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2021年8月23日 (月)

持統紀の「詔」について【51】 【26】~【33】

(26)五年春正月癸酉朔、賜親王・諸臣・內新王・女王・內命婦等位。己卯、賜公卿飲食衣裳、優賜正廣肆百濟王餘禪廣・直大肆遠寶・良虞與南典、各有差。乙酉、増封、皇子高市二千戸通前三千戸、淨廣貳皇子穗積五百戸、淨大參皇子川嶋百戸通前五百戸、正廣參右大臣丹比嶋眞人三百戸通前五百戸、正廣肆百濟王禪廣百戸通前二百戸、直大壹布勢御主人朝臣與大伴御行宿禰八十戸通前三百戸、其餘増封各有差。・・・・・丙戌、曰「直廣肆筑紫史益、拜筑紫大宰府典以來於今廿九年矣。以淸白忠誠、不敢怠惰。是故、賜食封五十戸・絁十五匹・綿廿五屯・布五十端・稻五千束。」・・・・・戊子、天皇幸吉野宮。乙未、天皇至自吉野宮。

(現代語訳・十四日,詔して,「直廣肆筑紫史益は,筑紫大宰府の典に任ぜられてから,今に至る二十九年間。,淸白き忠誠心をもって,たゆまず仕えてきた。故に,食封五十戸・絁十五匹・綿廿五屯・布五十端・稻五千束を与える」といわれた。・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(27)〈持統5〉二月壬寅朔、天皇公卿等曰「卿等於天皇世作佛殿經藏・行月六齋、天皇時々遺大舍人問訊。朕世亦如之、故當勤心奉佛法也。」是日、授宮人位記。三月壬申朔甲戌、宴公卿於西廳。丙子、天皇觀公私馬於御苑。

(現代語訳・二月一日,天皇は公卿らに詔して,「卿たちよ,天武天皇の御世に佛殿・經藏をつくり,毎月六回の日を行った。天皇はその時々大舍人を遣わし問わされた。我が世にもこのようにしたいと思う。それ故心慎み仏法をあがめるように」といわれた。

前後の文脈から・・・主語あり

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(28)(持統5)癸巳、曰「若有百姓弟爲兄見賣者、從良。若子爲父母見賣者、從賤。若准貸倍沒賤者、從良。其子雖配奴婢所生、亦皆從良。」

(現代語訳・二十二日,詔して,「もし百姓の弟が兄のために売られることがあれば,良人に入れよ。もし子どもが父母のために売られたら賤民に入れよ。借金の為に選民にされた者は,良人に入れよ。その子が奴隷と連れあって生んだ子も良人にいれよ」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(29)〈持統5〉夏四月辛丑朔、曰「若氏祖時所免奴婢既除籍者、其眷族等不得更訟言我奴婢。」

(現代語訳・夏四月一日,詔して,「もし氏の先祖の時に奴隷を免ぜられ,戸籍上除かれている者を,後のやからがまた訴えて,わが奴婢であることを主張することは許されない」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(30)〈持統5〉六月、京師及郡國卌、雨水。戊子、曰「此夏陰雨過節、懼必傷稼。夕惕迄朝憂懼、思念厥愆。其令公卿百寮人等禁斷酒宍・攝心悔過、京及畿內諸寺梵衆亦當五日誦經。庶有補焉。」・・・・・自四月雨、至于是月。己未、大赦天下、但盜賊不在赦例。秋七月庚午朔壬申、天皇幸吉野宮。是日、伊豫國司田中朝臣法麻呂等獻宇和郡御馬山白銀三斤八兩・𨥥一籠。丙子、宴公卿、仍賜朝服。辛巳、天皇至自吉野。甲申、遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。

(現代語訳・六月,京師と諸国の四十か所に水害があった。五月十八日,詔して,「この頃の長雨は季節に外れている。おそらく豊作を損なうであろう。朝から晩まで憂え恐れている。政治に何かの過ちがあるのではないかと思う。公卿・百官も酒肉を禁じ,心を修め過ちを悔いよ。京や畿内の諸寺の僧らは,五日間誦經せよ。どうか効果のあるようにと願う」といわれた。・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(31)〈持統5〉八月己亥朔辛亥、十八氏大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿倍・佐伯・采女・穗積・阿曇、上進其祖等墓記。・・・・・辛酉、遣使者祭龍田風神・信濃須波・水內等神。九月己巳朔壬申、賜音博士大唐續守言・薩弘恪・書博士百濟末士善信、銀人廿兩。丁丑、淨大參皇子川嶋薨。辛卯、以直大貳贈佐伯宿禰大目、幷賜賻物。

(現代語訳・八月十三日,十八氏大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿倍・佐伯・采女・穗積・阿曇に詔して,その先祖の墓記を上撰させた。・・・・・辛酉、遣使者祭龍田風神・信濃須波・水內等神。九月己巳朔壬申、賜音博士大唐續守言・薩弘恪・書博士百濟末士善信、銀人廿兩。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(32)〈持統5〉冬十月戊戌朔、日有蝕之。乙巳、曰「凡先皇陵戸者置五戸以上、自餘王等有功者置三戸。若陵戸不足、以百姓充。免其徭役、三年一替。」・・・・・庚戌、畿內及諸國、置長生地各一千步。是日、天皇幸吉野宮。丁巳、天皇至自吉野。甲子、遣使者鎭祭新益京。

(現代語訳・十月一日,日食があった。十月八日,詔して,先皇の陵戸は五戸以上とせよ。これ以外の王らの有功者には,三戸とする。もし陵戸が足りなかったら,百姓をあてよ。その者の徭役は免除せよ。三年に一度入れ替えよ」といわれた 。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(33)〈持統5〉十一月戊辰、大嘗。神祗伯中臣朝臣大嶋、讀天神壽詞。壬辰、賜公卿食衾。乙未、饗公卿以下至主典、幷賜絹等各有差。丁酉、饗神祗官長上以下至神部等及供奉播磨因幡國郡司以下至百姓男女、幷賜絹等各有差。・・・・・十二月戊戌朔己亥、賜醫博士務大參德自珍・呪禁博士木素丁武・沙宅萬首、銀人廿兩。乙巳、曰「賜右大臣宅地四町、直廣貳以上二町、大參以下一町。勤以下至無位、隨其戸口、其上戸一町・中戸半町・下戸四分之一。王等亦准此。」

(現代語訳・十一月戊辰、大嘗。神祗伯中臣朝臣大嶋、讀天神壽詞。壬辰、賜公卿食衾。乙未、饗公卿以下至主典、幷賜絹等各有差。丁酉、饗神祗官長上以下至神部等及供奉播磨因幡國郡司以下至百姓男女、幷賜絹等各有差。・・・・・十二月二日,医博士務大參德自珍・呪禁博士木素丁武・沙宅萬首に銀をそれぞれ二十両ずつ賜った。詔して,「新益京での右大臣に賜る宅地は四町、。直廣貳以上には二町。大參以下には一町,勤以下無位まで,その戸の人数による。上戸には一町・中戸には半町・下戸には四分の一。王等もこれに準ずる」といわれた  )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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コメント

肥沼さんへ

 持統紀の詔の検証お疲れ様。
 今回も全部九州王朝史書からの盗用で良いと思います。

 それにしても持統紀には史書編纂作業と思われるものが頻発していますね。
 今回は諸有力豪族に詔して、その墓所の先祖の墓碑に書かれていることを調べて上納させた。
 
 これらの選史作業は九州王朝正史「日本紀」の作業でしょうね。
 つまり九州王朝は、その黄昏の時期=近畿天皇家に則られることを予期して、その歴史を編纂し始めたということだ。

 万葉集にある人麻呂の伊勢巡行時の歌の注に「日本紀」が引用されているから、この史書は確実に、近畿天皇家の時代でいえば持統のところまで、つまり近畿大王持統の孫の文武に天皇位を禅譲するところまで記されている。
 つまり「日本書紀」がこの禅譲記事で終わっているのは、「日本紀」が同じく禅譲記事で終わっていることに由来している。

 「日本紀」の記事を適当に取捨選択して盗用し、これに近畿天皇家の記録を加えてどちらも近畿天皇家の事績と偽装した新しい史書「日本書紀」をつくり、「日本紀」を消し去ってこれに替える。
 こうすることで歴史を偽装する目的で作られたのが「日本書紀」。
 だから日本書紀は後世に「日本紀」と呼ばれることになる。
 そしてこの次に近畿王朝が編纂する正史は「日本紀」を継ぐものだから「続日本紀」となったわけだ。
 なるほど。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月27日 (金) 09時03分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉今回も全部九州王朝史書からの盗用で良いと思います。

(27)についても,九州王朝ですか?

投稿: 肥さん | 2021年8月27日 (金) 09時50分

肥沼さんへ
>(27)についても,九州王朝ですか?

 失念しておりました。
 詔27は持統の命令ですね。

 訂正します。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月27日 (金) 12時29分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 失念しておりました。
 詔27は持統の命令ですね。

 訂正します。

やはりそうですよね。
驚きました。 

投稿: 肥さん | 2021年8月27日 (金) 21時30分

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