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2021年8月17日 (火)

孝徳紀の「詔」について 【45】のうち【35〜45】

(35)(36)縱違斯、將科重罪。罷市司要路津濟渡子之調賦、給與田地。 凡始畿內及四方國、當農作月、早務營田、不合使喫美物與酒。宜差淸廉使者、告於畿內。其四方諸國々造等、宜擇善使、依催勤。

(現代語訳・このおきてに違背したら重罪に処す。市司や,要路津済の渡子が,調賦を納めていたのをやめさせて,口分田を与え田租を徴する。畿內及び四方の国々に至るまで,農耕の月には田作りに専念させ,魚や酒を食することを禁ずる。心の正しい使者を遣わして,この旨を畿内に告げよ。諸国の国造たちも,ふさわしい人を使いに選び,詔の旨に従って,人々を勤めさせよ」といわれた

前後の文脈から・・・詔=名詞,畿内・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(37)秋八月庚申朔癸酉、曰。原夫天地陰陽、不使四時相亂。惟此天地、生乎萬物。萬物之內、人是最靈。最靈之間、聖爲人主。是以、聖主天皇、則天御寓、思人獲所、暫不廢胸。

(現代語訳・秋八月十四日,詔して,「尋ねてみれば,天地陰陽は,四時を乱れさせることがない。思えばこの天地が万物を生じ,万物の中で人間が最も優れている。その最も勝れたものの中で,聖なるものが人主である。それ故聖主である天皇は,天の意志に従って天下を治めて,人々か少しも休むことがない。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(38)(39)(40)夏四月丁巳朔壬午、曰。惟神惟神者、謂隨神道。亦謂自有神道也、我子應治故寄。是以、與天地之初、君臨之國也。自始治國皇祖之時、天下大同、都無彼此者也。既而頃者、始於神名・天皇名々、或別爲臣連之氏、或別爲造等之色。由是、率土民心、固執彼此、深生我汝、各守名々。又拙弱臣連伴造國造、以彼爲姓神名王名、逐自心之所歸、妄付前々處々前々、猶謂人々也。。爰以神名王名、爲人賂物之故、入他奴婢穢汚淸名、遂卽民心不整、國政難治。是故、今者、隨在所天神屬可治平之運、使悟斯等而將治國治民。是先是後、今日明日、次而續。然素頼天皇聖化而習舊俗之民、未之間、必當難待。故、始於皇子群臣及諸百姓、將賜庸調。

(現代語訳・夏四月二十六日,詔して,「神々は皇孫にこの国を治めさせようと授けられた。それ故,天地の始めから天皇の治められる国であり,神武天皇の御代から点かは皆等しく,民はあれこれの差別はなかった。ところがこの頃神の名.天皇の名が,民につけられたのをはじめ,民が別れて臣・連の氏人となったり,造らに属したりするようになった。このためこくないの民の心はあれこれ立場を固執するようになった。  また愚かな臣・連・伴造・国造はその姓とした神の名.天皇の名を,自分の心のままにみだりに人々や土地につけた。神の名や天皇の名をつけた部民が賂物とされて,他人の奴婢に入れられ,清い名をけがすことになる。ひいては民心も整わず,国政も治めにくくなる。そこでこの度,天にまします神のこころのままに治めるべき世に当り,これらを悟らせ,国を治めることと民を治めることの,いずれのを後先にすべきか,卿今日明日と,順序を追って詔しよう。もともと天皇の仁政に頼り,旧俗になじんでいる民は,詔を待ち望んでいるであろう。故に皇子,群臣より諸の臣に至るまで,庸調を禄として与えるであろう」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし・庸調

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(41)工人大山位倭漢直荒田井比羅夫、誤穿溝瀆控引難波、而改穿疲勞百姓。爰有上䟽切諫者。天皇曰、妄聽比羅夫所詐而空穿瀆、朕之過也。卽日罷役。

(現代語訳・工人の大山位倭漢直荒田井比羅夫は,溝を掘るのに誤って難波に引き,そしまた改めて掘ったため,人民を疲れさせたそこで上表して切にいさめる者があった。天皇は,詔して,「軽率に比羅夫の間違った説をきき,むだな溝を掘ったのは自分の過ちであった」といわれ,直ちに役を中止された )

前後の文脈から・・・主語あり・大山上=「冠位十九階」に入っている

☆ 九州王朝の史料によるではないか

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(42)五年春正月丙午朔、賀正焉。二月、制冠十九階。一曰大織、二曰小織、三曰大繡、四曰小繡、五曰大紫、六曰小紫、七曰大花上、八曰大花下、九曰小花上、十曰小花下、十一曰大山上、十二曰大山下、十三曰小山上、十四曰小山下、十五曰大乙上、十六曰大乙下、十七曰小乙上、十八曰小乙下、十九曰立身。是月、博士高向玄理與釋僧旻、置八省百官。

(現代語訳・五年春一月一日,拝賀の式をした。二月,前の冠位をあらため,官位十九階を制定した。・・・・・この月,博士高向玄理と僧旻とに詔して,八省百官の制度を考えさせた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(43)(44)曰「聖王出世治天下時、天則應之示其祥瑞。曩者、西土之君周成王世與漢明帝時白雉爰見。・・・・・曰「四方諸國郡等、由天委付之故、朕總臨而御寓。今我親神祖之所知穴戸國中有此嘉瑞、所以、大赦天下・改元白雉。」

(現代語訳・詔して,「 曰「聖王が世に出て天下を治める時に,天が応えてめでたいしるしを示すという。昔,西の国の君ー周の成王の世と漢の明帝の時に白雉が現われた。・・・・・ 詔して,「「四方の諸の國・郡など,天がゆだね授オ来ないけられるので,自分がまとめ天下を統治している。今わが祖先の神のお治めになる長門国からめでたいしるしがあった。それ故に,天下に大赦を行い,白雉元年と改元する」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし・大赦

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(45)冬十月、爲入宮地所壞丘墓及被遷人者、賜物各有差。卽遣將作大匠荒田井直比羅夫、立宮堺標。是月、始造丈六繡像・侠侍・八部等卌六像。是歲、漢山口直大口、奉、刻千佛像。遣倭漢直縣・白髮部連鐙・難波吉士胡床、於安藝國、使造百濟舶二隻。

(現代語訳・冬十月,宮の名時地に編入されるために,墓を壊された人,および住居を遷すされた人々に,それぞれに御下賜があった。各有差將作大匠荒田井直比羅夫を遣わして,宮地の境界標を立てさせた。この月,丈六の繡仏・脇侍・八部などの三十六体の像を造りにかかった。。この年,漢山口直大口は,詔を奉って,千仏の像を刻んだ。倭漢直縣・白髮部連鐙・難波吉士胡床を安芸の国に,百濟船二隻を造らせられた )

前後の文脈から・・・主語なし・安芸(九州王朝の版図)

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 孝徳紀の残りの詔の検証。お疲れ様。
 全部九州王朝史書からの盗用でしたね。

 ということは詔38の
>自始治國皇祖之時、天下大同、都無彼此者也。
 を
>神武天皇の御代から天下は皆等しく,民はあれこれの差別はなかった。
 との現代語訳は間違いですね。

 詔には「始めてこの国を治められた皇祖の時以来」と書いてあるので、これは九州王朝最初の天皇のこと。
 名前はわかりませんが。

 孝徳紀の詔(いや、おそらく記事の)の大部分が九州王朝の史書からの盗用であることが明らかになりました。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月18日 (水) 12時23分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉孝徳紀の残りの詔の検証。お疲れ様。
 全部九州王朝史書からの盗用でしたね。

〉孝徳紀の詔(いや、おそらく記事の)の大部分が九州王朝の史書からの盗用であることが明らかになりました。 

本当に「偽書の王様」ですね。(笑)

投稿: 肥さん | 2021年8月18日 (水) 15時53分

肥沼さんへ

>本当に「偽書の王様」ですね。(笑)


 「日本書紀」は偽書ではありません。
 偽書とは・・・
>すでに滅んで伝存しない作品,あるいは元々存在していない作品を,原本のように内容を偽って作成した本.仮託書(かりたくしょ)ともいう.それに対して,刊記や奥書などを偽造したり,蔵書印記を偽造して捺印したりして,古書としての価値を高めようとしたものは,偽造書,偽本または贋本(がんぽん)という.
出典 図書館情報学用語辞典 第4版

 「日本書紀」は、九州王朝の史書と近畿天皇家の史料とを合体させて悠久の昔から日本列島を統治していた王朝は近畿天皇家の王朝だと歴史を偽装した書です。
 使われているのは様々な一次史料や編纂された二次史料。
 これらをうまく組み合わせて「悠久の昔から日本列島を統治していた王朝は近畿天皇家の王朝だと歴史を偽装した」書です。
 正しくは偽装の書。

 だからどこが九州王朝の事績でどこが近畿天皇家の事績かを弁別できれば、かなり正確に古代の歴史を確認できる。

 そして多くの一次史料が引用されている。
 注という形で、「或る本」とか「百済記」とか元史料の名を示唆して示す形と、一次史料をそのままや多少省略したり抜粋したりして本文(地の文という)に使う形がある。
 歴史書である以上は、この引用した一次史料には改変などの手は加えられていないと考えないと、歴史史料として使えなくなる。
 ただし地の文にはさまざまな改変が施されているとみなければいけない。
 地名や人名としての倭(やまと)が日本に置き換えられているのはこの地の文だ。
 また難波が二種類あるのも、神武紀の冒頭の注で、近畿摂津の難波は、浪花もしくは波速と書くのが本来の形だと明記し、書紀本文の中の地の文にある難波には本来の九州博多の難波と、近畿摂津の浪花があることを読者に知らしめている。
 これなど地の文の改変の例ですが、この難波の注の存在は、書紀を実際に編纂した史官の良心が見て取れます。
 つまり様々な偽装が施されているが、よく読めば真実がわかるように作ったよという、史官のメッセージが込められているわけ

 引用文、例えば九州王朝の詔などに出てくる難波は確実に博多の難波でしょう。

 なお書紀を偽書や偽造の書と考える人が古田史学系には多いから、この史料をまともに研究した人がいないのだと思います(漢文を読めない人が多いという理由も加わるが)。
 そしてなぜ偽書や偽造の書との誤解が広がったかというと、この原因は古田さんにあり、古田さんの言説を会員が誤解したのが始まりだと思います。
 古田さんが指摘されたことは、まさしく「悠久の昔から日本列島を統治していた王朝は近畿天皇家の王朝だと歴史を偽装した書」だということです。

 偽装とは
>1 ある事実をおおい隠すために、他の物事・状況をよそおうこと。「心中に―した殺人」「―工作」
2 周囲のものと似た色や形にして姿を見分けにくくすること。特に、戦場などで行うもの。カムフラージュ。「戦車を―する」
出典 小学館デジタル大辞泉

 先に示した偽書や偽造とはまったく意味が違いますね。
 この言葉の意味の違いを、多くの人が誤解して、日本書紀は偽書だとか偽造の書だとか言われてしまったのです。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月19日 (木) 00時43分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉様々な一次史料や編纂された二次史料。
 これらをうまく組み合わせて「悠久の昔から日本列島を統治していた王朝は近畿天皇家の王朝だと歴史を偽装した」書です。
 正しくは偽装の書

なるほど。

投稿: 肥さん | 2021年8月19日 (木) 08時10分

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