日本紀講筵と学習指導要領の伝達講習会
日本書紀の完成の翌年と平安時代の前半で合計7回ほど,その内容を確認する会が行われた。「日本紀講筵(こうえん )」という。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本紀講筵
これは私の仕事だった学校の先生が義務研修であった学習指導要領の伝達講習会に似ていると思った。違うのは,「どうせまた,学習指導要領は10年すると変更されるんじゃないの?」と国も先生たちも思っているし,別に教え方まで強制されるわけではない。(教科書を使えと言われることもあるが,「教科書を」教えるのではなく,「教科書で」教えるのだという摩訶不思議な言葉もある)
しかし,日本書紀はそうはいかない。中心の神様が変更になる訳はなく,「書いてあることが歴史の真実」だからだ。そして,それを講義する人は,勉強すればするほど悩んだのではないか。講義ノートみたいなものも数冊残されているようだ。そのようなことを30年に一度繰り返していくことによって,「何が真実か」ではなく「習ったことを真実として覚える」時代がスタートしたと思う。それは永遠の謎になりうるほどの歴史のピンチだった。
①721年ーー➁812年・➂843年・④878年・⑤904年・⑥936年・⑦965年
しかし,「歴史の神様」は鎌倉時代に「古事記の発見」というビッグプレゼントを与えてくれ,20世紀に古田武彦氏を中心として多元的古代の研究が進み,今に至っている。その灯を消してはならない。
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