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2021年8月15日 (日)

孝徳紀の「詔」について 【45】のうち【24~34】

(24)三月癸亥朔甲子、東國々司等曰。集侍群卿大夫及臣連國造伴造幷諸百姓等、咸可聽之。

(現代語訳・三月二日,東国の国司たちに詔して,「ここに集まった群卿大夫および臣・連・国造・伴造,それにすべての百姓たち皆聴け」)

前後の文脈から・・・国司・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(25)(26)辛巳、東國朝集使等曰。集侍群卿大夫及國造伴造幷諸百姓等、咸可聽之。以去年八月、朕親誨曰。莫因官勢取公私物、可喫部內之食、可騎部內之馬。若違所誨、次官以上降其爵位、主典以下決其笞杖。入己物者、倍而徵之。既若斯。今問朝集使及諸國造等、國司至任、奉所誨不。

(現代語訳・十九日,東国より帰還した朝集使たちに詔して,,「ここに集まった群卿大夫および国造・伴造および人民たちの皆承るがよい。昨年八月,自分の述べたように,「役人の権勢に任せて,公私の物を摂ることがあってはならぬ。自分の管内の場合のみ,部内の飯を食することができ,部内の馬に乗ることができる。もし命に違反すれば,次官以上は官位を降格し,主典以下の者の場合は,太い鞭あるいは細い鞭による鞭打ちの刑とする。不当に自分の身に取り入れた者は,倍にして徴収せよ」」となっている。今,朝集使や国造たちに尋ね,国司は住所でこの教えをまもっているかどうかと聞いた。朝集使たちは詳しくその有様を申しのべた。

前後の文脈から・・・国司・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(27)(28)(29)・・・・・大市連闕名所犯者、違於前。前曰、國司等、莫於任所自斷民之所訴。輙違斯、自判菟礪人之所訴及中臣德之奴事。中臣德、亦是同罪也。

(現代語訳・ ・・・・・大市連闕名の犯したことは,前年の詔に違反したことである。國司は任国で人民の訴えを処理してはならぬ」とあるのに,これに反して自ら菟礪の人の訴え,および中臣德の奴のことを判決した。そのことは中臣徳も同罪である。

前後の文脈から・・・詔=名詞,国司

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(30)(31)以此觀之、紀麻利耆拕臣・巨勢德禰臣・穗積咋臣、汝等三人之所怠拙也。念斯違、豈不勞情。夫爲君臣以牧民者、自率而正、孰敢不直。若君或臣不正心者、當受其罪。追悔何及。是以、凡諸國司、隨過輕重考而罰之。又諸國造、違、送財於己國司、遂倶求利、恆懷穢惡。不可不治。

(現代語訳・これを持ってみると,紀麻利耆拕臣・巨勢德禰臣・穗積咋臣らの三人の怠慢はまずいことであった。 前の詔に反することを思うと,心をいためないことがあろうか。そもそも君臣となって人民を養う者が,自分の身を質したなら,他の者も見習うであろう。もし君あるいは臣が心を正さなかったら,当に罪を受けるだろう。悔いても及ばない。このため諸の国司は科の軽重により罰せられるであろう。また国造たちが詔に背き,財貨を自分の国の国司に送り,共に利を求めるのは犯意を抱くもので,裁かないわけにはいかない)

前後の文脈から・・・詔=名詞,国司・主語無なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(32)壬午、皇太子、使々奏請曰。昔在天皇等世、混齊天下而治。及逮于今、分離失業謂國業也。屬天皇我皇可牧萬民之運、天人合應、厥政惟新。是故、慶之尊之頂戴伏奏。現爲明神御八嶋國天皇、問於臣曰。其群臣連及伴造國造所有・昔在天皇日所置子代入部・皇子等私有御名入部・皇祖大兄御名入部謂彥人大兄也及其屯倉、猶如古代而置以不。臣、卽恭承所奉答而曰。天無雙日、國無二王。是故、兼幷天下・可使萬民、唯天皇耳。別、以入部及所封民簡充仕丁、從前處分。自餘以外、恐私駈役。故、獻入部五百廿四口・屯倉一百八十一所。

(現代語訳・二十日,皇太子は使いを遣わして奏上し,「昔の天皇たちの御代には,必ずコメントありがとうございます。混然と一つにまとまり治められましたが,当今はわかれ離れすぎて,国の仕事が行われ難くなっています。わが天皇が万民を統べられるに当たり,天も人相応じ,その政が新たになって来ています。つつしんでお慶び申し上げます。現つ神しとして八嶋国を治らす天皇が,私にお聞きになりました。「群臣・連・および伴造・国造の所有する昔の天皇の時代におかれた子代人部,皇子たち私有の名入りの私民,高祖大兄の名入りの部とその屯倉などを,昔のままにしておくべきかどうか」というお尋ねを慎んで承り,「天に二日なく国に二王なしといいます。天下を一つにまとめ,万民をお使いになるのは,ただ天皇のみであります。ことに入部と食封の民を国の仕丁に充てることは,先の規定に従ってよいでしょう。これ以外は私用に使われることを恐れます。故に入部は五百二十四口,屯倉は百八十一所を献上するのが良いと思います」とお答えします」といわれた)

前後の文脈から・・・呉志の諸葛小各伝・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(33)甲申、曰。朕聞、西土之君戒其民曰。古之葬者因高爲墓、不封不樹、

(現代語訳・二十二日,詔して,「自分が聞くのに,唐土のの君がその民を戒めて,「古の葬礼は丘陵の上に墓を造った。封土も植樹もなかった。)

前後の文脈から・・・魏志武帝紀・文帝紀と同文~厚葬の禁止・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(34)縱有違、犯所禁者、必罪其族。

(現代語訳・・・・・・もし詔に背いて禁令を犯せば,必ずその一族を処罰する)

前後の文脈から・・・(34)の続き~厚葬の禁止

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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コメント

肥沼さんへ

 孝徳紀の詔24~34の検証お疲れ様。
 肥沼さんの判断で間違いないと思います。

 何と全部の詔が九州王朝史料からの盗用。
 書紀孝徳紀は様々な新たな制度を定める詔が目白押しなわけですが、これらが全部九州王朝が出した改革の詔であることを示していますね。
 いわゆる大化の改新とは九州王朝の事績であったわけだ。
 ただし年号大化はもっと後のもの。
 孝徳紀のこの時期にあたる年号は「常色」。「常色の改新」と呼び名を変えないといけないですね。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月17日 (火) 17時41分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉肥沼さんの判断で間違いないと思います。

良かったです。
さすがに「全部九州なの?」と思いましたが,「主語有無によればこうだ」と考えて,回答しました。
これからは「常色の改新」と呼ぶようにししたいと思います。(笑)

投稿: 肥さん | 2021年8月17日 (火) 19時21分

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