雄略紀の「詔」について【19】
(12)天皇聞驚大怒、深責根使主、根使主對言「死罪々々、實臣之愆。」詔曰「根使主、自今以後、子々孫々八十聯綿、莫預群臣之例。」
(現代語訳・天皇は聞かれて驚き大いに怒られた。根使主を責められると答えて,「その通りです。私の過ちです」といった。天皇は「根使主は今後,子々孫々に至るまで,群臣の仲間に入れてはならぬ」といわれた)
文脈から・・・主語なし・海外との関係(呉人)
「古事記」に出て来るか・・出て来ない
☆ 九州王朝の史料の盗用と考える
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(13)十五年、秦民、分散臣連等、各隨欲駈使、勿委秦造。由是秦造酒、甚以爲憂而仕於天皇。天皇愛寵之、詔聚秦民、賜於秦酒公。
(現代語訳・十五年,秦氏の率いていた民を臣連らに分散し,それぞれの願いのままに使われた。秦氏の管理者の伴造に任せられなかった。このため秦造酒は大変気にやんで天皇に仕えていた。天皇は寵愛され,詔して秦の民を集めて秦酒公に賜った。
文脈から・・・主語あり・海外との関係
「古事記」に出て来るか・・・出て来ない
☆ 九州王朝の史料からの盗用
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(14)(15)十六年秋七月詔、宜桑國縣殖桑、又散遷秦民、使獻庸調。冬十月詔、聚漢部、定其伴造者、賜姓曰直。一云「賜漢使主等、賜姓曰直。」
(現代語訳・十六年秋七月,詔して,桑の栽培に適した国・県を選んで,桑を植えさせられた。また秦の民を移住させて,そこから庸調が上るようにされた。冬十月詔して,「漢氏の部民を集めて,その管理者をきめよ」と仰せられた。その姓を直と賜った )
文脈から・・・主語なし・海外との関係
「古事記」に出て来るか・・・出て来ない
☆ 九州王朝の史料の盗用と考える
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(16)十七年春三月丁丑朔戊寅、詔土師連等「使進應盛朝夕御膳淸器者。」於是、土師連祖吾笥、仍進攝津國來狹々村・山背國內村俯見村・伊勢國藤形村・及丹波・但馬・因幡私民部、名曰贄土師部。
(現代語訳・十七年春三月二日,土師連らに詔して,「朝夕の膳部に用いる清い器を進上せよ」といわれた。そこで土師連の先祖の吾筍が,摂津国の久佐々村,山背国の内村・伏見村,伊勢国の藤方村と丹波・但馬・因幡の私有の部曲をたてまつった。これを名づけて贄の端部という )
文脈から・・・主語なし
「古事記」に出て来るか・・・出て来ない
☆ 九州王朝の史料の盗用と考える
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(17)十九年春三月丙寅朔戊寅、詔置穴穗部。
(現代語訳・十九年春三月十三日,詔して安康天皇の御名を遺す,穴穂部を設けられた)
文脈から・・・主語なし
「古事記」に出て来るか・・・出て来ない
☆ 九州王朝の史料の盗用と考える
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(18)廿三年秋七月辛丑朔、天皇寢疾不預、詔、賞罰支度、事無巨細並付皇太子。
(現代語訳・秋七月一日,天皇は病気になられた。詔して、賞罰おきてなど,事大小となく皇太子にゆだねられた)
文脈から・・・主語あり
「古事記」に出て来るか・・・出て来ない
☆ 近畿王朝の史料の盗用と考える
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(19)八月庚午朔丙子、天皇疾彌甚、與百寮辭訣並握手歔欷、崩于大殿。遺詔於大伴室屋大連與東漢掬直曰「~
(現代語訳・八月七日,天皇の病はいよいよ重く,百官との別れの言葉をのべられ,手を握って嘆かれた。大殿において崩御された。大伴室屋大連と東漢掬直に遺詔されて,「~ )
文脈から・・・主語あり
「古事記」に出て来るか・・・出て来ない
☆ 近畿王朝の史料だと考える
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コメント
18・19で
>文脈から・・・主語あり
「古事記」に出て来るか・・・出て来ない
☆ 近畿王朝の史料だと考える
と結論づける論理が理解できない。
18と19の詔は、隋書高祖紀の詔の盗用であることは以前から研究で分かっています。
岩波文庫版の注と補注を読んでください。
1から17の判断は良いと思う。
17の穴穂部だが、書記には「安康天皇の御名」との注もなく、これは読解者の見解。岩波本の補注だと「穴太部」とも「孔王部」ともいうとある。これが本来の部の名前ではないか。つまり書紀編者が改変したか。
投稿: 川瀬健一 | 2021年7月27日 (火) 22時15分
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉18と19の詔は、隋書高祖紀の詔の盗用であることは以前から研究で分かっています。
岩波文庫版の注と補注を読んでください。
そういう盗用のパターンもあるのですね。
投稿: 肥さん | 2021年7月27日 (火) 23時22分