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2021年7月31日 (土)

安閑紀~宣化紀の「詔」について【9】

安閑天皇

(1)秋七月辛巳朔、曰「皇后、雖體同天子而內外之名殊隔。亦可以充屯倉之地、式樹椒庭、後代遺迹。」

(現代語訳・秋七月一日,詔して,「皇后は身分は天皇に等しいが,後宮にあるため外部には知らぬ者も多い。それで屯倉の地を充てて,皇后の宮殿を建て,後の世に跡を残すことにしたい」といわれた。)

前後の文脈から・・・主語なし

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない(わずか3行)

☆ 九州王朝系の史料の盗用か

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(2)(3)冬十月庚戌朔甲子、天皇勅大伴大連金村曰「朕、納四妻、至今無嗣、萬歲之後朕名絶矣。大伴伯父、今作何計。毎念於茲、憂慮何已。」大伴大連金村奏曰「亦臣所憂也。夫我國家之王天下者、不論有嗣無嗣、要須因物爲名。請爲皇后次妃建立屯倉之地、使留後代令顯前迹。」曰「可矣。宜早安置。」大伴大連金村奏稱「宜以小墾田屯倉與毎國田部給貺紗手媛、以櫻井屯倉一本云「加貺茅渟山屯倉也。」與毎國田部給賜香々有媛、以難波屯倉與毎郡钁丁給貺宅媛。以示於後、式觀乎昔。」曰「依奏施行。」

(現代語訳・(1)の話の続き。詔して,「よろしい。速やかに設けよう。」といわれた。詔して,「お前の言う通りに施行しよう」といわれた。)

前後の文脈から・・・(1)の話の続き。主語なし

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない(わずか3行)

☆ 九州王朝系の史料の盗用か

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(4)二年春正月戊申朔壬子、曰「間者連年、登穀接境無虞。元々蒼生、樂於稼穡、業々黔首、兔於飢饉。仁風鬯乎宇宙、美聲塞乎乾𡿦。內外淸通、國家殷富。朕甚欣焉。可大酺五日爲天下之歡。」

(現代語訳・二年春一月五日,詔して,「このところ毎年穀物がよく稔って,辺境に憂えもない。万民は生業に安んじ飢餓もない。天皇の仁慈は全土に拡がり,天子を誉める声は天地に充満した。内外平穏で国家は富み栄え,私の喜びは大変大きい。人々に酒を賜り,五日間盛大な宴を催し,天かこぞって歓びを交わすがよい」と仰せられた。)

前後の文脈から・・・漢書,元帝紀,参照して反対のことを表わそうとしたか

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない(わずか3行)

☆ 近畿王朝の中国史料を使った作文

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(5)(6)秋八月乙亥朔、置國々犬養部。九月甲辰朔丙午、櫻井田部連・縣犬養連・難波吉士等、主掌屯倉之税。丙辰、別勅大連云「宜放牛於難破大隅嶋與媛嶋松原。冀垂名於後。」

(現代語訳・秋八月一日,詔して国々に犬養部を置いた。九月三日,桜井田部連・県犬養連・難波吉士らに詔して,屯倉の税をつかさどらせた。十三日,別に大連に詔して,「牛を難波大隅島と姫島の松原とに放って,名を後の世に残そう」と仰せられた。)

前後の文脈から・・・主語なし

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない(わずか3行)

☆ 九州王朝系の史料の盗用か

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宣化天皇

(7)三月壬寅朔、有司請立皇后。己酉、曰「立前正妃億計天皇女橘仲皇女、爲皇后。」

(現代語訳・三月一日,詔していわれるのに,前の正妃,仁賢天皇の女橘仲皇女を皇后としたい」と仰せられた。)

前後の文脈から・・・主語なし

「古事記」に出て来るか・・・出て来る

☆ 近畿王朝の史官が史料を膨らませて作文したか

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(8)夏五月辛丑朔、曰「食者天下之本也。黃金萬貫、不可療飢、白玉千箱、何能救冷。夫筑紫國者、遐邇之所朝屆、去來之所關門、是以、海表之國、候海水以來賓、望天雲而奉貢。自胎中之帝洎于朕身、收藏穀稼、蓄積儲粮、遙設凶年、厚饗良客。安國之方、更無過此。故、朕遣阿蘇仍君未詳也、加運河內國茨田郡屯倉之穀。蘇我大臣稻目宿禰、宜遣尾張連、運尾張國屯倉之穀。物部大連麁鹿火、宜遣新家連、運新家屯倉之穀。阿倍臣、宜遣伊賀臣、運伊賀國屯倉之穀。修造官家那津之口。又其筑紫肥豐三國屯倉、散在懸隔、運輸遙阻。儻如須要、難以備卒。亦宜課諸郡分移聚建那津之口、以備非常、永爲民命。早下郡縣、令知朕心。」秋七月、物部麁鹿火大連、薨。是年也、太歲丙辰。

(現代語訳・夏五月一日,詔して,「食は天下の本である。黄金が万貫あっても,飢えをいやすことはできない。真珠が千箱あっても,どうしてこごえるのを救えようか」・・・)

前後の文脈から・・・漢書,景帝紀,に「農天下之本也,黄金珠玉,」

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 九州王朝の史官が,漢書の一部を借用している。それをさらに近畿王朝の史官が作文したか

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(9)二年冬十月壬辰朔、天皇、以新羅冦於任那、大伴金村大連、遣其子磐與狹手彥、以助任那。是時、磐、留筑紫執其國政、以備三韓。狹手彥、往鎭任那、加救百濟。

(現代語訳・二年十月一日,天皇は新羅が任那に害を加えるので,大伴金村大連に命じて,その子磐と狭手彦を遣わして,任那を助けさせ狭山た。この時に磐は筑紫に留まり,その国の政治をとり三韓に備えた。狭手彦はかの地に行って任那を鎮めまた百済を救った)

前後の文脈から・・・主語あり・外国関係

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 九州王朝系の史料を使って,近畿王朝の史官が作文したか

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コメント

肥沼さんへ

 検証お疲れ様です。
 1・2・3の詔が九州王朝史料の盗用との判断で良いと思います。全部屯倉設置記事ですから当然置けるのは九州王朝の天皇。
 
 4の詔:中国文献を利用した作文なのは明白ですが、これは単独の文で主語はない。ということで九州王朝史料にすでにあった作文だと思います。

 5・6の詔・部を置いたり屯倉の税を管轄させたりの記事ですし、主語もないので九州王朝史料の盗用でしょう。

 7の詔。近畿大王の妃の立后詔ですから、近畿天皇家の史料に基づくもの。

 8の詔。あちこち中国文献による作文がありますが、詔自体は諸国の屯倉を有力家臣に管轄させ、その税をみな那の津の倉庫に収めさせるという話。
 したがって九州王朝の天皇の詔です。九州王朝の史官が中国文献で作文修飾していますね。近畿王朝史官の関与を考える必要はないと思います。

 9の詔:外国関係記事ですから九州王朝史書からの盗用。
 近畿王朝の史官が作文との判断できるものはないです。

 肥沼さん。すこし複雑に考えすぎ。
 九州王朝の天皇の詔と判断できれば、書いたのは九州王朝史官と判断して、それをそのまま近畿王朝史官が盗用で良いと思います。
 九州王朝の正史である「日本紀」はすでに万葉集の注で引用されるくらいですから、日本書紀よりも古い。そしてこの時代にも中国文献は多数入っているはずですから、九州王朝史官が中国文献を盗用したり作文することはできたはずです。

投稿: 川瀬健一 | 2021年8月 1日 (日) 00時49分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 肥沼さん。すこし複雑に考えすぎ。
 九州王朝の天皇の詔と判断できれば、書いたのは九州王朝史官と判断して、それをそのまま近畿王朝史官が盗用で良いと思います。

私はもともと単純に考える方がすきなので,
それで行かせてもらうことにします。

投稿: 肥さん | 2021年8月 1日 (日) 05時08分

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