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2021年7月24日 (土)

雄略紀の「詔」について【11】

(7)(8)天皇、田狹臣子弟君與吉備海部直赤尾曰「汝、宜往罰新羅。」於是、西漢才伎歡因知利在側、乃進而奏曰「巧於奴者、多在韓國。可召而使。」天皇群臣曰「然則宜以歡因知利、副弟君等、取道於百濟、幷下勅書、令獻巧者。

(現代語訳・天皇は田狹臣の子の弟君と吉備海部直赤尾に詔して,「お前たち,往って新羅を討て」といわれた。そのとき,西漢才伎歓囚知利がお傍ににいて,進み出て,「もっと適当な者が者が,韓國に沢山います。召してお使いになるのがよいでしょう」天皇は群臣に詔して,「それでは歡因知利を,弟君らに副えて、百濟に遣わし,合わせて勅書を下して,勝れた者を献らせよ )

文脈から・・・主語あり・海外関係

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(9)天皇、聞弟君不在、遣日鷹吉士堅磐固安錢堅磐、此云柯陀之波使共復命、遂卽安置於倭國吾礪廣津廣津、此云比盧岐頭邑。而病死者衆、由是、天皇大伴大連室屋、命東漢直掬、以新漢陶部高貴・鞍部堅貴・畫部因斯羅我・錦部定安那錦・譯語卯安那等、遷居于上桃原・下桃原・眞神原三所。或本云「吉備臣弟君、還自百濟、獻漢手人部・衣縫部・宍人部。」

(現代語訳・天皇は,弟君がいなくなってしまったことを聞き,日鷹吉士堅磐固安錢を遣わして,復命をさせられた。そして,才伎を倭の阿都の広津邑に侍らせられた。しかし病気で死ぬ者が多かった。そこで天皇は,大伴大連室屋に詔し,東漢直掬に命じて,新漢である陶部高貴・鞍部堅貴・畫部因斯羅我・錦部定安那錦・譯語卯安那らを,上桃原・下桃原・眞神原の三か所に移しはべらせられた 

文脈から・・・主語あり・海外関係

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(10)十一年夏五月辛亥朔、近江國栗太郡言「白鸕鷀、居于谷上濱。」因詔、置川瀬舍人。 居于谷上濱。」因 置川瀬舍人。   

(現代語訳・十一年夏五月一日、近江國栗太郡からの報告で,「白い鵜が田上の浜にいます」といった。そして詔を下して,川瀬の舍人を置かれた

文脈から・・・主語なし・近江国(九州の近江国ではないか)

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 九州王朝の史料を盗用したものではないか

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(11)冬十月、鳥官之禽、爲菟田人狗所囓死。天皇瞋、黥面而爲鳥養部。於是、信濃國直丁與武藏國直丁、侍宿、相謂曰「嗟乎、我國積鳥之高、同於小墓。旦暮而食、尚有其餘。今天皇、由一鳥之故而黥人面、太無道理、惡行之主也。」天皇聞而使聚積之、直丁等不能忽備、仍爲鳥養部。

(現代語訳・冬十月,鳥官の鳥が,菟田の人の犬に食われて死んだ。天皇は怒って顔に入れ墨をして,鳥養部とされた。ちょうど信濃國の仕丁と武藏國仕丁とが宿直していた。話し合っていうのに,「ああ,自分の国でとって積んでおいた鳥は,小さい塚ほどもあり,朝夕,食してもなお余った。いま天皇は一羽の鳥のために,人の顔に入墨をされた。どうもひど過ぎる。悪い天皇でいらっしゃる」と。天皇はこれを書切れて,「鳥を取り集めて積んでみよ」といわれた。仕丁らは急に集めて積むことはできなかった。そこで罰して鳥養部とされた)

文脈から・・・主語あり

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 近畿王朝の説話ではないか

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コメント

肥沼さんへ

 検証お疲れ様です。

7・8・9・10の詔。すべて九州王朝史書からの盗用。これで正しいと思います。

11をなぜ近畿の説話とするのか?
古事記に全くない話。
そして10と同じく鳥に関する話で、10は川瀬舎人設置、11は罪あるものを鳥飼部にしたという話。
 11の話では「信濃國直丁與武藏國直丁」が天皇の宮に宿直していたとある。
 信濃と関東は九州王朝の版図。そこから成人男性を宮の宿直に呼ぶのだから、この話も九州王朝の史書からの盗用だと思います。

投稿: 川瀬健一 | 2021年7月26日 (月) 12時58分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 信濃と関東は九州王朝の版図。

失敗しました・・・。 

投稿: 肥さん | 2021年7月26日 (月) 16時40分

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