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2021年9月15日 (水)

〈方位の考古学〉の活用例(4)~太宰府政庁の場合(再録)

これまで紹介した3つの場合(古代日本ハイウェー,福島県・泉官衙遺跡,瓦塔)は,

歴史教科書には登場しないものなので,影響力が少ないと言えば少ないものだった。

そろそろ「大物」に登場していただくことにしよう。太宰府政庁である。

(もともとの名(現地の人)は「太宰府」。日本書紀は,貶めて「大宰府」か?)

これは九州の福岡県にあるので,遠隔地(100年遡る)部類に入る遺跡だ。

まず,従来の土器編年により,これまで以下のように書かれていた。

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Ⅰ期(7世紀後半)・・・掘立柱建物

Ⅱ期(8世紀初め)・・・礎石建物(941年の藤原純友の乱で焼失?)

Ⅲ期(10世紀後半)・・・礎石建物

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時間的に言って,「すべて近畿王朝が建てたもの」というイメージだ。

ところが,〈方位の考古学〉によって,100年遡らせると,以下のようになる。

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Ⅰ期(6世紀後半)・・・隋に対抗して(真似して),九州王朝が正方位で建てた

Ⅱ期(7世紀初め)・・・さらに長期耐久性(4~5倍)のある礎石建物にして九州王朝が建てた(立派な鬼瓦や鴻臚館式軒先瓦も)

Ⅲ期(10世紀後半)・・・近畿王朝が再建する(Ⅱ期を踏襲しながらも,一部異なる配置)

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Ⅰ期・Ⅱ期が九州王朝の建てたもので,Ⅲ期が近畿王朝の建てたもの。

太宰府の3つの時期は,〈方位の考古学〉 によって,大きく変更されるのである。

「近 ⇒ 近 ⇒ 近」から,「九 ⇒ 九 ⇒ 近」である。

そして,それに付随して,ほかの遺跡も編年の変更を迫られる時が来たのではないか?

私はそう考えている。

【参考資料】

Img_5907

Ⅰ期(九州王朝・掘立柱建物・正方位)

Ⅱ期(九州王朝・礎石建物・正方位)

Img_5906

※ 鴻臚館式軒丸瓦は,Ⅱ期政庁の瓦であっても,近畿天皇家時代になって新たに葺き直されたものではないでしょうか。

(川瀬さんのコメント参照のこと)

Img_5903

Ⅲ期(近畿王朝・礎石建物・正方位)

Img_5904

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