これまでの〈方位の考古学〉の活用例の集計
このところ古墳づいているが,だいぶ資料がたまってきたので,
ここらで「これまでの〈方位の考古学〉の活用例」を集計してみたい。
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九州 ←←←←← 中国・四国 ←←←←← 畿内(大和) →→→→→ 中部 →→→→→ 関東・南東北 →→→→→ 北東北
100年 50年 ±0 50年 100年 150年
太宰府 岡山県の古墳(6) 箸墓古墳 長野県の明科廃寺 泉官衙遺跡(福島県)
鴻臚館 百舌鳥・古市古墳群 さきたま古墳群(10)
大野城 瓦塔
女山神籠石 古代日本ハイウェー
小郡官衙遺跡
有田・小田部遺跡
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これまで〈方位の考古学〉では,「100年ズラす例」には恵まれたものの,
「50年ズラす例」が思いつかなかったので,少々悩んでいた。
それが,昨日岡山県の古墳が気になってやってみたところ,自分ではすぐ気が付かなかったが,
幸いなことに川瀬さんに気が付いていただき,それもよく話題になる箸墓古墳や
世界文化遺産の百舌鳥・古市古墳群と関係する形になったものだから,かなり埋まった。
今日は島根県の古墳をやったので,これからは東日本に進出できたらと思っている。
できたら中部地方の遺跡(古墳?)でと思っているのだが,そんなに立て続けにうまくいくだろうか?
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肥沼さんへ
>これまで〈方位の考古学〉では,「100年ズラす例」には恵まれたものの,
「50年ズラす例」が思いつかなかったので,少々悩んでいた。
>今日は島根県の古墳をやったので,これからは東日本に進出できたらと思っている。
できたら中部地方の遺跡(古墳?)でと思っているのだが,そんなに立て続けにうまくいくだろうか?
どうしてこうも行き当たりばったりなのでしょうね。
「方位の考古学」による土器編年の修正がどこで威力を発揮するか理解していないね。
これは九州王朝説に突き刺さった考古学の通説をぶちやぶるもの。
古賀さんの「九州王朝説に突き刺さった三本の矢」とは、考古学の通説に従う限り3点について、九州王朝説は成り立たないというもの。
ここに焦点を合わせれば良い。
一つは、古墳。特に巨大古墳。最も古い古墳は大和にあり、巨大古墳は畿内に最も集まっている。
真実はたぶん、全国同時に古墳文化が始まったのだし、巨大古墳も全国同じ時期に各地に並列していたのだと思う。ここを明らかにするには、全国の古墳をまんべんなく調べて、その地方の古墳の発生拡大がどう動くかを確認すればよい。全部で数万はあるが大きな前方後円墳と円墳に限ってもよい。
二つ目は、都。統一国家に相応しい都は畿内だというもの。いわゆる摂津の前期難波宮だ。
これは九州太宰府が100年あがって6世紀末になって、前期難波宮より大幅に古い、そして条坊都市であることが明らかなので解決済み。
付属してやっておくと良いことは、全国の国府・国庁と郡衙・郡庁の年代比定。
通常は律令制施行後と考えて、652年の大化改新は無視されるが、これが九州王朝による律令制の全国施行の発端と考えれば、全国の国府・国庁や郡衙・郡庁の年代はここからになるはず。
今は畿内が最も古くて、全国がそれぞれの遠隔地で時代がずれるが、これがほぼ全国一斉で7世紀中頃以後だと証明できれば、九州王朝説はがぜん有利に。
三つめは古代寺院。通説では6世紀や7世紀初頭に遡れる古代寺院は近畿のみだが、真実は全国一斉で、6世紀中頃までに遡れるものもあるはず。ここは全国の古代寺院の年代を確認して方位の考古学で動かしてみれば良い。
もっと計画的に見通しをもって検証すべし。
一発逆転を狙っているようでは、いかにも古代史の素人であることが暴露されている。
ちなみに古賀さんらは先の三点をどう解決したか。
1:摂津の前期難波宮は九州王朝の副都だ。
2:摂津・河内の巨大古墳は、九州王朝勢力の作ったものだ。
3:最も古い時代の寺院、例えば四天王寺は、この摂津河内が古くから九州王朝の地であったのだから、これらも九州王朝のものだ。
全部古いものは九州王朝の物と通説を解釈してしまっている。
これらの説の根拠が、書紀にある神功皇后の征服戦争。これを九州王朝勢力がその皇子の一人を担いで敵国である大和勢力を打倒したとみる。
こうみれば、この時期から河内や摂津、いや大和も山城も近江も九州王朝の勢力範囲。
最も古い古代都城も巨大古墳もそして最も古い寺院もみんな九州王朝の物。
以上のような考古学の通説に依拠した九州王朝説の修正論も吹っ飛ばすのです。
この見通しをもって計画的に地道に検証しましょう。
投稿: 川瀬健一 | 2021年9月22日 (水) 12:59
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
午前中にコメントが入らないので,何か長く書かれるのかなあ,と思っていました。
〉以上のような考古学の通説に依拠した九州王朝説の修正論も吹っ飛ばすのです。
見通しをもって計画的に地道に検証しましょう。
まあ,自分なりにできるかぎりやってみます。
ただ,私の性格は直らないと思いますが・・・。
投稿: 肥さん | 2021年9月22日 (水) 13:20
肥沼さんへ
計画的な考古学通説への反証のやりかた。
1:古墳
全国各県ごとに調べる。古墳の発生時期。前方後円墳の発生時期。巨大古墳の年代。この三点で良い。調べて地域ごとに「方位の考古学」で年代をずらす。古墳の発生も前方後円墳の発生も、巨大古墳の発生も全国同じ時代であることが証明できれば、通説を吹き飛ばせる。
初めての作業なのでデータ収集含めて少し時間がかかる。
2:都
太宰府をやったので基本的に完了。
付属すれば国府・郡衙。
ここは「方位の考古学」のための全国古代遺跡悉皆調査の中に全部資料がある。
県ごとに国府・主な郡衙の年代を調べ「方位の考古学」で年代をずらす。
全国ほぼ一斉に7世紀中頃前後以後となれば、通説を吹き飛ばす。
3:古代寺院
これも「方位の考古学」のための全国古代遺跡悉皆調査の中に全部資料がある。
県ごとに古代寺院の年代はすでに一覧になっている。これを「方位の考古学」で年代をずらす。
全国ほぼ一斉に寺院が始まっていれば通説を吹き飛ばす。
以上三点。計画的にじっくり取り組んでみてください。
投稿: 川瀬健一 | 2021年9月23日 (木) 18:00
方位の考古学の示す歴史像を明らかにするための地道な検証作業
1:全国各県ごとの古墳の発生時期・発展経過を調べ、これを方位の考古学で年代を動かす作業をする。この作業で、全国における古墳の発生がほぼ同時期であることを確認し、巨大古墳もほぼ同時期であることを確認できれば、通説は崩壊する。
2:全国の古代の国の国府・国庁、古代の郡の郡衙・郡庁の年代を調べ、これを方位の考古学で年代を動かす作業をする。国府や郡衙が全国ほぼ一斉に展開しており、それも7世紀中頃前後に始まることが証明できれば、九州王朝が7世紀半ばに後の律令制の基礎になる公地公民制を施行し、律令の制定に動いていたことが証明できる。
3:全国の古代寺院の年代を県ごと(古代の国ごと)にしらべ、これを方位の考古学で年代を動かすさぎょをする。全国の古代寺院の出現がほぼ一斉であり、その年代が6世紀後半以後に始まることが証明できれば、九州王朝による全国統合の始まりがこの時期であることがあきらかになる。
2・3の作業の基本データは、すでになくなった奈良文化財研究所のデータベースにあったが、その痕跡はすべて「多元的国分寺研究」のサイト(+夢ブログ)の全国遺跡悉皆調査の中にある。
1は新たに取り組むことだから時間がかかると思うよ。
投稿: 川瀬さんのコメントの後半部分 | 2021年9月24日 (金) 04:22
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
コメントはたいてい全部載せるのですが,
ちょっと前半は省かせていただきまして,
後半のアドバイスの部分を載せさせていただきました。
国府あたりからやってみたいと思います。
場所は「夢ブログ」ではなく「多元的古代・多目的コーナー」のサイトにて。
少しずつ更新していくことになると思うので,そのようにさせていただきます。
投稿: 肥さん | 2021年9月24日 (金) 04:30