« いやなおじさんの話をスルーする相槌 | トップページ | 日本ハム戦 8/21 »

2021年8月21日 (土)

上毛野国の国府の移動の可能性は?

安閑紀に出ている43の屯倉の中で,「これ知ってる!」と思うものがあった。

それが上記の「緑野(みどの)屯倉」である。

高崎サークルのMさんは山名町にお住まいなのだが,まさしくそこである。

昨日の出雲の例からいうと「屯倉⇒のちに国府」と行きたいところだが,

今回もそういくだろうか。

実は,群馬県には2大都市・高崎市と前橋市があって,

前橋の方に「本総社」という地名があるので,こちらが古く,

高崎の方が後からなのかなと思っている。

で,国府は前橋に軍配が上がりそうだが,私は国府の移動があったかもしれないと思っている。

(九州王朝時代・・・前橋=東山道の利用,近畿王朝時代・・・高崎=太平洋につながる利根川上流)

では,高崎の方はどうかというと,こちらも国府は未発見ながら,

国分寺・国分尼寺は現在こちらにほぼ正方位で建っている。

(もしかしたら前橋の地下にも東偏のものが?あるいは,山王廃寺とか)

緑野の地名から言うと,屯倉が置かれたとされるのは高崎が有利だが,

これは近畿王朝の偽装した書である「日本書紀」の主張するところだから,

九州王朝時代の前橋(本総社)のことを隠しているかもしれないしね。

なので,出雲国府と同じような形となる。

多元的「上野国」研究が必要となるでしょう。

王朝の移動が,国府や国分(府)寺の移動を伴ったという。

とにかく両方の国府推定地区から,534~535年並みの木柱が発見されれば,

一挙に研究が進展するかもしれません。

そうすると,前橋市のほうが有利ということになるかな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【緑野郡】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%91%E9%87%8E%E9%83%A1#%E9%83%A1%E5%9F%9F

Img_1393

« いやなおじさんの話をスルーする相槌 | トップページ | 日本ハム戦 8/21 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 高崎と前橋を対立的に考察していますが
 国分寺と国分尼寺の所在地は、前橋と高崎の境にあり、両方にまたがっている。
 住所でいうと群馬県前橋市元総社町と高崎市東国分町・引間町。

 元総社はこの二つの寺院跡の東南1キロほどのところ。

 両者は一体の遺構と考えるべきだと思います。現代の住所名で考えてはいけない。

 明治期の緑野郡は高崎市の方だが、古代の緑野郡はもっと広かったかもしれないね。

 緑野屯倉と上野国府との関係は、そうしたことを総合的に考えないと。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  両者は一体の遺構と考えるべきだと思います。現代の住所名で考えてはいけない。

 明治期の緑野郡は高崎市の方だが、古代の緑野郡はもっと広かったかもしれないね。

 緑野屯倉と上野国府との関係は、そうしたことを総合的に考えないと。

確かに古代は,もっと広かったかもしれません。
たまたま知っていた緑野(みどの)の地名に反応してしまいました。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« いやなおじさんの話をスルーする相槌 | トップページ | 日本ハム戦 8/21 »

2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ