« 天武紀の「詔」について 【66】のうち【4】~【13】 | トップページ | 天武紀の「詔」について 【66】のうち【24】~【34】 »

2021年8月21日 (土)

天武紀の「詔」について 【66】のうち【14】~【23】

(14)五年春正月庚子朔、群臣百寮拜朝。癸卯、高市皇子以下小錦以上大夫等、賜衣袴褶腰帶脚帶及机杖、唯小錦三階不賜机。丙午、小錦以上大夫等、賜祿各有差。甲寅、百寮初位以上、進薪。卽日、悉集朝庭賜宴。乙卯、置祿射于西門庭、中的者則給祿有差。是日、天皇御嶋宮、宴之。甲子、曰、凡任國司者、除畿內及陸奧・長門國、以外皆任大山位下人。

(現代語訳・五年春正月一日,群臣百寮は賀正の礼を行った。。四日,高市皇子以下,小錦以上大夫らに,衣・袴・褶・腰帶・脚帶・および机・杖を賜った。ただし小錦の三つの階のみは机がなかった。七日,小錦以上大夫らにそれぞれに応じた賜物があった。十五日,百寮の初位以薪を奉った。その日て朝庭に全員を集めて宴を賜った。十六日,西の門の広場で弓競べがあり,的への当たり方によって,それぞれ祿を賜った。この日天皇は嶋宮においでになって宴会を催された。二十五日,詔して「國司を任命するには,畿內および陸奧・長門國以外は,すべて任大山の位以下の人を任ぜよ」といわれた )

前後の文脈から・・・賀正の礼・主語なしー主語あり・嶋宮

☆ 九州+近畿か

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(15)己未、美濃國司曰「在礪杵郡紀臣訶佐麻呂之子、遷東國、卽爲其國之百姓。」

(現代語訳・二十二日,美濃國司に詔して,「礪杵郡にいる紀臣訶佐麻呂之の子を東國に移して,その国の人民とせよ」といわれた )

前後の文脈から・・・かつて美濃=九州の版図だった・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(16)(17)(18)八月丙申朔丁酉、親王以下小錦以上大夫及皇女・姬王・內命婦等、給食封各有差。辛亥、曰「四方爲大解除、・・・・・壬子、曰「死刑・・・・・・是日、諸國以放生。

(現代語訳・八月二日,親王以下小錦以上の大夫および皇女・姬王・內命婦らにそれぞれ食封を賜った。十六日,詔して,「国々で大祓をしよう。・・・・・十七日,詔して,「死刑・・・・・は一級下げる。この日,詔して,諸國に放生令をしかれた )

前後の文脈から・・・この続きに,大三輪真上田子人君(壬申の乱で活躍)

☆ 九州+近畿か

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(19)十一月乙丑朔、以新嘗事、不告朔。丁卯、新羅、遣沙飡金淸平、請政。幷遣汲飡金好儒・弟監大舍金欽吉等、進調。其送使奈末被珍那・副使奈末好福、送淸平等於筑紫。是月、肅愼七人、從淸平等至之。癸未、近京諸國而放生。甲申、遣使於四方國、說金光明經・仁王經。丁亥、高麗、遣大使後部主簿阿于・副使前部大兄德富、朝貢。仍新羅、遣大奈末金楊原、送高麗使人於筑紫。是年、將都新城。而限內田園者、不問公私、皆不耕悉荒。然遂不都矣。

(現代語訳・十一月一日。新嘗祭のため告朔がなかった。三日,新羅が沙飡金淸平を遣わし,政を報告し,合わせて汲飡金好儒・弟監大舍金欽吉らを遣わして,調を奉った。その送使奈末被珍那・副使奈末好福は,淸平らを筑紫まで送ってきた。この月に肅愼の七人が,淸平らに従ってきた。十九日,京に近い諸國に詔して,放生会を行なわれた。諸国に使いを遣わして,金光明經・仁王經を解かされた。二十三日,高麗が大使後部主簿阿于・副使前部大兄德富を遣わして,調を奉った。このため新羅は,大奈末金楊原を遣わして,高麗の使人を筑紫に送ってきた )

前後の文脈から・・・京,放生会,金光明京,仁王経・筑紫・新羅・高麗

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(20)六月壬辰朔乙巳、大震動。是月、東漢直等曰「汝等黨族之自本犯七不可也。是以、從小墾田御世至于近江朝、常以謀汝等爲事

(現代語訳・六月十四日,大地震があった。この月東漢直らに詔して,「お前たちの仲間は,いままでに七つの良からぬことを行った。

 推古天皇から天智天皇の代に至るまで常にお前たちを警戒してきた)

前後の文脈から・・・推古天皇~天智天皇まで

☆ 近畿王朝の史料ではないか

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(21)(22)八月辛卯朔乙巳、大設齋於飛鳥寺、以讀一切經。便天皇御寺南門而禮三寶。是時、親王諸王及群卿、毎人賜出家一人。其出家者、不問男女長幼、皆隨願度之。因以、會于大齋。丁巳、金淸平歸國。卽漂着朴刺破等、付淸平等返于本土。戊午、耽羅、遣王子都羅、朝貢。九月庚申朔己丑、曰、凡浮浪人、其送本土者、猶復還到、彼此並科課役。

(現代語訳・八月十五日,飛鳥寺で盛大な齋会をもうけ,一切經を読ませられた。天皇は寺の南門にお出ましになり,仏を拝礼された。このとき親王諸王及群卿に詔して,「おのおのについて一人ずつ出家することを許し,その出家者は,男女長幼を問わず、皆願いに従って得度させ,この大齋会に参会させた。二十七日,金淸平は帰途についた。漂着した朴刺破らは,淸平らにつけて本土に返された。二十八日,耽羅は王子都羅を遣わして,調を奉った。九月三十日,詔して,「およそ浮浪者で,その本籍地に送られた者が,また戻った場合は,向こうでもこちらでも双方の課役を科せよ」といわれた )

前後の文脈から・・・飛鳥寺

☆ 近畿王朝の史料ではないか

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(23)冬十月甲申朔、・・・・・己酉、曰「凡內外文武官、毎年、史以上其屬官人等公平而恪懃者、議其優劣則定應進階。正月上旬以前、具記送法官。則法官校定、申送大辨官。然、緣公事以出使之日、其非眞病及重服、輕緣小故而辭者、不在進階之例。」

(現代語訳・冬十月一日,・・・・・二十六日,詔して,「およそ內外の文武官は,毎年,史以上の官人の,公平で仕事に忠実なものについて優劣を議し,昇進すべき位階を定めよ。一月の上旬より前に詳しく記して,法官に送れ。法官は良く調べて,大弁官に送れ。しかし公事で使いにでるべき日に,真実の病気,父母の喪以外で,小さなことに関わり,出ない者は昇進させることはない」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし・役人の昇進規定

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

|

« 天武紀の「詔」について 【66】のうち【4】~【13】 | トップページ | 天武紀の「詔」について 【66】のうち【24】~【34】 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

今回も間違いが多い。
 間違える理由の多くは、
 別々の文を一つにつなげて考えてしまうから。
 この典型が
14の詔:詔の主語は省略されている。内容も国司任命の基準と、国家統治の内容。だからこの部分は九州王朝の事績。
 だがその直前の「嶋宮行幸」は天皇と主語が明記されているから近畿大王天武の動き。
 さらにその前の高市皇子以下の官人たちに様々な褒美や録を賜った話は、場所が朝廷であり、九州王朝の事績。
★「九州+近畿」というあいまいな評価はこうした別々のことを一連の一つの話として読んでしまったためにおきた。
 詔は九州王朝史書からの盗用です。

 同様な混乱が
16・17・18の詔:
 三つとも主語は省略され、内容は大解除・刑罰・放生。ここは九州王朝の事績。
 だがこれに続く大三輪真上田子人君の話は近畿天皇家の話。
 二つの話を一つと考えてしまうから
 近畿+九州
とのあいまいなヘンテコな結論になる。

 もう一か所。
21・22の詔:
 別の話をひとくくりにするから間違えている。
 21は:この詔の主語は省略されているが、直前の一連の文に飛鳥寺の南門におわした天皇が仏を礼拝したことが書かれ、これに続けて「この時」だから、近畿大王天武の行動であることは明白。
 ここの評価はよいが
 次の22をごっちゃに混ぜるから間違う。
 22の詔:ここは浮浪者への課税に関することで、主語もないから、九州王朝の事績だ。九州王朝史書からの盗用。

 あとの詔の評価は正しい。

 一つだけ疑問。
 15の詔:美濃はかつて九州王朝の版図だったことを九州と判定する根拠にしているが、これはおかしい。国司にその国の民を他国に移せと命令できるのは天皇だけ。
 だから九州王朝の事績。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月22日 (日) 09時33分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

九州+近畿とか,近畿+九州とかなっているのは,
1つの段落に両方入っているということです。
(同じ段落の中で出て来るの九州と近畿と分けて書いてあると思います)

質問ですが・・・

そういう時は単純に「九州王朝の史利用からの盗用」で済ましていいのですしょうか?
それとも(A)は九州,(B)は近畿のように別々に書けばよいでしょうか。

段落ごとに書いているために,へんな表現になっているようでしたら,
1個1個別々に書くようにします。
そうすると,☆の書き方が,
九州の史料の盗用~
近畿の史料~
と二通りになるということでよろしいですね。

投稿: 肥さん | 2021年8月22日 (日) 11時29分

肥沼さんへ

 同じ段落という判断が間違っています。
 別の話ですから別の段落。
 段落の切り方がわかってないね。

>段落ごとに書いているために,へんな表現になっているようでしたら,
1個1個別々に書くようにします。

 段落の取り方が間違っていますから、一記述ずつ(一文の時と複数の文の時とがある)個々に検討してください。
 したがって
>☆の書き方が,九州の史料の盗用~
近畿の史料~と二通りになる

 はいそのとおり。
 そもそも二通りしかないのです。

 一つの段落に両方入っている

 という肥沼さんの判断が間違っているのです。

 書紀の記述方法は複雑。
 ある年のある月の記述でも
記述あ:九州王朝の事績。
記述い:近畿天皇家の事績。
記述う:近畿天皇家の事績。
記述え:九州王朝の事績。
 という具合に入り組んでいる。
 そして一つの記述(=段落)が
a:一文で成り立っている(~。が一つ)
b:いくつもの文で成り立っている(~。が複数で一つの記述になっている。

 場合が有るので注意です。
bの場合は、文と文の間の接続詞または接続句が入ります。

 段落の切り方を間違えるのは、肥沼さんが少し長い文(複数の文で成り立っている文章)を理解する力がないからです。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月22日 (日) 13時40分

段落の取り方の間違いを例示します。

>(14)五年春正月庚子朔、群臣百寮拜朝。癸卯、高市皇子以下小錦以上大夫等、賜衣袴褶腰帶脚帶及机杖、唯小錦三階不賜机。丙午、小錦以上大夫等、賜祿各有差。甲寅、百寮初位以上、進薪。卽日、悉集朝庭賜宴。乙卯、置祿射于西門庭、中的者則給祿有差。是日、天皇御嶋宮、宴之。甲子、詔曰、凡任國司者、除畿內及陸奧・長門國、以外皆任大山位下人。

 肥沼さんはこれを一つの段落だとした。
 これが間違い。
 正しくは
●段落1:五年春正月庚子朔、群臣百寮拜朝。
●段落2:癸卯、高市皇子以下小錦以上大夫等、賜衣袴褶腰帶脚帶及机杖、唯小錦三階不賜机。丙午、小錦以上大夫等、賜祿各有差。
●段落3:甲寅、百寮初位以上、進薪。卽日、悉集朝庭賜宴。乙卯、置祿射于西門庭、中的者則給祿有差。
●段落4:是日、天皇御嶋宮、宴之。
●段落5:甲子、詔曰、凡任國司者、除畿內及陸奧・長門國、以外皆任大山位下人。

1:群臣百寮が正月拝賀の礼を行う(九州王朝の事績)
2:天皇から小錦以上大夫等への正月拝賀への答礼(九州王朝の事績)
3:その他の臣下への天皇からの答礼(九州王朝の事績)
4:3の弓較べがあった日の天武の行動(近畿天皇家の事績)
 ※ここは九州王朝天皇が嶋宮へ行幸してそこで宴を行ったと読むこともできる。この場合は「天皇」の記述は、1~3が主語無しで記述してきたことを誤魔化すため)
5:国司任命の基準の詔(九州王朝の事績)。

1~5全部を九州王朝事績と読むことができるし、4のみ近畿大王天武の行動と読むこともできる。

 要するに天武5年の時点では九州王朝天皇は飛鳥の後期岡本の宮に朝廷を置き、住居としては付属のエビノコ郭にいたということ。だから近畿大王家の高市皇子なども直接正月の拝礼に出向き、天皇からの答礼を受けることができたということ。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月22日 (日) 13時57分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉段落

私が「段落」と言っているのは,
「日本書紀」や「全文検索」が用いている「段落」ということですよ。
私が勝手に作った「段落」ではありません。
なぜそれを利用するかと言えば,手元に「本文」「現代語訳」などがない読者の々の理解に供するためです。
ただ「詔」を含む分だけなら,毎回相当楽にセッティングできるのですが,
それでは私と川瀬さんのやりとりが,何をしているのかわからなくなってしまうと思うのでそうしているのです。
もっとも「段落」で切るので「日本書紀」の手中にハマってしまうというということも言えるのですが。
試しに【35】~を「詔」を含む分だけ1行ずつでやってみましょうか。
その方がはるかに楽です。本文1行,現代語訳1行,前後の文脈から1行,☆1行で済みます。
だけど,毎日訪問して下さる5~10人の読者の方々には,何をやっているかさっぱりわからないと思います。
「主語有無」の魅力も伝わらない。「独りよがりの勝手な主張」だと思われてしまう。
そうなるのは本意ではありませんので,今までのやり方で続けてきました。
私の言う「段落」の意味は,伝わったでしょうか。

投稿: 肥さん | 2021年8月22日 (日) 17時26分

>私が「段落」と言っているのは,
「日本書紀」や「全文検索」が用いてい「段落」ということです。

 なるほど。
>もっとも「段落」で切るので「日本書紀」の手中にハマってしまうというということも言えるのですが。

 そう。術中にはまっている。


>試しに【35】~を「詔」を含む分だけ1行ずつでやってみましょうか。

 これは辞めた方が良い。煩わしいしわかりにくい。
 今まで通りに「日本書紀」や「全文検索」が用いている「段落」で表示し、ただし分析するときは、詔の一文だけで、前後の文の関係も考えて考えれば良いことだ。

 先に示した例のように、表示された段落をいくつかの「小段落」に切って分析してください。
 こうすれば書紀の述作にはまりにくくなる。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月22日 (日) 18時01分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 先に示した例のように、表示された段落をいくつかの「小段落」に切って分析してください。
 こうすれば書紀の述作にはまりにくくなる。

わかりました。
できるかぎり,努力してみます。

投稿: 肥さん | 2021年8月22日 (日) 21時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 天武紀の「詔」について 【66】のうち【4】~【13】 | トップページ | 天武紀の「詔」について 【66】のうち【24】~【34】 »