推古紀の「詔」について【11】
(1)二年春二月丙寅朔、詔皇太子及大臣令興隆三寶。是時、諸臣連等各爲君親之恩競造佛舍、卽是謂寺焉。
(現代語訳・二年春二月一日,皇太子と大臣に詔して,仏教も交流を図られた。このとき,多くの臣・たちは,公也親の恩に報いるため,きそって仏舎を造った。これを寺という )
前後の文脈から・・・主語なし・594年
☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか
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(2)九年春二月、皇太子初興宮室于斑鳩。三月甲申朔戊子、遣大伴連囓于高麗、遺坂本臣糠手于百濟、以詔之曰、急救任那。夏五月、天皇居于耳梨行宮。是時大雨、河水漂蕩、滿于宮庭。秋九月辛巳朔戊子、新羅之間諜者迦摩多到對馬、則捕以貢之、流上野。冬十一月庚辰朔甲申、議攻新羅。
(現代語訳・九年春二月、皇太子は初めて宮を斑鳩に建てられた。三月五日,大伴連囓を高麗に遣わし,坂本臣糠手を百濟に遣わし詔して,「速やかに任那を救え」といわれた。夏五月,天皇は耳梨の行宮においでになった。この時大雨が降り,河の水が溢れて宮庭に満ちた。秋九月八日,新羅の間諜の迦摩多が對馬来た。それを捕えて朝廷に送った。そして上野国に流した。冬十一月五日に,新羅を攻めることを議った。
前後の文脈から・・・主語なし・百済への派遣・上野国へ流す・新羅を攻める
☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか
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(3)(4)十二年春正月戊戌朔、始賜冠位於諸臣、各有差。夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。・・・
三曰。承詔必謹。君則天之、臣則地之。天覆地載、四時順行萬氣得通、地欲覆天則致壞耳。是以、君言臣承、上行下靡。故承詔必愼、不謹自敗。
(現代語訳・十二年春一月一日,はじめて冠位を諸臣に賜り,それぞれ位づけされた。夏四月三日,皇太子ははじめて自ら十七条憲法を作られた。・・・
三にいう。天皇の詔を受けたら必ずつつしんで従え。君を天とすれば,臣は地である。天は上を覆い,地は万物を載せる。四季が正しく移り,万物を活動させる。もし地が天を覆うようなことがあれば,秩序は破壊されてしまう。それ故に君主のを臣下がよく承り,上行がえば,下はそれに従うのだ。だから詔を受けたら必ずそれに従え。従わなければ結局自滅するだろう )
前後の文脈から・・・主語なし・憲法を造れるのは天子のみ
☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか
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(5)秋九月、改朝禮。因以詔之曰「凡出入宮門、以兩手押地、兩脚跪之。越梱則立行。」
(現代語訳・秋九月,朝廷の礼法をあらためた。よって詔して,「およそ宮門を出入りするときは,、兩手を大地につけ,兩脚を跪ずいて敷居を越えてから,立って歩け」といわれた )
前後の文脈から・・・主語なし・朝廷
☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか
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(6)十三年夏四月辛酉朔、天皇、詔皇太子大臣及諸王諸臣、共同發誓願、以始造銅繡丈六佛像各一軀。乃命鞍作鳥、爲造佛之工。是時、高麗國大興王、聞日本國天皇造佛像、貢上黃金三百兩。閏七月己未朔、皇太子命諸王諸臣、俾着褶。冬十月、皇太子居斑鳩宮。
(現代語訳・十三年夏四月一日,天皇は皇太子・大臣・諸臣に詔され,共に等しく誓願を立てることにし,はじめて銅と繡との丈六佛像各一体を造りはじめた。鞍作鳥に命じて造仏の工とされた。この時,高麗國の大興王は,日本の天皇が仏像を造られると聞いて,黃金三百兩たてまつった )
前後の文脈から・・・主語あり
☆ 近畿王朝の士官の作文
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(7)十五年春二月庚辰朔、定壬生部。戊子、詔曰「朕聞之、曩者、我皇祖天皇等宰世也、跼天蹐地、敦禮神祗、周祠山川、幽通乾坤。是以、陰陽開和、造化共調。今當朕世、祭祠神祗、豈有怠乎。故、群臣共爲竭心、宜拜神祗。」甲午、皇太子及大臣、率百寮以祭拜神祗。
(現代語訳・十五年春二月一日,壬生部が設けられた。九日詔して,「古来,わが皇祖の天皇たちが,世を治めたもうのに,つつしんで厚く神を神祇を敬われ,山河の神々を祀り,神々の心を天地に通わされた。これにより陰陽相和し,神々のみわざも順調に行われた。今我が世においても,神祇の祭祀を怠ることがあってはならぬ。群臣は心を尽くして,よく神祇を拝するように」といわれた。十五日,皇太子と大臣は,百寮を率いて神祇を祀り拝された )
前後の文脈から・・・主語なし・詩経や尚書からの活用
☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか
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(8)卅二年夏四月丙午朔戊申、有一僧、執斧毆祖父。時天皇聞之召大臣、詔之曰「夫出家者、頓歸三寶、具懷戒法。何無懺忌輙犯惡逆。今朕聞、有僧以毆祖父。故、悉聚諸寺僧尼、以推問之。若事實者、重罪之。」於是、集諸僧尼而推之。則惡逆僧及諸僧尼並將罪。
(現代語訳・三十二年夏四月三日,一人の僧が斧で祖父を打った。天皇は大臣を召し詔して,「出家した者は,三宝に帰し,戒律を守るのに,何でためらいもなく,簡単な悪逆の罪を犯したのだろう。聞くところでは,僧が斧で祖父を打ったという。諸寺の僧尼をすべて集めて,よく調べよ。もし事実なら重く罰せねばならぬ」といわれた」諸寺の僧尼を集め調べ,惡逆の行為の僧尼を処罰されようとした )
前後の文脈から・・・主語あり・「日本における最初の仏教統制機関の成立の事情を記す」と注にある。
☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか
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(9)天皇乃聽之。戊午、詔曰「夫道人尚犯法、何以誨俗人。故、自今已後、任僧正僧都、仍應檢校僧尼。
(現代語訳・天皇は百済の僧の意見を聞いて,十三日に詔して,「道を修める人も,法を犯すことがある。これでは何によって俗人に教えられようか。今後,僧正・僧都などを任命して,僧尼を統べることにする」といわれた。 )
前後の文脈から・・・(8)の続きの話
☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか
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(10)於是、天皇詔曰「今朕則自蘇何出之、大臣亦爲朕舅也。故大臣之言、夜言矣夜不明、日言矣則日不晩、何辭不用。然今朕之世、頓失是縣、後君曰、愚癡婦人臨天下以頓亡其縣。豈獨朕不賢耶、大臣亦不忠。是、後葉之惡名」則不聽。
(現代語訳・ すると天皇が仰せられるのには,「今自分は蘇我氏から出ている。馬子大臣は私の舅である。故に大臣の言うことは,夜に申せば夜の中に,朝に申せば日の暮れぬ中に,どんなことでも聞き入れてきた。しかし今わが治世に,急にこの県を失ったら,後世の帝が,「愚かな女が天下に公として臨んたため,ついにその県を滅ぼしてしまった」と言われるだろう。ひとり私が不明であったとされるばかりかか大臣も不忠とされ,後世に惡名を遺すことになるだろう」として許されなかった。
前後の文脈から・・・主語あり
☆ 近畿王朝の史料によると考える
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(11)先是、天皇遺詔於群臣曰「比年五穀不登、百姓大飢。其爲朕興陵以勿厚葬、便宜葬于竹田皇子之陵。」壬辰、葬竹田皇子之陵。
(現代語訳・これより先,天皇群臣に,「この頃,五穀が実らず,百姓は大いに飢えている。私のために陵を建てて,厚く葬ってはならぬ。ただ竹田皇子のの陵に葬ればよろしい」といい残されたので,二十四日,竹田皇子の陵に葬った )
前後の文脈から・・・主語あり・遣詔=遺言
☆ 近畿王朝の史料によるのではないか
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コメント
肥沼さんへ
推古紀の詔の検証おつかれさま。
6・10・11のみ近畿天皇家の史料によるもので、他はみな九州王朝史書からの盗用という結論。
見事です。
なんと17条憲法も冠位を定めたのもみな九州王朝との結論。
通説の完全否定ですね。
ただ6の結論の「近畿王朝の士官の作文」はおかしい。
まず 士官⇒史官ですね。
そして作文では事実ではないということになります。
ここは飛鳥寺=法興寺の本尊鋳造の話で事実この像はありますから、「近畿天皇家の史料による」とすべきでしょうね。
投稿: 川瀬健一 | 2021年8月11日 (水) 16時58分
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
「主語有無の論証」の支持者があまり成績が悪いのは困るので,ドキドキしていました。
投稿: 肥さん | 2021年8月11日 (水) 21時13分
>「主語有無の論証」の支持者があまり成績が悪いのは困るので,ドキドキしていました。
なぜ肥沼さんに間違いが多いのか。
主語有無だけでは、九州王朝の事なのか近畿天皇家の事なのかは、全部正確に判定できない。
このことを理解していないからです。
なぜなら、一つの記事の冒頭には主語が省略してあっても、途中に天皇と明記されていたり、一つの記事の冒頭には天皇と主語が明記されていても、途中では主語が省略されたりしているからです。
ではどうするか。
記事の内容や言葉の使い方で判断するしかないのです。
そして内容や言葉の使い方で九州王朝史料の盗用か近畿天皇家史料に基づくものかを判定したとき、盗用と判定した記事の冒頭はほとんど主語が省略されており、近畿天皇家の記事と判定したときは、記事の冒頭はほとんど主語が明記されているのです。
だから最初にやることは
内容や言葉の使い方から盗用か否かを判定する。
そして最後にその一文の冒頭の主語有無を確認する。
この順序で判定します。
肥沼さんは内容や言葉の使い方からの判定が不十分で、主語の有無に結論が引っ張られています。
だから間違いが多い。
ということです。
投稿: 川瀬健一 | 2021年8月12日 (木) 00時19分