2017年7月10日 (月)

「沖ノ島」が世界文化遺産に

宗像の「沖ノ島」が周辺遺跡を含めて,世界文化遺産に決定したそうだ。
とりあえず素晴らしいことだと思う。
あれほどの価値のある遺跡がほとんど手つかずに残されているのは,
やはり宗教上のものであり,厳しい戒律が守られてきたからだろう。
(女人禁制で女性は入れなかったし,男性もみそぎをしなければだめだった。
また,島から一木一草一石たりともを持ち出してはならず,
「不言様(おいわずさま)」と呼ばれるように情報の持ち出しも禁止されていた)

さて,この「沖ノ島」の一番肝要なところは,
誰がこの神々(宗像三神と呼ばれる女神たち)を祀ってきたかというところだろう。
通説としては,大和政権がその仕事をしてきたと言いたいところだろうが,
ここはかつて倭国(九州王朝)が治めてきた地であり,宗像神社が仕事してきた事情がある。
また,出土物にしても黄金の指輪,竜の矛先,五弦の琴,機織りミニチュア金銅製品と,
大和に類似品のないこといとまない。
ぜひこれまで行われてきた学術調査のさらに上を行くものをして,
「最大の謎」を解いてもらいたい。
その時,九州王朝という仮説があることを,決して忘れないでほしい。

PS 先日ビックロに寄ったついでに,紀伊国屋に寄ったら,
「沖ノ島」に関する本や写真集がたくさん出ていた。
なるほと,世界文化遺跡登録を目指し,頑張っていたわけだ。

「沖ノ島」が世界文化遺産に

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170709-00000091-jij-soci

2017年7月 9日 (日)

「原稿依頼」をいただきました!

『古代に真実を求めて』第21集の「原稿依頼」をいただいた。
特集企画が「古代官道」ということだからだと思う。

もちろん「待っていました」的企画なので,元原稿に手をいれて投稿しようと思う。
(元原稿の題名は,「日本古代ハイウェーは九州王朝が作った軍用道路か?」で,
「古田史学会報」2012年2月号に掲載された)

また,「古代道と駅鈴」についても目をつけていただき,感謝である。
ぜひこちらも頑張りたい。

なお,メールでいただいた内容なので,
Hさんとさせていただいた。

メールがまだ完全に回復しておらず,
こちらを通して「投稿」を表明させていただく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

肥沼様
前略お世話になります。古田史学の会のHです。
「古代に真実を求めて」第21集(来年3月発刊予定)の編集を進めておりますが、
現在の所、特集企画2として「(仮題)九州王朝の古代官道」を予定しています。
掲載論考として、
肥沼さんの「古代官道は軍事ハイウェイ」(以前会報掲載分)の推薦を受けております。
よろしければ、第21集へ再投稿願えませんか。
又、併せて、コラムとして、
肥沼さんの「古代道と駅鈴」(ブログ掲載分)も投稿のご検討をお願いします。
こちらはコラムですので、短文でお願いします。
投稿は10月末締め切りです。いただいた投稿は編集会議で採否決定させていただきます。H

2017年6月14日 (水)

川瀬さんが「日本書紀」の新分析で・・・

『徹底検証「新しい歴史教科書」』シリーズ4巻(同時代社)の著者であり,
我が「肥さんの夢ブログ」のご意見番でもある川瀬健一さんが,
兄弟サイト「古田史学の継承のために」において,
「日本書紀」の新分析から以下の論文を書かれた。
まことに長文ではあるけれど,その息吹をお伝えしたくてリンクしてみる。
歴史に興味のある方だけでなく,あまり興味がない方も,
ぜひ一度訪問してみていただきたい。

●孝徳の宮「難波長柄豊﨑宮」はどこにあったか?(川瀬健一さん)

http://koesan21.cocolog-nifty.com/keishou/2017/06/post-f92a.html

2017年6月12日 (月)

東大寺の東塔跡と西塔跡を訪ねて

修学旅行で東大寺に寄った際,
東塔跡と西塔跡に行ってみた。
写真を何枚か撮ってきたので,
載せてみることにしよう。

【復元・九重塔の法輪】

P6080513

【東塔跡】

P6080520_2

P6080521

P6080522

【西塔跡】

P6080531

P6080530

九重塔の土台も版築が施されているためか,
1300年の風雪に耐えて残っているように思う。

そして,これが総国分寺としての東大寺の九重塔であり,
その下に各国の国分寺の七重塔があり,
(九州王朝の時代に建てられた)国府寺の五重塔・三重塔は
さらに「それ以下の扱い」ということになるのではないか。


2017年6月 3日 (土)

観世音寺 碾磑(てんがい)

今「古田史学の継承のために」のサイトで,
観世音寺 碾磑(てんがい)のことが話題になっていて,
ちょっと私も知りたくなったのでリンクしてみました。

観世音寺 碾磑(てんがい)

http://saitodazaifu.blog109.fc2.com/blog-entry-3.html

「てんがい」といっても,法隆寺の仏像上空の飾りの「天蓋」ではなく,石臼のようですね。

「古田史学の継承のために」の中に「前期難波宮九州王朝副都説への疑問(大下さん)」を載せました

「古田史学の継承のために」の中に,
「前期難波宮九州王朝副都説への疑問(大下さん)」を載せました。
ご意見がある方は,そちらで議論していただけるよう,
お願いいたします。

「古田史学の継承のために」

http://koesan21.cocolog-nifty.com/keishou/2017/06/post-599a.html

2017年5月25日 (木)

武田鉄矢さんは,古田ファンだった

金八先生役などで知られる武田鉄矢さんだが,
古田武彦著『「邪馬台国」はなかった』を読んでおり,
かなりの古田ファンであるようだ。
上岡竜太郎氏がそうなのは,前から知っていたが,
武田さんもそうだとは知らなかった。
私は「今朝の三枚おろし」というラジオ番組のYouTubeからだった。
情報のもとは,こんな時ですが,「古賀達也の洛中洛外日記」ですよ。

武田鉄矢 今朝の三枚おろし

https://www.youtube.com/watch?v=dGwnzDs2ckI

ちなみに,このことをテーマにした曲もあるそうですよ。
(「倭人伝 ~ a man across the sea」という歌らしい)
私は海援隊のコンサートに近々参加します。(5/27)
昭島公民館,午後3時~。

倭人伝

https://www.youtube.com/watch?v=5yR30irJ1e4

2017年5月24日 (水)

古賀さんが「洛中洛外日記」で反論開始!?

論争のためのサイトとして開設した新サイト「古田史学の継承のために」
に刺激されてのことだと思うが,
古賀さんが最近の「洛中洛外日記」で
「二中歴」や「副都説」についてのお考えを掲載され,
どこが間違っているのか批判してほしいと訴えておられる。
これに対してどう対処していくかが,今後注目されていくところである。

新古代学の扉・「古賀達也の洛中洛外日記」

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html#wa1395

とりあえず,「洛中洛外日記」を転載するかどうか,ということが出てくる。
自分の考えだけ発表していたのでは,論争にならないわけですからね。
ただ,それについての議論は「夢ブログ」ではコメントしていただかないようにお願いします。
また,先日のように古田史学関係で「紙面」が埋まってしまいますので。
もしコメントされた場合には,「古田史学の継承のために」の方に転載しようと考えています。
「再反論」をご希望の方は,以下の新サイトをご活用下さいネ。

古田史学の継承のために

http://koesan21.cocolog-nifty.com/keishou/

上記サイトの中の「二中歴をめぐって」に直通で行きたい方は,
以下をクリックして下さい。
ただし,意見を述べる際には,誰の何に対するものなのか,
お断りの上お願いいたします。

「二中歴」をめぐって

http://koesan21.cocolog-nifty.com/keishou/2017/05/post-d818.html

2017年5月19日 (金)

古代道と駅鈴(再登場)

私は古代道とほぼ同じ頃,駅鈴という道具について
「古代道と駅鈴」を書いたことがある
(「肥さんの夢ブログ」2013年2月18日)


古代道と駅鈴

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2013/02/post-1b61.html

これは今2つしか現存していないそうで,
私が持っているのはその隠岐の駅鈴のレプリカ。
今は2つしか現存しないが,
壬申の乱(天武紀)では大変重要な役割をする道具なのである。

なんせこれがないと馬が動員できない。
したがって,そこから先に行くことができなくなってしまうという
軍事的に価値の高いものなのである。
これが手に入れば戦いは有利になるし,
もしだめなら別の方法を考えなくてはならない。

では,この駅鈴を作り,使用させていたのは誰か。
どの王朝かという話になる。
「日本書紀」は教えてくれない。
それは勘のいい読者の方にはお分かりであろうが,
私の考えでは大和政権の前の九州王朝ということになる。
なにしろ701年の大宝建元の前の話なのであるから・・・。

2017年5月18日 (木)

天武紀の「東山軍」「東海軍」は「軍用道路」仮説の例証か?

私は5年前の2012年2月号の「古田史学会報」に,
「古代日本ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路か?」
という文章を掲載していただきました。

古代日本ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路か?

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2011/12/post-aa30.html

それに関連して,本日山田さんからうれしいメールをいただきました。
以下に紹介させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

肥沼さんの「古代官道は九州王朝の軍用道路である」との仮説に従って
『日本書紀』を探してしたところ、例証に近いと思われることを
天武紀(壬申の乱)で見つけました。
「東山軍」、「東海軍」が出てきます。
東山道と東海道の方面軍だと思われます。
次の表題でブログに載せておきました。
発表するほどのことではないので、
興味を持たれたらのぞいてみてください。

「○○道」はやはり軍管区であった
― 天武紀の証言 ―

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2017/05/post-72f3.html

肥沼さんの仮説「古代官道は九州王朝の軍用道路である」
というのはかなり強力な仮説だと思います。
発見には仮説が一番大切だとつくづく思いました。

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勤務校と同じ所沢市にある南稜中学校の校庭の地下に埋まっていた幅12mの道路が,
もし軍用道路であったなら,日本書紀には「誰がこの道路を作ったか」について
何も書いていない(誰でも知っているので書けない?)のですから,
私の考える九州王朝である可能性も決して低くないということです。

東の上遺跡(所沢市立南稜中学校の校庭の地下)

http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/iitokoro/enjoy/bunkakyoyo/bunkazai/shishiteibunkazai/siseki/bunzai_20100416165910041.html

この古代史の謎が,私の生きているうちに解けるかどうかはわかりませんが,
いっしょに研究をしている山田さんの発見により,真実解明に大きく前進したと
私は思うのでありました。(また「やる気のスイッチ」が入ってきましたよ!)
山田さん,本当にありがとうございます。
そして,今後ともよろしくお願いいたします。m●m

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