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2021年7月24日 (土)

雄略紀の「詔」について 【19】

雄略天皇

 

(1)二年秋七月、百濟・池津媛、違天皇將幸、婬於石河楯。舊本云「石河股合首祖、楯。」天皇大怒、大伴室屋大連、使來目部、張夫婦四支於木、置假庪上、以火燒死。百濟新撰云「己巳年、蓋鹵王立。天皇、遣阿禮奴跪、來索女郎。百濟、莊飾慕尼夫人女、曰適稽女郎、貢進於天皇。」

(現代語訳・二年秋七月,百濟の池津媛は,天皇が宮中にいれようとしていたのにもかかわらず,石河楯と通じた。・・・天皇は大いに怒って,大伴室屋大連に命じて,來目部を使い、夫婦の四支を木に貼りつけて,座敷の上に置かせて,火で燒き殺させた。・・・ )

文脈から・・・天皇あり・百済との関係

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 九州王朝系の記事の盗用か

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(2)由是、皇太后與皇后、聞之大懼、使倭采女日媛舉酒迎進。天皇、見采女面貌端麗形容温雅、乃和顏悅色曰「朕、豈不欲覩汝姸咲。」乃相携手、入於後宮、語皇太后曰「今日遊獵、大獲禽獸。欲與群臣割鮮野饗、歷問群臣、莫能有對。故朕嗔焉。」皇太后、知斯情、奉慰天皇曰「群臣、不悟陛下因遊獵場置宍人部降問群臣、群臣嘿然理、且難對。今貢未晩、以我爲初。膳臣長野能作宍膾、願以此貢。」

(現代語訳・皇太后は,天皇の言葉の真意を知り,天皇を慰めようと思い,「群臣らに陛下が場において,宍人部を設ける話をしようと思い,群臣に尋ねられたとは気がつかなかったでしょう。答えるのも難しいから,群臣が沈黙していたの多のも無理はありません。・・・)

文脈から・・・天皇あり

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 九州王朝系の史料だと考える

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(3)秋八月辛卯朔戊申、行幸吉野宮。庚戌、幸于河上小野。命虞人駈獸、欲躬射而待、虻疾飛來、噆天皇臂、於是、蜻蛉忽然飛來、囓虻將去。天皇嘉厥有心、群臣曰「爲朕、讚蜻蛉歌賦之。」群臣莫能敢賦者、天皇乃口號曰、

(現代語訳・秋八月十八日,においでになった。二十日に,河上の小野にお越しになった。山の役人に命じて獣を狩り出された。自分で射ようとして構えておられると,虻が飛んできて,天皇の臂を嚙んだ。そこへアキツが急に飛んできて,虻を咥えて飛び去った。天皇はトンボが心あることをほめれて,群臣に詔して,「私のためにトンボをほめて歌詠みをせよ」といわれた。群臣はしかしあえて詠む人がなかった。天皇は口ずさんで・・・)

文脈から・・・天皇あり・

「古事記」に出て来るか・・・似た話が出て来る

☆ 近畿王朝の史料を利用した

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(4)五年春二月、天皇、狡獵于葛城山、靈鳥忽來、其大如雀、尾長曳地而且嗚曰、努力々々。俄而、見逐嗔猪、從草中暴出、逐人。獵徒、緣樹大懼、天皇舍人曰「猛獸、逢人則止。宜逆射而且刺。」舍人、性懦弱、緣樹失色、五情無主。嗔猪直來、欲噬天皇、天皇用弓刺止、舉脚踏殺。於是田罷、欲斬舍人、舍人臨刑而作歌曰、

(現代語訳・五年春二月,天皇は葛城山に狩りをされた。不思議な鳥が急に現われ,大きさ雀ぐらいで,尾は長く地に曳いていた。そして鳴きながら,「ゆめ,ゆめ(油断するな)」といった。にわかに追われて怒ったシシが,草の中から突然飛び出し,人にかかってきた。狩人たちは木によじ登り大いに恐れていた。天皇は舍人に詔して,「「猛きシシも、人に会っては泊るという。迎え射て仕止めよ」といわれた。舍人は人となりが臆病で,木に登って度を失い,畏れおののいた。シシは直進して天皇に食いつこうとした。天皇は弓で突き刺し,足を上げて踏み殺された。狩りも終わって,舍人を斬ろうとされた。舍人は殺されようとするとき歌を詠んで・・・  )

文脈から・・・天皇あり

「古事記」に出て来るか・・・似た話が出て来る

☆ 近畿王朝の史料が使われていると考えた

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(5)皇后聞悲、興感止之、曰「皇后、不與天皇而顧舍人。」對曰「國人皆謂、陛下安野而好獸、無乃不可乎。今陛下、以嗔猪故而斬舍人、陛下譬無異於豺狼也。」天皇、乃與皇后上車歸、呼萬歲曰「樂哉、人皆獵禽獸。朕獵得善言而歸。」

(現代語訳・皇后はお聞きになって悲しまれ,心をこめて諫められた。「皇后は天皇に味方されないで,舍人のことを大事に思われた」と天皇はいわれた。皇后は答えて「「國人は皆,陛下は狩りをなさって,猪を好み給うというでしょう。これは良くないでしょう。今陛下が,猪のことで舎人を斬られたら,たとえば陛下は狼に異なりません」と。天皇はそこで皇后と車に乗ってお帰りになった。「万歳」と叫んで言われるのに,「楽しいことだなあ。人はみな鳥や獣を獲物とするのだが,自分は狩りをして,良い言葉を獲物として帰るのだから」といわれた )

文脈から・・・主語なし

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 九州王朝の史料からではないか

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(6)七年秋七月甲戌朔丙子、天皇少子部連蜾蠃曰「朕、欲見三諸岳神之形。或云「此山之神爲大物主神也。」或云「菟田墨坂神也。」汝、膂力過人、自行捉來。」蜾蠃答曰「試往捉之。」乃登三諸岳、捉取大蛇、奉示天皇。天皇不齋戒、其雷虺々、目精赫々。天皇畏、蔽目不見、却入殿中、使放於岳、仍改賜名爲雷。

(現代語訳・七年秋七月三日,天皇は少子部連蜾蠃に詔して、「私は三輪山の神の姿を見たいと思う。お前は腕力に勝れている。自ら行って捕えてこい」といわれた。スガルは,「ためしにやってみましょう」とお答えした。三輪山に登って大きな蛇を捕えてきて天皇にお見せした。天皇は斎戒されなかった。大蛇は雷のような音を立て,目をきらきらと輝かせた。天皇は恐れ入って,目をおおってご覧にならないで,殿中におかくれになった。そして大蛇を岳に放たれられた。あらためてその岳に名を賜い雷とした )

文脈から・・・天皇あり

「古事記」に出て来るか・・・出て来ない

☆ 九州王朝系の史料の盗用ではないか

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コメント

肥沼さんへ

 検証お疲れ様です。
1:九州王朝系史料盗用
2:九州王朝系史料盗用
3:近畿王朝系史料
4:近畿王朝系史料

 ここまでは正しいと思う。
5:この話は4の続きなので近畿王朝系史料。
6:この話は、「六年春二月壬子朔乙卯、天皇遊乎泊瀬小野、觀山野之體勢、慨然興感歌曰、」から始まる一連の話。これも近畿王朝の話なので近畿王朝系史料で詳しく記したもの。

 以上です。

投稿: 川瀬健一 | 2021年7月25日 (日) 13時28分

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

なかなか全部正解するのは難しいです。

投稿: 肥さん | 2021年7月25日 (日) 17時24分

肥沼さんへ

>なかなか全部正解するのは難しいです。

 繰り返しになりますが、肥沼さんは古事記の現代語訳をお持ちですか。
 肥沼さんの日本語力では、漢文の古事記の読み下し文だけでは、十分に意味をつかめていないと思うのです。
 いつも共に平家物語(語られているのは漢文の元文の読み下し文)を読んでいてそう思います。
 十分に話の内容をつかんでいないから、間違うことが多いのでは。
 もっとも日本書紀の現代語訳を読んでいても十分つかみきれてないから、同じことかな?

投稿: 川瀬健一 | 2021年7月25日 (日) 17時44分

川瀬さんへ
肥沼です。

コロナ禍,あまり東京へは行きたくありませんが,
行ってきたいと思います。

投稿: 肥さん | 2021年7月26日 (月) 05時08分

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