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2021年7月21日 (水)

仁徳紀の「詔」について【5】

仁德天皇

(1)四年春二月己未朔甲子、群臣曰「朕登高臺以遠望之、烟氣不起於域中、以爲、百姓既貧而家無炊者。朕聞、古聖王之世、人々誦詠德之音、毎家有康哉之歌。今朕臨億兆、於茲三年、頌音不聆、炊烟轉踈、卽知、五穀不登、百姓窮乏也。封畿之內、尚有不給者、況乎畿外諸國耶。」

(現代語訳・四年春二月六日,群卿に詔して,「高殿に登って遥かにながめると,人家の煙があたりに見られない。これは人民たちが貧しくて,炊く人がないのだろう。昔,聖王の御世には,人民は君の徳をたたえる声をあげ,家々では平和を喜ぶ歌声があったという。いま自分が政について三年たったが,ほめたたえる声も起こらず,炊煙はまばらになっている。これは五穀実らず窮乏しているのである。郡の内ですらこの様子だから,都の外の遠い国ではどんなであろうか」といわれた。)

前後の文脈・・・主語なし・畿内&畿外というキーワード

「古事記」に出て来るか・・・似た話がある

☆ 九州王朝系の史料の盗用

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(2)三月己丑朔己酉、曰「自今以後至于三年、悉除課役、以息百姓之苦。」是日始之、黼衣絓履、不弊盡不更爲也、温飯煖羹、不酸鯘不易也、削心約志、以從事乎無爲。是以、宮垣崩而不造、茅茨壞以不葺、風雨入隙而沾衣被、星辰漏壞而露床蓐。是後、風雨順時、五穀豐穰、三稔之間、百姓富寛、頌德既滿、炊烟亦繁。

(現代語訳・今後三年間すべて課税をやめ,人民の苦労を柔げよう」といわれた。この日から御衣や履物は破れるまで使用され,御食物は腐らなければ捨てられず,心をそぎへらし志をつつましやかにして,民の負担を減らされた。宮殿の垣はこわれても作らず,゜屋根の茅はくずれても葺かず,雨風が漏れて御衣を濡らしたり,星影が室内から見られる程であった。この後,天候も穏やかに,五穀豊穣が続き,三年の間に人民は潤ってきて,徳をほめる声も起こり,炊煙も賑やかになってきた)

前後の文脈・・・主語無なし

「古事記」に出て来るか・・・似た話が出ている

☆ (1)と同じ結論

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(3)十一年夏四月戊寅朔甲午、群臣曰「今朕視是國者、郊澤曠遠而田圃少乏、且河水横逝、以流末不駃。聊逢霖雨、海潮逆上、而巷里乘船、道路亦泥。故、群臣共視之、決横源而通海、塞逆流以全田宅。」

(現代語訳・十一年夏四月,郡卿に詔して,「いまこの国を眺ると,土地は広いが田圃は少い。また河の水は氾濫し,長雨にあうと潮流は陸に上り,村人は船に頼り,道路は泥に埋まる。群臣はこれをよく見て,溢れた水は海に通じさせ,逆流は防いで田や家を浸さないようにせよ」といわれた)

前後の文脈・・・主語なし

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 九州王朝系の史料からの盗用

 

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(4)五十三年、新羅不朝貢。夏五月、遣上毛野君祖竹葉瀬、令問其闕貢。是道路之間獲白鹿、乃還之獻于天皇。更改日而行、俄且重遣竹葉瀬之弟田道、則之日「若新羅距者、舉兵擊之。」

(現代語訳・五十三年新羅が朝貢しなかった。夏五月,上毛野君の先祖竹葉瀬を遣わして,貢物を奉らないことを問わせられた。その途中で白鹿を獲た。かえって天皇に奉った。さらにまた日を改めて行った。しばらくして竹葉瀬の弟田道を遣わされた。詔して,「もし新羅の抵抗を受けたら,兵を挙げて討て」といわれた。そして精兵を授けられた)

前後の文脈・・・主語なし・新羅との外交関係

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 九州王朝系の史料の盗用

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(5)六十年冬十月、差白鳥陵守等、充役丁。時天皇親臨役所、爰陵守目杵、忽化白鹿以走。於是天皇之曰「是陵自本空、故、欲除其陵守而甫差役丁。今視是怪者、甚懼之。無動陵守者。」則且、授土師連等。

(現代語訳・六十年冬十月,日本武尊の白鳥陵の陵守を,遥役にあてられた。天皇は自ら課役のところへおいでになった。陵守の目杵は,にわかに白鹿になって逃げた。天皇は詔して,「この陵はもとから空であった。それでその陵守をやめさせようと思って,始めて遥役にあてた。いまこの不思議を見ると,はなはだ畏れ多い。陵守は動かしてはいけない」と。再び土師連らに授けられた)

前後の文脈・・・日本武尊の白鳥陵

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 九州王朝系の史料の盗用と考える

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コメント

肥沼さんへ

 検証お疲れ様。
 1~4までは九州王朝系史料からの盗用との判断で良いと思います。
 ということは、古事記にある仁徳が民のかまどに煙が上がることが少ないのをみて税を取るのを控えたという話があるのは、古事記の段階でもすでの九州王朝系史料からの盗用があった証拠になりますね。

 5は詔の主語が「天皇」と明記されている。そしてこれは日本武尊の白鳥陵にかかわる話だから、近畿天皇家の話。
 九州王朝系史料からの盗用ではない。
 この文章は主語が常に天皇と明記されていることをお忘れなく。

投稿: 川瀬健一 | 2021年7月22日 (木) 12時20分

訂正です

 1・2は古事記にほとんど同じ話が出ているので、近畿天皇家の話だ
 2の詔がある文の次がこうなっている。
>七年夏四月辛未朔、天皇、居臺上而遠望之、烟氣多起。是日、語皇后曰「朕既富矣、更無愁焉。」皇后對諮「何謂富矣。」天皇曰「烟氣滿國、百姓自富歟。」皇后且言「宮垣壞而不得脩、殿屋破之衣被露、何謂富乎。」天皇曰「其天之立君是爲百姓、然則君以百姓爲本。是以、古聖王者、一人飢寒、顧之責身。今百姓貧之則朕貧也、百姓富之則朕富也。未之有百姓富之君貧矣。」

 1・2では主語が省略されていたが、っここにきて「天皇」と主語が明記されており(詔はないが)3年間の努力が実ったと皇后に語っている。
 本来は1・2の詔も「天皇」と主語が明記されていたが、それだと編纂方法がばれてしまうので、冒頭の二つの詔は主語を省略した形に変えたのかも。

投稿: 川瀬健一 | 2021年7月22日 (木) 12時54分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

(5)は失敗しました。

投稿: 肥さん | 2021年7月22日 (木) 12時58分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 本来は1・2の詔も「天皇」と主語が明記されていたが、それだと編纂方法がばれてしまうので、冒頭の二つの詔は主語を省略した形に変えたのかも。

「日本書紀」の裏ワザ,恐るべし。
やはり一筋縄ではいきませんね。

投稿: 肥さん | 2021年7月22日 (木) 13時11分

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