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2021年8月23日 (月)

天武紀の「詔」について【66】のうち【46】~【57】

(46)十一月庚寅朔乙巳、曰「親王・諸王及諸臣至于庶民、悉可聽之。凡糺彈犯法者、或禁省之中・或朝庭之中、其於過失發處卽隨見隨聞、無匿弊而糺彈。其有犯重者、應請則請、當捕則捉。若對捍以不見捕者、起當處兵而捕之。當杖色、乃杖一百以下、節級決之。亦犯狀灼然、欺言無罪則不伏辨以爭訴者、累加其本罪。」

(現代語訳・十一月十六日,詔して,「親王・諸王・諸臣より庶民に至るまで,皆承るがよい。およそ法を犯した者を取り調べる時には,内裏でも政庁でも,その現場において,見聞きした通りに,隠すところなく,取り調べよ。もし重罪を犯した者があれば,直截を受けるべき者があれば,そこの兵を動かして捕らえよ。杖罪に相当する場合は,百以下,等級に従って打て。また犯行が明白なのに,罪を否認して抗弁して,訴え出たような場合には,それに対する罪を,本来の罪に加えるようにせよ」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(47)十二月庚申朔壬戌、曰「諸氏人等、各定可氏上者而申送。亦其眷族多在者、則分各定氏上、並申於官司。然後、斟酌其狀而處分之、因承官判。唯、因少故而非己族者、輙莫附。」

(現代語訳・十二月三日,詔して,「諸氏の人たちは,それぞれに氏上に適当な人を選んで申告せよ。また一族の者が多い場合は,分割してそれぞれの氏上を定めて宮司に申告せよ。宮司では事情を調べた上で決定するので,宮司の判定に従え。ただしとるに足らない理由によって,自分の一族でない者まで,自分の族に加えてはならぬ」唯といわれた

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☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(48)丙午、曰「明神御大八洲倭根子天皇勅命者、諸國司國造郡司及百姓等、諸可聽矣。朕、初登鴻祚以來、天瑞非一二多至之。傳聞、其天瑞者、行政之理協于天道、則應之。是今當于朕世、毎年重至、一則以懼一則以嘉。是以、親王諸王及群卿百寮幷天下黎民、共相歡也。乃小建以上給祿各有差、因以大辟罪以下皆赦之、亦百姓課役並免焉。」是日、奏小墾田儛及高麗・百濟・新羅三國樂於庭中。

(現代語訳・十八日,詔して,「明神御大八洲倭根子天皇の勅命を,諸国の國司・國造・郡司および百姓たちよ,みな共に聞け。自分が皇位を継いでより,天瑞が一つ二つでなく数多く現れている。伝えられるところでは,こうした天瑞は,政道が天道にかなっているとき,示されるという。自分の地政に毎年相次いで現れることを,あるいは恐れあるいは喜んでいる。親王・諸王・群卿・百寮および天下の黎民も,共に喜んでもらいたいので,小建以上の者にそれぞれ祿者を賜い,死罪以下の者は皆赦免する。また百姓の課役はすべて免除する」とといわれた。この日,小墾田儛及び高麗・百濟・新羅の舞楽を朝廷で演奏した )

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☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(49)二月己未朔、大津皇子、始聽朝政。三月戊子朔己丑、任僧正・僧都・律師、因以勅曰、統領僧尼如法、云々。丙午、遣多禰使人等、返之。夏四月戊午朔壬申、曰、自今以後必用銅錢、莫用銀錢。

(現代語訳・二月一日,大津皇子が始めて朝政をおとりになった。三月二日,僧正・僧都・律師を任命し勅して,「僧尼令に従い,僧尼を統べ治めるようにせよ」云々といわれた。十九日,多禰に遣わされていた使人が帰ってきた。夏四月十五日,詔して,「今後は必ず銅錢を用いよ。銀錢を用いてはならぬ」といわれた )

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☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(50)乙亥曰、用銀莫止。戊寅、祭廣瀬龍田神。六月丁巳朔己未、大伴連望多、薨。天皇、大驚之則遣泊瀬王而弔之。仍舉壬申年勳績及先祖等毎時有功以顯寵賞、乃贈大紫位、發鼓吹葬之。壬戌、三位高坂王薨。

(現代語訳・十八日,詔して,「銀を使用することはやめなくても良い」と言われた。二十一日,廣瀬・龍田神を祭った。六月三日,大伴連望多が薨じた。天皇は大いに驚かれ泊瀬王を遣わして弔わされた。壬申の年の武勲および先祖が代々たててきた功績をたたえて,厚く恩賞を賜った。大紫の位を贈られ,鼓や笛の音をまじえて葬儀を行わせられた。六日,三位高坂王が薨じた )

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☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(51)十一月甲申朔丁亥、諸國習陣法。丙申、新羅、遣沙飡金主山・大那末金長志、進調。十二月甲寅朔丙寅、遣諸王五位伊勢王・大錦下羽田公八國・小錦下多臣品治・小錦下中臣連大嶋、幷判官・錄史・工匠者等、巡行天下而限分諸國之境堺。然、是年不堪限分。

(現代語訳・十一月四日,諸国に詔して,陣法を習わせた。。十三日,新羅は沙飡金主山・大那末金長志を遣わして,調をたてまつった。十二月十三日,諸王五位の伊勢王・大錦下羽田公八國・小錦下多臣品治・小錦下中臣連大嶋、幷判官・錄史・工匠者などを遣わし,全国を巡行し諸國の境堺を区分させたが,この年区分は出来上がらなかった )

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☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(52)庚午、曰、諸文武官人及畿內有位人等、四孟月必朝參。若有死病不得集者、當司具記申送法官。

(現代語訳・十七日,詔して,「すべての文武官人および畿內の有位者たちは,四季の始めの月に,必ず参朝し天皇に拝礼せよ。もし重病のため参集できない時は,所属の官司が詳しく理由を記して,法官に申し送れ」といわれた )

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☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(53)又曰、凡都城宮室、非一處必造兩參、故先欲都難波。是以、百寮者各往之請家地。

(現代語訳・又また詔して,「都城や宮室は,一か所だけということなく,必ず二,三か所あるべきである。それ故まず難波に都を造ろうと思う。是以、百寮の者は,それぞれ難波にも行き,家地を賜るように願え」といわれた )

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☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(54)閏四月壬午朔丙戌、曰「來年九月必閲之、因以、教百寮之進止威儀。」

(現代語訳・ 閏四月五日,詔して,「來年九月,必ず検閲を行うから,百寮の宮中での振る舞い・威儀を教習しておくように)

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☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(55)又曰「凡政要者軍事也。是以、文武官諸人務習用兵及乘馬。則馬兵幷當身裝束之物務具儲足。其有馬者爲騎士・無馬者步卒、並當試練、以勿障於聚會。

(現代語訳・また詔して,「凡そもそも政治の要めは軍事である。それ故,文武官の人々は,努めて武器を使い,乗馬を習え。馬・武器・それに本人が着用する物は,仔細を調べ揃えておけ。馬のある者を騎士とし,馬のない者を步兵とし,それぞれ訓練を積んで,集合の際に差支えの内容にせよ )

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☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(56)若忤旨、有不便馬兵亦裝束有闕者、親王以下逮于諸臣、並罰之。大山位以下者、可罰々之・可杖々之。其務習以能得業者、若雖死罪則減二等、唯恃己才以故犯者不在赦例。」

(現代語訳・もしその趣旨に違反し,馬・武器に不都合なところがあり,装備に欠けるようなところがあ兵亦裝束有闕者、親王以下諸臣に至るまで,みな処罰する。大山位以下の者は処罰すべきは処罰し,杖の刑の者は実際に杖で打つ。訓練に務め技術をした者は,もし死罪にあたる罪を犯しても罪二等を減ずる。ただし自分の才能を頼み,それによって故意に罪を犯した者は,赦すことはしない」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(57)又曰「男女並衣服者、有襴無襴及結紐長紐、任意服之。其會集之日着襴衣而長紐、唯男子者有圭冠々而着括緖褌。女年卌以上、髮之結不結及乘馬縱横、並任意也。別巫祝之類、不在結髮之例。」

(現代語訳・また詔して,「男女とも衣服は,襴があってもなくても,またひも短く結んでも長く垂らしても,自由である。ただし,朝廷に参集するときは,襴のある衣を着用して,長い紐をたらせ,男子は圭冠があればそれをかぶり,括緖褌を着けよ。女の四十歳以上の者は,髮は結い上げても結い上げなくても,馬の乗り方が縦でも横でも,任意とする。このほか巫女や神官などは髪を結いあげなくてもよい」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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コメント

天武紀詔46~57の検証お疲れ様。

 今回も全部九州王朝の事績でしたね。
 それにしても天武紀は、詔による新たな制度の乱発。しかもその目的は、天皇の中央集権の徹底強化。
 やはり近畿天皇家は九州王朝の対唐戦略の誤り・敗戦の原因を、中央集権制の不十分さ=命令に従わず参戦しなかった有力豪族の存在に注目して、次の対唐戦争を頭において、自らに逆らう豪族の根絶やしに踏み込んでいったのだと思います。
 そしてそれは同時に、九州王朝の権威の徹底的破壊。
 前回見た、全国の寺院の由緒調べは、王朝が交代したら九州王朝が認定した官寺の廃止に踏み込むつもりでしょうし、九州王朝年号にちなむ寺院名の改廃もたくらむものでしょう。
 そして今回の銀銭ではなく銅銭流通命令も物資の貨幣による流通を近畿天皇家が掌握しようという目論見。もっとも銀銭廃止はできずすぐに撤回したが。
 さらに前回みた、新たな律令の制定と新たな歴史書編纂の詔も、九州王朝の権威の破壊が目的です。
 天武紀、そしておそらく持統紀の詔の多くも同じ目的で出されたものでしょう。
 中央集権化を図るとともに九州王朝の権威を破壊する命令を九州王朝天皇に出させるとは。
 九州王朝天皇とその廷臣たちはどのような気持ちでいたのでしょうかね。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月24日 (火) 08時34分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 天武紀、そしておそらく持統紀の詔の多くも同じ目的で出されたものでしょう。
 中央集権化を図るとともに九州王朝の権威を破壊する命令を九州王朝天皇に出させるとは。
 九州王朝天皇とその廷臣たちはどのような気持ちでいたのでしょうかね。

そうすると,「主語なし」で「九州王朝の史料の盗用ではないか」という判定がおおくなりそうですね。
こちらとしては,その方が楽ですが・・・。

投稿: 肥さん | 2021年8月24日 (火) 09時05分

>そうすると,「主語なし」で「九州王朝の史料の盗用ではないか」という判定がおおくなりそうですね。
こちらとしては,その方が楽ですが・・・。

気が早いな。
 持統紀の冒頭は大王位継承の争いだ。大津皇子か草壁皇子かの。そして草壁に決まったあと彼が急死し、仕方なく草壁の一人息子が成人するまでの中継ぎに持統が即位する。
 でもこれですんなり決まったわけではない。
 ということで近畿天皇家内部の大王位争い(=九州王朝から天皇位をだれが禅譲されるかの争い)があるので、近畿天皇家内部の事情を反映した詔が多発する可能性もありますよ。
 変な予断を持たずにじっくり検証してください。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月24日 (火) 12時37分

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