2021年8月28日 (土)

「日本書紀」の中の「詔」を集計してみました(「主語有無」の論証による)

上記の記事を「夢ブログ」にアップしました。

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2021年8月23日 (月)

持統紀の「詔」について【51】 【34】~【51】

                                                                           (34)〈持統6〉六年春正月丁卯朔庚午、増封皇子高市二千戸、通前五千戸。癸酉、饗公卿等、仍賜衣裳。戊寅、天皇觀新益京路。壬午、饗公卿以下至初位以上。癸巳、天皇幸高宮。甲午、天皇至自高宮。・・・・・二月丁酉朔丁未、諸官曰、當以三月三日將幸伊勢、宜知此意備諸衣物。・・・・・陽陰博博士沙門法藏・道基、銀人廿兩。        

(現代語訳・六年春正月丁卯朔庚午、増封皇子高市二千戸、通前五千戸。癸酉、饗公卿等、仍賜衣裳。戊寅、天皇觀新益京路。壬午、饗公卿以下至初位以上。癸巳、天皇幸高宮。甲午、天皇至自高宮。・・・・・二月十一日,諸官に詔して,「三月三日に伊勢に行こうと思う。これに備えて,必要ないろいろの衣服を準備するように」といわれた。・・・・・賜陰陽博士沙門法藏・道基、銀人廿兩。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(35)〈持統6〉乙卯、刑部省、赦輕繋。是日、中納言直大貳三輪朝臣高市麻呂、上表敢直言諫爭天皇、欲幸伊勢妨於農時。

(現代語訳・十九日,刑部省に詔して罪の軽い罪人を赦免された。・・・・・是日、中納言直大貳三輪朝臣高市麻呂、上表敢直言諫爭天皇、欲幸伊勢妨於農時 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(36)〈持統6〉甲午、免近江・美濃・尾張・參河・遠江等國供奉騎士戸及諸國荷丁・造行宮丁今年調役。

(現代語訳・二十九日,近江・美濃・参河・遠江などの国の,供奉した騎士と諸国の荷丁・行宮造営の役夫の当年の調役を免じた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(37)〈持統6〉令天下百姓、困乏窮者稻、男三束女二束。

(現代語訳・天下の百姓の困窮者に稲を賜った。男は三束,女は二束であった。)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(38)〈持統6〉夏四月丙申朔丁酉、贈大伴宿禰友國直大貳、幷賜賻物。庚子、除四畿內百姓爲荷丁者今年調役。甲寅、遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。丙辰、賜有位親王以下至進廣肆、難波大藏鍫、各有差。・・・・・庚申、曰、凡繋囚見徒、一皆原散。

(現代語訳・・・・・・二十五日,詔して,獄囚・徒刑の者をみな放免するように」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(39)〈持統6〉閏五月乙未朔丁酉、大水。遣使循行郡國、禀貸災害不能自存者、令得漁採山林池澤。・・・・・令京師及四畿內、講說金光明經。・・・・・戊戌、賜沙門觀成、絁十五匹・綿卅屯・布五十端、美其所造鉛粉。丁未、伊勢大神奏天皇曰「免伊勢國今年調役。然應輸其二神郡、赤引絲參拾伍斤、於來年、當折其代。」

(現代語訳・詔して京師や畿內で,金光明經講説せられた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(40)〈持統6〉己酉、筑紫大宰率河內王等曰「宜遣沙門於大隅與阿多、可傳佛教。復、上送大唐大使郭務悰爲御近江大津宮天皇所造阿彌陀像。」

(現代語訳・十五日,筑紫大宰率の河內王らに詔して,「沙門を大隅と阿多とに遣わして,佛教を伝えるように。また大唐の大使・郭務悰が天智天皇のために造った阿彌陀仏像を京に送りたてまつれ」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(41)〈持統6〉八月癸亥朔乙丑、赦罪。己卯、幸飛鳥皇女田莊、卽日還宮。九月癸巳朔辛丑、遣班田大夫等於四畿內。丙午、神祇官奏上神寶書四卷・鑰九箇・木印一箇。癸丑、伊勢國司獻嘉禾二本。越前國司獻白蛾。・・・・・戊午、曰、獲白蛾於角鹿郡浦上之濱、故増封笥飯神廿戸、通前。

(現代語訳・・・・・・二十六日,詔して「白蛾を角鹿郡の浦上の浜で捕らえた。よって気比神宮に食封二十戸を,これまでの分に加える )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(42)〈持統7〉七年春正月辛卯朔壬辰、以淨廣壹授皇子高市、淨廣貳授皇子長與皇子弓削。・・・・・是日、令天下百姓、服黃色衣、奴皁衣。・・・・・丁酉、饗公卿大夫等。癸卯、賜京師及畿內有位年八十以上、人衾一領・絁二匹・綿二屯・布四端。乙巳、以正廣參贈百濟王善光、幷賜賻物。丙午、賜京師男女年八十以上・及困乏窮者、布各有差。賜船瀬沙門法鏡、水田三町。是日、漢人等奏蹈歌。

(現代語訳・・・・・・この日,詔して,全国の人民は,黃色の衣複を、奴は皁の衣を着ることとされた。丁酉、饗公卿大夫等。 ・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(43)〈持統7〉二月庚申朔壬戌、新羅遣沙飡金江南・韓奈麻金陽元等、來赴王喪。・・・・・己巳、造京司衣縫王等、收所掘尸。・・・・・己丑、以流來新羅人牟自毛禮等卅七人、付賜憶德等。三月庚寅朔、日有蝕之。甲午、賜大學博士勤廣貳上村主百濟、食封卅戸、以優儒道。乙未、幸吉野宮。庚子、賜直大貳葛原朝臣大嶋賻物。壬寅、天皇至自吉野宮。乙巳、賜擬遣新羅使直廣肆息長眞人老・勤大貳大伴宿禰子君等・及學問僧辨通・神叡等、絁綿布各有差。又賜新羅王賻物。

(現代語訳・・・・・・十日,造京司衣縫王らに詔して,「工事で掘り起こされた屍」を他に埋葬させた。 ・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(44)〈持統7〉丙午、令天下、勸殖桑紵梨栗蕪菁等草木、以助五穀。

(現代語訳・十七日,詔して,全国に桑・紵・梨・栗・蕪菁などを草木を勧め植えさせられた。五穀の助けのためである )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(45)〈持統7〉夏四月庚申朔丙子、遣大夫謁者詣諸社祈雨、又遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。・・・・・辛巳、「內藏寮允大伴男人坐贓、降位二階、解見任官。・・・・・典鑰置始多久與菟野大伴亦坐贓、降位一階、解見任官。監物巨勢邑治、雖物不入於己知情令盜之、故降位二階、解見任官。然、置始多久、有勤勞於壬申年役之、故赦之、但贓者依律徵納。」

(現代語訳・二十二日,詔して「內藏寮允大伴男人は,不当利得を図ったので,位二階を下して,現職を解任せよ」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(46)〈持統7〉五月己丑朔、幸吉野宮。乙未、天皇至自吉野宮。癸卯、設無遮大會於內裏。・・・・・六月己未朔、高麗沙門福嘉還俗。・・・・・壬戌、以直廣肆授引田朝臣廣目・守君苅田・巨勢朝臣麻呂・葛原朝臣臣麻呂・巨勢朝臣多益須・丹比眞人池守・紀朝臣麻呂、七人。秋七月戊子朔甲午、幸吉野宮。己亥、遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。辛丑、遣大夫謁者詣諸社祈雨。癸卯、遣大夫謁者詣諸社請雨。是日、天皇至自吉野。

(現代語訳・六月一日,高麗の沙門・福嘉に詔して,還俗させられた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(47)〈持統7〉冬十月丁巳朔戊午、「自今年、始於親王下至進位、觀所儲兵。・・・・・淨冠至直冠、人甲一領・大刀一口・弓一張・矢一具・鞆一枚・鞍馬。勤冠至進冠、人大刀一口・弓一張・矢一具・鞆一枚。如此、預備。」己卯、始講仁王經於百國、四日而畢。

(現代語訳・冬十月二日,詔して,「今年より,親王以下進位に至るまで,人々の備えている武器を調べされた・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(48)〈持統8〉三月甲申朔、日有蝕之。乙酉、以直廣肆大宅朝臣麻呂・勤大貳臺忌寸八嶋・黃書連本實等、拜鑄錢司。・・・・・甲午、曰「凡以無位人任郡司者、以進廣貳授大領、以進大參授小領。」

(現代語訳・・・・・・十一日,詔して,「無位の人を郡司に任ずる場合は,進廣貳の位を大領に授け,進大參を小領にさずけよ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(49)〈持統8〉己亥、曰「粤以七年歲次癸巳、醴泉涌於近江國益須郡都賀山。・・・・・諸疾病人停宿益須寺而療差者衆。故入水田四町・布六十端、原除益須郡今年調役雜徭、國司頭至目進位一階。賜其初驗醴泉者、葛野羽衝・百濟土羅々女、人絁二匹・布十端・鍬十口。」乙巳、奉幣於諸社。丙午、賜神祇官頭至祝部等一百六十四人絁布、各有差。

(現代語訳・十六日,詔して,「七年に醴泉が,近江国益須郡の都賀山に湧出した。・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(50)〈持統10〉三月癸卯朔乙巳、幸二槻宮。甲寅、賜越度嶋蝦夷伊奈理武志與肅愼志良守叡草、錦袍袴・緋紺絁・斧等。夏四月壬申朔辛巳、遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。戊戌、以追大貳授伊豫國風速郡物部藥與肥後國皮石郡壬生諸石、幷賜人絁四匹・絲十絇・布廿端・鍬廿口・稻一千束・水田四町、復戸調役、以慰久苦唐地。己亥、幸吉野宮。・・・・・五月壬寅朔甲辰、大錦上秦造綱手、賜姓爲寸。・・・・・乙巳、至自吉野。己酉、以直廣肆授尾張宿禰大隅、幷賜水田卌町。甲寅、以直廣肆贈大狛連百枝、幷賜賻物。

(現代語訳・・・・・・五月三日,大錦上秦造綱手に詔して,忌寸とされた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(51)〈持統11〉六月丙寅朔丁卯、赦罪人。・・・・・辛未、讀經於京畿諸寺。・・・・・辛巳、遣五位以上、掃灑京寺。甲申、班幣於神祇。辛卯、公卿百寮、始造爲天皇病所願佛像。癸卯、遣大夫謁者詣諸社請雨。秋七月乙未朔辛丑夜半、赦常𨰃盜賊一百九人、仍賜布人四常、但外國者稻人廿束。丙午、遣使者祀廣瀬與龍田。癸亥、公卿百寮、設開佛眼會於藥師寺。

(現代語訳・・・・・・六日,詔して経を京畿の諸寺に読ませた ・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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【以上,「日本書紀」の「詔」についての「主語有無」の調査でした】

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持統紀の「詔」について【51】 【26】~【33】

(26)五年春正月癸酉朔、賜親王・諸臣・內新王・女王・內命婦等位。己卯、賜公卿飲食衣裳、優賜正廣肆百濟王餘禪廣・直大肆遠寶・良虞與南典、各有差。乙酉、増封、皇子高市二千戸通前三千戸、淨廣貳皇子穗積五百戸、淨大參皇子川嶋百戸通前五百戸、正廣參右大臣丹比嶋眞人三百戸通前五百戸、正廣肆百濟王禪廣百戸通前二百戸、直大壹布勢御主人朝臣與大伴御行宿禰八十戸通前三百戸、其餘増封各有差。・・・・・丙戌、曰「直廣肆筑紫史益、拜筑紫大宰府典以來於今廿九年矣。以淸白忠誠、不敢怠惰。是故、賜食封五十戸・絁十五匹・綿廿五屯・布五十端・稻五千束。」・・・・・戊子、天皇幸吉野宮。乙未、天皇至自吉野宮。

(現代語訳・十四日,詔して,「直廣肆筑紫史益は,筑紫大宰府の典に任ぜられてから,今に至る二十九年間。,淸白き忠誠心をもって,たゆまず仕えてきた。故に,食封五十戸・絁十五匹・綿廿五屯・布五十端・稻五千束を与える」といわれた。・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(27)〈持統5〉二月壬寅朔、天皇公卿等曰「卿等於天皇世作佛殿經藏・行月六齋、天皇時々遺大舍人問訊。朕世亦如之、故當勤心奉佛法也。」是日、授宮人位記。三月壬申朔甲戌、宴公卿於西廳。丙子、天皇觀公私馬於御苑。

(現代語訳・二月一日,天皇は公卿らに詔して,「卿たちよ,天武天皇の御世に佛殿・經藏をつくり,毎月六回の日を行った。天皇はその時々大舍人を遣わし問わされた。我が世にもこのようにしたいと思う。それ故心慎み仏法をあがめるように」といわれた。

前後の文脈から・・・主語あり

☆ 近畿王朝の史料によるものではないか

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(28)(持統5)癸巳、曰「若有百姓弟爲兄見賣者、從良。若子爲父母見賣者、從賤。若准貸倍沒賤者、從良。其子雖配奴婢所生、亦皆從良。」

(現代語訳・二十二日,詔して,「もし百姓の弟が兄のために売られることがあれば,良人に入れよ。もし子どもが父母のために売られたら賤民に入れよ。借金の為に選民にされた者は,良人に入れよ。その子が奴隷と連れあって生んだ子も良人にいれよ」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(29)〈持統5〉夏四月辛丑朔、曰「若氏祖時所免奴婢既除籍者、其眷族等不得更訟言我奴婢。」

(現代語訳・夏四月一日,詔して,「もし氏の先祖の時に奴隷を免ぜられ,戸籍上除かれている者を,後のやからがまた訴えて,わが奴婢であることを主張することは許されない」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(30)〈持統5〉六月、京師及郡國卌、雨水。戊子、曰「此夏陰雨過節、懼必傷稼。夕惕迄朝憂懼、思念厥愆。其令公卿百寮人等禁斷酒宍・攝心悔過、京及畿內諸寺梵衆亦當五日誦經。庶有補焉。」・・・・・自四月雨、至于是月。己未、大赦天下、但盜賊不在赦例。秋七月庚午朔壬申、天皇幸吉野宮。是日、伊豫國司田中朝臣法麻呂等獻宇和郡御馬山白銀三斤八兩・𨥥一籠。丙子、宴公卿、仍賜朝服。辛巳、天皇至自吉野。甲申、遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。

(現代語訳・六月,京師と諸国の四十か所に水害があった。五月十八日,詔して,「この頃の長雨は季節に外れている。おそらく豊作を損なうであろう。朝から晩まで憂え恐れている。政治に何かの過ちがあるのではないかと思う。公卿・百官も酒肉を禁じ,心を修め過ちを悔いよ。京や畿内の諸寺の僧らは,五日間誦經せよ。どうか効果のあるようにと願う」といわれた。・・・・・ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(31)〈持統5〉八月己亥朔辛亥、十八氏大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿倍・佐伯・采女・穗積・阿曇、上進其祖等墓記。・・・・・辛酉、遣使者祭龍田風神・信濃須波・水內等神。九月己巳朔壬申、賜音博士大唐續守言・薩弘恪・書博士百濟末士善信、銀人廿兩。丁丑、淨大參皇子川嶋薨。辛卯、以直大貳贈佐伯宿禰大目、幷賜賻物。

(現代語訳・八月十三日,十八氏大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿倍・佐伯・采女・穗積・阿曇に詔して,その先祖の墓記を上撰させた。・・・・・辛酉、遣使者祭龍田風神・信濃須波・水內等神。九月己巳朔壬申、賜音博士大唐續守言・薩弘恪・書博士百濟末士善信、銀人廿兩。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(32)〈持統5〉冬十月戊戌朔、日有蝕之。乙巳、曰「凡先皇陵戸者置五戸以上、自餘王等有功者置三戸。若陵戸不足、以百姓充。免其徭役、三年一替。」・・・・・庚戌、畿內及諸國、置長生地各一千步。是日、天皇幸吉野宮。丁巳、天皇至自吉野。甲子、遣使者鎭祭新益京。

(現代語訳・十月一日,日食があった。十月八日,詔して,先皇の陵戸は五戸以上とせよ。これ以外の王らの有功者には,三戸とする。もし陵戸が足りなかったら,百姓をあてよ。その者の徭役は免除せよ。三年に一度入れ替えよ」といわれた 。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(33)〈持統5〉十一月戊辰、大嘗。神祗伯中臣朝臣大嶋、讀天神壽詞。壬辰、賜公卿食衾。乙未、饗公卿以下至主典、幷賜絹等各有差。丁酉、饗神祗官長上以下至神部等及供奉播磨因幡國郡司以下至百姓男女、幷賜絹等各有差。・・・・・十二月戊戌朔己亥、賜醫博士務大參德自珍・呪禁博士木素丁武・沙宅萬首、銀人廿兩。乙巳、曰「賜右大臣宅地四町、直廣貳以上二町、大參以下一町。勤以下至無位、隨其戸口、其上戸一町・中戸半町・下戸四分之一。王等亦准此。」

(現代語訳・十一月戊辰、大嘗。神祗伯中臣朝臣大嶋、讀天神壽詞。壬辰、賜公卿食衾。乙未、饗公卿以下至主典、幷賜絹等各有差。丁酉、饗神祗官長上以下至神部等及供奉播磨因幡國郡司以下至百姓男女、幷賜絹等各有差。・・・・・十二月二日,医博士務大參德自珍・呪禁博士木素丁武・沙宅萬首に銀をそれぞれ二十両ずつ賜った。詔して,「新益京での右大臣に賜る宅地は四町、。直廣貳以上には二町。大參以下には一町,勤以下無位まで,その戸の人数による。上戸には一町・中戸には半町・下戸には四分の一。王等もこれに準ずる」といわれた  )

前後の文脈から・・・主語なし

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持統紀の「詔」について【51】 【13】~【25】

(13)六月壬午朔、賜衣裳筑紫大宰等。癸未、以皇子施基・直廣肆佐味朝臣宿那麻呂・羽田朝臣齊齊、此云牟吾閉・勤廣肆伊余部連馬飼・調忌寸老人・務大參大伴宿禰手拍與巨勢朝臣多益須等、拜撰善言司。庚子、賜大唐續守言・薩弘恪等稻、各有差。・・・・・辛丑、筑紫大宰粟田眞人朝臣等、賜學問僧明聰・觀智等爲送新羅師友、綿各一百四十斤。乙巳、於筑紫小郡、設新羅弔使金道那等、賜物各有差。庚戌、班賜諸司令、一部廿二卷。

(現代語訳・・・・・・二十日,筑紫の大宰粟田眞人朝臣等らに詔して,学問僧明聴・観智らが,新羅の師や友に送るための綿,それぞれ百四十斤賜った)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(14)秋七月壬子朔、付賜陸奧蝦夷沙門自得所請金銅藥師佛像・觀世音菩薩像各一軀・鍾・娑羅・寶帳・香爐・幡等物。是日、新羅弔使金道那等罷歸。 ・・・・・丙寅、左右京職及諸國司、築習射所。辛未、流偽兵衞河內國澁川郡人柏原廣山于土左國、以追廣參授捉偽兵衞廣山兵衞生部連虎。甲戌、賜越蝦夷八釣魚等、各有差。魚、此云儺。

(現代語訳・十五日,左右京職と諸国の国司に詔して,射弓所を築かせた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(15)秋八月辛巳朔壬午、百官會集於神祗官、而奉宣天神地祗之事。甲申、天皇幸吉野宮。丙申、禁斷漁獵於攝津國武庫海一千步內・紀伊國阿提郡那耆野二萬頃・伊賀國伊賀郡身野二萬頃、置守護人、准河內國大鳥郡高脚海。丁酉、賞賜公卿各有差。・・・・・辛丑、伊豫總領田中朝臣法麻呂等曰、讚吉國御城郡所獲白䴏、宜放養焉。癸卯、觀射。

(現代語訳・二十一日,伊予の惣領田中朝臣法麻呂に詔して,「讃岐国三木郡でとらえた白燕放し飼いにせよ」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(16)潤八月辛亥朔庚申、諸國司曰「今冬戸籍可造。宜限九月糺捉浮浪。其兵士者、毎於一國四分而點其一令習武事。」・・・・・丁丑、以淨廣肆河內王爲筑紫大宰師、授兵仗及賜物。以直廣壹授直廣貳丹比眞人嶋、増封一百戸通前。

(現代語訳・閏八月十日,諸国の国司に詔して,「今年の冬に戸籍を造り,九月を期限として浮浪者を取り締まるように。兵士は国ごとに壮丁の四分の一を指定し,武事を習わせよ」といわれた。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(17)夏四月丁未朔己酉、遣使祭廣瀬大忌神與龍田風神。癸丑、賜京與畿內耆老耆女五千卅一人、稻人廿束。・・・・・庚申、曰「百官人及畿內人、有位者限六年、無位者限七年、以其上日、選定九等。~四等以上者、依考仕令、以其善最・功能・氏姓大小、量授冠位。其朝服者、淨大壹已下廣貳已上黑紫、淨大參已下廣肆已上赤紫、正八級赤紫、直八級緋、勤八級深緑、務八級淺緑、追八級深縹、進八級淺縹。別淨廣貳已上、一畐一部之綾羅等、種々聽用。淨大參已下直廣肆已上、一畐二部之綾羅等、種々聽用。上下通用綺帶・白袴、其餘者如常。」戊辰、始祈雨於所々。旱也。

(現代語訳・・・・・・十四日,官位を進める年限は,百官と畿内の人で,有位者は六年,無位者は七年とする。考課はその出勤の日数を以って,九等に訳よ。~)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(18)秋七月丙子朔、公卿百寮人等、始着新朝服。戊寅、班幣於天神地祗。庚辰、以皇子高市爲太政大臣、以正廣參授丹比嶋眞人爲右大臣、幷八省百寮皆遷任焉。辛巳、大宰・國司、皆遷任焉。・・・・・壬午、「令公卿百寮凡有位者、自今以後、於家內着朝服而參上未開門以前。」蓋昔者到宮門而着朝服乎。

(現代語訳・・・・・・七日,詔して,「公卿百官,すべての有位の者は,今後,家の中で朝服を着て,まだ門を開けない前に参上せよ」といわれた。以前は宮門に入ってから朝服を着たらしい)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(19)甲申、曰「凡朝堂座上見親王者、如常、大臣與王起立堂前、二王以上下座而跪。」

(現代語訳・九日,詔して,「およそ朝堂で座についているとき,親王見た場合は従来通り,大臣と王とには,堂前で起立。二王以上の人を見た場合には,座からおりて跪き控えよ」といわれた。)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(20)己丑、曰「朝堂座上見大臣、動坐而跪。」・・・・・是日、以絁絲綿布奉施七寺安居沙門三千三百六十三、別爲皇太子奉施於三寺安居沙門三百廿九。癸巳、遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。

(現代語訳・十四日,詔して,「朝堂で座についている時,大臣を見た時には,座を動いて跪くように」と言われた。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(21)九月乙亥朔、諸國司等曰、凡造戸籍者、依戸令也。

(現代語訳・九月一日,諸国の国司に詔して,「戸籍を造るには戸令によって行え」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(22)乙酉、曰、朕將巡行紀伊之、故勿收今年京師田租口賦。丁亥、天皇幸紀伊。・・・・・丁酉、大唐學問僧智宗・義德・淨願・軍丁筑紫國上陽咩郡大伴部博麻、從新羅送使大奈末金高訓等、還至筑紫。戊戌、天皇至自紀伊。

(現代語訳・十一日,詔して,「紀伊国に巡行しようと思うから,今年の京師の田租・口賦 は徴収をやめよ」といわれた。十三日,天皇は紀伊においでになった。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(23)(24)冬十月甲辰朔戊申、天皇幸吉野宮。癸丑、大唐學問僧智宗等、至于京師。・・・・・戊午、遣使者筑紫大宰河內王等曰「饗新羅送使大奈末金高訓等、准上送學生土師宿禰甥等送使之例。其慰勞賜物、一依書。」

(現代語訳・・・・・・十五日,使者を遣わして,筑紫大宰河内王らに詔して,「新羅の新羅送使大奈末金高訓 らの饗応は,學生土師宿禰甥らを送ってきた送使の饗に準ぜよ。その慰労と賜物は詔書に示されたことに従え」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(25)乙丑、軍丁筑紫國上陽咩郡人大伴部博麻曰「於天豐財重日足姬天皇七年、救百濟之役、汝、爲唐軍見虜。洎天命開別天皇三年、土師連富杼・氷連老・筑紫君薩夜麻・弓削連元寶兒、四人、思欲奏聞唐人所計、緣無衣粮、憂不能達。於是、博麻謂土師富杼等曰『我欲共汝還向本朝。緣無衣粮、倶不能去。願賣我身以充衣食。』・・・・・富杼等、依博麻計、得通天朝。汝獨淹滯他界、於今卅年矣。朕、嘉厥尊朝愛國・賣己顯忠。故、賜務大肆、幷絁五匹・綿一十屯・布卅端・稻一千束・水田四町。其水田、及至曾孫也。免三族課役、以顯其功。」壬申、高市皇子觀藤原宮地、公卿百寮從焉。

(現代語訳・二十二日,兵士,筑紫國上陽咩郡の人,大伴部博麻 に詔して,「斉明天皇の七年,百済救援の役で,お前は唐の捕虜とされた。天智天皇の三年になって,土師連富杼・氷連老・筑紫君薩夜麻・弓削連元寶の子四人が,唐人の計画を朝に奏上しようと思ったが,衣食もないため,京師まで行きつけないことを憂えた。そのとき博麻は土師富杼 らに語って,「自分は皆と一緒に朝のもとに行きたいが,衣食もない身で叶わないので,どうか私を奴隷に売り,その金を衣食にあててくれ」といった」・・・・・」といわれた )

前後の文脈から・・・ 主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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持統紀の「詔」について【51】 【1】~【12】

(1)丙申曰、丙申詔曰、皇子大津謀反、詿誤吏民帳內不得已、今皇子大津已滅、從者但礪杵道作流伊豆。

(現代語訳・二十九日,詔して,「皇子大津は謀叛を企てた。これに欺かれた官吏や舎人は止むを得なかった。今,皇子大津は既に滅んだ。従者で皇子に従った者は,みな赦す。ただし,礪杵道作は伊豆に流がせ」といわれた。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(2)又曰、新羅沙門行心、與皇子大津謀反、朕不忍加法、徙飛騨國伽藍。

(現代語訳・また詔して,「新羅の沙門行心はん,皇子大津の謀叛に与したが,罰するのに忍びないので,飛騨國の寺に移せ」いわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(3)六月癸巳朔庚申、赦罪人。秋七月癸亥朔甲子、曰「凡負債者、自乙酉年以前物、莫收利也。若既役身者、不得役利。」       

(現代語訳・六月二十八日,罪人を赦免された。。秋七月二日,詔して「およそ負債者に関して,天武十四年以前のものについては,利息をとってはならぬ。もしすでに労働で償っている者には,利息分まで労働させてはならない」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし・白村江の敗戦後の徳政令か

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(4)詞酸割、不可具陳。

(現代語訳・詔のことばは悲しく心を破り,詳しくのべるにのに堪えなかった )

前後の文脈から・・・前半に飛鳥寺が出て来た・主語あり

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(5)二年春正月庚申朔、・・・・・乙曰、自今以後毎取國忌日要須齋也。・・・・・

(現代語訳・二年春一月一日,・・・・・十六日,詔して,「今後国忌の日には必ず齋会をさせよ」といわれた ・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(6)三月己未朔己卯、・・・・・ 六月戊子朔戊戌、「令天下、繋囚極刑減本罪一等、輕繋皆赦除之。其令天下皆半入今年調賦。」   

(現代語訳・三月二十一日,・・・・・六月十一日,詔して,「天下に令して,死刑囚は罪一等を減じ,軽囚はみな赦免せよ。全国の今年の調賦を半減せよ」といわれた

前後の文脈から・・・ 主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(7)三年春正月甲寅朔、天皇、朝萬國于前殿。乙卯、大學寮獻杖八十枚。丙辰、務大肆陸奧國優𡺸曇郡城養蝦夷脂利古男、麻呂與鐵折、請剔鬢髮爲沙門。曰「麻呂等、少而閑雅寡欲。遂至於此、蔬食持戒。可隨所請、出家修道。」

(現代語訳・三年春一月一日,天皇は諸国の代表を正殿に集め,元旦の朝拝を行われた。二日,大學寮が杖八十枚奉他。三日,務大肆陸奧國優𡺸曇郡の柵造の蝦夷の脂利古の子・麻呂與鐵折が鬢や髮を剃って沙門になりたいと願い出た。詔して,「麻呂らは,年若いが,優雅で物欲も少なく,採食をして戒律を守るようになった。少而閑雅寡欲。遂至於此、所望通りに出家修道するがよい」といわれた。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(8)壬戌、出雲國司、上送遭値風浪蕃人。

(現代語訳・九日,出雲國司に詔して,「暴風に遭遇した近隣の国の人を,都に送らせた

(現代語訳・壬戌、出雲國司、上送遭値風浪蕃人 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

・・・・・カ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(9)二月甲申朔丙申、、筑紫防人、滿年限者替。己酉、以淨廣肆竹田王・直廣肆土師宿禰根麻呂・大宅朝臣麻呂・藤原朝臣史・務大肆當麻眞人櫻井、與穗積朝臣山守・中臣朝臣々麻呂・巨勢朝臣多益須・大三輪朝臣安麻呂、爲判事

(現代語訳・二月十三日,詔して、「筑紫の防人は,年限になったら交代させよ」と言われた。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(10)三月癸丑朔丙子、大赦天下。・・・・・己酉、、諸司仕丁、一月放假四日。

(現代語訳・三月二十四日,全国に大赦令を出した。・・・・・四月二十七日,詔して,諸司の仕丁にひと月に四日の休暇を与えることとされた。

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(11)五月癸丑朔甲戌、命土師宿禰根麻呂、新羅弔使級飡金道那等、曰「太政官卿等奉勅奉宣、二年、遣田中朝臣法麻呂等、相告大行天皇喪。時、新羅言、新羅奉勅人者元來用蘇判位、今將復爾。

(現代語訳・五月二十二日,土師宿禰根麻呂に命じて,新羅弔使級飡金道那らに詔して,「先に太政官卿らがをうけて告げたが,二年に田中朝臣法麻呂らを相遣わし,大行天皇の喪をつげさせたとき,新羅が申したのは,新羅が勅をうけたまわる人は,今もそのようにしたいと思います )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(12)由是、法麻呂等不得奉宣赴告之詔。

(現代語訳・それで法麻呂たちは,知らせる詔を渡せなかった。・・・・・ )

前後の文脈から・・・(11)を受けて

☆ 九州王朝の史料からの盗用ではないか

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天武紀の「詔」について【66】のうち【58】~【66】

(58)冬十月己卯朔、曰、更改諸氏之族姓、作八色之姓、以混天下萬姓。一曰眞人、二曰朝臣、三曰宿禰、四曰忌寸、五曰道師、六曰臣、七曰連、八曰稻置。是日、守山公・路公・高橋公・三國公・當麻公・茨城公・丹比公・猪名公・坂田公・羽田公・息長公・酒人公・山道公、十三氏賜姓曰眞人。辛巳、遣伊勢王等、定諸國堺。是日、縣犬養連手繦爲大使・川原連加尼爲小使、遣耽羅。

(現代語訳・冬十月一日,詔して,「諸氏の族姓をあらためて,八色の姓をつくり,天下のすべての姓を一本化する。一曰眞人,二曰朝臣,三曰宿禰,四曰忌寸,五曰道師,六曰臣,七曰連,八曰稻置である」といわれた。この日,守山公・路公・高橋公・三國公・當麻公・茨城公・丹比公・猪名公・坂田公・羽田公・息長公・酒人公・山道公の十三氏に,姓を眞人とした。三日,伊勢王らを遣わして,諸國の境界を定めさせた。この日,縣犬養連手繦を大使・川原連加尼爲小使として,耽羅に遣わした )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(59)庚戌、土左國司言、大潮高騰・海水飄蕩、由是、運調船多放失焉。戊辰昏時、七星倶流東北則隕之。庚午日沒時、星隕東方大如瓮、逮于戌、天文悉亂以星隕如雨。是月、有星孛于中央、與昴星雙而行之、及月盡失焉。・・・・・是年、、伊賀・伊勢・美濃・尾張四國、自今以後、調年免役・役年免調。倭葛城下郡言、有四足鶏。亦丹波國氷上郡言、有十二角犢。

(現代語訳・庚戌、土左國司言、大潮高騰・海水飄蕩、由是、運調船多放失焉。戊辰昏時、七星倶流東北則隕之。庚午日沒時、星隕東方大如瓮、逮于戌、天文悉亂以星隕如雨。是月、有星孛于中央、與昴星雙而行之、及月盡失焉。・・・・・この年,詔して,「伊賀・伊勢・美濃・尾張四國は,今後,調のある年には役を免除する」といわれた。倭の葛城下郡,四本足の鶏が見つかりました」と報告した。亦丹波國氷上郡が言「十二の角がある小牛がうまれました」と報告した )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(60)二月丁丑朔庚辰、大唐人・百濟人・高麗人、幷百卌七人賜爵位。三月丙午朔己未、饗金物儒於筑紫、卽從筑紫歸之、仍流着新羅人七口附物儒還之。辛酉、京職大夫直大參巨勢朝臣辛檀努、卒。・・・・・壬申、、諸國毎家作佛舍、乃置佛像及經、以禮拜供養。是月、灰零於信濃國、草木皆枯焉。夏四月丙子朔己卯、紀伊國司言、牟婁湯泉沒而不出也。丁亥、祭廣瀬龍田神。壬辰、新羅人金主山、歸之。庚寅、始請僧尼安居于宮中。

(現代語訳・二月丁丑朔庚辰、大唐人・百濟人・高麗人、幷百卌七人賜爵位。三月丙午朔己未、饗金物儒於筑紫、卽從筑紫歸之、仍流着新羅人七口附物儒還之。辛酉、京職大夫直大參巨勢朝臣辛檀努、卒。・・・・・二十七日,詔して,国々で家ごとに仏舍を造り,仏像と教典を置き,禮拜供養せよ。この月,信濃國に灰が降って,草木が皆枯れた。・・・・・夏四月丙子朔己卯、紀伊國司言、牟婁湯泉沒而不出也。丁亥、祭廣瀬龍田神。壬辰、新羅人金主山、歸之。庚寅、始請僧尼安居于宮中。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(61)六月乙亥朔甲午、大倭連・葛城連・凡川內連・山背連・難波連・紀酒人連・倭漢連・河內漢連・秦連・大隅直・書連、幷十一氏賜姓曰忌寸。秋七月乙巳朔乙丑、祭廣瀬龍田神。庚午、勅定明位已下進位已上之朝服色、淨位已上並着朱花朱花此云波泥孺・正位深紫・直位淺紫・勤位深緑・務位淺緑・追位深蒲萄・進位淺蒲萄。・・・・・辛未、曰、東山道美濃以東・東海道伊勢以東諸國有位人等、並免課役。八月甲戌朔乙酉、天皇幸于淨土寺。丙戌、幸于川原寺、施稻於衆僧。癸巳、遣耽羅使人等還之。

(現代語訳・六月乙亥朔甲午、大倭連・葛城連・凡川內連・山背連・難波連・紀酒人連・倭漢連・河內漢連・秦連・大隅直・書連、幷十一氏賜姓曰忌寸。秋七月乙巳朔乙丑、祭廣瀬龍田神。庚午、勅定明位已下進位已上之朝服色、淨位已上並着朱花朱花此云波泥孺・正位深紫・直位淺紫・勤位深緑・務位淺緑・追位深蒲萄・進位淺蒲萄。・・・・・二十七日,詔して,「東山道は美濃以東・東海道は伊勢以東の諸國の有位者たちは,課税を免除する。八月十二日手,天皇は淨土寺にお出ましになった。十三日,川原寺にお出ましになった。僧たちに稲をお送りになった。二十日,耽羅に遣わされた使人が帰国した )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(62)是日、曰、凡諸歌男・歌女・笛吹者、卽傳己子孫令習歌笛。・・・・・辛酉、天皇、御大安殿、喚王卿等於殿前以令博戲。是日、宮處王・難波王・竹田王・三國眞人友足・縣犬養宿禰大侶・大伴宿禰御行・境部宿禰石積・多朝臣品治・采女朝臣竹羅・藤原朝臣大嶋、凡十人賜御衣袴。壬戌、皇太子以下及諸王卿、幷卌八人賜羆皮山羊皮、各有差。癸亥、遣高麗國使人等還之。丁卯、爲天皇體不豫之、三日誦經於大官大寺・川原寺・飛鳥寺、因以稻納三寺各有差。庚午、化來高麗人等賜祿各有差。

(現代語訳・この日,詔して,「およそすべての歌男・歌女・笛吹は,卽傳自分の技術を子孫に伝え,辛酉、天皇、御大歌や笛に習熟させよ」といわれた。・・・・・安殿、喚王卿等於殿前以令博戲。是日、宮處王・難波王・竹田王・三國眞人友足・縣犬養宿禰大侶・大伴宿禰御行・境部宿禰石積・多朝臣品治・采女朝臣竹羅・藤原朝臣大嶋、凡十人賜御衣袴。壬戌、皇太子以下及諸王卿、幷卌八人賜羆皮山羊皮、各有差。癸亥、遣高麗國使人等還之。丁卯、爲天皇體不豫之、三日誦經於大官大寺・川原寺・飛鳥寺、因以稻納三寺各有差。庚午、化來高麗人等賜祿各有差。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(63)十一月癸卯朔甲辰、儲用鐵一萬斤、送於周芳總令所。是日、筑紫大宰、請儲用物、絁一百匹・絲一百斤・布三百端・庸布四百常・鐵一萬斤・箭竹二千連、送下於筑紫。・・・・・四方國曰、大角小角鼓吹幡旗及弩抛之類、不應存私家、咸收于郡家。戊申、幸白錦後菀。丙寅、法藏法師・金鍾、獻白朮煎。是日、爲天皇招魂之。己巳、新羅、遣波珍飡金智祥・大阿飡金健勳、請政、仍進調。

(現代語訳・十一月癸卯朔甲辰、儲用鐵一萬斤、送於周芳總令所。是日、筑紫大宰、請儲用物、絁一百匹・絲一百斤・布三百端・庸布四百常・鐵一萬斤・箭竹二千連、送下於筑紫。・・・・・全国に詔にして,「大角・小角・鼓・はた・おおゆみ・石はじきの類は,個人の家には置いてはいけない。・・・・・戊申、幸白錦後菀。丙寅、法藏法師・金鍾、獻白朮煎。是日、爲天皇招魂之。己巳、新羅、遣波珍飡金智祥・大阿飡金健勳、請政、仍進調)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(64)朱鳥元年春正月壬寅朔癸卯、御大極殿而賜宴於諸王卿。是日曰、朕問王卿以無端事、仍對言得實必有賜。・・・・・於是、高市皇子、被問以實對、賜蓁揩御衣三具・錦袴二具、幷絁廿匹・絲五十斤・綿百斤・布一百端。伊勢王、亦得實、卽賜皁御衣三具・紫袴二具・絁七匹・絲廿斤・綿卌斤・布卌端。是日、攝津國人百濟新興、獻白馬瑙。庚戌、請三綱律師及大官大寺知事・佐官、幷九僧、以俗供養々之、仍施絁綿布各有差。辛亥、諸王卿各賜袍袴一具。甲寅、召諸才人・博士・陰陽師・醫師者、幷廿餘人、賜食及祿。

(現代語訳・朱鳥元年春正月二日,大極殿にお出ましになり,宴を諸王卿たちに賜った。この日詔して,「自分が王卿に無端事をたずねよう。答えて当たっていたら必ず賜いものをしよう。・・・・・於是、高市皇子、被問以實對、賜蓁揩御衣三具・錦袴二具、幷絁廿匹・絲五十斤・綿百斤・布一百端。伊勢王、亦得實、卽賜皁御衣三具・紫袴二具・絁七匹・絲廿斤・綿卌斤・布卌端。是日、攝津國人百濟新興、獻白馬瑙。庚戌、請三綱律師及大官大寺知事・佐官、幷九僧、以俗供養々之、仍施絁綿布各有差。辛亥、諸王卿各賜袍袴一具。甲寅、召諸才人・博士・陰陽師・醫師者、幷廿餘人、賜食及祿。 )

前後の文脈から・・・大極殿(前期難波宮としたら)

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(65)秋七月己亥朔庚子、勅、更男夫着脛裳・婦女垂髮于背、猶如故。是日、僧正僧都等、參赴宮中而悔過矣。・・・・・辛丑、諸國大解除。・・・・・壬寅、半減天下之調、仍悉免徭役。癸卯、奉幣於居紀伊國々懸神・飛鳥四社・住吉大神。丙午、請一百僧讀金光明經於宮中。戊申、雷光南方而一大鳴、則天災於民部省藏庸舍屋。或曰、忍壁皇子宮失火延燒民部省。癸丑勅曰、天下之事、不問大小、悉啓于皇后及皇太子。是日、大赦之。甲寅、祭廣瀬龍田神。

(現代語訳・秋七月己亥朔庚子、勅、更男夫着脛裳・婦女垂髮于背、猶如故。是日、僧正僧都等、參赴宮中而悔過矣。・・・・・三日,諸國に詔して,大祓を行った。・・・・・壬寅、半減天下之調、仍悉免徭役。癸卯、奉幣於居紀伊國々懸神・飛鳥四社・住吉大神。丙午、請一百僧讀金光明經於宮中。戊申、雷光南方而一大鳴、則天災於民部省藏庸舍屋。或曰、忍壁皇子宮失火延燒民部省。癸丑勅曰、天下之事、不問大小、悉啓于皇后及皇太子。是日、大赦之。甲寅、祭廣瀬龍田神。 )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(66)丁巳曰、天下百姓由貧乏而貸稻及貨財者、乙酉年十二月卅日以前、不問公私皆免原。

(現代語訳・十九日,詔して,諸国の百姓で,貧しいために,稲と資材を貸し与えられた者は,十四年十二月三十日以前の分は,公私を問わずすべて返済を免除せよ」といわれた)

前後の文脈から・・・ 免原(徳政令)

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天武紀の「詔」について【66】のうち【46】~【57】

(46)十一月庚寅朔乙巳、曰「親王・諸王及諸臣至于庶民、悉可聽之。凡糺彈犯法者、或禁省之中・或朝庭之中、其於過失發處卽隨見隨聞、無匿弊而糺彈。其有犯重者、應請則請、當捕則捉。若對捍以不見捕者、起當處兵而捕之。當杖色、乃杖一百以下、節級決之。亦犯狀灼然、欺言無罪則不伏辨以爭訴者、累加其本罪。」

(現代語訳・十一月十六日,詔して,「親王・諸王・諸臣より庶民に至るまで,皆承るがよい。およそ法を犯した者を取り調べる時には,内裏でも政庁でも,その現場において,見聞きした通りに,隠すところなく,取り調べよ。もし重罪を犯した者があれば,直截を受けるべき者があれば,そこの兵を動かして捕らえよ。杖罪に相当する場合は,百以下,等級に従って打て。また犯行が明白なのに,罪を否認して抗弁して,訴え出たような場合には,それに対する罪を,本来の罪に加えるようにせよ」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(47)十二月庚申朔壬戌、曰「諸氏人等、各定可氏上者而申送。亦其眷族多在者、則分各定氏上、並申於官司。然後、斟酌其狀而處分之、因承官判。唯、因少故而非己族者、輙莫附。」

(現代語訳・十二月三日,詔して,「諸氏の人たちは,それぞれに氏上に適当な人を選んで申告せよ。また一族の者が多い場合は,分割してそれぞれの氏上を定めて宮司に申告せよ。宮司では事情を調べた上で決定するので,宮司の判定に従え。ただしとるに足らない理由によって,自分の一族でない者まで,自分の族に加えてはならぬ」唯といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(48)丙午、曰「明神御大八洲倭根子天皇勅命者、諸國司國造郡司及百姓等、諸可聽矣。朕、初登鴻祚以來、天瑞非一二多至之。傳聞、其天瑞者、行政之理協于天道、則應之。是今當于朕世、毎年重至、一則以懼一則以嘉。是以、親王諸王及群卿百寮幷天下黎民、共相歡也。乃小建以上給祿各有差、因以大辟罪以下皆赦之、亦百姓課役並免焉。」是日、奏小墾田儛及高麗・百濟・新羅三國樂於庭中。

(現代語訳・十八日,詔して,「明神御大八洲倭根子天皇の勅命を,諸国の國司・國造・郡司および百姓たちよ,みな共に聞け。自分が皇位を継いでより,天瑞が一つ二つでなく数多く現れている。伝えられるところでは,こうした天瑞は,政道が天道にかなっているとき,示されるという。自分の地政に毎年相次いで現れることを,あるいは恐れあるいは喜んでいる。親王・諸王・群卿・百寮および天下の黎民も,共に喜んでもらいたいので,小建以上の者にそれぞれ祿者を賜い,死罪以下の者は皆赦免する。また百姓の課役はすべて免除する」とといわれた。この日,小墾田儛及び高麗・百濟・新羅の舞楽を朝廷で演奏した )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(49)二月己未朔、大津皇子、始聽朝政。三月戊子朔己丑、任僧正・僧都・律師、因以勅曰、統領僧尼如法、云々。丙午、遣多禰使人等、返之。夏四月戊午朔壬申、曰、自今以後必用銅錢、莫用銀錢。

(現代語訳・二月一日,大津皇子が始めて朝政をおとりになった。三月二日,僧正・僧都・律師を任命し勅して,「僧尼令に従い,僧尼を統べ治めるようにせよ」云々といわれた。十九日,多禰に遣わされていた使人が帰ってきた。夏四月十五日,詔して,「今後は必ず銅錢を用いよ。銀錢を用いてはならぬ」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(50)乙亥曰、用銀莫止。戊寅、祭廣瀬龍田神。六月丁巳朔己未、大伴連望多、薨。天皇、大驚之則遣泊瀬王而弔之。仍舉壬申年勳績及先祖等毎時有功以顯寵賞、乃贈大紫位、發鼓吹葬之。壬戌、三位高坂王薨。

(現代語訳・十八日,詔して,「銀を使用することはやめなくても良い」と言われた。二十一日,廣瀬・龍田神を祭った。六月三日,大伴連望多が薨じた。天皇は大いに驚かれ泊瀬王を遣わして弔わされた。壬申の年の武勲および先祖が代々たててきた功績をたたえて,厚く恩賞を賜った。大紫の位を贈られ,鼓や笛の音をまじえて葬儀を行わせられた。六日,三位高坂王が薨じた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(51)十一月甲申朔丁亥、諸國習陣法。丙申、新羅、遣沙飡金主山・大那末金長志、進調。十二月甲寅朔丙寅、遣諸王五位伊勢王・大錦下羽田公八國・小錦下多臣品治・小錦下中臣連大嶋、幷判官・錄史・工匠者等、巡行天下而限分諸國之境堺。然、是年不堪限分。

(現代語訳・十一月四日,諸国に詔して,陣法を習わせた。。十三日,新羅は沙飡金主山・大那末金長志を遣わして,調をたてまつった。十二月十三日,諸王五位の伊勢王・大錦下羽田公八國・小錦下多臣品治・小錦下中臣連大嶋、幷判官・錄史・工匠者などを遣わし,全国を巡行し諸國の境堺を区分させたが,この年区分は出来上がらなかった )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(52)庚午、曰、諸文武官人及畿內有位人等、四孟月必朝參。若有死病不得集者、當司具記申送法官。

(現代語訳・十七日,詔して,「すべての文武官人および畿內の有位者たちは,四季の始めの月に,必ず参朝し天皇に拝礼せよ。もし重病のため参集できない時は,所属の官司が詳しく理由を記して,法官に申し送れ」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(53)又曰、凡都城宮室、非一處必造兩參、故先欲都難波。是以、百寮者各往之請家地。

(現代語訳・又また詔して,「都城や宮室は,一か所だけということなく,必ず二,三か所あるべきである。それ故まず難波に都を造ろうと思う。是以、百寮の者は,それぞれ難波にも行き,家地を賜るように願え」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(54)閏四月壬午朔丙戌、曰「來年九月必閲之、因以、教百寮之進止威儀。」

(現代語訳・ 閏四月五日,詔して,「來年九月,必ず検閲を行うから,百寮の宮中での振る舞い・威儀を教習しておくように)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(55)又曰「凡政要者軍事也。是以、文武官諸人務習用兵及乘馬。則馬兵幷當身裝束之物務具儲足。其有馬者爲騎士・無馬者步卒、並當試練、以勿障於聚會。

(現代語訳・また詔して,「凡そもそも政治の要めは軍事である。それ故,文武官の人々は,努めて武器を使い,乗馬を習え。馬・武器・それに本人が着用する物は,仔細を調べ揃えておけ。馬のある者を騎士とし,馬のない者を步兵とし,それぞれ訓練を積んで,集合の際に差支えの内容にせよ )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(56)若忤旨、有不便馬兵亦裝束有闕者、親王以下逮于諸臣、並罰之。大山位以下者、可罰々之・可杖々之。其務習以能得業者、若雖死罪則減二等、唯恃己才以故犯者不在赦例。」

(現代語訳・もしその趣旨に違反し,馬・武器に不都合なところがあり,装備に欠けるようなところがあ兵亦裝束有闕者、親王以下諸臣に至るまで,みな処罰する。大山位以下の者は処罰すべきは処罰し,杖の刑の者は実際に杖で打つ。訓練に務め技術をした者は,もし死罪にあたる罪を犯しても罪二等を減ずる。ただし自分の才能を頼み,それによって故意に罪を犯した者は,赦すことはしない」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(57)又曰「男女並衣服者、有襴無襴及結紐長紐、任意服之。其會集之日着襴衣而長紐、唯男子者有圭冠々而着括緖褌。女年卌以上、髮之結不結及乘馬縱横、並任意也。別巫祝之類、不在結髮之例。」

(現代語訳・また詔して,「男女とも衣服は,襴があってもなくても,またひも短く結んでも長く垂らしても,自由である。ただし,朝廷に参集するときは,襴のある衣を着用して,長い紐をたらせ,男子は圭冠があればそれをかぶり,括緖褌を着けよ。女の四十歳以上の者は,髮は結い上げても結い上げなくても,馬の乗り方が縦でも横でも,任意とする。このほか巫女や神官などは髪を結いあげなくてもよい」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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2021年8月22日 (日)

天武紀の「詔」について【66】のうち【35】~【45】

(35 夏四月己亥朔庚子、祭廣瀬龍田神。辛丑、立禁式九十二條、因以之曰「親王以下至于庶民諸所服用、金銀珠玉・紫錦繡綾・及氈褥冠帶・幷種々雜色之類、服用各有差。」

(現代語訳・夏四月二日,広瀬・瀧田の神を祀った。三日,禁式九十二条を制定し,詔して,「親王以下庶民に至るまで,身に着ける金・銀・珠玉・紫・西木・おりもの・こしき・冠・帯その他種々もの着用するには,それぞれ身分に応じたものを用いよ」といわれた。)

前後の文脈から・・・広瀬・瀧田は近畿だが,次の記事の「詔」には主語がないので

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(36)辭具有書。

(現代語訳・詳しいことは,詔書に述べられている)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(37)五月己巳朔己卯、祭皇祖御魂。是日曰、凡百寮諸人、恭敬宮人過之甚也。或詣其門謁己之訟、或捧幣以媚於其家。自今以後、若有如此者隨事共罪之。甲午、高麗卯問、歸之。六月己亥朔癸卯、饗新羅客若弼於築紫、賜祿各有差。乙卯、雩之。壬戌、地震。

(現代語訳・五月十一日,高祖御魂を祭った。この日に詔して,「およそ百寮の人々が,宮廷の女官に対するあがめ方には行き過ぎがある。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(38)八月丁卯朔丁丑、大錦下上毛野君三千卒。丙子、三韓諸人曰「先日復十年調税既訖。且加以、歸化初年倶來之子孫、並課役悉免焉。」 

(現代語訳・八月十一日,大錦下上毛野君三千が卒した。十日,三韓から来た人々に詔して,「以前,十年間の徴税を免除することとした。また,これに加えて,帰化の年,一緒に連れて来た子孫は,すべて課税を免除すると」といわれた」)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用だと考える

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(39)九月丁酉朔己亥、遣高麗新羅使人等共至之拜朝。辛丑、周芳國貢赤龜、乃放嶋宮池。甲辰、曰、凡諸氏有氏上未定者、各定氏上而申送于理官。庚戌、饗多禰嶋人等于飛鳥寺西河邊、奏種々樂。壬子、篲星見。癸丑、熒惑入月。

(現代語訳・八日,詔して,「諸姓の中で氏上がまだ決まっていない者があれば,氏上を決めて理宮に報告せよ」と言われた。)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(40)冬十月丙寅朔、日蝕之。癸未、地震。乙酉、新羅遣沙㖨一吉飡金忠平・大奈末金壹世貢調、金銀銅鐵・錦絹鹿皮・細布之類各有數、別獻天皇・皇后・太子、金銀霞錦・幡皮之類、各有數。庚寅、曰、大山位以下小建以上人等各述意見。是月、天皇、將蒐於廣瀬野而行宮構訖、裝束既備、然車駕遂不幸矣。唯親王以下及群、皆居于輕市而檢校裝束鞍馬、小錦以上大夫皆列坐於樹下、大山位以下者皆親乘之、共隨大路自南行北。新羅使者至而告曰、國王薨。

(現代語訳・二十五日,詔して,「大山位大夫小建以上の人たちは,それぞれ国政について意見をべよ」といわれた。)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(41)三月甲午朔、命小紫三野王及宮內官大夫等遣于新城令見其地形、仍將都矣。乙未、陸奧國蝦夷廿二人賜爵位。庚子、地震。丙午、命境部連石積等、更肇俾造新字一部卅四卷。己酉、幸于新城。辛酉、曰「親王以下百寮諸人、自今已後、位冠及襅褶脛裳、莫着。亦、膳夫・采女等之手繦・肩巾肩巾此云比例並莫服。」

(現代語訳・二十八日,詔して,「親王以下百寮の諸人は,今後,位冠およびまえも・はいもを着用してはならぬ・・・・」)

前後の文脈・・・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(42)是日曰、親王以下至于諸臣、被給食封、皆止之、更返於公。是月、土師連眞敷卒、以壬申年功贈大錦上位。

(現代語訳・この日詔して,「親王以下,諸臣に至るまで,賜っていた食封は,みなとりやめにして公に返すこととせよ」といわれた。」)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(43)夏四月癸亥朔辛未、祭廣瀬龍田神。癸未、筑紫大宰丹比眞人嶋等、貢大鐘。甲申、越蝦夷伊高岐那等、請俘人七十戸爲一郡、乃聽之。乙酉、曰「自今以後、男女悉結髮。十二月卅日以前、結訖之。唯結髮之日、亦待勅旨。」婦女、乘馬如男夫、其起于是日也。五月癸巳朔甲辰、倭漢直等賜姓曰連。戊申、遣高麗大使佐伯連廣足・小使小墾田臣麻呂等、奏使旨於御所。己未、倭漢直等男女悉參赴之、悅賜姓而拜朝。

(現代語訳・二十三日,今後,男女ともみな髪を結い上げることとし,十あ二月三十日までにあげ終わるようにせよ。・・・・・)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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八月壬戌朔、令親王以下及諸臣、各俾申法式應用之事。甲子、饗高麗客於筑紫。是夕昏時、大星自東度西。丙寅、造法令殿內、有大虹。壬申、有物、形如灌頂幡而火色、浮空流北。毎國皆見、或曰入越海。是日、白氣起於東山、其大四圍。癸酉大地動、戊寅亦地震動。是日平旦、有虹、當于天中央、以向日。甲戌、筑紫大宰言、有三足雀。

(44)癸未、禮儀言語之狀、

(現代語訳・・・二十二日,宮中での礼儀や言葉遣いについて詔された)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(45)且曰「凡諸應考選者、能檢其族姓及景迹、方後考之。若雖景迹・行能灼然、其族姓不定者不在考選之色。」己丑、勅、爲日高皇女更名新家皇女之病、大辟罪以下男女幷一百九十八人皆赦之。庚寅、百卅餘人出家於大官大寺。

(現代語訳・また詔して,およそ諸々の選考を行うには,よくその氏姓や成績を考えて考えてきめよ)

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

 

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天武紀の「詔」について 【66】のうち【24】~【34】

(24)八年春正月壬午朔丙戌、新羅送使加良井山・金紅世等、向京。戊子、曰「凡當正月之節、諸王諸臣及百寮者、除兄姉以上親及己氏長以外、莫拜焉。其諸王者、雖母非王姓者、莫拜。凡諸臣亦莫拜卑母。雖非正月節、復准此。若有犯者、隨事罪之。」己亥、射于西門。

※「詔」関係部分のみ訳します。目がしょぽしょぼしてますので・・・。

(現代語訳・七日,詔して,「正月の節会のときに,諸臣および百寮は,兄姉以上の親族および自分の氏神を除いて,この他には拝礼することを禁ずる。

前後の文脈すら・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(25)二月壬子朔、高麗、遣上部大相桓父・下部大相師需婁等、朝貢。因以、新羅遣奈末甘勿那、送桓父等於筑紫。甲寅、紀臣堅摩呂、卒。以壬申年之功、贈大錦上位。乙卯、曰「及于辛巳年、檢校親王諸臣及百寮人之兵及馬。故、豫貯焉。」是月、降大恩恤貧乏、以給其飢寒。 

(現代語訳・四日,詔して,「天武十年に,親王・諸臣や百寮の人たちの武器や馬の検査を行うから,あらかじめ準備をしておくように」といわれた)

前後の文脈から・・・主語なしだが,天武十年がかかれている

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(26)夏四月辛亥朔乙卯、曰、商量諸有食封寺所由、而可加々之、可除々之。是日、定諸寺名也。己未、祭廣瀬龍田神。

(現代語訳・夏四月五日,詔して「食封を与えられている諸寺の由緒を調べ,加えるべきものは加え,やめるべきものはやめよ」といわれた。この日,諸寺の名をえらび定めた。

前後の文脈から・・・主語なしだが,諸寺の由緒を調べ直す調査なので,近畿の仕事か

☆ 近畿王朝の史料からか

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(27)五月庚辰朔甲申、幸于吉野宮。乙酉、天皇、皇后及草壁皇子尊・大津皇子・高市皇子・河嶋皇子・忍壁皇子・芝基皇子曰「朕、今日與汝等倶盟于庭而千歲之後欲無事、奈之何。」皇子等共對曰、理實灼然。則草壁皇子尊、先進盟曰「天神地祗及天皇、證也。吾兄弟長幼幷十餘王、各出于異腹、然不別同異、倶隨天皇勅而相扶無忤。若自今以後、不如此盟者、身命亡之子孫絶之。非忘非失矣。」五皇子、以次相盟如先。然後、天皇曰「朕男等各異腹而生、然今如一母同産慈之。」則披襟抱其六皇子。因以盟曰「若違茲盟、忽亡朕身。」皇后之盟、且如天皇。丙戌、車駕還宮。己丑、六皇子共拜天皇於大殿前。

(現代語訳・五月五日,吉野宮に行幸された。六日,天皇は皇后および草壁皇子・大津皇子・高市皇子・河嶋皇子・忍壁皇子・芝基皇子に詔して,「自分は,今日、お前たちと共朝廷で盟約し,千年の後まで,継承の争いを起こすことのないように図りたいと思うがどうか」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なしだが,吉野宮・天皇・皇后・子どもたち

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(28)(29)六月庚戌朔、氷零、大如桃子。壬申、雩。乙亥、大錦上大伴杜屋連、卒。秋七月己卯朔甲申、雩。壬辰、祭廣瀬龍田神。乙未、四位葛城王卒。八月己酉朔、曰、諸氏貢女人。己未、幸泊瀬、以宴迹驚淵上。先是、王卿曰「乘馬之外、更設細馬、以隨召出之。」卽自泊瀬還宮之日、看群卿儲細馬於迹見驛家道頭、皆令馳走。庚午、縵造忍勝、獻嘉禾、異畝同頴。癸酉、大宅王卒。

(現代語訳・八月一日,詔して,「諸の氏は,それぞれ女人をたてまつれ」といわれた。・・・これよりさき,王卿らに詔して,「乘用馬の他に,さらに別の良馬を用意し,召されることがあったときは,直ぐ差し出せるように」といわれた)

前後の文脈から・・・両方とも主語なしだが,瀧田や泊瀬の地名あり

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(30)九月戊寅朔癸巳、遣新羅使人等、返之、拜朝。庚子、遣高麗使人・遣耽羅使人等、返之、共拜朝庭。冬十月戊申朔己酉、曰「朕聞之、近日暴惡者多在巷里。是則王卿等之過也。或聞暴惡者也煩之忍而不治、或見惡人也倦之匿以不正。其隨見聞以糺彈者、豈有暴惡乎。是以、自今以後、無煩倦而上責下過・下諫上暴、乃國家治焉。」

(現代語訳・冬十月二日、詔して,「この頃乱暴で悪事をはたらく者が里に多いと聞く。これは王卿らの落ち度である。乱暴で悪事をはたらく者があると聞いても,面倒と思って表ざたにせず,悪い者を見ても怠って隠して正そうとしない。それを見聞きしたらすぐ糺すすようにすれば,暴悪な者はなくなる。今後煩い怠ることなく,上に立つ者の誤りを攻め,下の者の誤りを責め,下の者は上野者の粗暴な振る舞いをいさめれば,国家は収まるだろう」といわれた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(31)冬十月壬寅朔乙巳、恤京內諸寺貧乏僧尼及百姓而賑給之、一毎僧尼各絁四匹・綿四屯・布六端、沙彌及白衣各絁二匹・綿二屯・布四端。十一月壬申朔、日蝕之。甲戌、自戌至子、東方明焉。乙亥、高麗人十九人返于本土、是當後岡本天皇之喪而弔使留之未還者也。・・・・・戊寅、百官曰、若有利國家寛百姓之術者、詣闕親申、則詞合於理立爲法則。

(現代語訳・冬十月壬寅朔乙巳、恤京內諸寺貧乏僧尼及百姓而賑給之、一毎僧尼各絁四匹・綿四屯・布六端、沙彌及白衣各絁二匹・綿二屯・布四端。十一月壬申朔、日蝕之。甲戌、自戌至子、東方明焉。乙亥、高麗人十九人返于本土、是當後岡本天皇之喪而弔使留之未還者也。

・・・・・七日,百官に詔して,「もし国家に利益となり,人民を豊かにする術があれば,朝に参ってみずから申し述べ。いうところの利に叶えれば取り上げて,法律として実施しよう」と言われた )

前後の文脈から・・・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(32)十年春正月辛未朔壬申、頒幣帛於諸神祗。癸酉、百寮諸人拜朝庭。丁丑、天皇、御向小殿而宴之。是日、親王諸王引入內安殿、諸臣皆侍于外安殿、共置酒以賜樂。則大山上草香部吉士大形授小錦下位、仍賜姓曰難波連。辛巳、勅境部連石積、封六十戸、因以給絁卅匹・綿百五十斤・布百五十端・钁一百口。丁亥、親王以下小建以上、射于朝庭。・・・・・己丑、畿內及諸國修理天社地社神宮。

(現代語訳・十年春正月辛未朔壬申、頒幣帛於諸神祗。癸酉、百寮諸人拜朝庭。丁丑、天皇、御向小殿而宴之。是日、親王諸王引入內安殿、諸臣皆侍于外安殿、共置酒以賜樂。則大山上草香部吉士大形授小錦下位、仍賜姓曰難波連。辛巳、勅境部連石積、封六十戸、因以給絁卅匹・綿百五十斤・布百五十端・钁一百口。丁亥、親王以下小建以上、射于朝庭。・・・・・十九日,畿內および諸國に詔して,諸の神社の社殿を修理させた )

前後の文脈から・・・主語なし・畿内

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(33)二月庚子朔甲子、天皇々后共居于大極殿、以喚親王諸王及諸臣、之曰「朕今更欲定律令改法式、故倶修是事。然頓就是務公事有闕、分人應行。」・・・・・是日、立草壁皇子尊爲皇太子、因以令攝萬機。戊辰、阿倍夫人薨。己巳、小紫位當摩公豐濱薨。

(現代語訳・二月二十五日,天皇・皇后ご一緒に大極殿にお出ましになり,親王・諸王および諸臣をお召しになって詔し,「自分は今ここに律令を定め,法式を改めたいと思う。それ故皆この事に取り掛かるように。しかし急にこれのみを仕事とすれば,公事を欠くことがあろうから,分担して行うようにせよ」といわれた

前後の文脈から・・・大極殿

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(34)三月庚午朔癸酉、葬阿倍夫人。丙戌、天皇御于大極殿、以川嶋皇子・忍壁皇子・廣瀬王・竹田王・桑田王・三野王・大錦下上毛野君三千・小錦中忌部連首・小錦下阿曇連稻敷・難波連大形・大山上中臣連大嶋・大山下平群臣子首、令記定帝紀及上古諸事。大嶋・子首、親執筆以錄焉。庚寅、地震。甲午、天皇居新宮井上而試發鼓吹之聲、仍令調習。

(現代語訳・三月四日,阿倍夫人を葬った。十七日,天皇は大極殿にお出ましになり,川嶋皇子・忍壁皇子・廣瀬王・竹田王・桑田王・三野王・大錦下上毛野君三千・小錦中忌部連首・小錦下阿曇連稻敷・難波連大形・大山上中臣連大嶋・大山下平群臣子首に詔して,帝紀および上古の諸事を記し校定させられた。大嶋・子首が自ら筆をとって記した。二十一日,地震があった。。二十五日,天皇は新宮の井のそばにおいでになり,試みに鼓や笛の音を出して見られ,練習をさせられた )

前後の文脈から・・・大極殿

☆ 九州王朝の史料からの盗用ではないか

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2021年8月21日 (土)

天武紀の「詔」について 【66】のうち【14】~【23】

(14)五年春正月庚子朔、群臣百寮拜朝。癸卯、高市皇子以下小錦以上大夫等、賜衣袴褶腰帶脚帶及机杖、唯小錦三階不賜机。丙午、小錦以上大夫等、賜祿各有差。甲寅、百寮初位以上、進薪。卽日、悉集朝庭賜宴。乙卯、置祿射于西門庭、中的者則給祿有差。是日、天皇御嶋宮、宴之。甲子、曰、凡任國司者、除畿內及陸奧・長門國、以外皆任大山位下人。

(現代語訳・五年春正月一日,群臣百寮は賀正の礼を行った。。四日,高市皇子以下,小錦以上大夫らに,衣・袴・褶・腰帶・脚帶・および机・杖を賜った。ただし小錦の三つの階のみは机がなかった。七日,小錦以上大夫らにそれぞれに応じた賜物があった。十五日,百寮の初位以薪を奉った。その日て朝庭に全員を集めて宴を賜った。十六日,西の門の広場で弓競べがあり,的への当たり方によって,それぞれ祿を賜った。この日天皇は嶋宮においでになって宴会を催された。二十五日,詔して「國司を任命するには,畿內および陸奧・長門國以外は,すべて任大山の位以下の人を任ぜよ」といわれた )

前後の文脈から・・・賀正の礼・主語なしー主語あり・嶋宮

☆ 九州+近畿か

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(15)己未、美濃國司曰「在礪杵郡紀臣訶佐麻呂之子、遷東國、卽爲其國之百姓。」

(現代語訳・二十二日,美濃國司に詔して,「礪杵郡にいる紀臣訶佐麻呂之の子を東國に移して,その国の人民とせよ」といわれた )

前後の文脈から・・・かつて美濃=九州の版図だった・主語なし

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(16)(17)(18)八月丙申朔丁酉、親王以下小錦以上大夫及皇女・姬王・內命婦等、給食封各有差。辛亥、曰「四方爲大解除、・・・・・壬子、曰「死刑・・・・・・是日、諸國以放生。

(現代語訳・八月二日,親王以下小錦以上の大夫および皇女・姬王・內命婦らにそれぞれ食封を賜った。十六日,詔して,「国々で大祓をしよう。・・・・・十七日,詔して,「死刑・・・・・は一級下げる。この日,詔して,諸國に放生令をしかれた )

前後の文脈から・・・この続きに,大三輪真上田子人君(壬申の乱で活躍)

☆ 九州+近畿か

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(19)十一月乙丑朔、以新嘗事、不告朔。丁卯、新羅、遣沙飡金淸平、請政。幷遣汲飡金好儒・弟監大舍金欽吉等、進調。其送使奈末被珍那・副使奈末好福、送淸平等於筑紫。是月、肅愼七人、從淸平等至之。癸未、近京諸國而放生。甲申、遣使於四方國、說金光明經・仁王經。丁亥、高麗、遣大使後部主簿阿于・副使前部大兄德富、朝貢。仍新羅、遣大奈末金楊原、送高麗使人於筑紫。是年、將都新城。而限內田園者、不問公私、皆不耕悉荒。然遂不都矣。

(現代語訳・十一月一日。新嘗祭のため告朔がなかった。三日,新羅が沙飡金淸平を遣わし,政を報告し,合わせて汲飡金好儒・弟監大舍金欽吉らを遣わして,調を奉った。その送使奈末被珍那・副使奈末好福は,淸平らを筑紫まで送ってきた。この月に肅愼の七人が,淸平らに従ってきた。十九日,京に近い諸國に詔して,放生会を行なわれた。諸国に使いを遣わして,金光明經・仁王經を解かされた。二十三日,高麗が大使後部主簿阿于・副使前部大兄德富を遣わして,調を奉った。このため新羅は,大奈末金楊原を遣わして,高麗の使人を筑紫に送ってきた )

前後の文脈から・・・京,放生会,金光明京,仁王経・筑紫・新羅・高麗

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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(20)六月壬辰朔乙巳、大震動。是月、東漢直等曰「汝等黨族之自本犯七不可也。是以、從小墾田御世至于近江朝、常以謀汝等爲事

(現代語訳・六月十四日,大地震があった。この月東漢直らに詔して,「お前たちの仲間は,いままでに七つの良からぬことを行った。

 推古天皇から天智天皇の代に至るまで常にお前たちを警戒してきた)

前後の文脈から・・・推古天皇~天智天皇まで

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(21)(22)八月辛卯朔乙巳、大設齋於飛鳥寺、以讀一切經。便天皇御寺南門而禮三寶。是時、親王諸王及群卿、毎人賜出家一人。其出家者、不問男女長幼、皆隨願度之。因以、會于大齋。丁巳、金淸平歸國。卽漂着朴刺破等、付淸平等返于本土。戊午、耽羅、遣王子都羅、朝貢。九月庚申朔己丑、曰、凡浮浪人、其送本土者、猶復還到、彼此並科課役。

(現代語訳・八月十五日,飛鳥寺で盛大な齋会をもうけ,一切經を読ませられた。天皇は寺の南門にお出ましになり,仏を拝礼された。このとき親王諸王及群卿に詔して,「おのおのについて一人ずつ出家することを許し,その出家者は,男女長幼を問わず、皆願いに従って得度させ,この大齋会に参会させた。二十七日,金淸平は帰途についた。漂着した朴刺破らは,淸平らにつけて本土に返された。二十八日,耽羅は王子都羅を遣わして,調を奉った。九月三十日,詔して,「およそ浮浪者で,その本籍地に送られた者が,また戻った場合は,向こうでもこちらでも双方の課役を科せよ」といわれた )

前後の文脈から・・・飛鳥寺

☆ 近畿王朝の史料ではないか

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(23)冬十月甲申朔、・・・・・己酉、曰「凡內外文武官、毎年、史以上其屬官人等公平而恪懃者、議其優劣則定應進階。正月上旬以前、具記送法官。則法官校定、申送大辨官。然、緣公事以出使之日、其非眞病及重服、輕緣小故而辭者、不在進階之例。」

(現代語訳・冬十月一日,・・・・・二十六日,詔して,「およそ內外の文武官は,毎年,史以上の官人の,公平で仕事に忠実なものについて優劣を議し,昇進すべき位階を定めよ。一月の上旬より前に詳しく記して,法官に送れ。法官は良く調べて,大弁官に送れ。しかし公事で使いにでるべき日に,真実の病気,父母の喪以外で,小さなことに関わり,出ない者は昇進させることはない」といわれた

前後の文脈から・・・主語なし・役人の昇進規定

☆ 九州王朝の史料の盗用ではないか

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