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2021年10月16日 (土)

地下の「方位」は歴史を雄弁に語る

地下に埋もれようとも,遺跡は大地に刻まれる。

遺跡は「方位」を意識して建てられるので,

それを利用すれば,地下の「方位」は歴史を雄弁に語ってくれるのだ。

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【ウィキペディア「斑鳩宮」】・発掘調査で判明したことは、まず宮は現在の東院伽藍の場所に建っていたこと、宮の範囲は二町四方であること、などである。しかし、宮全体構造はまだ分かっていない。また、厩戸皇子が建立したと伝えられる斑鳩寺は、西院伽藍の裏手の若草伽藍であり、金堂や塔が火災にあい焼失した痕跡が残っていた。伽藍中心部の広さは東西や139メートル、南北172.5メートルの四天王寺式伽藍配置であった。斑鳩宮と斑鳩寺(若草伽藍)は、方位がほぼ同じで同時期の造営であることがわかる。また、西院伽藍の東大門や西大門に沿う築地も同方向であるので、斑鳩宮造営と同時に築造され、道路や水路を広範囲に敷設したことと推測できる。さらに、飛鳥と斑鳩を結ぶ太子道同方位である。太子道は、筋違い道とも呼ばれ、磯城郡田原本町保津と生駒郡斑鳩町高安を結ぶ道であった。1998年の発掘で田原本町保津の起点の東南から側溝20メートル(溝幅3メートル、深さ0.5メートル)の道が検出されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%91%E9%B3%A9%E5%AE%AE

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【神宮の杜から】・・・法起寺も若草伽藍と同じ方位かも

https://ameblo.jp/ykaa/entry-10460331827.html

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【難波より京に至る大道を置く】

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