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2021年8月23日 (月)

天武紀の「詔」について【66】のうち【58】~【66】

(58)冬十月己卯朔、曰、更改諸氏之族姓、作八色之姓、以混天下萬姓。一曰眞人、二曰朝臣、三曰宿禰、四曰忌寸、五曰道師、六曰臣、七曰連、八曰稻置。是日、守山公・路公・高橋公・三國公・當麻公・茨城公・丹比公・猪名公・坂田公・羽田公・息長公・酒人公・山道公、十三氏賜姓曰眞人。辛巳、遣伊勢王等、定諸國堺。是日、縣犬養連手繦爲大使・川原連加尼爲小使、遣耽羅。

(現代語訳・冬十月一日,詔して,「諸氏の族姓をあらためて,八色の姓をつくり,天下のすべての姓を一本化する。一曰眞人,二曰朝臣,三曰宿禰,四曰忌寸,五曰道師,六曰臣,七曰連,八曰稻置である」といわれた。この日,守山公・路公・高橋公・三國公・當麻公・茨城公・丹比公・猪名公・坂田公・羽田公・息長公・酒人公・山道公の十三氏に,姓を眞人とした。三日,伊勢王らを遣わして,諸國の境界を定めさせた。この日,縣犬養連手繦を大使・川原連加尼爲小使として,耽羅に遣わした )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(59)庚戌、土左國司言、大潮高騰・海水飄蕩、由是、運調船多放失焉。戊辰昏時、七星倶流東北則隕之。庚午日沒時、星隕東方大如瓮、逮于戌、天文悉亂以星隕如雨。是月、有星孛于中央、與昴星雙而行之、及月盡失焉。・・・・・是年、、伊賀・伊勢・美濃・尾張四國、自今以後、調年免役・役年免調。倭葛城下郡言、有四足鶏。亦丹波國氷上郡言、有十二角犢。

(現代語訳・庚戌、土左國司言、大潮高騰・海水飄蕩、由是、運調船多放失焉。戊辰昏時、七星倶流東北則隕之。庚午日沒時、星隕東方大如瓮、逮于戌、天文悉亂以星隕如雨。是月、有星孛于中央、與昴星雙而行之、及月盡失焉。・・・・・この年,詔して,「伊賀・伊勢・美濃・尾張四國は,今後,調のある年には役を免除する」といわれた。倭の葛城下郡,四本足の鶏が見つかりました」と報告した。亦丹波國氷上郡が言「十二の角がある小牛がうまれました」と報告した )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(60)二月丁丑朔庚辰、大唐人・百濟人・高麗人、幷百卌七人賜爵位。三月丙午朔己未、饗金物儒於筑紫、卽從筑紫歸之、仍流着新羅人七口附物儒還之。辛酉、京職大夫直大參巨勢朝臣辛檀努、卒。・・・・・壬申、、諸國毎家作佛舍、乃置佛像及經、以禮拜供養。是月、灰零於信濃國、草木皆枯焉。夏四月丙子朔己卯、紀伊國司言、牟婁湯泉沒而不出也。丁亥、祭廣瀬龍田神。壬辰、新羅人金主山、歸之。庚寅、始請僧尼安居于宮中。

(現代語訳・二月丁丑朔庚辰、大唐人・百濟人・高麗人、幷百卌七人賜爵位。三月丙午朔己未、饗金物儒於筑紫、卽從筑紫歸之、仍流着新羅人七口附物儒還之。辛酉、京職大夫直大參巨勢朝臣辛檀努、卒。・・・・・二十七日,詔して,国々で家ごとに仏舍を造り,仏像と教典を置き,禮拜供養せよ。この月,信濃國に灰が降って,草木が皆枯れた。・・・・・夏四月丙子朔己卯、紀伊國司言、牟婁湯泉沒而不出也。丁亥、祭廣瀬龍田神。壬辰、新羅人金主山、歸之。庚寅、始請僧尼安居于宮中。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(61)六月乙亥朔甲午、大倭連・葛城連・凡川內連・山背連・難波連・紀酒人連・倭漢連・河內漢連・秦連・大隅直・書連、幷十一氏賜姓曰忌寸。秋七月乙巳朔乙丑、祭廣瀬龍田神。庚午、勅定明位已下進位已上之朝服色、淨位已上並着朱花朱花此云波泥孺・正位深紫・直位淺紫・勤位深緑・務位淺緑・追位深蒲萄・進位淺蒲萄。・・・・・辛未、曰、東山道美濃以東・東海道伊勢以東諸國有位人等、並免課役。八月甲戌朔乙酉、天皇幸于淨土寺。丙戌、幸于川原寺、施稻於衆僧。癸巳、遣耽羅使人等還之。

(現代語訳・六月乙亥朔甲午、大倭連・葛城連・凡川內連・山背連・難波連・紀酒人連・倭漢連・河內漢連・秦連・大隅直・書連、幷十一氏賜姓曰忌寸。秋七月乙巳朔乙丑、祭廣瀬龍田神。庚午、勅定明位已下進位已上之朝服色、淨位已上並着朱花朱花此云波泥孺・正位深紫・直位淺紫・勤位深緑・務位淺緑・追位深蒲萄・進位淺蒲萄。・・・・・二十七日,詔して,「東山道は美濃以東・東海道は伊勢以東の諸國の有位者たちは,課税を免除する。八月十二日手,天皇は淨土寺にお出ましになった。十三日,川原寺にお出ましになった。僧たちに稲をお送りになった。二十日,耽羅に遣わされた使人が帰国した )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(62)是日、曰、凡諸歌男・歌女・笛吹者、卽傳己子孫令習歌笛。・・・・・辛酉、天皇、御大安殿、喚王卿等於殿前以令博戲。是日、宮處王・難波王・竹田王・三國眞人友足・縣犬養宿禰大侶・大伴宿禰御行・境部宿禰石積・多朝臣品治・采女朝臣竹羅・藤原朝臣大嶋、凡十人賜御衣袴。壬戌、皇太子以下及諸王卿、幷卌八人賜羆皮山羊皮、各有差。癸亥、遣高麗國使人等還之。丁卯、爲天皇體不豫之、三日誦經於大官大寺・川原寺・飛鳥寺、因以稻納三寺各有差。庚午、化來高麗人等賜祿各有差。

(現代語訳・この日,詔して,「およそすべての歌男・歌女・笛吹は,卽傳自分の技術を子孫に伝え,辛酉、天皇、御大歌や笛に習熟させよ」といわれた。・・・・・安殿、喚王卿等於殿前以令博戲。是日、宮處王・難波王・竹田王・三國眞人友足・縣犬養宿禰大侶・大伴宿禰御行・境部宿禰石積・多朝臣品治・采女朝臣竹羅・藤原朝臣大嶋、凡十人賜御衣袴。壬戌、皇太子以下及諸王卿、幷卌八人賜羆皮山羊皮、各有差。癸亥、遣高麗國使人等還之。丁卯、爲天皇體不豫之、三日誦經於大官大寺・川原寺・飛鳥寺、因以稻納三寺各有差。庚午、化來高麗人等賜祿各有差。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(63)十一月癸卯朔甲辰、儲用鐵一萬斤、送於周芳總令所。是日、筑紫大宰、請儲用物、絁一百匹・絲一百斤・布三百端・庸布四百常・鐵一萬斤・箭竹二千連、送下於筑紫。・・・・・四方國曰、大角小角鼓吹幡旗及弩抛之類、不應存私家、咸收于郡家。戊申、幸白錦後菀。丙寅、法藏法師・金鍾、獻白朮煎。是日、爲天皇招魂之。己巳、新羅、遣波珍飡金智祥・大阿飡金健勳、請政、仍進調。

(現代語訳・十一月癸卯朔甲辰、儲用鐵一萬斤、送於周芳總令所。是日、筑紫大宰、請儲用物、絁一百匹・絲一百斤・布三百端・庸布四百常・鐵一萬斤・箭竹二千連、送下於筑紫。・・・・・全国に詔にして,「大角・小角・鼓・はた・おおゆみ・石はじきの類は,個人の家には置いてはいけない。・・・・・戊申、幸白錦後菀。丙寅、法藏法師・金鍾、獻白朮煎。是日、爲天皇招魂之。己巳、新羅、遣波珍飡金智祥・大阿飡金健勳、請政、仍進調)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(64)朱鳥元年春正月壬寅朔癸卯、御大極殿而賜宴於諸王卿。是日曰、朕問王卿以無端事、仍對言得實必有賜。・・・・・於是、高市皇子、被問以實對、賜蓁揩御衣三具・錦袴二具、幷絁廿匹・絲五十斤・綿百斤・布一百端。伊勢王、亦得實、卽賜皁御衣三具・紫袴二具・絁七匹・絲廿斤・綿卌斤・布卌端。是日、攝津國人百濟新興、獻白馬瑙。庚戌、請三綱律師及大官大寺知事・佐官、幷九僧、以俗供養々之、仍施絁綿布各有差。辛亥、諸王卿各賜袍袴一具。甲寅、召諸才人・博士・陰陽師・醫師者、幷廿餘人、賜食及祿。

(現代語訳・朱鳥元年春正月二日,大極殿にお出ましになり,宴を諸王卿たちに賜った。この日詔して,「自分が王卿に無端事をたずねよう。答えて当たっていたら必ず賜いものをしよう。・・・・・於是、高市皇子、被問以實對、賜蓁揩御衣三具・錦袴二具、幷絁廿匹・絲五十斤・綿百斤・布一百端。伊勢王、亦得實、卽賜皁御衣三具・紫袴二具・絁七匹・絲廿斤・綿卌斤・布卌端。是日、攝津國人百濟新興、獻白馬瑙。庚戌、請三綱律師及大官大寺知事・佐官、幷九僧、以俗供養々之、仍施絁綿布各有差。辛亥、諸王卿各賜袍袴一具。甲寅、召諸才人・博士・陰陽師・醫師者、幷廿餘人、賜食及祿。 )

前後の文脈から・・・大極殿(前期難波宮としたら)

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(65)秋七月己亥朔庚子、勅、更男夫着脛裳・婦女垂髮于背、猶如故。是日、僧正僧都等、參赴宮中而悔過矣。・・・・・辛丑、諸國大解除。・・・・・壬寅、半減天下之調、仍悉免徭役。癸卯、奉幣於居紀伊國々懸神・飛鳥四社・住吉大神。丙午、請一百僧讀金光明經於宮中。戊申、雷光南方而一大鳴、則天災於民部省藏庸舍屋。或曰、忍壁皇子宮失火延燒民部省。癸丑勅曰、天下之事、不問大小、悉啓于皇后及皇太子。是日、大赦之。甲寅、祭廣瀬龍田神。

(現代語訳・秋七月己亥朔庚子、勅、更男夫着脛裳・婦女垂髮于背、猶如故。是日、僧正僧都等、參赴宮中而悔過矣。・・・・・三日,諸國に詔して,大祓を行った。・・・・・壬寅、半減天下之調、仍悉免徭役。癸卯、奉幣於居紀伊國々懸神・飛鳥四社・住吉大神。丙午、請一百僧讀金光明經於宮中。戊申、雷光南方而一大鳴、則天災於民部省藏庸舍屋。或曰、忍壁皇子宮失火延燒民部省。癸丑勅曰、天下之事、不問大小、悉啓于皇后及皇太子。是日、大赦之。甲寅、祭廣瀬龍田神。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(66)丁巳曰、天下百姓由貧乏而貸稻及貨財者、乙酉年十二月卅日以前、不問公私皆免原。

(現代語訳・十九日,詔して,諸国の百姓で,貧しいために,稲と資材を貸し与えられた者は,十四年十二月三十日以前の分は,公私を問わずすべて返済を免除せよ」といわれた)

前後の文脈から・・・ 免原(徳政令)

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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コメント

肥沼さんへ
 天武紀残りの詔の検証お疲れ様。
 一か所間違いがあります。

詔64:ここは前後から独立した文で、様々な問いを発してこれにうまく答えられたら褒美を与えようと詔され、これに答えられた高市皇子や伊勢王がたくさんの褒美をもらったという話。
 詔の主語が完全に省略されているから九州王朝天皇の事績。
 大極殿があるから前期難波宮と即断されているが、前々回に分析したように、このころ九州王朝天皇は、一年毎に飛鳥ー九州を行き来していると思われ、前年の天武14年は拝朝が行われたと記録が有るので飛鳥にいるのだから、天武15年のこの年は九州に居る年。
 そしてこの記事の直後に難波大蔵省から出火して宮がことごとく焼失の記事がでてくる(前期難波宮にも焼けたあとがあるが、この焼け残りの柱が聖武の後期難波宮にそのまま保存されているので、前期難波宮が焼けたのはこの年ではなく、聖武の時代720年頃と考えられるので焼けたのは九州の難波宮)ので、大極殿は九州の難波宮だと考えられる。

 この焼失記事の直後には、「天皇御大安殿」との記事があり、つづけて前の詔と同様に天皇の問いにうまく答えられたら褒美を与えるとしている。
 同じ内容の記事で正月二日で場所は大極殿。これは正月16日で場所は大安殿。
 前者は主語無しの詔で後者は天皇と主語が明記されて問うとの形。
 この違いから、正月2日の記事は九州王朝の天皇の記事で場所は九州の難波宮。後者の16日の記事は近畿大王の記事で、場所は大安殿のある飛鳥の後期岡本宮。
 以上のように考察すれば、詔64は九州王朝の事績です。

 前後の文を広く検討してその関係を読まないと間違える例です。

 天武紀下お疲れ様でした。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月24日 (火) 12時59分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 以上のように考察すれば、詔64は九州王朝の事績です。

 前後の文を広く検討してその関係を読まないと間違える例です。

これは私にはとても解けそうにありません。
「この時点で,九州王朝の天皇はココにいた」という資料が必要です。

投稿: 肥さん | 2021年8月24日 (火) 13時35分

>これは私にはとても解けそうにありません。
「この時点で,九州王朝の天皇はココにいた」という資料が必要です

九州王朝天皇の居所を示す史料がなくてもとけますよ。
 詔の後ろ、難波宮焼失記事の次に「「天皇御大安殿」との記事があり、つづけて前の詔と同様に天皇の問いにうまく答えられたら褒美を与えるとしている。」ことに気が付けば、解けます。
 同じ内容なのに
一方は正月二日で主語なし、大極殿にて。
他方は正月16日で主語ありで、大安殿にて。
 これを考えれば、
正月二日は九州王朝天皇の行動。
正月16日は近畿大王の行動。
ここまでは分析できます。大極殿の場所がどの宮かは特定できませんが、この詔が九州王朝史書からの盗用であることはわかります。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月25日 (水) 09時11分

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