大宰府条坊跡322次調査 現地説明会資料
太宰府市の文化財情報(現地説明会資料)の中に,
「東偏5度」と思われる側溝(道路に沿って掘られる溝)が載っているように見えるものがありました。
長さ22m,幅1m,深さ20cmとのことです。図も出ています。
(S60とS80などが直交しているように見えます)
いかがでしょうか?
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【大宰府条坊跡322次調査 現地説明会資料】
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肥沼さんへ
早速一つ見つけましたね。
南北の溝S-60は明らかに東偏5度くらい。
東西に伸びるいくつかの溝、S-70、S-90と直交しているわけではないです。この東西溝はほぼ正方位ですから。95度ぐらいかな?
南北溝からは平安時代後期の土器が見つかっている。
これは作られた年代ではなく、使われた最後の時代を示すもの。
この溝の並行して建てられた南北棟の掘立柱建物。
これらからも平安時代後期の土器が出ているが、ここも作られた年代ではなくつかわれた最後の時代を示すものだ。
考古学者はまったく方位を無視していますね。
資料の地図で発掘地点を確認すると、通古賀地区のすぐ東側の部分ですね。
この南北溝はもしかしたら、通古賀に南朝様式の都が置かれた時代の条坊の路に伴うものかもしれないね?
投稿: 川瀬健一 | 2021年12月22日 (水) 18:04
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 早速一つ見つけましたね。
南北の溝S-60は明らかに東偏5度くらい。
川瀬さんが「南都 太宰府」サイトからやってみるとのことでしたので,
私は別のやり方で行ったら「挟み撃ち」にできるかなと思いました。
こんなに早く成果が出てびっくりです。(もう一つは見つけたいです)
〉 考古学者はまったく方位を無視していますね。
資料の地図で発掘地点を確認すると、通古賀地区のすぐ東側の部分ですね。
この南北溝はもしかしたら、通古賀に南朝様式の都が置かれた時代の条坊の路に伴うものかもしれないね?
方位というものに目を付けたことは,大成功でした。
さらに成果を上げていきたいです。
投稿: 肥さん | 2021年12月22日 (水) 19:42
肥沼さんへ
分度器でこの図の方眼を基準に角度を測りました。
この方眼は正方位の東西南北ですから。
残念ながら溝S-60の中心で角度を測ると東偏10度でした。
広岡公夫さんの地磁気永年変化表だと西暦1250年頃の磁北。岡山理科大学の地磁気永年変化表だと西暦1300年頃の磁北。
この結果は溝から出土した土器が平安時代後期という年代(12世紀)に近いので、5世紀後半から6世紀後半にかけての東偏時代のものではないですね。
投稿: 川瀬健一 | 2021年12月22日 (水) 23:30
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
残念!
また頑張ります。
投稿: 肥さん | 2021年12月23日 (木) 11:57