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2022年1月31日 (月)

応神紀の中の「拝」について(工事中)

【応神紀】1

譽田天皇、足仲彥天皇第四子也、母曰氣長足姬尊。天皇、以皇后討新羅之年、歲次庚辰冬十二月、生於筑紫之蚊田。幼而聰達、玄監深遠、動容進止、聖表有異焉。皇太后攝政之三年、立爲皇太子。時年三。初天皇、在孕而天神地祇授三韓。既産之、宍生腕上、其形如鞆、是肖皇太后爲雄裝之負鞆肖、此云阿叡、故稱其名謂譽田天皇。上古時俗、號鞆謂褒武多焉。一云「初天皇爲太子、行于越國、祭角鹿笥飯大神。時、大神與太子、名相易、故號大神曰去來紗別神、太子名譽田別尊。」然則、可謂大神本名譽田別神、太子元名去來紗別尊、然無所見也、未詳。攝政六十九年夏四月、皇太后崩。時年百歲。

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