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2021年9月18日 (土)

私は「地元の人」か?

私の実家は東村山市にあるのだが,生まれたのは山口県岩国市である。

そこに父の会社の工場があったため,そこで生まれたのだった。

玉のような男の子(私のこと。笑)は,3歳まで社宅で暮らした。

その後「本社勤務」を命じられた父と共に,私は東村山に引っ越した。

父は勉強ができたらしく,私もその道を歩ませようとした(みたい)。

しかし,清瀬の私立の幼稚園に通い,国立の付属小をお受験するも失敗・・・。

ヤマハ音楽教室も「アリさんのごっつんこ」で挫折・・・。

ということで,小中学校は,地元の秋津小・第二中学校へ。

偉大な先輩・志村けんさんは私の10歳年上であり,

同学年には沖縄からやってきたばかりのフィンガー・ファイブの三男・正男君がいた。

高校はフツーの都立,大学はフツーの私立(法学部だったが口外無用)に通った。

大学3年の頃子供会活動をしていたこともあり,「教師になろう」と進路が決まった。

一浪して,埼玉県の中学社会の教員に。所沢市内のみ36年・5校に務める。

本拠地は新所沢で,アパートや公団に住んでいた。(34年間)

退職前に2年間,地元の東村山市の実家(正確には実家の敷地内のアパート)に戻る。

母を合計5年間介護。亡くなる少し前に知人の紹介でSoundyを知り,足しげく通うように。

ということで,3歳~23歳,57歳~63歳まで東村山市に住んでいることになります。

第1位・・・所沢市34年間

第2位・・・東村山市26年間

第3位・・・岩国市3年間

ということで,あと9年間住まないと「地元の人」とイバれないかもしれません。

若い頃「近所のおじさん・おばさん」だった方々は,みんな「おじいさん・おばあさん」になりました。

浦島太郎になったような気がしました。

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Img_0988

「アイーン」像。東村山駅東口に建てられました。

ゴールデン☆ベスト フィンガー5[CD] - フィンガー5 - UNIVERSAL MUSIC ...の画像

中央が,三男の正男君。学校で会ったことはない気がするが・・・。

【ウィキペディアより】

  • 玉元 正男(たまもと まさお、1959年2月2日 - O型) 三男。ベース担当。ボーカル。
    • 都内の建設会社大工として務める。その後沖縄料理店を経営[5]する一方で、琉球音楽サークル「魔法使いま〜ちゃんとちっちゃな悪魔たちの集い」を結成し、活動している。
    • アイドル時代からの友人である元ずうとるび江藤博利とは現在も親交がある。
  • オフィッシャルサイト http://f5masao.com/

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コメント

肥沼さんへ

 地元とは何か?
 この考え方の違いで、肥沼さんの問いへの答えはことなります。

 1:出生地だと答えると、肥沼さんの地元は岩国になる。
 2:最も長く暮らした地と答えると、肥沼さんの地元は所沢になる。

 3:幼い時から長く暮らし、多くの幼い時の思い出や、親しい人との思い出のある地。
 これが地元であると考えると、肥沼さんの地元は東村山です。3歳までの記憶は通常ない。だから肥沼さんの幼い時の思い出や親しい人のいる土地とは東村山になるわけだ。
 ただし肥沼さんのお宅は敷地が所沢市と東村山市にまたがっている。
 学校は学区の関係で東村山だったろうが、近所の友達の中には所沢市の人もいたはず。

 これはふるさとという言葉とも関連するが、3が最も正しい捉え方だと思う。

 私の場合は地元と言える土地もなければ故郷と言える土地もない。
 肥沼さん以上に父が転勤族で動きまわったから。
 出生地は神奈川県小田原市。ここは父の一族の土地。でもいたのは1年半。なんの記憶もない。
 次に移った場所は神奈川県横浜市鶴見区諏訪坂。ここには父の勤めた会社の小さな社宅があった。ここには5年八か月。幼稚園に通ったのもここだし、小学校に入学したのもここ。でも1年の2学期の途中で転校。
 次に移った場所は三重県三重郡朝日町。父の転勤先の工場があった。ここには4年と10か月いた。小学校1年の2学期の末から6年の1学期まで。夏休み中に転校。近所は父の会社の大規模な社宅。自然と普段遊ぶ相手は同じ社宅のほぼ学年が同じ人たち。
 次に移ったのは神奈川県横浜市港北区日吉本町。父が川崎の本社に転勤したため。6年の2学期から翌年卒業するまでいた。わずか7か月。社宅にいたが同学年はいなかった。
 そして今いる川崎長尾に。中学入学時だ。1962年3月末から現在にいたる。ここが一番長い。59年間。
 だが長尾には幼い時の思い出や懐かしい友もいない。
 中学に入った時親しくなったのは、長尾町の住人ではなく隣の宿河原町の住人。なぜなら長尾町では私と同じく父の会社の分譲住宅に入ったものたちは、長尾の子供たちにとって「よそ者」だった。実際にしばしばこの言葉を投げつけられた。
 だから自然長尾の住人をさけ、隣町の住人と親しくなった。
 このため59年もここに住んでいながら、近所には親しい人はいない。同じ分譲住宅地にすむ住人のなかでも同じ学年だったのが他に4人いたが、同じクラスになったことがなく、友達にはならなかったからだ。そしてこのうちの二人は高校も同じだったが、二人は途中で転居したため友達付き合いもなかった。

 と考えてみると、
 私の幼い時の思い出や友達がいる地は四つある。
 1:横浜鶴見諏訪坂。社宅だったので幼友達はすでにみな転居していない。
 2:三重県三重郡朝日町。工場は今もあるが社宅は解体されて更地に。そして共に遊んだ社宅の仲間もみな父親が転勤族だったので全国に散っていて今はいない。
 3:横浜市日吉本町。たった7か月。親しい友もできなかった。いろいろ思い出はあるが。社宅もすでにない。
 4:川崎市長尾。親しくなった宿河原の友は皆、高校進学後に他市に転居し、今はほとんど付き合いもない。分譲住宅はそのままだが同期は二人いるが友ではない。

 年賀状のやり取りを見ると、小学校時代の友は一人。朝日の同級生。だがここ50年以上会っていない。中学校時代の友も一人。宿河原にいた友の一人。彼とも卒業後一度も会っていない。高校時代の友はほとんど卒業後切れてしまった。2018年4月にここ20年開かれていた同期会の最終回だというので行ってみたが、親しい同じ部活で弦楽合奏をした友はだれも来なかった。平曲会を開催したので、この時チラシをまいたら、同期が4人来てくれたが、一度切りで、あとは年賀状のやり取りだけに終わっている。同窓会名簿で同期の同じ部活の連中に案内状を出したが、一人だけ何度か来てくれて、今でも年賀状の付き合いは続いている。

 したがって親しい友が今もいる地元・ふるさとは私にはないわけだ。

 今でも時々あっている人は
●大学時代の友人たち・・・・・数年おきに集まっている。
●同じ職場の仲間たち・・・・・ほとんど会ってない。卒業生が同期会でもやらないと会う機会もない。
●同じ学会の人・・・・・年に10回程度例会で顔を合わしている。
●平曲会に来てくれるひと
  結局平曲会に来てくれる人が一番親しく会っている人たちだ。
 この人たちとの出会いはいろいろ。
 だが小中学校同期はいない。高校同期が一人。大学同期はいない。
 職場の仲間で来てくれたのは一人だけ。
 同じ学会で何度も来てくれている人が一人。
 一番多いのが、古田史学関係と平曲会を始めてから知り合った人。大阪・京都・名古屋・岐阜・長野・千葉・東京・川崎・横浜・平塚・群馬高崎などなど。歩いていける近所にいる人は三人だけ。

 同じ住宅の100軒にも葉書を二年間まいたが、誰も関心は示していない。
 

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

なぜ「地元」について書いたかというと,
「夢ブログ」の読者の方から,
古代史の話は難しくてよくわからないので,
「地元の話を増やして」とリクエストがあったからです。
ということは,まあ東村山+所沢あたりの話題が読みたいということで,
その手始めに「自分にとっての地元」の話を書きました。

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