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2021年11月12日 (金)

古代史セミナー 2021

明日から1泊2日で,古代史セミナー(八王子・大学セミナーハウス)が行われます。

ある異端児の訃報/古田武彦さんのことなど | をだまきの晴耕雨読の画像

       古田武彦氏(2015年没)

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【11月13日(土)】

特別講演(河内春人氏)

【セッションⅠ】 文献を徹底して読む                  
■そうだったのか「倭の五王」                                大越邦生
【要 旨】古田の古代史を可視化し、市民に広げる活動をしている。セミナーでは4~6世紀の倭王に焦点を絞り、いくつかのトピックから全体を俯瞰する。参加者にヒントを示し、議論の活性化にひと役かえれば良いと願っている。
■『宋書』から倭国の中心地を読み解く                    大墨伸明
【要 旨】倭国王の所在地を「平西将軍」や「西服衆夷六十六国」の記述から、近畿とする説がある。『宋書』にみる倭国の方位、「平西将軍」の群像、「服する」という真意を読み解くと、その王がいたのは九州であった。
■卑弥呼・壹与から倭の五王への変遷                     橘高 修
【要 旨】狗奴国との抗争を有利に展開するために魏・西晋へ朝貢した卑弥呼と壹与から百年の時を隔てて、韓半島への侵攻のために中国王朝へ
朝貢する「倭の五王」時代への変遷を、宋書倭国伝・梁書や三国史記の記述などから探る。
情報交換会
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【11月14日(日)】
 
【セッションⅡ】 倭の五王は何処にいたか
■倭の五王は太宰府に都していた                      内倉武久
【要 旨】「倭(ヰ)の五王」は日本に渡来し、卑弥呼や景行天皇らを生んで列島の王者に上りつめた紀(姫)氏の一派であり、都を太宰府市に置いていた。後継の磐井は袁氏・継体天皇に滅ぼされて王者の座から降ろされた。
■「倭の五王と都城」および古代国家形成と都城問題             草野善彦 
【要 旨】一元史観には「国家誕生と都城・首都の形成」という視点が完全に欠落している。「倭の五王論」においても「倭都の所在地論」が見えない。世界史における古代国家論の共通認識を踏まえてこれらの問題を論ずる。
■「倭の五王」の時代の考古学―古田武彦「筑後川の一線」の再評価―     古賀達也   
【要 旨】「倭の五王」の王都を論じる場合、考古学が主たる研究分野となる。『宋書』に倭国王都の記事がないからだ。古田武彦氏が論じた「筑後川の一線」という概念はその考古学に基づいており、再評価されるべき仮説である。
■「太陽の道」は倭王の居所を指し示す                   長谷川宗武(谷川修)
【要 旨】福岡都市圏にある〈3つの弥生遺跡そばの神社〉は東西に直列し春分秋分夏至冬至の日の出を礼拝する祭場で、古墳時代以降は太宰府がそのような祭場だった。その場所は、歴代中国史書の記述する倭国中心部に一致する。

【セッションⅢ】 倭の五王時代の日本列島 
■「倭の五王時代の関東」                             田中 巌
【要 旨】倭の五王時代の列島―とくに関東―の様子を、記紀の記述、風土記や氏族の書き残したもの、さらには中国の正史が描く列島の様子などを繋ぎ合わせ、東国とくに関東の5C~7Cの様子を概観してみたい。
■武具・防御遺構の分布から見た“倭の五王”の活動領域とその中心               大下隆司
【要 旨】祖禰躬擐甲冑跋渉山川不遑寧處:五世紀に最新鋭兵器・武具を装備し、その軍事的卓越性により各地に進出した“倭の五王”軍団の活動領域とその本拠地はどこか、考古出土物の分析から推定します。

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