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2021年10月 9日 (土)

八角形建物の比較~鞠智城と上野国佐位郡正倉跡

【鞠智城の八角形建物】


鞠智城跡では、国内の古代山城では似かよった例を見ない、4基の八角形建物跡が見つかっています。韓国の二聖(イーソン)山城でも同じようなものがあり、注目されます。
  特別な性格の施設であったことをうかがわせる、八角形という特殊な形であったことから、鼓の音で時を知らせたり、見張りをしたりするための「八角形鼓楼」として復元しました。
  復元した「八角形鼓楼」は、高さ15.8mで、重量約76トンの瓦が載る建物です。一帯に響いた古代の鼓の音、遠く故郷を離れた防人たちの姿を感じてみてはいかがですか。(サイトの説明文)

画像

(個人サイトの写真より50本近い柱数

(肥沼)2基しか見つかっていないと思っていたが,「4基見つかっていた」と聞き驚いた。しかし,鞠智城の地図を見ても2基しかみつからない。さらに眼鏡をかけて見ると,北側(二重の八角形)「30・31」建物と南側(三重の八角形)「32・33」建物ということで,違いがある。どうも掘立柱時代と礎石時代をカウントして,2×2=4基としているようです。この重さを支えるのには,かなり数の柱が必要だと思われます。ただ,高さほど建物の幅はなく,10mくらいだったと思う。また,北側は心礎の浅さから二層で「宮」,南側は心礎の深さから三層(鼓楼)と判断されたようです。私は「宮」は貯水池跡から出土した百済系菩薩立像などを安置する空間だったのではないかと想像しています。人間たちが入るスペースとしては,狭いと思ったので。(「宮」は写し間違い→正しくは「堂」でした)

Img_1842

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【上野国佐位郡正倉跡の八角形建物】

上野国佐位郡正倉跡八角形倉庫模型を見学: JET-LOG 上野国佐位郡正倉跡/伊勢崎市
この遺跡で注目すべきは、2005年の第3次調査において発見された八角形礎石建物である。この建物は総地業を伴い、礎石据付痕跡が33箇所確認され、建物の規模は南北15•3m、東西14.7mである。正倉跡では最大規模で、中核をなす建物である。建立年代は、Ⅳ期に想定されたが、建物下層にもほぼ同規模の掘立柱建物を検出し、その柱配置などから、やはり八角形倉庫であったと想定された。佐位郡正倉跡では、Ⅱ期から施設の中心的建物として、八角形倉庫が造られていたことが明らかとなった。(ウィキペディアより)

(肥沼)「総地業を伴い,礎石据付痕跡が33箇所ということは,こちらも相当しっかりした作りです。床面積もかなり広そう。

『上野国交替実録帳』(1030年)には、佐位郡正倉に「八面甲倉」という記述がある。「八面甲倉」は校倉造りの高床式倉庫に比定されており、倉庫が北や中、中南などの複数のグループに分かれていることや、東西方向の列が複数あったことが読み取れる。これは発掘調査によって検出された遺構配置とも概ね符合している。このように『上野国交替実録帳』の記載内容と、遺構として確認された建物とを対比、検討できるようになり、三軒屋遺跡が上野国佐位郡正倉跡であることが確実となった[1] (ウィキペディアより)

 

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 以前夢ブログで菊池城の八角形建物については取り上げましたね。
 詳しい図面もある。
 http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2019/02/post-2f55.html

 上野国佐位郡正倉跡の八角形建物だが、この建物には心柱はあるのかな?
 また文献に出てくる八面甲倉だとしている。
 でもこの名称から、何か浮かんできませんか?
 「甲」ですよ。装甲の甲。織田信長が毛利水軍を木津川河口の海戦で打ち破った鉄甲船の甲です。
 この建物は全体が鋼鉄の板(おそらく黒漆を塗った)で装甲されていたもので、単なる倉庫ではなくて、防御用の軍事施設だったのではないか。
 となれば二層か三層だと思うのです。

 戦国時代でもたしか備前岡山城はこの黒漆を塗った鉄の装甲で固められていた。

 平安時代の平将門の乱のときには、彼は国府の国庁と正倉を焼き払っている。
 こうした事態に備える防御施設だったのでは?

追伸

 肥沼山の記述に一か所間違いがありました。

>北側は心礎の浅さから二層で「宮」,南側は心礎の深さから三層(鼓楼)と判断されたようです。

 「宮」とありますが本の本文を見ると「堂」とあります。「堂」ですから、肥沼さんの推理のように、仏像を安置するお堂で良いのだと思います。
 なんで「宮」と誤ったのかな?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  以前夢ブログで菊池城の八角形建物については取り上げましたね。
 詳しい図面もある。
 http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2019/02/post-2f55.html

すっかり忘れていました。頑張っていました!

〉 上野国佐位郡正倉跡の八角形建物だが、この建物には心柱はあるのかな?

なさそうに見えますが…。

〉  平安時代の平将門の乱のときには、彼は国府の国庁と正倉を焼き払っている。
 こうした事態に備える防御施設だったのでは?

防火用の幅3~4m、深さ1.6m大溝(白い粘土で漏水を防いだ)があったようなので,
それは大いに考えられますね。
ただ,何か物証(考古出土物)は出ているのでしようかね?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  「宮」とありますが本の本文を見ると「堂」とあります。「堂」ですから、肥沼さんの推理のように、仏像を安置するお堂で良いのだと思います。
 なんで「宮」と誤ったのかな?

なんで「宮」と誤ったのでしょうね。形がちょっと似ているから?(笑)

肥沼さんへ

 上野国佐位郡正倉跡の八角形建物をさらに調べてみました。
 伊勢崎市のサイトにこの建物の詳しいリーフレットがありました。
 https://www.city.isesaki.lg.jp/soshiki/kyoikubu/hogo/8489.html

 この説明を読むと、柱は全部で44本。六列に並んでいて、これは倉庫の床を支える形式だと判断されています。
 それもで復元では高さは13mもあり、この建物の前には二本の幡を建てられるようになっていたことがわかっています。

 単なる倉庫ではないことは確かです。

 復元では「八面甲倉」の「甲」は全く無視されており、壁は校倉造にに復元されています。
ここは間違いだと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  この説明を読むと、柱は全部で44本。六列に並んでいて、これは倉庫の床を支える形式だと判断されています。
 それもで復元では高さは13mもあり、この建物の前には二本の幡を建てられるようになっていたことがわかっています。

 単なる倉庫ではないことは確かです。

 復元では「八面甲倉」の「甲」は全く無視されており、壁は校倉造にに復元されています。
ここは間違いだと思います。

なるほど。調べてみたいところです。

肥沼さんへ

 さらにこうさつしてみました。
 確かに柱列は6列に並んでいる。
 でも外周の八角形に並んだ柱の内側にも、一回り小さい八角形の柱が列ができる。
 そしてその内側には長方形に柱が並んだ空間ができる。
 復元者は文献に「倉」とあるのだから八角形の倉庫と考えて復元したから今の形になった。
 でも「倉」の字に注目しないで、「甲」の字に注目したら、装甲を施した防御施設とも考えらえる。
 防御施設なら平屋ということはあり得ない。
 二つの八角形の柱列をそれぞれ一重目・二重目を支える柱列と考え、最後の長方形の柱列を三重目の長方形を支える柱列と考えれば、三階建ての建物も想定できるわけだ。
 つまり長方形に並んでいる6本の中心の柱列が最も長い柱で三層目の頂点の屋根まで支え、内側の八角形をした柱列列が二層目の屋根まで支え、最も外側の八角形柱列が一層目の屋根を支えるという形。
 塔ではないので心柱はないが、通常の三層建物の1・2層目を八角形で作ったと考えれば良い。
 これに1から3層目まで全部黒漆で塗った装甲を施したとすれば、壮観だね。

 これは信長の安土城天守とは逆の発想。
 安土城天守は最上階が八角形のお堂型。下は通常の長方形の多重建物。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 これは信長の安土城天守とは逆の発想。
 安土城天守は最上階が八角形のお堂型。下は通常の長方形の多重建物。

なるほど。ユニークな発想ですね。

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