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2021年8月21日 (土)

天武紀の「詔」について 【66】のうち【4】~【13】

【下】

(4)五月乙酉朔、公卿大夫及諸臣連幷伴造等曰「夫初出身者、先令仕大舍人。然後、選簡其才能、以充當職。・・・・・・

(現代語訳・五月一日、「公卿大夫及諸臣・連・伴造らに詔して,「はじめて宮仕えする者は,まず大舍人として仕え、そのうえで才能を考え,適職に当らせる。・・・・・

前後の文脈から・・・地方豪族の国造がのぞかれている

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(5)(6)秋八月甲申朔壬辰、在伊賀國紀臣阿閉麻呂等壬申年勞勳之狀、而顯寵賞。・・・・・因命大宰、耽羅使人曰「天皇、新平天下、初之卽位。由是、唯除賀使以外不召、則汝等親所見。亦時寒浪嶮、久淹留之還爲汝愁、故宜疾歸。」 

(現代語訳・秋八月九日,伊賀國の紀臣阿閉麻呂らに壬申の年の功労を表彰して恩賞を賜った。・・・・・そこで筑紫の大宰に命じて,耽羅の使人に伝え,「天皇は天下を平定し,初めて卽位したので。祝賀使以外は会っておられない。それはお前たちも見ているであろう。この頃寒さに向かい海も荒れており,長く逗留すると気がかりも多かろうから,なるべく早く帰国するように」と言われた )

前後の文脈から・・・壬申の乱後の対応~味方した者には表彰,前朝の使いは受け付けず

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(7)(8)二月乙亥朔癸未、勅大倭・河內・攝津・山背・播磨・淡路・丹波・但馬・近江・若狹・伊勢・美濃・尾張等國曰、選所部百姓之能歌男女及侏儒伎人而貢上。丁亥、十市皇女・阿閉皇女、參赴於伊勢神宮。己丑、曰「甲子年諸氏被給部曲者、自今以後、皆除之。又親王諸王及諸臣幷諸寺等所賜山澤・嶋浦・林野・陂池、前後並除焉。」癸巳、曰「群臣百寮及天下人民、莫作諸惡。若有犯者、隨事罪之。」丁酉、天皇幸於高安城。

(現代語訳・二月九日,勅大倭・河內・攝津・山背・播磨・淡路・丹波・但馬・近江・若狹・伊勢・美濃・尾張らの國に勅して,「管内の人民で歌の上手な男女,侏儒,俳優を選んで奉れ」と言われた。十三日,十市皇女・阿閉皇女は伊勢神宮に詣でられた。十五日,詔して,「天智三年に諸氏に賜った民部・部曲は以後中止する。また親王・諸王および諸臣,ならびに諸寺に賜わった山澤・嶋浦・林野・池は大化以前と以後とは問わず皆国に返させる」といわれた。十九日,詔して,「群臣・百寮および天下の人民は,諸惡をなしてはならぬ。もし犯すことがあれば,相応の処罰をする」と言われた。二十三日,天皇は高安城においでになった )

前後の文脈から・・・近畿の版図の入っている国々への要求

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(9)(10)夏四月甲戌朔戊寅、請僧尼二千四百餘而大設齋焉。辛巳、勅「小錦上當摩公廣麻呂・小錦下久努臣麻呂二人、勿使朝參。」壬午、曰「諸國貸税、自今以後、明察百姓・先知富貧・簡定三等、仍中戸以下應與貸。」癸未、遣小紫美濃王・小錦下佐伯連廣足、祠風神于龍田立野。遣小錦中間人連大蓋・大山中曾禰連韓犬、祭大忌神於廣瀬河曲。丁亥、小錦下久努臣摩呂、坐對捍使、官位盡追。

(現代語訳・夏四月五日,僧尼二千四百餘を召して盛大な齋会が行われた。八日,勅して「小錦上當摩公廣麻呂・小錦下久努臣麻呂二人は朝廷への出仕を禁ずる」と言われた。九日,詔して,「諸國の貸税は,今後民の富貧を三階級に分け,中戸より以下の者に貸与せよ」といわれた。十日,小紫美濃王・小錦下佐伯連廣足を遣わし,風神を龍田の立野に祭らせた。小錦中間人連大蓋・大山中曾禰連韓犬を遣わして,大忌神を廣瀬の河原に祭らせた。十四日,小錦下久努臣摩呂は,詔命を帯びた使者に従わなかったので,官位をことごとく奪われた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(11)庚寅、諸國曰「自今以後、制諸漁獵者、莫造檻穽及施機槍等之類。亦、四月朔以後九月卅日以前、莫置比彌沙伎理・梁。且、莫食牛馬犬猨鶏之宍。以外不在禁例。若有犯者罪之。」辛卯、三位麻續王有罪、流于因播。一子流伊豆嶋、一子流血鹿嶋。丙申、簡諸才藝者、給祿各有差。是月、新羅王子忠元到難波。

(現代語訳・十七日,諸国に詔して,「今後,漁業や狩猟に従事する者は,檻や落とし穴,仕掛け槍などを造ってはならぬ」」

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(12)六月癸酉朔乙未、大分君惠尺、病將死。天皇大驚、曰「汝惠尺也、背私向公、不惜身命、以遂雄之心勞于大役。恆欲慈愛。故爾雖既死、子孫厚賞。」仍騰外小紫位。未及數日、薨于私家。

(現代語訳・六月二十三日,大分君惠尺は病が重くなり,天皇は大いに驚かれ,詔して,「惠尺よ,お前は滅私奉公して,身命を惜しまず,雄雄しい心で壬申の乱に勲功を立てた。自分はいつもお前の努力に報いたいと思っていた。お前がもし死んだとしても,子孫に手厚く賞を与えよう」といわれた )

前後の文脈から・・・壬申の乱で活躍してくれた・主語あり

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(13)冬十月辛未朔癸酉、遣使於四方、 覓一切經。庚辰、置酒宴群臣。丙戌、自筑紫貢唐人卅口、則遣遠江國而安置。庚寅、曰、諸王以下初位以上、毎人備兵。

(現代語訳・冬十月三日,使いを各地に遣わして,一切經を求めさせた。十日,群臣に酒宴を賜った。十六日,筑紫から唐人が三十人奉ったので,遠江國に住まわせられた。二十日,詔して,諸王以下初位以上の者は,各人で武器を備えよ」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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コメント

天武紀下の詔。
 4~13の検証お疲れ様。

 三か所間違いがあります。

6:その前の5は確かに壬申の乱の論功行賞だから近畿天皇家の話だが、次の6の所は外交交渉。大宰は筑紫の大宰。彼に命じて祝賀使以外は合わないと耽羅の使いに命じて帰国させた。
 これは九州王朝天皇の事績です。
 九州王朝史書からの盗用。

7・8:この二つの詔直前の近畿天皇家の版図の国々に歌の上手いものを奉れとした部分は近畿天皇家の話。
 だがこの次に詔として続く話は別。7は天智期に賜わった領地の廃止で、8は犯罪について定めたもの。二つとも主語なしなので九州王朝天皇の事績。九州王朝史書からの盗用。
 なお直後の高安城への御幸は「天皇幸於高安城」と有るので近畿大王の事績。
 
 近畿と九州の事績が入り混じっているので判定に注意。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月21日 (土) 16時49分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉近畿と九州の事績が入り混じっているので判定に注意

これからはそういうものが増えて来るのでしょうか。

投稿: 肥さん | 2021年8月21日 (土) 18時01分

肥沼さんへ
>〉近畿と九州の事績が入り混じっているので判定に注意
これからはそういうものが増えて来るのでしょうか。

 これから・・・ではなくて、以前から常に二つの記事が入り混じっていますから、判断は大変なのです。
 今に始まった話ではない。
 もう何度も注意している。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月21日 (土) 18時10分

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