持統紀の「詔」について【51】 【1】~【12】
(1)丙申詔曰、丙申詔曰、皇子大津謀反、詿誤吏民帳內不得已、今皇子大津已滅、從者但礪杵道作流伊豆。
(現代語訳・二十九日,詔して,「皇子大津は謀叛を企てた。これに欺かれた官吏や舎人は止むを得なかった。今,皇子大津は既に滅んだ。従者で皇子に従った者は,みな赦す。ただし,礪杵道作は伊豆に流がせ」といわれた。)
前後の文脈から・・・主語なし
☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか
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(2)又詔曰、新羅沙門行心、與皇子大津謀反、朕不忍加法、徙飛騨國伽藍。
(現代語訳・また詔して,「新羅の沙門行心はん,皇子大津の謀叛に与したが,罰するのに忍びないので,飛騨國の寺に移せ」いわれた )
前後の文脈から・・・主語なし
☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか
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(3)六月癸巳朔庚申、赦罪人。秋七月癸亥朔甲子、詔曰「凡負債者、自乙酉年以前物、莫收利也。若既役身者、不得役利。」
(現代語訳・六月二十八日,罪人を赦免された。。秋七月二日,詔して「およそ負債者に関して,天武十四年以前のものについては,利息をとってはならぬ。もしすでに労働で償っている者には,利息分まで労働させてはならない」といわれた )
前後の文脈から・・・主語なし・白村江の敗戦後の徳政令か
☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか
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(4)詔詞酸割、不可具陳。
(現代語訳・詔のことばは悲しく心を破り,詳しくのべるにのに堪えなかった )
前後の文脈から・・・前半に飛鳥寺が出て来た・主語あり
☆ 近畿王朝の史料ではないか
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(5)二年春正月庚申朔、・・・・・乙巳 、詔曰、自今以後毎取國忌日要須齋也。・・・・・
(現代語訳・二年春一月一日,・・・・・十六日,詔して,「今後国忌の日には必ず齋会をさせよ」といわれた ・・・・・)
前後の文脈から・・・主語なし
☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか
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(6)三月己未朔己卯、・・・・・ 六月戊子朔戊戌、詔「令天下、繋囚極刑減本罪一等、輕繋皆赦除之。其令天下皆半入今年調賦。」
(現代語訳・三月二十一日,・・・・・六月十一日,詔して,「天下に令して,死刑囚は罪一等を減じ,軽囚はみな赦免せよ。全国の今年の調賦を半減せよ」といわれた)
前後の文脈から・・・ 主語なし
☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか
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(7)三年春正月甲寅朔、天皇、朝萬國于前殿。乙卯、大學寮獻杖八十枚。丙辰、務大肆陸奧國優𡺸曇郡城養蝦夷脂利古男、麻呂與鐵折、請剔鬢髮爲沙門。詔曰「麻呂等、少而閑雅寡欲。遂至於此、蔬食持戒。可隨所請、出家修道。」
(現代語訳・三年春一月一日,天皇は諸国の代表を正殿に集め,元旦の朝拝を行われた。二日,大學寮が杖八十枚奉他。三日,務大肆陸奧國優𡺸曇郡の柵造の蝦夷の脂利古の子・麻呂與鐵折が鬢や髮を剃って沙門になりたいと願い出た。詔して,「麻呂らは,年若いが,優雅で物欲も少なく,採食をして戒律を守るようになった。少而閑雅寡欲。遂至於此、所望通りに出家修道するがよい」といわれた。 )
前後の文脈から・・・主語なし
☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか
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(8)壬戌、詔出雲國司、上送遭値風浪蕃人。
(現代語訳・九日,出雲國司に詔して,「暴風に遭遇した近隣の国の人を,都に送らせた
(現代語訳・壬戌、詔出雲國司、上送遭値風浪蕃人 )
前後の文脈から・・・主語なし
☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか
・・・・・カ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(9)二月甲申朔丙申、詔、筑紫防人、滿年限者替。己酉、以淨廣肆竹田王・直廣肆土師宿禰根麻呂・大宅朝臣麻呂・藤原朝臣史・務大肆當麻眞人櫻井、與穗積朝臣山守・中臣朝臣々麻呂・巨勢朝臣多益須・大三輪朝臣安麻呂、爲判事
(現代語訳・二月十三日,詔して、「筑紫の防人は,年限になったら交代させよ」と言われた。 )
前後の文脈から・・・主語なし
☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか
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(10)三月癸丑朔丙子、大赦天下。・・・・・己酉、詔、諸司仕丁、一月放假四日。
(現代語訳・三月二十四日,全国に大赦令を出した。・・・・・四月二十七日,詔して,諸司の仕丁にひと月に四日の休暇を与えることとされた。 )
前後の文脈から・・・主語なし
☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか
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(11)五月癸丑朔甲戌、命土師宿禰根麻呂、詔新羅弔使級飡金道那等、曰「太政官卿等奉勅奉宣、二年、遣田中朝臣法麻呂等、相告大行天皇喪。時、新羅言、新羅奉勅人者元來用蘇判位、今將復爾。
(現代語訳・五月二十二日,土師宿禰根麻呂に命じて,新羅弔使級飡金道那らに詔して,「先に太政官卿らがをうけて告げたが,二年に田中朝臣法麻呂らを相遣わし,大行天皇の喪をつげさせたとき,新羅が申したのは,新羅が勅をうけたまわる人は,今もそのようにしたいと思います )
前後の文脈から・・・主語なし
☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか
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(12)由是、法麻呂等不得奉宣赴告之詔。
(現代語訳・それで法麻呂たちは,知らせる詔を渡せなかった。・・・・・ )
前後の文脈から・・・(11)を受けて
☆ 九州王朝の史料からの盗用ではないか
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コメント
肥沼さんへ
持統紀最初の12個の詔の検証お疲れ様。
文面に誤りがあります。
「九州王朝の史料からの盗用ではないか」とすべきところが、
「九州王朝の史料からの盗用ではない」になっていますので訂正を。
間違いが二か所。疑問点が一か所。
★間違い
詔1・2:ここで謀反人として処断された大津皇子は、天武と妃太田皇女との間の子。天武在世中から政務を共に見ていた大王後継第一位の人物だが、太田の妹にあたる持統が自分の息子草壁を大王につけようと画策し大津謀反をでっち上げた。
だから詔1と2は共に近畿天皇家内部の話。
★疑問点
詔5:文章の形式からは主語もないので九州王朝の事績。だが前の文章をずっと読んでいくと、ここは天武死去に関する話がずっと続いている。
と考えるとこの詔にある國忌日とは一般的な天皇崩御の日ではなく、天武崩御の日をさしているのではないだろうか。
こう考えると詔5も近畿天皇家内部の話。
投稿: 川瀬健一 | 2021年8月25日 (水) 13時11分
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 文面に誤りがあります。
「九州王朝の史料からの盗用ではないか」とすべきところが、
「九州王朝の史料からの盗用ではない」になっていますので訂正を。
訂正します。
投稿: 肥さん | 2021年8月25日 (水) 14時50分