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2021年8月23日 (月)

持統紀の「詔」について【51】 【13】~【25】

(13)六月壬午朔、賜衣裳筑紫大宰等。癸未、以皇子施基・直廣肆佐味朝臣宿那麻呂・羽田朝臣齊齊、此云牟吾閉・勤廣肆伊余部連馬飼・調忌寸老人・務大參大伴宿禰手拍與巨勢朝臣多益須等、拜撰善言司。庚子、賜大唐續守言・薩弘恪等稻、各有差。・・・・・辛丑、筑紫大宰粟田眞人朝臣等、賜學問僧明聰・觀智等爲送新羅師友、綿各一百四十斤。乙巳、於筑紫小郡、設新羅弔使金道那等、賜物各有差。庚戌、班賜諸司令、一部廿二卷。

(現代語訳・・・・・・二十日,筑紫の大宰粟田眞人朝臣等らに詔して,学問僧明聴・観智らが,新羅の師や友に送るための綿,それぞれ百四十斤賜った)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(14)秋七月壬子朔、付賜陸奧蝦夷沙門自得所請金銅藥師佛像・觀世音菩薩像各一軀・鍾・娑羅・寶帳・香爐・幡等物。是日、新羅弔使金道那等罷歸。 ・・・・・丙寅、左右京職及諸國司、築習射所。辛未、流偽兵衞河內國澁川郡人柏原廣山于土左國、以追廣參授捉偽兵衞廣山兵衞生部連虎。甲戌、賜越蝦夷八釣魚等、各有差。魚、此云儺。

(現代語訳・十五日,左右京職と諸国の国司に詔して,射弓所を築かせた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(15)秋八月辛巳朔壬午、百官會集於神祗官、而奉宣天神地祗之事。甲申、天皇幸吉野宮。丙申、禁斷漁獵於攝津國武庫海一千步內・紀伊國阿提郡那耆野二萬頃・伊賀國伊賀郡身野二萬頃、置守護人、准河內國大鳥郡高脚海。丁酉、賞賜公卿各有差。・・・・・辛丑、伊豫總領田中朝臣法麻呂等曰、讚吉國御城郡所獲白䴏、宜放養焉。癸卯、觀射。

(現代語訳・二十一日,伊予の惣領田中朝臣法麻呂に詔して,「讃岐国三木郡でとらえた白燕放し飼いにせよ」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(16)潤八月辛亥朔庚申、諸國司曰「今冬戸籍可造。宜限九月糺捉浮浪。其兵士者、毎於一國四分而點其一令習武事。」・・・・・丁丑、以淨廣肆河內王爲筑紫大宰師、授兵仗及賜物。以直廣壹授直廣貳丹比眞人嶋、増封一百戸通前。

(現代語訳・閏八月十日,諸国の国司に詔して,「今年の冬に戸籍を造り,九月を期限として浮浪者を取り締まるように。兵士は国ごとに壮丁の四分の一を指定し,武事を習わせよ」といわれた。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(17)夏四月丁未朔己酉、遣使祭廣瀬大忌神與龍田風神。癸丑、賜京與畿內耆老耆女五千卅一人、稻人廿束。・・・・・庚申、曰「百官人及畿內人、有位者限六年、無位者限七年、以其上日、選定九等。~四等以上者、依考仕令、以其善最・功能・氏姓大小、量授冠位。其朝服者、淨大壹已下廣貳已上黑紫、淨大參已下廣肆已上赤紫、正八級赤紫、直八級緋、勤八級深緑、務八級淺緑、追八級深縹、進八級淺縹。別淨廣貳已上、一畐一部之綾羅等、種々聽用。淨大參已下直廣肆已上、一畐二部之綾羅等、種々聽用。上下通用綺帶・白袴、其餘者如常。」戊辰、始祈雨於所々。旱也。

(現代語訳・・・・・・十四日,官位を進める年限は,百官と畿内の人で,有位者は六年,無位者は七年とする。考課はその出勤の日数を以って,九等に訳よ。~)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(18)秋七月丙子朔、公卿百寮人等、始着新朝服。戊寅、班幣於天神地祗。庚辰、以皇子高市爲太政大臣、以正廣參授丹比嶋眞人爲右大臣、幷八省百寮皆遷任焉。辛巳、大宰・國司、皆遷任焉。・・・・・壬午、「令公卿百寮凡有位者、自今以後、於家內着朝服而參上未開門以前。」蓋昔者到宮門而着朝服乎。

(現代語訳・・・・・・七日,詔して,「公卿百官,すべての有位の者は,今後,家の中で朝服を着て,まだ門を開けない前に参上せよ」といわれた。以前は宮門に入ってから朝服を着たらしい)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(19)甲申、曰「凡朝堂座上見親王者、如常、大臣與王起立堂前、二王以上下座而跪。」

(現代語訳・九日,詔して,「およそ朝堂で座についているとき,親王見た場合は従来通り,大臣と王とには,堂前で起立。二王以上の人を見た場合には,座からおりて跪き控えよ」といわれた。)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(20)己丑、曰「朝堂座上見大臣、動坐而跪。」・・・・・是日、以絁絲綿布奉施七寺安居沙門三千三百六十三、別爲皇太子奉施於三寺安居沙門三百廿九。癸巳、遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。

(現代語訳・十四日,詔して,「朝堂で座についている時,大臣を見た時には,座を動いて跪くように」と言われた。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(21)九月乙亥朔、諸國司等曰、凡造戸籍者、依戸令也。

(現代語訳・九月一日,諸国の国司に詔して,「戸籍を造るには戸令によって行え」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(22)乙酉、曰、朕將巡行紀伊之、故勿收今年京師田租口賦。丁亥、天皇幸紀伊。・・・・・丁酉、大唐學問僧智宗・義德・淨願・軍丁筑紫國上陽咩郡大伴部博麻、從新羅送使大奈末金高訓等、還至筑紫。戊戌、天皇至自紀伊。

(現代語訳・十一日,詔して,「紀伊国に巡行しようと思うから,今年の京師の田租・口賦 は徴収をやめよ」といわれた。十三日,天皇は紀伊においでになった。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(23)(24)冬十月甲辰朔戊申、天皇幸吉野宮。癸丑、大唐學問僧智宗等、至于京師。・・・・・戊午、遣使者筑紫大宰河內王等曰「饗新羅送使大奈末金高訓等、准上送學生土師宿禰甥等送使之例。其慰勞賜物、一依書。」

(現代語訳・・・・・・十五日,使者を遣わして,筑紫大宰河内王らに詔して,「新羅の新羅送使大奈末金高訓 らの饗応は,學生土師宿禰甥らを送ってきた送使の饗に準ぜよ。その慰労と賜物は詔書に示されたことに従え」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(25)乙丑、軍丁筑紫國上陽咩郡人大伴部博麻曰「於天豐財重日足姬天皇七年、救百濟之役、汝、爲唐軍見虜。洎天命開別天皇三年、土師連富杼・氷連老・筑紫君薩夜麻・弓削連元寶兒、四人、思欲奏聞唐人所計、緣無衣粮、憂不能達。於是、博麻謂土師富杼等曰『我欲共汝還向本朝。緣無衣粮、倶不能去。願賣我身以充衣食。』・・・・・富杼等、依博麻計、得通天朝。汝獨淹滯他界、於今卅年矣。朕、嘉厥尊朝愛國・賣己顯忠。故、賜務大肆、幷絁五匹・綿一十屯・布卅端・稻一千束・水田四町。其水田、及至曾孫也。免三族課役、以顯其功。」壬申、高市皇子觀藤原宮地、公卿百寮從焉。

(現代語訳・二十二日,兵士,筑紫國上陽咩郡の人,大伴部博麻 に詔して,「斉明天皇の七年,百済救援の役で,お前は唐の捕虜とされた。天智天皇の三年になって,土師連富杼・氷連老・筑紫君薩夜麻・弓削連元寶の子四人が,唐人の計画を朝に奏上しようと思ったが,衣食もないため,京師まで行きつけないことを憂えた。そのとき博麻は土師富杼 らに語って,「自分は皆と一緒に朝のもとに行きたいが,衣食もない身で叶わないので,どうか私を奴隷に売り,その金を衣食にあててくれ」といった」・・・・・」といわれた )

前後の文脈から・・・ 主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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コメント

肥沼さんへ

 持統紀の詔の検証お疲れ様。
 今回はすべて九州王朝史料の盗用でしたね。

 詔が出た月は書いてあるが、年が削除されているので、再検証するのにとても不便です。
 持統何年の何月かを入れてください。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月26日 (木) 08時53分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉「細分化」すると,そのへんが手間になります。

残りの2回は,そうするようにします。

投稿: 肥さん | 2021年8月26日 (木) 09時21分

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