筑紫の大宰粟田眞人朝臣等らに詔して,学問僧明聴・観智らが,新羅の師や友に送るための綿,それぞれ百四十斤賜った)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(14)秋七月壬子朔、付賜陸奧蝦夷沙門自得所請金銅藥師佛像・觀世音菩薩像各一軀・鍾・娑羅・寶帳・香爐・幡等物。是日、新羅弔使金道那等罷歸。 ・・・・・丙寅、左右京職及諸國司、築習射所。辛未、流偽兵衞河內國澁川郡人柏原廣山于土左國、以追廣參授捉偽兵衞廣山兵衞生部連虎。甲戌、賜越蝦夷八釣魚等、各有差。魚、此云儺。

(現代語訳・十五日,左右京職と諸国の国司に詔して,射弓所を築かせた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(15)秋八月辛巳朔壬午、百官會集於神祗官、而奉宣天神地祗之事。甲申、天皇幸吉野宮。丙申、禁斷漁獵於攝津國武庫海一千步內・紀伊國阿提郡那耆野二萬頃・伊賀國伊賀郡身野二萬頃、置守護人、准河內國大鳥郡高脚海。丁酉、賞賜公卿各有差。・・・・・辛丑、伊豫總領田中朝臣法麻呂等曰、讚吉國御城郡所獲白䴏、宜放養焉。癸卯、觀射。

(現代語訳・二十一日,伊予の惣領田中朝臣法麻呂に詔して,「讃岐国三木郡でとらえた白燕放し飼いにせよ」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(16)潤八月辛亥朔庚申、諸國司曰「今冬戸籍可造。宜限九月糺捉浮浪。其兵士者、毎於一國四分而點其一令習武事。」・・・・・丁丑、以淨廣肆河內王爲筑紫大宰師、授兵仗及賜物。以直廣壹授直廣貳丹比眞人嶋、増封一百戸通前。

(現代語訳・閏八月十日,諸国の国司に詔して,「今年の冬に戸籍を造り,九月を期限として浮浪者を取り締まるように。兵士は国ごとに壮丁の四分の一を指定し,武事を習わせよ」といわれた。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(17)夏四月丁未朔己酉、遣使祭廣瀬大忌神與龍田風神。癸丑、賜京與畿內耆老耆女五千卅一人、稻人廿束。・・・・・庚申、曰「百官人及畿內人、有位者限六年、無位者限七年、以其上日、選定九等。~四等以上者、依考仕令、以其善最・功能・氏姓大小、量授冠位。其朝服者、淨大壹已下廣貳已上黑紫、淨大參已下廣肆已上赤紫、正八級赤紫、直八級緋、勤八級深緑、務八級淺緑、追八級深縹、進八級淺縹。別淨廣貳已上、一畐一部之綾羅等、種々聽用。淨大參已下直廣肆已上、一畐二部之綾羅等、種々聽用。上下通用綺帶・白袴、其餘者如常。」戊辰、始祈雨於所々。旱也。

(現代語訳・・・・・・十四日,官位を進める年限は,百官と畿内の人で,有位者は六年,無位者は七年とする。考課はその出勤の日数を以って,九等に訳よ。~)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(18)秋七月丙子朔、公卿百寮人等、始着新朝服。戊寅、班幣於天神地祗。庚辰、以皇子高市爲太政大臣、以正廣參授丹比嶋眞人爲右大臣、幷八省百寮皆遷任焉。辛巳、大宰・國司、皆遷任焉。・・・・・壬午、「令公卿百寮凡有位者、自今以後、於家內着朝服而參上未開門以前。」蓋昔者到宮門而着朝服乎。

(現代語訳・・・・・・七日,詔して,「公卿百官,すべての有位の者は,今後,家の中で朝服を着て,まだ門を開けない前に参上せよ」といわれた。以前は宮門に入ってから朝服を着たらしい)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(19)甲申、曰「凡朝堂座上見親王者、如常、大臣與王起立堂前、二王以上下座而跪。」

(現代語訳・九日,詔して,「およそ朝堂で座についているとき,親王見た場合は従来通り,大臣と王とには,堂前で起立。二王以上の人を見た場合には,座からおりて跪き控えよ」といわれた。)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(20)己丑、曰「朝堂座上見大臣、動坐而跪。」・・・・・是日、以絁絲綿布奉施七寺安居沙門三千三百六十三、別爲皇太子奉施於三寺安居沙門三百廿九。癸巳、遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。

(現代語訳・十四日,詔して,「朝堂で座についている時,大臣を見た時には,座を動いて跪くように」と言われた。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(21)九月乙亥朔、諸國司等曰、凡造戸籍者、依戸令也。

(現代語訳・九月一日,諸国の国司に詔して,「戸籍を造るには戸令によって行え」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(22)乙酉、曰、朕將巡行紀伊之、故勿收今年京師田租口賦。丁亥、天皇幸紀伊。・・・・・丁酉、大唐學問僧智宗・義德・淨願・軍丁筑紫國上陽咩郡大伴部博麻、從新羅送使大奈末金高訓等、還至筑紫。戊戌、天皇至自紀伊。

(現代語訳・十一日,詔して,「紀伊国に巡行しようと思うから,今年の京師の田租・口賦 は徴収をやめよ」といわれた。十三日,天皇は紀伊においでになった。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(23)(24)冬十月甲辰朔戊申、天皇幸吉野宮。癸丑、大唐學問僧智宗等、至于京師。・・・・・戊午、遣使者筑紫大宰河內王等曰「饗新羅送使大奈末金高訓等、准上送學生土師宿禰甥等送使之例。其慰勞賜物、一依書。」

(現代語訳・・・・・・十五日,使者を遣わして,筑紫大宰河内王らに詔して,「新羅の新羅送使大奈末金高訓 らの饗応は,學生土師宿禰甥らを送ってきた送使の饗に準ぜよ。その慰労と賜物は詔書に示されたことに従え」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(25)乙丑、軍丁筑紫國上陽咩郡人大伴部博麻曰「於天豐財重日足姬天皇七年、救百濟之役、汝、爲唐軍見虜。洎天命開別天皇三年、土師連富杼・氷連老・筑紫君薩夜麻・弓削連元寶兒、四人、思欲奏聞唐人所計、緣無衣粮、憂不能達。於是、博麻謂土師富杼等曰『我欲共汝還向本朝。緣無衣粮、倶不能去。願賣我身以充衣食。』・・・・・富杼等、依博麻計、得通天朝。汝獨淹滯他界、於今卅年矣。朕、嘉厥尊朝愛國・賣己顯忠。故、賜務大肆、幷絁五匹・綿一十屯・布卅端・稻一千束・水田四町。其水田、及至曾孫也。免三族課役、以顯其功。」壬申、高市皇子觀藤原宮地、公卿百寮從焉。

(現代語訳・二十二日,兵士,筑紫國上陽咩郡の人,大伴部博麻 に詔して,「斉明天皇の七年,百済救援の役で,お前は唐の捕虜とされた。天智天皇の三年になって,土師連富杼・氷連老・筑紫君薩夜麻・弓削連元寶の子四人が,唐人の計画を朝に奏上しようと思ったが,衣食もないため,京師まで行きつけないことを憂えた。そのとき博麻は土師富杼 らに語って,「自分は皆と一緒に朝のもとに行きたいが,衣食もない身で叶わないので,どうか私を奴隷に売り,その金を衣食にあててくれ」といった」・・・・・」といわれた )

前後の文脈から・・・ 主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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持統紀の「詔」について【51】 【1】~【12】

(1)丙申曰、丙申詔曰、皇子大津謀反、詿誤吏民帳內不得已、今皇子大津已滅、從者但礪杵道作流伊豆。

(現代語訳・二十九日,詔して,「皇子大津は謀叛を企てた。これに欺かれた官吏や舎人は止むを得なかった。今,皇子大津は既に滅んだ。従者で皇子に従った者は,みな赦す。ただし,礪杵道作は伊豆に流がせ」といわれた。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(2)又曰、新羅沙門行心、與皇子大津謀反、朕不忍加法、徙飛騨國伽藍。

(現代語訳・また詔して,「新羅の沙門行心はん,皇子大津の謀叛に与したが,罰するのに忍びないので,飛騨國の寺に移せ」いわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(3)六月癸巳朔庚申、赦罪人。秋七月癸亥朔甲子、曰「凡負債者、自乙酉年以前物、莫收利也。若既役身者、不得役利。」       

(現代語訳・六月二十八日,罪人を赦免された。。秋七月二日,詔して「およそ負債者に関して,天武十四年以前のものについては,利息をとってはならぬ。もしすでに労働で償っている者には,利息分まで労働させてはならない」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし・白村江の敗戦後の徳政令か

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(4)詞酸割、不可具陳。

(現代語訳・詔のことばは悲しく心を破り,詳しくのべるにのに堪えなかった )

前後の文脈から・・・前半に飛鳥寺が出て来た・主語あり

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(5)二年春正月庚申朔、・・・・・乙曰、自今以後毎取國忌日要須齋也。・・・・・

(現代語訳・二年春一月一日,・・・・・十六日,詔して,「今後国忌の日には必ず齋会をさせよ」といわれた ・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(6)三月己未朔己卯、・・・・・ 六月戊子朔戊戌、「令天下、繋囚極刑減本罪一等、輕繋皆赦除之。其令天下皆半入今年調賦。」   

(現代語訳・三月二十一日,・・・・・六月十一日,詔して,「天下に令して,死刑囚は罪一等を減じ,軽囚はみな赦免せよ。全国の今年の調賦を半減せよ」といわれた

前後の文脈から・・・ 主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(7)三年春正月甲寅朔、天皇、朝萬國于前殿。乙卯、大學寮獻杖八十枚。丙辰、務大肆陸奧國優𡺸曇郡城養蝦夷脂利古男、麻呂與鐵折、請剔鬢髮爲沙門。曰「麻呂等、少而閑雅寡欲。遂至於此、蔬食持戒。可隨所請、出家修道。」

(現代語訳・三年春一月一日,天皇は諸国の代表を正殿に集め,元旦の朝拝を行われた。二日,大學寮が杖八十枚奉他。三日,務大肆陸奧國優𡺸曇郡の柵造の蝦夷の脂利古の子・麻呂與鐵折が鬢や髮を剃って沙門になりたいと願い出た。詔して,「麻呂らは,年若いが,優雅で物欲も少なく,採食をして戒律を守るようになった。少而閑雅寡欲。遂至於此、所望通りに出家修道するがよい」といわれた。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(8)壬戌、出雲國司、上送遭値風浪蕃人。

(現代語訳・九日,出雲國司に詔して,「暴風に遭遇した近隣の国の人を,都に送らせた

(現代語訳・壬戌、出雲國司、上送遭値風浪蕃人 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

・・・・・カ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(9)二月甲申朔丙申、、筑紫防人、滿年限者替。己酉、以淨廣肆竹田王・直廣肆土師宿禰根麻呂・大宅朝臣麻呂・藤原朝臣史・務大肆當麻眞人櫻井、與穗積朝臣山守・中臣朝臣々麻呂・巨勢朝臣多益須・大三輪朝臣安麻呂、爲判事

(現代語訳・二月十三日,詔して、「筑紫の防人は,年限になったら交代させよ」と言われた。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(10)三月癸丑朔丙子、大赦天下。・・・・・己酉、、諸司仕丁、一月放假四日。

(現代語訳・三月二十四日,全国に大赦令を出した。・・・・・四月二十七日,詔して,諸司の仕丁にひと月に四日の休暇を与えることとされた。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(11)五月癸丑朔甲戌、命土師宿禰根麻呂、新羅弔使級飡金道那等、曰「太政官卿等奉勅奉宣、二年、遣田中朝臣法麻呂等、相告大行天皇喪。時、新羅言、新羅奉勅人者元來用蘇判位、今將復爾。

(現代語訳・五月二十二日,土師宿禰根麻呂に命じて,新羅弔使級飡金道那らに詔して,「先に太政官卿らがをうけて告げたが,二年に田中朝臣法麻呂らを相遣わし,大行天皇の喪をつげさせたとき,新羅が申したのは,新羅が勅をうけたまわる人は,今もそのようにしたいと思います )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(12)由是、法麻呂等不得奉宣赴告之詔。

(現代語訳・それで法麻呂たちは,知らせる詔を渡せなかった。・・・・・ )

前後の文脈から・・・(11)を受けて

☆ 九州王朝の史料からの盗用ではないか

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天武紀の「詔」について【66】のうち【58】~【66】

(58)冬十月己卯朔、曰、更改諸氏之族姓、作八色之姓、以混天下萬姓。一曰眞人、二曰朝臣、三曰宿禰、四曰忌寸、五曰道師、六曰臣、七曰連、八曰稻置。是日、守山公・路公・高橋公・三國公・當麻公・茨城公・丹比公・猪名公・坂田公・羽田公・息長公・酒人公・山道公、十三氏賜姓曰眞人。辛巳、遣伊勢王等、定諸國堺。是日、縣犬養連手繦爲大使・川原連加尼爲小使、遣耽羅。

(現代語訳・冬十月一日,詔して,「諸氏の族姓をあらためて,八色の姓をつくり,天下のすべての姓を一本化する。一曰眞人,二曰朝臣,三曰宿禰,四曰忌寸,五曰道師,六曰臣,七曰連,八曰稻置である」といわれた。この日,守山公・路公・高橋公・三國公・當麻公・茨城公・丹比公・猪名公・坂田公・羽田公・息長公・酒人公・山道公の十三氏に,姓を眞人とした。三日,伊勢王らを遣わして,諸國の境界を定めさせた。この日,縣犬養連手繦を大使・川原連加尼爲小使として,耽羅に遣わした )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(59)庚戌、土左國司言、大潮高騰・海水飄蕩、由是、運調船多放失焉。戊辰昏時、七星倶流東北則隕之。庚午日沒時、星隕東方大如瓮、逮于戌、天文悉亂以星隕如雨。是月、有星孛于中央、與昴星雙而行之、及月盡失焉。・・・・・是年、、伊賀・伊勢・美濃・尾張四國、自今以後、調年免役・役年免調。倭葛城下郡言、有四足鶏。亦丹波國氷上郡言、有十二角犢。

(現代語訳・庚戌、土左國司言、大潮高騰・海水飄蕩、由是、運調船多放失焉。戊辰昏時、七星倶流東北則隕之。庚午日沒時、星隕東方大如瓮、逮于戌、天文悉亂以星隕如雨。是月、有星孛于中央、與昴星雙而行之、及月盡失焉。・・・・・この年,詔して,「伊賀・伊勢・美濃・尾張四國は,今後,調のある年には役を免除する」といわれた。倭の葛城下郡,四本足の鶏が見つかりました」と報告した。亦丹波國氷上郡が言「十二の角がある小牛がうまれました」と報告した )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(60)二月丁丑朔庚辰、大唐人・百濟人・高麗人、幷百卌七人賜爵位。三月丙午朔己未、饗金物儒於筑紫、卽從筑紫歸之、仍流着新羅人七口附物儒還之。辛酉、京職大夫直大參巨勢朝臣辛檀努、卒。・・・・・壬申、、諸國毎家作佛舍、乃置佛像及經、以禮拜供養。是月、灰零於信濃國、草木皆枯焉。夏四月丙子朔己卯、紀伊國司言、牟婁湯泉沒而不出也。丁亥、祭廣瀬龍田神。壬辰、新羅人金主山、歸之。庚寅、始請僧尼安居于宮中。

(現代語訳・二月丁丑朔庚辰、大唐人・百濟人・高麗人、幷百卌七人賜爵位。三月丙午朔己未、饗金物儒於筑紫、卽從筑紫歸之、仍流着新羅人七口附物儒還之。辛酉、京職大夫直大參巨勢朝臣辛檀努、卒。・・・・・二十七日,詔して,国々で家ごとに仏舍を造り,仏像と教典を置き,禮拜供養せよ。この月,信濃國に灰が降って,草木が皆枯れた。・・・・・夏四月丙子朔己卯、紀伊國司言、牟婁湯泉沒而不出也。丁亥、祭廣瀬龍田神。壬辰、新羅人金主山、歸之。庚寅、始請僧尼安居于宮中。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(61)六月乙亥朔甲午、大倭連・葛城連・凡川內連・山背連・難波連・紀酒人連・倭漢連・河內漢連・秦連・大隅直・書連、幷十一氏賜姓曰忌寸。秋七月乙巳朔乙丑、祭廣瀬龍田神。庚午、勅定明位已下進位已上之朝服色、淨位已上並着朱花朱花此云波泥孺・正位深紫・直位淺紫・勤位深緑・務位淺緑・追位深蒲萄・進位淺蒲萄。・・・・・辛未、曰、東山道美濃以東・東海道伊勢以東諸國有位人等、並免課役。八月甲戌朔乙酉、天皇幸于淨土寺。丙戌、幸于川原寺、施稻於衆僧。癸巳、遣耽羅使人等還之。

(現代語訳・六月乙亥朔甲午、大倭連・葛城連・凡川內連・山背連・難波連・紀酒人連・倭漢連・河內漢連・秦連・大隅直・書連、幷十一氏賜姓曰忌寸。秋七月乙巳朔乙丑、祭廣瀬龍田神。庚午、勅定明位已下進位已上之朝服色、淨位已上並着朱花朱花此云波泥孺・正位深紫・直位淺紫・勤位深緑・務位淺緑・追位深蒲萄・進位淺蒲萄。・・・・・二十七日,詔して,「東山道は美濃以東・東海道は伊勢以東の諸國の有位者たちは,課税を免除する。八月十二日手,天皇は淨土寺にお出ましになった。十三日,川原寺にお出ましになった。僧たちに稲をお送りになった。二十日,耽羅に遣わされた使人が帰国した )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(62)是日、曰、凡諸歌男・歌女・笛吹者、卽傳己子孫令習歌笛。・・・・・辛酉、天皇、御大安殿、喚王卿等於殿前以令博戲。是日、宮處王・難波王・竹田王・三國眞人友足・縣犬養宿禰大侶・大伴宿禰御行・境部宿禰石積・多朝臣品治・采女朝臣竹羅・藤原朝臣大嶋、凡十人賜御衣袴。壬戌、皇太子以下及諸王卿、幷卌八人賜羆皮山羊皮、各有差。癸亥、遣高麗國使人等還之。丁卯、爲天皇體不豫之、三日誦經於大官大寺・川原寺・飛鳥寺、因以稻納三寺各有差。庚午、化來高麗人等賜祿各有差。

(現代語訳・この日,詔して,「およそすべての歌男・歌女・笛吹は,卽傳自分の技術を子孫に伝え,辛酉、天皇、御大歌や笛に習熟させよ」といわれた。・・・・・安殿、喚王卿等於殿前以令博戲。是日、宮處王・難波王・竹田王・三國眞人友足・縣犬養宿禰大侶・大伴宿禰御行・境部宿禰石積・多朝臣品治・采女朝臣竹羅・藤原朝臣大嶋、凡十人賜御衣袴。壬戌、皇太子以下及諸王卿、幷卌八人賜羆皮山羊皮、各有差。癸亥、遣高麗國使人等還之。丁卯、爲天皇體不豫之、三日誦經於大官大寺・川原寺・飛鳥寺、因以稻納三寺各有差。庚午、化來高麗人等賜祿各有差。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(63)十一月癸卯朔甲辰、儲用鐵一萬斤、送於周芳總令所。是日、筑紫大宰、請儲用物、絁一百匹・絲一百斤・布三百端・庸布四百常・鐵一萬斤・箭竹二千連、送下於筑紫。・・・・・四方國曰、大角小角鼓吹幡旗及弩抛之類、不應存私家、咸收于郡家。戊申、幸白錦後菀。丙寅、法藏法師・金鍾、獻白朮煎。是日、爲天皇招魂之。己巳、新羅、遣波珍飡金智祥・大阿飡金健勳、請政、仍進調。

(現代語訳・十一月癸卯朔甲辰、儲用鐵一萬斤、送於周芳總令所。是日、筑紫大宰、請儲用物、絁一百匹・絲一百斤・布三百端・庸布四百常・鐵一萬斤・箭竹二千連、送下於筑紫。・・・・・全国に詔にして,「大角・小角・鼓・はた・おおゆみ・石はじきの類は,個人の家には置いてはいけない。・・・・・戊申、幸白錦後菀。丙寅、法藏法師・金鍾、獻白朮煎。是日、爲天皇招魂之。己巳、新羅、遣波珍飡金智祥・大阿飡金健勳、請政、仍進調)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(64)朱鳥元年春正月壬寅朔癸卯、御大極殿而賜宴於諸王卿。是日曰、朕問王卿以無端事、仍對言得實必有賜。・・・・・於是、高市皇子、被問以實對、賜蓁揩御衣三具・錦袴二具、幷絁廿匹・絲五十斤・綿百斤・布一百端。伊勢王、亦得實、卽賜皁御衣三具・紫袴二具・絁七匹・絲廿斤・綿卌斤・布卌端。是日、攝津國人百濟新興、獻白馬瑙。庚戌、請三綱律師及大官大寺知事・佐官、幷九僧、以俗供養々之、仍施絁綿布各有差。辛亥、諸王卿各賜袍袴一具。甲寅、召諸才人・博士・陰陽師・醫師者、幷廿餘人、賜食及祿。

(現代語訳・朱鳥元年春正月二日,大極殿にお出ましになり,宴を諸王卿たちに賜った。この日詔して,「自分が王卿に無端事をたずねよう。答えて当たっていたら必ず賜いものをしよう。・・・・・於是、高市皇子、被問以實對、賜蓁揩御衣三具・錦袴二具、幷絁廿匹・絲五十斤・綿百斤・布一百端。伊勢王、亦得實、卽賜皁御衣三具・紫袴二具・絁七匹・絲廿斤・綿卌斤・布卌端。是日、攝津國人百濟新興、獻白馬瑙。庚戌、請三綱律師及大官大寺知事・佐官、幷九僧、以俗供養々之、仍施絁綿布各有差。辛亥、諸王卿各賜袍袴一具。甲寅、召諸才人・博士・陰陽師・醫師者、幷廿餘人、賜食及祿。 )

前後の文脈から・・・大極殿(前期難波宮としたら)

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(65)秋七月己亥朔庚子、勅、更男夫着脛裳・婦女垂髮于背、猶如故。是日、僧正僧都等、參赴宮中而悔過矣。・・・・・辛丑、諸國大解除。・・・・・壬寅、半減天下之調、仍悉免徭役。癸卯、奉幣於居紀伊國々懸神・飛鳥四社・住吉大神。丙午、請一百僧讀金光明經於宮中。戊申、雷光南方而一大鳴、則天災於民部省藏庸舍屋。或曰、忍壁皇子宮失火延燒民部省。癸丑勅曰、天下之事、不問大小、悉啓于皇后及皇太子。是日、大赦之。甲寅、祭廣瀬龍田神。

(現代語訳・秋七月己亥朔庚子、勅、更男夫着脛裳・婦女垂髮于背、猶如故。是日、僧正僧都等、參赴宮中而悔過矣。・・・・・三日,諸國に詔して,大祓を行った。・・・・・壬寅、半減天下之調、仍悉免徭役。癸卯、奉幣於居紀伊國々懸神・飛鳥四社・住吉大神。丙午、請一百僧讀金光明經於宮中。戊申、雷光南方而一大鳴、則天災於民部省藏庸舍屋。或曰、忍壁皇子宮失火延燒民部省。癸丑勅曰、天下之事、不問大小、悉啓于皇后及皇太子。是日、大赦之。甲寅、祭廣瀬龍田神。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(66)丁巳曰、天下百姓由貧乏而貸稻及貨財者、乙酉年十二月卅日以前、不問公私皆免原。

(現代語訳・十九日,詔して,諸国の百姓で,貧しいために,稲と資材を貸し与えられた者は,十四年十二月三十日以前の分は,公私を問わずすべて返済を免除せよ」といわれた)

前後の文脈から・・・ 免原(徳政令)

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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