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2021年8月18日 (水)

斉明紀の「詔」について 【5】

(1)四年春正月甲申朔丙申、左大臣巨勢德太臣薨。・・・・・五月、皇孫建王、年八歲薨。今城谷上、起殯而收。天皇、本以皇孫有順而器重之、故不忍哀傷慟極甚。群臣曰、萬歲千秋之後、要合葬於朕陵。廼作歌曰、

(現代語訳・四年春正月十三日,左大臣巨勢德太臣が死去した。・・・・・五月,皇孫建王は八歲で亡くなられた。今城谷のほとりに,殯宮をたてて収められた。天皇は皇孫が美しい心であったため,特に可愛いがられた。悲しみに堪えられず,慟哭されること甚だしかった。群臣に詔して,「わが死後は必ず二人を合葬するように」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(2)秋七月辛巳朔甲申、蝦夷二百餘詣闕朝獻・・・・・又渟代郡大領沙尼具那、檢覈蝦夷戸口與虜戸口。

(現代語訳・秋七月四日に,蝦夷二百あまり朝廷に参上し物を奉った。・・・・・渟代郡大領・沙尼具那に詔して,蝦夷の戸口と捕虜の戸口を調査させた )

前後の文脈から・・・主語なし・蝦夷&渟代(九州王朝時代のもの)

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(3)秦大藏造萬里曰、傅斯歌勿令忘於世。

(現代語訳・秦大藏造萬里に詔して,「この歌を後に伝えて,世に忘れさせないようにしたい」と言われた )

前後の文脈から・・・主語なし・(1)の孫の死に関係する

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(4)庚寅、群臣、於京內諸寺、勸講盂蘭盆經使報七世父母。

(現代語訳・十五日,群臣に詔して,「京內の諸寺,盂蘭盆經を講説させて,七世の父母に報いくいさせられた )

前後の文脈から・主語なし・京内

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(5)冬十月、・・・・・ 曰「乞師請救聞之古昔、扶危繼絶著自恆典。

(現代語訳・冬十月・・・・・ 詔して,「救援の軍を乞うていることは,前からよく聞いている。危うきを助け,絶えたものを継ぐべきことは当然のことである。 )

前後の文脈から・・・主語なし・白村江に際して(近畿は参加せず)

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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コメント

肥沼さんへ
 斉明紀の詔の検証お疲れ様。

 二か所間違いがあります。
 1と3は近畿天皇家の話。
 斉明の皇孫建王の死にまつわる話。

 1の詔には主語がないが、その前の一文が「天皇は皇孫が美しい心であったため,特に可愛いがられた。悲しみに堪えられず,慟哭されること甚だしかった。」と主語を天皇と明記している。
 近畿天皇家の史料に基づく記述。
 3の詔も主語はないが、その前の歌のその前に、「天皇憶皇孫建王」と歌を歌った主体が天皇と明記されているのだから、3の詔の主体も天皇=近畿大王斉明だ。

 なぜこんな単純なところで間違うのだろう。やはり主語なしに引っ張られているとしか思えない。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月19日 (木) 12時40分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

近畿の斉明大王には孫がいたんですね。

投稿: 肥さん | 2021年8月19日 (木) 17時08分

 建王は斉明の長子・葛城皇子(=中大兄皇子)の第一子。母は右大臣の蘇我倉山田麻呂。
 斉明ー葛城ー建と近畿大王家を継ぐべき人物。生まれたときから口が聞けなかったので祖母斉明には溺愛された。
 この可愛い唯一の王位継承者を失った悲しみがいかに深かったかは、書紀に記された多くの斉明の歌が示しています。

 葛城は大王位を継いだが、継承者となった伊賀皇子(=大友皇子)の母は伊賀国造と身分が低かったので、彼を跡継ぎとは認めなかった王族や有力豪族が多かった。
 だから天武・持統による壬申の乱がおきたのです。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月19日 (木) 18時03分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

歌とペアの記事とは思いましたが,
歴史についての知識が足りなかったので,
「主語なし」と思って間違えてしまいました。

投稿: 肥さん | 2021年8月20日 (金) 05時02分

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