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2021年10月 8日 (金)

上野国佐位郡正倉跡

昨日の「郡(評)衙」検索で,たくさんの収穫を得たが,

特に私の目を引いたのは上記の遺跡だった。

八角形建物も含む興味深い遺跡群だったのだ。群馬県伊勢崎市にある。

【上野国佐位郡正倉跡】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%9B%BD%E4%BD%90%E4%BD%8D%E9%83%A1%E6%AD%A3%E5%80%89%E8%B7%A1

まず,その規模がすごい。

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過去の調査で、幅3~4m、深さ1.6mほどの大溝により区切られた、北辺約176m、東辺約320m、南辺約230m、西辺約286mの台形の区画が発見されている。大溝によって区画された敷地面積は約6万平方メートルであり、その中に礎石建物15棟、掘立柱建物40棟以上の倉庫群が検出された。倉庫群は計画的に配置されていたことが明らかであり、正倉跡とみられる。また、北辺と西辺の大溝が接続する北西角は、長径約14mの池状遺構となっており、白色粘土が張られて水が溜まることから防火施設の可能性が想定される。他に区画内外から小規模な鍛冶炉などの工房跡も検出されているという[1]

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6万平方m(300m×200mくらい)ということは,小さい学校なら数校は建てられる広さである。

その中にたくさんの正倉群。防火用の池もあったらしい。白色粘土は漏水防止のためだろうか。

変遷もわかっていて,〈方位の考古学〉的にも興味深い。第2の「泉官衙遺跡」かと思った。

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遺構変遷は出土遺物から、5期に区分されている。Ⅰ期は7世紀後半から7世紀末、Ⅱ期は8世紀初頭から中頃、Ⅲ期は8世紀中頃から後半、Ⅳ期は9世紀前半、Ⅴ期は9世紀後半から10世紀である。大溝による区画は、8世紀中頃から後半にかけて正倉跡が整備されるのと同時に成立したものと考えられる。倉庫群は8世紀中頃以前のⅠ期、Ⅱ期には掘立柱建物が主体であり、8世紀中頃のⅢ期以降に礎石建物に変化していくことが判明している。そしてⅤ期には再び小型の掘立柱建物に変化した。出土遺物は土師器須恵器の破片等のみで非常に少なく、火災の痕跡や炭化米なども未検出である。区画東辺の外側では、区画が成立する以前のⅡ期の建物群が検出されている[1]

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Ⅰ期・7世紀後半から7世紀末→6世紀後半から6世紀末(九州王朝の東偏か?)~掘立柱建物が主体

Ⅱ期・8世紀初頭から中頃→7世紀初頭から中頃(九州王朝の正方位?)~掘立柱建物が主体【掘立柱の八角スタート】

Ⅲ期・8世紀中頃から後半→7世紀中頃から後半(九州王朝の正方位?)礎石建物に変化・・・大溝のよる区画~正倉跡の整備と同時か【掘立柱の八角】

Ⅳ期・9世紀前半→8世紀前半(近畿王朝の正方位?)【礎石の八角がスタート】

Ⅴ期・9世紀後半から10世紀→8世紀後半から9世紀(近畿王朝の正方位?)~小型の掘立柱建物に変化

ということで,2つの王朝の状況をよく伝えていると思う。

そして,問題の八角形建物である。

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この遺跡で注目すべきは、2005年の第3次調査において発見された八角形礎石建物である。この建物は総地業を伴い、礎石据付痕跡が33箇所確認され、建物の規模は南北15•3m、東西14.7mである。正倉跡では最大規模で、中核をなす建物である。建立年代は、Ⅳ期に想定されたが、建物下層にもほぼ同規模の掘立柱建物を検出し、その柱配置などから、やはり八角形倉庫であったと想定された。佐位郡正倉跡では、Ⅱ期から施設の中心的建物として、八角形倉庫が造られていたことが明らかとなった[1]

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仮説のサークルで高崎市はよく出かけるが,伊勢崎市にはなかなか行けない。

太田サークルにいくついでに,訪問してみたいと思った。10月16日(土)がサークルの日だ。

上野国佐位郡正倉跡/伊勢崎市

BECCAN blog 上野国佐位郡正倉跡。[伊勢崎市]

上野国佐位郡正倉跡八角形倉庫模型を見学: JET-LOG

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 正倉群の中の八角形建物ですか。
 たしか肥後の菊池城にも二つあったような?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  正倉群の中の八角形建物ですか。
 たしか肥後の菊池城にも二つあったような?

同時期ではないと思いますが,2つ建てられたようです。
ただ,こちらは倉庫で,鞠智城は南の勢力(隼人?)を見張るためのように見えます。
(3階のようだし,南を意識した設計らしいので)
八角形は朝鮮半島の山城などに使われた様式で,渡来人の技術があったと思います。

難波宮にも2つあり,夢殿もそう。
そのほかにも「八角形建物」はいくつもあるようです。
でも,倉庫で八角形は他に聞きません。

肥沼さんへ

>でも,倉庫で八角形は他に聞きません。

 この八角形建物が倉庫というのは、発掘者の想定でしょ。
 単純に信じない方が良い。

 これだけの床面積の大きさなら、鞠智城のように望楼と考えても良いと思う。
 両者の寸法や柱の数や柱の太さなど比べてみることだ。

 前期難波宮の場合は大極殿の南側の左右にある楼閣と考えられている。
 この正倉の場合も楼閣と考えてもおかしくない。

 八角形というのは天皇陵にも使われており、特殊な意味があると思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  この八角形建物が倉庫というのは、発掘者の想定でしょ。
 単純に信じない方が良い。
 これだけの床面積の大きさなら、鞠智城のように望楼と考えても良いと思う。
 両者の寸法や柱の数や柱の太さなど比べてみることだ。

なるほど。「信じる者は,だまされる」ですね。

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