太宰府Ⅰ期政庁は,「東偏 → 正方位」だ!((川瀬さん)(改訂版)
本日川瀬さんからご連絡いただきました。
太宰府Ⅰ期政庁が「東偏 → 正方位」とのことです。
(具体的には,Ⅰ期政庁は,古・新に大きく分かれる)
もしそうだとすると,〈方位の考古学〉では,
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★5世紀中頃まで:西偏(これは方位磁石に従ったもの)
★5世紀中頃以後:東偏(これは中国南朝の設計思想に倣ったもの)
★6世紀末から7世紀初頭:正方位(これは中国隋王朝の設計思想に倣ったもの)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
という見立てですから,「太宰府Ⅰ期政庁は6世紀末以前のスタート」ということになります!
江口桂著『古代官衙』(ニューサイエンス社)P202
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肥沼さんへ
>どうも太宰府Ⅰ期政庁が「東偏 → 正方位」らしいとのことです。
(具体的には,Ⅰ期政庁は,古・新に大きく分かれる)
もしそうだとすると,〈方位の考古学〉では,
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★5世紀中頃まで:西偏(これは方位磁石に従ったもの)
★5世紀中頃以後:東偏(これは中国南朝の設計思想に倣ったもの)
★6世紀末から7世紀初頭:正方位(これは中国隋王朝の設計思想に倣ったもの)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
という見立てですから,「太宰府Ⅰ期政庁は6世紀末スタート」ということになります!
いや違う。
6世紀末はⅠ期政庁の正方位である新期だ。
つまりこれより古い東偏のⅠ期政庁古期は5世紀中頃以後6世紀末になる。
たぶん6世紀末に近い時期だとは思うが、古期は6世紀末以前のスタートですよ。
投稿: 川瀬健一 | 2021年12月21日 (火) 17:20
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
メールに「SB120」とあったので,それに注目してしまいました。
なので,ご指摘の建物には目がいきませんでした。
川瀬さんが赤線でなぞった建物は何という建物でしょうか?
〉 大宰府Ⅰ期政庁は東偏だった証拠をみつけました。
江口桂編『古代官衙』のp202・203の図と記述。
Ⅰ期政庁遺構が古期と新期に分かれていると記述され、その新期はⅡ期政庁が作ら
れる直前まで存在し、柱を抜いた跡を、Ⅱ期政庁正殿の基壇土で丁寧に埋めてある
と。
図を見ると、正方位の長舎状建物のSB120のこと。
つまり正方位の遺構(添付図の青線)がⅠ期新期遺構で、東偏の遺構(添付図の赤
線)がⅠ期古期遺構だということです。
元史料は、2002年九州歴史資料館編『大宰府政庁跡』。
改めて,添付の図を掲載させていただきました。
あしからず。
投稿: 肥さん | 2021年12月21日 (火) 20:26
赤線でなぞった東偏のⅠ期建物の遺構の名前。
SB122
です。
この『大宰府政庁跡』の報告書だけではなく、ほとんどの報告書をPDFファイルでダウンロードできるサイトがありました。
https://www.kyuhaku.jp/dazaifu/library.html
国立九州博物館「西都 太宰府」:資料観覧ライブラリー
ここの発掘報告書を太宰府関連だけ全部読んでみると、きっとすごいことがわかるな。
まず太宰府条坊関連だけ見てみて、東偏の条坊路が出土していないか確認してみます。
かなり時間がかかると思うが。
『大宰府政庁跡』についての書籍本をネットで購入しました。
投稿: 川瀬健一 | 2021年12月21日 (火) 23:36
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 この『大宰府政庁跡』の報告書だけではなく、ほとんどの報告書をPDFファイルでダウンロードできるサイトがありました。
https://www.kyuhaku.jp/dazaifu/library.html
国立九州博物館「西都 太宰府」:資料観覧ライブラリー
ここの発掘報告書を太宰府関連だけ全部読んでみると、きっとすごいことがわかるな。
まず太宰府条坊関連だけ見てみて、東偏の条坊路が出土していないか確認してみます。
かなり時間がかかると思うが。
『大宰府政庁跡』についての書籍本をネットで購入しました。
→ すごい,すごい!
一挙に太宰府のことが明らかになりそうですね。
私もそのサイトに行ってみます。
投稿: 肥さん | 2021年12月21日 (火) 23:47