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2021年8月

2021年8月28日 (土)

「日本書紀」の中の「詔」を集計してみました(「主語有無」の論証による)

上記の記事を「夢ブログ」にアップしました。

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2021年8月23日 (月)

持統紀の「詔」について【51】 【34】~【51】

                                                                           (34)〈持統6〉六年春正月丁卯朔庚午、増封皇子高市二千戸、通前五千戸。癸酉、饗公卿等、仍賜衣裳。戊寅、天皇觀新益京路。壬午、饗公卿以下至初位以上。癸巳、天皇幸高宮。甲午、天皇至自高宮。・・・・・二月丁酉朔丁未、諸官曰、當以三月三日將幸伊勢、宜知此意備諸衣物。・・・・・陽陰博博士沙門法藏・道基、銀人廿兩。        

(現代語訳・六年春正月丁卯朔庚午、増封皇子高市二千戸、通前五千戸。癸酉、饗公卿等、仍賜衣裳。戊寅、天皇觀新益京路。壬午、饗公卿以下至初位以上。癸巳、天皇幸高宮。甲午、天皇至自高宮。・・・・・二月十一日,諸官に詔して,「三月三日に伊勢に行こうと思う。これに備えて,必要ないろいろの衣服を準備するように」といわれた。・・・・・賜陰陽博士沙門法藏・道基、銀人廿兩。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(35)〈持統6〉乙卯、刑部省、赦輕繋。是日、中納言直大貳三輪朝臣高市麻呂、上表敢直言諫爭天皇、欲幸伊勢妨於農時。

(現代語訳・十九日,刑部省に詔して罪の軽い罪人を赦免された。・・・・・是日、中納言直大貳三輪朝臣高市麻呂、上表敢直言諫爭天皇、欲幸伊勢妨於農時 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(36)〈持統6〉甲午、免近江・美濃・尾張・參河・遠江等國供奉騎士戸及諸國荷丁・造行宮丁今年調役。

(現代語訳・二十九日,近江・美濃・参河・遠江などの国の,供奉した騎士と諸国の荷丁・行宮造営の役夫の当年の調役を免じた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(37)〈持統6〉令天下百姓、困乏窮者稻、男三束女二束。

(現代語訳・天下の百姓の困窮者に稲を賜った。男は三束,女は二束であった。)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(38)〈持統6〉夏四月丙申朔丁酉、贈大伴宿禰友國直大貳、幷賜賻物。庚子、除四畿內百姓爲荷丁者今年調役。甲寅、遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。丙辰、賜有位親王以下至進廣肆、難波大藏鍫、各有差。・・・・・庚申、曰、凡繋囚見徒、一皆原散。

(現代語訳・・・・・・二十五日,詔して,獄囚・徒刑の者をみな放免するように」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(39)〈持統6〉閏五月乙未朔丁酉、大水。遣使循行郡國、禀貸災害不能自存者、令得漁採山林池澤。・・・・・令京師及四畿內、講說金光明經。・・・・・戊戌、賜沙門觀成、絁十五匹・綿卅屯・布五十端、美其所造鉛粉。丁未、伊勢大神奏天皇曰「免伊勢國今年調役。然應輸其二神郡、赤引絲參拾伍斤、於來年、當折其代。」

(現代語訳・詔して京師や畿內で,金光明經講説せられた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(40)〈持統6〉己酉、筑紫大宰率河內王等曰「宜遣沙門於大隅與阿多、可傳佛教。復、上送大唐大使郭務悰爲御近江大津宮天皇所造阿彌陀像。」

(現代語訳・十五日,筑紫大宰率の河內王らに詔して,「沙門を大隅と阿多とに遣わして,佛教を伝えるように。また大唐の大使・郭務悰が天智天皇のために造った阿彌陀仏像を京に送りたてまつれ」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(41)〈持統6〉八月癸亥朔乙丑、赦罪。己卯、幸飛鳥皇女田莊、卽日還宮。九月癸巳朔辛丑、遣班田大夫等於四畿內。丙午、神祇官奏上神寶書四卷・鑰九箇・木印一箇。癸丑、伊勢國司獻嘉禾二本。越前國司獻白蛾。・・・・・戊午、曰、獲白蛾於角鹿郡浦上之濱、故増封笥飯神廿戸、通前。

(現代語訳・・・・・・二十六日,詔して「白蛾を角鹿郡の浦上の浜で捕らえた。よって気比神宮に食封二十戸を,これまでの分に加える )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(42)〈持統7〉七年春正月辛卯朔壬辰、以淨廣壹授皇子高市、淨廣貳授皇子長與皇子弓削。・・・・・是日、令天下百姓、服黃色衣、奴皁衣。・・・・・丁酉、饗公卿大夫等。癸卯、賜京師及畿內有位年八十以上、人衾一領・絁二匹・綿二屯・布四端。乙巳、以正廣參贈百濟王善光、幷賜賻物。丙午、賜京師男女年八十以上・及困乏窮者、布各有差。賜船瀬沙門法鏡、水田三町。是日、漢人等奏蹈歌。

(現代語訳・・・・・・この日,詔して,全国の人民は,黃色の衣複を、奴は皁の衣を着ることとされた。丁酉、饗公卿大夫等。 ・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(43)〈持統7〉二月庚申朔壬戌、新羅遣沙飡金江南・韓奈麻金陽元等、來赴王喪。・・・・・己巳、造京司衣縫王等、收所掘尸。・・・・・己丑、以流來新羅人牟自毛禮等卅七人、付賜憶德等。三月庚寅朔、日有蝕之。甲午、賜大學博士勤廣貳上村主百濟、食封卅戸、以優儒道。乙未、幸吉野宮。庚子、賜直大貳葛原朝臣大嶋賻物。壬寅、天皇至自吉野宮。乙巳、賜擬遣新羅使直廣肆息長眞人老・勤大貳大伴宿禰子君等・及學問僧辨通・神叡等、絁綿布各有差。又賜新羅王賻物。

(現代語訳・・・・・・十日,造京司衣縫王らに詔して,「工事で掘り起こされた屍」を他に埋葬させた。 ・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(44)〈持統7〉丙午、令天下、勸殖桑紵梨栗蕪菁等草木、以助五穀。

(現代語訳・十七日,詔して,全国に桑・紵・梨・栗・蕪菁などを草木を勧め植えさせられた。五穀の助けのためである )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(45)〈持統7〉夏四月庚申朔丙子、遣大夫謁者詣諸社祈雨、又遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。・・・・・辛巳、「內藏寮允大伴男人坐贓、降位二階、解見任官。・・・・・典鑰置始多久與菟野大伴亦坐贓、降位一階、解見任官。監物巨勢邑治、雖物不入於己知情令盜之、故降位二階、解見任官。然、置始多久、有勤勞於壬申年役之、故赦之、但贓者依律徵納。」

(現代語訳・二十二日,詔して「內藏寮允大伴男人は,不当利得を図ったので,位二階を下して,現職を解任せよ」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(46)〈持統7〉五月己丑朔、幸吉野宮。乙未、天皇至自吉野宮。癸卯、設無遮大會於內裏。・・・・・六月己未朔、高麗沙門福嘉還俗。・・・・・壬戌、以直廣肆授引田朝臣廣目・守君苅田・巨勢朝臣麻呂・葛原朝臣臣麻呂・巨勢朝臣多益須・丹比眞人池守・紀朝臣麻呂、七人。秋七月戊子朔甲午、幸吉野宮。己亥、遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。辛丑、遣大夫謁者詣諸社祈雨。癸卯、遣大夫謁者詣諸社請雨。是日、天皇至自吉野。

(現代語訳・六月一日,高麗の沙門・福嘉に詔して,還俗させられた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(47)〈持統7〉冬十月丁巳朔戊午、「自今年、始於親王下至進位、觀所儲兵。・・・・・淨冠至直冠、人甲一領・大刀一口・弓一張・矢一具・鞆一枚・鞍馬。勤冠至進冠、人大刀一口・弓一張・矢一具・鞆一枚。如此、預備。」己卯、始講仁王經於百國、四日而畢。

(現代語訳・冬十月二日,詔して,「今年より,親王以下進位に至るまで,人々の備えている武器を調べされた・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(48)〈持統8〉三月甲申朔、日有蝕之。乙酉、以直廣肆大宅朝臣麻呂・勤大貳臺忌寸八嶋・黃書連本實等、拜鑄錢司。・・・・・甲午、曰「凡以無位人任郡司者、以進廣貳授大領、以進大參授小領。」

(現代語訳・・・・・・十一日,詔して,「無位の人を郡司に任ずる場合は,進廣貳の位を大領に授け,進大參を小領にさずけよ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(49)〈持統8〉己亥、曰「粤以七年歲次癸巳、醴泉涌於近江國益須郡都賀山。・・・・・諸疾病人停宿益須寺而療差者衆。故入水田四町・布六十端、原除益須郡今年調役雜徭、國司頭至目進位一階。賜其初驗醴泉者、葛野羽衝・百濟土羅々女、人絁二匹・布十端・鍬十口。」乙巳、奉幣於諸社。丙午、賜神祇官頭至祝部等一百六十四人絁布、各有差。

(現代語訳・十六日,詔して,「七年に醴泉が,近江国益須郡の都賀山に湧出した。・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(50)〈持統10〉三月癸卯朔乙巳、幸二槻宮。甲寅、賜越度嶋蝦夷伊奈理武志與肅愼志良守叡草、錦袍袴・緋紺絁・斧等。夏四月壬申朔辛巳、遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。戊戌、以追大貳授伊豫國風速郡物部藥與肥後國皮石郡壬生諸石、幷賜人絁四匹・絲十絇・布廿端・鍬廿口・稻一千束・水田四町、復戸調役、以慰久苦唐地。己亥、幸吉野宮。・・・・・五月壬寅朔甲辰、大錦上秦造綱手、賜姓爲寸。・・・・・乙巳、至自吉野。己酉、以直廣肆授尾張宿禰大隅、幷賜水田卌町。甲寅、以直廣肆贈大狛連百枝、幷賜賻物。

(現代語訳・・・・・・五月三日,大錦上秦造綱手に詔して,忌寸とされた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(51)〈持統11〉六月丙寅朔丁卯、赦罪人。・・・・・辛未、讀經於京畿諸寺。・・・・・辛巳、遣五位以上、掃灑京寺。甲申、班幣於神祇。辛卯、公卿百寮、始造爲天皇病所願佛像。癸卯、遣大夫謁者詣諸社請雨。秋七月乙未朔辛丑夜半、赦常𨰃盜賊一百九人、仍賜布人四常、但外國者稻人廿束。丙午、遣使者祀廣瀬與龍田。癸亥、公卿百寮、設開佛眼會於藥師寺。

(現代語訳・・・・・・六日,詔して経を京畿の諸寺に読ませた ・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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【以上,「日本書紀」の「詔」についての「主語有無」の調査でした】

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持統紀の「詔」について【51】 【26】~【33】

(26)五年春正月癸酉朔、賜親王・諸臣・內新王・女王・內命婦等位。己卯、賜公卿飲食衣裳、優賜正廣肆百濟王餘禪廣・直大肆遠寶・良虞與南典、各有差。乙酉、増封、皇子高市二千戸通前三千戸、淨廣貳皇子穗積五百戸、淨大參皇子川嶋百戸通前五百戸、正廣參右大臣丹比嶋眞人三百戸通前五百戸、正廣肆百濟王禪廣百戸通前二百戸、直大壹布勢御主人朝臣與大伴御行宿禰八十戸通前三百戸、其餘増封各有差。・・・・・丙戌、曰「直廣肆筑紫史益、拜筑紫大宰府典以來於今廿九年矣。以淸白忠誠、不敢怠惰。是故、賜食封五十戸・絁十五匹・綿廿五屯・布五十端・稻五千束。」・・・・・戊子、天皇幸吉野宮。乙未、天皇至自吉野宮。

(現代語訳・十四日,詔して,「直廣肆筑紫史益は,筑紫大宰府の典に任ぜられてから,今に至る二十九年間。,淸白き忠誠心をもって,たゆまず仕えてきた。故に,食封五十戸・絁十五匹・綿廿五屯・布五十端・稻五千束を与える」といわれた。・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(27)〈持統5〉二月壬寅朔、天皇公卿等曰「卿等於天皇世作佛殿經藏・行月六齋、天皇時々遺大舍人問訊。朕世亦如之、故當勤心奉佛法也。」是日、授宮人位記。三月壬申朔甲戌、宴公卿於西廳。丙子、天皇觀公私馬於御苑。

(現代語訳・二月一日,天皇は公卿らに詔して,「卿たちよ,天武天皇の御世に佛殿・經藏をつくり,毎月六回の日を行った。天皇はその時々大舍人を遣わし問わされた。我が世にもこのようにしたいと思う。それ故心慎み仏法をあがめるように」といわれた。

前後の文脈から・・・主語あり

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(28)(持統5)癸巳、曰「若有百姓弟爲兄見賣者、從良。若子爲父母見賣者、從賤。若准貸倍沒賤者、從良。其子雖配奴婢所生、亦皆從良。」

(現代語訳・二十二日,詔して,「もし百姓の弟が兄のために売られることがあれば,良人に入れよ。もし子どもが父母のために売られたら賤民に入れよ。借金の為に選民にされた者は,良人に入れよ。その子が奴隷と連れあって生んだ子も良人にいれよ」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(29)〈持統5〉夏四月辛丑朔、曰「若氏祖時所免奴婢既除籍者、其眷族等不得更訟言我奴婢。」

(現代語訳・夏四月一日,詔して,「もし氏の先祖の時に奴隷を免ぜられ,戸籍上除かれている者を,後のやからがまた訴えて,わが奴婢であることを主張することは許されない」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(30)〈持統5〉六月、京師及郡國卌、雨水。戊子、曰「此夏陰雨過節、懼必傷稼。夕惕迄朝憂懼、思念厥愆。其令公卿百寮人等禁斷酒宍・攝心悔過、京及畿內諸寺梵衆亦當五日誦經。庶有補焉。」・・・・・自四月雨、至于是月。己未、大赦天下、但盜賊不在赦例。秋七月庚午朔壬申、天皇幸吉野宮。是日、伊豫國司田中朝臣法麻呂等獻宇和郡御馬山白銀三斤八兩・𨥥一籠。丙子、宴公卿、仍賜朝服。辛巳、天皇至自吉野。甲申、遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。

(現代語訳・六月,京師と諸国の四十か所に水害があった。五月十八日,詔して,「この頃の長雨は季節に外れている。おそらく豊作を損なうであろう。朝から晩まで憂え恐れている。政治に何かの過ちがあるのではないかと思う。公卿・百官も酒肉を禁じ,心を修め過ちを悔いよ。京や畿内の諸寺の僧らは,五日間誦經せよ。どうか効果のあるようにと願う」といわれた。・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(31)〈持統5〉八月己亥朔辛亥、十八氏大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿倍・佐伯・采女・穗積・阿曇、上進其祖等墓記。・・・・・辛酉、遣使者祭龍田風神・信濃須波・水內等神。九月己巳朔壬申、賜音博士大唐續守言・薩弘恪・書博士百濟末士善信、銀人廿兩。丁丑、淨大參皇子川嶋薨。辛卯、以直大貳贈佐伯宿禰大目、幷賜賻物。

(現代語訳・八月十三日,十八氏大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿倍・佐伯・采女・穗積・阿曇に詔して,その先祖の墓記を上撰させた。・・・・・辛酉、遣使者祭龍田風神・信濃須波・水內等神。九月己巳朔壬申、賜音博士大唐續守言・薩弘恪・書博士百濟末士善信、銀人廿兩。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(32)〈持統5〉冬十月戊戌朔、日有蝕之。乙巳、曰「凡先皇陵戸者置五戸以上、自餘王等有功者置三戸。若陵戸不足、以百姓充。免其徭役、三年一替。」・・・・・庚戌、畿內及諸國、置長生地各一千步。是日、天皇幸吉野宮。丁巳、天皇至自吉野。甲子、遣使者鎭祭新益京。

(現代語訳・十月一日,日食があった。十月八日,詔して,先皇の陵戸は五戸以上とせよ。これ以外の王らの有功者には,三戸とする。もし陵戸が足りなかったら,百姓をあてよ。その者の徭役は免除せよ。三年に一度入れ替えよ」といわれた 。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(33)〈持統5〉十一月戊辰、大嘗。神祗伯中臣朝臣大嶋、讀天神壽詞。壬辰、賜公卿食衾。乙未、饗公卿以下至主典、幷賜絹等各有差。丁酉、饗神祗官長上以下至神部等及供奉播磨因幡國郡司以下至百姓男女、幷賜絹等各有差。・・・・・十二月戊戌朔己亥、賜醫博士務大參德自珍・呪禁博士木素丁武・沙宅萬首、銀人廿兩。乙巳、曰「賜右大臣宅地四町、直廣貳以上二町、大參以下一町。勤以下至無位、隨其戸口、其上戸一町・中戸半町・下戸四分之一。王等亦准此。」

(現代語訳・十一月戊辰、大嘗。神祗伯中臣朝臣大嶋、讀天神壽詞。壬辰、賜公卿食衾。乙未、饗公卿以下至主典、幷賜絹等各有差。丁酉、饗神祗官長上以下至神部等及供奉播磨因幡國郡司以下至百姓男女、幷賜絹等各有差。・・・・・十二月二日,医博士務大參德自珍・呪禁博士木素丁武・沙宅萬首に銀をそれぞれ二十両ずつ賜った。詔して,「新益京での右大臣に賜る宅地は四町、。直廣貳以上には二町。大參以下には一町,勤以下無位まで,その戸の人数による。上戸には一町・中戸には半町・下戸には四分の一。王等もこれに準ずる」といわれた  )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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持統紀の「詔」について【51】 【13】~【25】

(13)六月壬午朔、賜衣裳筑紫大宰等。癸未、以皇子施基・直廣肆佐味朝臣宿那麻呂・羽田朝臣齊齊、此云牟吾閉・勤廣肆伊余部連馬飼・調忌寸老人・務大參大伴宿禰手拍與巨勢朝臣多益須等、拜撰善言司。庚子、賜大唐續守言・薩弘恪等稻、各有差。・・・・・辛丑、筑紫大宰粟田眞人朝臣等、賜學問僧明聰・觀智等爲送新羅師友、綿各一百四十斤。乙巳、於筑紫小郡、設新羅弔使金道那等、賜物各有差。庚戌、班賜諸司令、一部廿二卷。

(現代語訳・・・・・・二十日,筑紫の大宰粟田眞人朝臣等らに詔して,学問僧明聴・観智らが,新羅の師や友に送るための綿,それぞれ百四十斤賜った)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(14)秋七月壬子朔、付賜陸奧蝦夷沙門自得所請金銅藥師佛像・觀世音菩薩像各一軀・鍾・娑羅・寶帳・香爐・幡等物。是日、新羅弔使金道那等罷歸。 ・・・・・丙寅、左右京職及諸國司、築習射所。辛未、流偽兵衞河內國澁川郡人柏原廣山于土左國、以追廣參授捉偽兵衞廣山兵衞生部連虎。甲戌、賜越蝦夷八釣魚等、各有差。魚、此云儺。

(現代語訳・十五日,左右京職と諸国の国司に詔して,射弓所を築かせた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(15)秋八月辛巳朔壬午、百官會集於神祗官、而奉宣天神地祗之事。甲申、天皇幸吉野宮。丙申、禁斷漁獵於攝津國武庫海一千步內・紀伊國阿提郡那耆野二萬頃・伊賀國伊賀郡身野二萬頃、置守護人、准河內國大鳥郡高脚海。丁酉、賞賜公卿各有差。・・・・・辛丑、伊豫總領田中朝臣法麻呂等曰、讚吉國御城郡所獲白䴏、宜放養焉。癸卯、觀射。

(現代語訳・二十一日,伊予の惣領田中朝臣法麻呂に詔して,「讃岐国三木郡でとらえた白燕放し飼いにせよ」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(16)潤八月辛亥朔庚申、諸國司曰「今冬戸籍可造。宜限九月糺捉浮浪。其兵士者、毎於一國四分而點其一令習武事。」・・・・・丁丑、以淨廣肆河內王爲筑紫大宰師、授兵仗及賜物。以直廣壹授直廣貳丹比眞人嶋、増封一百戸通前。

(現代語訳・閏八月十日,諸国の国司に詔して,「今年の冬に戸籍を造り,九月を期限として浮浪者を取り締まるように。兵士は国ごとに壮丁の四分の一を指定し,武事を習わせよ」といわれた。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(17)夏四月丁未朔己酉、遣使祭廣瀬大忌神與龍田風神。癸丑、賜京與畿內耆老耆女五千卅一人、稻人廿束。・・・・・庚申、曰「百官人及畿內人、有位者限六年、無位者限七年、以其上日、選定九等。~四等以上者、依考仕令、以其善最・功能・氏姓大小、量授冠位。其朝服者、淨大壹已下廣貳已上黑紫、淨大參已下廣肆已上赤紫、正八級赤紫、直八級緋、勤八級深緑、務八級淺緑、追八級深縹、進八級淺縹。別淨廣貳已上、一畐一部之綾羅等、種々聽用。淨大參已下直廣肆已上、一畐二部之綾羅等、種々聽用。上下通用綺帶・白袴、其餘者如常。」戊辰、始祈雨於所々。旱也。

(現代語訳・・・・・・十四日,官位を進める年限は,百官と畿内の人で,有位者は六年,無位者は七年とする。考課はその出勤の日数を以って,九等に訳よ。~)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(18)秋七月丙子朔、公卿百寮人等、始着新朝服。戊寅、班幣於天神地祗。庚辰、以皇子高市爲太政大臣、以正廣參授丹比嶋眞人爲右大臣、幷八省百寮皆遷任焉。辛巳、大宰・國司、皆遷任焉。・・・・・壬午、「令公卿百寮凡有位者、自今以後、於家內着朝服而參上未開門以前。」蓋昔者到宮門而着朝服乎。

(現代語訳・・・・・・七日,詔して,「公卿百官,すべての有位の者は,今後,家の中で朝服を着て,まだ門を開けない前に参上せよ」といわれた。以前は宮門に入ってから朝服を着たらしい)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(19)甲申、曰「凡朝堂座上見親王者、如常、大臣與王起立堂前、二王以上下座而跪。」

(現代語訳・九日,詔して,「およそ朝堂で座についているとき,親王見た場合は従来通り,大臣と王とには,堂前で起立。二王以上の人を見た場合には,座からおりて跪き控えよ」といわれた。)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(20)己丑、曰「朝堂座上見大臣、動坐而跪。」・・・・・是日、以絁絲綿布奉施七寺安居沙門三千三百六十三、別爲皇太子奉施於三寺安居沙門三百廿九。癸巳、遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。

(現代語訳・十四日,詔して,「朝堂で座についている時,大臣を見た時には,座を動いて跪くように」と言われた。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(21)九月乙亥朔、諸國司等曰、凡造戸籍者、依戸令也。

(現代語訳・九月一日,諸国の国司に詔して,「戸籍を造るには戸令によって行え」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(22)乙酉、曰、朕將巡行紀伊之、故勿收今年京師田租口賦。丁亥、天皇幸紀伊。・・・・・丁酉、大唐學問僧智宗・義德・淨願・軍丁筑紫國上陽咩郡大伴部博麻、從新羅送使大奈末金高訓等、還至筑紫。戊戌、天皇至自紀伊。

(現代語訳・十一日,詔して,「紀伊国に巡行しようと思うから,今年の京師の田租・口賦 は徴収をやめよ」といわれた。十三日,天皇は紀伊においでになった。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(23)(24)冬十月甲辰朔戊申、天皇幸吉野宮。癸丑、大唐學問僧智宗等、至于京師。・・・・・戊午、遣使者筑紫大宰河內王等曰「饗新羅送使大奈末金高訓等、准上送學生土師宿禰甥等送使之例。其慰勞賜物、一依書。」

(現代語訳・・・・・・十五日,使者を遣わして,筑紫大宰河内王らに詔して,「新羅の新羅送使大奈末金高訓 らの饗応は,學生土師宿禰甥らを送ってきた送使の饗に準ぜよ。その慰労と賜物は詔書に示されたことに従え」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(25)乙丑、軍丁筑紫國上陽咩郡人大伴部博麻曰「於天豐財重日足姬天皇七年、救百濟之役、汝、爲唐軍見虜。洎天命開別天皇三年、土師連富杼・氷連老・筑紫君薩夜麻・弓削連元寶兒、四人、思欲奏聞唐人所計、緣無衣粮、憂不能達。於是、博麻謂土師富杼等曰『我欲共汝還向本朝。緣無衣粮、倶不能去。願賣我身以充衣食。』・・・・・富杼等、依博麻計、得通天朝。汝獨淹滯他界、於今卅年矣。朕、嘉厥尊朝愛國・賣己顯忠。故、賜務大肆、幷絁五匹・綿一十屯・布卅端・稻一千束・水田四町。其水田、及至曾孫也。免三族課役、以顯其功。」壬申、高市皇子觀藤原宮地、公卿百寮從焉。

(現代語訳・二十二日,兵士,筑紫國上陽咩郡の人,大伴部博麻 に詔して,「斉明天皇の七年,百済救援の役で,お前は唐の捕虜とされた。天智天皇の三年になって,土師連富杼・氷連老・筑紫君薩夜麻・弓削連元寶の子四人が,唐人の計画を朝に奏上しようと思ったが,衣食もないため,京師まで行きつけないことを憂えた。そのとき博麻は土師富杼 らに語って,「自分は皆と一緒に朝のもとに行きたいが,衣食もない身で叶わないので,どうか私を奴隷に売り,その金を衣食にあててくれ」といった」・・・・・」といわれた )

前後の文脈から・・・ 主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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持統紀の「詔」について【51】 【1】~【12】

(1)丙申曰、丙申詔曰、皇子大津謀反、詿誤吏民帳內不得已、今皇子大津已滅、從者但礪杵道作流伊豆。

(現代語訳・二十九日,詔して,「皇子大津は謀叛を企てた。これに欺かれた官吏や舎人は止むを得なかった。今,皇子大津は既に滅んだ。従者で皇子に従った者は,みな赦す。ただし,礪杵道作は伊豆に流がせ」といわれた。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(2)又曰、新羅沙門行心、與皇子大津謀反、朕不忍加法、徙飛騨國伽藍。

(現代語訳・また詔して,「新羅の沙門行心はん,皇子大津の謀叛に与したが,罰するのに忍びないので,飛騨國の寺に移せ」いわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(3)六月癸巳朔庚申、赦罪人。秋七月癸亥朔甲子、曰「凡負債者、自乙酉年以前物、莫收利也。若既役身者、不得役利。」       

(現代語訳・六月二十八日,罪人を赦免された。。秋七月二日,詔して「およそ負債者に関して,天武十四年以前のものについては,利息をとってはならぬ。もしすでに労働で償っている者には,利息分まで労働させてはならない」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし・白村江の敗戦後の徳政令か

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(4)詞酸割、不可具陳。

(現代語訳・詔のことばは悲しく心を破り,詳しくのべるにのに堪えなかった )

前後の文脈から・・・前半に飛鳥寺が出て来た・主語あり

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(5)二年春正月庚申朔、・・・・・乙曰、自今以後毎取國忌日要須齋也。・・・・・

(現代語訳・二年春一月一日,・・・・・十六日,詔して,「今後国忌の日には必ず齋会をさせよ」といわれた ・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(6)三月己未朔己卯、・・・・・ 六月戊子朔戊戌、「令天下、繋囚極刑減本罪一等、輕繋皆赦除之。其令天下皆半入今年調賦。」   

(現代語訳・三月二十一日,・・・・・六月十一日,詔して,「天下に令して,死刑囚は罪一等を減じ,軽囚はみな赦免せよ。全国の今年の調賦を半減せよ」といわれた

前後の文脈から・・・ 主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(7)三年春正月甲寅朔、天皇、朝萬國于前殿。乙卯、大學寮獻杖八十枚。丙辰、務大肆陸奧國優𡺸曇郡城養蝦夷脂利古男、麻呂與鐵折、請剔鬢髮爲沙門。曰「麻呂等、少而閑雅寡欲。遂至於此、蔬食持戒。可隨所請、出家修道。」

(現代語訳・三年春一月一日,天皇は諸国の代表を正殿に集め,元旦の朝拝を行われた。二日,大學寮が杖八十枚奉他。三日,務大肆陸奧國優𡺸曇郡の柵造の蝦夷の脂利古の子・麻呂與鐵折が鬢や髮を剃って沙門になりたいと願い出た。詔して,「麻呂らは,年若いが,優雅で物欲も少なく,採食をして戒律を守るようになった。少而閑雅寡欲。遂至於此、所望通りに出家修道するがよい」といわれた。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(8)壬戌、出雲國司、上送遭値風浪蕃人。

(現代語訳・九日,出雲國司に詔して,「暴風に遭遇した近隣の国の人を,都に送らせた

(現代語訳・壬戌、出雲國司、上送遭値風浪蕃人 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

・・・・・カ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(9)二月甲申朔丙申、、筑紫防人、滿年限者替。己酉、以淨廣肆竹田王・直廣肆土師宿禰根麻呂・大宅朝臣麻呂・藤原朝臣史・務大肆當麻眞人櫻井、與穗積朝臣山守・中臣朝臣々麻呂・巨勢朝臣多益須・大三輪朝臣安麻呂、爲判事

(現代語訳・二月十三日,詔して、「筑紫の防人は,年限になったら交代させよ」と言われた。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(10)三月癸丑朔丙子、大赦天下。・・・・・己酉、、諸司仕丁、一月放假四日。

(現代語訳・三月二十四日,全国に大赦令を出した。・・・・・四月二十七日,詔して,諸司の仕丁にひと月に四日の休暇を与えることとされた。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(11)五月癸丑朔甲戌、命土師宿禰根麻呂、新羅弔使級飡金道那等、曰「太政官卿等奉勅奉宣、二年、遣田中朝臣法麻呂等、相告大行天皇喪。時、新羅言、新羅奉勅人者元來用蘇判位、今將復爾。

(現代語訳・五月二十二日,土師宿禰根麻呂に命じて,新羅弔使級飡金道那らに詔して,「先に太政官卿らがをうけて告げたが,二年に田中朝臣法麻呂らを相遣わし,大行天皇の喪をつげさせたとき,新羅が申したのは,新羅が勅をうけたまわる人は,今もそのようにしたいと思います )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(12)由是、法麻呂等不得奉宣赴告之詔。

(現代語訳・それで法麻呂たちは,知らせる詔を渡せなかった。・・・・・ )

前後の文脈から・・・(11)を受けて

☆ 九州王朝の史料からの盗用ではないか

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天武紀の「詔」について【66】のうち【58】~【66】

(58)冬十月己卯朔、曰、更改諸氏之族姓、作八色之姓、以混天下萬姓。一曰眞人、二曰朝臣、三曰宿禰、四曰忌寸、五曰道師、六曰臣、七曰連、八曰稻置。是日、守山公・路公・高橋公・三國公・當麻公・茨城公・丹比公・猪名公・坂田公・羽田公・息長公・酒人公・山道公、十三氏賜姓曰眞人。辛巳、遣伊勢王等、定諸國堺。是日、縣犬養連手繦爲大使・川原連加尼爲小使、遣耽羅。

(現代語訳・冬十月一日,詔して,「諸氏の族姓をあらためて,八色の姓をつくり,天下のすべての姓を一本化する。一曰眞人,二曰朝臣,三曰宿禰,四曰忌寸,五曰道師,六曰臣,七曰連,八曰稻置である」といわれた。この日,守山公・路公・高橋公・三國公・當麻公・茨城公・丹比公・猪名公・坂田公・羽田公・息長公・酒人公・山道公の十三氏に,姓を眞人とした。三日,伊勢王らを遣わして,諸國の境界を定めさせた。この日,縣犬養連手繦を大使・川原連加尼爲小使として,耽羅に遣わした )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(59)庚戌、土左國司言、大潮高騰・海水飄蕩、由是、運調船多放失焉。戊辰昏時、七星倶流東北則隕之。庚午日沒時、星隕東方大如瓮、逮于戌、天文悉亂以星隕如雨。是月、有星孛于中央、與昴星雙而行之、及月盡失焉。・・・・・是年、、伊賀・伊勢・美濃・尾張四國、自今以後、調年免役・役年免調。倭葛城下郡言、有四足鶏。亦丹波國氷上郡言、有十二角犢。

(現代語訳・庚戌、土左國司言、大潮高騰・海水飄蕩、由是、運調船多放失焉。戊辰昏時、七星倶流東北則隕之。庚午日沒時、星隕東方大如瓮、逮于戌、天文悉亂以星隕如雨。是月、有星孛于中央、與昴星雙而行之、及月盡失焉。・・・・・この年,詔して,「伊賀・伊勢・美濃・尾張四國は,今後,調のある年には役を免除する」といわれた。倭の葛城下郡,四本足の鶏が見つかりました」と報告した。亦丹波國氷上郡が言「十二の角がある小牛がうまれました」と報告した )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(60)二月丁丑朔庚辰、大唐人・百濟人・高麗人、幷百卌七人賜爵位。三月丙午朔己未、饗金物儒於筑紫、卽從筑紫歸之、仍流着新羅人七口附物儒還之。辛酉、京職大夫直大參巨勢朝臣辛檀努、卒。・・・・・壬申、、諸國毎家作佛舍、乃置佛像及經、以禮拜供養。是月、灰零於信濃國、草木皆枯焉。夏四月丙子朔己卯、紀伊國司言、牟婁湯泉沒而不出也。丁亥、祭廣瀬龍田神。壬辰、新羅人金主山、歸之。庚寅、始請僧尼安居于宮中。

(現代語訳・二月丁丑朔庚辰、大唐人・百濟人・高麗人、幷百卌七人賜爵位。三月丙午朔己未、饗金物儒於筑紫、卽從筑紫歸之、仍流着新羅人七口附物儒還之。辛酉、京職大夫直大參巨勢朝臣辛檀努、卒。・・・・・二十七日,詔して,国々で家ごとに仏舍を造り,仏像と教典を置き,禮拜供養せよ。この月,信濃國に灰が降って,草木が皆枯れた。・・・・・夏四月丙子朔己卯、紀伊國司言、牟婁湯泉沒而不出也。丁亥、祭廣瀬龍田神。壬辰、新羅人金主山、歸之。庚寅、始請僧尼安居于宮中。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(61)六月乙亥朔甲午、大倭連・葛城連・凡川內連・山背連・難波連・紀酒人連・倭漢連・河內漢連・秦連・大隅直・書連、幷十一氏賜姓曰忌寸。秋七月乙巳朔乙丑、祭廣瀬龍田神。庚午、勅定明位已下進位已上之朝服色、淨位已上並着朱花朱花此云波泥孺・正位深紫・直位淺紫・勤位深緑・務位淺緑・追位深蒲萄・進位淺蒲萄。・・・・・辛未、曰、東山道美濃以東・東海道伊勢以東諸國有位人等、並免課役。八月甲戌朔乙酉、天皇幸于淨土寺。丙戌、幸于川原寺、施稻於衆僧。癸巳、遣耽羅使人等還之。

(現代語訳・六月乙亥朔甲午、大倭連・葛城連・凡川內連・山背連・難波連・紀酒人連・倭漢連・河內漢連・秦連・大隅直・書連、幷十一氏賜姓曰忌寸。秋七月乙巳朔乙丑、祭廣瀬龍田神。庚午、勅定明位已下進位已上之朝服色、淨位已上並着朱花朱花此云波泥孺・正位深紫・直位淺紫・勤位深緑・務位淺緑・追位深蒲萄・進位淺蒲萄。・・・・・二十七日,詔して,「東山道は美濃以東・東海道は伊勢以東の諸國の有位者たちは,課税を免除する。八月十二日手,天皇は淨土寺にお出ましになった。十三日,川原寺にお出ましになった。僧たちに稲をお送りになった。二十日,耽羅に遣わされた使人が帰国した )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(62)是日、曰、凡諸歌男・歌女・笛吹者、卽傳己子孫令習歌笛。・・・・・辛酉、天皇、御大安殿、喚王卿等於殿前以令博戲。是日、宮處王・難波王・竹田王・三國眞人友足・縣犬養宿禰大侶・大伴宿禰御行・境部宿禰石積・多朝臣品治・采女朝臣竹羅・藤原朝臣大嶋、凡十人賜御衣袴。壬戌、皇太子以下及諸王卿、幷卌八人賜羆皮山羊皮、各有差。癸亥、遣高麗國使人等還之。丁卯、爲天皇體不豫之、三日誦經於大官大寺・川原寺・飛鳥寺、因以稻納三寺各有差。庚午、化來高麗人等賜祿各有差。

(現代語訳・この日,詔して,「およそすべての歌男・歌女・笛吹は,卽傳自分の技術を子孫に伝え,辛酉、天皇、御大歌や笛に習熟させよ」といわれた。・・・・・安殿、喚王卿等於殿前以令博戲。是日、宮處王・難波王・竹田王・三國眞人友足・縣犬養宿禰大侶・大伴宿禰御行・境部宿禰石積・多朝臣品治・采女朝臣竹羅・藤原朝臣大嶋、凡十人賜御衣袴。壬戌、皇太子以下及諸王卿、幷卌八人賜羆皮山羊皮、各有差。癸亥、遣高麗國使人等還之。丁卯、爲天皇體不豫之、三日誦經於大官大寺・川原寺・飛鳥寺、因以稻納三寺各有差。庚午、化來高麗人等賜祿各有差。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(63)十一月癸卯朔甲辰、儲用鐵一萬斤、送於周芳總令所。是日、筑紫大宰、請儲用物、絁一百匹・絲一百斤・布三百端・庸布四百常・鐵一萬斤・箭竹二千連、送下於筑紫。・・・・・四方國曰、大角小角鼓吹幡旗及弩抛之類、不應存私家、咸收于郡家。戊申、幸白錦後菀。丙寅、法藏法師・金鍾、獻白朮煎。是日、爲天皇招魂之。己巳、新羅、遣波珍飡金智祥・大阿飡金健勳、請政、仍進調。

(現代語訳・十一月癸卯朔甲辰、儲用鐵一萬斤、送於周芳總令所。是日、筑紫大宰、請儲用物、絁一百匹・絲一百斤・布三百端・庸布四百常・鐵一萬斤・箭竹二千連、送下於筑紫。・・・・・全国に詔にして,「大角・小角・鼓・はた・おおゆみ・石はじきの類は,個人の家には置いてはいけない。・・・・・戊申、幸白錦後菀。丙寅、法藏法師・金鍾、獻白朮煎。是日、爲天皇招魂之。己巳、新羅、遣波珍飡金智祥・大阿飡金健勳、請政、仍進調)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(64)朱鳥元年春正月壬寅朔癸卯、御大極殿而賜宴於諸王卿。是日曰、朕問王卿以無端事、仍對言得實必有賜。・・・・・於是、高市皇子、被問以實對、賜蓁揩御衣三具・錦袴二具、幷絁廿匹・絲五十斤・綿百斤・布一百端。伊勢王、亦得實、卽賜皁御衣三具・紫袴二具・絁七匹・絲廿斤・綿卌斤・布卌端。是日、攝津國人百濟新興、獻白馬瑙。庚戌、請三綱律師及大官大寺知事・佐官、幷九僧、以俗供養々之、仍施絁綿布各有差。辛亥、諸王卿各賜袍袴一具。甲寅、召諸才人・博士・陰陽師・醫師者、幷廿餘人、賜食及祿。

(現代語訳・朱鳥元年春正月二日,大極殿にお出ましになり,宴を諸王卿たちに賜った。この日詔して,「自分が王卿に無端事をたずねよう。答えて当たっていたら必ず賜いものをしよう。・・・・・於是、高市皇子、被問以實對、賜蓁揩御衣三具・錦袴二具、幷絁廿匹・絲五十斤・綿百斤・布一百端。伊勢王、亦得實、卽賜皁御衣三具・紫袴二具・絁七匹・絲廿斤・綿卌斤・布卌端。是日、攝津國人百濟新興、獻白馬瑙。庚戌、請三綱律師及大官大寺知事・佐官、幷九僧、以俗供養々之、仍施絁綿布各有差。辛亥、諸王卿各賜袍袴一具。甲寅、召諸才人・博士・陰陽師・醫師者、幷廿餘人、賜食及祿。 )

前後の文脈から・・・大極殿(前期難波宮としたら)

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(65)秋七月己亥朔庚子、勅、更男夫着脛裳・婦女垂髮于背、猶如故。是日、僧正僧都等、參赴宮中而悔過矣。・・・・・辛丑、諸國大解除。・・・・・壬寅、半減天下之調、仍悉免徭役。癸卯、奉幣於居紀伊國々懸神・飛鳥四社・住吉大神。丙午、請一百僧讀金光明經於宮中。戊申、雷光南方而一大鳴、則天災於民部省藏庸舍屋。或曰、忍壁皇子宮失火延燒民部省。癸丑勅曰、天下之事、不問大小、悉啓于皇后及皇太子。是日、大赦之。甲寅、祭廣瀬龍田神。

(現代語訳・秋七月己亥朔庚子、勅、更男夫着脛裳・婦女垂髮于背、猶如故。是日、僧正僧都等、參赴宮中而悔過矣。・・・・・三日,諸國に詔して,大祓を行った。・・・・・壬寅、半減天下之調、仍悉免徭役。癸卯、奉幣於居紀伊國々懸神・飛鳥四社・住吉大神。丙午、請一百僧讀金光明經於宮中。戊申、雷光南方而一大鳴、則天災於民部省藏庸舍屋。或曰、忍壁皇子宮失火延燒民部省。癸丑勅曰、天下之事、不問大小、悉啓于皇后及皇太子。是日、大赦之。甲寅、祭廣瀬龍田神。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(66)丁巳曰、天下百姓由貧乏而貸稻及貨財者、乙酉年十二月卅日以前、不問公私皆免原。

(現代語訳・十九日,詔して,諸国の百姓で,貧しいために,稲と資材を貸し与えられた者は,十四年十二月三十日以前の分は,公私を問わずすべて返済を免除せよ」といわれた)

前後の文脈から・・・ 免原(徳政令)

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天武紀の「詔」について【66】のうち【46】~【57】

(46)十一月庚寅朔乙巳、曰「親王・諸王及諸臣至于庶民、悉可聽之。凡糺彈犯法者、或禁省之中・或朝庭之中、其於過失發處卽隨見隨聞、無匿弊而糺彈。其有犯重者、應請則請、當捕則捉。若對捍以不見捕者、起當處兵而捕之。當杖色、乃杖一百以下、節級決之。亦犯狀灼然、欺言無罪則不伏辨以爭訴者、累加其本罪。」

(現代語訳・十一月十六日,詔して,「親王・諸王・諸臣より庶民に至るまで,皆承るがよい。およそ法を犯した者を取り調べる時には,内裏でも政庁でも,その現場において,見聞きした通りに,隠すところなく,取り調べよ。もし重罪を犯した者があれば,直截を受けるべき者があれば,そこの兵を動かして捕らえよ。杖罪に相当する場合は,百以下,等級に従って打て。また犯行が明白なのに,罪を否認して抗弁して,訴え出たような場合には,それに対する罪を,本来の罪に加えるようにせよ」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(47)十二月庚申朔壬戌、曰「諸氏人等、各定可氏上者而申送。亦其眷族多在者、則分各定氏上、並申於官司。然後、斟酌其狀而處分之、因承官判。唯、因少故而非己族者、輙莫附。」

(現代語訳・十二月三日,詔して,「諸氏の人たちは,それぞれに氏上に適当な人を選んで申告せよ。また一族の者が多い場合は,分割してそれぞれの氏上を定めて宮司に申告せよ。宮司では事情を調べた上で決定するので,宮司の判定に従え。ただしとるに足らない理由によって,自分の一族でない者まで,自分の族に加えてはならぬ」唯といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(48)丙午、曰「明神御大八洲倭根子天皇勅命者、諸國司國造郡司及百姓等、諸可聽矣。朕、初登鴻祚以來、天瑞非一二多至之。傳聞、其天瑞者、行政之理協于天道、則應之。是今當于朕世、毎年重至、一則以懼一則以嘉。是以、親王諸王及群卿百寮幷天下黎民、共相歡也。乃小建以上給祿各有差、因以大辟罪以下皆赦之、亦百姓課役並免焉。」是日、奏小墾田儛及高麗・百濟・新羅三國樂於庭中。

(現代語訳・十八日,詔して,「明神御大八洲倭根子天皇の勅命を,諸国の國司・國造・郡司および百姓たちよ,みな共に聞け。自分が皇位を継いでより,天瑞が一つ二つでなく数多く現れている。伝えられるところでは,こうした天瑞は,政道が天道にかなっているとき,示されるという。自分の地政に毎年相次いで現れることを,あるいは恐れあるいは喜んでいる。親王・諸王・群卿・百寮および天下の黎民も,共に喜んでもらいたいので,小建以上の者にそれぞれ祿者を賜い,死罪以下の者は皆赦免する。また百姓の課役はすべて免除する」とといわれた。この日,小墾田儛及び高麗・百濟・新羅の舞楽を朝廷で演奏した )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(49)二月己未朔、大津皇子、始聽朝政。三月戊子朔己丑、任僧正・僧都・律師、因以勅曰、統領僧尼如法、云々。丙午、遣多禰使人等、返之。夏四月戊午朔壬申、曰、自今以後必用銅錢、莫用銀錢。

(現代語訳・二月一日,大津皇子が始めて朝政をおとりになった。三月二日,僧正・僧都・律師を任命し勅して,「僧尼令に従い,僧尼を統べ治めるようにせよ」云々といわれた。十九日,多禰に遣わされていた使人が帰ってきた。夏四月十五日,詔して,「今後は必ず銅錢を用いよ。銀錢を用いてはならぬ」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(50)乙亥曰、用銀莫止。戊寅、祭廣瀬龍田神。六月丁巳朔己未、大伴連望多、薨。天皇、大驚之則遣泊瀬王而弔之。仍舉壬申年勳績及先祖等毎時有功以顯寵賞、乃贈大紫位、發鼓吹葬之。壬戌、三位高坂王薨。

(現代語訳・十八日,詔して,「銀を使用することはやめなくても良い」と言われた。二十一日,廣瀬・龍田神を祭った。六月三日,大伴連望多が薨じた。天皇は大いに驚かれ泊瀬王を遣わして弔わされた。壬申の年の武勲および先祖が代々たててきた功績をたたえて,厚く恩賞を賜った。大紫の位を贈られ,鼓や笛の音をまじえて葬儀を行わせられた。六日,三位高坂王が薨じた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(51)十一月甲申朔丁亥、諸國習陣法。丙申、新羅、遣沙飡金主山・大那末金長志、進調。十二月甲寅朔丙寅、遣諸王五位伊勢王・大錦下羽田公八國・小錦下多臣品治・小錦下中臣連大嶋、幷判官・錄史・工匠者等、巡行天下而限分諸國之境堺。然、是年不堪限分。

(現代語訳・十一月四日,諸国に詔して,陣法を習わせた。。十三日,新羅は沙飡金主山・大那末金長志を遣わして,調をたてまつった。十二月十三日,諸王五位の伊勢王・大錦下羽田公八國・小錦下多臣品治・小錦下中臣連大嶋、幷判官・錄史・工匠者などを遣わし,全国を巡行し諸國の境堺を区分させたが,この年区分は出来上がらなかった )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(52)庚午、曰、諸文武官人及畿內有位人等、四孟月必朝參。若有死病不得集者、當司具記申送法官。

(現代語訳・十七日,詔して,「すべての文武官人および畿內の有位者たちは,四季の始めの月に,必ず参朝し天皇に拝礼せよ。もし重病のため参集できない時は,所属の官司が詳しく理由を記して,法官に申し送れ」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(53)又曰、凡都城宮室、非一處必造兩參、故先欲都難波。是以、百寮者各往之請家地。

(現代語訳・又また詔して,「都城や宮室は,一か所だけということなく,必ず二,三か所あるべきである。それ故まず難波に都を造ろうと思う。是以、百寮の者は,それぞれ難波にも行き,家地を賜るように願え」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(54)閏四月壬午朔丙戌、曰「來年九月必閲之、因以、教百寮之進止威儀。」

(現代語訳・ 閏四月五日,詔して,「來年九月,必ず検閲を行うから,百寮の宮中での振る舞い・威儀を教習しておくように)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(55)又曰「凡政要者軍事也。是以、文武官諸人務習用兵及乘馬。則馬兵幷當身裝束之物務具儲足。其有馬者爲騎士・無馬者步卒、並當試練、以勿障於聚會。

(現代語訳・また詔して,「凡そもそも政治の要めは軍事である。それ故,文武官の人々は,努めて武器を使い,乗馬を習え。馬・武器・それに本人が着用する物は,仔細を調べ揃えておけ。馬のある者を騎士とし,馬のない者を步兵とし,それぞれ訓練を積んで,集合の際に差支えの内容にせよ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(56)若忤旨、有不便馬兵亦裝束有闕者、親王以下逮于諸臣、並罰之。大山位以下者、可罰々之・可杖々之。其務習以能得業者、若雖死罪則減二等、唯恃己才以故犯者不在赦例。」

(現代語訳・もしその趣旨に違反し,馬・武器に不都合なところがあり,装備に欠けるようなところがあ兵亦裝束有闕者、親王以下諸臣に至るまで,みな処罰する。大山位以下の者は処罰すべきは処罰し,杖の刑の者は実際に杖で打つ。訓練に務め技術をした者は,もし死罪にあたる罪を犯しても罪二等を減ずる。ただし自分の才能を頼み,それによって故意に罪を犯した者は,赦すことはしない」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(57)又曰「男女並衣服者、有襴無襴及結紐長紐、任意服之。其會集之日着襴衣而長紐、唯男子者有圭冠々而着括緖褌。女年卌以上、髮之結不結及乘馬縱横、並任意也。別巫祝之類、不在結髮之例。」

(現代語訳・また詔して,「男女とも衣服は,襴があってもなくても,またひも短く結んでも長く垂らしても,自由である。ただし,朝廷に参集するときは,襴のある衣を着用して,長い紐をたらせ,男子は圭冠があればそれをかぶり,括緖褌を着けよ。女の四十歳以上の者は,髮は結い上げても結い上げなくても,馬の乗り方が縦でも横でも,任意とする。このほか巫女や神官などは髪を結いあげなくてもよい」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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2021年8月22日 (日)

天武紀の「詔」について【66】のうち【35】~【45】

(35 夏四月己亥朔庚子、祭廣瀬龍田神。辛丑、立禁式九十二條、因以之曰「親王以下至于庶民諸所服用、金銀珠玉・紫錦繡綾・及氈褥冠帶・幷種々雜色之類、服用各有差。」

(現代語訳・夏四月二日,広瀬・瀧田の神を祀った。三日,禁式九十二条を制定し,詔して,「親王以下庶民に至るまで,身に着ける金・銀・珠玉・紫・西木・おりもの・こしき・冠・帯その他種々もの着用するには,それぞれ身分に応じたものを用いよ」といわれた。)

前後の文脈から・・・広瀬・瀧田は近畿だが,次の記事の「詔」には主語がないので

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(36)辭具有書。

(現代語訳・詳しいことは,詔書に述べられている)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(37)五月己巳朔己卯、祭皇祖御魂。是日曰、凡百寮諸人、恭敬宮人過之甚也。或詣其門謁己之訟、或捧幣以媚於其家。自今以後、若有如此者隨事共罪之。甲午、高麗卯問、歸之。六月己亥朔癸卯、饗新羅客若弼於築紫、賜祿各有差。乙卯、雩之。壬戌、地震。

(現代語訳・五月十一日,高祖御魂を祭った。この日に詔して,「およそ百寮の人々が,宮廷の女官に対するあがめ方には行き過ぎがある。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(38)八月丁卯朔丁丑、大錦下上毛野君三千卒。丙子、三韓諸人曰「先日復十年調税既訖。且加以、歸化初年倶來之子孫、並課役悉免焉。」 

(現代語訳・八月十一日,大錦下上毛野君三千が卒した。十日,三韓から来た人々に詔して,「以前,十年間の徴税を免除することとした。また,これに加えて,帰化の年,一緒に連れて来た子孫は,すべて課税を免除すると」といわれた」)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用だと考える

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(39)九月丁酉朔己亥、遣高麗新羅使人等共至之拜朝。辛丑、周芳國貢赤龜、乃放嶋宮池。甲辰、曰、凡諸氏有氏上未定者、各定氏上而申送于理官。庚戌、饗多禰嶋人等于飛鳥寺西河邊、奏種々樂。壬子、篲星見。癸丑、熒惑入月。

(現代語訳・八日,詔して,「諸姓の中で氏上がまだ決まっていない者があれば,氏上を決めて理宮に報告せよ」と言われた。)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(40)冬十月丙寅朔、日蝕之。癸未、地震。乙酉、新羅遣沙㖨一吉飡金忠平・大奈末金壹世貢調、金銀銅鐵・錦絹鹿皮・細布之類各有數、別獻天皇・皇后・太子、金銀霞錦・幡皮之類、各有數。庚寅、曰、大山位以下小建以上人等各述意見。是月、天皇、將蒐於廣瀬野而行宮構訖、裝束既備、然車駕遂不幸矣。唯親王以下及群、皆居于輕市而檢校裝束鞍馬、小錦以上大夫皆列坐於樹下、大山位以下者皆親乘之、共隨大路自南行北。新羅使者至而告曰、國王薨。

(現代語訳・二十五日,詔して,「大山位大夫小建以上の人たちは,それぞれ国政について意見をべよ」といわれた。)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(41)三月甲午朔、命小紫三野王及宮內官大夫等遣于新城令見其地形、仍將都矣。乙未、陸奧國蝦夷廿二人賜爵位。庚子、地震。丙午、命境部連石積等、更肇俾造新字一部卅四卷。己酉、幸于新城。辛酉、曰「親王以下百寮諸人、自今已後、位冠及襅褶脛裳、莫着。亦、膳夫・采女等之手繦・肩巾肩巾此云比例並莫服。」

(現代語訳・二十八日,詔して,「親王以下百寮の諸人は,今後,位冠およびまえも・はいもを着用してはならぬ・・・・」)

前後の文脈・・・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(42)是日曰、親王以下至于諸臣、被給食封、皆止之、更返於公。是月、土師連眞敷卒、以壬申年功贈大錦上位。

(現代語訳・この日詔して,「親王以下,諸臣に至るまで,賜っていた食封は,みなとりやめにして公に返すこととせよ」といわれた。」)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(43)夏四月癸亥朔辛未、祭廣瀬龍田神。癸未、筑紫大宰丹比眞人嶋等、貢大鐘。甲申、越蝦夷伊高岐那等、請俘人七十戸爲一郡、乃聽之。乙酉、曰「自今以後、男女悉結髮。十二月卅日以前、結訖之。唯結髮之日、亦待勅旨。」婦女、乘馬如男夫、其起于是日也。五月癸巳朔甲辰、倭漢直等賜姓曰連。戊申、遣高麗大使佐伯連廣足・小使小墾田臣麻呂等、奏使旨於御所。己未、倭漢直等男女悉參赴之、悅賜姓而拜朝。

(現代語訳・二十三日,今後,男女ともみな髪を結い上げることとし,十あ二月三十日までにあげ終わるようにせよ。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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八月壬戌朔、令親王以下及諸臣、各俾申法式應用之事。甲子、饗高麗客於筑紫。是夕昏時、大星自東度西。丙寅、造法令殿內、有大虹。壬申、有物、形如灌頂幡而火色、浮空流北。毎國皆見、或曰入越海。是日、白氣起於東山、其大四圍。癸酉大地動、戊寅亦地震動。是日平旦、有虹、當于天中央、以向日。甲戌、筑紫大宰言、有三足雀。

(44)癸未、禮儀言語之狀、

(現代語訳・・・二十二日,宮中での礼儀や言葉遣いについて詔された)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(45)且曰「凡諸應考選者、能檢其族姓及景迹、方後考之。若雖景迹・行能灼然、其族姓不定者不在考選之色。」己丑、勅、爲日高皇女更名新家皇女之病、大辟罪以下男女幷一百九十八人皆赦之。庚寅、百卅餘人出家於大官大寺。

(現代語訳・また詔して,およそ諸々の選考を行うには,よくその氏姓や成績を考えて考えてきめよ)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

 

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天武紀の「詔」について 【66】のうち【24】~【34】

(24)八年春正月壬午朔丙戌、新羅送使加良井山・金紅世等、向京。戊子、曰「凡當正月之節、諸王諸臣及百寮者、除兄姉以上親及己氏長以外、莫拜焉。其諸王者、雖母非王姓者、莫拜。凡諸臣亦莫拜卑母。雖非正月節、復准此。若有犯者、隨事罪之。」己亥、射于西門。

※「詔」関係部分のみ訳します。目がしょぽしょぼしてますので・・・。

(現代語訳・七日,詔して,「正月の節会のときに,諸臣および百寮は,兄姉以上の親族および自分の氏神を除いて,この他には拝礼することを禁ずる。

前後の文脈すら・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(25)二月壬子朔、高麗、遣上部大相桓父・下部大相師需婁等、朝貢。因以、新羅遣奈末甘勿那、送桓父等於筑紫。甲寅、紀臣堅摩呂、卒。以壬申年之功、贈大錦上位。乙卯、曰「及于辛巳年、檢校親王諸臣及百寮人之兵及馬。故、豫貯焉。」是月、降大恩恤貧乏、以給其飢寒。 

(現代語訳・四日,詔して,「天武十年に,親王・諸臣や百寮の人たちの武器や馬の検査を行うから,あらかじめ準備をしておくように」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なしだが,天武十年がかかれている

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(26)夏四月辛亥朔乙卯、曰、商量諸有食封寺所由、而可加々之、可除々之。是日、定諸寺名也。己未、祭廣瀬龍田神。

(現代語訳・夏四月五日,詔して「食封を与えられている諸寺の由緒を調べ,加えるべきものは加え,やめるべきものはやめよ」といわれた。この日,諸寺の名をえらび定めた。

前後の文脈から・・・主語なしだが,諸寺の由緒を調べ直す調査なので,近畿の仕事か

☆ 近畿王朝の史料からか

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(27)五月庚辰朔甲申、幸于吉野宮。乙酉、天皇、皇后及草壁皇子尊・大津皇子・高市皇子・河嶋皇子・忍壁皇子・芝基皇子曰「朕、今日與汝等倶盟于庭而千歲之後欲無事、奈之何。」皇子等共對曰、理實灼然。則草壁皇子尊、先進盟曰「天神地祗及天皇、證也。吾兄弟長幼幷十餘王、各出于異腹、然不別同異、倶隨天皇勅而相扶無忤。若自今以後、不如此盟者、身命亡之子孫絶之。非忘非失矣。」五皇子、以次相盟如先。然後、天皇曰「朕男等各異腹而生、然今如一母同産慈之。」則披襟抱其六皇子。因以盟曰「若違茲盟、忽亡朕身。」皇后之盟、且如天皇。丙戌、車駕還宮。己丑、六皇子共拜天皇於大殿前。

(現代語訳・五月五日,吉野宮に行幸された。六日,天皇は皇后および草壁皇子・大津皇子・高市皇子・河嶋皇子・忍壁皇子・芝基皇子に詔して,「自分は,今日、お前たちと共朝廷で盟約し,千年の後まで,継承の争いを起こすことのないように図りたいと思うがどうか」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なしだが,吉野宮・天皇・皇后・子どもたち

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(28)(29)六月庚戌朔、氷零、大如桃子。壬申、雩。乙亥、大錦上大伴杜屋連、卒。秋七月己卯朔甲申、雩。壬辰、祭廣瀬龍田神。乙未、四位葛城王卒。八月己酉朔、曰、諸氏貢女人。己未、幸泊瀬、以宴迹驚淵上。先是、王卿曰「乘馬之外、更設細馬、以隨召出之。」卽自泊瀬還宮之日、看群卿儲細馬於迹見驛家道頭、皆令馳走。庚午、縵造忍勝、獻嘉禾、異畝同頴。癸酉、大宅王卒。

(現代語訳・八月一日,詔して,「諸の氏は,それぞれ女人をたてまつれ」といわれた。・・・これよりさき,王卿らに詔して,「乘用馬の他に,さらに別の良馬を用意し,召されることがあったときは,直ぐ差し出せるように」といわれた)

前後の文脈から・・・両方とも主語なしだが,瀧田や泊瀬の地名あり

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(30)九月戊寅朔癸巳、遣新羅使人等、返之、拜朝。庚子、遣高麗使人・遣耽羅使人等、返之、共拜朝庭。冬十月戊申朔己酉、曰「朕聞之、近日暴惡者多在巷里。是則王卿等之過也。或聞暴惡者也煩之忍而不治、或見惡人也倦之匿以不正。其隨見聞以糺彈者、豈有暴惡乎。是以、自今以後、無煩倦而上責下過・下諫上暴、乃國家治焉。」

(現代語訳・冬十月二日、詔して,「この頃乱暴で悪事をはたらく者が里に多いと聞く。これは王卿らの落ち度である。乱暴で悪事をはたらく者があると聞いても,面倒と思って表ざたにせず,悪い者を見ても怠って隠して正そうとしない。それを見聞きしたらすぐ糺すすようにすれば,暴悪な者はなくなる。今後煩い怠ることなく,上に立つ者の誤りを攻め,下の者の誤りを責め,下の者は上野者の粗暴な振る舞いをいさめれば,国家は収まるだろう」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(31)冬十月壬寅朔乙巳、恤京內諸寺貧乏僧尼及百姓而賑給之、一毎僧尼各絁四匹・綿四屯・布六端、沙彌及白衣各絁二匹・綿二屯・布四端。十一月壬申朔、日蝕之。甲戌、自戌至子、東方明焉。乙亥、高麗人十九人返于本土、是當後岡本天皇之喪而弔使留之未還者也。・・・・・戊寅、百官曰、若有利國家寛百姓之術者、詣闕親申、則詞合於理立爲法則。

(現代語訳・冬十月壬寅朔乙巳、恤京內諸寺貧乏僧尼及百姓而賑給之、一毎僧尼各絁四匹・綿四屯・布六端、沙彌及白衣各絁二匹・綿二屯・布四端。十一月壬申朔、日蝕之。甲戌、自戌至子、東方明焉。乙亥、高麗人十九人返于本土、是當後岡本天皇之喪而弔使留之未還者也。

・・・・・七日,百官に詔して,「もし国家に利益となり,人民を豊かにする術があれば,朝に参ってみずから申し述べ。いうところの利に叶えれば取り上げて,法律として実施しよう」と言われた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(32)十年春正月辛未朔壬申、頒幣帛於諸神祗。癸酉、百寮諸人拜朝庭。丁丑、天皇、御向小殿而宴之。是日、親王諸王引入內安殿、諸臣皆侍于外安殿、共置酒以賜樂。則大山上草香部吉士大形授小錦下位、仍賜姓曰難波連。辛巳、勅境部連石積、封六十戸、因以給絁卅匹・綿百五十斤・布百五十端・钁一百口。丁亥、親王以下小建以上、射于朝庭。・・・・・己丑、畿內及諸國修理天社地社神宮。

(現代語訳・十年春正月辛未朔壬申、頒幣帛於諸神祗。癸酉、百寮諸人拜朝庭。丁丑、天皇、御向小殿而宴之。是日、親王諸王引入內安殿、諸臣皆侍于外安殿、共置酒以賜樂。則大山上草香部吉士大形授小錦下位、仍賜姓曰難波連。辛巳、勅境部連石積、封六十戸、因以給絁卅匹・綿百五十斤・布百五十端・钁一百口。丁亥、親王以下小建以上、射于朝庭。・・・・・十九日,畿內および諸國に詔して,諸の神社の社殿を修理させた )

前後の文脈から・・・主語なし・畿内

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(33)二月庚子朔甲子、天皇々后共居于大極殿、以喚親王諸王及諸臣、之曰「朕今更欲定律令改法式、故倶修是事。然頓就是務公事有闕、分人應行。」・・・・・是日、立草壁皇子尊爲皇太子、因以令攝萬機。戊辰、阿倍夫人薨。己巳、小紫位當摩公豐濱薨。

(現代語訳・二月二十五日,天皇・皇后ご一緒に大極殿にお出ましになり,親王・諸王および諸臣をお召しになって詔し,「自分は今ここに律令を定め,法式を改めたいと思う。それ故皆この事に取り掛かるように。しかし急にこれのみを仕事とすれば,公事を欠くことがあろうから,分担して行うようにせよ」といわれた

前後の文脈から・・・大極殿

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(34)三月庚午朔癸酉、葬阿倍夫人。丙戌、天皇御于大極殿、以川嶋皇子・忍壁皇子・廣瀬王・竹田王・桑田王・三野王・大錦下上毛野君三千・小錦中忌部連首・小錦下阿曇連稻敷・難波連大形・大山上中臣連大嶋・大山下平群臣子首、令記定帝紀及上古諸事。大嶋・子首、親執筆以錄焉。庚寅、地震。甲午、天皇居新宮井上而試發鼓吹之聲、仍令調習。

(現代語訳・三月四日,阿倍夫人を葬った。十七日,天皇は大極殿にお出ましになり,川嶋皇子・忍壁皇子・廣瀬王・竹田王・桑田王・三野王・大錦下上毛野君三千・小錦中忌部連首・小錦下阿曇連稻敷・難波連大形・大山上中臣連大嶋・大山下平群臣子首に詔して,帝紀および上古の諸事を記し校定させられた。大嶋・子首が自ら筆をとって記した。二十一日,地震があった。。二十五日,天皇は新宮の井のそばにおいでになり,試みに鼓や笛の音を出して見られ,練習をさせられた )

前後の文脈から・・・大極殿

☆ 九州王朝の史料からの盗用ではないか

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2021年8月21日 (土)

天武紀の「詔」について 【66】のうち【14】~【23】

(14)五年春正月庚子朔、群臣百寮拜朝。癸卯、高市皇子以下小錦以上大夫等、賜衣袴褶腰帶脚帶及机杖、唯小錦三階不賜机。丙午、小錦以上大夫等、賜祿各有差。甲寅、百寮初位以上、進薪。卽日、悉集朝庭賜宴。乙卯、置祿射于西門庭、中的者則給祿有差。是日、天皇御嶋宮、宴之。甲子、曰、凡任國司者、除畿內及陸奧・長門國、以外皆任大山位下人。

(現代語訳・五年春正月一日,群臣百寮は賀正の礼を行った。。四日,高市皇子以下,小錦以上大夫らに,衣・袴・褶・腰帶・脚帶・および机・杖を賜った。ただし小錦の三つの階のみは机がなかった。七日,小錦以上大夫らにそれぞれに応じた賜物があった。十五日,百寮の初位以薪を奉った。その日て朝庭に全員を集めて宴を賜った。十六日,西の門の広場で弓競べがあり,的への当たり方によって,それぞれ祿を賜った。この日天皇は嶋宮においでになって宴会を催された。二十五日,詔して「國司を任命するには,畿內および陸奧・長門國以外は,すべて任大山の位以下の人を任ぜよ」といわれた )

前後の文脈から・・・賀正の礼・主語なしー主語あり・嶋宮

☆ 九州+近畿か

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(15)己未、美濃國司曰「在礪杵郡紀臣訶佐麻呂之子、遷東國、卽爲其國之百姓。」

(現代語訳・二十二日,美濃國司に詔して,「礪杵郡にいる紀臣訶佐麻呂之の子を東國に移して,その国の人民とせよ」といわれた )

前後の文脈から・・・かつて美濃=九州の版図だった・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(16)(17)(18)八月丙申朔丁酉、親王以下小錦以上大夫及皇女・姬王・內命婦等、給食封各有差。辛亥、曰「四方爲大解除、・・・・・壬子、曰「死刑・・・・・・是日、諸國以放生。

(現代語訳・八月二日,親王以下小錦以上の大夫および皇女・姬王・內命婦らにそれぞれ食封を賜った。十六日,詔して,「国々で大祓をしよう。・・・・・十七日,詔して,「死刑・・・・・は一級下げる。この日,詔して,諸國に放生令をしかれた )

前後の文脈から・・・この続きに,大三輪真上田子人君(壬申の乱で活躍)

☆ 九州+近畿か

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(19)十一月乙丑朔、以新嘗事、不告朔。丁卯、新羅、遣沙飡金淸平、請政。幷遣汲飡金好儒・弟監大舍金欽吉等、進調。其送使奈末被珍那・副使奈末好福、送淸平等於筑紫。是月、肅愼七人、從淸平等至之。癸未、近京諸國而放生。甲申、遣使於四方國、說金光明經・仁王經。丁亥、高麗、遣大使後部主簿阿于・副使前部大兄德富、朝貢。仍新羅、遣大奈末金楊原、送高麗使人於筑紫。是年、將都新城。而限內田園者、不問公私、皆不耕悉荒。然遂不都矣。

(現代語訳・十一月一日。新嘗祭のため告朔がなかった。三日,新羅が沙飡金淸平を遣わし,政を報告し,合わせて汲飡金好儒・弟監大舍金欽吉らを遣わして,調を奉った。その送使奈末被珍那・副使奈末好福は,淸平らを筑紫まで送ってきた。この月に肅愼の七人が,淸平らに従ってきた。十九日,京に近い諸國に詔して,放生会を行なわれた。諸国に使いを遣わして,金光明經・仁王經を解かされた。二十三日,高麗が大使後部主簿阿于・副使前部大兄德富を遣わして,調を奉った。このため新羅は,大奈末金楊原を遣わして,高麗の使人を筑紫に送ってきた )

前後の文脈から・・・京,放生会,金光明京,仁王経・筑紫・新羅・高麗

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(20)六月壬辰朔乙巳、大震動。是月、東漢直等曰「汝等黨族之自本犯七不可也。是以、從小墾田御世至于近江朝、常以謀汝等爲事

(現代語訳・六月十四日,大地震があった。この月東漢直らに詔して,「お前たちの仲間は,いままでに七つの良からぬことを行った。

 推古天皇から天智天皇の代に至るまで常にお前たちを警戒してきた)

前後の文脈から・・・推古天皇~天智天皇まで

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(21)(22)八月辛卯朔乙巳、大設齋於飛鳥寺、以讀一切經。便天皇御寺南門而禮三寶。是時、親王諸王及群卿、毎人賜出家一人。其出家者、不問男女長幼、皆隨願度之。因以、會于大齋。丁巳、金淸平歸國。卽漂着朴刺破等、付淸平等返于本土。戊午、耽羅、遣王子都羅、朝貢。九月庚申朔己丑、曰、凡浮浪人、其送本土者、猶復還到、彼此並科課役。

(現代語訳・八月十五日,飛鳥寺で盛大な齋会をもうけ,一切經を読ませられた。天皇は寺の南門にお出ましになり,仏を拝礼された。このとき親王諸王及群卿に詔して,「おのおのについて一人ずつ出家することを許し,その出家者は,男女長幼を問わず、皆願いに従って得度させ,この大齋会に参会させた。二十七日,金淸平は帰途についた。漂着した朴刺破らは,淸平らにつけて本土に返された。二十八日,耽羅は王子都羅を遣わして,調を奉った。九月三十日,詔して,「およそ浮浪者で,その本籍地に送られた者が,また戻った場合は,向こうでもこちらでも双方の課役を科せよ」といわれた )

前後の文脈から・・・飛鳥寺

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(23)冬十月甲申朔、・・・・・己酉、曰「凡內外文武官、毎年、史以上其屬官人等公平而恪懃者、議其優劣則定應進階。正月上旬以前、具記送法官。則法官校定、申送大辨官。然、緣公事以出使之日、其非眞病及重服、輕緣小故而辭者、不在進階之例。」

(現代語訳・冬十月一日,・・・・・二十六日,詔して,「およそ內外の文武官は,毎年,史以上の官人の,公平で仕事に忠実なものについて優劣を議し,昇進すべき位階を定めよ。一月の上旬より前に詳しく記して,法官に送れ。法官は良く調べて,大弁官に送れ。しかし公事で使いにでるべき日に,真実の病気,父母の喪以外で,小さなことに関わり,出ない者は昇進させることはない」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし・役人の昇進規定

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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天武紀の「詔」について 【66】のうち【4】~【13】

【下】

(4)五月乙酉朔、公卿大夫及諸臣連幷伴造等曰「夫初出身者、先令仕大舍人。然後、選簡其才能、以充當職。・・・・・・

(現代語訳・五月一日、「公卿大夫及諸臣・連・伴造らに詔して,「はじめて宮仕えする者は,まず大舍人として仕え、そのうえで才能を考え,適職に当らせる。・・・・・

前後の文脈から・・・地方豪族の国造がのぞかれている

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(5)(6)秋八月甲申朔壬辰、在伊賀國紀臣阿閉麻呂等壬申年勞勳之狀、而顯寵賞。・・・・・因命大宰、耽羅使人曰「天皇、新平天下、初之卽位。由是、唯除賀使以外不召、則汝等親所見。亦時寒浪嶮、久淹留之還爲汝愁、故宜疾歸。」 

(現代語訳・秋八月九日,伊賀國の紀臣阿閉麻呂らに壬申の年の功労を表彰して恩賞を賜った。・・・・・そこで筑紫の大宰に命じて,耽羅の使人に伝え,「天皇は天下を平定し,初めて卽位したので。祝賀使以外は会っておられない。それはお前たちも見ているであろう。この頃寒さに向かい海も荒れており,長く逗留すると気がかりも多かろうから,なるべく早く帰国するように」と言われた )

前後の文脈から・・・壬申の乱後の対応~味方した者には表彰,前朝の使いは受け付けず

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(7)(8)二月乙亥朔癸未、勅大倭・河內・攝津・山背・播磨・淡路・丹波・但馬・近江・若狹・伊勢・美濃・尾張等國曰、選所部百姓之能歌男女及侏儒伎人而貢上。丁亥、十市皇女・阿閉皇女、參赴於伊勢神宮。己丑、曰「甲子年諸氏被給部曲者、自今以後、皆除之。又親王諸王及諸臣幷諸寺等所賜山澤・嶋浦・林野・陂池、前後並除焉。」癸巳、曰「群臣百寮及天下人民、莫作諸惡。若有犯者、隨事罪之。」丁酉、天皇幸於高安城。

(現代語訳・二月九日,勅大倭・河內・攝津・山背・播磨・淡路・丹波・但馬・近江・若狹・伊勢・美濃・尾張らの國に勅して,「管内の人民で歌の上手な男女,侏儒,俳優を選んで奉れ」と言われた。十三日,十市皇女・阿閉皇女は伊勢神宮に詣でられた。十五日,詔して,「天智三年に諸氏に賜った民部・部曲は以後中止する。また親王・諸王および諸臣,ならびに諸寺に賜わった山澤・嶋浦・林野・池は大化以前と以後とは問わず皆国に返させる」といわれた。十九日,詔して,「群臣・百寮および天下の人民は,諸惡をなしてはならぬ。もし犯すことがあれば,相応の処罰をする」と言われた。二十三日,天皇は高安城においでになった )

前後の文脈から・・・近畿の版図の入っている国々への要求

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(9)(10)夏四月甲戌朔戊寅、請僧尼二千四百餘而大設齋焉。辛巳、勅「小錦上當摩公廣麻呂・小錦下久努臣麻呂二人、勿使朝參。」壬午、曰「諸國貸税、自今以後、明察百姓・先知富貧・簡定三等、仍中戸以下應與貸。」癸未、遣小紫美濃王・小錦下佐伯連廣足、祠風神于龍田立野。遣小錦中間人連大蓋・大山中曾禰連韓犬、祭大忌神於廣瀬河曲。丁亥、小錦下久努臣摩呂、坐對捍使、官位盡追。

(現代語訳・夏四月五日,僧尼二千四百餘を召して盛大な齋会が行われた。八日,勅して「小錦上當摩公廣麻呂・小錦下久努臣麻呂二人は朝廷への出仕を禁ずる」と言われた。九日,詔して,「諸國の貸税は,今後民の富貧を三階級に分け,中戸より以下の者に貸与せよ」といわれた。十日,小紫美濃王・小錦下佐伯連廣足を遣わし,風神を龍田の立野に祭らせた。小錦中間人連大蓋・大山中曾禰連韓犬を遣わして,大忌神を廣瀬の河原に祭らせた。十四日,小錦下久努臣摩呂は,詔命を帯びた使者に従わなかったので,官位をことごとく奪われた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(11)庚寅、諸國曰「自今以後、制諸漁獵者、莫造檻穽及施機槍等之類。亦、四月朔以後九月卅日以前、莫置比彌沙伎理・梁。且、莫食牛馬犬猨鶏之宍。以外不在禁例。若有犯者罪之。」辛卯、三位麻續王有罪、流于因播。一子流伊豆嶋、一子流血鹿嶋。丙申、簡諸才藝者、給祿各有差。是月、新羅王子忠元到難波。

(現代語訳・十七日,諸国に詔して,「今後,漁業や狩猟に従事する者は,檻や落とし穴,仕掛け槍などを造ってはならぬ」」

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(12)六月癸酉朔乙未、大分君惠尺、病將死。天皇大驚、曰「汝惠尺也、背私向公、不惜身命、以遂雄之心勞于大役。恆欲慈愛。故爾雖既死、子孫厚賞。」仍騰外小紫位。未及數日、薨于私家。

(現代語訳・六月二十三日,大分君惠尺は病が重くなり,天皇は大いに驚かれ,詔して,「惠尺よ,お前は滅私奉公して,身命を惜しまず,雄雄しい心で壬申の乱に勲功を立てた。自分はいつもお前の努力に報いたいと思っていた。お前がもし死んだとしても,子孫に手厚く賞を与えよう」といわれた )

前後の文脈から・・・壬申の乱で活躍してくれた・主語あり

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(13)冬十月辛未朔癸酉、遣使於四方、 覓一切經。庚辰、置酒宴群臣。丙戌、自筑紫貢唐人卅口、則遣遠江國而安置。庚寅、曰、諸王以下初位以上、毎人備兵。

(現代語訳・冬十月三日,使いを各地に遣わして,一切經を求めさせた。十日,群臣に酒宴を賜った。十六日,筑紫から唐人が三十人奉ったので,遠江國に住まわせられた。二十日,詔して,諸王以下初位以上の者は,各人で武器を備えよ」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

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2021年8月20日 (金)

天武紀の「詔」について 【66】のうち【1】~【3】

【上】

(1)癸未 、至吉野而居之。是時、聚諸舍人謂之曰「我今入道修行、故隨欲修道者留之。若仕欲成名者、還仕於司。」然无退者。更聚舍人而如前。是以、舍人等半留半退。十二月、天命開別天皇崩。

(現代語訳・天武天皇は,吉野へおつきになった。このとき多くの舍人を集めて,「自分はこれから仏道に入り修行をする。自分といっしょに修道をしようと思う者は留まるがよい。朝廷に仕えて名を成そうと思う者は引き返して役所へ戻るように」といわれた。しかし帰る者はなかった。さらに舎人を集めて,前のごとく告げられると,舎人の半分は留まり半分は退出した。十二月,天智天皇はお崩 れになった)

前後の文脈から・・・大海人皇子の吉野入り

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(2) 是月、朴井連雄君、奏天皇曰・・・・・「臣、以有私事、獨至美濃。時、朝庭宣美濃・尾張兩國司曰、爲造山陵、豫差定人夫。則人別令執兵。臣以爲、非爲山陵必有事矣、若不早避當有危歟。」或有人奏曰「自近江京至于倭京、處々置候。亦命菟道守橋者、遮皇大弟宮舍人運私粮事。」天皇惡之、因令問察、以知事已實。於是曰「朕、所以讓位遁世者、獨治病全身永終百年。然今不獲已應承禍、何默亡身耶。」

(現代語訳・この月,朴井連雄君は天皇(大海人皇子)に奏上して,・・・・・(美濃へ行った話。近江朝廷の行動 ・・・・・そこで,詔して「私が皇位を辞退して,身を引いたのはひとりで療養につとめ,天命をまっとうしようとしたからである。それなのにいま避けられない禍を受けようとしている。どうしてこのままだまっておられようか 

前後の文脈から・・・大海人皇子VS天智天皇

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(3)六月辛酉朔壬午、村國連男依・和珥部臣君手・身毛君廣、曰「今聞、近江朝庭之臣等、爲朕謀害。是以、汝等三人、急往美濃國・告安八磨郡湯沐令多臣品治・宣示機要而先發當郡兵、仍經國司等・差發諸軍・急塞不破道。朕今發路。

(現代語訳・六月二十二日,「村國連男依・和珥部臣君手・身毛君廣に詔して,聞くところによると,近江朝庭の臣たちは私を亡き者にしようと謀っている。お前たち三人は,速やかに美濃國に行き,安八磨郡の湯沐令の多臣品治に機密を打ち明け,まずその地の兵を集めよ。なお国司らに触れて軍勢を発し速やかに不破道を塞げ。自分もすぐ出発する」

前後の文脈から・・・大海人皇子VS天智天皇

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2021年8月19日 (木)

天智紀の「詔」について 【6】

(1)冬十月丙午朔乙卯、天皇、幸藤原內大臣家、親問所患、而憂悴極甚、乃曰「天道輔仁、何乃虛說。・・・・・」

(現代語訳・冬十月十日,天皇は藤原内大臣の家にお越しになり,親しく病を見舞われた。しかし衰弱が激しかった。それで詔して,「天道が仁者を助けるということに偽りがあろうか。・・・・・」といわれた)

前後の文脈から・・・天智天皇と藤原鎌足

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(2)甲子、天皇、幸藤原內大臣家、命大錦上蘇我赤兄臣奉宣恩、仍賜金香鑪。

(現代語訳・十五日,天皇は藤原内大臣の家にお出ましになり,大錦上蘇我赤兄臣に命じて,恵みふかい詔を詠みあげさせられた。また金の

香鑪を賜った)

前後の文脈から・・・天智天皇と藤原鎌足

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(3)九年春正月乙亥朔辛巳、士大夫等、大射宮大射宮門內。戊子、宣朝庭之禮儀與行路之相避。復禁斷誣妄・妖偽。

(現代語訳・九年一月七日,士大夫らを詔して,宮廷内で大射礼があった。十四日,朝廷の礼儀と,道路で貴人に行きあったとき,道を避けるべきことを仰せ出られた。また,たわごと・流言などを禁じられた)

前後の文脈から・・・白村江の戦い(敗戦)の後・戦後の治安維持

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(4)庚辰、天皇疾病彌留。勅喚東宮引入臥內、曰、朕疾甚、以後事屬汝、云々。

(現代語訳・十七日,天皇の病が重くなり,東宮が呼ばれ,寝床に召されて詔し,「私の病は重いので後事をお前に任せたい」云々いわれた。)

前後の文脈から・・・天智天皇と大海人皇子とのやりとり

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(5)(6)丙辰、大友皇子在於內裏西殿織佛像前、左大臣蘇我赤兄臣・右大臣中臣金連・蘇我果安臣・巨勢人臣・紀大人臣侍焉。大友皇子、手執香鑪、先起誓盟曰、六人同心奉天皇、若有違者必被天罰、云々。於是、左大臣蘇我赤兄臣等、手執香鑪、隨次而起、泣血誓盟曰、臣等五人隨於殿下奉天皇、若有違者四天王打、天神地祇亦復誅罰、卅三天證知此事、子孫當絶家門必亡、云々。

(現代語訳・二十三日,大友皇子は內裏の西殿の織物の仏像の前におられた。左大臣蘇我赤兄臣・右大臣中臣金連・蘇我果安臣・巨勢人臣・紀大人臣侍っていた。大友皇子,手に香鑪をとり,まず立ち上がって,六人は心を同じくして天皇の詔をうけたまわります。もし違背する者があれば必ず天罰を受けるでしょう」云々とお誓いになった。そこで左大臣蘇我赤兄臣らも,手に香鑪を取り,順序に従って,立ち上がり涙を流しつつ,「臣等五人は殿下と共に天皇の詔を承ります。もしそれに違うことがあれば,四天王がわれわれを打ち天地の神々もまた罰を与えるでしょう。三十三天も,このことをはっきり御承知おきください。子孫もまさに絶え,家門も必ず亡びるでしょう」云々と誓い合った )

前後の文脈から・・・大友皇子と家来たち

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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2021年8月18日 (水)

斉明紀の「詔」について 【5】

(1)四年春正月甲申朔丙申、左大臣巨勢德太臣薨。・・・・・五月、皇孫建王、年八歲薨。今城谷上、起殯而收。天皇、本以皇孫有順而器重之、故不忍哀傷慟極甚。群臣曰、萬歲千秋之後、要合葬於朕陵。廼作歌曰、

(現代語訳・四年春正月十三日,左大臣巨勢德太臣が死去した。・・・・・五月,皇孫建王は八歲で亡くなられた。今城谷のほとりに,殯宮をたてて収められた。天皇は皇孫が美しい心であったため,特に可愛いがられた。悲しみに堪えられず,慟哭されること甚だしかった。群臣に詔して,「わが死後は必ず二人を合葬するように」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(2)秋七月辛巳朔甲申、蝦夷二百餘詣闕朝獻・・・・・又渟代郡大領沙尼具那、檢覈蝦夷戸口與虜戸口。

(現代語訳・秋七月四日に,蝦夷二百あまり朝廷に参上し物を奉った。・・・・・渟代郡大領・沙尼具那に詔して,蝦夷の戸口と捕虜の戸口を調査させた )

前後の文脈から・・・主語なし・蝦夷&渟代(九州王朝時代のもの)

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(3)秦大藏造萬里曰、傅斯歌勿令忘於世。

(現代語訳・秦大藏造萬里に詔して,「この歌を後に伝えて,世に忘れさせないようにしたい」と言われた )

前後の文脈から・・・主語なし・(1)の孫の死に関係する

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(4)庚寅、群臣、於京內諸寺、勸講盂蘭盆經使報七世父母。

(現代語訳・十五日,群臣に詔して,「京內の諸寺,盂蘭盆經を講説させて,七世の父母に報いくいさせられた )

前後の文脈から・主語なし・京内

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(5)冬十月、・・・・・ 曰「乞師請救聞之古昔、扶危繼絶著自恆典。

(現代語訳・冬十月・・・・・ 詔して,「救援の軍を乞うていることは,前からよく聞いている。危うきを助け,絶えたものを継ぐべきことは当然のことである。 )

前後の文脈から・・・主語なし・白村江に際して(近畿は参加せず)

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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2021年8月17日 (火)

孝徳紀の「詔」について 【45】のうち【35〜45】

(35)(36)縱違斯、將科重罪。罷市司要路津濟渡子之調賦、給與田地。 凡始畿內及四方國、當農作月、早務營田、不合使喫美物與酒。宜差淸廉使者、告於畿內。其四方諸國々造等、宜擇善使、依催勤。

(現代語訳・このおきてに違背したら重罪に処す。市司や,要路津済の渡子が,調賦を納めていたのをやめさせて,口分田を与え田租を徴する。畿內及び四方の国々に至るまで,農耕の月には田作りに専念させ,魚や酒を食することを禁ずる。心の正しい使者を遣わして,この旨を畿内に告げよ。諸国の国造たちも,ふさわしい人を使いに選び,詔の旨に従って,人々を勤めさせよ」といわれた

前後の文脈から・・・詔=名詞,畿内・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(37)秋八月庚申朔癸酉、曰。原夫天地陰陽、不使四時相亂。惟此天地、生乎萬物。萬物之內、人是最靈。最靈之間、聖爲人主。是以、聖主天皇、則天御寓、思人獲所、暫不廢胸。

(現代語訳・秋八月十四日,詔して,「尋ねてみれば,天地陰陽は,四時を乱れさせることがない。思えばこの天地が万物を生じ,万物の中で人間が最も優れている。その最も勝れたものの中で,聖なるものが人主である。それ故聖主である天皇は,天の意志に従って天下を治めて,人々か少しも休むことがない。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(38)(39)(40)夏四月丁巳朔壬午、曰。惟神惟神者、謂隨神道。亦謂自有神道也、我子應治故寄。是以、與天地之初、君臨之國也。自始治國皇祖之時、天下大同、都無彼此者也。既而頃者、始於神名・天皇名々、或別爲臣連之氏、或別爲造等之色。由是、率土民心、固執彼此、深生我汝、各守名々。又拙弱臣連伴造國造、以彼爲姓神名王名、逐自心之所歸、妄付前々處々前々、猶謂人々也。。爰以神名王名、爲人賂物之故、入他奴婢穢汚淸名、遂卽民心不整、國政難治。是故、今者、隨在所天神屬可治平之運、使悟斯等而將治國治民。是先是後、今日明日、次而續。然素頼天皇聖化而習舊俗之民、未之間、必當難待。故、始於皇子群臣及諸百姓、將賜庸調。

(現代語訳・夏四月二十六日,詔して,「神々は皇孫にこの国を治めさせようと授けられた。それ故,天地の始めから天皇の治められる国であり,神武天皇の御代から点かは皆等しく,民はあれこれの差別はなかった。ところがこの頃神の名.天皇の名が,民につけられたのをはじめ,民が別れて臣・連の氏人となったり,造らに属したりするようになった。このためこくないの民の心はあれこれ立場を固執するようになった。  また愚かな臣・連・伴造・国造はその姓とした神の名.天皇の名を,自分の心のままにみだりに人々や土地につけた。神の名や天皇の名をつけた部民が賂物とされて,他人の奴婢に入れられ,清い名をけがすことになる。ひいては民心も整わず,国政も治めにくくなる。そこでこの度,天にまします神のこころのままに治めるべき世に当り,これらを悟らせ,国を治めることと民を治めることの,いずれのを後先にすべきか,卿今日明日と,順序を追って詔しよう。もともと天皇の仁政に頼り,旧俗になじんでいる民は,詔を待ち望んでいるであろう。故に皇子,群臣より諸の臣に至るまで,庸調を禄として与えるであろう」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし・庸調

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(41)工人大山位倭漢直荒田井比羅夫、誤穿溝瀆控引難波、而改穿疲勞百姓。爰有上䟽切諫者。天皇曰、妄聽比羅夫所詐而空穿瀆、朕之過也。卽日罷役。

(現代語訳・工人の大山位倭漢直荒田井比羅夫は,溝を掘るのに誤って難波に引き,そしまた改めて掘ったため,人民を疲れさせたそこで上表して切にいさめる者があった。天皇は,詔して,「軽率に比羅夫の間違った説をきき,むだな溝を掘ったのは自分の過ちであった」といわれ,直ちに役を中止された )

前後の文脈から・・・主語あり・大山上=「冠位十九階」に入っている

☆ 九州王朝の史料によるではないか

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(42)五年春正月丙午朔、賀正焉。二月、制冠十九階。一曰大織、二曰小織、三曰大繡、四曰小繡、五曰大紫、六曰小紫、七曰大花上、八曰大花下、九曰小花上、十曰小花下、十一曰大山上、十二曰大山下、十三曰小山上、十四曰小山下、十五曰大乙上、十六曰大乙下、十七曰小乙上、十八曰小乙下、十九曰立身。是月、博士高向玄理與釋僧旻、置八省百官。

(現代語訳・五年春一月一日,拝賀の式をした。二月,前の冠位をあらため,官位十九階を制定した。・・・・・この月,博士高向玄理と僧旻とに詔して,八省百官の制度を考えさせた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(43)(44)曰「聖王出世治天下時、天則應之示其祥瑞。曩者、西土之君周成王世與漢明帝時白雉爰見。・・・・・曰「四方諸國郡等、由天委付之故、朕總臨而御寓。今我親神祖之所知穴戸國中有此嘉瑞、所以、大赦天下・改元白雉。」

(現代語訳・詔して,「 曰「聖王が世に出て天下を治める時に,天が応えてめでたいしるしを示すという。昔,西の国の君ー周の成王の世と漢の明帝の時に白雉が現われた。・・・・・ 詔して,「「四方の諸の國・郡など,天がゆだね授オ来ないけられるので,自分がまとめ天下を統治している。今わが祖先の神のお治めになる長門国からめでたいしるしがあった。それ故に,天下に大赦を行い,白雉元年と改元する」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし・大赦

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(45)冬十月、爲入宮地所壞丘墓及被遷人者、賜物各有差。卽遣將作大匠荒田井直比羅夫、立宮堺標。是月、始造丈六繡像・侠侍・八部等卌六像。是歲、漢山口直大口、奉、刻千佛像。遣倭漢直縣・白髮部連鐙・難波吉士胡床、於安藝國、使造百濟舶二隻。

(現代語訳・冬十月,宮の名時地に編入されるために,墓を壊された人,および住居を遷すされた人々に,それぞれに御下賜があった。各有差將作大匠荒田井直比羅夫を遣わして,宮地の境界標を立てさせた。この月,丈六の繡仏・脇侍・八部などの三十六体の像を造りにかかった。。この年,漢山口直大口は,詔を奉って,千仏の像を刻んだ。倭漢直縣・白髮部連鐙・難波吉士胡床を安芸の国に,百濟船二隻を造らせられた )

前後の文脈から・・・主語なし・安芸(九州王朝の版図)

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2021年8月15日 (日)

孝徳紀の「詔」について 【45】のうち【24~34】

(24)三月癸亥朔甲子、東國々司等曰。集侍群卿大夫及臣連國造伴造幷諸百姓等、咸可聽之。

(現代語訳・三月二日,東国の国司たちに詔して,「ここに集まった群卿大夫および臣・連・国造・伴造,それにすべての百姓たち皆聴け」)

前後の文脈から・・・国司・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(25)(26)辛巳、東國朝集使等曰。集侍群卿大夫及國造伴造幷諸百姓等、咸可聽之。以去年八月、朕親誨曰。莫因官勢取公私物、可喫部內之食、可騎部內之馬。若違所誨、次官以上降其爵位、主典以下決其笞杖。入己物者、倍而徵之。既若斯。今問朝集使及諸國造等、國司至任、奉所誨不。

(現代語訳・十九日,東国より帰還した朝集使たちに詔して,,「ここに集まった群卿大夫および国造・伴造および人民たちの皆承るがよい。昨年八月,自分の述べたように,「役人の権勢に任せて,公私の物を摂ることがあってはならぬ。自分の管内の場合のみ,部内の飯を食することができ,部内の馬に乗ることができる。もし命に違反すれば,次官以上は官位を降格し,主典以下の者の場合は,太い鞭あるいは細い鞭による鞭打ちの刑とする。不当に自分の身に取り入れた者は,倍にして徴収せよ」」となっている。今,朝集使や国造たちに尋ね,国司は住所でこの教えをまもっているかどうかと聞いた。朝集使たちは詳しくその有様を申しのべた。

前後の文脈から・・・国司・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(27)(28)(29)・・・・・大市連闕名所犯者、違於前。前曰、國司等、莫於任所自斷民之所訴。輙違斯、自判菟礪人之所訴及中臣德之奴事。中臣德、亦是同罪也。

(現代語訳・ ・・・・・大市連闕名の犯したことは,前年の詔に違反したことである。國司は任国で人民の訴えを処理してはならぬ」とあるのに,これに反して自ら菟礪の人の訴え,および中臣德の奴のことを判決した。そのことは中臣徳も同罪である。

前後の文脈から・・・詔=名詞,国司

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(30)(31)以此觀之、紀麻利耆拕臣・巨勢德禰臣・穗積咋臣、汝等三人之所怠拙也。念斯違、豈不勞情。夫爲君臣以牧民者、自率而正、孰敢不直。若君或臣不正心者、當受其罪。追悔何及。是以、凡諸國司、隨過輕重考而罰之。又諸國造、違、送財於己國司、遂倶求利、恆懷穢惡。不可不治。

(現代語訳・これを持ってみると,紀麻利耆拕臣・巨勢德禰臣・穗積咋臣らの三人の怠慢はまずいことであった。 前の詔に反することを思うと,心をいためないことがあろうか。そもそも君臣となって人民を養う者が,自分の身を質したなら,他の者も見習うであろう。もし君あるいは臣が心を正さなかったら,当に罪を受けるだろう。悔いても及ばない。このため諸の国司は科の軽重により罰せられるであろう。また国造たちが詔に背き,財貨を自分の国の国司に送り,共に利を求めるのは犯意を抱くもので,裁かないわけにはいかない)

前後の文脈から・・・詔=名詞,国司・主語無なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(32)壬午、皇太子、使々奏請曰。昔在天皇等世、混齊天下而治。及逮于今、分離失業謂國業也。屬天皇我皇可牧萬民之運、天人合應、厥政惟新。是故、慶之尊之頂戴伏奏。現爲明神御八嶋國天皇、問於臣曰。其群臣連及伴造國造所有・昔在天皇日所置子代入部・皇子等私有御名入部・皇祖大兄御名入部謂彥人大兄也及其屯倉、猶如古代而置以不。臣、卽恭承所奉答而曰。天無雙日、國無二王。是故、兼幷天下・可使萬民、唯天皇耳。別、以入部及所封民簡充仕丁、從前處分。自餘以外、恐私駈役。故、獻入部五百廿四口・屯倉一百八十一所。

(現代語訳・二十日,皇太子は使いを遣わして奏上し,「昔の天皇たちの御代には,必ずコメントありがとうございます。混然と一つにまとまり治められましたが,当今はわかれ離れすぎて,国の仕事が行われ難くなっています。わが天皇が万民を統べられるに当たり,天も人相応じ,その政が新たになって来ています。つつしんでお慶び申し上げます。現つ神しとして八嶋国を治らす天皇が,私にお聞きになりました。「群臣・連・および伴造・国造の所有する昔の天皇の時代におかれた子代人部,皇子たち私有の名入りの私民,高祖大兄の名入りの部とその屯倉などを,昔のままにしておくべきかどうか」というお尋ねを慎んで承り,「天に二日なく国に二王なしといいます。天下を一つにまとめ,万民をお使いになるのは,ただ天皇のみであります。ことに入部と食封の民を国の仕丁に充てることは,先の規定に従ってよいでしょう。これ以外は私用に使われることを恐れます。故に入部は五百二十四口,屯倉は百八十一所を献上するのが良いと思います」とお答えします」といわれた)

前後の文脈から・・・呉志の諸葛小各伝・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(33)甲申、曰。朕聞、西土之君戒其民曰。古之葬者因高爲墓、不封不樹、

(現代語訳・二十二日,詔して,「自分が聞くのに,唐土のの君がその民を戒めて,「古の葬礼は丘陵の上に墓を造った。封土も植樹もなかった。)

前後の文脈から・・・魏志武帝紀・文帝紀と同文~厚葬の禁止・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(34)縱有違、犯所禁者、必罪其族。

(現代語訳・・・・・・もし詔に背いて禁令を犯せば,必ずその一族を処罰する)

前後の文脈から・・・(34)の続き~厚葬の禁止

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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2021年8月14日 (土)

孝徳紀の「詔」について 【45】のうち【10〜23】

(10)(11)(12)癸卯、遣使於大寺、喚聚僧尼而曰。於磯城嶋宮御宇天皇十三年中、百濟明王、奉傳佛法於我大倭。是時、群臣倶不欲傳、而蘇我稻目宿禰、獨信其法。天皇乃稻目宿禰、使奉其法。於譯語田宮御宇天皇之世、蘇我馬子宿禰、追遵考父之風、猶重能仁世之教。而餘臣不信、此典幾亡。天皇、馬子宿禰而使奉其法。

(現代語訳・八日,大寺に使いを遣わして,僧尼を召し集めして,「欽明天皇の十三年に,百濟の聖明王が仏法わが朝に伝えた。このとき群臣は皆ひろめることを欲しなかった。ところが蘇我稻目宿禰は,一人でその法を受け入れた。天皇は稲目宿禰にして信奉させられた。敏達天皇の世に蘇我馬子宿禰は,父の遺法を尊び,仏の教を信じた。しかし他の臣は信じなかったので,ほとんど滅びそうであった。天皇は,馬子にして馬子にその法を尊ばせられた

前後の文脈から・・・主語なしと主語あり

☆ 九州王朝系の史料のと近畿王朝の史料の両方

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(13)甲申、遣使者於諸國錄民元數。仍曰。自古以降毎天皇時、置標代民、垂名於後。

(現代語訳・十九日,使者を国々に遣わして人民の総数を記録させた。詔して,「古来,天皇の御代ごとに名代を置いて,天皇の名を後世に残そうとした

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(14)二年春正月甲子朔、賀正禮畢、卽宣改新之曰。其一曰、罷昔在天皇等所立子代之民・處々屯倉・及別臣連伴造國造村首所有部曲之民・處々田莊。

(現代語訳・二年春正月一日,賀正の礼が終わって,改新の詔が発せられた。その第一。昔の天皇たちの立てられた子代の民・各地の屯倉と臣・連・伴造・國造・村の首長の支配する部民・豪族の経営す各所の土地を廃止する )

前後の文脈から・・・主語なし・京師や国司

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(15)是月、天皇、御子代離宮。遣使者、郡國修營兵庫。蝦夷親附。

(現代語訳・この月,天皇は,御子代離宮においでになった。使者を遣わし,群国に詔して武器庫を造らせた。蝦夷が帰順してきた。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 近畿王朝の史料に九州王朝系の史料をプラスしたものではないか

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(16)(17)(18)(19)(20)(21)(22)二月甲午朔戊申、天皇幸宮東門、使蘇我右大臣曰。明神御宇日本倭根子天皇、於集侍卿等臣連國造伴造及諸百姓。朕聞、明哲之御民者、懸鍾於闕而觀百姓之憂、作屋於衢而聽路行之謗。雖蒭蕘之說、親問爲師。由是、朕前下曰、古之治天下、朝有進善之旌・誹謗之木、所以通治道而來諫者也、皆所以廣詢于下也。管子曰、黃帝立明堂之議者上觀於賢也、堯有衢室之問者下聽於民也、舜有告善之旌而主不蔽也、禹立建鼓於朝而備訊望也、湯有總術之廷以觀民非也、武王有靈臺之囿而賢者進也。此故、聖帝明王、所以有而勿失、得而勿亡也。所以、懸鍾設匱拜收表人、使憂諫人納表于匱、收表人毎旦奏請。朕得奏請、仍示群卿便使勘當。庶無留滯。如群卿等或懈怠不懃・或阿黨比周、朕復不肯聽諫、憂訴之人當可撞鍾。已如此。既而有民明直心・懷國土之風・切諫陳䟽、納於設匱。故、今顯示集在黎民。其表稱、緣奉國政到於京民、官留使於雜役、云々。朕猶以之傷惻、民豈復思至此。然遷都未久、還似于賓、由是、不得不使而强役之。毎念於斯、未嘗安寢。朕觀此表、嘉歎難休。故隨所諫之言、罷處々之雜役。昔曰、諫者題名。而不隨。今者、自非求利而將助國。不言題不、諫朕癈忘。

(現代語訳・二月十五日,天皇は離宮の東門においでになり,蘇我右大臣に詔を伝えさせ,「明神として天下を治める日本天皇は,ここに集まった卿ら・臣・連・國造・伴造および諸々の人民に告げる。明哲の人が民を治めるには,鍾を宮殿に掛け,それをつかせて人民の憂えを聞か,舎を街角に造って,通行人の不平を聴取すると,草刈りや木こりの言うことでも,親しく問うて手本とすれるという。先に詔を出して,「古の君が天下を治めるのに,善言を進める者は,道に設けた旗の下で自由に述べさせ,不平を述べたい者は,橋上の木に勝手に書かせたのは,諫めを聞き,下の意見を問う為であった。管子の言に「黃帝は明堂の議を設け,上は賢人のなすところをよく見,衢室で民衆の声をよく聴いた。舜は善言を述べる者の旗を設け,兎は鼓を朝に立て望む者に打たせた。スる湯王は総術の庭を造って,人民の非難を聞くところとした。 武王は霊台の園があって,賢者の言を聞いた。 このようにして聖帝明王は過ちのない政治を行った」と。それで自分も鐘を掛け匱設け,収表の係を命じた。訴えのある者は表を毎朝奏上する。自分はそれを見た上で群卿に示し,処置を講じさせる。処置が滞らないように望む。もし群卿が怠ったり,よくないことに加担したり,自分の諫めも受け入れなかったりしたら,訴えをする人は鐘をつくがよい」といった。 このような詔を下したところ,人民の真っすぐな明るい心に,国を思う気風が生じ,已如此。政治の非を忠告する申し出を文を,用意の櫃に入れた。 今それを公表すると,国屋や納税のために都には来た人民を,引き留めて雑役に使っている。云々とのことである。自分もこれをいたましく思う。民もきっと思いがけなかったとことであろう。 都を移して間もないため,旅人のようで落ち着くところもないこのため使ってならないのに,やむを得ず使う。こういうことを思うごとに,安く寝ぬることもできぬ。自分はこの表を見て,よく言ってくれたとほめる言葉を止めがたい。故に,忠告に従って,各地で行われている雑徭を停止する。前の詔にいさめる者は記名せよと述べたが,守られていない。しかし,自らの利を求めるのではなく,国を助けようとする気持ちに出たものであろう。これからは記名の有無は問わず,自分が怠り忘れていることをいさめてもらいたい )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(23)。集在國民、所訴多在。今將解理。諦聽所宣。其欲決疑、入京朝集者、且莫退散、聚侍於朝。

(現代語訳・また,詔して,「集まった國民からの訴えは多かった。今これを審理しようと思うので,述べるところをよく聴いてほしい。愁訴のため上京し参集した者は,しばらく退去しないで待っているように」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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2021年8月13日 (金)

孝徳紀の「詔」について 【45】のうち【1~9】

(1)天豐財重日足姬天皇四年六月庚戌、天豐財重日足姬天皇、思欲傳位於中大兄而曰、云々。中大兄、退語於中臣鎌子連。中臣鎌子連議曰、古人大兄、殿下之兄也。輕皇子、殿下之舅也。方今、古人大兄在而殿下陟天皇位、便違人弟恭遜之心。且立舅以答民望、不亦可乎。

(現代語訳・皇極天皇の四年六月十四日,皇極天皇が位を中大兄に伝えようと思われ,詔して云々といわれた。中大兄は退出して中臣鎌子連に相談された。中臣鎌子連は意見をのべて,古人大兄は殿下の兄上です。輕皇子は殿下の叔父上です。古人大兄がおいでになる今,殿下が天皇の位を継いだら,人の弟として兄に従うという道に背くでしょうしばらく叔父上を建てられて,人々の望みに叶うなら良いではありませんか」といった )

前後の文脈から・・・主語あり

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(2)(3)(4)(5)大化元年秋七月丁卯朔戊辰、立息長足日廣額天皇女間人皇女、爲皇后。立二妃。元妃、阿倍倉梯麻呂大臣女曰小足媛、生有間皇子。次妃、蘇我山田石川麻呂大臣女曰乳娘。丙子、高麗・百濟・新羅、並遣使進調。百濟調使、兼領任那使、進任那調。唯百濟大使佐平緣福、遇病留津館而不入於京。巨勢德太臣、於高麗使曰、明神御宇日本天皇旨、天皇所遣之使、與高麗神子奉遣之使、既往短而將來長。是故、可以温和之心、相繼往來而已。又於百濟使曰、明神御宇日本天皇旨、始我遠皇祖之世、以百濟國爲內官家、譬如三絞之綱。中間以任那國、屬賜百濟。後遣三輪栗隈君東人、觀察任那國堺。是故、百濟王隨勅、悉示其堺。而調有闕。由是、却還其調。任那所出物者、天皇之所明覽。夫自今以後、可具題國與所出調。汝佐平等、不易面來。早須明報。今重遣三輪君東人・馬飼造闕名。又勅、可送遣鬼部率意斯妻子等。

(現代語訳・大化元年秋七月二日,舒明天皇の女の間人皇女を建てて皇后とした。二人の妃を立てた。第一の妃は,阿倍倉梯麻呂大臣の女で小足媛という。有間皇子を生んだ。第二の妃は蘇我山田石川麻呂大臣の女で曰乳といった。十日,高麗・百濟・新羅が使いを遣わして,調を奉った。百濟の調の使いが,任那の使いを兼ねて,任那の調も奉った。ただ百濟の大使佐平緣福だけは病になり,難波津の館に留まり,京には入らなかった。巨勢德太臣が,高麗の使いに詔を伝えた。「明神として天下を治められる日本天皇が詔を宣う。天皇の遣わす使いと、高麗の神の子が遣わした使いとは,過去は短いが將来は長いだろう。この故に,温和な心を持って末永く行き来したい。また百済の使いに詔して,「明神として天下を治められる日本天皇が,詔として,次のように仰せられる。始め遠いわが皇祖の世に,百濟國を内官家としたもうたことは,例えていえば,三つ組の綱のようであった。なかごろ,任那を百濟に属させた。後に三輪栗隈君東人を遣わして,任那國の堺を刺殺させたところ,百済王は勅のままにすべてその境界を示した。しかし是,この旅のし調は欠るところがあった。そのため調が返却される。任那の奉ったものは天皇が親しくご覧になるところである。今後は詳しく国名と調をしるすようにせよ。汝佐平らよ,心変わりせず,来朝せよ。ぜひとも早く王に報告するように。今重ねて三輪君東人・馬飼造を遣わすことにする」といわれた。又勅して,鬼部率意斯の際し妻子らを百済に送り遣わすように」といわれた )

前後の文脈から・・・外国関係の内容

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(6)(7)戊寅、天皇阿倍倉梯萬侶大臣・蘇我石川萬侶大臣曰、當遵上古聖王之跡、而治天下。復當有信、可治天下。己卯、天皇阿倍倉梯麻呂大臣・蘇我石川萬侶大臣曰、可歷問大夫與百伴造等、以悅使民之路。庚辰、蘇我石川麻呂大臣奏曰、先以祭鎭神祗、然後應議政事。是日、遣倭漢直比羅夫於尾張國、忌部首子麻呂於美濃國、課供神之幣。

(現代語訳・十二日,天皇は阿倍倉梯萬侶大臣・蘇我石川萬侶大臣に詔して,「まさに上古の聖王の跡に従い,天下を治めよう。また信をもって天下を治めよう」といわれた。十三日,天皇は阿倍倉梯麻呂大臣・蘇我石川萬侶大臣に詔して,「大夫たち多くの伴造らに,人民が喜びをもって使われるような方法を尋ねよ」といわれた。十四日,蘇我石川麻呂大臣が奏上して,「まず神祇を祭り鎮められてのち,政事を議るべきであります」といった。この日,倭漢直比羅夫尾張國,忌部首子麻呂を美濃國に遣わし,神に供える幣を課せられた )

前後の文脈から・・・主語あり

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(8)八月丙申朔庚子、拜東國等國司。仍國司等曰、隨天神之所奉寄、方今始將修萬國。

(現代語訳・八月五日,東國の國司を召された。國司らに詔して,「天つ神の命ぜられるままに、,今はじめて日本国内のすべての国ぐに治めようと思う )

前後の文脈から・・・国司・主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(9)是日、設鍾匱於朝。而曰、若憂訴之人、有伴造者、其伴造先勘當而奏。

(現代語訳・この日,鍾と匱を朝廷に設け,詔して,「もし訴えごとのある人が伴造に訴えたら,伴造はまずよく取り調べて奏上せよ

前後の文脈から・・・朝=朝廷・主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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2021年8月12日 (木)

皇極紀の「詔」について【6】

(1)大臣曰、以津守連大海可使於高麗。以國勝吉士水鶏可使於百濟。水鶏、此云倶毗那。以草壁吉士眞跡可使於新羅。以坂本吉士長兄可使於任那。庚戌、召翹岐、安置於安曇山背連家。辛亥、饗高麗・百濟客。癸丑、高麗使人・百濟使人、並罷歸。

(現代語訳・蝦夷大臣に詔して,「津守連大海を高麗に,國勝吉士水鶏を百済に,草壁吉士眞跡を新羅に,坂本吉士長兄を任那に遣わすように」といわれた。二十四日,翹岐を呼んで、安曇山背連の家に住まわせた。二十五日,高麗・百濟の客に饗応させた。二十七日,高麗の使者・百濟の使者が共に帰途についた )

前後の文脈から・・・外国への派遣・使者の饗応・主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか 

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(2)(3)九月癸丑朔乙卯、天皇大臣曰、朕思欲起造大寺。宜發近江與越之丁。百濟大寺。復課諸國、使造船舶。辛未、天皇大臣曰、起是月限十二月以來、欲營宮室。可於國國取殿屋材。然東限遠江、西限安藝、發造宮丁。

(現代語訳・九月三日,天皇は大臣に詔して,「大寺を造りたいと思う。近江国と越国の,公用人の夫を集めるように」といわれた。百済大寺である。また諸国に命じて船舶を建造させた。十九日,天皇は大臣に,今月から十二月までの間に,宮殿を造りたいと思う。国々に用材を盗らせるように。また,東は遠江まで,二死は安芸までの国ぐにから,造営の人夫を集めるように」といわれた)

前後の文脈から・・・百済大寺・主語あり

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(4)癸巳、土師娑婆連猪手、視皇祖母命喪。天皇、自皇祖母命臥病、及至發喪、不避床側、視養無倦。乙未、葬皇祖母命于檀弓岡。是日、大雨而雹。丙午、罷造皇祖母命墓役。仍賜臣連伴造帛布、各有差。是月、茨田池水漸々變成白色。亦無臭氣。

(現代語訳・十七日,土師娑婆連猪手に詔して,皇祖母命の葬儀の儀をとり行わせた。天皇は皇祖母命が病臥されてから,喪を発するに至るまで床のそばを離れず,看病をおつとめになった)

前後の文脈から・・・主語あり

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(5)冬十月丁未朔己酉、饗賜群臣伴造於朝堂庭、而議授位之事。遂國司。如前所勅、更無改換、宜之厥任、愼爾所治。

(現代語訳・冬十月三日,群臣・伴造に朝廷の庭で饗応された。そして叙位のことを議られた。国司に詔して,「以前に詔したように,改めて変わることなく,任命されたところに赴任して,そのつとめを慎んで行うように」と告げられた)

前後の文脈から・・・朝廷・国司

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(6) 天皇大驚、中大兄曰、不知所作、有何事耶。中大兄、伏地奏曰、鞍作盡滅天宗將傾日位、豈以天孫代鞍作乎。蘇我臣入鹿、更名鞍作。天皇卽起、入於殿中。佐伯連子麻呂・稚犬養連網田、斬入鹿臣。

(現代語訳・天皇は大いに驚き中大兄皇子に,「これはいったい何事がおこったのか」といわれた。中大兄は平伏して奏上し,「鞍作(入鹿)は王子たちをすべて滅ぼして,帝位を傾けようとしています。鞍作(入鹿)をもって天子に代えられましょうか」といった。天皇は経って殿舎の中に入られた。佐伯連子麻呂・稚犬養連網田は入鹿臣を斬った)

前後の文脈から・・・前段に「外国客の儀式」「表文」「大極殿」・しかし主語あり

☆ 九州王朝系の史料を利用して,近畿王朝の出来事のように近畿の史官が作文している

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2021年8月11日 (水)

舒明紀の「詔」について【11】

舒明天皇

(1)(2)九月、葬禮畢之、嗣位未定。當是時、蘇我蝦夷臣、爲大臣、獨欲定嗣位、顧畏群臣不從、則與阿倍麻呂臣議而聚群臣饗於大臣家。食訖將散、大臣令阿倍臣語群臣曰「今天皇既崩无嗣。若急不計、畏有亂乎。今以詎王爲嗣。天皇臥病之日、田村皇子曰、天下大任、本非輙言、爾田村皇子、愼以察之、不可緩。次山背大兄王曰、汝獨莫誼讙、必從群言、愼以勿違。則是天皇遺言焉。今誰爲天皇。」

(現代語訳・九月に葬礼は終わったが,まだ皇位は定まらなかった。このとき,蘇我蝦夷臣は大臣大臣であった。ひとりで皇嗣を決めようと思ったが,群臣が承服しないのではないかと恐れた。不從怖いいれた。阿倍麻呂臣と議り,群臣を集めて大臣の饗応した。食事が終わってさんかいしようとするとき,大臣は阿倍臣に命じ群臣にかたらせて,「いま,天皇はほうぎょされたままで後継者がない。もし速やかにきめなかったら,乱れがあろうかと恐れる。ところで,何れの王を日嗣にすべきであろうか。推古天皇が病臥なさった日に,詔して田村皇子に天下を治めるということは大任である。たやすく言うべきものではない。田村皇子よ,慎重によく物事を見通すようにして,しっかりとやりなさい」と仰せられた。次に山背大兄王に詔して,「お前はやかましく騒いではならぬ。必ず群臣の言葉にしたがって,慎んで道を誤たぬように」といわれた。これが天皇の遺言である。さて,誰を天皇にすべきだろうか )

前後の文脈から・・・近畿王朝内の出来事(次の天皇は誰にするか)

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(3)時群臣默之、無答、亦問之、非答。强且問之。於是、大伴鯨連進曰「既從天皇遺命耳。更不可待群言。」阿倍臣則問曰「何謂也、開其意。」對曰「天皇曷思歟、田村皇子曰天下大任也不可緩。因此而言皇位既定、誰人異言。」時、采女臣摩禮志・高向臣宇摩・中臣連彌氣・難波吉士身刺、四臣曰「隨大伴連言、更無異。」許勢臣大麻呂・佐伯連東人・紀臣鹽手、三人進曰「山背大兄王、是宜爲天皇。」唯、蘇我倉麻呂臣更名雄當臣獨曰「臣也當時不得便言、更思之後啓。」爰大臣知群臣不和而不能成事、退之。

(現代語訳・群臣は答えることがとがなかった。もう一度尋ねたが答えはなかった。強いてまた問うと,大伴鯨連が進み出て,「天皇の遺命のままにすべきでしょう。このうえ群臣の意見を待つまでもないでしょう」といった。阿部氏は「どういうことなのか思うことをはっきり述べよ」といった。答えて,「天皇はどのよう思われて,田村皇子に詔して「天下を治めることは大任である。しっかりやるように」といわれたのでしょう。このお言葉からすれば,皇位は決まったと同じです。誰も異議をいうものはないでしょう」といった。このとき,采女臣摩禮志・高向臣宇摩・中臣連彌氣・難波吉士身刺の四人の臣たちが,「大伴連の言葉の通り,まったく意義はありません」といった。許勢臣大麻呂・佐伯連東人・紀臣鹽手の三人が進みでて,「山背大兄王,この人を天皇とすべきである」といった。ただ,蘇我倉麻呂臣だけは,「私はここで即座に申すことができません。もう少し考えて後に申しましょう。といった。蝦夷大臣は群臣が折り合わず,意見をまとめることは出来ぬと知って退席した

前後の文脈から・・・(1)(2)の続きの場面(次の天皇を誰にするか)

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(4)於是、大臣、得山背大兄之告而不能獨對、則喚阿倍臣・中臣連・紀臣・河邊臣・高向臣・采女臣・大伴連・許勢臣等、仍曲舉山背大兄之語。既而便且謂大夫等曰、汝大夫等共詣於斑鳩宮、當啓山背大兄王曰「賤臣何之獨輙定嗣位、唯舉天皇之遺以告于群臣。群臣並言、如遺言、田村皇子自當嗣位、更詎異言。是群卿言也、特非臣心。但雖有臣私意而惶之不得傳啓、乃面日親啓焉。」

(現代語訳・蝦夷大臣は,山背大兄の訴えに自分からは返答しかねた。阿倍臣・中臣連・紀臣・河邊臣・高向臣・采女臣・大伴連・許勢臣等らをよんで,つぶさに山背大兄の言葉を説明した。そしてまた蝦夷は大夫たちに「大夫たちは共に斑鳩宮に参って,山背大兄王に「賤しい臣(蝦夷)がどうしてたやすく皇嗣を定められましょうか。ただ,天皇の遺詔を群臣につげるだけです。群臣らの言うには天皇の遺嗣のごとくならば田村皇子がどうしても皇嗣になられるべきです。誰も異議はありませぬと。これは群臣の言葉で,私だけの気持ちではありません。私だけの考えがあったとしても,恐れ多くて人づてには申し上げられません。直接お目にかかったときに,親しく申しましょうとこのように申し上げよ」といった

前後の文脈から・・・(3)の続き(次の天皇を誰にするか)

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(5)(6)(7)爰、群大夫等、受大臣之言、共詣于斑鳩宮。使三國王・櫻井臣以大臣之辭啓於山背大兄。時、大兄王、使傳問群大夫等曰「天皇遺奈之何。」對曰、臣等不知其深、唯得大臣語狀、稱、天皇臥病之日、田村皇子曰「非輕輙言來之國政。是以、爾田村皇子、愼以言之、不可緩。」次大兄王曰「汝肝稚、而勿諠言、必宜從群臣言。」是乃、近侍諸女王及采女等、悉知之、且大王所察。」

(現代語訳・そこで大夫たちは,蝦夷大臣の命を受けて,斑鳩宮に参った。三國王・櫻井臣を通じて,山背大兄に大臣の言葉を伝えた。大兄王は,三国王らを通じて大夫らに「天皇の遺詔とはどのようなことだったのか」といわれた。大夫たちは,手前どもは深いことは分かりませぬが,大臣の語っておられるところによると,天皇の病臥された日田村皇子に詔して,「軽々しく行く先の国政のことを言ってはならない。それゆえ田村皇子は,言葉を慎んで心をゆるめないように」と言われ,次に大兄王に詔して,「お前はまだ未熟であるから,あれこれあれこれと言ってはならぬ。群臣の言葉に従いなさい」つ仰せられた。これはお側近くにいた女王および采女などの全部がしていることであり,王も明らかにごぞんじのことであります」といった

前後の文脈から・・・(4)の続き(次の天皇を誰にするか)

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(8)(9)(10)於是、大兄王、且令問之曰「是遺也、專誰人聆焉。」答曰「臣等、不知其密。」既而更亦令告群大夫等、曰「愛之叔父、勞思、非一介之使遣重臣等而教覺、是大恩也。然、今群卿所噵天皇遺命者、少々違我之所聆。吾、聞天皇臥病而馳上之侍于門下。時、中臣連彌氣、自禁省出之曰、天皇命以喚之。則參進向于閤門。亦、栗隈采女黑女、迎於庭中引入大殿。於是、近習者栗下女王爲首、女孺・鮪女等八人、幷數十人侍於天皇之側。且、田村皇子在焉。時、天皇、沈病不能覩我。乃栗下女王奏曰、所喚山背大兄王參赴。卽天皇起臨之曰『朕、以寡薄久勞大業。今曆運將終、以病不可諱。故、汝本爲朕之心腹、愛寵之情不可爲比。其國家大基、是非朕世、自本務之。汝雖肝稚、愼以言。』乃當時侍之近習者、悉知焉。故、我蒙是大恩而一則以懼一則以悲、踊躍歡喜不知所如。仍以爲、社稷宗廟重事也、我眇少以不賢、何敢當焉。當是時思欲語叔父及群卿等、然未有可噵之時、於今非言耳。吾曾將訊叔父之病、向京而居豐浦寺。是日、天皇遣八口采女鮪女、之曰『汝叔父大臣常爲汝愁言、百歲之後嗣位非當汝乎。故、愼以自愛矣。』既分明有是事、何疑也。然、我豈餮天下、唯顯聆事耳。則天神地祇共證之。是以、冀正欲知天皇之遺勅。亦大臣所遣群卿者、從來如嚴矛嚴矛、此云伊箇之倍虛取中事而奏請人等也。故、能宜白叔父。」

(現代語訳・大兄王はまた,「「この遺詔は,誰が聞いたのか」と言われると,「手前たちはそのような機密は存じませぬ」と答えた。そこでまた郡大夫らに,「親愛なる叔父上の思いやりで,一人の使者ではなく,重臣らを遣わし教え諭して下さり,大きな恵みであると思う。しかるに今お前たちの述べる天皇のご遺言は,少々私の聞いていたところとは少し違う。私は天皇が病臥されたとうかがって,急いで禁中に参ったのだ。そのとき中臣連彌氣が中から出てきて言うのに,「天皇がお召しになっています」と。それで内門に入った。栗隈采女黑女が中庭に迎えて,大殿に案内した。入ってみると,近習の栗下女王を首として女孺・鮪女ら八人と,全部では數十人のものが天皇のお側ちかくにいた。また田村皇子もおられた。天皇は病が重くて,私をご覧になれなかった。栗下女王が奏上して,「お召の山背大兄王が參りました」というと,天皇身を起こして詔りされ,『自分はつたない身で久しく大業をつとめてきた。しかし今まさに終わろうとしている。病は避けることができない。お前はもとから私と心の通じ合った仲である。寵愛の心は他に比べる者がない。皇位が国家にとって大切なことは,いまの世に限ったことではない。お前はまだ心が未熟であるから言葉は慎重にするように」と言われた。そこに侍っていた近習の者は皆知っている。それで自分はこの有難い言葉を頂いて,一度は恐れ,一度は悲しく思った。しかし心は躍り上がり,感激して為すところを知らぬ有様であった。思うに天子として国を治めることは重大なことである。自分は若くも賢くもない。どうして大任に当れようか。このとき叔父や群卿らに話そうと思ったが,いうべき時がなく,今日まで言えなかった。自分はかつて叔父の病気を見舞おうと思って,都に行き,豊浦寺にいたことがある。この日,天皇は八口采女鮪女を遣わして詔りされ,『お前の叔父の大臣は,常にお前のことを心配していつかはきっと皇位がお前に行くのではなかろうか,といっていた。だから行いを慎み自愛するように」と仰せられた。すでにはっきりとこんなことがあったので,何を疑おうか。しかし自分は,天下をむさぼる気はない。ただ自分が聞いたことを明らかにするだけである。天神地祇も証明しておられる。こういう訳で,天皇の遺勅を知りたく思った。また大臣の遣わした郡卿は,もとより厳矛をまっすぐに立てるように,臣下の申し上げる公正に伝えることを務めとする人々である。それ故よく叔父に申し伝えてほしい」といわれた

前後の文脈から・・・(7)の続き(次の天皇を誰にするか)

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(11)十一年春正月乙巳朔壬子、車駕還自温湯。乙卯、新嘗、蓋因幸有間以闕新嘗歟。丙辰、無雲而雷。丙寅、大風而雨。己巳、長星見西北、時旻師曰「彗星也、見則飢之。」秋七月曰、今年、造作大宮及大寺。則以百濟川側爲宮處。

(現代語訳・十一年春一月八日,天皇の一行は有馬から帰えられた。十一日新嘗の祀りを行われた。有馬に行幸しておられ,新嘗を行われなかったようである。十二日,天に雲がないのに,雷が鳴った。二十二、,大風が吹いて,雨が降った罠師が「彗星である。これが現われると,凶作になる」といわれた、。秋七月,詔して,「今年、大宮と大寺を造らせる」といわれた。百済川のほとりを宮の地とした )

前後の文脈から・・・主語なし・前年に「百済・新羅・任那が朝貢してきた」という記事

☆ 九州王朝の史料の盗用によるものではないか

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2021年8月 9日 (月)

推古紀の「詔」について【11】

(1)二年春二月丙寅朔、皇太子及大臣令興隆三寶。是時、諸臣連等各爲君親之恩競造佛舍、卽是謂寺焉。

(現代語訳・二年春二月一日,皇太子と大臣に詔して,仏教も交流を図られた。このとき,多くの臣・たちは,公也親の恩に報いるため,きそって仏舎を造った。これを寺という )

前後の文脈から・・・主語なし・594年

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(2)九年春二月、皇太子初興宮室于斑鳩。三月甲申朔戊子、遣大伴連囓于高麗、遺坂本臣糠手于百濟、以之曰、急救任那。夏五月、天皇居于耳梨行宮。是時大雨、河水漂蕩、滿于宮庭。秋九月辛巳朔戊子、新羅之間諜者迦摩多到對馬、則捕以貢之、流上野。冬十一月庚辰朔甲申、議攻新羅。

(現代語訳・九年春二月、皇太子は初めて宮を斑鳩に建てられた。三月五日,大伴連囓を高麗に遣わし,坂本臣糠手を百濟に遣わし詔して,「速やかに任那を救え」といわれた。夏五月,天皇は耳梨の行宮においでになった。この時大雨が降り,河の水が溢れて宮庭に満ちた。秋九月八日,新羅の間諜の迦摩多が對馬来た。それを捕えて朝廷に送った。そして上野国に流した。冬十一月五日に,新羅を攻めることを議った。

前後の文脈から・・・主語なし・百済への派遣・上野国へ流す・新羅を攻める

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(3)(4)十二年春正月戊戌朔、始賜冠位於諸臣、各有差。夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。・・・
三曰。承必謹。君則天之、臣則地之。天覆地載、四時順行萬氣得通、地欲覆天則致壞耳。是以、君言臣承、上行下靡。故承必愼、不謹自敗。

(現代語訳・十二年春一月一日,はじめて冠位を諸臣に賜り,それぞれ位づけされた。夏四月三日,皇太子ははじめて自ら十七条憲法を作られた。・・・
三にいう。天皇の詔を受けたら必ずつつしんで従え。君を天とすれば,臣は地である。天は上を覆い,地は万物を載せる。四季が正しく移り,万物を活動させる。もし地が天を覆うようなことがあれば,秩序は破壊されてしまう。それ故に君主のを臣下がよく承り,上行がえば,下はそれに従うのだ。だから詔を受けたら必ずそれに従え。従わなければ結局自滅するだろう )

前後の文脈から・・・主語なし・憲法を造れるのは天子のみ

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(5)秋九月、改朝禮。因以之曰「凡出入宮門、以兩手押地、兩脚跪之。越梱則立行。」

(現代語訳・秋九月,朝廷の礼法をあらためた。よって詔して,「およそ宮門を出入りするときは,、兩手を大地につけ,兩脚を跪ずいて敷居を越えてから,立って歩け」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし・朝廷

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(6)十三年夏四月辛酉朔、天皇、皇太子大臣及諸王諸臣、共同發誓願、以始造銅繡丈六佛像各一軀。乃命鞍作鳥、爲造佛之工。是時、高麗國大興王、聞日本國天皇造佛像、貢上黃金三百兩。閏七月己未朔、皇太子命諸王諸臣、俾着褶。冬十月、皇太子居斑鳩宮。

(現代語訳・十三年夏四月一日,天皇は皇太子・大臣・諸臣に詔され,共に等しく誓願を立てることにし,はじめて銅と繡との丈六佛像各一体を造りはじめた。鞍作鳥に命じて造仏の工とされた。この時,高麗國の大興王は,日本の天皇が仏像を造られると聞いて,黃金三百兩たてまつった )

前後の文脈から・・・主語あり

☆ 近畿王朝の士官の作文

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(7)十五年春二月庚辰朔、定壬生部。戊子、曰「朕聞之、曩者、我皇祖天皇等宰世也、跼天蹐地、敦禮神祗、周祠山川、幽通乾坤。是以、陰陽開和、造化共調。今當朕世、祭祠神祗、豈有怠乎。故、群臣共爲竭心、宜拜神祗。」甲午、皇太子及大臣、率百寮以祭拜神祗。

(現代語訳・十五年春二月一日,壬生部が設けられた。九日詔して,「古来,わが皇祖の天皇たちが,世を治めたもうのに,つつしんで厚く神を神祇を敬われ,山河の神々を祀り,神々の心を天地に通わされた。これにより陰陽相和し,神々のみわざも順調に行われた。今我が世においても,神祇の祭祀を怠ることがあってはならぬ。群臣は心を尽くして,よく神祇を拝するように」といわれた。十五日,皇太子と大臣は,百寮を率いて神祇を祀り拝された )

前後の文脈から・・・主語なし・詩経や尚書からの活用

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(8)卅二年夏四月丙午朔戊申、有一僧、執斧毆祖父。時天皇聞之召大臣、之曰「夫出家者、頓歸三寶、具懷戒法。何無懺忌輙犯惡逆。今朕聞、有僧以毆祖父。故、悉聚諸寺僧尼、以推問之。若事實者、重罪之。」於是、集諸僧尼而推之。則惡逆僧及諸僧尼並將罪。

(現代語訳・三十二年夏四月三日,一人の僧が斧で祖父を打った。天皇は大臣を召し詔して,「出家した者は,三宝に帰し,戒律を守るのに,何でためらいもなく,簡単な悪逆の罪を犯したのだろう。聞くところでは,僧が斧で祖父を打ったという。諸寺の僧尼をすべて集めて,よく調べよ。もし事実なら重く罰せねばならぬ」といわれた」諸寺の僧尼を集め調べ,惡逆の行為の僧尼を処罰されようとした )

前後の文脈から・・・主語あり・「日本における最初の仏教統制機関の成立の事情を記す」と注にある。

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(9)天皇乃聽之。戊午、曰「夫道人尚犯法、何以誨俗人。故、自今已後、任僧正僧都、仍應檢校僧尼。

(現代語訳・天皇は百済の僧の意見を聞いて,十三日に詔して,「道を修める人も,法を犯すことがある。これでは何によって俗人に教えられようか。今後,僧正・僧都などを任命して,僧尼を統べることにする」といわれた。 )

前後の文脈から・・・(8)の続きの話

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(10)於是、天皇曰「今朕則自蘇何出之、大臣亦爲朕舅也。故大臣之言、夜言矣夜不明、日言矣則日不晩、何辭不用。然今朕之世、頓失是縣、後君曰、愚癡婦人臨天下以頓亡其縣。豈獨朕不賢耶、大臣亦不忠。是、後葉之惡名」則不聽。

(現代語訳・ すると天皇が仰せられるのには,「今自分は蘇我氏から出ている。馬子大臣は私の舅である。故に大臣の言うことは,夜に申せば夜の中に,朝に申せば日の暮れぬ中に,どんなことでも聞き入れてきた。しかし今わが治世に,急にこの県を失ったら,後世の帝が,「愚かな女が天下に公として臨んたため,ついにその県を滅ぼしてしまった」と言われるだろう。ひとり私が不明であったとされるばかりかか大臣も不忠とされ,後世に惡名を遺すことになるだろう」として許されなかった。

前後の文脈から・・・主語あり

☆ 近畿王朝の史料によると考える

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(11)先是、天皇遺於群臣曰「比年五穀不登、百姓大飢。其爲朕興陵以勿厚葬、便宜葬于竹田皇子之陵。」壬辰、葬竹田皇子之陵。

(現代語訳・これより先,天皇群臣に,「この頃,五穀が実らず,百姓は大いに飢えている。私のために陵を建てて,厚く葬ってはならぬ。ただ竹田皇子のの陵に葬ればよろしい」といい残されたので,二十四日,竹田皇子の陵に葬った )

前後の文脈から・・・主語あり・遣詔=遺言

☆ 近畿王朝の史料によるのではないか

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2021年8月 8日 (日)

用明紀~崇峻紀の「詔」について 【10】

用明天皇

(1)九月甲寅朔戊午、天皇卽天皇位。宮於磐余、名曰池邊雙槻宮。以蘇我馬子宿禰爲大臣、物部弓削守屋連爲大連、並如故。壬申、曰、云々。以酢香手姬皇女、拜伊勢神宮奉日神祀。是皇女、自此天皇時逮乎炊屋姬天皇之世、奉日神祀。

(現代語訳・九月五日に用明天皇は即位された。磐余の地に宮をつくられた。名づけて邊雙槻宮という。蘇我馬子宿禰を大臣とし,物部弓削守屋を大連とすることはもとの通りであった。十九日に詔して,「云々」といわれた。酢香手姬皇女を伊勢神宮に遣わし,斎宮として仕えさせた

前後の文脈から・・・主語なし・「詔日,云々」は,近畿王朝の記録にないということではないか

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか 

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(2)(3)(4)二年夏四月乙巳朔丙午、御新嘗於磐余河上。是日、天皇得病還入於宮、群臣侍焉。天皇群臣曰「朕思欲歸三寶、卿等議之。」群臣入朝而議、物部守屋大連與中臣勝海連、違議曰「何背國神、敬他神也。由來不識若斯事矣。」蘇我馬子宿禰大臣曰「可隨而奉助、詎生異計。」於是、皇弟皇子皇弟皇子者、穴穗部皇子、卽天皇庶弟引豐國法師闕名也入於內裏。物部守屋大連、耶睨大怒。

(現代語訳・二年夏四月二日,磐余の河上で,新嘗の大祭が行われた。この日天皇は病にかかられて宮中に替えられた。群臣はおそばに侍り,天皇は群臣にいわれた。「自分は仏・法・僧の三宝に帰依したいと思う。卿らもよく考えて欲しい」と。群臣は参内して相談した。物部守屋大連と中臣勝海連は,勅命の会議に反対して,「どうして国つ神に背い,他国の神を敬うことがあろうか。大体ここのようなことは今まで聞いたことがない」といった。蘇我馬子宿禰大臣は,「詔に従ってご協力すべきである。誰がそれ以外の相談をすることになろうか」といった。穴穗部皇子は,豐國法師をつれて內裏にはいられた。。物部守屋大連はこれを睨んで大いに怒った )

前後の文脈から・・・神仏の件の続き

☆ 近畿王朝の史料によるものと考える

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崇峻天皇

(5)六月甲辰朔庚戌、蘇我馬子宿禰等、奉炊屋姬尊、佐伯連丹經手・土師連磐村・的臣眞嚙曰「汝等、嚴兵速往、誅殺穴穗部皇子與宅部皇子。」是日夜半、佐伯連丹經手等、圍穴穗部皇子宮。於是、衞士先登樓上、擊穴穗部皇子肩。皇子落於樓下走入偏室、衞士等舉燭而誅。辛亥、誅宅部皇子宅部皇子。)

(現代語訳・六月七日,蘇我馬子宿禰らは,炊屋姬尊を奉じて,佐伯連丹經手・土師連磐村・的臣眞嚙に詔して,「お前達,兵備を整え急行しし,穴穗部皇子と宅部皇子を殺せ」と命じた )

前後の文脈から・・・神仏の件の続き

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(6)(7)四年夏四月壬子朔甲子、葬譯語田天皇於磯長陵、是其妣皇后所葬之陵也。秋八月庚戌朔、天皇群臣曰「朕思欲建任那、卿等何如。」群臣奏言「可建任那官家、皆同陛下所 。」

(現代語訳・四年夏四月十三日,敏達天皇を磯長陵に葬った。これはその母の皇后の葬られた陵である。秋八月一日,天皇は群臣に,「自分は新羅に滅ぼされた任那を再建したいと思うが,たちはどう思うか。」とお尋ねになった。群臣はお答えしていった。「任那の官家を復興すべきであります。みな陛下の思し召しと同じです。」

前後の文脈から・・・主語あり

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか。

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(8)(9)五年冬十月癸酉朔丙子、有獻山猪、天皇指猪曰「何時、如斷此猪之頸斷朕所嫌之人。」多設兵仗、有異於常。壬午、蘇我馬子宿禰、聞天皇所、恐嫌於己。招聚儻者、謀弑天皇。是月、起大法興寺佛堂與步廊。

(現代語訳・五年冬十月四日,猪を奉る者があった。天皇は猪を指さしておっしゃった。「いつの日かこの猪の頸を斬るように,自分がにくいと思うところの人を斬りたいものだ」と。)

前後の文脈から・・・主語あり

☆ 近畿天皇家の史料によるものではないか。

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(10)十一月癸卯朔乙巳、馬子宿禰、詐於群臣曰「今日、進東國之調。」乃使東漢直駒弑于天皇。或本云、東漢直駒、東漢直磐井子也。是日、葬天皇于倉梯岡陵。或本云、大伴嬪小手子、恨寵之衰、使人於蘇我馬子宿禰曰「頃者有獻山猪、天皇指猪而曰、如斷猪頸何時斷朕思人。且於內裏大作兵仗。」於是、馬子宿禰聽而驚之。

(現代語訳・十一月三日,馬子宿禰は群臣をだましていう野には,「今日東の國から調を奉ってくると」と。そして東漢直駒を使って天皇を弑してたてまつった。ある本には,東漢直駒は,東漢直磐の子であるとある。この日,天皇を于倉梯陵に葬むった。。またある本には,大伴嬪小手子が,寵愛の衰えたことを恨んで,人を蘇我馬子宿禰のもとに送り,「この頃獻山猪を奉ったもの者がありました。天皇は猪を指さして,「猪を指さして,何時の日火,自分が思っているある人を斬りたい」と言われ又。また內裏に多くの武器を集めておられます」とつげた。これを聞いて馬子宿禰大変驚いたとある。 )

前後の文脈から・・・主語あり

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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2021年8月 6日 (金)

敏達紀の「詔」について【13】

敏達天皇

(1)丙辰、天皇、執高麗表䟽、授於大臣、召聚諸史令讀解之。是時、諸史、於三日內皆不能讀。爰有船史祖王辰爾、能奉讀釋。由是、天皇與大臣倶爲讚美曰「勤乎辰爾、懿哉辰爾。汝、若不愛於學、誰能讀解。宜從今始近侍殿中。」既而、東西諸史曰「汝等、所習之業、何故不就。汝等雖衆、不及辰爾。」 天皇與大臣倶爲讚美曰「勤乎辰爾、懿哉辰爾。汝、若不愛於學、誰能讀解。宜從今始近侍殿中。」既而、東西諸史曰「汝等、所習之業、何故不就。汝等雖衆、不及辰爾。」

(現代語訳・・・ 十五日,天皇は高麗の国書をとって大臣に授けられた。そして多くの史を召し集めて解読させられた。この時史たちは三日かかっても誰も読むことができなかった。そのとき船史の祖先,王辰爾が読み解いて奉ったので,「よくやった。辰爾。立派なことだ。お前がもし学問に親しんでいなかったら,誰もこの文章を読み得たろうか。今後は殿内に侍って仕えるように」といわれた。そして東西の史に,「お前たちの習業はまだ足りない。お前たちの数は多いが,辰爾一人に及ばないではないか」といわれた )

前後の文脈・・・主語なし・国書

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(2)冬十月戊子朔丙申、遣蘇我馬子大臣於吉備國、増益白猪屯倉與田部。卽以田部名籍、授于白猪史膽津。戊戌、船史王辰爾弟牛、賜姓爲津史。十一月、新羅遣使進調。

(現代語訳・冬十月九日,蘇我馬子大臣を吉備國に遣わして,白猪の屯倉と田部の農民を殖やされた。田部の名籍を白猪膽津に授けられた。十一日,船史王辰爾の弟・牛に詔され,姓を賜って津史とされた。十一月,新羅が使いを遣わして調をたてまつった )

前後の文脈・・・吉備は九州王朝の版図。新羅が使いを贈る相手は九州王朝

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(3)二月壬辰朔、馬子宿禰大臣還于京師、復命屯倉之事。乙丑、百濟遣使進調、多益恆歲。天皇、以新羅未建任那、皇子與大臣曰、莫懶懈於任那之事。

(現代語訳・二月一日,馬子宿禰大臣は京に帰り,屯倉のことを復命された。十一日,百濟が使いを遣わして調をたてまつった。超は例年よりも多かった。天皇は,皇子と大臣とに詔して,「任那のことを怠らないように」といわれた )

前後の文脈・・・京師は都・任那

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(4)五年春三月五年春三月己卯朔戊子、有司請立皇后、 立豐御食炊屋姬尊、爲皇后。

(現代語訳・五年春三月十日,役人が皇后を立てられるよう申し上げた。そこで詔して,豐御食炊屋姬尊を皇后とした )

前後の文脈・・・主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用と思われる。

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(5)六年春二月一日,置日祀部・私部。夏五月癸酉朔丁丑、遣大別王與小黑吉士、宰於百濟國。

(現代語訳・六年春二月一日,詔により日祀部と私部を置いた。夏五月五日,大別王と小黑吉士を遣わして,百濟國の宰とした。 )

前後の文脈・・・主語なし・百済国の宰

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(6)十年春潤二月、蝦夷數千冦於邊境。由是、召其魁帥綾糟等魁帥者、大毛人也曰「惟、儞蝦夷者、大足彥天皇之世合殺者斬應原者赦。今朕遵彼前例、欲誅元惡。」於是、綾糟等、懼然恐懼、乃下泊瀬中流、面三諸岳、歃水而盟曰「臣等蝦夷、自今以後子々孫々古語云、生兒八十綿連用淸明心、事奉天闕。臣等若違盟者、天地諸神及天皇靈、絶滅臣種矣。」

(現代語訳・十年春潤二月,蝦夷數千が辺境を犯し荒らした。これによりその首領らを召して詔され,「思うに,お前たち蝦夷らを景行天皇の御代に討伐され,殺すべきものは殺し,許すべきものは許した。今,自分は前例に従って首領者である者は殺そうと思う其といわれた。綾糟ら畏れかしこみ,泊瀬川の川中に入り水をすすって,三輪山に向かい誓って,「私ども蝦夷、自今は,今から後,子々孫々に至るまで,清く明るい心をもって,帝にお仕え致します,もし誓いに背いたら,天地の諸神と天皇の霊に,私どもの種族は絶滅されるでしょう」といった

前後の文脈・・・初瀬川・三輪山は近畿の地名だが,景行天皇のことが出て来るし,主語なし

☆ 九州王朝の説話かもしれない。

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(7)十二年秋七月丁酉朔、曰「屬我先考天皇之世、新羅滅內官家之國。天國排開廣庭天皇廿三年、任那爲新羅所滅、故云新羅滅我內官家也。先考天皇謀復任那、不果而崩、不成其志。是以、朕當奉助神謀復興任那。   今在百濟、火葦北國造阿利斯登子達率日羅、賢而有勇。故、朕欲與其人相計。」乃遣紀國造押勝與吉備海部直羽嶋、喚於百濟。冬十月、紀國造押勝等還自百濟、復命於朝曰「百濟國主、奉惜日羅、不肯聽上。」

(現代語訳・十二年秋七月一日,詔して,「なき父,欽明天皇の御代に手,新羅は任那の内官家を滅ぼした。。欽明天皇二十三年に,任那は新羅はわが內官家を滅ぼしたというのである。欽明天皇は,任那の回復を図られた。しかし果たされないで亡くなられたのである。それで自分は尊い計画をお助けして,任那を復興しようと思う )

前後の文脈・・・主語なし・外国関係記事(侵略計画)

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(8)天皇、贄子大連・糠手子連令收葬於小郡西畔丘前、以其妻子・水手等居于石川。於是、大伴糠手子連議曰「聚居一處、恐生其變。」乃以妻子居于石川百濟村、水手等居于石川大伴村。收縛德爾等、置於下百濟阿田村。遣數大夫推問其事、德爾等伏罪言「信是、恩率・參官教使爲也。僕等、爲人之下不敢違矣。」由是、下獄、復命於朝庭。

(現代語訳・天皇は、贄子大連・糠手子連に詔して,小郡の西の畔の丘の先に,収め葬るよう,その妻子・水手らを石川に住まわせるととせたが,大伴糠手子連が議って,「一か所に纏めておいては,恐らく何か変事を起こすかも知れません」といった。そこで妻子は石川百濟村に置き,水夫らを石川大伴村に置いた。德爾らを捕縛して、下百濟の河田村に置いた。大夫たちを遣わして尋問した。德爾らは罪を認めて,「本当でございます。これは恩率・參官が教えてさせたのです。私たちは部下として,命令に背けなかったのです」といった。これにより,獄舎に下して,朝廷に報告した。

前後の文脈・・・主語あり・朝廷

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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(9)(10)十四年春二月戊子朔壬寅、蘇我大臣馬子宿禰、起塔於大野丘北、大會設齋。卽以達等前所獲舍利、藏塔柱頭。辛亥、蘇我大臣患疾。問於卜者、卜者對言「祟於父時所祭佛神之心也。」大臣卽遣子弟、奏其占狀。曰「宜依卜者之言、祭祠父神。」大臣奉、禮拜石像、乞延壽命。是時、國行疫疾、民死者衆。

(現代語訳・十四年春二月十五日,蘇我大臣馬子宿禰は,塔を大野丘の北に建てて,法会の設齋を行った。先に達らが得た舍利を、塔の心柱の下に埋めた。二十四日に蘇我大臣は病気になった。卜者に占わせると,卜者は,「父の時に祀った仏に祟られています」といった。大臣は子弟を遣わして,その占いに表われた亀裂の形を奏上した。詔帝は「卜者の言葉に従って父のあがめられて仏をお祀りするように」といわれた。大大臣はおおせに従い,石像を礼拝し,寿命を延べ給えとお祈りした。このとき国内に疫病かおこって人民の死ぬ者が多かった )

前後の文脈・・・神仏の話題がまだ続いている

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(11)三月丁巳朔、物部弓削守屋大連與中臣勝海大夫、奏曰「何故不肯用臣言。自考天皇及於陛下、疫疾流行、國民可絶。豈非專由蘇我臣之興行佛法歟。」曰「灼然、宜斷佛法。」丙戌、物部弓削守屋大連自詣於寺、踞坐胡床、斫倒其塔、縱火燔之、幷燒佛像與佛殿。既而取所燒餘佛像、令棄難波堀江。

(現代語訳・三月一日,物部弓削守屋大連と中臣勝海大夫は奏上して,「どうして私どもの申し上げたことをお用いにならないのでしょうか。欽明天皇より陛下の代に至るまで,疫病が流行し,国民も死に絶えそうなのは,ひとえに蘇我氏に仏法を広めたことによるものでに相違ありませぬ」といった。天皇は詔して,「これは明白である。早速仏法をやめよ」といわれた。三十日,物部弓削守屋大連は自ら寺に赴き,床几に胡坐をかき,その塔を切り倒させ,火をつけて焼いた。同時に仏像と仏殿も焼いた。焼け残った仏像を集めて,難波の既而取所燒餘佛像、令棄難波堀江。

前後の文脈・・・神仏の話の続き・主語なし

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(12)天皇、思建任那、差坂田耳子王、爲使。屬此之時、天皇與大連卒患於瘡、故不果遣、橘豐日皇子曰「不可違背考天皇勅、可勤修乎任那之政也。」又發瘡死者充盈於國、其患瘡者言「身、如被燒被打被摧」啼泣而死。老少竊相謂曰「是、燒佛像之罪矣。」

(現代語訳・天皇は任那の再興を考え,坂田耳子王を使いに選ばれた。このとき天皇と大連が急に疱瘡に冒された。それで遣わされるのをやめた。橘豐日皇子に詔して,「先帝の勅に背かぬように,任那復興の政策を怠るな」といわれた。疱瘡で死ぬ者が国に満ちた。その瘡を病む者が,「体が焼かれ,うちくだかれるように苦しい」といって泣き叫びながら死んでいった。老いも若きもひそかに語り合って,「これは仏像を焼いた罪だろう」と言った

前後の文脈・・・神仏の件の続き

☆ 近畿王朝の史料と考える

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(13)夏六月、馬子宿禰奏曰「臣之疾病至今未愈、不蒙三寶之力難可救治。」於是、馬子宿禰曰「汝可獨行佛法、宜斷餘人。」乃以三尼還付馬子宿禰。馬子宿禰、受而歡悅嘆未曾有、頂禮三尼、新營精舍迎入供養。或本云、物部弓削守屋大連・大三輪逆君・中臣磐余連、倶謀滅佛法、欲燒寺塔幷棄佛像。馬子宿禰、諍而不從。

(現代語訳・夏六月、馬子宿禰が奏上して,「私の病気が重く,いまに至るもなおりません。仏の力を蒙らなくては,治ることは難しいでしょう」といった。そこで,馬子宿禰に詔して,「お前一人で仏法を行いなさい。他の人にはさせてはならぬ」といわれた。三人の尼を馬子宿禰に返し渡された。馬子宿禰は,これを受けて喜んだ。珍しいことだと感歎し,三人の尼を拝んだ。新しく寺院を作り,仏像を迎え入れ供養した。ある本にはー物部弓削守屋大連・大三輪逆君・中臣磐余連が仏教を滅ぼそうと共謀し,寺塔を焼き仏像を捨てようとしたが,馬子宿禰が反対し,それをさせなかったという )

前後の文脈・・・神仏の件の続き

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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2021年8月 4日 (水)

甲斐国分寺に行こうとしたが・・・

「肥さんの夢ブログ」に上記の記事を書きました。

多元的「国分寺」研究に関係するものですのでリンクします。

【甲斐国分寺に行こうとしたが・・・】

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/08/post-6012f3.html?cid=143221833#comment-143221833

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【川瀬さんの分類】

【川瀬さんの案】(写真が入れられなくてすいません)

素弁・・・1

単弁・・・なし

複弁・・・2,4,5,6

リバイバル単弁:7・8(本にも「平城宮出土瓦に似ている」と指摘されていました)
重圏文軒丸瓦:3(重圏文であることは本でも指摘されていました)

巴文・・・なし

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2021年8月 1日 (日)

欽明紀の「詔」について【44】 (40/44が「盗用」か)

欽明天皇

 

(1)元年春正月庚戌朔甲子、有司請立皇后、曰、立正妃武小廣國押盾天皇女石姬爲皇后。是生二男一女、長曰箭田珠勝大兄皇子、仲曰譯語田渟中倉太珠敷尊、少曰笠縫皇女。更名狹田毛皇女。

(現代語訳・元年春一月十五日,有志たちが皇后をお立てになるようにお願いしたところ,詔して「正妃の宣化天皇の女・石姬を立てて皇后としよう」と仰せられた。二男一女をうまれた)

前後の文脈・・・主語なし

☆ 九州王朝系史料の盗用と考える。

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(2)於是、大伴大連金村、居住吉宅、稱疾不朝。天皇、遣靑海夫人勾子、慰問慇懃。大連怖謝曰「臣所疾者、非餘事也。今諸臣等謂臣滅任那。故恐怖不朝耳。」乃以鞍馬贈使、厚相資敬。靑海夫人、依實顯奏、曰「久竭忠誠、莫恤衆口。」遂不爲罪、優寵彌深。是年也、太歲庚申。

(現代語訳・こんなこと(任那を失ったこと)のために,大伴金村は住吉の家にこもり,病と称して出仕しなかった資しなかった。・・・詔して,「忠誠の心をもって,長らく公に尽くしたのだから,人の噂を気にしなくてもよい」と仰せられた。ついに罪とはされず,いっそう手厚く待遇された)

前後の文脈・・・外国関係の記事

☆ 九州王朝系史料の盗用と考える。

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(3)(4)夏四月、安羅で次旱岐夷呑奚・大不孫・久取柔利・加羅上首位古殿奚・卒麻旱岐・散半奚旱岐兒・多羅下旱岐夷他・斯二岐旱岐兒・子他旱岐等、與任那日本府吉備臣闕名字、往赴百濟、倶聽書。百濟聖明王、謂任那旱岐等言「日本天皇所者全以復建任那、今用何策起建任那、盍各盡忠奉展聖懷。」任那旱岐等對曰「前再三𢌞與新羅議、而無答報。所圖之旨、更告新羅、尚無所報。今宜倶遣使往奏天皇。夫建任那者爰在大王之意、祗承教旨、誰敢間言。然、任那境接新羅、恐致卓淳等禍。」等、謂㖨己呑・加羅。言、卓淳等國有敗亡之禍。

(現代語訳・夏四月,安羅で次旱岐夷呑奚・大不孫・久取柔利,加羅の上首位古殿奚・卒麻旱岐・散半奚旱岐兒・多羅下旱岐夷他・斯二岐の旱岐の子・子他旱岐らと、任那の日本府の吉備臣(闕名字)が赴百濟に行って,共に詔書。をうけたまわった。百済の聖明王は任那の旱岐らに語って,「日本の天皇の意志は,もっぱら任那の回復を図りたいということである。どんな策によって任那を再建できるだろうか。皆が忠誠を尽くして御心を安んじようではないか」といった )

前後の文脈・・・外国関係の記事

☆ 九州王朝系の史料の盗用と考える。

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(5)今天皇稱、速建任那。由是、欲共爾曹謨計樹立任那國、宜善圖之。

(現代語訳・天皇が,「速やかに任那を再興させよう」と仰せられるので・・・任那の再建を考えたい

前後の文脈・・・外国関係の記事・主語あり

☆ 九州王朝系の記事を使って近畿王朝の史官がが作文したと考えた

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(6)蓋聞、爲人後者、貴能負荷先軌、克昌堂構、以成勳業也。故、今追崇先世和親之好、敬順天皇 故、今追崇先世和親之好、敬順天皇勅之詞、拔取新羅所折之國南加羅・㖨己呑等、還屬本貫、遷實任那、永作父兄、恆朝日本。

(現代語訳・世の中でもあとをつぐ人は,父祖の行を担って,それを盛んにし,功績を成し遂げることを喜ぶ。だから今からでも,先祖の図った親交を尊重し,天皇の詔勅に従って,新羅が掠めとった国,南加羅・とくことんらを奪いかえし,もとの任那に返し,日本を父とも兄とも立てて,永く仕えようと考えている)

前後の文脈・・・外国関係の記事

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(7)(8)(9)(10)聖明王更謂任那日本府曰「天皇稱『任那若滅汝則無資、任那若興汝則有援。今宜興建任那、使如舊日、以爲汝助、撫養黎民。』謹承勅、悚懼塡胸、誓效丹誠、冀隆任那、永事天皇、猶如往日。先慮未然、然後康樂。今日本府、復能依救助任那、是爲天皇所必褒讚・汝身所當賞祿。又日本卿等、久住任那之國、近接新羅之境、新羅情狀亦是所知。毒害任那、謨防日本、其來尚矣、匪唯今年。而不敢動者、近羞百濟、遠恐天皇、誘事朝庭、偽和任那。如斯感激任那日本府者、以未禽任那之間、偽示伏從之狀。願今候其間隙、估其不備、一舉兵而取之。天皇勅、勸立南加羅・㖨己呑、非但數十年。而新羅一不聽命、亦卿所知。且夫信敬天皇、爲立任那、豈若是乎。恐卿等輙信甘言、輕被謾語、滅任那國、奉辱天皇。卿其戒之、勿爲他欺。

(現代語訳・聖明王はまた任那の日本府に語り,「天皇は詔して,『任那がもし滅んだら,汝の依りどころを失う。任那が興れば汝の助けにもなろう。今,任那をもとのごとく興し、汝の助毛として,人民を満足させよ』と仰せられた。勅を賜り胸いっぱいである。誠心を尽くして任那を栄えさせたい。天皇に仕えることは昔のように,今後のことを充分配慮し,はじめて安奉がある。今,日本府が詔のまま任那を救えば,天皇からもほめられ賞録もあろう。日本の諸卿は永く任那の国にあっい,新羅に交わり,新羅の実情はご存じである。任那を侵し,日本の力をはばもうとするのは久しいもので,今年のみではない。だがあえて新羅が動いていないのは,近くは百済を警戒し,遠くは天皇を恐れてである。          朝廷を巧みに操り,偽って任那と親しくしている。新羅が任那の日本府に取り入っているのは,まだ任那を取れないから偽装しているのである。今その隙間をうかがい兵をあげ討ちとるのがよい。天皇が南加羅・㖨己呑を建てよと勧められることは近年だけのことではない。新羅がその命に従わぬことは卿らもよく知っている。天皇の詔を承って,任那をたてるためにこのままにこのままでよいことはない。卿らが甘言を信じて偽りにのせられ,任那国を滅ぼし,天皇を辱めたてまつることのないよう充分慎んで欺かれないように」といった )

前後の文脈から・・・外国関係の記事

☆ 九州王朝系の史料の盗用と考える

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(11)(12)(13)冬十一月丁亥朔甲午、遣津守連、百濟曰「在任那之下韓、百濟郡令・城主、宜附日本府。」幷持書、宣曰「爾、屢抗表、稱當建任那、十餘年矣。表奏如此、尚未成之。且夫任那者爲爾國之棟梁、如折棟梁、詎成屋宇。朕念在茲、爾須早建。汝若早建任那、河內直等河內直已見上文自當止退、豈足云乎。」是日、聖明王聞宣勅已、歷問三佐平內頭及諸臣、曰「勅如是、當復何如。」三佐平等答曰「在下韓之我郡令・城主、不可出之。建國之事、宜早聽聖勅。」

(現代語訳・冬十一月八日,津守連を遣わして百濟に詔し,「任那の下韓にある百濟の郡令・城主は,日本府に帰属させる」といわれ,併せて詔書を持たせて,「王はしばしば書をたてまつって,今にも任を立てるように言い,十余年になる。申すことはこのようながら,いまだに出来ない。任那は爾の国の柱である。柱が折れては誰が家を建てられようか。これが心配だ。早く任那を復興せよ。もし早く復興したら河內直らが引き上げることはいうまでもない」と。この日,聖明王は,勅を承り終わって,三人の佐平內頭と諸臣につぎつぎに尋ねた。「詔勅はかくのごとくである」と。三人の佐平らは答えて,「下韓のわが郡令・城主を引き上げることはできません。任那の国を復興させることは早速に,天皇の勅に従うべきでしよう」といった )

前後の文脈・・・外国関係の記事

☆ 九州王朝系の史料の盗用と考える

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(14)(15)(16)十二月、百濟聖明王、復以前、普示群臣曰「天皇勅如是、當復何如。」上佐平沙宅己婁・中佐平木刕麻那・下佐平木尹貴・德率鼻利莫古・德率東城道天・德率木刕昧淳・德率國雖多・奈率燕比善那等、同議曰「臣等、禀性愚闇、都無智略。建任那、早須奉勅。今宜召任那執事・國々旱岐等、倶謀同計、抗表述志。又河內直・移那斯・麻都等猶住安羅、任那恐難建之。故亦幷表、乞移本處也。」聖明王曰「群臣所議、甚稱寡人之心。」是月、乃遣施德高分、召任那執事與日本府執事。倶答言「過正旦而往聽焉。」

(現代語訳・十二月,百濟の聖明王はまた先の詔をもって,あまねく群臣に示して,「天皇の勅はかくのごとくである。いかにすべきか」と尋ねた。上佐平沙宅己婁・中佐平木刕麻那・下佐平木尹貴・德率鼻利莫古・德率東城道天・德率木刕昧淳・德率國雖多・奈率燕比善那らはあいはかって,「私どもは天性愚かで,いずれも智略がありません。任那を建てよとの詔には,早速従うこととし,任那の執事・国々旱岐らを呼んで,共に謀り,意見を申しのべましょう。 )

前後の文脈・・・外国関係の記事

☆ 九州王朝系の史料の盗用と考える

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(17)(18)(19)二月、百濟遣施德馬武・施德高分屋・施德斯那奴次酒等、使于任那、謂日本府與任那旱岐等曰「我、遣紀臣奈率彌麻沙・奈率己連・物部連奈率用奇多、朝謁天皇。彌麻沙等、還自日本、以書宣曰『汝等宜共在彼日本府、早建良圖、副朕所望。爾其戒之、勿被他誑。』又津守連、從日本來百濟本記云津守連己麻奴跪、而語訛不正、未詳勅而問任那之政。故、將欲共日本府・任那執事議定任那之政奉奏天皇、遺召三𢌞、尚不來到。由是、不得共論圖計任那之政奉奏天皇矣。今欲請留津守連、別以疾使、具申情狀遣奏天皇。當以三月十日發遣使於日本。此使便到、天皇必須問汝。汝日本府卿・任那旱岐等、各宜發使、共我使人、往聽天皇所宣之。」

(現代語訳・二月,百濟の施德馬武・施德高分屋・施德斯那奴次酒らを遣わして,天皇のもとへ行かせた。弥麻沙らは日本から帰って詔書をもたらし,「お前たちはそちらの日本府の者と共に,早く良い計画を立てて,わが望みをかなえよ。気をつけて欺かれないように」とあったと告げた。また津守連が二本から来て詔勅を伝え,任那の復興の方策を問うた。さそれで日本府・任那の復興策を協議決定し,天皇に報告しようと呼びにやること三度に及んがそれでもできなかった。それゆえ報告もできない。津守連に逗留を願い,特に急使をを持って,天皇に実情をお伝えしたい。それで三月十日に使いを日本に遣わそう。この使いが届いたら,天皇はきっと詰問されるだろう。日本府の諸卿・任那の王たちもそれぞれ使いを出し,わが使いと共に,こちらに出向いて天皇の宣う詔をうけたまわるように」といった )

前後の文脈から・・・外国関係の記事

☆ 九州王朝系の史料の盗用と考える。

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(20)日本府答曰「任那執事不赴召者、是由吾不遣不得往之。吾遣奏天皇、還使宣曰『朕當以印奇臣語訛未詳遣於新羅、以津守連遺於百濟。汝、待聞勅際、莫自勞往新羅百濟也。』宣勅如是。會聞印奇臣使於新羅、乃追遣問天皇所宣、曰『日本臣與任那執事、應就新羅聽天皇勅。』而不宣就百濟聽命也。後、津守連遂來過此、謂之曰『今余被遣於百濟者、將出在下韓之百濟郡令・城主。』唯聞此說。不聞任那與日本府會於百濟聽天皇勅。故不往焉、非任那意。」於是、任那旱岐等曰「由使來召便欲往參、日本府卿不肯發遣、故不往焉。大王、爲建任那觸情曉示。覩茲忻喜、難可具申。」

(現代語訳・日本府がこれに答えて,「任那の執事が呼ばれても来ないのは,自分が使いを遣わさないからです。天皇に掃除用の為遣わした使いが帰っていうのに,『朕は印奇臣を新羅に遣わし,、津守連を百濟に遣わすことにしている。汝は勅を承るまで待て。新羅・百濟には自ら出向くな』とのことでした。ところがたまたま印奇臣が新羅に使いをすると聞いて,呼んで天皇の仰せられるところを尋ねました。詔には,『日本府の臣と任那の執事が新羅に行き,天皇の勅を承れ』といわれました。百済に行き命を聞けとは言われなかったのです。後に,津守連がここに寄った時語って,『今自分が百濟に遣わされるのは,下韓の百濟郡令・城主を撤退させるさ為である』と。ただそれだけで,任那と日本府が百済に集まり,天皇の勅を承れということは聞きませんでした。だからやってこないのは任那の意志ではありません」と答えた。任那の王らの言うには,「使いがきて呼ぶのので参ろうとしますが,日本府の卿がでることをが許さ野ででられないのです。聖明王は任那を建てるために,心の中のこまかいことまで示されました。これを見て言いようもなく嬉しく存じます」といった )

前後の文脈・・・外国関係の記事

☆ 九州王朝系の史料の盗用と考える

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(21)(22)(23)三月、百濟、遺奈率阿乇得文・ク陀羅尼壱岐,許勢奈率奇麻・物部奈率歌非等、上表曰「奈率彌麻沙・奈率己連等至臣蕃奉書曰『爾等、宜共在彼日本府同謀善計早建任那。爾其戒之、勿被他誑。』又、津守連等至臣蕃奉勅書問建任那。恭承來勅、不敢停時、爲欲共謀。乃遣使召日本府百濟本記云、遣召烏胡跛臣。蓋是的臣也。與任那、倶對言『新年既至、願過而往。』久而不就、復遣使召、倶對言『祭時既至、願過而往。』久而不就、復遣使召。而由遣微者、不得同計。夫任那之不赴召者、非其意焉。是阿賢移那斯・佐魯麻都二人名也、已見上文。姧佞之所作也。夫任那者以安羅爲兄、唯從其意。安羅人者以日本府爲天、唯從其意。百濟本記云、以安羅爲父、以日本府爲本也。今的臣・吉備臣・河內直等咸從移那斯・麻都指撝而已。移那斯・麻都、雖是小家微者、專擅日本府之政。又制任那、障而勿遣。由是、不得同計奏答天皇。故、留己麻奴跪蓋是津守連也、別遣疾使迅如飛烏、奉奏天皇。假使二人二人者、移那斯與麻都也在於安羅多行姧佞、任那難建、海西諸國必不獲事。伏請、移此二人還其本處、勅喩日本府與任那而圖建任那。故、臣遣奈率彌麻沙・奈率己連等、副己麻奴跪、上表以聞。於是、曰『的臣等等者、謂吉備弟君臣・河內直等也往來新羅、非朕心也。曩者、印支彌未詳與阿鹵旱岐在時、爲新羅所逼而不得耕種。百濟路迥、不能救急。由的臣等往來新羅、方得耕種、朕所曾聞。若已建任那、移那斯・麻都自然却退。豈足云乎。』伏承此、喜懼兼懷。而新羅誑朝、知匪天勅。新羅春取㖨淳、仍擯出我久禮山戍而遂有之。近安羅處、安羅耕種。近久禮山處、斯羅耕種。各自耕之、不相侵奪。而移那斯・麻都、過耕他界、六月逃去。於印支彌後來、許勢臣時、百濟本記云、我留印支彌之後、至既洒臣時。皆未詳。新羅無復侵逼他境、安羅不言爲新羅逼不得耕種。臣嘗聞、新羅毎春秋、多聚兵甲、欲襲安羅與荷山。或聞、當襲加羅。頃得書信。便遣將士擁守任那、無懈息也。頻發鋭兵、應時往救。是以、任那隨序耕種、新羅不敢侵逼。而奏百濟路迥不能救急・由的臣等往來新羅方得耕種、是上欺天朝轉成姧佞也。曉然若是尚欺天朝、自餘虛妄必多有之。的臣等猶住安羅、任那之國恐難建立。宜早退却。臣深懼之、佐魯麻都、雖是韓腹位居大連、廁日本執事之間入榮班貴盛之例、而今反着新羅奈麻禮冠、卽身心歸附於他易照。熟觀所作、都無怖畏、故前奏惡行、具錄聞訖。今猶着他服、日赴新羅域、公私往還、都無所憚。夫㖨國之滅、匪由他也。㖨國之函跛旱岐、貳心加羅國而內應新羅、加羅自外合戰、由是滅焉。若使函跛旱岐不爲內應、㖨國雖少未必亡也。至於卓淳、亦復然之。假使卓淳國主不爲內應新羅招冦、豈至滅乎。歷觀諸國敗亡之禍、皆由內應貳心人者。今麻都等、腹心新羅、遂着其服、往還旦夕、陰搆姧心。乃恐、任那由茲永滅。任那若滅、臣國孤危。思欲朝之、豈復得耶。伏願天皇、玄鑒遠察、速移本處、以安任那。」

(現代語訳・)

前後の文脈から・・・長文を書き写していたら目がショボショボするようになりました。現代語訳は短文のもののみにさせて下さい。

(21)詔書(名詞)

(22)於是,詔曰 ~ 主語なし

(23)詔(名詞)

外国関係の記事

☆ 九州王朝系の史料の盗用

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(24)(25)於是、百濟王聖明、略以書示曰「吾遣奈率彌麻佐・奈率己連・奈率用奇多等、朝於日本。曰、早建任那。又津守連、奉勅、問成任那。故遣召之、當復何如能建任那、請各陳謀。」吉備臣・任那旱岐等曰「夫建任那國、唯在大王。欲冀遵王倶奏聽勅。」

(現代語訳・百済の聖明王は,詔書を示して言った。「自分は,奈率彌麻佐・奈率己連・奈率用奇多らを遣わして,日本に行かせたとき,詔は,「早く任那を建てよ」ということであった。また津守連が勅を承って,任那復興ののことはできたかと尋ねられた。それゆえ皆を呼んだ。さてどうして任那を建てようか。どうかそれぞれの計略を宣べて欲しい 」といった。吉備臣や任那の旱岐 は,「任那の復興は,ただ大王の決意如何です。吾々は王に従って共に勅を承ります」といった)

前後の文脈・・・

(24)詔書(名詞)

(25)詔日~主語なし

 外国関係の記事

☆ 九州王朝系の史料の盗用と考える

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(26)(27)(28)聖明王謂之曰「任那之國與吾百濟、自古以來約爲子弟。今、日本府印岐彌謂在任那日本臣名也既討新羅、更將伐我、又樂聽新羅虛誕謾語也。夫遣印支彌於任那者、本非侵害其國。未詳。往古來今、新羅無導、食言違信而滅卓淳。股肱之國、欲快返悔。故遣召到、倶承恩、欲冀興繼任那之國猶如舊日永爲兄弟。竊聞、新羅・安羅兩國之境有大江水、要害之地也。吾欲據此修繕六城、謹請天皇三千兵士毎城充以五百幷我兵士勿使作田而逼惱者、久禮山之五城庶自投兵降首。卓淳之國亦復當興。所請兵士、吾給衣粮。欲奏天皇其策一也。猶於南韓置郡令・城主者、豈欲違背天皇遮斷貢調之路。唯庶、剋濟多難殲撲强敵、凡厥凶黨誰不謀附。北敵强大、我國微弱。若不置南韓郡領・城主修理防護、不可以禦此强敵、亦不可以制新羅。故猶置之攻逼新羅、撫存任那。若不爾者、恐見滅亡、不得朝聘。欲奏天皇、其策二也。又吉備臣・河內直・移那斯・麻都猶在任那國者、天皇雖建成任那不可得也。請、移此四人各遣還其本邑。奏於天皇、其策三也。宜與日本臣・任那旱岐等倶奉遣使、同奏天皇乞聽恩。」

(現代語訳・)

前後の文脈・・・

(26)恩詔(名詞)

(27)又吉備臣・河內直・移那斯・麻都がいつまでも任那国にいると, 天皇が任那の復興を仰せられても,叶わぬことである。

(28)恩詔(名詞)

外国関係の記事

☆ 九州王朝王朝系の史料の盗用と考える

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(29)(30)九年春正月癸巳朔乙未、百濟使人前部德率眞慕宣文等、請罷。因曰「所乞救軍、必當遣救。宜速報王。」夏四月壬戌朔甲子、百濟遣中部杆率掠葉禮等、奏曰「德率宣文等、奉勅至臣蕃曰、所乞救兵應時遣送。祗承恩、喜慶無限。

(現代語訳・九年春一月三日,百濟の使人前部德率眞慕宣文らが帰国を願い出た。そこで詔して,「要請のあった援軍は,必ず派遣しよう。速やかに王に報告するがよい」といわれた。夏四月三日,百濟は中部杆率掠葉禮らを遣わして奏上し,「德率宣文らが勅を承り,国に帰って,乞うところの援軍は,必要な時に送り送り遣わす」というありがたい恩詔を頂き,喜びこの上もありません。 )

前後の文脈・・・外国関係の話。恩詔=名詞

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(31)曰「式聞呈奏、爰覿所憂、日本府與安羅不救隣難、亦朕所疾也。又復密使于高麗者、不可信也。朕命卽自遣之、不命何容可得。」

(現代語訳・詔して,「使人のもたらした申しことを聞き,心配することがよく分かった。日本府と安羅が隣の災難を救わなかったのは,自分も心苦しく重っいている。高麗にこっそり使いをやったというごときは信じるべきではない。自分が命ずるのなら

ときはときは如きとき信ずるべきではない。」)

前後の文脈・・・ 日本府の記事・主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(32)六月辛酉朔壬戌、遣使于百濟曰「德率宣文取歸以後、當復何如、消憩何如。朕聞、汝國爲狛賊所害。宜共任那、策勵同謀、如前防距。」

(現代語訳・六月二日,百濟に使いを遣わして,「德率宣文が帰国してその後どうであろうか,高句麗のために侵害されたと聞くが,任那と共に謀り励み,心を同じくして前回のようによく防ぐよう」といわれた )

前後の文脈・・・外国との関係・主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(33)十年夏六月乙酉朔辛卯、將德久貴・固德馬次文等、請罷歸。因曰「延那斯・麻都、陰私遣使高麗者、朕當遣問虛實。所乞軍者、依願停之。」

(現代語訳・十年夏六月七日,將德久貴・固德馬次文らが,帰国したいと願った。よって詔して,「延那斯・麻都がひそかに使いを高麗に遣わしたことについては,虚実を質し者を遣わそうと思う。乞うていた援軍は,願いがあったので停止したのである」といわれた )

前後の文脈・・・外国関係の記事。主語なし。

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(34)(35)十一年春二月辛巳朔庚寅、遣使于百濟。・・・

曰「朕聞、北敵强暴。故賜矢卅具。庶防一處。」

(現代語訳・十一年春二月十日,百済に使いを遣わして・・・

重ねて詔して,高句麗は強暴であるという。矢三十具を贈ろう。大事な所はしっかり守ってほしい」といわれた。

前後の文脈・・・外国関係の記事。主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(36)十三年夏四月・・・曰「今、百濟王・安羅王・加羅王與日本府臣等、倶遣使奏狀、聞訖。亦宜共任那幷心一力。猶尚若茲、必蒙上天擁護之福、亦頼可畏天皇之靈也。」

(現代語訳・詔して,「今,百済の王・安羅の王・加羅の王日本府の臣らと共に使いを遣わして,申してきたことは聞きいれた。また任那と共に心を合わせ,力を専らにせよ。そうすれば,きっと上天の擁護の福を蒙り,天皇の霊威にあずかれるであろう」といわれた)

前後の文脈・・・外国関係の記事。主語なし。

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(37)是日、天皇聞已、歡喜踊躍、使者云「朕從昔來、未曾得聞如是微妙之法。然朕不自決。」乃歷問群臣曰「西蕃獻佛、相貌端嚴。全未曾有、可禮以不。」蘇我大臣稻目宿禰奏曰「西蕃諸國一皆禮之、豐秋日本豈獨背也。」物部大連尾輿・中臣連鎌子同奏曰「我國家之王天下者、恆以天地社稷百八十神、春夏秋冬祭拜爲事。方今改拜蕃神、恐致國神之怒。」天皇曰「宜付情願人稻目宿禰試令禮拜。」

(現代語訳・この日、,天皇はこれを聞き給わって,欣喜雀躍なさって,使者に詔して,「自分は昔からこれまで,まだこのような妙法を聞かなかった。けれども,自分一人では決定はしない」といわれた。群臣に一人一人尋ねられ,「西の国から伝わった仏の顔は,端麗の美を備え,まだ見たこともないものである。これを祀るべきかでうか」といわれた。蘇我大臣稻目宿禰が申すのに,「西の国の諸国は皆礼拝しています。豐秋の日本だけが,それに背くべきでしょうか」と。物部大連尾輿・中臣連鎌子が同じく申すのには,「わが帝の天下に王としておいでになるのは,常に天地社稷の百八十神を手か春夏秋冬にお祀りされることが仕事であります。今始めて蕃神(仏)を拝むとなると,恐らく国つ神の怒りをうけることになるでしょう」と。天皇はいわれた。「それでは願人の稻目宿禰に授けて,試しに礼拜させてみよう」と。

前後の文脈から・・・外国関係の記事・「古事記」(仏でヒットせず)にもない

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(38)八月辛卯朔丁酉、百濟遺上部奈率科野新羅・下部固德汶休帶山等、上表曰「去年臣等同議、遣內臣德率次酒・任那大夫等、奏海表諸彌移居之事。伏待恩、如春草之仰甘雨也。今年忽聞、新羅與狛國通謀云『百濟與任那頻詣日本、意謂是乞軍兵伐我國歟。事若實者、國之敗亡可企踵而待。庶先日本軍兵未發之間、伐取安羅、絶日本路。』其謀若是。臣等聞茲、深懷危懼、卽遣疾使輕舟馳表以聞。伏願、天慈速遣前軍後軍相續來救。逮于秋節、以固海表彌移居也。若遲晩者、噬臍無及矣。所遣軍衆來到臣國、衣粮之費、臣當充給。來到任那、亦復如是。若不堪給、臣必助充、令無乏少。別的臣、敬受天勅、來撫臣蕃、夙夜乾々、勤修庶務。由是、海表諸蕃、皆稱其善、謂當萬歲肅淸海表。不幸云亡、深用追痛。今任那之事、誰可修治。伏願、天慈速遣其代以鎭任那。又復海表諸國甚乏弓馬、自古迄今受之天皇以禦强敵。伏願、天慈多貺弓馬。」

(現代語訳・八月七日,百濟は上部奈率科野新羅・下部固德汶休帶山らを遣わして上表し,「去年,私どもは会議をして,內臣德率次酒・任那大夫らを遣わし,海外の官家のことを申し上げました。恩詔を待つことは,春草の甘雨を仰ぐようであります。・・・ )

前後の文脈・・・海外関係の記事

恩詔=名詞

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(39)十五年春正月戊子朔甲午、立皇子渟中倉太珠敷尊、爲皇太子。丙申、百濟遣中部木刕施德文次・前部施德曰佐分屋等於筑紫、諮內臣・佐伯連等曰「德率次酒・杆率塞敦等、以去年閏月四日到來云、臣等臣等者謂內臣也以來年正月到。如此噵而未審、來不也、又軍數幾何。願聞若干、預治營壁。」別諮「方聞、奉可畏天皇之、來詣筑紫、看送賜軍。聞之歡喜、無能比者。此年之役甚危於前、願遣賜軍使逮正月。」於是、內臣奉勅而答報曰「卽令遣助軍數一千・馬一百匹・船卌隻。」

(現代語訳・)

前後の文脈・・・外国関係の記事

天皇の詔=名詞

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(40)夏六月、曰「新羅、西羌小醜、逆天無狀、違我恩義、破我官家、毒害我黎民、誅殘我郡縣。我氣長足姬尊、靈聖聰明、周行天下、劬勞群庶、饗育萬民、哀新羅所窮見歸、全新羅王將戮之首、授新羅要害之地、崇新羅非次之榮。我氣長足姬尊於新羅何薄、我百姓於新羅何怨。而新羅、長戟强弩、凌蹙任那、鉅牙鉤爪、殘虐含靈、刳肝斮趾、不厭其快、曝骨焚屍、不謂其酷。任那族姓、百姓以還、窮刀極爼、既屠且膾。豈有率土之賓・謂爲王臣、乍食人之禾・飲人之水、孰忍聞此而不悼心。況乎太子大臣、處趺蕚之親、泣血銜怨之寄、當蕃屏之任、摩頂至踵之恩、世受前朝之德、身當後代之位。而不能瀝膽抽腸・共誅姧逆・雪天地之痛酷・報君父之仇讎、則死有恨臣子之道不成。」

(現代語訳・夏六月,詔して,「新羅は西に偏した少し卑しい国である。天に逆らい無道で,わが恩義に背き,官家をつぶした。・・・」)

前後の文脈・・・外国関係の記事・主語なし 

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(41)(42)卅年春正月辛卯朔、曰「量置田部、其來尚矣。年甫十餘、脱籍兔課者衆。宜遣膽津膽津者、王辰爾之甥也檢定白猪田部丁籍。」夏四月、膽津、檢閲白猪田部丁者依定籍、果成田戸。天皇、嘉膽津定籍之功、賜姓爲白猪史、尋拜田令爲瑞子之副。瑞子、見上。

(現代語訳・卅年春一月一日,詔して,「田部が設けられて久しいが,年齢が十歳になっても戸籍に漏れているため,課役を免れる者が多い。胆津を遣わして,白猪田部の丁者の籍をあらため調べ確定させよ」夏四月,胆津は白猪田部の丁者を調べて,詔に従い戸籍を定めた。天皇は胆津が戸籍を定めた功をほめて,姓を賜い白猪史とされた。田令に任ぜられて,副官とされた。瑞子、見上。 )

前後の文脈・・・主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(43)卅一年春三月甲申朔、蘇我大臣稻目宿禰、薨。夏四月甲申朔乙酉、幸泊瀬柴籬宮。越人・江渟臣裾代、詣京奏曰「高麗使人、辛苦風浪、迷失浦津、任水漂流、忽到着岸。郡司隱匿、故臣顯奏。」曰「朕承帝業、若干年。高麗迷路、始到越岸。雖苦漂溺、尚全性命。豈非徽猷廣被・至德魏々・仁化傍通・洪恩蕩々者哉。有司、宜於山城國相樂郡、起館淨治、厚相資養。」是月、乘輿至自泊瀬柴籬宮、遣東漢氏直糠兒・葛城直難波、迎召高麗使人。

(現代語訳・・・卅一年春三月一日,蘇我大臣稲目が薨じた。夏四月二日天皇は泊瀬柴籬宮においでになった。越の人・江渟臣裾代が京に出て奏上し,「高麗の使人が暴風雨に苦しみ,迷って港が分らなくなり,漂流の果て海岸に辿りつました。郡司は報告せずかくしておりますので,私がお知らせします。 詔して,「自分が帝位について何年かになるが,高麗人が道に迷い,越の浜に着いたという。漂流に苦しみながらも命はは助かった。これは我が政治が広く行き渡り,徳がさかんで恵ある教化が行われ,大きな恩が果てしなく行きわたっていることを示すものではないか・・・有司は山城國相樂郡に館を建て,厚く助け養え」といわれた。この月,天皇は泊瀬柴籬宮より換えられ,東漢氏直糠兒・葛城直難波を遣わして,高麗使人の使人をよび迎えさせられた )

前後の文脈・・・外国関係の記事・主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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(44)卅二年春三月戊申朔壬子、遣坂田耳子郎君、使於新羅、問任那滅由。是月、高麗、獻物幷表、未得呈奏、經歷數旬、占待良日。夏四月戊寅朔壬辰、天皇寢疾不豫。皇太子向外不在、驛馬召到、引入臥內、執其手曰「朕疾甚、以後事屬汝。汝須打新羅封建任那、更造夫婦惟如舊曰、死無恨之。」是月、天皇遂崩于內寢、時年若干。

(現代語訳・卅二年春三月五日,坂田耳子郎君を使者とし新羅に遣わし,任那の滅んだ訳を問わせた。この月,高麗の貢物や書状を,まだ捧呈できなかっかった。數旬おくれて,適当な日を待った。。夏四月十五日,天皇は病に臥せられた。皇太子は他に赴いて不在であったので,駅馬を走らせて呼び寄せた。大殿に引き入れて,その手をとり詔して,自分は重病である。後のことをお前にゆだねる。お前は新羅を討って,任那を封じ建てよ。またかつてのごとく両者相和すること仲となるならば,死んでも思い残すことはない」といわれた。この月,天皇はついに大殿に崩御された。時に年若干 )

前後の文脈・・・ 外国関係の記事・主語なし

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか。

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