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2021年9月15日 (水)

2つの「団印」は8世紀だが・・・

ずっと前に,福岡県で発見された2つの「団印」(御笠団印と遠賀団印)が

サイズの点から九州王朝の時代の印ではないかと「夢ブログ」に書いたことがあります。

今回「8世紀」の言葉につられ,「〈方位の考古学〉でも行ける」と思ってしまいましたが,

これが失敗のもとでした。

というのは,「軍団印のサイズを、中国の様々な時代の尺の長さで割ってみると、

もっとも整数に近いのが、南朝で流行していた尺である唐小尺=南朝尺であることがわかったので、

この軍団印は九州王朝のものと判断できるのではないかということ 」でした。

幻の,「天平尺の轍」もまた踏んでしまいました。面目ない。

遠賀団印image

遠賀団印

福岡県太宰府市 観世音寺出土  1個  奈良時代・8世紀 

東京国立博物館 (J-34806)

遠賀団印
重要文化財

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

指定名称:銅印
福岡県太宰府市 観世音寺出土
1個
高5.1 印面4×4
奈良時代・8世紀
東京国立博物館

大宰府の遠賀に置かれた軍団の印である。
天平尺で方1寸4分1厘に造られており、
公式令で方2寸と定められた国印よりも小型である。
方形の印面に鋳出した「遠賀団印」の四文字は
ほとんど磨損しておらず良好な状態であるが
周縁部はすべて欠損している。
鈕は無孔のバチ形に造られている。
明治32年(1899)に当時の北御笠小学校(現在の水城小学校)
建設用地内で建設作業中に偶然発見されたものである。
昭和2年(1927)には類似の軍団印で印面に
「御笠団印」と記すものが800mほど離れた地点で出土している。
遠賀と御笠の両団印はほぼ同じ規格で造られており、
律令制下で組織された軍団の公式の印であることがうかがえる。
同様の印は諸国の軍団でも用いられたと推測されるが遺存するのはこの2例のみである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・軍団印出土地[御笠団印・遠賀団印]の画像

軍団印「御笠團印」
(重要文化財)

御笠團印:福岡県太宰府市国分出土 
奈良時代 8世紀 
東京国立博物館

古代日本の官印。
律令(りつりょう)国家の印章は、
公文書の効力を保証し改竄(かいざん)を防止するため、
公文書の全面に押された。
北部九州に置かれた軍団の銅印である。

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コメント

肥沼さんへ

 何でも年代を100年ずらせると考えるのは早計です。
 「方位の考古学」で年代をずらせたのは土器編年による年代比定だけ。

 ではこの軍団印はなぜ8世紀とされたか。

>御笠団印出土地
説明板より

「701年の大宝律令に定められた軍団の印判が発掘された所である。軍団は全国におかれ、普通一軍団は兵士千人で構成され、その兵士は成人男子から三人に一人の割で徴発された。平安時代初め筑前国には4軍団があり、この印のある御笠軍団はそのうちの一つだったと思われる。近くの水城小学校からは遠賀軍団印が出土している」

 御笠軍団印出土地の説明版にはこうあるそうです。
 大宝律令で定められた軍団の印だから8世紀なのではないでしょうか。土器編年ではない。

 したがって二つの軍団印が九州王朝時代のそれであるとする証拠は今のところありません。

 むしろ重要なのは「サイズの点から九州王朝の時代の印である」とされた根拠のほうです。
 こちらを再録してください。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 御笠軍団印出土地の説明版にはこうあるそうです。
 大宝律令で定められた軍団の印だから8世紀なのではないでしょうか。土器編年ではない。

 したがって二つの軍団印が九州王朝時代のそれであるとする証拠は今のところありません。

 むしろ重要なのは「サイズの点から九州王朝の時代の印である」とされた根拠のほうです。
 こちらを再録してください。

分かりました。これは外して,サイズの方を入れます。 

肥沼さんへ

 この訂正のしかただと、「サイズの点から九州王朝の印だと判断した根拠が」
<天平尺で方1寸4分1厘に造られており、
公式令で方2寸と定められた国印よりも小型である。

 であると読んだ人に勘違いさせる。
 昔肥沼さんも同じ勘違いをして、山田さんに訂正されたね。
 ただしくは軍団印のサイズを、中国の様々な時代の尺の長さで割ってみると、もっとも整数に近いのが、南朝で流行していた尺である唐小尺=南朝尺であることがわかったので、この軍団印は九州王朝のものと判断できるのではないかということ。
 関係の議論は
http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/2016/06/post-cb41.html
 のコメント欄に詳しい。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 昔肥沼さんも同じ勘違いをして、山田さんに訂正されたね。

ああ,確かにそうでした。

〉 ただしくは軍団印のサイズを、中国の様々な時代の尺の長さで割ってみると、もっとも整数に近いのが、南朝で流行していた尺である唐小尺=南朝尺であることがわかったので、この軍団印は九州王朝のものと判断できるのではないかということ。

〉 アンダーラインを消して,↑を入れされていただきます。

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