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2021年11月16日 (火)

補遺・大きな古墳

以前九州地方の大きな古墳の話を書き,

〈方位の考古学〉によって考えると,「倭の五王」の時期は筑後地方に本拠地があるとした。

結論は変わらないのだが,鹿児島県の2つの古墳が落ちていたのが分かった。

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唐仁大塚古墳・一号墳(154あるいは140m)・・・4世紀末→3世紀末

Tojin Otsuka Kofun, funkyu-1.jpg

横瀬古墳(140m)・・・5世紀後半→4世紀後半

Yokose Kofun, zenkei-2.jpg

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「倭の五王」は5世紀の話なので,宮崎県と同じくこれらは範囲外となる。

 

 

 

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 鹿児島県の二つの大型古墳の場所は、どちらも志布志湾岸にあり、古代国制でいえば日向の最南部か大隅の東の端。
 二つの古墳の北40キロほどの所の都城の大古墳群を作った勢力が広がった最南端と言えるでしょうね。いわば、対隼人戦線の最前線。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 いわば、対隼人戦線の最前線。

なるほど。

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